はじめに Page Head ▲
10月上旬ころ、紅葉の関西に行きたくなった。PCを前に奈良と宇治を念頭に行程を幾つか考えてみる。ホテルサーチで調べたが、11月下旬の京都は連泊できる適当な空室が見つからない。そこで大阪に泊ることにした。電車利用で大阪から奈良は約1時間、京都は約30分みればよい。さほど遠くはなく、さらに大阪も楽しめる。

関西空港に飛ぶと時間的な難しさがある。幸い羽田までの往復はマイレージ特典航空券と先得割引航空券がオンラインで入手できた。
東京から大阪は新幹線の利用、往路は品川から新大阪、帰路は京都から東京、往復とも新しいN700系「のぞみ」です。N700系は今年7月1日のダイヤ改正時に導入されたハイテク高速列車とされ、現在の「のぞみ」はN700系と旧来の700系が混在している。新幹線とヒルトン大阪は旅行会社(JTB)のプランをオンライン購入しました。これは基本ブランを予約、その後に新幹線の関する変更などをメールしました。全ての希望を聞き入れてからの手配でした。基本的に自己手配より安くなる・・・。帰路の大阪・京都の運賃は1部返却となり良心的だった。
東京のホテルは個人予約です。東京駅日本橋口のメトロポリタン丸の内を楽天トラベルでオンライン予約した。東京駅に隣接の新高層ビル上部に開業したばかり、利便性と好奇心の2点で選びました。ホテルは全て朝食付きです。

今までの個人旅行と違い、事前にグルナビ等で昼食と夕食の店探しに時間をかけた。何とか決まり、地図や電話番号をメモしておく。宇治の普茶料理(昼)のみは予約です。希望の膳は個数が限られオンライン予約以外は受け付けない。
他に違うことは、小型コンパクト・デジカメを購入し、カメラを2つ携帯し目的別に使い分けました。

天候は期待しなかったが、奈良は曇で他は全て晴、紅葉も楽しめた快適な旅でした。予定の消化に多少は忙しい思いもしたし、ゆっくり観れない訪問先もあり、時には迷ったりもしたが、充実した4日間でした。その写真付きの記録、お楽しみ頂けると幸いです。どうぞ、ごゆっくり!

注1: 写真の説明は、お手数ですが、写真の上にポインターを置いて表示してください。
注2: 時刻はデジカメとボイスレコーダの記録です。数分の誤差を含む場合があります。

1日目(11/28)
羽田空港から品川駅、新幹線「のぞみ」で大阪
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羽田空港T1に到着まで: 

自宅出発。外は小雪が舞い、車の外気温計は2℃を示していた。空港に到着後、出発口と到着口の中間に車を置いた。
窓口で搭乗券を受取り(座席はバラバラ)、手荷物2個を預けた。直ぐセキュリティ・チェックを受けて搭乗口に行く。修学旅行の大団体がいる。これで離れた座席なら落着かない。搭乗口で空席の再確認をする。Jクラスなら2人並んで座れる。ここでアップグレード(\1000)した。
搭乗した機材はB767-300、Jシート配列は2-2-2、我々は窓側ではなく中央の2席だった。何故か、膝掛けや新聞の配布が特別に早かった。
今回は4分遅れで出発、ほぼ満席のようです。飛行中は特に記録することもない。ただ、Jシートでは甘いお菓子が出るが、珍しく固焼き煎餅でした。
羽田空港に到着。かなり歩いてバゲージ・リクレームに着いた。預入れ手荷物を受け取り、京急の乗場に行く。

羽田空港から大阪まで: 

京急の切符自販機で電子マネー(Suica)に1人2000円づつチャージ。種類は何であれ、電子マネーは便利でいい。切符購入の時間を節約できるし、釣りの小銭で財布が重くなることもない。
11:55 京急・羽田駅を出発。途中は鎌田駅のみに停車、乗換えはない。
12:12 京急・品川駅に到着。「のぞみ29号」まで時間があり、駅中で昼食の店を探した。

昼食(品川駅中): 

品川駅中の蕎麦屋 海老天そば
駅中を歩いていると、「しながわそば」に行列が出来ていた。左右の食券自販機が入口の門、ここは電子マネーで食券が買える。面白い。立ち食いではないが、値段は安い。各自で天蕎麦(\600)を購入し行列に並んだ。
案内されて奥の席につく。出てきた蕎麦の丼は普通サイズ、少し小ぶりかも知れません。2本の海老天は衣が厚く海老は小型、しかし妙な油の感触がなく食べやすい。空腹はおさまりました。 蕎麦屋を出て新幹線の乗場に向かった。

新幹線(新型・N700系「のぞみ」)

品川駅に到着のN700系「のぞみ」
N700系「のぞみ」7号車・普通指定席
乗車する「のぞみ29号(N700系)」は品川12:58発・新大阪15:27着、我々は7号車中程の普通クラス指定席でした。
プラットホームの表示に従い7号車の乗場に行く。まだ10分以上ある。実は13年ぶりの新幹線で少しウキウキです。
12:58 品川を出発。新横浜・名古屋・京都・新大阪に停車、到着まで2時間29分です。最新のN700系は車内や設備や走行の快適度は良好、出発・停車はとてもスムースでした。この車両はほぼ満席で背広姿の男性が大部分だった。PCに向かったり書類を読む姿があちこちに見られ、「新幹線は出張用」の印象です。「時は金なり」の仕事パーソンでこの国は成立っている・・・。
新横浜を過ぎると丹沢の山が見えた。しかし富士山は曇で無理でした。あまりにも高速で近くの風景は目に止まらず、遠い風景のみ楽しめます。
途中、車内販売からホットコーヒー(\300)を買い、喉を潤した。
15:27 定刻に新大阪に到着。直ぐ大阪駅行き電車のホームに向かった。
15:40 大阪駅に到着。

ヒルトン大阪: 

15:50 ヒルトン大阪に到着。入口からヒルトン・モールに、モールのドアーからロビーに入る。入口の案内係りに「宿泊」と伝えて手荷物を渡した。ワイフはロビーの椅子で休み、私だけフロントに行く。エースJTBの予約票(行程票)を渡した。直ぐワイフのいるロビーの椅子に案内され、そこで待たされる。確認が済むとフロントの人がロビーまで来てくれ、そこでチェックイン手続きを完了する。
16:05 15階の部屋に案内された。部屋はシンプルにまとめられている。過度な派手さや豪華さはないが、清潔で快適なものでした。国内のヒルトンはツイン・ルームにカーテン代わりの障子を使っている。この春に泊った東京・新宿のヒルトンも、今回の部屋もそうでした。
窓の外はオフィス・ビルで多くの人達がまだ仕事中でした。
ヒルトン大阪、ロビーのX'mas Tree 泊まった部屋(1) 泊まった部屋(2)
16:35 部屋を出て、1階のモールに行く。クリスマス用デコレーションが既に取り付けられ、きれいだった。 1階のエルメスに入ってみる。珍しくもケリー、バーキン、ポリードなどの高級バックが並び、節約ムードの昨今は販売が難しいかな?と思わせた。 年末X'mas用に豊富な品揃えにしたのかも知れませんが・・・。
16:47 外に出て、大阪駅の前を御堂筋まで歩く。
御堂筋は銀杏の黄葉がみごと
6年前は陸橋の周辺にダンボール生活の人達が多く、不気味な印象が残りました。全て撤去され、駅前は清潔で安全な場所に変わっていた。 個人の生きる権利も大切ですが、社会的な体裁や標準とか規範も大切、実際のバランス取りに苦労があるのでしょう。 しばらくは銀杏の黄葉が最盛期の御堂筋を南に散策、しかしウィンドウ・ショッピングしようにも店は多くはない。「ジャンボ宝くじ」の特設売場のみは売手も買手も数が多く賑わっていた。その人気に驚くのみです。御堂筋の横道は飲食店の看板やネオンがとても多い。時間が早いためか人通りはまばらだった。

夕食(美々卯本店): 

曽根崎新地の近くまで歩いたらしいが、結局は地下鉄「梅田駅」に戻り、御堂筋線で淀屋橋駅まで行く(\200)。梅田駅と淀屋橋駅の間が長いので驚きでした。
メモした美々卯本店までの道順は「12番出口から御堂筋、大阪ガスの角を右に入り御霊神社の裏に行く。」 ところが、ガス器具ショーウィンドウや大きな柱に社名プレートがあるにもかかわらずですよ、大阪ガスのビルを認知できず真直ぐにスタスタ・・・。ラッシュ時、あまりの人に酔って行きすぎた。次ぎの地下鉄駅が先に見え始め、あわてて人に尋ね、戻りました・・・。

大阪瓦斯ビルから商店などがある横丁に入り、御霊神社の裏側まで行く。少々暗い感じでも、美々卯・本店は直ぐ分かる。ほっとしました。

18:00 美々卯本店に入る。右側に会計を兼た受付があった。予約なし。「うどんすき」のみなら椅子席です。広く綺麗で余裕を感じさせる部屋、すでに数組が食事中でした。
右側の2人用テーブルに案内される。ここは IH ヒーターだった。飲物はお茶にして、「うどんすき(\3500)」を2人前たのんだ。
美々卯・本店の入口 テーブル席 うどんすきの薬味など
半分に分けた後半用の食材 活車海老は調理してもらった うどんすき

一度茹でた白菜を海苔巻き状にまとめたり、「活車海老は暴れますが、ご自分で鍋にいれますか?厨房で茹でてから持ってきましょうか?」とか、老舗としてのコツはいろいろ感じます。2度に分けてつくったが、スープはその都度ツボから鍋に入れてくれる。うどんは腰が強く、具も種類が多くて目でも楽しめる。我々には量も適当で満足でした。雰囲気も良かったと思います。
会計を済ませ、ワイフは美々卯のシンボル「うさぎ」の箸置き(\300)を買っていた。

19:00 店を出る。温まった体に外の空気は心地よかった。
横道を戻り、御堂筋を地下鉄「淀屋橋駅」まで行く。地下鉄(\200)で梅田駅に戻った。ホテルの部屋までは少々時間がかかった。
19:30 ホテルの部屋に戻った。
その後はテレビを見たりで寛ぎました。明日に備え、日頃よりかなり早く休みました。

2日目(11/29)
奈良(興福寺・東大寺・法隆寺)、道頓堀・心斎橋筋
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起床して窓の外を見ると今日は曇です。雨が降るような感じではなく、ホッとした。

朝食: 

07:40 小型のデジカメをポケットに入れて、2階のレストランに行く。
ヴァイキング形式です。ワイフは和食でしたが、私は洋食でした。
バイキング朝食・洋 バイキング朝食・和 食後のコーヒー、何杯か十分に
砂糖入りのコーヒーも十分に飲み、朝食を終えた。レストラン入口にはX'mas 用シュトーレンなど洋菓子がテーブルに陳列されている。美味しそうだった。一旦、部屋に戻る。観光はショルダーバック1つ、連泊なので他のものはキャリーケースに入れておく。

奈良に向かう: 

08:45 ショルダーバックにデジカメ2個などを入れ、部屋を出た。
08:50 大阪駅中央口で大和路線・奈良駅までの切符を購入(\780)、乗車は1・2番線だった。そこに行ったまでは良いが、乗換え無しの奈良行きなら随分と待つ。確認すると「奈良行きは天王寺駅か1つ手前の新今宮駅から。新今宮で乗換えると同じホームで楽です」という。JRサイト時刻表の「乗換え1回」はこの意味だった。偶然ながら、つづいて同じ駅員さんに同じことを尋ねたグループがいた。不慣れな土地では・・・。
幸い環状線は同じ1・2番線ホーム、天王寺方面の電車をしばし待って乗った。
新今宮に到着。次ぎの大和路線・奈良行きは 09:44発の快速電車です。
09:44 新今宮を出発。電車は平行座席でした。

奈良: [ 観光地図/観光案内所の地図(部分) ]  

10:23 奈良駅に到着。改札を出てから駅舎内の観光案内所で無料の観光地図をもらった。
10:35 奈良見物の始まり。駅舎の隣に古風で立派な建物があった。その前の横断歩道を渡り、商店街の三条通を東に向かう。奈良漬など名物の店もちらほらある。買物は帰り、大よその見当を付けながらゆっくり歩いた。
10:55 駅から1Km余、興福寺の三重塔まで来た。南円堂の階段は登らず、右側の猿沢池を半周する。猿沢池から観る興福寺の五重塔は絵葉書などで知られている、と思っていた。しかし時代が変わったようで観光の人影は少なく、地元の人達がベンチで過ごしている。
次ぎは興福寺です。三条通を横切り、広い石段(52段)を登る。右側は紅葉が盛りだった。

興福寺 (法相宗の大本山)(世界遺産):  [ 興福寺の案内図  

まず興福寺について: 西暦710年(和銅3年)に都が平城京に移された。それに伴い藤原不比等が現在の地に興福寺の造営を始めた。爾来、藤原氏の氏寺でした。大和国領主として僧兵を擁し、最盛時には175もの建物を有し、久しく盛大を極めたとされます。現在は法相宗の大本山で南都七大寺の1つ。国宝を含む貴重な文化財が多くあります。
興福寺/東金堂 興福寺/五重塔
興福寺/南円堂 興福寺/三重塔
11:12 興福寺境内に入る。直ぐ右側に国宝の五重塔と東金堂、その先に国宝館、左側の遠方に南円堂が見える。ここから三重塔は見えない。境内の中心部にあった中金堂や回廊や南大門は復興の工事中でした。しばし国宝の東金堂や五重塔の写真を撮って過ごしました。観光客はポツポツ続いて訪ねてきます。写真の南円堂や三重塔は帰路(午後)の撮影です。
11:20 紅葉した木々の参道を西に歩いたら国道369号線だった。丁度、奈良県庁の前です。そこを右に行き、東大寺に向かった。登大路園地の黄葉の下で鹿の群れがのんびりと草を喰らっている。道沿いのモミジは見頃でした。大きな交差点になるが、そこは広い地下道で信号待ちはない。その後も松の大木とみごとな紅葉が入り混じる歩道がつづく。

東大寺 (華厳宗の総本山)(世界遺産): [ 構内図/案内所の地図 ]   

11:40 国道から東大寺の参道に入る。南大門の北側は春日野園地、その南端のモミジの群落と池は紅葉の名所らしくカメラを構える人が多い。確かにモミジは綺麗だったが、池の水量が今一だった。
鹿がバックに入れた小冊子を狙い、ワイフと取り合い。
参道に名物の鹿が沢山いる。煎餅をねだってお辞儀する鹿も・・・。ワイフはバックに入れていた観光冊子を鹿に食いつかれ取り合いとなった。その鹿は表紙をちぎり取りモグモグと食べてしまった(紙を食べると鹿は腹を壊す、という。) 隙を突かれたワイフはびっくりでした。鹿用の煎餅は1袋150円、アチコチで売っている。気前よく御馳走したほうが良いかも・・・。
東大寺・南大門、阿形像 東大寺・南大門(国宝) 東大寺・南大門、吽形像
11:49 まず東大寺正門の南大門(国宝)を通り抜けた。創建当時の門は倒壊し、1199年(鎌倉時代)に再建されたものらしい。左右に運慶・快慶の合作という大きな金剛力士像(仁王像/高さ6.8m)2体があり、左側は阿形(あぎょう/口がアー)、右側は吽形(うんぎょう/口がウン)。「阿吽」は万物の初めと終りの象徴という。昼間は保護用の金網のため細部の鑑賞は少し難しい。
大仏殿正面の中門(閉鎖)に到着。その格子から内を覗くと大きな香炉があり遥か向こうに巨大な大仏殿があった。
境内を囲う建物の左端まで歩くと、そこが入口だった。
近くにトイレがあるが、大仏殿の境内にトイレは無い。拝観は時間がかかります。

12:03 拝観料(\500)を払って入場。回廊の中を大仏殿正面の中門まで行くと先刻外から見た香炉がある。小銭を入れて、煙を体に掛ける。周囲の人達をまねたが、作法として正しいかどうか・・・。広い石畳の道を大仏殿に向かい、直ぐ中に入りました。

奈良・東大寺の大仏

東大寺と大仏の沿革: 平城京時代(710-784)の743年、聖武天皇は華厳経の教理による万物共栄を実現するため、盧舎那(るしやな)大仏像の鋳造を決意した。初め近江国信楽で大仏造像の工事が開始された。行基(後に大僧正)が大仏造像の勧進に起用され、弟子達と諸国を巡った。
745年5月に信楽宮(離宮)から平城京に移られ、造像工事も東山の金鐘寺・造仏所に移転した。747年9月から749年10月の間に8度の鋳継ぎが行われ、高さ5丈3尺5寸の大仏像が完成した。
大仏殿の建立は747年に始まり大仏像と同じ頃に落成したらしい。殿内には像高3丈の両脇侍像や六宗の仏典を納めた絵厨子6基も納置された。752年4月9日盛大に開眼供養会が行われた。開眼師はインドの僧・菩提卵那(ぼだいせんな)、浄財を集めた行基は既に物故していた。
東大寺の発端は聖武天皇の皇太子の菩提のため728年に創建された金鐘山寺にあるが、東大寺の開基は752年5月に別当に任命された良弁とされ、諸大寺の別当職の先例になった。
その後、大仏像は数度の災害で破壊され、大部分は中世に修復されたものだが、台座蓮弁は奈良時代のものらしい。
[参考文献: (1) 東大寺サイト (2) 日立デジタル平凡社「日本大百科事典 DVD版」]
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大仏像の大きさの詳細は、東大寺 FAQ をご覧ください。

日本で最大級の大仏殿 20年も昔、やはり旅行好きのアメリカの先生御夫妻をご案内したことがある。その時、「日本では唯一、欧州の大聖堂に匹敵する建物」と云われた。幅57.5m、奥行50.5m、棟までの高さ49.1mの大仏殿は、尖塔こそ100mを越す欧州の大聖堂より小型に思えるが、大聖堂の礼拝堂部分は尖塔よりかなり低い。欧州の大聖堂や教会を幾多と観た今となって、この言葉の意味がやっと分かったと思います。巨大な大仏殿は木造です。しかし、柱といい、空間といい、確かに欧州の石造りの大聖堂と「似て非なり」ながら迫力や雰囲気は似ているとも云えるのです。
座高が14.98mの大仏像はいつ見ても立派、1250年以上の昔(749年)よくぞ鋳造できたものです。爾来、日本と日本人を見守ってきたのです。

巨大な柱と幸運チェックの穴

大仏像を一回りした。両袖に筆を持った武士と槍を持った武士を従えている。小型ながら金色の仏像も1体あった。
大仏の後方の柱1本には四角な穴が掘られている。その穴を潜り抜けると「幸せに恵まれる」そうで、大勢の若い人達が囲んでいる。僧侶が付き添い、説明したり、潜り抜けにもがく若人を見守ったり・・・。昨今は「恰幅が良い」とは言わないメタボ体形なら絶対に無理、太い腹は幸運より病気に近いようです。別種の「太っ腹」もリスクを考えると、さて・・・。 えっ、なに?そんなの関係ない?

12:30 大仏殿から出る。出口は入口の反対側で、前に鏡池がある。池沿いのベンチで暫し休息しました。
「アショカ王の柱頭」レプリカ

12:47 二月堂に向かって出発。直ぐ手向山八幡宮の大鳥居がある。そこで左の林間の道に入った。大仏殿の方向に珍しい石像がある。背中を合わせた4頭のライオンです。これは、インドの国章に使われ、足元の車輪状の文様はインド国旗の中心に用いられているもの・・・。間違いなく、サールナートの遺跡から発掘され、現地の考古学博物館にある「アショカ王の柱頭」です。釈迦が初めて説法したとされる仏教の聖地サールナートでは見れなかったが、レプリカながら東大寺で見ることができました。

坂道を進むと、幾つかの建物に囲まれた石畳の広場の中心に見事な鐘楼があった。鎌倉時代に再建されたものという。巨大な梵鐘は大仏像と時を同じくして造られたようですが、鐘楼と梵鐘は共に国宝です。
そこから曲がりながら二月堂、三月堂(法華堂)、四月堂(開山堂)に囲まれる広場に着いた。休息を兼ねて四方を見渡す。
二月堂 三月堂(法華堂) 四月堂(開山堂)
13:07 二月堂の石段を上り終え、入口に到着。
古く平城の時代に端を発する行事の1つに修二会(しゅにえ)がある。国家と縁者の隆昌を祈念するものとされ、「お水取り」ともいう。今となっては限られた寺院に残るだけとなった。その中で特に有名なのは、3月1〜14日に行われる東大寺二月堂の「修二会」本行の一つ、二月堂の舞台を巨大な燃え上がる松明を担いだ僧侶が火の粉を撒き散らしながら走る勇壮な「御松明(おたいまつ)」です。特に3月12日には通常の松明より大きい籠松明(長さ8m、重さ60Kg)が登場し、その30分のために数万人の参観客が集まる、といわれます。
二月堂の舞台から大仏殿
舞台中央の御本尊で賽銭を入れて形だけ何か祈願した。御本尊の反対側は大仏殿の屋根が見える素晴らしい景観です。
二月堂を出ると左に下りの屋根付きの石段、正面に休憩所がある。休憩所に入り、お茶を頂いた(無料、使った茶碗は自分で洗うこと。) 壁には松明の実物が飾ってある。さらに大松明に火を付ける僧を描いた壁画があった。5分程度の僅かな時間ながら良く休まりました。
13:26 二月堂の境内を出る。その先は塀に挟まれた石畳の坂道だった。紅葉が風情を添えている。それから大仏殿の裏の道を行き、右に曲がって正倉院に向かった。

正倉院 :  

正倉院
13:46 正倉院に到着。ここは宮内庁の管轄、正面から校倉造の外観を拝見できます。思っていたより大きな建物で、南北32.7m、東西9m、高さ14m、床下2.5m [Ref:広辞苑]。正門内ではデジカメのズームを広角端にして、やっと建物全体が撮影できる感じです。欧州のアチコチで中世の教会などの木造建造物を見たが、正倉院のように端正な形状は見たことがない。真にユニークで立派なもの・・・。
黄色いパーカーのボランティアに引率された小学生らしき団体で賑わっていた。一般の個人観光客はポツポツでした。

正倉院の由来: 『756年(天平勝宝8)6月21日,聖武太上天皇没後49日の忌日に当たり,光明皇太后は書跡,服飾品,楽器,調度品,刀剣その他天皇遺愛の品を中心に六百数十点を東大寺の本尊盧舎那仏(大仏)に献納し,その冥福を祈った。これが正倉院成立の端緒となった最初の献納である。』 [Ref:日立デジタル平凡社「世界大百科事典、DVD版、1998]。

東大寺の見学予定を全て終え、大仏殿の横の道をゆっくりと歩いて帰りました。
14:05 南大門を通り抜け、東大寺を後にした。昼食抜きで広い境内を歩き回ったので疲れました。国道を少し戻った所、氷室神社の先に喫茶店があり、そこで休むことにした。

昼食代わりのケーキ・セット

14:16 ガラス窓の明るい喫茶店「下下味亭(かがみてい)」に入った。丁度1テーブルが空いている。コーヒーを注文、ワイフはケーキ選びにカウンターまで行く。やはりケーキセット(\680)になった。これで軽い昼食です。空腹のためか、ケーキとコーヒーの味は良かったと思います。
15:00 喫茶店を出る。

国道から三条通に出るため、興福寺の境内に入った。南円堂の前を通り、引っ込んだ所の三重塔を写真に撮った。その後、沢山の旗が並ぶ石段を降り、三条通をブラブラとJR駅に向かった。
途中、今晩用に草餅を3個(\300)だけ買い、次に奈良漬1個を自家用に買った(\1300)。奈良漬はどうやら社長自ら接客してくれたようです。支店は何処にもなく、ここでしか買えない奈良伝統の漬け方ながら、「皆さんが知っている奈良漬とは違う」と云っていた・・・。かなり保存は出来るようです。
法隆寺駅までの切符(\210)を2枚購入し、奈良駅のホームに立つ。ここは大和路線と桜井線があり、電車を間違えると大変です。
15:47 奈良駅出発。

法隆寺 (聖徳宗の総本山)(世界遺産): 

法隆寺の正面
15:59 法隆寺駅に到着。法隆寺駅は新しい駅舎で北西と南東の2ヵ所に出入口がある。北西側から出たが、外にタクシーはいない。広い道まで歩いたが、バスもタクシーも通らない。道行く人に尋ねると「駅の東側出口にタクシーがいる」という。そこまでの道順を教えてくれました。戻ってタクシーに乗った。10〜15分の無駄でした。

16:20 タクシーが法隆寺に到着した(\810)。ドライバーさんは、4時30分に閉まるので入場料(\1000)を払っても何も観れない。暗くなるまでに門や五重塔の上部を観るしかない、と教えてくれた。
法隆寺は607年に聖徳太子が開基創建した聖徳宗・総本山で南都七大寺の1つ。由緒ある建物や仏像などは東大寺を凌ぐともされ、ゆっくり拝見すると一日でも無理らしい。1993年12月に日本では最初の世界遺産に登録され、金堂や五重塔などは世界最古の木造建築群とされている。
我々は研究者でも檀家でもなく観光客にすぎない。すでに夕暮れも濃くなる時刻、法隆寺の正面のみ散策して終わりました。4時半になると入り口の門は閉められ、寺院の職員らしき人達があちこちの建物から帰宅のため出てきました。我々も法隆寺正門近くのバス停に移動です。

当初は15分待ってバスに乗るつもりだったが、結局タクシーでJR駅に戻った(\790)。
16:50 自販機で天王寺駅までの切符(\420)2枚を購入。1万円札を入れると、釣りの硬貨160円は出たが、9000円が出ない。ボタンで駅員を呼んだが、誰も来ない。時間がかかった。自販機の隣の小窓から謝りながら9000円を渡してくれた。トイレだったらしい。ここは2階に駅の機能が集められ、ホームは階段かエレベーターで昇降です。エレベーターを利用する。
17:01 「なんば行き」が出発。実はJR「なんば駅」を知らなかった。地下鉄・御堂筋線「なんば駅」の近く、終点まで乗れば目的の道頓堀は歩いていける。これは後から分かったことで・・・。

大阪に戻り、夕食、そしてホテル: 

17:24 天王寺駅に到着。ここから地下鉄・御堂筋線で「なんば」に行く(\230)。ラッシュ時で天王寺駅内も地下鉄の車両も混んでいた。
JR駅や地下鉄駅にはエスカレーターがある。大阪では右側に立ち、左側は急ぐ人のため空けてある。(注:東京は反対、左に立ち、右を空ける。) 江戸時代は大坂は金貨、江戸は銀貨、でした。これで両替商が成り立った。しかし、右に立つか左に立つか、これに経済的な意味はない。単なる意地の張り合いみたいですね。何れにせよ、行儀が良いので安全でしょう。
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ついでながら、筆者のロンドン旅行記(1998年10月)のコメントに、「エスカレーターに乗ったら右側に立つルールで、左側は急ぎの人達が進めるよう空けておかなければなりません。」 10年前の日本には、エスカレーターに乗ったら「左に立ち右を空ける」または「右に立ち左を空ける」といった統一された習慣はなかった。社会的マナーの1つが早く定着したことに驚いています・・・。
追記:横浜市のようにエスカレーター上の歩行は危険として禁止している自治体もあるようです。この場合は左右いずれかを空けて立つことに意味がない。(2008.08.04 記)

道頓堀のネオン街: 

道頓堀のネオン街
17:45 地下鉄なんば駅から御堂筋に出る。道頓堀の商店街は直ぐ分かった。大都会のエネルギーを行き交う人々や飲食店のネオンに感じながら、奥へと歩く。
何かと知られた「くいだおれ」のブリキ人形は相変わらず、お客の入りが良くて近年のモデル・チェンジは無いらしい。その先、水掛地蔵に行く右側の小路を過ぎたら、左側に目的のお好み焼き屋が見えてきた。
追記: 60年間も営業した大阪名物「くいだおれ」は2008年7月8日を以て閉店される。ブリキの「くいだおれ太郎」も見れなくなります。 (2008/4/9 記)

お好み焼き「千房」: 

17:55 千房(ちぼう)に入る。ここのレストランは4階あるようだが、料理が「お好み焼き」なら1階です。店に入ると直ぐ左にカウンター席とお好み焼き職人がいる。しかし、中央に2名用テーブルが1つ空いていた。そこに案内される。
メニューからビール中瓶1本、この店1番の売れ筋というお好み焼きを2つ、注文は少し遅れたが焼き蕎麦1つ、これで全部だった。ウェイトレスは日本人女性とアジア系女性の二人だった。アジア系も日本語は堪能で丁寧な言い方、問題なし。
道頓堀・千房(ちぼう)の入り口 お好み焼き 焼き蕎麦
お好み焼きは職人が作ったものを持ってくる。鉄板は冷えないようにするだけです。焼き蕎麦は材料を持ってきたのでテーブルで作りました。
本場のお好み焼きで空腹は収まり、体も温まり、疲れも癒された。ホッとしました。でもビールはやはり残しました。コップ1杯でもう真っ赤です。
インターネットで調べて決めた店ですが、奈良を一日歩いた後のこと、気取った雰囲気がなく庶民的で却って良かったです。
19:02 料金(\4780)を払い、店を出る。

心斎橋筋の商店街: 

X'mas電飾の心斎橋筋
ネオン街をブラブラ戻り、テレビで時々見る道頓堀の橋を渡り、X'mas用の電飾が付けられた心斎橋筋のアーケードをしばし歩いた。川のような人の流れに内心は驚愕でした。若い人達が多いが中高年もかなり歩いている。やる気の多い大阪人のエネルギーが集約され発散されているようでした。皆さん、明るい顔付き、「儲かってます!」らしく見え、結構なことですネ・・・。
ブランドショップに冷やかし半分で入ってみたが、どうやら中古品の店らしい。
横丁を通り御堂筋に戻る。橋を過ぎて地下鉄駅に入った。
19:25 梅田までの切符を買い(\230)、なんば駅の改札を通る。後は昨夜と同じルートでホテルに戻るだけです。

ヒルトン大阪: 

19:51 ホテルの部屋に戻った。今日は11時間以上の個人観光です。やはり足がガクガクする感じ、ワイフはドクターショールの段階圧力ソックスを着用したが、それでも辛かったようです。
奈良・三条通で購入した草餅
しかし、シャワーで汗を流すとサッパリして気分爽快です。
奈良で買った「草餅」を味わった。観光客相手の店らしく期待はしなかったが、やはり我々が時折食べる草餅と違う食感です。でも、これは個人差や地方差があり、奈良の味でしょう。
後はT.V.を観ながら自然に Z、Z、Z、z、z、・・・。
疲れすぎか夢で目覚めたが、その後は熟睡でした。

3日目(11/30)
宇治(平等院・萬福寺)、京都(知恩院)、新幹線で東京
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バイキング朝食タップリ
カット・フルーツにヨーグルト
06:00 起床。今日は晴。
07:15 朝食レストランに行く。空腹感が強く、ソーセージ、ハム、チーズ、スクランブル・エッグ、ビーンズ、ワッフル、カット・フルーツにヨーグルト、パン、コーヒーと随分な量でした。
07:50 一旦、部屋に戻る。忘れ物の確認をしてから部屋を出る。
08:10 フロントにカードキーを返却し、ミニバーのジュース代(\504)を現金で払う。直ぐ大阪駅に向かった。

JRで京都に: 

08:18 大阪駅中央口の自動販売機で京都までの切符(\540)2枚を購入した。
08:28 9番乗り場から新快速・京都行が出発。
08:56 京都駅に到着。直ぐ新幹線乗り場に向かった。事前のオンライン調査では新幹線乗り場の近くにロッカーがあるはず。直ぐ分かり、キャリーバック2個を入れ施錠(\400)した。

JRで宇治に: 

宇治行きの電車は新幹線寄りの8、9、10番乗場でした。歩かずに済みました。
09:07 10番線にいた奈良行き特別快速に乗車、普通の平行座席の電車だった。我々は座れたが、すぐ満席になり、立った乗客も次第に増えた。
09:09 出発。特別快速はまず東福寺駅に停車、そこから宇治駅まで停車しない。東福寺の紅葉狩りに行く人達が大勢乗ったらしく、東福寺駅で車内は空きました。
09:29 宇治駅に到着。
09:32 京都駅では改札の外に出なかった。ここで大阪・京都の切符を自動清算機に入れ、表示された乗越し料金(\410)を払った。
銭勘定: 帰宅後にJR西日本サイトで料金の再調査( 2007/12/12 )をした。通しの大阪・京都・宇治(乗換え1回)の切符は950円と表示され、支払った額(\540+\410)と同じだった。ところが同じサイトで京都・宇治の切符は230円と表示される。大阪・京都は540円だから合計770円、つまり大阪・京都の切符で京都駅を一旦出て、そこで京都・宇治の切符を購入した方が180円も安い計算になる。常識的に「長距離運賃は割安」、間尺に合わないと思いますが?

京都府宇治市:  [ 宇治・観光地図/観光案内所の地図(部分) ]

09:44 駅の観光案内所で無料の宇治観光マップをもらう。
その後、宇治橋通り商店街を宇治橋まで歩く。本物の老舗らしき店もあり、しめ飾りのような素朴な飾りを軒下につけた家もある。魔除けでしょうか。
宇治川と宇治橋を背にする紫式部像

09:55 宇治橋の袂に紫式部の石像まできた。
平安中期の紫式部(970/973年生)は有名な「源氏物語」のほか「式部日記」や「紫式部集」を残した。よく分からないが、紫式部について研究的なアプローチをすると多くは霧のなか、何が真実か見えなくなるようです。つまり仮説を立て研究しても検証が難しいらしい。しかし、紫式部には宇治に関連する晩年の作品があるとされ、石像の建立となったのでしょう。
追記:源氏物語の原本は存在していない。その写本が数多くあるようで、青表紙本(藤原定家の書写しとされる/大島本)や河内本(河内守源光行・親行親子による校訂)が知られている。それらとは別系統で室町末期のものとされるが行方不明だった「大沢家本源氏物語」54帖が約100年ぶりに見つかったそうです。(出典:2008.07.22付けオンライン各紙)

今の宇治橋が大昔の宇治橋と同じ場所か分からないが、一説によると646年に初の宇治橋が架けられたとされる。当時の石碑の一部が残っているとか。やはり古(いにしえ)に端を発するものが実際に多くある・・・。
平等院表参道に入る。この道は両側に御茶屋さんが並び、「日本かおり風景百選の道」とか・・・。いろいろな風景があるものです。

平等院 (Temple of Equality)(世界遺産): [ 平等院の案内図 ]

平等院の表門
10:03 平等院・表門に到着。境内のモミジは見ごろの紅葉でした。拝観料(\600)2名分を払ったら、鳳凰堂の内部拝観は別料金という。一旦は1人300円出して購入したが、入場時刻と人数制限があり、写真撮影は禁止です。手持ち時間が気になったのでお返しした。快く良く返金してくれました。後は境内の自由散策です。我々にとって初めての拝観です。
当然ですが、まずは阿字池越しに鳳凰堂の正面に行きました。この均整の取れた見事な建物は「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。十円硬貨の裏面にこの鳳凰堂が描かれおり、知らぬ日本人はいない。さらに、その屋根の鳳凰像(国宝)は2004年新デザインで発行された1万円券の裏に用いられています。その意味では実に庶民的というか身近な古寺なのです。
平等院本堂の名称となった「鳳凰」は中国の想像上の鳥で「幸せを運ぶ」とされるようです。御本堂の屋根に一対の鳳凰像がありますが、日本では平等院以外でも鹿苑寺金閣の屋根の鳳凰が有名とされ、庶民的には祭り用の神輿の屋根に使われています。
西方の極楽浄土にいるとされる阿弥陀如来の坐像が鳳凰堂の御本尊です。11世紀に建てられた阿弥陀堂として代表的な遺構の1つとされる。鳳凰堂内部は撮影禁止なので、御本尊は西に向かって遠方から望遠を効かせて撮るしかありません。どういう訳か、ご尊顔の前にのみ適切な窓があり、写真に収めて下さいと云わんばかりです。格子越しですが、お手の指を合わせ円をつくった御本尊の輪郭がかろうじて分かる程度に撮れました。全くの邪推ながら、観る人の阿弥陀信仰が深ければ、格子は邪魔をせず御本尊のみが良く見える、といった趣向かも知れません。
鳳凰堂のご本尊、阿弥陀如来坐像平等院鳳凰堂と阿字池
平等院は藤原頼通が父親の別荘「宇治院」を1052年に寺に改めて「平等院」と号し、翌1053年に阿弥陀堂(鳳凰堂)を建立したのが始まりのようです。爾来、天台宗だった。しかし1度荒れ果てた。中世末に浄土宗が平等院を復興させ、さらに真言宗も進出し、平等院をめぐり諸宗派の間で争いが続いたらしい。現在は天台・浄土系の単独寺院とされる。御本尊や屋根の鳳凰を含めて平等院は国宝などの文化財に満ち溢れています。

歴史に疎い素人の疑問です。英語の名称「Temple of Equality」は国際的にも素晴らしいと思うのですが、これは「平等院」を明治維新後に翻訳したものでしょう。藤原頼通公が1052年に用いた「平等」は今日の意味と同じだったのでしょうか・・・。

雲上の楽器を奏でる仏

10:40 鳳翔館なる博物館に入る。興味深いお宝が展示されています。サイズは小さなものですが雲上の仏などが多く、楽器を演奏する姿も幾つもある。右の写真ではないが、雲上の仏像の中には国宝もあるようです。
博物館のきれいなショップで記念の品を幾つか購入しました。
朱色の鐘楼を簡単に拝見してから浄土院と最勝院の前を通り、表門に向かった。
11:00 この頃、平等院を後にした。

お茶屋さんで普段用を2本購入。宇治茶は高級煎茶が多いらしいが、特に趣味もなく・・・。
紫式部像を再度見て、宇治橋の袂から流しのタクシーに乗った。
11:23 黄檗山萬福寺の総門前でタクシーを降りる(\890)。運転手さんに白雲庵の場所を尋ねると、右前にある白壁の門を指差した。「ここは美味しい。お寺のは素人の坊さんが作るから。」 お寺の普茶料理(精進料理)は確か3名以上で予約可能だったはず・・・。

黄檗山萬福寺 (黄檗宗の総本山):  [ 萬腹寺の案内図 ]  

萬腹寺の総門
三大禅宗といえば臨済宗、曹洞宗、黄檗宗とされます。中国の福建省から渡来した隠元隆雫(りゆうき)禅師が1661年に開山した萬福寺は、その黄檗宗の大本山です。最初の総門も小ぶりながら日本離れした中国風に思えます。
文化財・告知板
萬福寺のブローシュア等によると、儀式作法は中国・明時代の仏教儀式、お経は黄檗唐音の発声で明代の法式梵唄を伝え、チーク材を使用した中国風の建築様式による伽藍配置とされる。広い境内を埋める伽藍や回廊などの建造物は隠元禅師から幾代にも渡って建てられたものです。創建当時の姿そのままを今日に伝える寺院は他に例を見ない、とされる。事実、開山堂の門近くに立つ告知板によると、萬福寺”全域”が国指定の重要文化財・・・。

11:24 総門から境内に入る。右に放生池があり、その周辺にポツポツとモミジの紅葉もあった。この部分は三門までの前庭らしい。
大きく立派な三門に至る参道の両側に「毎月8日はほていさん、黄檗ほてい祭り」と書かれた幟が立ち並んでいる。知らずに来たが、ここ萬腹寺が日本最古の「布袋尊(七福神の1つ)」の寺になるそうです。布袋は唐代に実在した流浪の僧で布施の全てを背の大袋に入れた。大きな額と巨大な腹と背の大袋、こんな姿に俗信も加わって次第に福の神として日本でも信仰を集め始めていた。黄檗宗の来日で、七福神の1つとしての人気が加速された、と云われます。
(七福神: 大黒天、蛭子、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋。)

三門は総門から直進し右に池を回った所の左側にあった。そこで拝観料(\500)を払った。
境内の左側に行く。そこには開山堂がある。隠元禅師の仏を祭る建物でしょう。その前・横の松蔭堂は工事中だった。
天王殿に至る。ここは大きな金色の布袋像が鎮座おわします。食べ物が乏しかった大昔なら「こんなに太れるだけ食べたいもの。布袋の幸運にあやかりたい」と考えても不思議はない。今日は飽食の風潮を引きづりつつ省エネと健康志向の時代に進んだ。内臓脂肪たっぷりの体形は敬遠され、「恰幅がよい」とほめることはない。しかし、布袋尊の笑顔はいいですネ。
小型の提灯が沢山下がっている回廊を歩く。回廊の上部に所属寺院名がズラーと書かれた場所があった。大本山のこと、個人の檀家名ではない。回廊から出て本堂正面に立ったが石段の上は竹で通行止め。仕方なく右側の回廊に行き、それに沿って本堂に向かった。
11:50 萬福寺の本殿は大雄宝殿(だいゆうほんでん)という。境内で最大の伽藍、使用の木材は南洋の丈夫なチーク材とされる。
御本尊は「釈迦牟尼仏」で一対の脇侍を従え、本堂の両端に十八羅漢像が置かれいてる。
天王殿(布袋像) チーク材を使った大雄宝殿(本堂) 開山堂(隠元禅師)
布袋尊 御本尊の「釈迦牟尼仏」 提灯が多く下がる回廊
本殿の後方に法堂がある。近づきかけたが、法要が営まれていた。遠慮して祖師堂や寿堂の前を歩いて再び開山堂の前にでた。
12:05 そこから三門を通り、総門を抜けて俗世界に戻った。

白雲庵 (普茶料理): 

萬福寺を出ると道路の向こう左側に白壁に囲まれた古風な建物がある。そこが昼食をオンライン予約(12:00)した普茶料理(精進料理)の白雲庵だった。道から少し奥まった門を入ると傾斜地に庭がつくられ、斜面沿いに段差のある建物があった。

12:08 庭を見ながら玄関に入り、名前を告げたら直ぐに分かった。門に近い所の小部屋に案内される。簡単な置床に掛け軸があり、生花が床柱に飾られている。大部屋で他の人達と一緒と思っていたから、驚いた。思わず「大部屋と思っていました」と口からでた。「今日は大勢が来られて場所がありません」とのことだった。却って2人だけで落ち着けます。

まず茶菓子が出て、次は美味しいゴマ豆腐です。その次が普茶料理のお重でした。ゆっくり賞味しました。それを終えるとご飯と汁と漬物です。最後に果物のデザートでした。
白雲庵の表門 茶菓子 ゴマ豆腐
普茶料理 ご飯・汁・漬物 デザート
部屋の掛け軸
こちらの普茶料理について、隠元禅師にちなんで中国風とか、日本の精進料理と違う、という人達もネット上にいます。しかし、我々に比較は無理、量的に十分で美味しく頂きました。写真のセット(\3500+tax)は日に20組インターネット予約のみの受付けです。サイトによると、このセット以外は最低5000円以上で種類と量が多いようです(2007年秋)。

13:15 庭の段を降りて玄関の帳場で支払いを済ませた。記念の絵葉書を頂いた。近くの広間らしき部屋は詰込んだ感じがする程のお客さんでした。団体でしょう。
今日の昼食は、日本流のもてなしを楽しめて満足です。お庭を見ながら通りに出て、黄檗駅に向かった。下り坂なので楽でした。
「万福寺、拝観のあとは、満腹時、我が腹までが、あら布袋腹」 失礼!

13:20 JR黄檗駅に到着。京都駅の切符(\230)を購入し、ホームのベンチで電車を待った。
13:28 黄檗駅を出発。
13:49 京都駅に到着。直ぐバス乗り場に向かった。もう時間が無いが、予定通り知恩院まで行くつもり。バス路線図を手に観光客の手助けをするボランティアが206番の乗り場に案内し、新しいバス路線図もくれました。今回はもう使わないが、感謝!
14:00 バス206番が出発。料金は降車時の支払いで1区間(\220)でした。

知恩院 (浄土宗の総本山): 

知恩院の大きな三門 知恩院の本堂
以下、この寺院について。知恩院は浄土宗の総本山、開祖の法然が晩年を過ごした大谷の禅房があった場所という。法然の念仏教団は当時の権力から危険思想とされ、法然と親鸞を含む弟子達は死罪や流罪になった。法然の没後は大谷の禅房上に廟を建て法然の御影を置いて命日に知恩講を行っていた。その後、幾多の困難を乗り越え、次第に浄土宗の中心寺院の地位を確立していく。徳川家康公の帰依を受けた知恩院は1603年に伽藍の拡張を行い、幕府の保護下において浄土宗総本山たる地位を不動のものにした、とされます。

14:21 知恩院前で下車。直ぐの街中に知恩院古門があり、通り抜けた。すると浄土宗系の学校が立ち並ぶ道となり、若い人達の出入りが多くなった。緩い坂道が突き当った石段の上に「知恩院・総本山」と書かれた古い立派な門がある。これは史跡らしい。
そこから右に行くが、山側の白壁や紅葉が見事な通りでした。ほんの数分歩くと観光客で賑わう入口の駐車場でした。

14:30 日本最大の楼門とされる三門(1621年、高さ24m、横幅50m、屋根瓦約7万枚)を見上げた。石段の向こうの高い所にあり、道からは巨大に感ずる。寺院の門は山門と書くことが多いが、知恩院は三解脱門(空・無相・無願)の意味で三門と書くという。その三門を通り、本堂に向かうキツイ石段を登った。
本堂(御影堂)の前に到着。左手には大型バスが並び、本堂で法要を行っている様子だった。これでは何も拝見できないので、直ぐ横の坂道を三門前に下りました。知恩院では三門と本堂の外観を拝見しただけですが、何も見ないよりは良かったでしょう・・・。時間があれば青蓮院と八坂神社を歩きたかったが、無理でした。

四条河原町でショッピング: 

14:40 三門前でタクシーに乗る。行く先は四条河原町です。交差点の手前にタクシー乗り場があり、そこで降りた(\660)。 信号を渡り、菓子と佃煮の老舗「永楽屋」に行く。ワイフは京都に来るとこの店で何か少し買物することが多い。 用事が終り、信号待ちのタクシーに乗った。時間がなく寸足らずの京都だったが、予定は終えました。

新幹線「のぞみ」で東京に: 

京都駅に入るN700系「のぞみ」
15:15 京都駅に着く。直ぐ改札を通り、コインロッカーに向かった。 キャリーケース2個を出し、購入品を手分けして入れた。直ぐ新幹線乗り場に向い、5号車の乗場で待つ。

15:46 新幹線「のぞみ」は予定通り出発。車両は新型のN700系、5号車の中ほどの2座席です。しばらくは外を見たり、車内販売のコーヒー(\300)を飲んだり・・・。しかし、直ぐ暗くなり、ウトウトする間に東京に着いた感じです。
18:06 定刻に東京駅に到着。ホームからエレベーターを利用してコンコースに降りた。

キャリーバックを引きながら八重洲口に出た。地図を頭に入れたつもりでも思い出せない。記憶の八重洲とは全く変わっている。ケータイでホテルに連絡し、道順を教えてもらった。北口の先の日本橋口まで行き、そこを出て直ぐのビルにある、という。知ると簡単だが、新しい日本橋口は初めてです。随分と遠くに感じました。現在の八重洲は自分が本物の田舎者になったと納得する程に変わりました。

ホテル・メトロポリタン丸の内: 

東京駅日本橋口を出ると直ぐ左に真新しい「サビラタワー」がある。そのビルの27階以上がホテル・メトロポリタン丸の内(JRホテルズの1つ)になる。ホテル専用のエレベーターが日本橋口の近くにあり、便利だった。ロビーに入ると、やはり伝統的なホテルとは雰囲気が違う。

夜景のガラス窓を背にフロントがあった。予約は楽天トラベルだったが、クレジット・カードの番号は求められなかった。チェックインを終えると、ベルボーイが手荷物を運んでくれる。このホテルは部屋のキーが無いとロビーから奥に入れない。つまり、カード・キーはICカード、それを読取らせてガラスのドアーを開け、宿泊客専用のエレベーターホールに行くのです。当世の先端企業やマンションでは普通のシステムでしょうが、我々には非日常的なものでした。特に不便は無いし、セキュリティ上は安全性が高まります。
ビルの外からは分からないが、客室部分はロの字型で中心は巨大な吹き抜け、その底がロビーです。ガラス張りなので危険はない。

18:35 エレベーターを降り、32階の部屋に入る。第一印象は大きなガラス窓でした。カーテン(スクリーン?)は電動で上下する仕組み、近代的な感じです。ベッドは外人向けか長いものでした。その為か、25平米の為か、ベッドと窓の間が狭く、チェアーとテーブルの配置が窮屈でした。これは直ぐ慣れましたが・・・。インスタント・コーヒーやお茶などは一切なく、代わりに冷蔵庫のミネラルウォーター2本がサービスです。バスルームのアメニティの種類は十分にある。しかしグラスはプラ製でした。ざっと見渡して、ワイフはベルボーイにスペアー毛布一枚をお願いした。快く引き受け、5分くらい後に届けられました。
ホテルのロビー 吹き抜けの下はロビー 部屋からの風景、神田駅方面
ホテルの部屋 液晶TVはキャビネットに取付け バスルームのアメニティ

銀座4丁目、木村屋で夕食: 

東京駅近くのイルミネーション
18:53 夕食のため、部屋を出る。
ラッシュ時は過ぎて歩道の人影は少なかった。街路樹の電飾がきれいに見える。近年はLEDを用いた電飾が冬の街路では流行のようです。物めずらしくキョロキョロしながらメトロ日本橋駅に向かった。実は近くの中華レストランが予定だったが、気が変り銀座に行くのです。
銀座線の改札を電子マネーで通ろうとしたら拒否された。調べてもらうと、前回の使用で改札を出た記録がなく、これが理由だったらしい。最後の使用は2日前の品川駅中での食券購入でした。我々には不明の原因があったようです。
銀座のX'mas Tree

地下鉄・銀座線の日本橋駅も様子が変わり、昔の記憶は全く役立たずでした。
2つ目の銀座4丁目駅で降りる。夜の銀座は数十年ぶり・・・。三越がまだ営業中、お客は多かった。地下のお菓子屋さんに自宅配達を頼んでおく。運悪く不慣れなパート店員だったらしく恐ろしく時間がかかった。

金曜の夜のこと、銀座中央通りはかなりの人出だった。歩道にポツポツと並ぶ X'mas Tree は想像程の大きさでもない。でもシーズンのムードはあり、記念撮影の銀ブラ族も時々見かけます。
19:40 木村屋3階のグリルに入る。夕食時は過ぎ、半分程度の客だった。オーダーはビーフシチュー(\1700)とズワイガニ・コロッケ(\1500)、飲み物は注文しなかった。木村屋はパンが専門、このグリルはパン食べ放題です。空腹のため私は都合4個ももらった。
食べ放題のパン ズワイガニ・コロッケ ビーフ・シチュー
20:15 こんな時刻でもポツポツ客が入ってくる。我々が席をたつころは、来た時よりも多かった。消費税を加えた代金を払い、グリルを後にする。

20:20 メトロの駅に入る。日本橋駅に戻り、ホテルに向かって歩きました。既にオフィス街に人通りは無く、路上のイルミネーションと灯りのついたオフィス・ビルが続くのみ。無機的なガラス、金属、コンクリート、賑やでも寂しい光の群れ、大都会の一面を感じました。

20:45 この頃、ホテルの部屋に戻った。
新しいホテルのこと、シャワーは素晴らしく快適、一日の疲れをサッパリと流せました。 窓はJR神田駅や日銀本店が見える方向で、夜景はそれ程印象的とも云えません。しかし、記念に写真に収めておく。
その後はT.V.の音を聞きながら深い眠りに落ちました。

4日目(12/01)
デパート、築地市場、銀座、モノレールで羽田空港
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07:45 この頃に起床。
08:45 朝食のため27階に降りる。ロビーの奥にレストランがあった。窓は皇居側を向き、横の窓からは東京駅と丸の内のビル群(三菱村)が見える。素晴らしい景観のレストランです。夜景ならさぞかし素晴らしく、絶好の夕食スポットかも知れません。
奥まった席に案内してくれました。食べ物は各自で取りに行くが、コーヒーは食後に入れてくれる。我々が皿に取ったものは大体は決まったものです。
ホテルのレストラン ヴァイキング朝食(1) ヴァイキング朝食(2)
東京駅と有楽町方面、東京タワー 東京駅の赤レンガ駅舎の屋根と丸の内ビル群
09:19 大きな窓から風景写真を撮影して、ロビーに出る。一旦は部屋に戻ってゆっくりした。日本橋のデパートに行く予定なので未だ早すぎます。
10:10 クレジット・カードの一括払いで清算、チェックアウトした。キャリーバック2個はフロントに預け、ホテルを出る。
日本橋と高速道路の高架橋
10:20 日本橋まできました。この日本橋に「日本国道路元標」があるが、東京オリンピックを前に作られた高速道路の高架橋が圧し掛かっている。建設当時は狭い都心故の苦肉の策だったのでしょう。しかし、そもそも1603年に徳川家康公が全国道路網整備計画のために日本橋を架けたといわれ、歴史的に重要で国名を冠した橋なのです。外国人が見たら、どのように思うでしょう? 空から見下ろせる表玄関・成田空港の途切れた滑走路と同じく、誉めてはもらえないでしょう。
今まで日本橋を何度渡ったことか、しかし「日本国道路元標」をゆっくり眺め、写真に収めたのは初めてかも知れません。距離は古い国道のものと思います。
里程表(西方面) 日本国道路元標 里程表(北方面)
10:25 三越本店に入る。我々は地方住まい、大都会のデパートを見る機会は少ない。久々にゆっくりと見歩き、財布の健康を思いながら目の保養としました。
12:10 この頃にデパートを出る。
近年はデパートや大型スーパーなどの業績が下降ぎみといわれ、集約化が進行中です。三越は生粋の三井グループ企業、その会社が三菱系の伊勢丹との合併を決め、各種の手続きが進行中のようです。三井銀行と住友銀行が合併して久しく、企業グループを超えた合併に驚くことはないが、それでも世の中は変わったもの・・・。

ブラブラとホテルに戻る。ロビー入口のホテルマンに「預けた荷物の受取り」と伝えた。フロントの人が直ぐ持ってきました。新しいホテルで伝統的なホテルと感じは違うが、何かと快適な面が多かった、と思います。

その後、東京駅から浜松町まで電車で行く。
13:00 キャリーバック2個をコインロッカーに預ける(\400)。電子マネーの残金が少なくなったのでモノレール自販機で2000円づつチャージしておく。それから山手線で有楽町に戻った。
13:10 有楽町駅を出ると、真新しい大きな商業ビルが出来ていた。たしか TV で見たことがある。駅前のみならず、有楽町駅前と銀座3丁目交差点を結ぶ道が変わったともいわれる。プランタンまで歩いたが、人通りの多さに驚愕です。そこからタクシーで築地場外市場に向かった。

築地場外市場「すしざんまい」: [ 本店と支店の所在地/チラシ地図 ] 

築地本願寺が見える交差点でタクシーを降りた(\660)。賑わう狭い小路に入り、好物のアマダイなどを物色したが、今年2月のような立派な干物は見つからなかった。
13:45 つきじ喜代村「すしざんまい」という寿司屋は行列だった。その行列に我々も並んだ。前の人が、「これを出すと飲み物がタダ」といってチラシをくれた。寿司屋ではお茶で済ますから無用ですが、単なる親切心なので受け取っておきました。
14:05 2階のカウンターに座る。まぐろ赤み(4)、中とろ(4)、活かんぱち、あじ、さば、穴子だったが、たったの2410円でした。サイズや味は、築地場外市場で大繁盛の店のこと論評は無用でしょう・・・。食べた個数は少ないが、我々はこれで良い。さすがの私もカウンターでは写真を撮れなかった。次回があったなら、そして忘れなければ、大皿で出てくる「まぐろ三昧(\3000)」を試してみたいもの。
14:27 寿司屋を出る。

買い物、銀ブラ、帰宅の途:  

場外市場から交差点を渡り、その先でタクシーを待つことにした。丁度バス停だったし、銀座4丁目を通るバスが来た。200円払って乗りましたが、バスでも電子マネーが使える。次回は馬脚を出さないようにしたいものです。
4丁目で降り、三越の地下で手に持って帰るお菓子を買った。これで全ての予定は完了です。
今日は土曜、歩行者天国の中央通を松屋まで歩き、角のルイ・ヴィトンに入ってみる。師走の土曜のためか大盛況、本当の買い物客は大変です。
土曜の午後の銀座中央通、歩行者天国
近くにいた女性2人連れが唖然として声をだした。「みんな、お金持ち〜!」 そんな雰囲気でした。
この交差点は有名ブランドで四つ角が埋まり、さらに新しい有楽町駅前に通じている。駅に向かったが、通りの賑やかなこと「さすが銀座!」

15:10 有楽町駅のホームに到着。後は電車で浜松町に行く。増えた手荷物を手分けしてロッカーから出したキャリーパックに収めました。
15:28 モノレール出発。急ぎではなく、各駅停車に乗りました。
15:52 羽田空港T1に到着。

直ぐ搭乗手続き、エコノミーからJシートにアップグレード(\1000)した。
マーケットプレイス2階のスターバックスに行く。久々に口に合うコーヒーをたっぷりと飲み、ゆっくりと休みました。
コーヒーショップを出てセキュリティーチェックを受け、延々と歩いて搭乗口に向かった。かなり時間がかかった。
後は、搭乗して帰宅するだけです。機材はB767-300、Jシートの座席配列は 2-2-2、我々は右側でした。予定通りの運行でした。到着後、預入れ手荷物がなかなか出てきません。かなり待たされました。

帰宅。家周りにも異常はなく、無事に4日間の旅行を終えました。すごく楽しめた旅行でした。

おわりに Page Head ▲

当サイトに関西旅行記は幾つかあるが、今回は旅行記集に報告のない奈良市と宇治市に行った。紅葉の京都はホテルの連泊予約が難しく、大阪に連泊して電車で奈良往復でした。完全な個人行動です。気の向くまま散策できて、紅葉も盛りの奈良は行楽客も多く、良い雰囲気でした。宇治は京都市から離れた静かな街でしたが、平等院など観るべき文化財が数多くある。それに普茶料理が印象に残りました。

我々としては珍しく、オンライン調査で予め食事の店を決めておきました。大阪の繁華街を歩いても目的は決まっているし、食事内容も大体は分かっている。宇治や東京でも同じです。今までの個人旅行で苦労した食事処探しが、「苦しみ」から「楽しみ」に変わりました。日常は外食敬遠組の我々としては、新たな旅行の魅力要因となりそうです。これは何と云っても「ぐるなび」などインターネット情報サイトのお陰です。東京の夕食だけはアドリブ的に予定が変わりましたが、結果的には却って良かったのです。

全ての旅行メモはデジカメとICボイス・レコーダーの利用です。デジカメはポケットに入るコンパクト・サイズも購入して携帯した。最新式で1240万画素もあり、手振れ防止もよく機能し、ISO感度を高めると発光禁止モードでも記録程度ならよく写る。旅行メモの作成に威力を発揮しました。しかし光学ズームは3倍(換算36mm-133mm)です。観光地では数年間愛用している10.3倍光学ズーム(換算28mm-300mm)のネオ一眼デジカメを使用しました。この使い分けは結果として成功でした。共に連写は苦手ですが、旅行ではまず使わない機能です。

奈良と宇治の地図について、JR駅の観光案内所で頂いた無料の観光マップを部分的に無断使用しています。また拝観券に印刷された地図の利用もあります。無料のチラシの一種と考えましたが、本来は許可を頂く必要があるのかも知れません。当方に悪意はなく、ご理解を賜りたいと存知ます。

文章主体ながら1ページで61KB以上の容量、分割せず1ページのままは長過ぎる気がします。画像を含めるとかなり重いページでしょう。しかし、大容量画像や動画がインターネットで極く通常に使用される時代、大したサイズではないかも知れません。

この関西旅行記をお楽しみ頂けたでしょうか?
長すぎたかも知れませんが・・・、お付き合いに感謝いたします。
よろしければ、当サイトの他の旅行記も御覧ください。

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デスクトップ壁紙写真(1024 x 768)24枚
壁紙写真|奈良・宇治・京都
(2011.04.27 ブラウザ対策)(2008.05.10 文字サイズ変更ボタン設置)(2005.12.13 公開)

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