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旅行記|北部インドの文化遺産巡り ( 3日目/2005年3月4日・金曜 )
デリー観光、ベナレスに移動
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ホテル出発まで:
05:15 起床。熟睡できた。トラベル・ポットで湯を沸かし、インスタントコーヒーをつくる。今朝は目が充血しているので目薬を使用した。
06:15 モーニングコール。1分程度停電した。その後、てきぱきとパッキングを済ます。今日はデリー観光のあと、国内便でベナレスまで飛ぶ。ここには戻れないので忘れ物は厳重にチェックする。

枕チップは1人10ルピーと言われていた。2人分の20ルピー紙幣を置いておく。購入した2冊のガイドブックでは枕チップの説明が無かった(見つけれなかった?)ような記憶がある。日本のホテルと同じく10%のサービス料が宿泊代金に含まれるインドですが、枕チップの要・不要が出発前には分からなかったのです。多分外資系の高級ホテルなので枕チップを置くように勧めたのでしょう。他の理由かも知れないが、いずれでも高々2人で50円のこと、気前良くしても「人助け」でしょうネ。ただし、旅行中の経験から言うと、この枕チップは部屋を片付ける人が受取るとは限らないようです・・・。

06:30 早めにスーツケースを室外に出す。既に出している人も多かった。
その足で1階のレストランに行きバイキング形式の朝食にする。良く火の通ったものだけ少々。食後のティーやコーヒーはレストランの人が入れてくれる。
06:50 朝食を終えてロビーやホテルの外を少しだけブラブラ歩き。ホテルの庭に屋外プールがあった。今回のツアーで宿泊したホテルは外資系チェーンで見た目にはきれいな水泳プールがある。しかし日中でも1度も泳いでいる姿を見なかった。聞くところでは、「赤痢になる」とアメリカ人宿泊客ですから水泳プールを敬遠しているそうです。プールの水は「生水」です。恐らく十分な殺菌消毒が出来ないのでしょう。

07:05 一旦は部屋に戻る。
07:20 ロビーに降り、カードキーを返却するだけのチェックアウト。
07:40 バスに乗車。テレビを見ていた人から「東京は降雪」のニュースあり。
07:45 出発。

クトゥプ・ミナール遺跡群:
地理的・歴史的背景: デリー地区はインドの首都であり連邦直轄領となる。行政的にデリー(面積1398平方キロ)、ニューデリー(面積43平方キロ)、デリー軍事区(面積43平方キロ)に区分され、少し古いが 1991年での都市部人口は約720万人、農村部を含む人口は約942万人程度らしい。地理的には東をヤムナー川、西と南をデリー丘陵に囲まれたデリー三角地になる。ここは広大なインダス・ガンジス平原の分水帯に位置し、さらに歴史的にも防御に有利な場所であり、ベンガル湾・デカン高原・アラビア海・中央アジアからの交通路が集まる戦略的要地でもあった。
デリーは8世紀の小国分立時代から12世紀末までヒンドゥー諸王の都として存続していた。その位置はデリー三角地南部のラール・コット付近とされる。
イスラム教徒のクトゥブウッディン・アイバクはここを根拠地として1206年みずからデリー・サルタナットの奴隷王朝(Slave Dinasty)を樹立した。これが初めてのムスリム王朝の誕生だった。アイバクはインドの秀吉みたいな人物らしく奴隷出身とされる。ラール・コット南方のクトゥブ・ミナールはデリー征服を記念してアイバクが1119年に建造を開始し次の皇帝の時に完成した高さ約73mの石の尖塔である。以後デリーは歴代ムスリム王権の首都となるのである。この尖塔の隣に1198年にインド初のイスラム寺院となったモスクも建てられた。
08:00 デリーの郊外にあるクトゥプ・ミナール遺跡群に到着。ここはユネスコの世界遺産(1993年)に登録されている。 バス駐車場に遺跡への入口があった。カメラは無料ですがビデオは有料です。現地ガイドさんがビデオ撮影の希望者数を調べ、入場券とビデオ券(25ルピー)を購入して配布しました。

入口からの道を直進する。前方左に高い塔のクトゥプ・ミナールがあり、右にアラーイーの塔の基礎部分(未完)が見える。クトゥプ・ミナール以上の塔を建てる予定が途中で挫折したらしい。その間の先にはインド初のイスラム教寺院(モスク)の遺跡とされる土台や石柱列があった。考古学の知識があるわけではないが、石柱や建物はギリシャやローマの建築物ほどに細い造作はされていない。ただ、色が微妙に異なる赤砂岩の組み合わせが面白いモザイク模様にも思える場所もあった。クトゥプ・ミナールと遺跡を合わせてモスクだったのですが、イスラム支配以前からあるヒンドゥー教やジャイナ教の建築物をそのまま利用したようです。ここの遺跡の建築様式に統一性はないのです。

この遺跡には4世紀ころのグプタ朝時代にチャンドラヴァルマン王により作られたとされる高さ7mの鉄柱が残っている。極めて高い純度(98%?)の鉄を使用しているためか、1600年以上も風雨にさらされているのに、不思議にも朽ちることがなかったのです。表面は錆びた感じのようですが・・・。歴史的にインドの製鉄技術は早くに確立され、鉄塊はまずダマスカスに輸出され、そこから欧州各地に運ばれたとされるのです。インド・マジックというか、「インドの不思議」の1つがこのアイロン・ピラーにあるようです。

些細なことですが、気になるのはクトゥプ・ミナールの高さです。日本の資料では71〜73mでバラバラ、「当初100mあったが、飛行機事故で現在の高さになった」という記述にも出会いました。ユネスコの世界遺産の1つである有名な遺跡なのに不思議といえば不思議、こちらは恐らく「日本の不思議」でしょうね。
ちなみにインドの政府系リンク・サイト Indian Image から接続する観光情報ページでは次のように書いている。「 Qutub Minar ( http://delhitourism.nic.in/monuments.htm )/The Qutub Minar made of red sandstone rising to the height of 72.5mts is an architectural marvel of the 13th century. 」 この説明ではクトゥプ・ミナールの高さは 72.5m です。多分これが正しい高さなのでしょう。日本のサイトでは他にも「底部の直径14.32m、頂上の直径2.75m」等の情報もありましたが、サテ・・・?

08:30 クトゥプ・ミナール遺跡群の見学を終了、出発。 クトゥブ・ミナール遺跡群

フーマユーン廟:
09:08 フーマユーン廟に到着。ここも 1993年に世界文化遺産に登録されたデリーの代表的な文化遺産の1つです。

バスから降りたら、駐車場の広場に蛇使いがいた。我々が下車すると頃合を見計らい笛を吹き始めた。自然に目がいく。コプラ2匹が籠から姿を現し、クネクネと動き始めた。本能的にデジカメを向けて一枚撮影し、そのままスタスタと門に向かった。
「ヘイ、ヘイ!」と声を出しながら蛇使いは追いかけてきた。見ると手にザルを持っている。写真を撮ったのを見逃さず、モデル料の要求なのだ。10ルピー入れてあげたらニコッと満足して引き取ってくれました。
インド旅行中は蛇使いをアチコチで見かけましたが、ガイドブックなどの写真にある民族衣装のコプラ使いはたった1度しか見かけなかった。多くは上の写真のような姿でした。この蛇使いなど清潔な服装です。

これから訪問するフーマユーン廟はムガル帝国第2代皇帝フーマユーンの后ハージー・ペーガム(ペルシャ出身)が1565年に着工させ9年後に完成したとされる。広大な庭園に対称形に各種の建物を配置してあり、後年のタージ・マハル廟(アグラ)の建築様式に影響したとされます。もっともタージ・マハルは亡くなった后のために皇帝が建立したものですが。フーマユーン廟は一辺50mの正方形の基壇上にあり、どの方向からも同じ形に見えるようにデザインされている。中央ドームは高さ38m、その真下に白大理石の石棺があるが仮のものらしい。フーマユーンの御遺体はその真下の基壇部に安置されているそうです。ついでながら、タージ・マハルでもムムターズ・マハルの棺を見学者に公開しているが、これはレプリカで本当の棺はその下の地下室(実際は1階相当の基壇部)に安置されている。棺に関しても2つの廟は同じでした。フーマユーン廟は赤砂岩と白大理石を組み合わせた外観は見事ですが、見た限りの内装はそれ程に精細とか見事というものではなく質素なものだった。これは驚きでした。 フーマユーン廟
09:50 フーマユーン廟の見学を終了。出発

デリー市内ドライブ:
10:15 次にマハトマ・ガンジー等のお墓がある墓苑 ラージガート(Raj Ghat) に行く予定だった。しかし外国要人の墓参予定があり一般人は10時から11時半まで入苑は出来なかった。広いラージガートの沿道は銃を持った警官の警備が厳重だったし、運よく(?)前後に警護車両群を伴ったVIP車両とも行き違った。かなりの人物が訪印中と思われました。この種のことは新聞でも報道されない事が多く、直前まで分からないとの説明だった。事前発表すると、良からぬ企てを実行する連中がいるかも知れないので当然でしょう。止む無くラージガートの見学は諦めた次第・・・。
ついでながら、世界的なテロ防止活動の高揚に加えて、インドはイスラム教国パキスタンと国境確定の戦いを最北部カシミールで散発的に行っているのです。両国間の緊張はその時々の政治的合意や平和スローガンに係わらず常時カシミールや国内要所で継続しているのでしょう。
この市内ドライブでインド門の近くを2度も通りました。1929年に建立された高さ42mの凱旋門状のインド門は第1次大戦の戦没者氏名がびっしりと刻まれているそうです。

デリー空港:
11:20 デリー国際空港に到着。
lunch 11:30 ターミナルビル2階のレストランで昼食。古いビルのこと、レストランも日本のチョットした駅の大衆食堂のような雰囲気だった。バイキング形式だが料理の品数は僅かです。チキンカレーとライス、ナン(チャパティー?)などを皿にとり、1人参加の女性3人のテーブルに同席する。ここは食後の飲物もセルフサービスだった。コーヒーと書いてあるが品がない。大きな湯沸しから湯をとりティーパックで紅茶を作る。砂糖をタップリ入れて極甘にして飲んだら満足感があった。

11:55 レストランを出て、1階の出発ロビーで搭乗手続きとなった。インドの代表的国内航空は3社あるらしいが、今回は「エアーサハラ(Air Sahara)」という航空会社だった。
この国内航空ではデジカメなど電子機器に装填された乾電池はそのまま機内に持込めるが、予備の単1〜単4乾電池の機内持込みは許されない。乾電池と同形の充電式・予備電池は全てスーツケースに入れた。ボタン電池の予備は機内持ち込みOKなのだそうです。ただし、後日の帰国便では機内持ち込みの電子機器からも電池は取り外すように指示があった。しかし幾人ものインド人がカメラや携帯電話を持ち込み使用している姿も見たのです。その時々や便により違う、これまた実にアバウトな規則運用のようです。

tag-airsahara スーツケースの預入れが済み、次はショルダーバックを含む全ての機内持ち込み手荷物数の確認があった。その申し出数だけ小型の紙のタグが渡され、全ての機内持ち込み手荷物にそのタグを付ける。その後に手荷物と身体のX線検査となる。OKならば、タグに右の写真のようなスタンプが押される。そして搭乗口で搭乗券と共にスタンプの確認が行われるのです。なかなか厳重です。
12:30 搭乗機に向かうシャトルバスに乗車。
12:40 タラップで搭乗機に乗り込む。

デリー空港からパトナー経由でベナレス空港へ:
12:45 機材は B737-800、前方はビジネス・クラスで後方がエコノミー・クラスの標準的な仕様、我々の座席は 21A と 21B だった。しかしダブル・ブッキングで調整が必要、結果的に添乗員さんとの3人がけとなった。写真撮影をしたかったので、窓際にさせてもらった。航空機からの写真は良く撮れない事が多いし、特にこの搭乗機の窓は汚れが酷いので無理と思ったが・・・。
12:55 出発予定時刻。一旦は動いたが誘導路で立ち往生し20分以上も遅れた。窓から眺めると空港の地味なコントロール・タワー以外に丸みを帯びた塔が三本も立っている。これらは赤白の横ストライプで派手に目立つが、インドの空港施設には赤白ストライプのものが他の空港にもあったし標準的塗装の1つらしかった。
13:40 昼食は飛行場のレストランで済ませたが機内食のランチとなった。ベジタリアンを選んだら豆のカレーでした。結構いい味で、美味しいといえる。
14:00 ランチ盆の取り下げ。昼食が2回だったので胃腸薬をのんでおく。
ガンガー(ガンジス川)沿いに飛行。上空から見ると、白い砂の大河は離合集散しながら悠々と大きく蛇行し見事でした。
14:35 ガンガー沿いの大きな街の空港に着陸。ビハール州の州都パトナー(Patna)だった。歴史的にはマウリア王朝のチャンドラグプタ王のときに繁栄、孫の第3代アショカ王のときに全盛期を迎え、ここを中心に仏教文化が各地に広まっていったとされる。現在はラージギル、ナーランダー、ブッダガヤなどの仏教巡りの基地的役割をになっている。また聖なるガンジス川中流もここで支流を合わせて川幅を広げ、雨季には 約10Km の最大幅になるらしい。
目的地ベナレスの東に位置する街なので随分と遠回りしたことになる。この空港で降りるインド人乗客も多かった。搭乗券のチェックがあるので出しておくように言われる。 ベナレス便
15:05 パトナ出発。
15:40 ベナレス空港に到着。デリーから直接なら1時間20分の飛行(羽田・新千歳とほぼ同じ)らしいが、パトナに寄ったので約2時間30分もかかった。将来的には国際空港化が予定されているようだが、現在はローカル空港で荷物の受取場所などが狭く施設面での問題が目に付いた。

ベナレス(Banares):
[街の名] アルファベットでは Banares / Banaras / Varansi などと書かれますが、日本語では ベナレス/バラナシ/バラーナシー/ヴァラナシ/バナーラス/ヴァーラーナスィー 等々各種の表記があり紛らわしい限りです。短くて単純なベナレス(Banares)を用いることにしました。ついでながら、インドの他の地名なども同様な紛らわしさがありますが、この旅行記では1つの表記を選んで使用しています。
16:00 バスは空港を出発。
ミネラルウォータの500mlボトルが1本づつ配布された。今日の分である。
車窓から見る風景は綺麗とは思えなかったが、これが人口約200万人のベナレスの郊外になる。道沿いにレンガの透けた組合せの円筒がほぼ等間隔に作られ延々と続いている。道路域を示すものだろうか? また木々の幹には白・赤・白の横ストライプが描かれている。これも目的が今一わからない。沿道の所々にある商店の間口は広いものではなく、不思議にどの商店も大体同じ幅の間口に思える。公衆トイレの建物も時折あったが、人など歩いていない郊外なので誰が使うのかとも思った。ヒンドゥー教最大の聖地ともいわれるベナレスのこと、衛生環境にもそれなりの気配りをしているのかも知れない。時々大きなマンゴーの木があり、きれいとは言えない白っぽい花を満開にさせている。

織物の店:
16:33 織物の店に到着。今回のツアーで初めての店屋である。まずサリーなどを織る伝統工芸の工場に案内された。手作業で驚くほど種類の多い糸を織るのだが、何というか、インド独特の複雑さと暗く埃っぽい印象が強くて感心はしなかった。 インド織物の店

しかし、織った布地は民族的特色をよく現しているし綺麗なものも多いと思います。生地を購入したり、インドの民族衣装を作ってもらいホテルに配達依頼した人もいたのです。でも、我々を含め大多数は見学のみでした。
17:15 この織物の店の横に沢山の花を咲かせた木が数本ある。インド人ガイドさんに「マンゴーか?」と尋ねたら「そうだ」という。ガイドさんの許可を得て離れた場所のマンゴーの木まで走った。その花を撮影。マンゴーは「国の果物」に指定されているが、日本では花も実も撮影は難しい。せめて花だけでも、と思ったのです。皆さんはバスで待ってくれました。

ついでながら、マンゴーの木はこのベナレスと明日訪ねる仏教の聖地サルナートでは実に多く見かけました。花が満開だったので気付きやすかったのかも知れません。旅行中は他のエリアの沿道ではほとんど見かけなかったように思います。さらに、インドの国旗の中央にある車輪状のマークはサルナートの遺跡から出土したアショカ王柱にあるもの、インドの国章はそのアショカ王柱の上部の飾り(4頭のライオン)です。日本でも知られるようにグプタ王朝第3代アショカ王の時代にインドでも仏教が広まったのです。その後にヒンドゥー教が多数派の国になりながら、仏教に所縁の地の幾つかが国家の象徴に用いられている。仏教はヒンドゥー教の1部と解釈されているとしても、何かしら不思議な気がしたものです。

ラディソン ホテル/Radisson Hotel:
17:20 ホテルに到着。チラッとバスから見たところ中規模の街中のホテルのようだった。中も広々としたロビーではなかったが、感じの良い造りでした。そこで部屋割りを待った。
17:36 部屋は214号。セミダブル・ベッドが2つ、仕事用のテーブルもある広い快適な部屋だった。水のボトル数本が自由に使用できるのも良かった。ただ、不思議にテシューとトイレット・ペーパーの量が極端に少ない。インドでは消費用の紙類は高価なのだろうか。近年のホテルとしては珍しく、灰皿とマッチが置いてある。禁煙室ではないらしいが、紫煙による壁面の汚れはない。愛煙家の宿泊客は少ないのであろう。
窓からのベナレスの風景は魅力的なものではなかった。レンガの低層建屋がどこまでも続く古い街並みだった。
19:10 ホテルのレストラン(2階)に行く。大型のソファーがグルリと囲んだ中にテーブルと1人掛けの椅子が並ぶ作りだった。ソファーの奥に座ったら料理を取りに通路に出るのが大変だった。長椅子はフワフワな上に滑りにくい布地だったのだ。次回からは1人掛けにすることにした。
飲物は2人で1本のビール(ライト/@160R)にした。インド料理は脂っこくないが、ビールはあった方が食べ易いようでした。
同じ2階に土産屋があった。各種のインド民芸品が置いてあるが、木彫の象(メッシュの体内にもう一頭の像)も種類が多かった。石鹸石で作った同じタイプの象を1頭持っているが、木彫製も違う味わいがある。細工も良さそうなので買いたかったがセールスが煩くゆっくり選べない。それでやめた。

20:00 部屋に戻る。デジカメの充電。明朝はガンジス川の沐浴と日の出を鑑賞する。早朝の川面は涼し過ぎるかも知れないので、薄手のジャンパーを用意した。ワイフは油断せず使捨てカイロやマスクも出していた。
21:30 明朝は早い。就寝。

このラディソンホテルには明日夕刻のベナレス出立まで時々帰り、当地での4回の食事は全てこのホテル2階のレストランで済ませたのです。それにしては、ホテルで撮影した写真が少なく良く撮れたものもないのですが、手持ちの画像情報はここにまとめます。 ラディソン・ホテル
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