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旅行記|北部インドの文化遺産巡り ( 5日目/2005年3月6日・日曜 )
アグラ観光(アグラ城、タージ・マハル)
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アグラの駅、下車まで:
04:00 添乗員さんが各ベッドに声をかけて起こして歩いたらしい。ワイフはそれで目覚めた。そして点灯した。その光で私が目覚める。気持ちよい熟睡だった。
毛布類を軽くたたんで片付け、ウェットテシューで手と顔を拭いた。本格的な洗面や髭剃りはホテルになる。ワイフが銀座あけぼの梅砂糖煎餅とミネラルウォーターをくれた。早朝のオヤツだった。コーヒーも飲みたかったが、こればかりは・・・。
ショルダーバックの中身を確認し、スーツケースを下段ベッドの下から出して通路に立てて置く。不思議に列車の走行音や振動や揺れの記憶が全くない。不快なものではなかった、のであろう。忘れないよう寝台車の写真を数枚撮っておいた。
04:45 到着。アグラにはカント駅とかフォート駅とか幾つも鉄道駅がある。どの駅で下車したのか分からなかった。また、旅行会社の日程では乗車時間は約12時間となっているが、実際には約7時間半でした。ルートが異なっていたのか、急行が特急に変更になったのか、理由は不明です。

アグラの駅からホテルまで:
スーツケースはポーターが車外に運び、全員の分を一箇所にまとめた。我々も下車し自分のスーツケースを確認する。 その際に、昨夜、最初の車両でインド人男性から寝台を取り戻してあげた人(77歳)から礼を言われた。海外旅行に慣れた人なのだが、突然のトラブルとなると英語での咄嗟の交渉は難しいものです。お役にたてて何よりでした。
ホームから連絡橋を渡ったが、鳩くらいの名も知らぬ鳥が連絡橋や架線にそれこそ無数にいて大声で鳴いている。うるさいし、駅構内が糞でかなり汚れるとも思った。
駅舎を出ると外はまだ暗で、僅かな街灯が頼りだった。昨朝のベナレスの日の出は6時半近くでしたが、遥か西方になる当アグラの日の出はかなり遅くなるはずです。
駅前広場の先に教会があり、その近くでバスが待っていた。客待ちのリクシャが沢山いる通りだった。我々はバスに乗車したが、ポーターが運ぶスーツケースはなかなかこなかった。距離があるためらしい。
05:37 ガイドさんから今日の予定などの話があったが、ボーとして聞いていない。
05:50 出発。今日分のミネラル・ウォータの支給があった。

ホテルに到着:
06:10 ホテル着。ここはアメリカ系のムガル・シェラトンだった。赤レンガの3階建らしき低層建築だが庭を含めて広大な敷地のようである。バス到着口、ロビーまでの取付け歩道、ロビーの広さ等々の第一印象は立派なものでした。明日の出立まで観光以外はこのホテルで過ごすことになった。早朝のことで部屋割りは遅れ、ロビーでしばらく休んだ。
06:50 地階の広いレストランに行く。バイキング形式の朝食で特に変わったものはないが、久々にゆで卵を試してみた。ゆで卵は何処の国でもゆで卵、同じでした。食後はウェーターによるチャイかコーヒーのサービス、コーヒーがとても美味しく感じられた。観光開始まではかなりの時間があり、食後もレストランでゆっくりした。

08:30 「片付けれない」と言われ、レストランからロビーに移動。その後に直ぐ部屋割りがあり、我々は608号室のカードキーを受取った。集合時間まで自由といわれ、案内標識に従って部屋に向かう。
08:40 ロビーから中央の渡り廊下を行き、左の階段を上がって進み、突当りのホールで左の階段を登る。その後、右側の廊下を突き当たりまで行き、その右側が我々の部屋だった。随分と不便な部屋と思ったが、実はこの部屋はタージ・マハルを眺める展望台の直ぐ下にあり、その展望台に簡単に行けるのだ。その点は恵まれていたといえよう。

我々の部屋は掃除が行き届いた清潔で快適なものでした。一目で満足しました。ただしミネラルウォーターは1本のみサービスでした。直ぐスーツケースを落ち着かせ、洗面を済ませた。そして、1人でデジカメを持ってホテルの展望台に出ました。部屋の外の右側ドアーから屋上に出るとタージ・マハルの正面がよく見えるのです。しかし階段を登ると一段と高い展望台になる。早速アグラ新市街とタージ・マハルをデジカメに収めました。アメリカ人らしき御夫婦が後から屋上に来ましたが、他には誰もいません。ゆっくりと風景が楽しめました。ツアーでここに来たのは多分私だけだったでしょう。
(注:当ホテルの写真はこのページ最後の [PHOTO] に置いてあります。)
部屋に戻り、横になって休んだ。
10:00 ロビーに集合。
10:08 バスに乗車。
10:10 出発。

アグラ城 (Agra Fort):
ムガル帝国
ムガルとはモンゴル、つまり蒙古のことです。インド人の現地ガイドさんはデリーのフマユーン廟の説明の時から「モンゴル帝国」と呼んでいました。恐らく人種的に蒙古系に近い日本人観光客を意識してのことでしょう。しかし、中央アジアのチムール王朝の血統を引くバープルが1526年にデリーでムガル王朝を樹立した時には、モンゴル系とトルコ系のイスラム教徒が現地のヒンドゥー教徒の支配層になった、とされます。「トルコ系」とする資料が多いので、当初からトルコ系が主流だったのかも知れません。ムガル王朝は330年余も続き、その間の皇帝数は17人でした。
バープル帝の子息フマユーンは父親の死後にムガル帝国・皇帝(在位1530〜1540)となったが侵入者に領土を奪われてしまった。ムガル帝国は一時滅亡したのです。その後フマユーン帝はデリーの領土を取り戻し帝国を復活させたが、間もなく事故で亡くなった(在位1555〜1556)とされます。
帝位を継承したアクバル帝(在位1556〜1605)は領土拡大に成功し、デリーからアグラに遷都して新たにアグラ城を築いた上にファティープル・シークリーまでも造営した。軍事と行政の改革を断行し、ヒンドゥー教徒を登用して広域支配の基盤を整え、ムガル王朝をムガル帝国へと成長させたのです。アクバル帝は時には「大帝」と呼ばれます。
その後、ムガル帝国はジャハーンギル帝(在位1605〜1627)、シャージャハーン帝(在位1628〜1658)、アウラングセーブ帝(在位1658〜1707)と続く。
その後は急速に勢力が衰え(とはいえ、北インドでの影響力は残った)、末期にはデリー城周辺のみ統治する称号だけの存在になり、1858年に反イギリスの「セポイの乱」に加担した理由でムガル王朝は名実共々消滅したのです。
10:20 アグラ城アマル・スィン門に到着。平行する道路を走ったバスから見ても、大きな堀をもつ赤砂岩の堂々たる城壁が延々とつづく。それ故に 赤い城(Red Fort)ともいう。ムガル帝国のアクバル帝が 1565年 から10年をかけて築城した王宮を含む城砦です。ところが、明日に見学するファティープル・シークリーもアクバル帝が子息ジャハーンギルの誕生を契機に1569年後に建て始めたとされる。そして実際に遷都したのです。単純に考えると同時期に大規模な城砦を2つも建てたアクバル帝の権勢たるや凄いものだったのでしょう。ムガル帝国ではアクバルのみ大帝と呼ばれます。 つづくジャハーンギル帝(4代)やシャー・ジャハーン帝(5代)もこのアグラ城に居をかまえました。
ヤムナー川と濠に囲まれた城壁は高さ20m、長さ5Km(現在は2.4Km)にもなり、内部には宮殿、モスク、バザール、宮殿従業員の住宅、等々があったらしい。現在はその敷地の80%を軍が使用し、観光できるのは南のアマル・スィン門から入る宮殿など1部に限られている。ツアーでは、アマル・スィン門、ジャハーンギル宮殿、カース・ハマル、ムサンマン・ブルジュ、ディワニ・カース、ディワニ・アーム、等々を一回りしたのです。

濠を渡るとアマル・スィン門でまず入場券売り場があった。その赤い城壁の門を抜け、すぐ右に曲がり別の門を通過すると立派な城壁と中庭がある。さらに左の城壁の門を通り抜ける。長い直線の坂道となったが切通しで両側は高い壁である。その坂を登りつめた場所に第4の門が見える。入城には高い赤砂岩の城壁に開けられた合計3つの門と切通しの坂道、そして最後の中門を通らねばならないのだ。防御の意味では厳重そのものだった。
登りきって中門を通り抜けると右側にジャハーンギル宮殿が見える。アクバル帝が子息のジャハーンギル帝のために建てた宮殿とされる。その前の芝生の広場を回り、中央の正面入口から宮殿の内部に入った。ここの入口上部にもユダヤのダビデ星に似た六稜星が幾つかあった。何のシンボルか不思議に思う。
宮殿は”ロの字型”の建物で中庭の周りに各種の部屋が作られている。赤砂岩なので多少は暗い感じがする。御母堂の部屋に案内されたが、特に印象に残るような部屋ではなかった。建物の裏側は展望台になっている。ここから眼下に城壁、平野の向こうにガンガー支流のヤムナー川、そして遠方にタージ・マハル廟が見える風景です。現在3月は乾季の終り、下の写真のようにヤムナー川の水量は極端に少なく川床が広がっている。
Taj-Mahar from Agra Fort
この展望台の左端から皇帝の住居だったカース・ハマルとシャー・ジャハン帝が建てたムザンマン・ブルジュの外側がよく見えます。現在は基礎部分に工事の足場があり、猿も遊んでいました。ムガル王朝の諸皇帝はヤムナー川の風景をとりわけ好んだようでそれぞれの建物に展望所が設けられている。軍事上の意味があるのかも知れません。我々のツアーは順に全ての展望所を見歩きました。結果論として、最後の展望所(ディワニ・カースかその北側)からムザンマン・ブルジュのインド的な丸屋根の東屋を右に見ながらタージ・マハル廟を眺める風景がより素晴らしいと思いました。しかし上の写真なら何処からでも撮影できますね。
ムザンマン・ブルジュを建てたシャー・ジャハン帝は先立った后ムムターズ・マハルのためにタージ・マハル廟を建立しました。贅の極みをつくした廟の建設で国家財政を悪化させたが、さらにヤムナー川対岸に黒大理石でタージ・マハルと同形の自分の廟を建てる計画を遂行しようとしたらしい。表向きの理由は国家財政のさらなる悪化をさけるため、それに加えて兄弟間の皇位継承争いで不安を抱いた子息アウラングゼーブが反旗をひるがえし、シャー・ジャハン帝はアグラ城のムザンマン・ブルジュに幽閉されたのです。74才で他界するまで愛妻の眠るタージ・マハル廟(上の写真の風景)を眺めて過ごした、とされている。その後、シャー・ジャハン帝の棺はムムターズの棺と並んでタージ・マハル廟に安置されているのです。インドもなかなか粋な計らいを・・・、と思います。
この辺りでデジカメのバッテリーが空になった。昨夜は列車なので予備バッテリーも充電していない。止む無くワイフのデジカメで撮影を続けた。
ディワニ・カースは貴賓接見室なので内部の作りは丁寧なものと思われました。正面左側のテラスには白と黒の大理石で出来たテーブル状の椅子がある。白大理石の椅子はともかく、黒色の椅子は世界でも珍しい黒大理石を使用しているのです。他の色は混じっていないように見受けました。腰掛けて記念写真を撮るインド人が多かった。ここもタージ・マハル廟の遠望が楽しめます。
ディワニ・カースの正面の庭側はディワニ・アームと呼ばれる一般接見室になっている。白大理石で作られた見事な建物で、柱が2本のペアーで構成されているのが建物としては珍しかった。ツアーメンバー全員で記念写真を撮る。これは100ルピーですが、記念に購入しました。 アグラ城


路上の物売り: その後はゆっくりと歩きながらバスに戻ったのです。城内はいい。しかしアマル・スィン門を出てから濠の橋を渡りバスに乗るまでが大変だった。手に土産品を持った物売りが大勢いて凄いアタックです。添乗員さんから事前に「絶対に買わないように」と注意があった。それで、ここも「上を向いて歩こう」の実践です。決して売り手の顔や商品に目をやってはいけない。付けこんで来る。

さて、全員がバスに乗った。出発直前に痩せたインド人の男が閉めかけたドアーを無理やり開けて乗り込んできた。バスの若い助手の制止も聞かずに後方の席のメンバーに大声を上げたのです。「(買った商品は) 200ルピー。カネ!カネ!」 誰か何か買ったらしい。現地ガイドさんらと多少のやり取りの後に、後方の女性メンバーが乗降口に行き、この男に200ルピーを渡した。受取るや男は直ぐに下車し、どこかに消えた。
思うに、本人が言うように、この女性メンバーは商品を買った時に売り手に代金は払った。
ところが、それを見ていた別の男(仲間?)がカネを取るチャンスに利用したのです。どのバスの何処に座ったかを見届け、頃合を見計らってバスに飛び乗り、ドロボーと難癖を付けたのでしょう。浅黒いインド人の顔をキチンと覚えれる観光客など少ないはず、逆に相手もそうです。例えこの男が実際の売り手だったとしても動機も結果も同じことなのです。
相手は自分の範囲内で全て計算づく、油断も同情も禁物です。
添乗員さんも 「だから、買うなと言ったでしょう!」 それ以外に何が言えます?

帰りのバスでミネラル・ウォーター2本(@20ルピー)を買いホテルでの使用に備えました。

ホテルで昼食と休息:
12:20 ホテル着。一旦は自室に入る。
12:45 ロピー集合。
12:50 レストランに行き、席に着いた。が、デジカメの充電を忘れていたので大急ぎで部屋に戻った。プラグアダプターを出し充電を開始する。出発まで2時間の充電で数十枚の撮影ができる。次の見学先タージ・マハルでの撮影が可能になるのです。
レストランに戻った。まずカレー味のベジタブル・スープ。それから大きな金属盆に数多くのインド料理の小鉢(10種類とナン)をのせたものが出た。これはインド風定食でターリー(Thali)と呼ばれる。幾つかの料理は口に出来ないので、結局は自分で大皿にとるバイキング形式の食事と大差なかったようです。 ホテルで昼食(ターリー)
13:30 昼食を終える。自室に戻り休息。
15:00 ロビーに集合。
15:05 ホテル出発。

タージ・マハル廟 (Taj Mahal):
15:15 タージ・マハル西門に到着。
15:25 手荷物と身体チェックの長い行列が出来ていた。1つは男性用、もう1つは女性用の簡易ゲートがあり、そこでバックは開けられ簡単なボデー検査がされる。どういう訳か、我々のツアーは行列につかず、ガードマンの案内で2つの簡易ゲートの間で検査を受けた。女性はそこから左の女性用に割り込みとなる。足元はゴミ・生ゴミが散らかり気持ち悪かったが、特急入場は助かりました。しかし、ワイフがなかなか来ない。女性はバックの中身まで厳重に調べるので時間がかかったらしい。

この西門と反対側の東門の中間に南門と大きな正門がある。 正門から中に入ってやっと有名な白大理石のタージ・マハルの姿を見る事ができる。しかし正面は大勢の人達で落ち着きません。左側の広場に行き、まずタージ・マハル廟を背景に全員の記念撮影となった。これはツアーに組み込まれたもので無料配布されます。その後、現地ガイドさんから各種の説明がありました。大体はガイドブックに記載されたような事柄でしたが、タージ・マハルのミナレットは垂直ではなく、左は93度、右は87度、3度づつ外に傾いているという説明は初耳でした。写真やテレビ画像では撮影地点によってその逆、つまり塔が内側に傾いて写るものも多いので、要注意です・・・。

16:00 一旦解散。各自で自由に見学となった。本廟と正門の間には一直線の池がある。その両側に遊歩道があり、写真を撮ったりしながらブラブラと歩く。中間点で池は途切れ、一段と高い舞台状の展望台がある。その位置の左右対称に赤砂岩の同じ外観の建物があった。1つは博物館らしい。ここにもインド人を主とする大勢の観光客が記念写真を撮ったりしてノンビリしていた。
またブラブラ歩きを再開、タージ・マハルの本廟前に着いた。一段と高い白大理石の基壇部に上がってから内部を参観したり一周したりするのですが、そこの階段の周辺には訪問客の靴が沢山置いてある。ここから土足厳禁なのです。靴を脱ぐか、靴の上から大きな上履きを履くしかありません。ツアーでは上履きが支給されていた。階段の手前でその紐を結び始めたら、インド人男性が直ぐ近づき「結んであげます」という。高々10ルピーのことなのだが、断った。(後日談:ワイフと話すのですが、高々10ルピーの小銭、お金のない人達には靴紐結びでも何でもやらせればよかった・・・、と後悔しています。)

そして白大理石の階段を登り、本廟の正面入口にできた長い参観者の行列に加わった。が、制服姿と思える立派な体格の男性が直ぐに来て、「付いてきなさい」と英語でいう。「ピッ、ピー」と何度も笛を吹いて人込みを掻き分けて中に連れて行った。そして左側の内壁でとまり、建物や壁の文様について懐中電灯で示しながら説明を始めた。「あなた、ガイドですか?」と尋ねたら、「公認(Official)ガイドです」という。この種のガイドとのトラブルは読んだことがある。ワイフが「時間が無いといって」と指示する。”We don't have enough time, and in a hurry.” これだけで通じた。顔をしかめて直ぐ離れていった。そのままガイドさせたら、法外なガイド料が請求されたかも知れません。万一そうなったら、「そんな料金を支払うかどうか、貴殿は私に確認しなかった」などと言って喧嘩腰の言い合いを延々としなくてはならなかったことでしょう。素直に当方の言う事を理解してくれたので、実はこちらが「特急で中に入れた」だけ得をした勘定でした。先方が「日本人にしてやられた」と思ったか「だめもとサービス」か、知る由はありません。

本廟内ドーム真下のムムターズ・マハルの石棺は大勢に囲まれゆっくりできません。棺の上に吊り下げられた装飾ライトが妙に印象に残りました。実はこの石棺はレプリカで本物はムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンの石棺と共に地階(実際は1階の基壇部)にある。石棺と入口の間に地下への階段があった。降りることは出来ないので、覗いて賽銭を投げ込むインド人の姿がチラホラありましたネ。覗くと階段下部の薄暗い奥に石棺らしきものも見え、階段上には小銭が沢山ありました。ついでながら内部の写真撮影は禁止です。
外に出て、ホッとしました。本廟内は暑くて汗が猛烈に出たのです。私はこの種の閉じられた場所の高温・高湿に極端に弱く、体調を崩すことも多いのです。心配になりました。

それからタージ・マハル廟の外側を一周した。白大理石をベースに装飾が施された建物はやはり見事でした。「装飾類は大雑把で期待ほどではなかった」とする記述も読んだことがあるが、私には綺麗な建物という印象が強く残りました。本堂の左右に対称に配置されたモスクも赤砂岩で作られているとはいえ立派なものでした。完全に対称形の建物とその対称的な配置は見事なものと言えるでしょう。裏側のヤムナー川の風景も広々として印象に残ります。アグラ城は丁度逆光で撮影できず、残念でした。
16:35 正門近くの集合場所に戻る途中、お腹の変調がありそうな予感がした。早すぎるかも知れないが、「マルピー下痢止めS」を念のため服用しておいた。
16:40 集合場所で休んだが、正門からは西側になる離れたトイレに行った。古い設備でしたが汚れてはいない。請求された感じはなかったが、トイレ番に10ルピーを渡しておいた。
16:45 集合。 タージマハル廟
16:50 東門からタージ・マハルを出る。ここの街側は土産屋が沢山あった。迎えのバスは白塗りの観光バスではなく、東門と観光バス駐車場のシャトル・バスだった。

大理石の店:
17:18 大理石の店に到着。建物は実に大きく、装飾の施された立派なものだった。
白大理石に数ミリの彫り込みをつくり、はめ込む数ミリの厚さの色石を加工する工房を見学。ここの伝統的な工具類はデモンストレーション用で実際には大量加工が可能な工場で作られている、と邪推しました。しかし人件費の安いインドのこと、手作り工芸品であることに間違いはないでしょう。
次に商品陳列した店舗に移動、広くて商品数は驚くほど多かった。大型のテーブル・トップから小型の飾り皿や小物入れまで、全て白大理石をベースにオレンジ、グリーン、ブルー、レッド等々の色石(貴石・半貴石などらしい)で様々なインド的文様を描いた綺麗なものでした。まず、店の人の商品説明があった。オレンジ色の石は光を通すが、ブルーのラピスラズリなど他の色石は光を通さないとか・・・。日本への発送方法の説明があり、それから店内解散になった。

白大理石のベースに色石をはめ込む象嵌細工はアグラ城の宮殿の壁やタージ・マハルの本廟の装飾に用いられている。色石の部分に本物の宝石を使う場合もあるようです。これはインド独自の工芸技術の一つかも知れないと思いましたが、どうでしょう。

何か小物を買うつもりで物色した。箱物よりは飾り皿に興味があった。大きいものは持ち帰るのに重く、破損の危険も高まるので、直径20cm程度のものでシンプルなデザインのものにした。値段は US$100.00余だった。が、その皿の周辺は薄汚れ、白大理石の魅力が減じられている。決めずに他を探す。離れた棚に同じ図柄のものが2枚あった。こちらは汚れが全くない。値段も US$135.00 で汚れたものよりも高い。しかし、これにした。英語を話す若いインド人男性店員と値切り交渉に入った。「米ドル・キャッシュで払う。いくら値引きする?」「その場合は10%オフ。US$121.00でどうか?」「US$120.00なら買う」「OK」 交渉成立だった。そして別の展示室にある会計に案内された。丁寧に包装しジュート製らしい小袋に入れてくれる。ピン札で120ドル支払った。例によってレシートは出ない。この店員は「何か言いたい事があったら、あそこの人がボスだ。ボスに言ってくれ」と妙なことをいう。

時折、一言居士になる私としては、何か言う事がないか探してみた。「インドではレシートを出さないが、領収書は必ず発行すべきだ」と言っても、インド国会で法制化されないと出来ないことでしょう。ここのボスにいっても仕方ない。近づいて、「チト物もうして宜しいか?」「なんですか」「商品の値段票は裏に貼ってあるので、客には幾らか値段が分かりづらい。一目で分かるように、商品の前に価格を表示してほしい」「言う事は分かるが、実は・・・」と商品棚に行き飾り皿をとりだした。「価格表示は確かに裏側です。しかし、この価格票を表に貼ると、価格票の接着剤が表面についてしまう。だから表に貼れないのです」「なるほど。しかし別の方法で価格が直ぐ分かるようにすべきですよ」「・・・」。実は、ここに限らず、インドの商店は値段の表示がなかったり分かりづらいことが多いようなので・・・。チョットした無料アドバイスかな。余計なお世話だったかも・・・。
先程の男性店員が笑って近づき、棚の商品を取り出しては裏側の価格をみせ、私にセールスを始めた・・・。 大理石の店
18:00 大理石の店を出る。
18:05 バス、出発。

ムガール・シェラトン・ホテル (Mughal Sheraton):
18:20 ホテルに到着。一旦解散となり、各自の部屋に戻った。
( 注: このホテルは、朝(アグラ城観光の前)と昼(タージ・マハル観光の前)に食事と休息に利用しました。このページに夫々簡単な記述があるので、必要なら御覧ください。)
19:00 朝食と昼食をしたホテルのレストランで夕食。写真もメモも忘れましたが、バイキング料理でした。飲物はビール(ライト)。食後のコーヒーを甘くしたら満足した記憶がある。
19:45 部屋に戻る。快適なホテルで気持ち良く過ごせた。
22:00 就寝。
ムガール・シェラトン・ホテルの写真(部屋、展望台、前庭など)は全て1頁にまとめてあります。 ムガール・シェラトン・ホテル
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