旅行記|イタリア・ルネッサンス紀行9日間( 6日目 /4月3日)
ボンベイ観光→ナポリ市内観光→ローマ泊
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出発まで:
5時30分に目覚ましが鳴った。私は暖かくて良く眠れたが、ワイフは咳がとれない。真夜中にも起きたようだった。ローマとナポリ・ポンペイの約245Kmを往復するだけなので、車中で睡眠不足を補えばよいだけである。朝食は6時半からロビー奥のカフェレストランだった。ミルク、ヨーグルト、パン、野菜・果物などで済ませた。パンは塩味を全く感じさせず美味かった。
7時過ぎに一旦部屋に戻り、7時半まで休んだ。
ナポリに向けて出発:
バスは7時37分にホテルを出発、しばしローマ市内の観光ガイドがあり、テヴェレ川、朝市の露店、昔のオリンピック会場、などの傍を走った。長くイタリアに住む女性がガイドとして乗り込んでいた。ご主人を亡くされ、御養子を数名養育されているそうである。はっきりと良く話す人で、話題も多く、時々傑作を提供し笑わせていた。

記憶も定かではなく場所の名も忘れたが、御墓の建物(広大な納骨堂)の傍を走った。一日中電灯がついているという。イタリア人の99%以上の人達がカトリック教徒である。亡くなると御墓に入る。日本なら命日、御彼岸、御盆など定まったときに墓参りをするのが習慣で、皆一斉に行動する。ところがイタリアにはこんな社会的な約束事はなく、遺族・関係者の気持ち次第で毎日でも年1度でも自由に御墓参りをするのが普通という。亡くなられ御墓に入ったご主人に向って、「あんたはひどいよ、借金と私を残して勝手に逝って・・・。うらんでるヨ!」なんて毎日言いに行く人もいるとか。

ここを過ぎると高速道路に入る。今まで高速道路の出入り口でこのバスが停まったためしがない。日本でもやっと運用され始めた無線利用の自動支払機TELEPASS」が整備されているから、観光バスなど事業用車両は支払いブースで停車しないのだ。一般乗用車は行列に加わるのが多い。商用車はコストの転換が可能だが、個人ドライバーは完全に自己負担だからTELEPASSを敬遠することが多いのであろう。ついでながら、日本と比較するとイタリアの高速道路通行料はかなり大幅に安いそうです。

中間からナポリ寄りの地点でサービスエリアに入り、トイレタイムとなった。ローマの観光バスが一斉にナポリに向う 時間帯だった。我々の直ぐ後に別のトラピックス・ツアーもここによる予定である。ドライバーは先を越されまいと必死だった。到着し、建物に入った。既に地下のトイレから入り口までのなが〜い行列が出来ていた。ツアコンのKさんも懸命に誘導する。「男はこっち!」 男性用は回転率が高く、行列はかなり短いものだった。確か30セント払って入った。女性の行列は気の毒なくらいだった。しかも、ここは男性用に駆け込むことが出来ない。別団体の客だったが、1階にある職員用トイレをこっそり使用して大変なトラブルになった様子だった。

ポンペイ着:
ポンペイの遺跡に着く前に、高速道路はナポリの郊外と一部市街地を通る。その眺めはお寒い限りであった。「ナポリを見てから死ね(See Naples then die.)」という英語の表現があったようだが、これは過去のものという印象をうけた。
ナポリ湾を南下するとソレント半島があり、その先には「青の洞窟」で知られるカプリ島がある。今日はあいにくの曇り空、ガイドは車窓から見えるとか見えないとか大騒ぎだった。ソレント半島の南岸(アマルフィ海岸)は晴れた夏には素晴らしいようである。想像を逞しくすれば、伊豆半島南岸にイタリア風建築物がある感じであろうか。古代遺跡ポンペイはこの半島の付け根の内陸部、ナポリから南西約23Kmのところにある。バスは遺跡の入り口近くで我々を降ろした。
ポンペイ遺跡見学:
あまりにも有名な世界文化遺産、詳しいことは適切な参考書をご覧下さい。簡単な基本情報のみ書いてみます。当時のポンペイはローマ帝国に所属し、1万数千人の人口があり、農業と貿易で栄えていた古代都市だった。西暦79年ベスビオ火山(ナポリとポンペイの中間点東寄り)が噴火して6メートルの火山灰の下に埋もれた。遺跡の保存状態は良好で発掘は18世紀から始まったといわれる。

入場は丁度12時だった。文化遺産や考古学的遺産に特別な興味があるわけではなく、観光客として物珍しい気持ちで拝見しました(どこでもそうですが・・・)。火山灰の中から発見された人体や商店などの遺跡を見たり、今も残っている壁画の写真を撮ったり、ガイドの案内するまま付いて歩きました。テレビ番組で見たことのある公衆浴場裕福な家車輪で窪んだ石畳など、さらに売春宿(狭い)なども残っていて、その隣は当時の「バイアグラ」を売る薬屋でその目印がかなり有名なものだそうです。私の場合、驚いたのはその遺跡ではなかった。ツアーの5人の女の子たちが別に恥ずかしがらずに平気で見ていましたね。現代教育の成果!ポンペイという遠方に来て変な処に感心してしまった。
最初は曇り空ながらベスビオ山もみえていたが、途中で雨が降り始めた。それでも小降りなのが幸運だった。ブラブラ戻り、13時10分に遺跡を後にした。

昼食:
観光バスを降りた場所に近いリストランテに行った。広々とした体育館のような部屋にテーブルがズラーと並んでいる。奥の一列目のテーブルを我々のツアーが、次の列を別の日本人ツアーが占領した。他の大部分のテーブルは空いたままだった。
飲み物として「生絞りオレンジジュース」を注文した。これは搾り立てで色が黄色ではなく薄い赤(ピンク?)なのだ。イタリアの生絞りオレンジは見た限りどこでもこの赤いものだった。味はもちろん素晴らしく新鮮でした。ただ、このリストランテでは4ユーロ(約500円)もしましたね。
次に海鮮スパゲッティーだった。他のリストランテとは違い、海鮮スパゲッティをウェイターが銘々の皿に1人々盛り付けてまわる。これもよい演出になっている。日本の海鮮スパゲッティと味付けが似ていて食べやすかった。イタリア本来の海鮮料理の味とは違うであろうが、口に合う昼食はありがたい。
雰囲気は大雑把な感じだが、流しのギターとテノールが来てから変った。マイクなしに素晴らしい声量でサンタルチアなど本場・本物のイタリア民謡を聞かせる。身なりこそ質素にしているが、説明ではステージにも上るプロの歌い手とか・・・。最後にテーブル毎に小銭を集めて回った。1人当り1ユーロが相場だそうだ。2人分2ユーロを入れてあげた。
メーンディシュはイカの輪切りなど軽い味の海産物のフライだった。揚げたてで熱いのが気持ちよかった。もう少し食べたかったパンは残念ながら我々のテーブルではすでに完売だった。デザートで昼食は終わった。
カメオ専門店:
バスに少し乗り、2時50分頃にカメオ販売店に到着した。職人2人が簡単な道具を扱いカメオ細工をしてみせる。これはアトラクションで店内は並品からダイヤで縁取った高級品まで実に多くのカメオ装飾品が並べられていた。綺麗なものも結構あった。が、ワイフも目の保養と割り切っていたし、マァー、男はギフト用以外は不要なもの・・・。3時20分ごろ出発した。
ナポリ市内をバス観光:
雨が本格的に降り出してきた。幸いにもナポリ市内はバスから見るだけの予定だった。中心部は昔のなごりで立派な建築物が多いのだが、旅行社が観光バスから客を下ろしたがらない街となっているのだ。とかく日本人団体は狙われ易い・・・。少なくとも、旅行社からこのような説明があった。参考にしたガイドブックも用心が肝要という書き方です。しかしインターネット上ではナポリの個人旅行記がかなりあるのです。行動予定が定まり緊張感の弱い団体と自由行動で油断が出来ない個人は少し違うのでしょう。
高級ホテルが海岸沿いに並ぶサンタ・ルチア海岸ではバスから降りたが、雨と風で特別な印象は残らなかった。残念なナポリ訪問ともいえる。

はっきりと記憶に残ったのは、この地方の人達の顔付きは北部イタリアの顔付きと全く感じが違うことだった。北部はゲルマン系(ドイツ系)の血が濃いといわれる。反面、南部イタリアでは大昔にギリシャとアラブの人達が移り住み、人種的に交じり合ったそうである。同じイタリアながら、今でも北部と南部は何かと折り合いをつけ難いことがあるとさえ言われる。人種的な問題を表にするのはご法度だが、顔付きの違いから想像も理解も出来るし、大変だとも思われた。数10年も昔、ニューヨーク時代にイタリア系アメリカ人から聞いてはいたが、ここまで明確な違いを意識するとは思わなかった・・・。

ローマに向う:
4時20分頃にナポリ市街地を離れ、高速道路に乗った。もうローマに戻るだけである。途中、ナポリ近郊ではアカシアの白い花が満開だった。往路で利用したサービスエリアにまた寄った。5時40分から20分間は自由なのでバールでカプチーノを飲んだ。エスプレッソを泡立てたミルクに入れたものだが、砂糖をタップリ加えて飲むので疲れがとれる。
外に出たらシュロが大きな花をつけているのに気が付いた。中国原産の植物も当地でよく育っている。デジカメでその花を撮ろうとしたら、邪魔になっていた手前の葉がない。びっくりして横をみたら、お孫さんと参加した年配の女性が手で押さえて写真を撮り易いようにしてくれていた。素晴らしい植物写真が撮れました。感謝。
7時過ぎにローマ市街地に戻ってきた。245Kmの走行も帰りは信じられないくらいに早かった。
ローマ・土産屋:
夕食のリストランテに向う前に、比較的大きい土産屋に寄った。 ヴェネチアングラスからバックとか衣類まで多くのイタリア製品が並べられていた。ワイフは目ざとく珍しい作りのヴェネチアングラスを見つけ、土産用と自宅用に買い求めていた。特に高価ではないが、一つ一つ丁寧に割れないように包装してくれた。私はここでユーロ用の財布を見つけた。実に珍しいデザインで、皮が柔らかく、縫い目もしっかりしている。 日本の札入れとしても使えるので買ってみた。この財布は買う人が多いのか、他の財布より数割も高く、72ユーロもした。この種のものは「御縁」と思っている。「これは、いい!」と思ったときに買わないと、次の機会はまずないのだ。
この土産屋では皆さんかなり購入していましたね。もう、実質的に明日1日で・・・。この店は、帰りしなに1人1袋づつパスタのお土産を持たせてくれた。
夕食:
8時40分ころにリストランテに入った。今晩の店の内装は良いほうだった。ここの食事は2種類のパスタ、肉料理、アイスクリーム、コーヒーだった。食事中にギターとアコーディオンの楽士2人がテーブルを回った。明るい音楽は気分を陽気にしてくれる。テーブルに来ただけなら1〜2ユーロで十分だそうである。もちろん曲のリクエストをしたら別である。小銭を持っていても1ユーロ以下の小銭はやってはいけない。楽士のプライドをかなり傷つける結果になるそうだ。渡すなら最低で1人1ユーロが相場のようである。
ホテル:
9時30分にホテルに戻った。ドライバーからミネラルウォーターを買って下車。

実はドライバーのPさんとは今夜でお別れである。同じホテルに宿泊し、明朝早く他のアメリカ人ツアーを乗せるため北上するそうだ。3月30日から丸5日間の安全運転、楽しいバス旅行でした。ありがとう!

明朝の予定は、モーニングコール6:30、朝食7:00、出発8:00。天気は良くはない、という予報とか・・・。 部屋に入ってから直ぐにデジカメの充電をセットし、シャワーで汗を流した。昨日とは違い湯の温度は快適だった。

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