ホテル出発まで
07:00 起床。
07:30 ウェイクアップ・コールあり。
07:35 部屋から3階の朝食レストランに行く。
ビュッフェ朝食のこと、何時もどおり。オレンジ・ジュース、パンにバターとジャム、皿に適当にハムやチーズなど、ヨーグルト、フルーツ・カクテル、最後にコーヒーです。ツアーでは、この朝食があるので6〜8日間も体がもつのですね。
食事はともかく、旅も終りに近づくと疲れで気が回らない。レストランの写真は1枚も撮っていなかった。
08:25 朝食から部屋に戻る。
08:45 昨夜置いた枕チップを確認して、集合場所のラウンジに向かった。

09:05 正面玄関近くのバスに乗車、今日は前から2番目の座席にする。
フロント・ガラス越しにエッフェル塔が見えていた。
現地ガイドさんはパリ在住の日本人男性です。イヤフォン・ガイドはニースのガイドが親機(発信器)の返却を忘れたため今日は使えない。イヤフォン・ガイドなら肉声よりも説明が聞きやすい。写真撮りで群れから少し離れがちの自分としては必需品に近いもの、残念なことでした。 ガイドさん曰く、
「今日(11月11日)は第一次世界大戦休戦記念日で休日、どこも人出が多く時間がかかるかも知れない。」

現時点では曇空ながら、最初のシャイヨ宮でエッフェル塔を観た後に雨が降り始め、ルーブル美術館を見学中に本格的な降り、それからは悪天候でヴェルサイユ宮殿では暴風雨に近く、夜のセーヌ川クルーズも雨がちでした。気分まで滅入ってしまった。写真すら失敗作ばかり、全くついていない1日でした・・・。

シャイヨー宮の展望台からエッフェル塔を観る シャイヨー宮の展望台
シャイヨー宮からエッフェル塔 09:15 シャイヨー宮の東側で降車。小高い場所にあるシャイヨー宮は比較的新しいもの、1937年のパリ万博の会場として建設された。円弧状の優雅な一対の建物で中央部は開いている。その中央部を通り抜けと展望台があり、西側(パリ左岸)の街並みが眺望できます。

直ぐ目に飛び込んでくるのがパリ名物エッフェル塔です。フランス大革命(1789年)を記念した1889年のパリ万博で建てられた。設計はギュスター・エッフェル(A. Gustave Eiffel)、高さ301m(アンテナを含むと324m/東京タワー333m)、当時は世界で最も高い建造物だったが、2年2カ月と5日間の短期間で完成した。当初は20年で取り壊す予定で、実際にパリ市議会は取壊しの議決を行ったとされる。しかし、幸運にもアメリカとの無線交信が始まった時期と重なった。アンテナ塔として生きながらえ、パリのシンボルとなった。3つの展望台(地上57m、115m、274m)があるが、第1→第2→第3展望台とエレベーターを乗り継いで上がる。エッフェル塔は自殺の名所ともいわれ、第3展望台はガラス窓になっている。階段を上がると料金は安いが、エレベーター利用が良いようです。料金(2011年3月)は地上階からエレベーター利用で第2展望台までE8.10、第3展望台までE13.10となっている。下りのみ階段も係に申し出るとOKらしいが、以後の観光プランに照らして考えて下さい。足がガクガクするかも・・・。 (詳しくは、 The Tour Eiffel

近代的な超高層建造物は地面からスーと直角に立ち上るものが多い。比べて、エッフェル塔の底辺の長さと塔のカーブが実に良い視覚的な安定感を感じさせる。122年前に作られたもの、優雅な感じすらしました。直ぐ近くで見ると違う印象と思いますが・・・。

シャイヨー宮の展望台からはアンバリッドの金色のドームも見える。これはルイ14世(太陽王)が退役傷痍軍人の療養所として建設し、現在は療養所に加えて幾つかの博物館やド・ゴール記念館が入っている。地下にはナポレオン1世(ボナパルト)の御墓がある。
他にパンティオンという霊廟のドームも見える。そこは作家ヴィクター・ユゴー、ヴォルテール、ルソー、物理学者キュリー夫妻などが眠っているという。
眺めは確かに素晴らしいが、ここから観るパリはエッフェル塔を除くと何となく短調な感じであるような・・・。

市内移動(シャイヨー宮→コンコルド広場→ルーブル美術館) 市内移動
コンコルド広場 09:30 バスに乗車。人数確認後、ルーブル美術館に向かう。途中でパリの名所が見れました。
09:41 コンコルド広場を通る。金色が彩色された彫刻みごとな噴水、エジプトのルクソール宮殿にあったと云われるオベリスク、ルーブル美術館方向にチェイルリー公園が見える。場所によっては、建物の間からマドレーヌ教会まで見えました。
その反対側に目をやると、コンコルド橋の先に石の列柱をもつブルボン宮(現在はフランス国民議会(下院))が見えた。序ながら、元老院(上院)は違う場所のリュクサンブール宮殿にある。共に昔の宮殿を使っています。
09:42 シャンゼリゼ大通りとその遥か彼方にエトアール広場の凱旋門が見えた。

コンコルド広場は歴史的に忘れ難い場所です。広場自体は1755年に「ルイ15世広場」として完成した。フランス大革命(1789年)の後、王政が廃止(1792年)、1793年10月にルイ16世とマリー・アントワネットを含む1300人以上がここでギロチンにかけられたのです。その後、名称が変更されコンコルド(調和)広場となりました。

思い出ですが、1999年5月にルーブル美術館からカルーゼルの凱旋門、チェイルリー庭園、コンコルド広場、マドレーヌ教会、フォーブール・サン・トノーレ、エリゼ宮(大統領府)、シャンゼリゼ大通り、エトアールの凱旋門など歩いたものです。その時は晴天で気持ち良い散策でしたが、・・・。

ルーブル美術館 ルーブル美術館
ルーブル美術館/ミロのヴィーナス 09:50 ルーブル美術館の地下駐車場に到着。
美術館の入口ホール、つまり有名なガラスのピラミッドの下のホールまでかなり歩きました。
09:55 入口ホールに到着。
ルーブル美術館:リンク集
ルーヴル美術館公式サイト
ウィキペディア → ルーヴル美術館
GOOGLE画像検索 → ルーブル美術館
フランス政府観光局オフィシャルサイト → パリ観光

あまりにも高名な美術館です。旅行ガイドブックや解説書、写真サイトなど資料は豊富です。ルーブルに関する情報は[PHOTO]または上のリンクでご覧ください。

追記:2011.12.07 ルーブル美術館の外観照明を省電力の LED 照明に取り換える工事が進んでいたが、部分的な完成(ガラスのピラミッドの夜間照明の完成)となり、6日にLED照明装置を提供した日本企業(東芝)と美術館関係者により点灯式が行われた。照明時の壁面の陰影の美しさは保たれる、とされます。□

11:15 見学を終えて、地下から美術館横の通りにでる。幸い雨は止んでいた。
11:20 この頃、美術館の近くの免税店に入る。
11:45 免税店を出て、美術館に戻る。
11:50 地下の商店街を歩く。
11:55 地下の駐車場に戻り、バスに乗車。

印象派もどきオペラ座(車窓撮影) 市内移動: 
11:59 この頃に表に出る。凄い雨でした。
12:01 オペラ座前を通過。
ダメと分かっていても数枚の写真を撮ってみた。右の「印象派もどきのオペラ座」が写っていた。”雨”の功名・・・(泣笑)。

オペラ座界隈はパリの繁華街として賑わっているが、そのビルの一階に当世の出世頭の1つ「ユニクロ」が出店していた。
思うに、フォードの安価で高性能なT型車の大量生産が自動車の普及を促したとされる。世界を相手にビジネス展開をしているコーラ類、ハンバーグ、フライド・チキン、コーヒー、パソコン、大衆医薬品、等々、アメリカの企業は数多くありますが、一般大衆を市場にして安価で安定した品質のものを提供する点が共通しています。各企業は膨大な利益を上げるのが通常ですが、特に高級品をうたうことは極めて少ないし、販売価格も高めがあり得るが決して暴利をむさぼるようなものではないのが普通と思います。機能を考えれば十分に満足する製品の大量販売が基本です。
ユニクロも企業として経済の波は被るでしょうが、中国等での低コストかつ安定した品質の衣料生産のお陰でアメリカの成功例に倣って販売エリアを拡大中なのでしょう。

12:06 サン・ラザール駅を通る。
12:10 レストラン前で下車。

昼食(街のレストラン) 昼食
昼食 12:12 小ざっぱりした印象のレストランに入る。
飲物はビールの小瓶1本。 レタスとトマトとマカロニのサラダ、メーンは骨付きポークのソテーとポテト、フルーツ・ミックスのデザートだった。
13:00 この頃にレストランを出る。
急ぎ乗車した。雨が酷くて・・・。
これから市内を走って郊外に行き、途中で寄り道した後にヴェルサイユ宮殿の見学です。
日本人向け土産店
13:55 ヴェルサイユ市内の土産屋(Renaissance)に到着。土砂降り。
リンゴ飴 観光や街の散策などはとても無理です。で、店内はすごく混んでいました。我々はショッピングの予定はなく、当地産のリンゴ飴の袋詰め(@E10.00)を幾つか購入して終わりました。この種のものは無駄になりません。
14:25 乗車、出発。

ヴェルサイユ宮殿 ヴェルサイユ宮殿
ヴェルサイユ宮殿の正門 14:27 正門前の駐車場に到着。
駐車場から正門まで広い石畳のアルム広場を歩いたが、遮るものもなく雨と風が大変でした。
14:33 金ぴかの正門から「王の中庭」に入るが、この部分はまだ敷石です。両側は宮殿の建物になったが、遥か先にフランス国旗のある正面の中央です。観光客は横の入口から宮殿に入る。
14:37 やっと宮殿の中に入りました。ホッ。

日本語ガイドブック(ヴェルサイユ宮殿ショップ)
ヴェルサイユ宮殿:リンク集
ヴェルサイユ宮殿 - Wikipedia
ヴェルサイユ宮殿
フランス政府観光局オフィシャルサイト
Versailles ヴェルサイユ・ベルサイユ宮殿観光情報
Site officiel du chateau de Versailles - ヴェルサイユ宮殿

あまりにも高名な宮殿です。旅行ガイドブックや解説書、写真サイトなどヴェルサイユに関する資料は極めて豊富です。情報は[PHOTO]または上のリンクでご覧ください。

上の階に上がると立派な吹き抜けがあった。その近くの大部屋は大理石が多用され、さらに天井画や大きな油彩画で飾られていて見事です。ところが部屋の中央に奇妙なオブジェが飾られていた。第一印象は「何、これ。ヘンテコなもの。ミスマッチ。」でした。これは、良くは知りませんが、ルイ・ヴィトンのデザインで有名な村上隆氏の作品という。驚いたことに数多くの作品がヴェルサイユ宮殿のあちこちに置かれていました。欧州の王侯が競って手本にしたヴェルサイユ宮殿そのものの装飾に採用されるとは・・・、芸術家としてこれ以上の栄誉は無いかも知れませんし、大胆にもこの種の作品を「良し」として取り入れるフランス気質にも驚きでした。

15:35 集合時間と場所が指定されて、解散。
最初は宮殿の中央入口前の「王の中庭」に出てブラブラしましたが、また宮殿の建物を横切って庭園に出ました。雨はほぼ止んだが、冷え冷えとして庭園を楽しむような気分になれません。宮殿の建物を離れると人影はまばらでした。
庭園、大運河 宮殿裏には池が2つ並んでいる。その先の階段近くまで歩いた。本来は荒い砂が敷き詰められた広場のような遊歩道ですが、アチコチに池が出来ている。 若い女性2人が大運河の方向を寒そうにして眺めているだけで、他の人影は若干名でした。その先に行く人は見かけない。急ぎ写真を数枚撮って集合場所に戻りました。
風が強く、建物の窪みに身を寄せました。さすがの欧米系の人達も同じでした。
当サイトの旅行記で何度も書いたことながら、どうして欧米系の人達は傘を使わないんでしょう!??? 傘をさすと天の神様からのお恵みが身にかからなくなる?まさか・・・。

16:00 集合。
16:05 駐車場のバスに向かった。
往路では気付かなかったルイ14世の騎馬像がありました。
16:15 乗車、すぐ出発。
16:42 バスはコンコルド広場に戻った。

オペラ座で自由行動 エトワール凱旋門
夕刻のオペラ座 16:50 オペラ座の近くで降車でした。
集合はこの場所に18時30分ということで、解散でした。

多くのメンバーはもう自分で動き回る気力はないようで、添さんの案内で地下鉄に乗りエトワールの凱旋門(シャンゼリゼ大通り)のライトアップを見に行くこととなった。
メトロはオペラ座駅から利用すると乗換がある。オーベール駅まで歩き、RER-A線を利用することになった。
途中に老舗デパートのギャラリー・ラファイエット(Galaries Lafayette)がある。ニースで立寄ったデパートの本店、外壁一面の電飾が素晴らしかった。20年間も変更していないそうです。

メトロ駅に入る。パリの地下鉄は14路線あるが、料金は均一で片道E1.50です。切符は自動発券機にコインを入れて購入します。改札は自動のターンスタイル(回転式改札口)なので1人づつ棒を押し下げて通る。メトロ車両の乗降口も日本の完全自動式と少し違うようですが、メトロ利用客の多い時間帯なので他の人達と同じく乗降すると違いによる問題はなかった。 乗車のホームは、つまり電車の方向は、この線の終着駅名で区別されている。1駅で目的のシャルル・ド・ゴール・エトワール駅です。到着すると、エスカレーターでシャンゼリゼ大通りに上がった。

有名な凱旋門のあるエトワール広場(place de l'E'toile)は1970年に「シャルル・ド・ゴール広場」と改称されたが、今なおエトワール(星の)広場と呼ぶ人が多いようです。この広場から12本もの大通りが四方に伸び、長さ約2Kmのシャンゼリゼ大通りもその1つになる。
シャンゼリゼ大通りでは各種のグループが固まって大勢が何かを待っている様子です。車道には警察官が並び、ライトアップされた凱旋門も多くの警察官が取り囲んでいた。凱旋門への地下道は閉鎖でした。

エトワール広場の凱旋門 今日11月11日は第一次世界大戦の休戦記念日にあたる。 エトワール広場の凱旋門の下(地上部)は国防省が管理する「無名戦士の墓」があり、これから年に1度の戦没者の追悼式が執り行われます。特定の宗教にとらわれない形式のようです。恒例どおり凱旋門の無名戦士の墓にフランス共和国大統領が献花を捧げる儀式が行われる、と伝えられました。現在の大統領は長いお名前をお持ちで、ニコラ・ポール・ステファヌ・サルコジ・ド・ナジ−ボクサ(Nicolas Paul Stephane Sarkozy de Nagy-Bocsa、1955年生)、通称サルコジ大統領です。

追記 2015.11.06: この無名戦士の墓への大統領献花または式典出席は諸説あり、独立記念日の7月14日に献花、11月11日午前の休戦記念日の式典に出席、等。確実なことは知りませんが、この時は事情で夜の献花だったのかも知れません。

18:00 凱旋門の近くでかなり待ちましたが、式典は始まりそうもありません。残念ですが時間切れで集合となりました。
メトロ駅はすぐ下です。エスカレーターで降り、一度ホームを間違えましたが、それ以外に問題はなかった。
18:17 同じ地下鉄でオペラ座まで帰りました。
少し離れた場所で専用のバスに乗り、夕食のレストランに向かった。

夕食(街のレストラン) 夕食
夕食 18:45 レストランに到着。
添さん曰く、「イヤホン・ガイド親機をニースに忘れて御迷惑をおかけしました。飲物はお好きなものを、代金はお詫びに旅行会社で負担いたします。」
オッ。思わず余計な言葉が出てしまった。
「シャンパン、最高級品、1本!」
出てきたのはシャンパンならず、男のダミ声。
「飲めないから、そんなこと云えるんダー!」 弁護のヤジでした。

注文の飲物はビール(小)1つ。
グリーンサラダはなく、フランス料理で時々出る丸いゼリー状のものでした。
メインはビーフシチューとポテト、デザートのケーキ。何故か、すごくタイクツ。

19:40 この頃にレストランを出る。

夜のセーヌ川クルーズ 世界遺産セーヌ河畔の建物と橋、Ref.20から借用 ○○
セーヌ川クルーズ、シテ島のノートルダム大聖堂 19:55 セーヌ川のクルーズ船乗場に到着。クルーズの運航会社は3社あるらしいが、夫々全く違う所で乗船です。我々は バトー・ムーシュ (Bateaux Mouches)で、乗場はアルマ橋の右岸にある。コンコルド広場(右岸)とエッフェル塔(左岸)の間です。
ツアーのことで乗船は固まってブリッジを渡るだけ、まずはデッキに行く。今晩は天候も今一で、欧米系の人達がチラホラでした。
20:00 出航。ゆっくりと川上に向かった。
セーヌ川(Seine)は標高471メートル地点からイギリス海峡まで全長776km、ローヌ川に次ぐフランス第2の河川です。パリ市内の流域は12Kmらしい。その内、シュリー橋からイエナ橋まで約8kmが世界遺産「パリのセーヌ河岸」として登録(1991年)されています。標高はたったの 26m とか・・・。流れはとても穏やかです。
遊覧船はアルマ橋とアンヴァリッド橋の間から出発、オルセー美術館やルーブル美術館からシテ島とサン・ルイ島の左岸側(南側)を通り、サン・ルイ島の川上にあるオーステルリッツ高架橋の手前でUターンする。そして2島の右岸側(北側)を通って戻るのです。多くの建物はライトアップされている。10年以上も前ながら1度見歩いた街なので、分かる建物が幾つかありました。アナウンスもある。

当初から軽い小雨だったが、シテ島の川上側にあるノートルダム大聖堂を過ぎると本格的な雨が降り出し、多くの観光客はデッキから船室に入りました。ワイフも寒いので船室に逃げてしまった。私は何とか我慢できる程度だった。デジカメを構えたままデッキで頑張りました。レンズは時々タオル・ハンカチで拭きながらです。日本人は見なかったが、欧米系の人達でやはり頑張っている数名がいましたね。でも2回目の雨で逃げてしまった・・・。
あまりの悪条件だったので、がんばった甲斐もなく、見れる写真は極く僅かでした。もともとパリの電飾やライトアップに派手さはない。落ち着いた夜景を楽しむクルーズと云えるのでしょう。
風邪が心配、でも大丈夫でした。
20:50 着岸。

下船して直ぐバスに乗車です。
ホテルは近かった。

ホテル(2泊目) ホテル
21:10 入室。長い1日でした。部屋に戻り、ホッとしました。
ツアーの観光予定は全て終了しました。 明日の午前にシャルル・ド・ゴール空港に向かい、帰国の途につきます。
明朝の予定:
ウェイクアップ・コール(08:00)
朝食(06:00〜): 2階のレストラン、スモーガスボード
荷物出し/09:00
ロビー集合(09:50):
出発(10:00)
*テレビ14チャンネルでNHKが見れる。
*明日は帰国便に搭乗、免税品はスーツケースに入れておく事。

明朝は少し時間がある。エッフェル塔までタクシーで行き、展望台に上がってみたかった。しかし開場は9時30分で、時間的に無理となった。 ( エッフェル塔-見学情報

セーヌ川の自由の女神像: 
予定を変更し、ホテル前のセーヌ川に中州のように作られた堤防「白鳥の小径(Ile des Cygnes/Isle of the Swans)」に渡り、川下側の先端にある自由の女神像を観ることにした。これはグルネル橋(Grenelle Bridge)を使うと近いし、歩く距離も僅かです。ついでながら、中州状の堤防は1827年に護岸目的で構築されたとされます。今は緑地で散策やジョギングの場になっている。

パリには2つの認知された「自由の女神像」があり、その1つです。
ニューヨーク港の入口にあるものはフランスからアメリカへの贈り物だった。そのお礼として在仏アメリカ人(複数以上?)がセーヌ川のものを寄贈したとか・・・。日本人の感覚では少し不自然にも思えるお返しです。でも、日本には由来なき模造品もあるので・・・。
ニューヨーク市サイトによると自由の女神像は足から頭まで33.86m(トーチの先まで46.05m)ですが、セーヌ川の女神像は本体の高さが11.5mとされ、かなり小型です。このレプリカは1889年11月5日に除幕式が行われたようです。
自由の女神が左手に持っているものは「独立宣言書」とされ、日付けが刻印されている。 ニューヨークの女神像はアメリカの独立記念日「1776年7月4日」が、ここの女神像のはフランス革命の発端となった事件の発生日「1789年7月14日」、とされます。
日本やラスベガスの模造品は年月日があるのでしょうか?
序ながら、ニューヨークの自由の女神の制作者はフランス人の Frederic Auguste Bartholdi (1834-1904)、 世界には何百もの小型レプリカがあるそうです。詳しくは、⇒ Replicas of the Statue of Liberty

◇◆◇
HOME旅行記集フランス旅行記TOP現在の頁(9日目)