[北行庵]  HOMETRAVEL
フランス、パリ紀行(5連泊) 5日目 : 2015/10/03
ランスとシャンパーニュ地方/OPツアー
TOP ( プロローグ当旅行記のノート北行庵の4フランス旅行記★テーマ別パリ紀行★
準備期間 2015年 7月19日〜9月29日
1・2日目:  国内移動前泊成田空港JALビジネスクラスCDG空港ホテル・スクリーブ
3日目:  路線バス初乗オルセー美術館オランジュリー美術館エッフェル塔 最上階夕食
4日目:  ノートルダム大聖堂ピカソ美術館国立近代美術館凱旋門とシャンゼリゼ大通・夕食
5日目:  シャンパンカーブ葡萄の村農家の昼食フジタ礼拝堂ランス大聖堂ランス美術館
6日目:  ロダン美術館ルーブル美術館スーパー「モノプリ」サン・タンヌ通り(日本料理店)
7日目:  凱旋門の展望ギャラリーラファイエットホテル・ロビーCDG国際空港JAL Cクラス
8・9日目:  JAL ビジネスクラス(続)成田空港後泊国内移動
エピローグ  | ☆ 壁紙写真集(12ページ/73枚)
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05:30 起床。
今日は Miki Travel ミュー が催行のオプショナル・ツアーでシャンパーニュ・アルデンヌ地方まで11時間の遠出です。OPツアーの申込みは日本で、支払いはパリ到着日に、共に JALトラベル を経由しました。
07:00 朝食レストランに向かう。
今回は小食、コーヒーも少しだけ、2〜3口でした。短時間で切り上げました。
一旦は部屋に戻りました。所持品はキャリーケースに入れ、鍵やチップの確認をした。
07:30 ホテルを出る。外は未だ暗く、空には三日月があった。
OPツアー集合場所
OPツアー集合場所、ラファイエット本館とツアーのバス
07:42 オペラ座の横を通り、オスマン通りを横切って集合場所のギャラリーラファイエット本館の角に着く。広い歩道がデパートの電飾で明るく、地下鉄駅の入口もあり便利で安全な集合地点でした。
注: オプショナルツアーの集合場所はツアー会社により異なるようです。この場所は Miki Travel ミューの集合場所です。
ガイドさん(女性)と参加者6名が集合。今回は特別に少人数と言っていました。週2回催行の人気コースらしいので、本当でしょう。女性友人組2名、男性1人参加2名、我々2名でした。
07:58 バスに乗車。ミニバスと思いきや普通の観光バスでした。

オプショナルツアーは日本人女性ガイド(説明書ではアシスタント)Sさんの案内です。バスの移動中や観光中に日本語の説明があり助かりました。当ページの記述内容は、ガイドSさんの説明を取り入れた部分と自分で調べた部分があり、双方が混じった説明文のページとご理解ください。

08:00 出発。
このツアーでは片道が約2時間ですが往復とも途中の休憩はありません。
パリ市街地を出ると車窓から北フランスの農村風景でした。前回のフランス旅行ではド・ゴール空港からモンサンミッシェルまで西に向かって走り、ノルマンディーの農村風景を車窓から見ました。今回はパリから東に 約150Km ほど走ったが、その時の記憶に似たような風景でした。朝なのでバスの温度計は外気温11度を示していた。

ランス(Reims)について:  シャンパーニュ・アルデンヌ地方では最も人口の多い中心都市で、都市圏人口21万人のようです。シャンパン・メゾン(ハウス)と呼ばれるシャンパン醸造会社が多くありますが、フランスの歴史で重要な役割を担ってきたランス大聖堂もある。

シャンパンメゾン、 テタンジェ(Taittinger): カーブ見学と試飲Page Head ▲

シャンパンについて:  昔の元々のシャンパーニュ産白ワインは質の良くないものだったらしい。オーヴェール修道院のドン・ペリニヨン修道士(1638-1715)は酒蔵の見回りで偶然「ポン」と音を立ててワインのコルクが自然に飛んだのを見た。冬の低温で眠っていたワインが春の気温上昇で再発酵し、炭酸ガスが高圧となってコルクを飛ばしたという。ドン・ペリニヨン修道士はそれからワインのブレンドや2次発酵で発泡酒の品質向上をはかり、瓶の強化やコルク栓の改良をも行ったとされ、「シャンパン誕生の父」とされている。
全てが逸話通りか知らないが、大手とか有名なシャンパンメゾンは1700年代に創立された会社が多い。例えば、モエ・エ・シャンドン社(1743年)、ヴーヴ・クリコ社(1772年)、マム社(1827年)、クリュッグ社(1843年)、ランソン社(1760年)、テタンジェ社(1734年)など。これはドン・ペリニヨン修道士のシャンパン製造法が歳月をかけて認められた軌跡でしょう。
最大手シャンパンメゾン「モエ・エ・シャンドン社(Moet et Chandon)」のプレステージシャンパンとして「ドン・ペリニヨン」があり、日本ではドンペリとして人気が高い。しかし、日本酒にも高級品は各種あるように、いわゆる地酒的なメゾンが数多くあり、つれて銘柄もいろいろ、日本では親しみのない高級シャンパンも数多いようです。
シャンパーニュ地方は毎年の気候変動が大きくブドウの品質に年差が生じる。それ故フランスではシャンパーニュ地方のみに生産年の異なる1次発酵ワインのブレンドを認めているそうです。特別に品質の良い年のワインはブレンドされず、ヴィンテージ・シャンパンになる。

シャンパンのつくりかた: ワイン本を参考、文章は変更。
(1)黒ブドウ(ピノ・ノワール&ピノ・ムニエ等ピノ系)の白い果汁を搾り白ワインを造る。別に白ブドウ(シャルドネ)からも白ワインを造る。
(2)両ワイン(産地や生産年は異なる)をブレンドし均一な味をつくる。
(3)酵母と砂糖を加えて瓶詰する。その後シャンパーニュ特有の石灰岩の地下トンネルの中で約10度で保存する。この過程で砂糖がアルコールと炭酸ガスに分解される。この第2次発酵は数カ月で終了する。
(4)その後3〜5年の間はそのまま地下トンネルで熟成させる。
(5)第2次発酵は沈殿物(澱/オリ)を生ずるので数カ月かけて瓶を逆さまにし、澱を瓶の口に集める。
(6)瓶の口の部分を凍らせてからコルクを抜き凍った澱を取り出す。
(7)リキュール(砂糖+古シャンパン)を入れ、新コルクで蓋をする。ラベルなどを貼り商品化。

シャンパンカーブ:  1次発酵の白ワインはシャンパンメゾンの他にぶどう農家などでも行われるらしいが、2次発酵はシャンパンメゾンがそれぞれ自社のシャンパンカーブという古い石灰岩の洞窟で行います。自然の洞窟ではなく石灰石を切り出した後のトンネル状の洞窟で地下20〜30mにあり、温度は10度程度、湿度も安定している。ローマ時代まで遡る古いトンネル部分もある。洞窟の長さはシャンパーニュ地方全体で数100Kmにも及ぶという。

シャンパンメゾン、テタンジェ(Taittinger):  
これから訪ねるテタンジェは日本でポピュラーに知られたシャンパンではなさそうです。しかし、筆者が知らなかっただけ? 歴史は最も古いものの一つ、主にシャルドネの白ワインのみを使用し、家族経営のもとで伝統技法を重視して造られるという。そのシャンパンカーブはローマ時代まで遡る。そこで通常より長く熟成されるテタンジェのシャンパンは世界中の高級フランス料理店では必ずおいてある銘柄とか。フランス国大統領のレセプションはテタンジェのシャンパンを使うという説もあり、世界の公式行事で採用されることが多いシャンパン銘柄ともいう。エリート銘柄中のエリートということでしょう。そのようなメゾンのシャンパンカーブの見学と試飲です。

テタンジェのシャンパン・カーヴ:  壁紙写真集:シャンパンカーブとブドウ畑 Page Head ▲
09:48 ランス(Reims)市内のサン・レミ聖堂(世界遺産)近くにあるテタンジェ社に到着。ランス市内(9 Rue Saint-Nicaise、51100 Reims)ですが周辺もゲートも地味な感じでした。
ゲート内は良く整備されています。見学者用の建物に入り、ビデオの部屋に案内され、簡単なテタンジェ・シャンパンの説明ビデオをみました。
10:05 シャンパン貯蔵庫として使われる横穴式の石灰岩洞窟は地下20〜30mにある。そこまで鉄製の螺旋階段を下りた。
洞窟の最初の部分は広めだった。そこでガイドさんの説明を聞く。下の左の写真の装飾がある場所です。そこからは各種のサイズのシャンパンが横置きで熟成中だったり、澱を集めるため木棚に逆さにされていたり、とにかく膨大な量の高級シャンパンが出荷まで長年の間眠る場所でした。大きなマリア像があったり、ローマ時代のトンネルの部分が観察できたり、意外にも早く時間が過ぎました。
カーヴの入口
カーヴに降りた処、プレートは1717年4月27日の文字あり
熟成中のシャンパンの大瓶
熟成中のシャンパンの大瓶
澱の沈殿させる
瓶を逆さにして澱を沈殿させる、数カ月の作業

広い試飲室のこじんまりした売店、日本値の約1/2
10:50 約45分のカーブ見学を終えて、訪問者の試飲室に入る。
テタンジェのスタッフの方2名で試飲用グラスにシャンパンを入れてくれました。 僅かに琥珀色の液体から細かな気泡が微かに出ては消えていく。これが本物のシャンパン。 少しづつ賞味させて頂きました。普段のみませんが、美味しいと思いました。
購入した2種
購入した2種のテタンジェ・シャンパン
それで2本購入しました。1本は高級で値段が高いが日本では倍するという「コント・ド・シャンパーニュ( COMTES DE SHANPAGNE、BLANC DE BLANCS 2006 )」、もう1本は日本では買えないと説明された「レ・フォリ・ド・ラ・マルケットリー( Les Folies de la Marquetterie )」でした。後者は帰国後に幾つかのネット通販で調べたら「製造元品切れ」の意味の文言が表示されていました。私を含めて男性3名は全員が1〜2本買ったが、女性は食指が動かなかった。
11:15 この頃、テタンジェ・メゾンを後にしました。
しばらくは昼食のレストランまでのドライブです。

ブドウ畑のシャティオン村 Page Head ▲

11:50 ランスの街から出てしばし走り、シャティオン・シュル・マルヌ村(Village of Chatillon-sur-Marne)にきました。小高い場所の集落を一旦は通り過ぎてから第159代ローマ法王ウルバヌス2世(Urbanus II/Urban II , 1042-1099年)の像を車窓から見ました。見事なぶどう畑の丘の上に、さしづめ右手をあげた観音様のように、ウルバヌス2世像(高さ25m、建立1887年)が立っています。シャンパーニュ出身の教皇で、多くの教会改革を実行、さらに First Crusade (1096) を提唱したとされる。下車観光はなかったが Marne Valley の斜面にあるブドウ畑の風景は見事でした。バスはUターンして村の集落に戻り、少し停車してから近くの昼食レストランに向かった。

ウルバヌス2世の像
シャティオン・シュル・マルヌ村のぶどう畑の丘に立つウルバヌス2世の像
蛇足ながら: 2015年11月13日には129名もの人々が命を失う同時多発テロがパリで発生しました。TV報道で知るところ悲惨の極みでした。当世はイスラム教徒の一部の原理主義者によるテロ行為が多発中、許す理由は全くない非道そのものながら、キリスト教社会とイスラム教社会は微妙な調整を必要としているのかも知れません。遠い過去はともかく、現在につづく女性の地位や自由度の制約を含めてイスラム教の変革が内部から沸き起こることも人間満杯の地球上では必要なもの、との印象を受けます。

シャンパンワイナリーのレストラン(昼食) Page Head ▲

レストラン兼業ぶどう農家
昼食のレストラン兼業シャンパンワイナリー
12:04 レストランのあるシャンパンワイナリー(ブドウ農家+1次発酵)の前でバスは停まった。集落から近いのでシャティオン・シュル・マルヌ村の何処かと思います。ガイドさんが奥まった兼業レストランに行き、昼食に関する確認をした。OKですが、しばし時間つぶし。近くのぶどう畑で既に収穫を終えたブドウの木を見たりした。取り残しが熟している。ガイドさんの勧めで1粒だけ頂きましたが甘く美味しいぶどうでした。固まってレストランに向かった。

入口から入り、直ぐに収穫した葡萄の投入口、その下にぶどう汁をとる圧搾機、ブドウ汁を発酵させる大型容器を見学、全て金属製で清潔感は十分です。こちらの農家は1次発酵させたワインをシャンパンメゾンに売るのが主な仕事になるそうです。自家製のシャンパンも観光客に売るが、高いので勧めないという。

20人は入れそうなダイニングルームに長テーブルとイスがセットされていた。部屋の造りやダイニングテーブル等は明るくてツアーには十分ながら、所謂フランス・レストランのムードではありません。7人分のみ用意されていた。パンはテーブルに出ていました。
食事は、ロゼ・シャンパン、フォアグラ料理など、鶏肉料理と付け合せ、デザートでした。フランス料理として知られた食材を使った、良いランチだったと思います。日本で想像した「農家で昼食」のイメージとは違い、この料理を日本のフランス料理店で楽しんだら、おいくら?


ロゼ・シャンパン

フォアグラ料理

とり肉料理、鳥の種類は不明

デザート
記憶にないがコーヒーか紅茶が最後に出たと思います。
ついでながら、メーンディッシュは鶏料理でした。フランスの国鳥はニワトリ(coquerico/コックェリコ)です。鳥の肉は「肉屋」ではなく「鳥肉専門店」から購入するお国柄、鳥肉料理の種類も多いと思います。
13:16 レストランを出る。
再びランスに戻ります。 [ エリア地図 ]
13:50 この頃にランスの街に入った。

フジタ礼拝堂 Page Head ▲

フジタ教会
フジタ礼拝堂、レオナール・フジタの壁画がある
14:00 ノートルダム・ド・ラ・ペ礼拝堂((chapelle Notre-Dame-de-la-Paix/Chapelle Foujita)前に到着。直ぐチャペルに向かわず、まず歩道を Mumm社 の正門までわずかな距離を移動です。Mumm社あらばこそ、フジタ礼拝堂があります。

Tsuguharu Leonarl Foujita (藤田嗣治/1886-1968)は東京美術学校で黒田清輝などに学んだ日本の洋画家だったが、1913年にフランスに渡りパブロ・ピカソやアメデオ・モディリアーニ と知り会い、エコール・ド・パリの一員として認められるようになった。その後、数回帰国して日本の画壇でも活躍したが、1955年にフランス国籍を取得し、1959年にランスでカトリックに改宗、レオナール・フジタとなった。
父親は森鴎外の次の軍医総監となった人物とされ、兄の夫人は児玉源太郎陸軍大将の4女という。当時の家柄としては上層だったようです。画家の道に進み、生涯では5回の結婚、スイスで他界したとされる。
晩年にはシャンパンメゾン Mumm社 の当時の社長ルネ・ラルーの依頼で Foujita はノートルダム・ド・ラ・ペ礼拝堂の全壁画(フレスコ画)を描いた。「洗礼の記念として描いた」とプレートでは説明されているが、これは本人の気持ちなのか、依頼者が洗礼の祝儀として頼んだのか、自分には分かりません。場所は Mumm社の向かいです。現在は市が所有し、ランス美術館が管理しているようです。

内部は撮影禁止です。詳しくは次のサイトでご覧ください。
Chapelle Foujita | 岡村電産 ← LED照明を寄付した会社、リンク切れはご容赦。

ランスのノートルダム大聖堂 壁紙写真集:ランス大聖堂とフジタ礼拝堂 Page Head ▲

14:25 大聖堂の裏側にバスは停車、降車して大聖堂を半周して正面の広場に出ました。紅葉が始まっていて明るい感じでした。
大聖堂広場のジャンヌダルク像
大聖堂広場、騎乗で槍をもつジャンヌダルク像
ジャンヌ・ダルク: 大航海時代の前に、イギリスとフランスの間に100年戦争(1337-1453年)があった。1337年にイギリス王がフランスへ挑戦状を送付、その後は戦闘と休戦の繰り替えしが延々と続き、1453年のボルドー陥落までの116年もの間は戦争状態でした。

100年戦争の末期近く、ロレーヌ地方ドンレミ村の農家の娘ジャンヌ・ダルクは13才にして「神の命を受けた」としてフランス軍と共に戦い、オルレアンの戦い(1428-29年)でフランス軍を勝利に導き、ランス大聖堂でシャルル7世に戴冠させフランス王としました。しかし宗教裁判で異端者となり19才でルーアンにて処刑(1431年)された。僅か6年の活躍でした。しかし今ではフランスの国民的な英雄であり、カトリックの聖人でもある。フランスの各地にジャンヌダルク像はあるようです。これから参観するランス大聖堂内のジャンヌ・ダルク・チャペルにも白っぽい立像がある。さて、100年戦争に戻ると、
1453年にシャルル7世はボルドーからイギリス軍を駆逐し100年戦争は終焉した、とされる。

大聖堂のファサードの中央部分は工事中のテントで覆われていたが、実物は珍しい造りで ファサードにステンドグラスのバラ窓が縦に2つあるそうです。入口には彫刻の人物像などがあるが、特に「微笑みの天使」が有名とされます。帽子は脱いで大聖堂の参観になりました。色のないステンドグラス(?)もあり聖堂内は比較的明るく感じました。

ランス大聖堂について:  フランク王国の国王クロヴィスはキリスト教に改宗し、498年にランスの司教からを洗礼を受けた(聖別式)。これ以後は当大聖堂にてフランク王の聖別式が行われ、816年になりルイ1世が初めて戴冠式を挙行した。シャルル10世(ルイ16世の弟、ブルボン復古王政2代目国王)まで歴代25名のフランス国王の戴冠式はランス大聖堂で挙行された、とされます。
ランス大聖堂と隣接のトー宮殿(大司教館)、少し離れた聖レミ教会堂と共にユネスコ世界遺産に登録(1991年)されています。 ランス大聖堂の建物はシャルトル大聖堂やアミアン大聖堂と並び、フランスのゴシック様式では最高傑作の一つとも言われます。


ランスのノートルダム大聖堂のファサード(工事中)

入口にある有名な「微笑みの天使」

ステンドグラス、大聖堂内は比較的明るい

シャガール作ステンドグラス。 ジャンヌダルクが描かれている、という。後陣の最奥に1974年に配置
マルク・シャガール(1887-1985) はロシア出身のユダヤ人画家でエコール・ド・パリのメンバーとして活躍
これから暫くは自由行動、集合は大聖堂裏に駐車のバスです。
ランス美術館を少し見学し、大聖堂の見えるカフェでゆっくり休みました。

ランス美術館 Page Head ▲

ランス市立美術館
ランス市立美術館の正面入口
パリから北東に150Km程、シャンパーニュ地方の中心都市ランス(Reims)にランス美術館(Musee des Beaux-arts de Reims)はある。
パリから北へ200km程のランス(Lens)はフランス北部の街、そこのランス美術館はルーブル美術館の新分館(Louvre-Lens)です。
日本語では共に「ランス美術館」という場合があり、間違えやすいようです。

14:53 美術館の門に到着。左側に美術館入口、正面の中庭にはゴロゴロした丸石が置かれた彫刻があった。第一印象は”随分と古いナ”。後で調べたら、建物は1067年建立の聖ドニ修道院を利用しているようです。
半券に記載はないが、ネットで調べたら入館料(E4.00)を払ったはず。これはフジタ礼拝堂の入場料込みです。美術館サイトでは、”Plein tarif, Musee des Beaux-Arts/Chapelle Foujita : 4 Euro (billet couple)”と表示されています。
彫刻などある階段までブラブラ歩いたら、すれ違った女性ツアーメンバーが「トイレは階段で2階に上がった右側」と教えてくれる。
ランス美術館 ランス美術館は19世紀のフランス美術を展示している。シャンパンメゾンのポメリー社の経営者が生前に収集した美術品600点ほどを市に遺贈したものらしい。記憶に残ったのはルノアールのミニサイズの油彩画でした。葉書より少し大きい程度と思うが、大きい絵を見た後なので多少の勘違いはあるかもしれない。他にもミニサイズの油彩画が幾つも展示されていた。印象派のミニサイズ油彩画セクションの写真撮影はダメです。壁に「撮影禁止」マークが幾つもあり、美術館の人が注意として教えてくれました。幸い、撮影前でした。
ヨーロッパやアメリカの美術館はそれなりの数を訪問したが、当ランス美術館のミニ油彩画はとても珍しいと思います。
Leonarl Foujita の絵や壁画もあるようです。
15:25 美術館を後にして、大聖堂広場に向かった。
めったに明示されないが、この美術館は”市立ランス美術館”のようです。

カフェで休む:  主に酒類を売る店に見えたが、歩道に幾つかテーブルを出してカフェもやっている。大聖堂のファサードが見える場所なので、ここで休むことにした。エスプレッソ2つ(@E2.90)、しばらく後にコカ・コーラ1つ(E3.90)でした。道行く人達を見ながら心地よい午後のひと時でした。
適当に切り上げ、石畳の上を歩いてバスに戻った。

ランスの街、トラムが走る
大聖堂の横からランスの街、トラムが走る。 電力の架線がない?
レール間に3本目の線路があり、これからトラムに給電する。フランス独自の地表給電システム(APS)で架線レスです。
APS トラムはボルドーで初採用、改良を重ねて2011年からランスでも運行され始めたようです。
16:15 バスに乗車。

パリに向かう Page Head ▲

16:20 出発。バスの温度計は22度を示していた。
全ての予定を無事に済ませ、安心したのかウトウト眠って過ごしました。
パリ市内に入るとセーヌ川沿いを走ったが時々渋滞だった。
18:40 この頃、オペラ座近くで停車、散会となりました。互いに簡単な挨拶をして夫々の方向に向かった。楽しいOPツアーでした。

ホテル・スクリーブ Page Head ▲

18:50 自室に戻りました。やはりホッとしました。

夕食(ホテルの連泊サービス):  ホテル・スクリーブのロビーのレストラン
L階ロビーのレストラン(10月5日営業前に撮影)
19:25 L階のレストランに入る。到着時にJALパックからホテルの連泊サービスとして夕食券+飲食券の2枚を貰った。それを入口の人に渡すと奥のテーブルに案内された。客数は半分程度だった。
直ぐにシャンパンがでました。
メーンディッシュはチョイスがあり、魚料理にする。シュリンプ入り野菜スープ、魚料理3種類、デザート(ケーキ)、飲物(コーヒー・紅茶)でした。ワイフは紅茶を頂いたのですが、南部鉄瓶が紅茶ポットとして使われていた。驚きでしたが面白い使い方です。全部、美味しく賞味いたしました。
20:25 夕食を終えレストランを出る時には満席でした。遅い夕食が普通のようです

steps 10/03 実は、ギャルソンさん達も固定ではなく違う人達が交代でサービスでした。で、チップを置かずに帰った。後になり多少はテーブルに置いて帰るべきだったかしら?と思ったりします。フランスはサービス料込みと云われていますが・・・、チップは難しい。

今日一日ランスとシャンパーニュの観光でした。観光バスなので歩行数こそ約6500歩で比較的少なかったが、夕食を外のビストロ等で済ますには元気不足です。サービスの夕食券の使用を今晩にしたのは適切だったと思います。

後はゆっくり休むだけとなりました。
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