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旅行記|北部インドの文化遺産巡り ( 4日目/2005年3月5日・土曜 )
ガンジス川の日の出、サールナート、寝台列車
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出発まで:
04:30 起床。トラベル・ポットで湯を沸かしインスタント・コーヒーで目覚ましとする。今日は忙しい日程ながら当ホテルに戻っての休息も多いから何とかなるでしょう。
05:00 モーニングコール。
05:25 朝食をせずにロビーに集合。外は未だ暗闇で半月が出ていた。
05:30 バス出発。

ガンジス川の沐浴と日の出:
05:45 商店や露店が多い広い道でバスを下車。その道ではリクシャの客待ちもかなりの数になる。ここから電灯の薄明かりの中を固まってガンジス川のガートまで歩いた。不慣れな環境とはいえ、27人の団体の為か、あるいはヒンドゥー教の聖地の醸し出す雰囲気に因るのか、犯罪的な意味での怖さは全くなかった。ただ、珍しさのみ・・・。
現在は乾季の終り、ガンジス川の水位は低く階段状のガートの大部分は陸になっている。市街地の道路からその階段状ガートを下る時に大勢の物乞いが座っているのに気付いた。大人しい物乞い達で通行を妨げないよう手摺の近くにのみいた。思ったより大勢の地元の人達や観光客がいる。ガートが全部で84もあるガンジスの岸辺では中央にある ラジェンドラ・プラサッド・ガート(RAJENDRAPRASAD GHAT) に行く。ここが一番賑わうガートらしかった。 ガンジス川のガートまで

聖なる川ガンジスとヒンドゥー教徒の死
インドのベナレスはガンジス川の中流域に位置する聖地であるが、そこには医者からも天命からも見放された巡礼たちが最後の死出の旅路を求めてやってくる。「彼らは死後ガンジス河畔で焼かれ骨灰が川に流されることで昇天する」と信じている。河岸近くにはそれら死の巡礼たちを収容する家が立ち並び、「解脱の家」とか「休息の家」と呼ばれている。わずかな近親者だけが付き添い、医者も看護婦もソーシャル・ワーカーも聖職者ももはや立ち入らない。静かな沈黙の数週間が過ぎて、最後に遺体がガンジス川へと運ばれる。そこでは火の浄化力が肉体を処理し(火葬)、水の浄化力が魂の行方を定める(昇天)という観念が生きている。人間の魂は死後、宇宙と自然のなかを循環すると考えられているのである。

日立デジタル平凡社「世界大百科事典DVD版」1998年、から文章をお借りしました。
06:00 ラジェンドラ・プラサッド・ガートか、または隣のダシャーシュワメード・ガートからと思うが沐浴鑑賞のボートに乗った。我々のツアー27人が乗る大きなボートだが、2人で漕ぐものだった。
直ぐに素焼き(?)の丸いボールに火がともった素朴な灯篭を売りに来た。10ルピー払ってワイフは1つ買い求め、ボートからガンジスの川面に静かに浮かべて流しました。我々のボートから他にも幾つかの灯篭が流され、川面でゆらゆらしながら離れてゆく。郷愁をおびた風情を感じました。ガンジス川の灯篭流しが何時始まったか知らないが、こんな素朴な灯篭が中国風の提灯と合体し、最終的に日本的な灯篭になったのだろうか・・・。
ベナレス市街側の川岸にはどんな水位でも沐浴が出来る階段状のガートが並び、その最高部にはホテル群が立ち並ぶ。ホテル群と書けはリゾート地のそれを思い浮かべるかも知れないが、ここは全くの正反対、古く萎びた建物群になる。旅行客も宿泊できるようですが、実際にはヒンドゥー教徒の人達が人生を終える「解脱の家/休息の家」としての役割を担っているのです。もう医師も看護士も面倒をみない。僅かな近親者らが見守るだけなのです。最後に荼毘に付され、ガンガーの流れと共に自然に帰る・・・。
中には日本人経営のホテルもありましたが、外観的には周辺の建物と同様で、もし泊まるなら「いろいろ覚悟して泊まらねば」と思いましたが、どんなものでしょう。

船はさらに進み、日の出が近づいて次第に東の空は明るくなってきました。離れた先に焚き火が見えます。遠くからの写真はOKといわれ撮影しましたが、失敗したようなので近くで撮影したら叱られました。火葬場の撮影は禁止となっているので、当然の叱責を受けたのです。火葬場というと特別な施設があるように思えますが、薪となる長さ1〜2mの丸太の山とそれを燃やす空き地があるだけです。現地ガイドさんの説明では、火葬の薪代は約1200円 (500ルピー程度) のようでした。
06:30 ガンジス川の対岸に街はなく単なる平野です。その上の細い雲の切れ目から太陽が見え始めました。どんどん上昇し直ぐにまた隠れたのですが、ガンジス川の見事な御来光には感激しました。
周囲はかなり明るくなってきた。ボートは方向転換して戻り始めました。乗船したガートを通り過ぎ、かなり大きい火葬場の傍で上陸しました。幾つもの薪の山に囲まれた空間で、勢い良く炎が上がっていた・・・。その大きく揺らぐ炎は死者の肉体を浄化させ、返す勢いで我々生身の観光客を聖地から俗界に力ずくで送り返すようにも思われた。 ガンジス川の日の出と沐浴


ヴィシュワナート寺院(Vishwanath Temple/ゴールデン・テンプル):
07:00 ガートの広い階段が狭まり、細い路地となる。牛とすれ違うのも大変な裏道をヴィシュワナート寺院に向かう。ヒンドゥー教の聖地、聖なるガンジス、朝日を浴びつつ敬謙に沐浴、などと表現するとベナレスは如何にも素晴らしい街に響くが、いま歩いている裏の路地の狭さ古さ汚さ聖俗雑居等々ゴチャマゼ状態は全く反対の印象をもたらすのである。しかし、これもベナレスというかインドの現実の1つなのです。 ヴィスュワナート寺院

ヴィシュワナート寺院(ゴールデン・テンプル)に近づくと門前町というか道幅は広くなり参拝客や観光客目当ての商店が多くなる。明るく賑やかな雰囲気でした。もちろん、インド流ですが・・・。時間があれば、冷かし半分のショッピングも面白いでしょうね。

聖地ベナレスはシバ神信仰の中心地、そのヒンドゥー寺院として巡礼者を多く集めているのがヴィシュワナート寺院らしい。そもそもの開基は古く5世紀になるそうだが、12世紀のイスラム勢力浸透により大伽藍は破壊され寺院はモスクに改造された。18世紀になり現存する金箔に覆われた「黄金寺院」がモスクの一部に建立されたが、ヒンドゥー教徒以外は入ることは許可されません。これからチラッと見るだけの参観です。ついでながら、同じ名前の寺院がベナレスのヒンドゥー大学構内にあるそうですが、別のものです。

07:06 細い小路を少し入るとヴィシュワナート寺院の観光客用ゲートがある。そこで幾人もの警察官による携帯品と電子機器(特に電池類)の検査が厳重に行われていた。携帯電話、カメラ、ビデオ、デジカメの使用は禁止です。デジカメはキャップをした上でショルダーバックに入れて無事通過しました。メンバーにはバックにいれた小型電卓がダメとされ、処分方法も分からず近くにいたインド人にあげた人までいました。やはり基準と検査結果がアバウトでどうすれば良いのかはっきりしない・・・。境内に入る。敷地内でも警察の警備はものものしい。近くにイスラム教寺院があり、イスラム教徒やヒンドゥー教徒が相手側の寺院を襲撃・破壊することを警戒しているとか・・・。現在でも北西インドのカシミールでイスラム教国パキスタンと国境確定のための散発的な戦闘が行われている。その影響があるのかも知れません。

敷地内と言っても、塀に囲まれた本当の境内はヒンドゥー教信者以外は入れない。沢山の猿が遊ぶ高い塀越しに屋根を見るだけだった。奥の左に白い屋根、中央に黄金色の屋根があるとか・・・。我々観光客の行く場所にシバ神の像やシバ神の一形態とも言われる幾つかのリンガ(女体内から見るリンガ♂+ヨーニ♀)があった。インド人ガイドさんにとっても「リンガ」の説明はしづらいようで・・・、日本の神話にのっとり「イザナギノミコト♂とイザナミノミコト♀」に例えて簡単に終えてしまった。ヒンドゥー教と生殖は宗教哲学的に特別な関係らしく、インドでは男女交合の立像が多くあるという話も読みました。異国の多神教による 宗教・文化・習慣・生活 等々はまず短期的に理解することは難しく、とかく誤解することも多いでしょう。通常は、観光的に「珍しいもの」とサラッと流すのが良いと思います。
07:35 バス出発。

ラディソンホテルで朝食と休息:
07:50 ホテルに到着。
08:00 直ぐに2階のレストランでバイキング形式の朝食。
08:20 レストランを出る。2階の回廊の途中、坊主頭でインド風の白装束に身を包んだ欧米系の一団とすれ違った。奇妙な雰囲気だったがシバの神を信ずる人達のベナレス巡礼なのだそうです。ニューヨークの思い出ですが、ベトナム戦争末期とその後のころ、坊主頭に黄色い布をまとった「クリシュナ」と呼ばれる若いアメリカ人(白人)の集団をマンハッタンの繁華街でよく見かけたものでした。もし信仰を続けていたら熟年になっているはず、すれ違った人達も昔見た連中の仲間かも知れないと思ったものです。当時の私にはヒッピーと区別がつかず、インド人の知己から苦笑された記憶もある・・・。
一旦部屋に入りゆっくりする。枕チップの2人分20ルピーをテーブルに置く。
09:00 カードキー返却のチェックアウト。ロビーに集合。
09:05 バスに乗車。
09:10 出発。かなり走るのですが、サルナートになるとマンゴーの大木が随分と目にとまります。満開ですが、マンゴーの花は綺麗なものではありません。

サルナート(Sarnath):

ムルガンダ・クチ寺院(Mulgandha Kuti):
09:45 サルナートのムルガンダ・クチ寺院前に到着、下車。ツアーの当初の予定では古い仏像が安置されている考古学博物館を見学することになっていたが、予定が変更された。
インド風というか小乗仏教風というか、尖った屋根のある赤砂岩で建てられたお寺に入る。比較的新しい寺院で 1931 年に完成。日本人画家が描いたとされるのだが、ブッダの一生の大きな壁画(フレスコ画)があった。正面には沢山の生花に囲まれた金色に輝く御本尊が安置されている。現地ガイドさんの説明を聞きながら写真を何枚も撮影した。正直なところ、珍しさが直ぐ消滅し、感激も何処かに行ってしまった。それでも釈尊が初めて弟子に説法したとされる宗教上は大切な土地柄なのだ。このお寺の御本尊に合掌し祈りをささげました。 サルナート
10:02 ムルガンダ・クチ寺院の見学を終え、建物の外にでる。ダメーク・ストゥーバの正面を通り、一旦は表通りに出た。

ダメーク・ストゥーパと遺跡公園(Dhamekh Stupa):
10:12 遺跡公園に入る。考古学に興味があると面白いでしょうが、我々には難解な遺跡です。インドの国章は背中を合わせた4頭のライオンですが、これはアショカ王の柱の頭部に付いていたもの、そのアショカ王柱はここの遺跡から出土し近くの考古学博物館で展示されている。焼きレンガにも思える赤砂岩の遺跡の間をゆっくり散歩して、ダメーク・ストゥーパに行く。その直径26m高さ31mの巨大な仏塔を一回りした。ストゥーパの下部の1部には装飾も残り、意味は不明だが金箔の小片を沢山貼った場所もある。近くのヒンドゥー教の神学校(黄色の尖った屋根の建物)では白い洋風制服の男子生徒らがクリケットに興じていた。その神学校の敷地と遺跡公園の間には鉄格子の塀があり観光客の歩く道はその塀に沿っている。そこでは、物乞いが学校側に大勢いて塀越しに手を差し伸べ情けを求めて付いてくるのだ。クリケットを楽しむ生徒と哀れな声を出す物乞いのコントラストが実に強烈に思えました。上を向いて歩き、入口に戻った。 ガンジス川のガートまで
11:20 遺跡公園を出て、バスに乗る。一旦公園を出ると物乞いと物売りは多い。

日本人経営の土産屋:
11:35 日本人経営の土産屋で一時停車。ワイフは皆さんといっしょに店に行く。「適当なものがある」と呼びに来た。ビャクダン(白檀/Sandalwood)はインドネシア原産だがインドの特産と言えるほどにその木彫の土産品が多い。日本でも昔から芳香で知られ、仏像や仏具などの素材に用いられていた。店には数多くの木彫製品が並んでいる。小型のペーパーナイフ(@160Rp)を3本のみ購入。木彫の象にも良いものがあったらしいが時間がなかった。
11:45 土産屋から出発。

ラディソンホテルで昼食と休息:
12:10 ホテル着。同じ2階のレストランでバイキング形式のランチ。食事前にウェットテシューを使用したらテシューの汚れは酷かった。相変わらず、焼ソバ・骨付きチキン・カレー・ライス・フレンチフライ・ナンなど安全なものばかり少しづつ。飲物はコーラ1人1本、オレンジ1個をサラダ代わりにした。
食事後はロビーで休息。広くはないが、他の客とて少ない昼どき、ゆっくりできた。

ヒンドゥー大学インド美術館:
13:45 3台のマイクロバスに分乗してホテルからヒンドゥー大学に向かう。
14:20 ヒンドゥー大学インド美術館に到着。料金を払うカメラやビデオ以外の携帯品は持ち込み禁止、ショルダーバック類は全て入口横のロッカーに預け入れた。カメラ料は10ルピー。美術館見学中にデジカメのバッテリーが空になり、添乗員さんに頼んでロッカーからショルダーバックを出してもらった。美術館の警備関係者数名の見守るなか、大急ぎでバッテリーの交換をする。ショルダーは再度ロッカーに収められました。
美術館としては大規模と言えませんが、彫刻類やインド絵画が展示してある。インドの各種の建物の入口上部にはヒンドゥー教の神様のレリーフが飾られているが、この美術館でも象神ガネーシャがあった。さて、入口ホールを進み、突当りの右手に回り込む。そこには陳列方法から推察すると文化財として重要らしい女性の立像があった。インドでは偉い女神かと思いきや、この立像の説明書きには「TOILET BEARER, KUSHANA PERIOD, C.2ND CENTURY A.D.」とある。TOILET BEARER とは「糞壺を運ぶ女」とでも訳すべきでしょう? 美術上の価値は知りませんが、何たるものを仰々しく ド真ん中に・・・。そんなに価値があるなら、顔写真だけでもルーブル美術館モナリザの場所を1日お借りして置いてみたら?
装飾や装身具の小部屋も奥まった場所にあった。反対側にはインド絵画も沢山ありましたが、この国の文化的知識が十分でないと理解できない面もあると思います。 ヒンドゥー大学インド美術館
15:20 インド美術館の見学を終了。出発。

ドゥルガー寺院(Durga Temple/モンキー・テンプル):
15:40 バスを下車。例により足元に注意しながら街中を少し歩く。
15:42 ドゥルガー寺院(モンキー・テンプル)到着。祭りが近いらしく、赤い旗が何本もひらめいていた。シバ神の后パールヴァーティが化身したドゥルガーを祀った寺院、ということでした。この寺には猿が沢山いたのでモンキーテンプルとも言うが、実は昔のことらしい。猿など一匹も見なかった。早朝に見学したヴィシュワナート寺院は猿が沢山遊んでいたが・・・。

入口から右側の境内に入ると狭い中庭風の広場になっている。左に土産などを売る店、中央に本堂、右には宗教施設と裏道があった。本堂入口は狭く、姿は見えないが寺の職員が出入りを管理しているようだった。この種のヒンドゥー寺院は通常は信者のみ本堂に入れるが、ここドゥルガー寺院では希望者は本堂の内部参観もできたのです。靴を脱いで中に入り見学したメンバーは多かった。にわかヒンドゥー教徒の善男善女は額に赤いベニを塗られて出てきました。いわゆる賽銭は出したのでしょうか。うっかり聞き漏らしました。(注:ガイドブックでは「中には入れない」としているので内部参観はこのツアーの特例かもしれません。)

我々は本堂には入らなかった。うっかり入口近くで内部にデジカメを向けたら、内部の陰に居た番人から大声で制止させられた。びっくりして直ぐに引き下がったが、しばらく後にその番人は再び入口に出てきて凄い形相で私を目で探した。目が合った時に帽子に手をやり会釈しておく。気持ちが伝わったらしく表情を和らげて引っ込んだ。内部の写真は禁止なのでしょう。

本堂沿いの右手道を行き、比較的大きなリンガの堂に行く。祭りが近いので内部を赤いペンキで塗装している最中だった。近くでは祭りの道具類が持ち出されていた。そこから裏手の広場に行く。ガイドブックなどで紹介される定番ドゥルガー寺院の姿を見ることができた。昔の写真では本堂裏側に大きなプールが写っている。ガンジス川の水が貯められていたらしいのです。今は埋め立てられ単なる広場になっていたはず・・・。 ドゥルガー寺院

我々日本人は掃除の行き届いた白木作りの神社に慣れている。お寺でも境内は隅々まで清潔に保たれる。その目からは、どこのヒンドゥー寺院も清潔さを感じない。ゴミの為か、壁に貼られた紙類の故か、配色のせいか、具体的にその原因となる諸々は言い難いのですが・・・。良し悪しは別として、インドには日本人の目からは無神経なところがあるようで、人間の環境と感性は大切と改めて思った次第です。
16:00 ドゥルガー寺院から出発。

ラディソンホテルで夕食:
16:20 ホテル着。直ぐ2階のレストランで中華バイキング。中華というがそれ程は変わり映えしなかったと思う。飲物はビール(ライト)1本、130ルピー。料理の写真は撮影忘れ。
16:55 レストランを出て、ホテルのショップを覗く。気に入ったものも見つからず購入は中止。

ラディソンホテル出立、鉄道駅までドライブ:
18:55 3台のマイクロバスに分乗し、急行AC寝台車に乗車する駅に向かった。走行時間や窓外の風景から近くのベナレス駅など市内の駅ではないが、その駅名は分からない。1人用の助手席に3人もの若いインド人が乗った。これには驚いたが、1人は途中で下車した。 暗い道での運転がすごかった。道にセンターラインはなく、アバウトで左側通行なのです。ところが左端右端とも歩行者、自転車、リクシャ、時にはラクダ車など家のない所でも交通量は多い。時には全体で1.5車線幅に思える車両通行部分をクラクションを頻繁に鳴らしながら追い越しながら走る。トラックは来るの、大型バスを追い越すの、スローな車は後ろからせつくの、ドケーッ!ドケーッ!と怒鳴りながら走っているみたいなもの。スピードもある。助手席の後ろに座った私は生きたここちがしなかった。ドライブ大好き人間も肝を潰したインドの夜間走行でした・・・。運転技量に脱帽!

鉄道駅に到着:
19:45 駅の手前でマイクロバスは止まった。待つこと暫し、大勢のボーターが来た。この人達は頭にスーツケース2〜3個を乗せて運んでくれるのです。乗車ホームに行くには連絡橋を登り降りするので我々の手には負えず、ポーターに頼まざるを得ないのだ。写真のように30Kg程度を載せて階段の登り降りするとは、巧いもの。先述のヒンドゥー大学インド美術館に頭に物を載せて運ぶ古代の出土品が幾つかあった(写真参照)。古からの伝統技のようです。

ホームで車両と寝台の割り振りが行われた。駅の窓口はコンピュータ化されているというが、どうやらインドの寝台列車は車両番号と寝台番号を印刷した寝台券は発券しないらしい。総勢27人が3台の車両に分乗し、且つ夫々の寝台がバラバラなのだ。我々は車両 HA1 の 17 と 18 で、切符ではなく手書きのメモを受け取った。この車両は他の夫婦2組で6人が乗る。切符を次々に渡すようにはいかず、割り振りが大変な作業で時間がかかった。
20:20 ホームには蚊がいるので薄手のジャンパーを出して羽織った。虫だけではなく、ホームの間の線路と砕石部分では沢山のネズミがチョロチョロしている。ホームには上がって来ないが、ここは多すぎて・・・、気持ち悪いものです。
20:40 列車の出発時刻だが、遅れて未だこない。ホームでブラブラしていると、時には車が通ったり牛が歩いていったりする。幅広いホームなので問題はないが、日本では想像を絶する光景です。我々の周りに初めから男の子が1人ウロウロしていた。金品をねだる訳でもなく、何をしていたのか。その内に1人、また1人と3人になった。すると警官が来て追い散らした・・・。素直に姿を消しました。

インドは世界第2の鉄道王国。都市周辺や幹線では電化もかなり進んでいるようですが、ローカルは未だディーゼル機関車が活躍中、世界遺産に登録された蒸気機関車もあるようです。ホームで直ぐ気付くが、JRと異なり軌道幅が広軌です。ただ地方により幅が異なっていたが、統一化が進展中のようでした。駅にはプラットホームがあり連絡橋もある。ただ駅の写真撮影は禁止とされます。

AC(冷房付き)寝台列車:
21:05 列車が到着。旅行社のインド人青年1人、ポーター3名が我々の世話係だった。ポーター3名はスーツケースを指定の寝台まで運びサッと引き上げた。旅行社の青年は英語の分かる私の傍にいただけで、「シーツと毛布は車掌がもってくる。これで宜しいか?」と言って帰った。ところが、実に形式的な仕事ぶりで、我々の寝台(平行上下の4寝台ボックス)の下の2つはインド人の中年婦人が既に使用している。ダブルブッキングか無賃利用かは分からない。寝台番号のメモを見せて私の寝台を使用していた御婦人には空けて貰った。向かいのペットに移動したらしいが、チョコンと座って困った顔をしている。気の毒に思ったがこちらも不慣れなことで必死だった。「早く横にならないと、疲れたよ、モー」という感じでした。

そのころ、同じ車両の奥さんが我々のボックスの上段の番号をみせにきた。そこは空いているので問題はない。上がり方を教えた。ところが、「主人の寝台をインド人が使用しているので何とかして」 という。行ってみると確かに御主人の番号の寝台には若いインド人の男性が陣取っていた。この人はブリーフケースのみの所持で日本ならサラリーマンの出張といった感じだった。「ここは自分の寝台だ」といって譲らない。御主人の寝台番号メモ HA1-14 を見せて、「ここは彼の寝台だから空けてくれ」と大人しく言ってもダメ、「番号が2つ書いてある。もう1つの方に行けばいい」と勝手なことをいう。「それは奥さんの寝台番号だ。この寝台はこの人のものだ。空けろ!」とはっきりと命令口調で言う。男はブリーフケースのみ持って何処かに消えた。どうも寝台の無賃利用者らしい。

やれやれ、やっと自分の寝台で横になれると思った。まず、スーツケースを寝台の下の床におく。下段ベッドの真ん中にチェーンを通す金具が付いている。持ってきたチェーンをその金具とスーツケースのハンドルに通して鍵をかけた(実は辺りにそんなことをしているインド人などいないので、彼らに悪いことをしているような気がした。) そして車掌が持ってきたシーツ2枚と毛布を適当に広げて寝る準備をし始めた。
ところが、今度は現地ガイドさんがきて、我々は隣の車両に変更といわれた。他の1組の御夫婦(東京)も同様に移動だった。大慌てでスーツケースのチェーンを外し、車掌について狭い通路を隣の車両に行く(インドの列車は車両間の移動は出来ないものが多いらしいが、この列車の連結は日本と同じように移動できる作りでした。) もう汗がタラタラ、ビショビショでした。とにかく車両中ほどのボックス(31,32,33,34)を二組の夫婦で使用することになったが、そのボックスのカーテンは閉まっている。車掌がカーテンを開けたら、驚いたことに先ほど寝台 HA1-14 から私が追い出したブリーフケースのインド人男性が寝ていたのです。この人、今度は車掌に追い出された。私に気付き、凄い目で睨んでから逃げた。寝台の無賃利用も楽ではない(この人は空ベッド待ちではない。) しかし車掌は叱責したり料金を請求する様子はなく、その辺は「インドらしいナ」と思ったものです。

女性は下段で男性は上段と決め、日本人だけなのでスーツケースにチェーンはかけないことにした。再度シーツと毛布を広げて寝床を作る。気持ち悪いのでウェットテシューで手を拭いたら驚くべき汚れでした。この手で飲食したら、まず病気になる。しっかりと2度も除菌ティシューで手を拭きました。 寝台列車

10:20 やっと横になれた。ホーッ。疲れていたので、直ぐ眠り朝まで熟睡できました。
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