旅行記|イタリア・ルネッサンス紀行9日間( 7日目 /4月4日)
バチカン市国観光→ローマ市内観光
表紙 | 始めに | 行程表 | 1日目 | 2日目 | 3日目 | 4日目 | 5日目 | 6日目 | 7日目 | 8日目 | 9日目 | 後行程 | 終りに
前頁に戻る 目次:行程表 次頁に進む
◇◆◇
出発まで:
早く目覚めた。外はパッとしない空模様だった。 観光は今日が最後、多少の疲れも感ずるががんばるつもりである。
ホテル発バチカン市国へ:
8時丁度にホテルを出発し雨の市街地をバチカン市国に向った。駐車場には8時20分ころ到着した。携帯傘を広げ、ガイドを待った。今日は比較的若い日本人女性がガイドだった。イタリア人は居ないのでガイド資格があるらしい。北側のバチカン美術館の入り口に比較的近かった。坂道を登ったら行列だったが、直ぐ建物の中に入ることができた。
注: この旅行記ではバチカン美術館と記すが、バチカン宮殿とかバチカン博物館と言われることもある。実は、バチカン宮殿は法王居住区と法王庁のほかに、20もの博物館・美術館・絵画館・図書館の集合体と言われます。バチカンはヴァチカンと表記されることも多い。
バチカン美術館(Mussei Vaticani):
大勢の人達と共に8時半に館内に入った。身体と手荷物のX線検査があった。ここは展示館より低い処にあり、広い空間の後に長いエスカレータで展示館の高さまで登った。そこで入館となるが開館時刻は8時45分で少し間があった。
ガイドが説明している間に、私はピーニャの中庭を撮影しました。金色に輝く大きい球体が中央部にあったが、そのいわれは聞き逃した。その先にはサンピエトロ寺院のドームが見えます。美術館のレンガ壁と大きな松の木が雨の中でも印象に残る中庭でした。

開館と同時に入館したが、早く来たからである。遅れると外は長蛇の列となり、何時に入館できるか分らないという。 (フリープランでローマ観光する人は、早起きして一番先にバチカン美術館です。)確かに納得できる説明で、午後に巨大な路上行列を目撃して「世界のバチカン」の思いを新たにしたものだった。しかし・・・、不思議なのは、すでに美術館内は何処も参観の人達が大勢いて、とても開館と同時に入館したと思えなかったことだった。

ベルベデーレの中庭:ガイドとツアコンはサッサと歩き、ベルベデーレの中庭に入った。この一角に有名なヘレニズム時代の彫刻「ラオコーン」があった。大蛇と戦うラオコーンの姿が壮烈で既に見学者の山が出来ていた。我々はゆっくり出来なかったが、小さい池まである中庭の回廊には他の彫刻も並べられ、その中にはラオコーン以外の知られた作品、例えばアポロ像、なども有るようだった。

これから先は、ギリシャ・ローマ時代の彫刻,エジプト・エトルリアの遺品などを鑑賞した後、システィーナ礼拝堂までの廊下というか通りながらの鑑賞だった。時折、ガイドによる説明はありました。どこもかしこも人、人、人、・・・。

タペストリーのギャラリー:1500年代、教皇レオ10世の時代に制作されたペテロとパウロの物語をテーマにした大タペストリーが数多く飾られている。制作はラファエロと弟子達と言われる。その他に福音書の物語をテーマにしたものもある。タペストリーに照明はないが、豪華絢爛な天井画を照らすライトが明るくその反射光で鑑賞するようになっている。初めての訪問のことで、タペストリーの鑑賞は出来ず雰囲気を味わいながら通過したのが実態でした。

地図のギャラリー: 豪華なフレスコ画の描かれた天井が照明され、両サイドの壁面にはイタリア各地の教会の所在を示す地図(フレスコ画)40点が懸かっている。廊下兼用のギャラリー。地図は天文学者イニャーツィオ・ダンティの手によると言われ、当時の都市名と地名などが詳しく記入されている。当時(16世紀末)のイタリアは都市国家が其々独立していたので、地図1枚が1国家を表しているようなものでしょう。床は大理石、聖書の物語が色大理石の組合わせで描かれた場所もあった。

コンスタンティヌスの間: 宗教的に歴史的な313年の「ミラノ勅令」、コンスタンティヌスの改宗とローマ帝国のキリスト教化に関連するテーマの絵が幾つも飾られています。

ラファエロの間: 2階にある連続した4部屋で、37歳でラファエロが他界するまで仕事を続け、その後は弟子に引き継がれて4年後に完成したと言われる。大きな素晴らしいフレスコ画が四方の壁にある。より良き理解には予備知識が不可欠なのだが・・・。かつては教皇の仕事部屋だったそうである。

>>>>> Photo Gallary : バチカン美術館 ・・・・・>>>>> ENTER
システィーナ礼拝堂:
この礼拝堂でローマ法王(教皇)が選出されるという。 世にいう、なが〜い長い「コンクラーベ」が行われる場所である。美術館から入ると直ぐ有名極まりないミケランジェロ作「最後の審判」の大壁画がある。中央上部のキリストにより選ばれ天に昇る人達と地獄に落とされる人間が振り分けられている図である。蛇の脱皮のように、生皮をはがされ地獄に落ちる罪深き人間も描かれている。「こんな目にあわされるぐらいなら、教会のいうことを聞こう・・・」ということでしょう。脅しです。が、正悪の基準を明示する、これも人間には必要なことでした。大きな礼拝堂の壁の周辺下部に椅子が有るだけで中は空間です。「最後の審判」のみならず、「天地創造」、「モーゼ伝」、「キリスト伝」、「原罪と楽園追放」などの大宗教画に囲まれた空間です。見学の人達の大部分は立ったまま大壁画を見つめている。信ずる者も不信心な者も、ここでは皆が善男善女、雑念を忘れ我を忘れポカ〜ンと大天才が表現した宗教の世界に身を沈め、圧倒的な包み込むような雰囲気に全身を曝している。凄いです。これぞ史上最大の演出です。当然ながら写真撮影は厳禁、最後の審判も恐れず撮影する御仁も見かけましたが絶対少数派でした。
サンピエトロ寺院:
長い階段を下りて一旦は外に出る。そして正面入り口でガイドの説明を受けた。キリストの直弟子、聖パウロの御墓のある聖堂。それがサン・ピエトロ(聖パウロ/聖ペテロ)寺院である。中央のドア−は特別な時以外は閉まっている。脇の通用口から入り、聖堂左手を奥に向った。とても暗く感じられた。しかし太い柱の其々に立派な彫刻が添えられていたり、由緒ある大絵画がかけられていたり、荘厳な感じそのものだった。見学者の数は今日も多いのだが、イースターの時は団体ツアーなど不可能で「各自で勝手に回って」というぐらいの混み様だったそうだ。聖ペテロのブロンズ像の近くまで行き、それから入り口の右側にあるミケランジェロ作「ピエタ」に行く [写真1]。 聖母マリアの膝にキリストが横たわっている構図であるが、聖母マリアが実に若く美しく作られている。「こんなものを見ているから、イタリアの男は若い女に抱かれて死ぬのが望みになるのだ」とやっかみ半分の嫌味をネット旅行記に書いた日本の熟年女性がいたが、確かに聖母は悲しみをこらえる美しき娘のように作られていた。「イタリアはキリスト教というより聖母マリア教」と揶揄したアメリカ人にも昔会った事がある。このピエタを観て、そしてイタリアにサンタ・マリア・○○教会が何処でも数多くあるのを知ると、「さもありなん」と思えてくる。しかし、宗教云々はともかく、ミケランジェロのピエタ第一作は素晴らしい魅力的な彫刻と思いました。24歳にしてこんな彫刻を制作した。ミケランジェロの名が歴史に残るのは当然だったのでしょう。
その後、ワイフはツアコンと何処かに行ってしまった。現地の日本人ガイドと雑談し、聖堂内を1人で再度まわり、外の集合場所に行きました。近くの一段低い出入り口にはスイス人ガードが珍しい制服を着て直立していました。バチカン市国はスイスの衛兵により守られているそうです。

椅子がびっしりと並べられたサンピエトロ広場は雨が降り続いていた。ずらりと立ち並んだ屋上の聖人像(140人)に見守られながら広場中央まで行く [写真2]オベリスクもあるが雨のため印象が薄い。周囲は284本ものドーリア式円柱が円形2列に配置されている。広場中央部に2列の円柱が重なり一列に見える特別な場所があった。雨がかなり激しくなってくる。ゆっくり出来なかった。

車道を横切り、人が溢れ歩き難い歩道をしばし行き昼食の場所へ着いた。

路上の盗人:広場からここまでの混んだ路上では、全員が用心してハンドバックとかショルダーバックは腹部の前にもってきて手で押さえるようにしていた(傘を広げているので大変でした)。それでも数名の女性の場合は、何者かが後方から上腕と体の間に手を差込みバックを開けようとしたそうである。その手を叩き難を逃れ被害は無かったそうである。この種のスリ・こそ泥は実に多いそうだが人出のある処に限られる。また、生命に関するようなこと、例えば傷害などは無いとのことだった。「生活のためチョイと他人様のお金を強制拝借」程度の連中のようです。
昼食:
何処にでもある庶民的な中華レストランだった。一番奥に我々の場所が用意されていた。久々の中華料理、中華スープ、チャーハン、酢豚、八宝菜等々、並の味ですが洋食続きなので美味しく感じられ満足できました。大皿を回しあって食べたい料理を好きなだけ自分の皿にとるのが良かった。1週間も一緒に動くと皆さん互いに馴染みになり、一種のパーティーみたいに和気あいあい・・・。
食事を終えて外に出るとまだ雨が続いていた。ただ、少し小降りになっていた。バスまでかなり歩き、1時20分頃に市内観光に再出発した。
コロッセオ:
バスはサンタンジェロ城の傍を走った。この城は一辺がテヴェレ川に沿い他の4辺が内陸部にある五稜の構造をしている。城そのものは円形でハドリアヌス帝の廟と言われるが歴代ローマ帝国皇帝の廟所だった。今は博物館として使用されているが、バチカンの法王庁とは秘密の道で結ばれているとのことだった。
そしてテヴェレ川を渡る。雨のヴィットリアーノ(イタリア統一記念堂)を車窓から眺めた。きれいな建物で公開されている。傘をさした観光客が建物全部の広い階段にいるのが見えた。
1時45分ごろ、バスはコロッセオ近くで我々を下ろした。ここは歩いて近くまで行くことになる。北側の丘を下り大通りを横切るとコロッセオである [写真3] 。 一部を残して建築資材として表面の大理石が剥ぎ取られ見るも無残な感じがした。それでも古代の大遺跡の形と雰囲気はかなり残っている。内部は北西側から覗き見ただけだが、完全な廃墟だった。しかし大勢の人達が歩き回り現代離れした歴史の遺物から往時を偲んでいた。幸い雨は止みかかってきた。少し離れた西側にあるコンスタンチヌス帝の凱旋門の近くに行き写真をとった。この凱旋門は完全修復が行われ囲いで近くにいけない様になっていた。パリの凱旋門などとは作られた時代が違う。お宝ものである。コロッセオの西北西には広大な遺跡群フォロ・ロマーノがある。遥かにティトゥスの凱旋門が見えた。その遥か先にはセヴェルスの凱旋門というのがあるそうで、古から多くの凱旋門が作られてきたようだった。

有名な遺跡と別れ、東北の丘に登った。下車した場所から更に歩き、ドムス・アウレア遺跡の北側まで行く(バチカン美術館のラオコーン像はここで発掘されたと言われる)。しかしバスは居なかった。小降りの雨の中、暫く待たねばならなかった。遺跡・街並みを犠牲にして観光バスの駐車場を作るということはしない。その為だった。2時半に来た。

ローマ三越:
共和国広場近くの三越に行く。トイレタイム兼用のショッピングである。ローマ三越と聞くと、「ローマにもデパートの三越があるか」と思うのが普通、しかしイタリアにデパート文化は無いとのことだった。店内は古い建物の内装を変えただけでゴチャゴチャした作りでしたが床面積はかなりある。免税店としてはローマ最大と説明していたが、確かにマア充実した品揃えで一応は「さすが三越」(ウーン、ムニャ、ムニャ・・)ということでしょうか。フェラガモのネクタイを1本買ってみた。ずらりと並んだレジで免税手続きは完了してしまう。店内とレジは日本人観光客でごった返しだった。
トレビの泉:
4時頃バスを降り、雨風の表通りを歩き、人通りの多い細い道に入った。少し行くと古いビルに囲まれた空間があって、その中央に大きな池がある。一方に海神を中心とする巨大な彫刻が壁を作り出し、そこから噴水が三段の小さい滝となり池に注いでいる。これが有名なトレビの泉だった。限られた空間、大勢の人、立派な彫刻、泉、そして、後ろ向き(肩越し)にコインを投げ込むとローマ再訪がかなうという言い伝え。ロマンチックですね〜。1枚のコインでローマ再訪、2枚のコインなら恋人と2人で、・・・。10枚投げ込んだ私は一体どうなるでしょうか?10人の若いイタリア美人の膝の上で10回息を引き取ることになるかもね。これは冗談で、ワイフと1枚づつでした。ローマの人達は実に商売上手でつい乗せられた・・・ [写真4]
この広場は訪問の観光客が絶えず、常に賑わっている。警察当局としてもスリ・こそ泥の天下になると観光都市ローマの名が廃れる。「二度とローマに来るものか」と泉の賽銭もあがったり。そこを読んだ当局はパトカーと巡回警官の数を増やし、警戒を厳重にしていました。バチカンでは神の恵みがあるかも知れないが、ここは・・・。
スペイン広場:
雨はかなり小降りになった。スペイン階段の麓はスペイン広場と呼ばれ、その中央には歴史的洪水の目印とも言われる小船の噴水があった。この近くでスペイン広場に関してガイドの説明をうけ、4時40分から7時まで2時間20分の自由行動となる。
解散になり噴水の傍で写真を撮っていた。スペイン階段の右側の麓に純白のウェデングドレス姿の新婦と胸にブーケ を付けた新郎が現れた。大勢の観光客に混じり結婚式?こんな演出でサマになるのは若年カップルではない。堂々とキスを交わしたのはやはり中年の新郎新婦でした(デジカメの超望遠で確認。)
コンドッティ通り(Via del Condotti):
広場から階段反対方向にローマの高級ショッピング街コンドッティ通りが真っ直ぐにのびている。車道は対面二車線で歩道も広くはないし、ブランド街とはいえ古色蒼然として建物で広告・看板は左程は目立たないのだ。直ぐコーヒーでも飲みたかったのだが、ワイフに付き合いエルメスに直行した。

このブランドは革製品だけではなく、毎年新作を発表するスカーフでも有名でワイフは楽しみにしている。今年は ローマ訪問記念品にするつもりらしかった。中年の女性店員が応対し始めた。スカーフを出し始めたとき、向かいの 棚に無造作に仮置きされたハンドパックに気が付いた。ブルーのポリードと言うタイプで手ごろなサイズだった。ワイフが見たがるので店員に頼んで渡してもらう。他の客が頼んでいたもので別の店員に取り上げられてしまった。その客は若い日本人で別のタイプのバーキンと比較していたようだった。結局、大きくて実に高価なバック、バーキンにしたようで、ポリードは元の棚に戻ってきた。ワイフは迷いに迷った。しかし買うことにした。この種のものは「御縁」としか言いようが無い状況なのだ。

ここのエルメスは直営店で定価から免税分(約15%)が安くなる。日本ではまず店頭には出ない。デパートなど入荷すると固定客に回してしまう。注文しても色・サイズを指定すると数年待ちといわれ、並行輸入店では希望スペックと違ってもかなり割高なのが普通なのだ。急ぐなら質流れを探すしかないであろう。男の目には「そこまでして購入する理由」が分らないが、とかく日本女性の群集心理というものは・・・。しかし、私はワイフの購入には賛成でした。店員も、少し大げさながら、このバックは3分しか店に留まらなかったという。もちろん日本の事情も聞き知っていた・・・。久々に高価だがお気に入りの買い物が出来てワイフは幸せそうに見える。はるばるローマに来た甲斐があったのでしょう。

この店からスペイン広場に戻る途中に、カフェ・グレコという老舗の店がある。入り口右手のケースから食べたい菓子を選び、入り口近くのテーブルについた。後日知ったのだが、この店は奥が良いそうだ。ウェイターにカプチーノを頼み、ケーキは注文済みのものと伝える。確かに雰囲気は時代がかっていた。ウェイターは燕尾服だった。この点はロンドンのフォートナム&メイソンと同じだが、ここの方がかなり庶民的な雰囲気ではある。著名な作家などがコーヒーを楽しんだ店というのも売り物の1つのようだった。カプチーノもケーキも味は最高、疲れがとれた。カプチーノは5,16ユーロ、ペイストリー3,10ユーロで1人8,26ユーロだった。1000円といった感じ。しかし、イタリアでは庶民的な値ではない。ここではチップを間違えやり過ぎてしまった。

先刻購入したエルメスの紙袋は派手なオレンジ色で街の雰囲気に合わず落ち着かない。引っ込んだ目立たないところで手持ちの薄い袋に入れ替えた。今度はエルメスの袋の捨て場所がない。仕方なく店まで戻り処分をたのんだ。

集合時間まで未だ間があった。この地域をブラブラ歩きする。コンドッティ通りから引っ込んでもポツポツ商店や飲食店があるが、日本の商店街に比べて底が浅い印象は拭えない。入りたいような店も無かったが、またコーヒーが飲みたくなって小さいバールに入りエスプレッソを注文した。やけにケチな入れ方でデミタスの1/3しかない。しかも、2人で3,50ユーロだが店の若い男はエクストラ・チップなどと言う。英語は全くダメな人だが、これだけは言えた。仕方なく5,00ユーロ渡した。こういうことも稀にある。ローマの観光ポイントには、ぜひスターバックスに進出してもらいたいものだ。

そろそろ時間となり、スペイン階段の左側を登った。左右対称に階段があり、中央部は白ツツジの植え込みになっている。蕾が大きく白くなり一部は既に咲きはじめていた。数日で見事な白一色になる。 スペイン階段はテラスが三つある。1つ1つで立ち止まり街を眺める。オードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペック主演の映画「ローマの休日」でアン王女がジェラード(アイスクリームの1つ)を食べたことや新聞記者が階段に座る王女に近づき再会する場所として知られているが、そもそもが「ローマの休日」の出会いのシーンに選ばれた程の場所なのだろう。何かしら独特なロマンチックなムードがあると思った。右手の建物は工事中でその前面が幕で覆われていた。その幕には実物のように窓が描かれていたりして何かユーモラスだった。一番上はトリニタ・ディ・モンティ広場と言われ同じ名の教会の前になる。ここからのローマの眺め、眼下のコンドッティ通りもなかなかでした [写真5]

ついでながら、写真では階段の下部中央が広いツツジの植込みになっています。階段そのものは両側にあり、映画「ローマの休日」の階段とは異なります。インターネット上のローマ訪問記の多くはスペイン階段の写真を掲載していますが、写真には2種類あるのです。植込みが無く巾広いスペイン階段と、私の撮影した植込みのあるスペイン階段です。シーズンにより植え込みを外すのでなければ、植込みなしの幅広いスペイン階段は古いものと思われます。ただし、先の写真をクリックして見ると白ツツジは大きい鉢に植えられています。たぶんシーズン中だけ沢山の鉢植えを置くのでしょう。

一番高いテラスに着いたのは早めの6時40分でしたが、ポツポツ集まり始めていた。絵の8人グループに1人年配の男性がいる。この人は1日中自由行動だったが、夕食のためここで落ち合った。ローマは3度目ということで1人で買い物に歩いたらしい。40歳台の娘さんが2人いて、出発前にデパートにつれて行かれ、「これがいい、こちらはダメ」などといろいろ言われたそうだ。「決して買ってくれとは言わず、欲しいものははっきり伝えるんだから・・・。」なるほど、呆れるような大きい袋を幾つも持っていましたね。喜ぶ顔を想像しながら楽しいショッピングだったことでしょう。帰ってきた他の人達も量的には少なめでも、ブランド名が描かれた袋で結構な荷物ですネ。

この頃は雨もやみ、雲の切れ間から夕日が見え、トリニタ・ディ・モンティ広場からのローマ市街の眺めもそれなりに印象に残るものでした。帰国してからPCで写真を大きく見ると、テレビのアンテナが屋根に沢山立てられてていて意外にうるさい感じだった(日本の電柱・電線よりはいいですが)。せっかく夕焼けを背景にサンピエトロ寺院のキューポラが撮れたのに・・・。ここでデジカメは電池切れ。ワイフに貸していた FinePix 4700Z を使わざるを得なくなった。

バスに乗り、ローマ最後の夕食に行く。イタリア最後の夕食でもあった。

夕食(カンツォーネディナー):
地下の広いリストランテだった。中央の奥側にテーブルは用意されていた。今晩は水とワインはサービスで飲み放題とのこと、旅行社も昨夜に続きローマの夕食はサービスしてくれた。今晩はパスタ(マカロニ・ナポリタン)、サラダ、鹿肉ソテー、ヨーグルトシャーベット、コーヒーだった。
食事が始まるころ、女性歌手1人(ソプラノ)、男性歌手3人(テナー・バリトン)とピアニストが演奏を始めた。音楽チームは2つあるそうで、カンツォーネは他のリストランテの当番でこちらには来なかった。主にイタリア民謡や歌劇のアリアとか有名な曲だったが、声量の豊かさからくる臨場感たるや言葉では表現できない。雰囲気に釣られてCDを買ってあげたが、自宅で聴くと「マァー、レストラン回りが録音しても・・・」という出来栄えでした。しかし、テーブルを回りながら歌い上げたり、一緒に写真を撮ったり、いい雰囲気と思い出を作ってくれました。これで、ローマ最後の夕べは楽しいものになった。演奏が終わる頃、他の日本人団体が到着し、奥のテーブルは満席となった。交代に我々は出たのだが、音楽家達は出口で見送ってくれた。9時30分だった。
ホテル:
10時過ぎにホテルに着いた。明朝は、モーニングコール7:15、朝食8:00、スーツケース廊下9:00、チェックアウト10:00まで、自由行動11:45まで、出発12:00とのことだった。 荷物のパッキングはザットだけで、明朝にまわした。何か、全行程を済ませ旅行を終えたような気分になった。
◇◆◇
HOME旅行記集イタリア旅行記・トップ当ページ(7日目)
前頁に戻る This Page Top ▲ 次頁に進む