旅行記|イタリア・ルネッサンス紀行9日間( 2日目 /3月30日)
ミラノ観光→ベローナ観光→ベニス着
表紙 | 始めに | 行程表 | 1日目 | 2日目 | 3日目 | 4日目 | 5日目 | 6日目 | 7日目 | 8日目 | 9日目 | 後行程 | 終りに
前頁に戻る 目次:行程表 次頁に進む
◇◆◇
起床からホテル出発まで:
時差の関係であろう、5時50分に目覚め起床した。 ミニバーのミネラルウオーターを1本あけ、備品の電気ポットで湯を沸かした。これがイタリアで電気ポットなる文明の利器を使用する最後となった。このホテル以外、イタリアで利用したホテルに電気ポットは備えられていなかったのだ。持ってきたインスタントコーヒーに砂糖とミルクをたっぷり加えて飲む。これが無いと私の1日は始まらない。

6時ごろ、見事な朝焼けを伴いながらイタリアの太陽が地平線から昇った。部屋の窓からご来光が良く見えたのでデジカメで撮影した。大きいビルがポツポツ、その他は低層の建物と木々が見えるだけだった。都心部のホテルではなかった。

6時45分にモーニングコールの電話が鳴った。今晩はべニスなのでパッキングをする。スーツケースに不要なものは全て戻し、薬など必需品のみショルダーに入れた。イタリアの枕チップは1人1ユーロなので、2ユーロ置く。部屋に戻らなくて済む状態で廊下に荷物を出した。そして、ロビーでチェックアウト。飲み物の代金だけだった。同行の人達は挨拶ていど交わすのだが未だ互いに慣れていない。

ロビー奥のレストランはビュッフェ朝食だった。牛乳、ヨーグルト、薄切りハム、ソーセージ、卵、野菜、フルーツカクテル、パン数種、等々少量で種類多く皿にのせた。ハムも極端に塩辛くはなく、ソーセージは日本のものと大差ない。煮付けた野菜は良いが、生野菜サラダがないのは珍しい。どれでもパンは美味しかった。小型の食パンを薄切りにしてトーストにしたものが袋詰になっていた。これは夜食用に頂戴した。食後のコーヒーは、美味いイタリアン・コーヒーの夢を砕いたごく普通のものだった。

出発までは20分ぐらいあった。ロビーで待つ。ツアコンのKさんと顔を合わせたら、
「昨夜は問題ありませんでしたか?」
「涼しすぎたので、ホテルの人に毛布を持ってきてもらった。」
「エッ?私しか電話番号を知らないはずなのにッ!」
このホテルの電話機は Operator ボタン以外を明示していない。普通なら House Keeper に頼めない。それでも 自分の用は済ますノウハウが私にはあるのだが、彼女は未だ知らないでいる。

ホテルの外に出て外気を吸った。気持ちよい朝だった。入り口の横にはベニシタンが見事な大きさに育っていた。 我が家の庭にも数本あり馴染みの低木植物だった。嬉しくなった。他にも純粋な黄色の花をつけたバラに似た植物や ボケのような赤い花を沢山つけた木もあった。葉も瑞々しく新しく、春爛漫の気配がした。

8時15分、バスが入り口に止まり、運転手がスーツケースを床下の荷物室に入れていた。間もなく出発である。
ミラノ市内観光出発:
バスは予定通り8時20分に出発した。座席は自由に選んで良いが、毎日座る席を替えるようにツアコンは指示した。また、大切なもの以外はバスに置いて観光してよいが、運転手のPさんが何時もバスで待機している訳ではなく、食事やお茶でバスを離れることもあるので盗難の備えは自分でするしかないとのことだった。

路上駐車: 市内を走りながらKさんは話し続けた。道路の両側には小型の乗用車が隙間無く並んでいる。歴史的な街並みを保存しているために車庫がない。誰しも青空駐車である。イタリア人は広い道路を大昔から作ってきた御先祖に感謝すべきです。それでもスペースが狭いので「パンパーはぶつけるためにあり」となる。駐車・発進の際に前後の車に接触させても平気という。昔のニューヨークでも古い高層アパート街は同じだった。ただ理由は異なり、経済的に車庫付きアパートに住めないからだが・・・。イタリアの都会人は洗車しないという。従って汚れ放題の車が多い。雨が降ると綺麗になるそうだ。おおらかな感じである。日本ではピカピカに磨かれたベンツやBMWでさえも、凸凹傷だらけなのも意外に多く走っている。お国柄の違いがよく出ていました。また、ラジオなどの装置は一々取り外して持ち帰るそうです。駐車中に盗まれてしまう。クーラーも取り付けていない人が多いとも聞きました。これは盗難のためではなく、イタリアの夏は乾燥していて何とか凌げるためのようです。

緑の葉を沢山つけた並木道は露天商人が商品を並べて準備をしていた。そんな時間帯でした。バスは大戦の空爆で破壊され新しく復興した街や古いままの通りなどを走り、ミラノの有名観光ポイントに到着しました。

スフォルツァ城( スフォルツェスコ城|Castello Sforzesco ):
バスは城正面入り口の左側に停まり我々を降ろした。徒歩でスフォルツァ城を見て裏口に出る予定である。ここで女性現地ガイドが合流した。1974年にイタリアに来た日本人女性だった。 イタリアの観光ガイドのシステム: 少々複雑である。ガイド役と名所旧跡の説明はイタリアのガイド資格のある人にだけ許されている。資格試験に合格しなくてはガイドになれない。理由はともあれ、日本人は外国語が不得手ともっぱら自認しているのだ。これではイタリアのガイド資格は難関となり合格しない(言葉以外の理由も想像可能)。ならば便法を活用することになる。日本人ツアコン・観光客と現地ガイド(有資格・イタリア語)の間に現地ガイド(無資格・日本語・イタリア語)を置くのである。実際は日本語を話す無資格ガイドが有資格ガイドの監督の下に我々をガイドするのである。結果としてツアコンと現地ガイド2名の3名が案内することになる。
日本人が日本人観光客のグループを案内し説明していたらどうなるか。直ぐ警官がガイド役の日本人に資格の有無をきく。免許がなければ・・・。という事でした。
2003年6月3日追記: 今年5月のスイス・ドイツ旅行の添乗員さんに伺ったところ、このイタリアの観光ガイド制度は、欧州でもスペインなどの経済力に問題があるラテン系諸国とギリシアで共通しているそうです。自国民に仕事を与えるためのようです。スイスとドイツではこの種の規制的法律がなく、日本人添乗員さんが何処でもガイド役を務めました。)

スフォルツアァ城は1466年に完成した要塞ミラノ公国を支配したスフォルツァ家に由来する立派な建造物である。今は外堀に水はなく、往時の跳ね橋の場所には道が造られ、古城の建物が市立博物館として使われている。まず正面入り口の塔の前で何かと説明を受けた。私はデジカメ片手にブラブラで、ガイドにとっては出席拒否の不良観光客だったでしょう。

スフォルツァ城内(ミラノ市立博物館):
正面の塔の下を潜り広大な中庭に入った。現在は改修工事が行われていたが、無数の銃眼が作られた建物や円筒状の両脇の塔などはよく観ることができて、重厚な要塞だったことを知る。銃眼は鳩の巣になっているそうだが・・・。

ガイドにつづいて、後方の美術品展示部に入った。狭い通路を奥に行く。途中には地階部分が吹き抜けになっていてタツノオトシゴのような彫刻が飾られていたりした。古城の雰囲気が伝わってくる通路だった。有名と言われるミケランジェロの彫刻「ロンダニーニのピエタ」は左側の小部屋に置かれていた。ミケランジェロが制作したピエタ4彫刻の最後のものと言われる。聖母マリアは崩れ落ちるような立像のキリストの後にいる。ピエタとは我が子キリストの死を嘆く聖母マリアの像だが、聖母マリアは若い感じに作られていた。処女神話に基づき加齢しないようである。この展示室そのものは改築され真新しい感じであり、ピエタを見つめるミケランジェロの頭部像が壁の台座に置かれていた。

フラッシュは厳禁だが、写真撮影は禁止されていないそうである。照明されているのでピエタ像は良く撮れたと思う。誰か日本人がフラッシュを光らせた時のガイドの怒りはすごかった。現地に長く生活していると、観光客の無作法(本人はたいしたことではないと思っている)も日本人全体への非難として跳ね返ることもあるのだろう。(実は私も後日ポンペイで叱られた。)

スフォルツァ城・裏手: 美術館1階を出て右に行くともう城外の涸れ堀である。 ここで10分くらい写真タイムで各自好きに過ごす。土産露店が数軒でていた。そのずっと先に白バイ3台が停まっていて、こちらに向って動き始めるところだった。デジカメを向けたが間に合わず後からしか撮影できなかったのは残念である。左手には崩れかかった年代物の壁が緑に囲まれていた。歩いて行くと今度は騎馬警官が2人こちらに馬を向けた。これは上手くデジカメに納めることが出来た。警官は男女のペアーで婦警の方はこちらに笑顔を見せてくれた。気付いたワイフは大急ぎで「いっしょに写して!」。騎馬警官は通り過ぎたが何とか間に合った。ロンドンの衛兵と同じく観光用でしょうか?

関空・ヒースロー間は近くの座席だった絵描きグループが小型のスケッチブック携帯水彩具を出してスフォルツァ城を描いている。上手い下手は別にして、サッとスケッチして彩色を施す。その熟練に感心した。この国では全てが画題になろう。後方、遥か遠くに「平和の門」と呼ばれる巨大な凱旋門が見えた。そろそろ時間となり城の裏手の道を行きバスに乗った。

移動と土産屋:
バスで街中を移動し日本人向けイタリア土産の店で停まった。 10時15分頃だった。実は38人の団体となるとトイレ休息が必要だが街中には適当な場所がない。それで適当な間隔で商店ドライブインに立ち寄るしかないのだ。ヴェネチアのガラス製品やイタリアブランドのもの、そしてフランスのリモージュ製品などまで置いてある。店員も客も日本人ばかり。適当に店内を見て外に出た。水彩画を描く人は外で懸命に筆を動かしていた。そこを後にして、10時45分頃にゴシック建築として名高いドゥオーモ(大聖堂)の裏側に着いた。
ミラノ大聖堂とアーケード:
前方には数え切れない尖塔が天に向う大聖堂が半分ぐらい見えた。そして幾つもの団体観光客がガイドから説明を受けている。ミラノ1の名所であり、物売りや悪さをするジプシーもいるような話は日本でも聞こえていた。聖堂横には警察の車両や白バイが幾つも置いてあり警戒が厳しいことを伺わせる。ガイドの説明はそこそこしか聞かず、聖堂の写真を撮りまくった。屋根は工事中。天幕で覆われたところもあり、写真には最高の状態ではなかった。しかし「天にまします父なる神」に少しでも近づきたいという古の思いは伝わってくる。

正面の広々としたドゥオーモ広場、左にはカフェテラスなどが並び、右にはエマヌエーレII世ガッレリア(アーケード)がある。広場正面の遠くには大きな銅像があり人が群がっていた。大勢の観光客、物売り、地元の人たちがいる。鳩が沢山いて餌をねだる。それで鳩の餌を売る人がいる。ドゥオーモに鳩は止まらない。止まれない。何故なら、むかし鳩が止った所には釘状の針金が立ち並べてある。これで鳩が建物を汚すことも爆弾を落とすこともなくなった。動物愛護団体もさすが文句はつけないようである。

広場を横切りアーケードを歩いた。両側はブランド店やカフェテラスが並んでいる。ほぼ真ん中でアーケードは十字形 になるが、そのまま進んでスカラ広場にでた。広場の向こうにはオペラで有名なスカラ座がある。オーストリア帝国のハプスグルク家が支配していた時代の建造物で、被支配者としての遠慮で実にジミで質素な外観だった。スカラ広場の中央にはレオナルド・ダ・ビンチの立像がある。大天才の銅像と共に写真をとり、またドゥオーモ広場に戻る。アーケードの人通りはかなりのものであった。もしフリープランの旅行ならここのカフェテラスでコーヒーにしたであろう。再度ドゥオーモの正面に近づき、今度は内部を簡単に拝見した。1時間半をドゥオーモ地区で過ごし11時50分頃にバスに戻った。

日本でも良く知られたレオナルド・ダ・ビンチの名画「最後の晩餐」はミラノにある。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会にある。見学希望者が多すぎて入れないと云われ、ツアーの予定にも入っていない。あるウェブ旅行記で読んだのだが、早朝に起床し7時頃には教会に行かないと入れないという。有名観光ポイントにはこの様な状態の処があるので自由旅行型の人たちは事前の注意が肝要のようだ。後で知ったが、バチカン博物館もその1つだった。
昼食:
約10分のバス移動でレストランに到着した。初めて本場のリストランテである。食事そのものは旅行社で手配済みだが、飲み物は自己負担である。ビールやワインの注文も結構あったが、我々はミネラルウォーターにする。ワインの普通瓶750mlが7〜8ユーロのようだったので、3〜4人で飲むと水と同じである。まずピラフのような米料理だった。それなりに美味かった。薄くたたき延ばしたポークの「ミラノ風カツレツ(超薄作りのカツ)」がメーンである。イタリア名物ともいう。これは珍しくもあり味もよかった。そしてアイスクリームのデザートでおわり。全体的に薄味で食べ易いので助かった。もっとも日本人団体客向けの味付けかも知れないが、この点は何とも言えないのだ。
ここで団体旅行のルールを知った。食事中もポツポツ交代でトイレに行くのだ。「トイレは食後」なら、38人が済ませる必要時間はかなりなもの、貴重な時間の無駄遣いなのだ。そして、Men'sはLady's兼用となるのも初めて知った。通常、Lady'sは長蛇の列である。
1時15分頃にリストランテを後にして広場の反対側に駐車していたバスまで歩いた。歩道はイヌの排泄物がそのままで実に歩きにくかった。この処理に関しては日本の方が進んでいる。近くの緑多い広場の角に雑誌類を沢山ならべたキオスクがあった。こんな住宅街でもチラホラ客が立ち寄っていく。
ミラノからベローナへ:
ここでミラノにお別れし、バスは高速道路をひたすら東に向って走ることになる。ベローナまでは約160Kmもあるそうだ。3時まで走り続けベローナの手前の比較的大きいドライブインで30分の休息になった。
ここのトイレは有料だった。説明に従い1人0.5ユーロ渡した。一般的に有料トイレは1人0.2〜0.5ユーロである。その後バールでカプチーノを飲んだ。日本とは違い、まず入り口近くのレジで「Two カプチィ−ノ」と怪しげな言い方で注文。カプチーノは1.19ユーロなので2.38ユーロ払ってレシートを受け取る。「アリガト」と云われる。このレシートが食券で、バールの係りに渡すと作ってくれる。砂糖をたっぷり入れたら美味しく疲れがとれた感じがした。
しかし珍しさも手伝って買い物も少しした。全体としてたいした品も置いていないのだが、パスタを5袋買うと1袋おまけで6袋手に入る。これで釣られた人もいた。イタリア最初のショッピング・チャンス。皆さん、うずうずしていた。たいして金が要る訳でもなく面白いのだ。ワイフは棚の下の方にあった「イタリア産の塩」の袋を見つけ、2つ買ってみた。帰国後に使用したら日本の塩とは違いマロヤカな塩味なのだ。塩分以外の成分構成が違うのであろう。
ベローナ観光:
また高速道路を走る。ベローナの市街地に入った。輝く春の日差しのなか、古い凱旋門など幾つかの歴史的建造物の傍を走り、アディジェ川の橋を渡った。川沿いの道を東に南に走った。再びアディジェ川を渡り、バスは我々を下ろした。

午後3時40分頃、道は観光客でお祭りのようだった。そして川の北側の丘が陽に輝いていた。ゾロゾロと川沿いに北上し左折して細い中世の道に入る。直ぐ観光的ロミオの家と云われるバルコニーのある古い建物になった。学問に来た訳ではない。ロミオはこんなところに住んでいたのか、と感心しデジカメを向けた。その先はもうスカラ家の敷地沿いになる。左に曲がり数十メートル先はスカラ家の入り口だった。玄関の上に石棺が置かれているとか、住居の前庭が墓所で奇妙な建造物の巨大な御墓が2つあるとか、ミラノのスカラ座で知られるロンバルディアの名家は個性的だった。家紋は「丸の中に四段の梯子(スカラ)」だそうで墓所の鉄塀にも用いられている。ここからシニョーリ広場に行く。ダンテの像があり、周りは由緒ある古い建物に囲まれている。東側には古代ローマの道路が残っており、中世から現在に至る地表との段差を見せていた。

行政府の建物に囲まれた感じのシニョーリ広場から外にでる。カフェテラスで狭くなった道を通り抜けるだけで露天商が処狭しと並ぶエルベ広場となった。ここで自由時間となった。北側奥に塔があった。その近くまでブラブラと歩いてみる。ヴァチカンのサンピエトロ寺院のように塔と並ぶ建物の屋上には人間の彫刻が立ち並んでいた。そこから右方向は商店街となっている。露店集落に戻りアイスクリームを買った。1個1ユーロだった。外の椅子に座る。とにかく外のほうが気持ちよい。直ぐ近くの八百屋で数名のイタリア婦人が買い物をしていた。この八百屋の品は一見しおれて新鮮味がないのだが・・・。無農薬栽培の野菜だそうで、水に入れると直ぐ新鮮味を取り戻すとか。見た目には新鮮な野菜を並べた露店に客は寄っていない。そういうものかもしれない。

時間なので集合場所に移動し、今度はジュリエットの家に行く。通りから引っ込んだ中庭風の小広場は満員電車に近い人の数だった。家の中を観る時間はなかった。古い立派なツタが有名なテラスの斜め向かい側に生えていた。広場の壁は至る所が落書きだらけ、記念に名を書き残す人が多いのであろう。驚くほど高い場所、手の届かないレンガにまで書かれていた。自由時間は5分、適当に過ごして皆さんと一緒にそこを後にした。観光ポイントは数多くあったが、中世の街のことで地域的に狭いので歩く距離はたいしたことはない。全部で1Km余も歩いたであろうか。今度は少し離れたところまで行く。

途中で1人いないのが分った。ツアコンのKさんがあわてて探しに戻った。ジュリェットの場所で見つかったようだが、その女性はスリの被害に遭い現金とカードを盗られてしまったのです。金は小額だったが、カードの紛失は直ぐ届ける必要がある。慣れたツアコンが手続きを手伝うことになった。当人は観光初日の出来事でショックだったであろう。我々は逆に他山の石として気を引き締めることとなった。

商店街などをかなり歩き、今日も実用になっている古代ローマの遺跡アレーナに行く。アレーナと市庁舎を見れる広場から眺めただけだったが、古代遺跡としては保存状態が良いのは外観からも察しがついた。中に入り最上部を歩いている人たちも大勢いる。ここで行われる毎夏7〜9月の野外オペラは世界的にも有名といわれる。2万人もの観客席があるそうで古代遺跡なのにすごいものだった。

再び歩き、大通りで待っていたバスに乗った。中世を残したこんな街でゆっくりと歴史散策と研究でもする日本人がいたらその人は幸せだ、と思った。大き過ぎず、小さ過ぎず、国際都市からは離れ、といっても訪問客で賑わっている。そんな浮世離れした街での生活は面白いでしょうね。実行している人もいるかも知れません。

ベローナからベニスへ: 5時20分に発車した。小さな町のことで直ぐ郊外になり高速道路にのる。葡萄畑など北イタリアの風景を楽しみながら走った。有名な運河の街ベニスはイタリア本土から離れた島にある。バスはそこには行けないので今夜は本土にあるホテルに投宿することになっていた。その前に夕食である。

ヴェニスの夕食:
DA BEPI RISTRANTEという家族経営の海鮮レストランに案内される。入り口の右側は厨房で、左側に2部屋があった。その1つは我々のグループでいっぱいになった。丁度よい広さで日本人団体客が多い店と思われた。さっそく飲み物の注文である。ミネラルウォータである(夕食なのに情けない・・・。)パンとパスタが出てきた。パスタはきし麺のように平らなものでグリーンピースが添えられている。特に感激する程の事はない。メーンディシュは小さいチキンレッグだった。ポテトが付いていたが手がでない。サラダが出たのでホッとした。ここもパンは美味しかった。
流しの歌手らしい(この店の人かも)が隣の部屋で民謡を歌いはじめた。デジカメで撮影しようとしたら電池切れとなりチャンスを失した。既に1280X960ピクセルで100枚以上を撮ったのでやむを得ない。
最後にレストランの人とツアコンのKさんが飲み物代をテーブル毎に集めて歩いた。ミネラルウォータは1瓶2.2ユーロだった。この後すぐ店をでた。ツアコンは支払いがある。暫くは待たなくてはならない。

外は何となくひなびた港街の雰囲気だった。レストランの両サイドはホテル、他にも付近のあちこちに小さいホテルの看板があった。しばらくしたらバスが来た。

ホテル: 丁度9時に Hotel ALBATORAS に到着した。ホテルで下車する前に「ミネラルウォーター、1瓶1ユーロ」と云われる。バスの運転手が販売するのだ。安いので3瓶かった。急いで全部飲む必要はない。あまったボトルを明日のバスに持ち込み水筒にするだけである。バスに積んだスーツケースはホテルが部屋まで運んでくれる。
ロビーにて明朝の予定が伝えられた。モーニングコール6:45、朝食7:30、出発8:15。そして万一の連絡先は206という。
もう1つ、大切なことがあった。この旅行記の最初のページで説明したが、イタリアの冬時間は今日で終り明日から夏時間となる。時計を1時間進ませる。今日30日は1日23時間の短い日となった。 散会。
入室後は直ぐデジカメの写真を整理する。撮影した写真の中にはブレ・ピンボケ・露出不適正など失敗作も 混じっている。消去してスマートメディアの容量を確保した。そして充電用のプラグを差し込んで明日に備えた。実は部屋に使えるコンセントがなく洗面所のドライヤーを外して利用した。デジタル情報化の時代なのだから、たとえスタンダードクラスのホテルでも多少は考えて欲しいものです。
昨日のホテルとは違って電気ポットが無かった。実は昨日が例外で、イタリアのホテルでは電気ポットは備えられていないようである。 ミネラルウォーターで我慢した。
シャーワーの後は熟睡するのみ。

◇◆◇
HOME旅行記集イタリア旅行記・トップ当ページ(2日目)
前頁に戻る This Page Top ▲ 次頁に進む