旅行記|イタリア・ルネッサンス紀行9日間( 3日目 /3月31日)
ベニス観光(ゴンドラ遊覧など)→フェレンツェ着
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起床から出発まで:
6時には目覚めた。電気ポットがなくて朝のコーヒーを飲めないのが物足りない。ワイフは未だ風邪が抜け切らず咳をかなりしていた。しかし手持ちの風邪薬を服用しながら我慢するしかない。幸い頭痛と発熱はなかった。
今日は復活祭(イースター)、そして今日から夏時間で日没が1時間遅くなる。
7時30分に部屋の外にスーツケースを出し、その足でロビーに行く。部屋の鍵をフロントに返し、レストランでビュッフェスタイルの朝食にする。肉類は少なめ、乳製品・果物・パンを主にした。パンは美味しかった。
港へバス移動:
バスは8時30分にホテル前を出発した。ヴェネチア本土側の海を眺めながら15分間のドライブで貸切ボート乗場に着いた。ボート担当のイタリア人男性が出迎えて乗場に案内した。
ボートでサン・マルコ小広場近くに:
38人が乗船するとほぼ満席になるサイズだった。8時50分過ぎに動き出し、外航の大型フェリーが停泊する港からジューディッカ運河を通ってサン・マルコ運河に出た。9時10分にサン・マルコ小広場近くの船着場に到着した。有名な運河の街ベニスは、ジューディッカ島という本土から離れた島そのものなのだ。
ゴンドラ遊覧:
ボートを降り、陸で説明を受ける。これからゴンドラ乗場に行くが「途中の写真は禁止です。サッサと歩くように。」 ツアコンは言葉どおりサッと早足で歩き出し、我々は懸命についていきました。既に祭りのような人波で、グループから逸れたら大変です。私は時々離れてデジカメを使ったがツアコンはご存知ないはず。「溜息の橋」など良い写真が数枚は撮れました。もっともワイフにはしかられましたが・・・。サンマルコ小広場の前を通り過ぎ、露店がある運河沿いの道を更に歩くと突き当たりにゴンドラ乗場があった。

暫し待たされる。赤いストライプのシャツを着た漕ぎ手のゴンドラが次々と集まってきた。5人1組で1艘に乗る。下船の時に1人1ユーロのチップを箱に入れるように云われたが、あいにく小銭がなかった。両替するところもない。同じゴンドラになった絵グループの女性から2ユーロ借用させて頂いた。我々のゴンドラは9時35分に出発した。対岸のサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会に向って漕ぎ、右に曲がってカナル・グランデ沿いに動いた。少し先で右側の細い運河に入る。両側は随分と古く傷みの激しい建物が続き、水面近くには牡蠣の一種とも思える貝が沢山ついている。かなり以前に訪問した人から夏のゴンドラ遊覧は暑くてひどい悪臭と聞いていた。今は気温も低めの春、無臭に近く、その種の不快感なしにヴェネチアの光景を堪能できる。この地は夏以外が良いのかも知れません。幾つもの橋をくぐり抜け、出入りはゴンドラのみのホテルの前を通り、窓から我々を見下ろすカップルと手を振り合っていたら観光客の多い場所に出た。細くクネクネした運河を一回りしたのだった。そこから外の大サン・マルコ運河は直ぐだった。自由の女神の原型のようなものが出口にある。もうゴンドラ乗場の直ぐ近く、30分余の遊覧を終え、10時10分にゴンドラを降りた。チップ入れの箱は見当たらないし、誰も漕ぎ手に直接は渡さない。我々も払わずに降り、借りた2ユーロはお返しした。サン・マルコ小広場まで戻り、現地ガイドが来るのを待った。

ドゥカーレ宮殿:
日本語を話すヴェネチア生まれのイタリア人男性ガイドが来た。日本に住んだこともあり、今でも時には訪日するようである。10時40分頃にドゥカーレ宮殿に案内され運河側の入り口から中庭に入る。まず休息で2階のトイレに行く。長い行列が出来ていたが、男性は直ぐ呼び込まれる。入り口に職員がいて案内片々チップを集めるのだ。20ユーロ置いた。しばらくは宮殿の中庭で写真を撮りながら過ごす。奥右手に素晴らしい石の階段があった。彫刻などを見ていると、ガイドの周りにみんなが集まっているのに気付いた。そろそろ内部の見学らしい。

再び2階に上がり、中庭側の廊下を中央部まで行くと右手に上り階段があった。その入り口には左右に等身大の人物像がある。右の像は大きい緑の球を担ぎ、左の像は怪獣らしきものを太い棒で打ちのめそうとしている。この先は写真厳禁である。その長い階段を上った。宮殿というがヴェネチア共和国時代の総督政庁だった。議会場裁判室などがあり、議員などが座る椅子は全て壁沿いに造り付けである。実際には別の椅子類も運び込まれたのであろうか?そう思いたくなる広さである。世界最大の油彩画なるものも議会室にあった。

武器室などを回り、有名な「溜息の橋」を渡って運河を挟んだ隣の牢獄に行く。独房は大小まちまちだったが、どれも石室で入ったら出される事はなかったそうだ。判決を受けた囚人が宮殿からこちらに渡る時、窓から外を見て別離の溜息をついたといわれる。この伝説が橋の名となり、観光名所となった。そういえば、ロンドンタワーとか網走刑務所も観光名所に・・・。再度、同じ橋を渡って宮殿に戻った。2階に下り、中庭沿いにサンマルコ寺院側に行く。通路から外に出たら、そこは明るく広々としたサン・マルコ広場だった。

サン・マルコ広場:
ドゥカーレ宮殿を見学したので時間がかかったが、運河・サンマルコ小広場から直接なら1分の距離である。サンマルコ寺院の前でひと通りの説明だけ受ける。

サン・マルコ寺院:イタリアでは珍しいビザンチン様式の綺麗な建物で、正面入り口は内部を参観する人達の長い行列があった。それがなかなか動かない。ツアーは内部の参観はしないで次のガラス工房に向った。
(2004.06.13 追記: デスクトップ壁紙写真(1024x768)8枚を掲載した「ベニスとサン・マルコ寺院」を公開しましたので、ぜひご覧ください。)

ベネチアン・グラス工房:
ヴェネチアのガラス技術は秘蔵であったようだ。それがチェコに伝わりボヘミアングラスとなり、フランスのバカラとかドームに影響を与え、アイルランド、アメリカにも広がった。 こんな話をどこかで読んだことがある。正確ではないとしても、ガラス工芸に限ると匠・職人の技はヴェネチアが大いなる影響を及ぼしたのであろう。しかしヴェネチアングラスとして有名なのは金で発色させる赤色のグラスといわれる。他にも繊細極まりない装飾グラスにも特色がある。ここは工房といってもそんな伝統芸ではない。日本でも見れる程度の観光用のもので、本来販売所と言ったほうが実態に近い。イタリア人ガイドは簡単に説明した後、我々とは別れた。ツアーに付き合って一回りはしたが購入予定は当初からないので直ぐ外にでる。尚、本物のヴェネチアングラスに触れたければムラーノ島ガラス博物館に行くのがよいといわれる。
自由時間・サンマルコ広場:
広場は大きな「コ」の形をした建物に囲まれた空間で、かなりの広さがある。しかし人、人、人、・・・。その建物の1階部分は商店、特に貴金属商が多いと説明された。 広場奥に向って右側中央に音楽を演奏するカフェテラスがある。イタリア人ガイドは「高いネ」と言っていたが、アコーディオン、ピアノ、ペース、バイオリンなどが明るい音楽をかなでている。世界的観光名所の真ん中にいてコーヒーの値段の高安はマァ関係ない。ここで寛ぐことにした。テーブルは比較的空いていたが、同じツアーのご夫婦が既に楽団近くに陣取っていた。その近くの椅子に座り、カプチーノを注文。英語の片言で用はすむ。ウェイターは丁寧だった。イタリア民謡らしき曲で楽しい雰囲気をかもし出している。広場の観光客もカメラを向けたり、立ち止まってしばし耳を傾けたり、・・・。心地よいブリーズのなかで、色々な人達を眺めながらリラックスし、本物のカプチーノを飲むのも乙なものでした。約30分間の至福。 不覚にレシートを失したが、チップ込みで27ユーロ(2人分)くらい払ったと思う。物凄く高いと言えばその通り・・・。
昼食:
サン・マルコ寺院の前に1時に集合した。広場に別れを告げ、細い横道に入り、ゾロゾロと海鮮リストランテに向った。5分も歩いただろうか、1時10分頃だった。
我々の席は確保されているが、店内に空席はあまり無く、店の人達(多くはインド系と思われた)も超多忙だった。 飲み物の後は「イカスミ・スパゲッティー」。 日本でも定着したパスタ料理だが、黒いスミのイメージが悪く食べたことがない。意外に美味かった。メーンデッシュは魚のフライにレモンの薄切りが乗ったものとサラダの付け合わせだった。アイスクリームのデザートで終り。賑やかに昼食を済ませた。

ツアコンが精算しているあいだ、我々は店の外の狭い道で待った。第二次大戦後のしばらくは日本にもあったような水道から水が出ている。なつかしくなりデジカメを向けた。

ツアー参加者:
この頃になるとそろそろお互いがなじみ始め、皆で固まっていても和やかな感じになっている。そうなると当初は見知らぬ者どおしの団体も知合い仲間みたいになる。話が前後するが、最終日にKさんが言うからに、「今回のグループは皆さん慣れているので随分と楽でした。」 嫌味のない人たちばかりで、余計なことは言わず勝手に楽しみながら横目で互いに気を配る感じのグループとなったのだ。北海道から14人、他の23人は関西の人達だった。絵のグループの8人組み(岸和田6・芦屋1・神戸1)、熟年夫婦数組(大阪・札幌)、女の子2人をつれた母親、孫をつれた祖父母2組、新婚カップル(奈良)、従業員数名をつれた社長夫妻(札幌)などだった。子供は全部で5人だったが、偶然か全員女の子だった。それが上手く馴染みはじめたのである。明るいイタリアの効用だろうか。
リストランテからボート乗場へ:
若いKさんの早足ガイドが始まった。クネクネと古く狭い道を歩き、運河の橋を渡り、商店街を抜け、サン・マルコ小広場の東側の船着場に到着した。我々の貸切ボートが来るまで暫く待たねばならなかった。サン・マルコ運河の向こうにはサン・シ゜ョルジョ・マッジョーレ教会がよくみえる。午前に増して運河沿いの広い道も人が多かった。
ボートで本土へ:
朝とは違うボートが迎えに来た。3時10分に出発、ジューデッカ運河を戻った。客室は一段低いところだが、写真を撮りたいので階段をのぼり操舵士の許可をとってデッキに立つ。客室の人達も数名でてきた。かなりのスピードなので風は強いが揺れは左程でもなかった。運河両岸がよく見え、それなりの写真も撮れたと思う。急にスピードダウンした。何か?札幌の若い女性2人が女性の特権(?)を生かして操舵部に入り込んでいる。その上、片方の女性が船のハンドルを握っているのだ。操舵士は横で鼻の下を伸ばし笑っている。これだから、イタリアの若い男は!日本なら密告され、新聞社が書き立てるであろう。「38名もの船客を乗せて何たる暴挙か。万が一を思えば人命軽視もはなはだしい」と・・・。しかし、悔しいながら、モーターボートは3時30分に無事本土に着きました。
バスでフィレンツェに移動:
ヴェネチア観光は終え、イタリア最大のポー川による肥沃なデルタをひたすら走って横切り、山岳地帯も越え、由緒ある山間の古都フィレンツェまで260Kmも走る。しかし満足感と疲労から皆さん直ぐ眠り始めた。私も車窓から風景を眺め、睡魔に襲われて短時間だが眠り、また外を見る。これを繰り返した。
途中、3店舗の建物があるレストエリアに寄り一番奥の小さめの店に横付けになった。記憶に残るほどのところではない。その後は山岳地帯の高速道路を走った。イタリア中どこも「ハナズオウ」のピンクがとても多く、それに「ハナミズキ」らしきホワイトが時々混じり、春爛漫の山を演出していた。時にはらしい花もあった。
7時10分にフィレンツェのはずれにあるシェラトンホテルに到着する。運転手からミネラルウォーターを購入してロビーに入った。
シェラトン・ホテル:
スーツケースはホテルが部屋に運んでくれる。夕食もホテルのレストランだから今晩は少し楽である。ロビーにて明朝のスケジュールを聞く。モーニングコール6:00、朝食6:30、出発7:15。万一の連絡先は1082。明日は早い行動だ。19:45から1階のレストランでビュッフェスタイルの夕食である。大急ぎで部屋に入り、片付けごとを済ませ、またロビーに降りた。
夕食:
レストランの右側一角が我々の団体用だった。各自適当に場所を決め、料理を取りに行く。それ程に食べ物の種類は多くはない。が、空腹だった。皿にパスタを十分なだけ取った。うっかりデジカメを左肩にかけていた。テーブルに皿を置くとき、肩からずり落ちそうになった。デジカメを落とすまいとしてパスタの皿が斜めになり、料理が少々こぼれテーブルクロスを汚した。そそうをした。仕方なくこぼれたパスタを皿にもどしたが、そのまま食事は無理なくらいテーブルは汚れていた。ウェイターに話そうとすると英語が分らないのか相手にしない。それ以外にも、普通のウェイターには権限がないようだった。黒スーツの人が呼ばれ、その人が処理してくれる。まず、汚れたナイフ、フォーク、スプーンとこぼしたパスタの皿をウェイターにさげさせ、テーブルクロスの汚れは小型の同色クロスを置いて隠した。そして、一回り大型の皿にパスタを載せて持ってきてくれた。もちろん新しいナイフ類も並べてくれた。これで一件落着となり、無事食事ができることになった。

実は周りの熟年女性達が私とホテル側の処置の一部始終をジーと見ていたのだった。この種の「危機」に強い性格が上手く作用してくれて適切に対処できたはず、ホテル側も適切だったと思います。ただ、チップはこの際どうすべきか、疑問が残った。通常の食事分は旅行社がまとめて渡すのですが・・・。

ワイフが睡眠前に飲むワインのボトルを注文した。ウェイターに「持ち出し」を聞くとOKなので、コルクの栓を一旦抜いて又しめてもらった。ツアコンのKさんが、飲みきれないなら手伝うという。またウェイターを呼んで、ツアコン用にもう一本注文した。しかし彼女はどこか別の処に行ってしまった。食事をしているうちに自席に戻ってきたので、ワイフに持たせた。仕事中なので形だけ飲んでいたが、後でゆっくり楽しむことだろう。どこから見ても、一生懸命やっている人なので、マァ、白ワイン1本(7ユーロ)位は許される、と思う。

部屋に帰る途中、ホテルの会計で1万円をユーロに変えた。80ユーロで率は多少落ちるが団体のことで街の両替屋に 寄ることも時間的にままならないのだ。ワイフも自分の小遣いを両替していた。取り立てて買い物はしていないが、チョコチョコと小銭はいるものだ。

部屋:デジカメの写真で不要なものを消去して充電をする。あまり口にして言うことではないが、連泊なので絶好の洗濯日である。3日分まとめて処理し、バスルームにかけておいた。今日の仕事は全て完了し、高いびき。明日は早い。

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