旅行記|香港、マカオ、深セン(2009/12/03〜12/08)
おわりに
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香港は3度目でしたが、マカオと深センと広州は初めてでした。幸いに晴天がつづきましたが、実は、この地の冬は降雨が極端に少なく気温も適当で過ごし易いとされる。その通りで旅行中は快適に過ごしたと云えます。それでも昼と夜の気温差はかなり感じました。12〜2月の期間は日中と夜間の衣類を用意したほうがよさそうです。夜景観賞で極端な寒さは感じませんでしたが、夜のイルミネーションを楽しむオープントップバスではダウン半コート着用でも走行風で体が冷えて大変でした。

訪問した各都市で人口の巨大な集積地と感じます。特に香港は朝から真夜中まで多くの人と車の動きがある。クリスマスの時期と重なったためかも知れないが、繁華街は何時までも地元民や観光客が多く、人の川の趣でした。
俗に香港は100万ドルの夜景と言いますが、あちこちの巨大なビルにクリスマス用イルミネーションが飾り付けられ見事でした。多分、この時期に限り、100万ドルではなく200万ドル、あるいはそれ以上の価値がある夜景かも知れません。が、それは街中のことでして、ヴィクトリア山中腹の夜景は確かにユニークで香港らしいが、実は期待ほどではなかった・・・。人間の記憶は当てにならないが、13年前にケーブルカー山頂駅周辺でゆっくり眺めた日没時の夜景が今でもより強く印象に残っている、と思っています。

期待以上に存分に楽しめたのが、深センの中華民族文化村で鑑賞したナイト・ファンタジー・ショーでした。多くの少数民族がそれぞれのショー化した伝統芸能を次々にスピーディに見せてくれるので、約1時間が直ぐに過ぎ去りました。前から2列目の良い席、それで写真もソコソコ見れる程度に撮れたので写真ページにてご覧ください。お勧めできるショーと思います。
マカオの新巨大カジノホテルには驚愕でした。幾つかの巨大カジノ・ホテルがタイバ島とコロアン島の海峡を埋め立てたコタイ地区に既に完成、さらに建設中のものもある。東洋のラスベガスを目指しているそうです。その1つホテル・ヴェネチアンのカジノとヴェネチアン・アーケードを見ましたが、スゴイですねー!

現地滞在中は朝・昼・夕と食事付き、当然(?)ながら中華料理を満喫しました。香港ではデラックスホテルに宿泊ながらそこのレストランは一度も利用しなかった。ホテルの朝食なら個人でも簡単です。代わりに朝から街のレストランに行きました。朝食のお粥は香港の定番、現地の庶民も朝食に利用するような店で本物のお粥を楽しめたのは嬉しい経験でした。香港の2朝食は共にお粥でも違う店で違う種類、それぞれ楽しめました。
香港は九龍のレストランで北京ダックも楽しみました。ショー的に見せるのですが、ワゴンに乗ったホール・ローストダックを客席近くで適当な大きさに切り分けます。もちろん、切身は皮付きです。それをネギとセロリを一緒に春焼で巻いて食べるが、脂っぽくなく、美味しく頂きました。
驚き呆れた話もあるのです。深センの中華民俗村のレストランでミニトマトがデザートとして出ました。「果物!?」 旅行記で詳しく記述しましたが、「トマトは野菜でミニトマトは果物」と云われ、??? 日本なら甘いフルーツトマトも八百屋で売る。異文化とはこんなものでしょう。
ツアーは忙しく見歩くので空腹になりがち、食事はいつも美味しく頂いたのでしょう、帰国後の体重は3Kg近くも増えていました。その後の減量に時間がかかり大変でした。

香港とマカオは領土的には中国に属し民族的にも多数派は広東人ですが、制度的には共に異なる特別行政区です。行政組織や経済制度などが異なるのです。中国本土から旅行した1人として、「1国2制度」というよりは「3カ国」と表現したくなります。なぜなら、15日以内の短期旅行ならビザこそ不要ですが、日本→中国、中国→香港、香港→マカオ、マカオ→香港、香港→中国、中国→日本、これらの移動の全てで出入国(出入域/出入境)審査があるのです。今回の旅行時は世界的に新型インフルエンザ(豚インフルエンザ)が流行中なので検疫も厳密でした。出入国票(ED Card)と検疫票を一々記入して提出しなくてはならないのです。出入国票などの書類は事前に現地ガイドさんが配付し、審査前に記入もれなどのチェックもしてくれました。
内容的には難しい事柄の記入はありませんが、意外にも面倒で負担になりました。さらに、ツアー参加者に何らかの理由で審査通過に思わぬ時間がかかる場合もあったのです。
願わくは、欧州のシェンゲン協定のような制度を確立し、外国からの旅行者の場合には自由な往来が簡単に出来るような制度にして頂きたいものです。

このパック旅行には添乗員は付かなかった。それで中国人の現地ガイドさんが世話とガイドですが、いわゆるスルーガイドではありません。中国本土(広州と深セン)、香港、マカオと担当地区の違う3人の現地ガイドさんでした。広州→香港の列車移動中と香港マカオ間のフェリー乗船中にはガイドさんはいません。しかし指定席なので心配は全くありません。
下車観光の予定が車窓観光になったり、予定表にある香港のケーキショップに寄らなかったり、小さな変更はありましたが、大したことではありません。ガイドさん達は十分といえる日本語能力がありました。仕事の性質上、当然ですが、皆さんフレンドリーです。

滞在中は霞なのかスモッグなのか分からないが、大気の状態が悪くて遠望が良くない時もあった。春の上海旅行でも感じましたが、これは現代の中国が抱える大問題の1つでしょう。特に太平洋に沿う長大な沿岸地域の都市部は驚異的な経済発展の負の見返りとして環境の悪化という難題を抱えているとされます。観光旅行の常として周辺の工場地帯には全く近付かないので生産活動の現場の様子は分かりません。しかし、広州・深セン・香港・マカオの全ての都市は近代的な巨大オフィス・ビルや高速道路と自動車が実に多い。地震がないので構造物は巨大化し易いのでしょうが、凄い社会的なエネルギーの蓄積と発散を感じます。結果として、大気汚染も気象状況によっては発生するようです。特に香港では、自動車排気ガスによる大気汚染は現地政府ですら「問題視して解決策を探っている」と報道される現状です。人口の多い中国では国民人1人当たりの炭酸ガス排出量こそ日本の国民1人当たりの約半分らしいが(2009年現在)、「太平洋沿岸」もしくは「大都会と周辺」なる条件を付けると大幅に違う結果になるかも知れません。

珠江の周辺都市を安近短のパックツアーを利用して巡りましたが、予想以上に楽しめました。暑さと高湿度に極端に弱いので、13年前と14年前の香港は大汗で弱った記憶があります。今回は、はじめに書いたように、初冬なので気温的には快適でした。これが楽しめた理由の大きな要素だったと思います。暑さを避けるには12〜2月が良い時期なのでしょう。

今回の旅行記は肩に力を入れずに、気が向いた時にポツポツと書き込みました。内容的にも物足りない側面があるかも知れません。旅行記本文の[PHOTO]マークで表示する写真ページは風景写真のサイズを以前より大きくして見やすくしました。お楽しみ頂けましたでしょうか。

【追記】テクニカルなことですが、当初はフレームを使用しない旅行記でした。トップページの表紙に全体的な目次を配し、各ページ冒頭にその頁の目次を設置しました。技術的な面でのテストを兼ねていました。しかし、画面左に目次が表示されるフレーム使用の旅行記に戻したのです。画面左に目次、その右に旅行記本文、この北行庵の旅行記スタイルに変更しました。このスタイルのほうが、不慣れな閲覧者にとって「項目の表示が早い」と思えます。ただし、各ページ冒頭の目次と写真はそのまま残してあります。(2010年03月10日、記)

最後に、当旅行記をお訪ね下さり有難うございました。
宜しければ、北行庵の他の旅行記もお気軽にご利用ください。

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心配です/ 日本航空に対する企業再生法の適用について
日本航空(JAL)は2010年1月12日から株価がストップ安を2日続け、最終的に1桁台の株価となった。来月に上場廃止の予定とされます。
通常の私企業ならかなり前に倒産し、会社整理か更生法適用かの何れかとなっていたことでしょう。日本のフラッグキャリアーとして各方面から経営状態に関して検討が行われ、結局は法的整理が決まり、1月19日に企業再生法の適用となりました。活動規模の縮小はやむを得ないことでしょうが、航空会社としての企業活動は継続されるようです。旅行好きなら慣れ親しんだ航空会社の1つ、何とか存続の方策を軌道に乗せて欲しいものです。ただし、巨額の税金(と云っても国債?)をJALに投入して救済する以上は、現在まで苦しい国際競争下において自助努力で経営の健全化に務めた航空会社(税金納付)を窮地に追い込んでは本末転倒もはなはだしい、とも云えましょう。もし、なら、蛮勇をもってJALを整理・分解・売却・消滅すべきだったという意見に合理性が出てくるし、官尊民卑のそしりは免れないように思えます。
ちなみにアメリカのフラッグキャリアーだった「パンアメリカン航空」が1991年12月に破産してから19年以上が経過したが、代わりの航空会社はアメリカに沢山あり、さらに新たな格安航空会社などが多く設立され、経済混乱は一時的だったと思われます。しかし、JALの再生に関してはこの例ではなく、2002年に経営破綻し連邦倒産法の適用を受けたユナイテッド航空の経営再建の成功例が参考にされるようです。現時点のユナイテッド航空は1位のデルタ航空と2位のアメリカン航空に次ぐ第3位の航空会社とされています。
この旅行記を書きながら故司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」全8巻をザッと読みました。100年以上も昔の日露戦争がテーマです。負けたらロシアの植民地になるという恐怖心から捨て身のギリギリの努力を払った当時の日本国と絶対君主制の最後期の宮廷文化にドップリと浸ったロシア指導者層との対決として描かれているが、運命の女神は貧乏で捨て身の新参国家・日本にほほ笑んだのです。現在の日本の指導者の方々の意識状態はどちらに近いのでしょうか。”敗戦”後、米国の”子分”国家(失礼、独立にして対等でしたね?)として恵まれた側面も多い今日となっては恐らく混在でしょうが、時々いずれかの一方が強く出る局面があるように思われます。
(2010年1月21日 記)

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