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旅行記|インド、北部の文化遺産めぐり ( 2005年3月2日〜9日 )
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簡単な行程メモに写真を掲載した旅行記を考えていたが、書き始めたらそれよりは詳しいものになったようです。記憶に残っていることや資料やオンラインで調べたことを順に記し、テーマ毎の写真頁を呼び出す北行庵スタイルなってしまった。インド旅行から帰国して間もなく書き始めたので、下書きは早くまとまりました。
欧米文化よりも親しみの少ないインド文化、それを5泊6日の旅行で表面的に見て回ったに過ぎません。それでも体験は単なる知識習得と違い、正に「百聞は一見にしかず」、帰国時にはインド・ショックらしきものがありました。旅行記を書いているうちに、次第に嫌な面を思い出さなくなったので自分でもホッとしています。多分それでいいのでしょう。住む訳ではないのですから・・・。

インド旅行から帰り、疲労が予想外に深いことを知りました。疲れが取れたと感じるまで1週間もかかったのです。時差はたったの3時間30分で大したことはありません。見学で体力を使ったとしても、これはパックツアーの常識の範囲内でした。チョットしたお腹の変調を除けば体力を消耗するような病気にもならなかった。デリーからの帰国便では3人掛け座席を2人で使用したし、国内便も楽でした。以前参加したツアーに比べて特に疲れる理由も見当たらないのです。結局はインドでの旅行経験が精神的な疲労として残ったとしか言いようが無い、と思います。

写真を御覧になった方はお気付きかも知れませんが、食事は同じようなものを毎日毎回食べていたようです。多少は変わった料理を皿に取ったはずですが・・・。インド到着当日の夕食と後日のインド定食ターリーを除き、全てバイキング形式でした。「同じ物ばかり」と苦情の1つでも出るかと思っても、誰も何も言わなかった。当初から諦めていたのでしょうか?
インドは多人種・多文化の国なので料理も多様なようです。例えば、ヒンドゥー教徒は牛肉は食べず、イスラム教徒は豚肉を口にしない。細かく言い始めるとキリがない。そこでインドでのパーティーは参加者が自分の食べたいものを皿に取るバイキング形式で行われるのが一般的なのだそうです。 それなら、自前ながら、名実共々お客様だったのです。

本文中でも書きましたが、飲物と食物には用心が必要です。生もの、水、氷、アイスクリームなどは避けて火を良く通した料理を食べるようにする。インド旅行情報には「ホテルの水泳プールで泳ごう」というのも見ましたが、我々が入手した現地情報は「アメリカ人旅行者ですら赤痢を恐れて水泳プールに入らない」というものです。実際、プールで遊ぶ姿は1度も見なかった。用心が肝要です。

普段は記録魔ではないが、海外旅行ではデジカメ写真の撮影で忙しく過ごすことが多い。バスで移動中も車窓の風景をかなりデジカメに収めるのですが、インドではその種の風景写真が極端に少なかった。理由として、バスのスピードが速い上に道路の舗装状態から揺れが酷くてブレるのです。車窓撮影した風景では使える写真など無いに近い結果でした。
観光先ではカメラ持込料を取られることもあるが、日本的感覚からは安いものです。ビデオは必ずといえるくらい持込料を徴収されます。インドでは貴重な文化財を維持する資金源になるのでしょう。

インドは1度旅行すると「2度と行きたくない」人と「ほれ込む」人に明確に分かれるそうです。人によっては「インド旅行で人生観が変わった」とまで言うらしい。私の場合、インド・ショックらしきものは味わったし、疲労の度合いが他のツアー以上でしたが、インドの混沌は貴重な体験観察だったと思っています。時間を置いてから結論づけると、今回のインド旅行は全体として「 いろいろと面白かった 」と言えるでしょう。ワイフは私よりネガティブな印象を持ち帰ったようですが、それでも「 珍しい経験 」だった、といっています。

とにかく無事インド旅行を終え、出来・不出来は別として何とか旅行記もまとめました。これにて私のインド旅行もやっと完結です。 この旅行記の最後までお付き合い下さった方には感謝申し上げます。また、同行の方々や添乗員さんには道中いろいろお世話様でした。

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インドの世界遺産や他の文化遺産を見てしまうと、日本の歴史的遺産は残念ながら規模が小さいように思えます。大阪城の石垣などインドの赤砂岩の城砦に比べると緻密さにおいて劣るような気がしたものです。ウクライナ山脈から南下して最終的にインド亜大陸に到達し定住したらしいアーリア系に始まり、イスラム教のトルコ系民族やペルシャ系などが土着民族と交じり合った文化は、やはり日本の「木造り文化」とは異なる「石造り文化」なのでしょう。日差しを遮り風通しを良くする赤砂岩の透かし彫り、白大理石の基盤に色石で文様を描く象嵌細工、宝石までも建築物の装飾に使用する大胆さ、等々見聞するものが何かしら違うのです。そしてタージ・マハルに代表されるインドの石の文化遺産が今日でも輝いているのです。その基礎として石造建築の技術があり、建物の装飾を作る工芸的な技巧も存在したのです。さらに、インドには歴史的な天文学もあり、その前に有名なインド数字というべきものがある。ゼロの導入で桁取りが容易になり、筆算を簡単にした世界的な発見です。しかし、歴史に残る理化学的な才能と数多くの城砦から垣間見ることが出来るインド人の「闘争心」、両者が相携わって豊かな国造りが行われたであろうか? この種の疑問に答えるのは難しいはずですが、私なら直感的に「否」となる。多分、宗教に基づく社会システムがインドの長い歴史において科学技術的な才能と巧く噛み合わなかったのだと思います。そのような哲学または思想でなくてはインド亜大陸の自然環境に住む人々に受け入れられなかった。多くの日本人にはどうしても大きなギャップを感じてしまう所以かも知れません。
近年は BRICs(ブラジル、ロシア、インド、チャイナ) が経済的に急発展しそう、ということで束ねて注目されているようです。将来は欧米文化(特に経済思想)が庶民段階まで影響力を持つようになり、インド社会にも大きな変化があるかも知れません。この程度にしか分からないのが残念といえぱ残念です。
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