旅行記|イタリア・ルネッサンス紀行9日間( 5日目 /4月2日)
フィレンツェ観光→アッシジ観光→ローマ
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出発まで:
モーニングコールよりかなり早く目覚めてしまった。荷物を廊下に出し、ロビーに行った。まずチェックアウト、鍵を返し洗濯代を現金で支払う。ビュッフェ朝食は7時30分から、済ませた後はロビーで過ごした。
出発・美術館への散歩:
8時30分にバスはウフィツィ美術館に向って走り出した。ホテル近くのランプから市内方向の高速道路に乗る。しばらく後に市街路に降り、あちこちで花の咲いた街中を走った。日本でも良く植えられる 小手毬 の白い花もあった。例によってバスは美術館からかなり距離のある場所で我々を降ろし、そこからアルノ川沿いの道を10分くらい歩いた。歩道は歩きやすいとは言えないが、空気と景色は綺麗だった。日本でもよくある平凡なサイズの川で、途中には堰があったり、歩道を藤の花が覆うところも有ったりで親しめる道だった。何と言っても、晴れあがった春の朝の散歩は気分的にとても心地よかったですね。

グラツィエ橋と有名なヴェッキオ橋の間、川の北側にウフィツィ美術館、ヴェッキオ宮、シニョリーア広場がある。横断歩道を渡る時など、ツアコンは必死だった。なにぶんにも37名が渡るには時間がかかる。イタリアのドライバーは几帳面とは言えず横断歩道を人が渡っていても一時停車をするとは限らないのだ。黄色い声でどなられたりしながら、8時55分ごろに美術館の建物に到着した。川沿いの道から2棟の建物を結ぶ3階建て渡り廊下を潜り抜ける。古き両側の建物に挟まれ、大きいサイズの黒い石畳の道がまっすぐに長くシニョリーア広場に向っていた。

ウフィツィ美術館:
両側はかつてメディチ家の事務局、フェレンツェ公国の行政府が置かれていた建物で、現在はメディチ家が財力にまかせて収集したルネッサンス期の美術品の全てを展示する美術館となっている。我々はイタリア人と日本人のペアーガイドと共に左の建物に入った。人数の確認と入場券の配布が行われた。2階にはダ・ヴィンチとかミケランジェロのデッサン・版画の展示室などがあるそうだが、我々は絵画館のある3階に直行した。エレペータはあるが、お年寄りも含め全員が長い見事な階段を登った。館内は写真厳禁である。

絵画に興味のない日本人でも、ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」を知らない人はいないであろう。他の超大作「」もある。それらの実物がここにある!言葉で印象を表現するのは不可能・・・。ただ一言、実物を見るのがいい。大きな絵です。宗教画としてイタリア中にあると言っても過言ではなさそうなのが、処女マリアに受胎を告げる天使の絵「受胎告知」である。ここにはマルティーニという人の作品があった。
さらにダ・ヴィンチなどの作品群が3階にもあり、真の絵画好きにはたまらない魅力であろう。さらに建物自体も素晴らしいと思えた。ヴェルサイユ宮殿と比べるとずっと渋い落ち着いた印象を与えている。

建物はコの字型で、縦棒がアルノ川に平行する渡り廊下である。その角の窓から、ポンテ・ヴェッキオがよく見える。我々のツアーはヴェッキオ橋には行かないので、ここからこっそり写真を撮った。美術品とか美術館内の撮影ではなく外の風景だから、お許し願いたいものである。また、この場所の正反対、ヴェッキオ宮殿側にバールがある。そこから屋外のテラスに出れるが、ここも写真好きには格好の場所である。ドゥオーモの有名な大キューポラ(ドーム屋根)がよく見えるのだ。惜しくも、大きな石の手すりがじゃまではあるが・・・。また、宮殿のタワーも直ぐ傍である。

出口用の階段を下ると記念品のショップになる。メモ帳など文具の小物に面白いものがあった。「ここは高いし外の露店で似たものが沢山ある」とガイドが言っていたが、やはりチョットした記念品を購入する人達は多かった。

シニョリーア広場:1時間15分の見学を終え、10時15分ごろ美術館からシニョリーア広場に行く。と言っても美術館の隣の広場でヴェッキオ宮殿の正面入り口がある。ダビデの像野外彫刻ギャラリーなどもあり、広場は観光客で埋め尽くされていた。ここでも白馬にまたがった騎馬警官2名が警戒にあたっていた。写真を撮る人が多いので、実は観光サービス?

洗礼堂とドゥオーモ・カテドラーレ:
シニョリーア広場から真っ直ぐ北に歩くと大聖堂のある地域になる。まず、洗礼堂正面入り口でガイドの説明があった。ダンテが洗礼を受けたところとも言われ、また正面の大扉はミケランジェロが「天国の扉」と呼んだとかで、高名な宗教建築の1つらしかった。大理石の色も綺麗だし、形も均整がとれていて、素人にも凄い建物という感じはする。その向かいがキューポラのある大聖堂だった。中に入ったら、信者用の木製椅子がない。がらんとした床になっている。キューポラの真下は、上を見上げる人達で大混雑だった。ここにはフレスコ画の「最後の審判」の絵もあるそうだ。残念ながら、記憶にない。ツアーには予定されていないが、大聖堂美術館にはミケランジェロのピエタ(未完成)もあるとか・・・。
ショップ:
大聖堂の横の口から外に出て、近くの革製品などを売る店に行った。まず、店の奥に連れて行かれ、店の人から説明を受ける。衣料品(男・女)、ハンドバック類、小物革製品、等々を「 BRUNELLESCHI, Firenze 」の独自ブランドで販売する店だった。店員はほぼ全員が日本人女性だったし、言葉上の問題はなく、雰囲気も日本の店そのものだった。客も日本からの団体ばかり。 財布に適当なものが見つかり、買ってみた・・・。ワイフも土産用のものを物色した。全てにBRUNELLESCHIの名が入っていた。

この店から外に出て近くの小さい土産屋に入ってみる。イタリア人夫婦がやっているが、客は日本人ばかりだった。なぜか?日本人女性が好みそうな綺麗で廉価なイタリア製品を揃えているから。それにイタリア人夫婦の愛想もなかなか良いものだった。

フィレンツェの昼食はピザ:
12時丁度にピザ・リストランテに入った。飲み物は相変わらずミネラルウォーターだが、食後用にカプチーノを注文しておいた。この店の中央にピザを沢山焼くための炉があった。その前がピザ職人の仕事場で、練ったピザの素材をクルクルと回しながら空中に投げて受け止める技を披露している。ヴェネチアでボートのハンドルを握った若い女性二人がまた特権を発揮した。中に入り、職人のまねを始めた。日本の若い女性がずうずうしいのか、イタリア人男性が女性に甘いのか、不衛生と手厳しく書くべきか、国際交流の一形態と大目にみるべきか、・・・、ウーン。若い人達は楽しんでいたようでした・・・。

中サイズのピザが1人に1枚配られる。38枚焼き上げるのには時間がかかり、初めに配られた人が食べ終わっても、未だ待っているテーブルも幾つかあった。この店のピザは、日本のものと違いソーセージなど角切りがゴロゴロと乗せられているものだった。切れ目は入っていないので、ナイフとフォークで各自適当に切って食べる。本物の味の1種を賞味できたのであろう。ただ、タバスコ(アメリカ製)はない。これをかけるのはアメリカと日本の習慣のようだ。ピザそのものはプラス・マイナス共々の印象だったが、刺激物を避けている私は楽しめた昼食でした。

観光バスまで遠足:
リストランテを出ると、腹ごなしの遠足になった。まず街中を歩きミラノ市の中央駅になるサンタ・マリア・ノヴェッラ駅に向う(駅名まで聖母マリアなんだ!) 横断歩道で駅入り口に行くのだが、少し複雑(?)で手間取った。それにツアコンのKさんはジプシーをかなり気にしている様子だった。一旦は駅舎内に入り、そして右側のホームを初めから終りまで歩く。ここには改札口がなく誰でも入れるのだ。ホームの端で駅構内から出る。少し行くと観光バスの溜まり場があった。15分もかかったから、1Km以上は歩かされたのだ。イタリアの列車を数種類見れたので、マァ、これも観光の一部であろう。
アッシジに向う:
2泊したフィレンツェもこれでお別れ、途中「小鳥に説教」で有名な聖フランチェスコの聖堂があるアッシジに寄って、今晩はローマである。

内陸、山間部の高速道路を走る。この沿道ではオリーブ畑が目立った。日本では輸入品しか見れず、それも瓶入りだったりで生産には目が向かない。ツアコンの説明によると、オリーブの木にもイタリアだけで数10種類もあるそうだ。日当たりのよい斜面がオリーブ畑である。ところによっては、山高くまでオリーブ畑になのだ。実が成熟する時期には上部にネットを張り、地面に布を敷く。実が直接地面に触れると酸化で味が落ち、品質が低下し、値段が安くなる。季節労働者を雇ってでも、より良き収穫に向けた作業をするのである。市販オリーブ油の品質の見分け方:(1)良いオリーブ油は緑色が濃く、(2)安いオリーブ油は黄色が強い、とのことでした。

日本の山地の斜面は木と谷が多い。多雨のためである。イタリアの中央部の山地はなだらかで侵食による谷が少なく、川もあまり見かけない。日本に比べるとかなり少雨のようである。木々の密度も薄い感じに思えた。そんな山間をしばし走った。広い盆地のような平野部に出ると、左手のはるか遠方の山裾に白っぽくアッシジが見えた。バスは高速道路を出てその方向に向った。

アッシジ:
駐車場にバスは停まった。曲がりながら登る道を行く。突き当たりで左折するが、ここからは狭い中世の町の雰囲気になった。両側には門前町らしき土産屋などがある。例によって坂道なのにKさんは我々をサッサッと引っ張りあげた。フゥー!一番奥の建造物のトンネルを抜けるとピンク色の大理石に囲まれた広場だった。ここで説明となった。
サン・フランチェスコ聖堂:
なだらかな山腹に立てられたこの聖堂は少し変った建物で、二層になっている。その下部から見学を始めた。聖フランチェスコは若き時代は金持ちの放蕩息子だったと言われる。改心し優れた僧侶となり清貧を説くフランチェスコ派の設立者となった。その聖人の墓が一番奥にあった。驚くなかれ、真剣にすがり付くような感じでお祈りをする人々の姿があった。時の流れを止め、800年もの昔と同じ感銘と信心を今も与え続けている宗教と聖人の不思議さを目の当たりにしました。

聖堂下層部の参観をしばし続け、それから裏側の外に出て階段を上り、聖堂上層部に入った。 入り口近くの右側は礼拝のための祭壇で天井と壁の絵が見事だった。ただ、古きフレスコ画でかなり傷んだ部分もある。祭壇の前の礼拝席の場所の両サイドの壁は聖フランチェスコの一生を物語ったジョット作の大フレスコ画が並んでいる。有名な「小鳥に説教する聖フランチェスコ」という絵もあった。

イタリア中の建物にフレスコ画がある。油彩画が登場する以前の絵はこのフレスコ画だった。建物が作られるとしっくい壁が塗られる。このしっくいが生乾きの状態の時に急ぎ彩色を施して絵を描くのだ。天井画などは足場はあるというものの上向きの作業は大変だったそうである。また、しっくいに彩色をした時の色としっくいが乾燥した時の色が多少異なるので、乾燥した時の色を想定しながら絵を描く。これは高度の熟練を要したという。天下に知れた名フレスコ画は修復を重ねたものも多いそうである。

内部の参観はここで終り、山麓の高いところの古城がみえる出口になる。写真を撮り、土産屋を冷やかし、バスに戻った。

ローマへの道:
バスは再び高速道路を走る。反対車線での事故があり、警察の車と長い渋滞が見られた。それも一度ならず数箇所もあった。ローマ方面の車線も時折ストップ&ゴーの渋滞となる。 同じ理由ではなく、車が多すぎるための渋滞だった。しかし、このような状況ではイタリア人にも乱暴な運転手が出てくる。ウィンカーを点滅させずに突然斜線変更した乗用車と我々のバスが接触しそうになり急ブレーキがかかったこともあった。これではローマ到着が予定よりかなり遅れることになる。

8時にサービスエリアで5分だけのトイレタイムとなる。トイレ以外の下車はダメだった。時間がかかり15分に出発した。 不思議に渋滞は解消され、スムースな走行となる。9時丁度、バスは駐車場付きの小さい事務所前で停車した。ドライバーとツアコンが窓口に行き、「ローマ市内の通行許可証」の交付を受けた。これがないと、たとえ観光バスでも市内に入れないのだ。

夕食:
予約してあったリストランテにもかなり遅く着いた。2階に上がり席についたが我々以外の客は居なかった。珍しくバスドライバーのPさんも一緒に食事となった。ワイン750mlを1本購入し、 食事ではミネラルウォーターにした。トマト味のパスタ、鶏肉のメーンディッシュ、サラダ、デザート(ケーキ)の夕食だった。偶然、今日が誕生日の女性がいた。旅行社の計らいでリストランテからバースデーケーキのプレゼントがあり、簡単なセレモニーの後に全員に配られる。
もう全員がクタクタだった。急いでバスに戻った。
ホテル:
ホテルに着いたのは11時だった。 しかも部屋割りに手間取りロビーでかなり待たされた。明朝の予定は、モーニングコール7:00、朝食7:45、出発8:20となった。十分な睡眠時間とはいえないが、明日はナポリ行きだからバスで眠ればよい。

部屋は2階で何かと便利な場所だった。新しい建物のホテルだけにモダンな感じの部屋である。テレビなども壁の上部に取り付けられている。シャワーはバスタブ利用だがカーテンではなく蝶番付きガラスで飛散を防ぐ変ったタイプ。ところがシャワーはぬるい湯しか出てこない。一斉にシャワーを使用したのでボイラーの能力を超えてしまったようだった。このサイズのホテルにしては珍しい現象と思われたが、致し方ない。

ワイフは未だに風邪が抜けないでいた。今夜は咳が多い。発熱しなければ、と思いつつ・・・、熟睡した。

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