韓国(釜山・慶州・安東・丹陽・ソウル) 2日目/2008年3月28日
慶州の石窟庵と仏国寺、安東の河回民族村
TOP  ツアー  国情報  準備  始に  1日目  2日目  3日目  4日目  終に 
≪ PREV. 行程表(目次) NEXT ≫
文字サイズ変更ボタン(本文のみ)
◇◆◇

ホテル出発まで:
05:45 起床。この慶州コーロンホテルは宿泊のみ、朝食すら別のレストランです。
07:00 モーニングコールあり。
明るくなった外を見ると、今日は晴。ホテルの裏にはテニスコートや大きな池が見える。満開の白木蓮の近くには散歩の人影もあった。
07:30 忘れ物のチェックをしてからロビーに向かった。外に出てホテルの写真などを撮って時間潰しをした。コンクリートの中層ホテルですが屋根は伝統的な瓦屋根だったのが印象に残った。
07:50 出発。ホテルの人達12〜13人が日本と韓国の小旗を手にして並び、見送ってくれました。気持ちは有難いのですが、不慣れな私としては「驚いた」が正直なところです。日本の温泉ホテルなどは団体の送迎を大切にするらしいが、韓国でもこのホテルは日本人向けのサービスをするようです。

注1:慶州コーロンホテル画像情報は前ページの最後部にあります。
注2:慶州コーロンホテルの地図上の場所は仏国寺の直ぐ近くでした。

朝食(街のレストランでソルロンタン):  慶州/朝食(街のレストラン)
街のレストラン
07:54 この頃、僅か数分で朝食のレストラン「釜山食堂」前に到着です。伝統的な黒瓦の平屋でした。ツアーの39名が入ると満席に近い。
テーブルではワイフと対面で座る。既にオカズ・セット6皿と白飯2茶碗が2人用として置いてあった。受皿にオカズを取り食べていると、メーンデッシュのソルロンタンが運ばれてくる。韮、薄い卵焼き、韓国ヌードル、牛肉などのスープでした。我々には量的に十分で味も和風と違い楽しめます。
バス移動: map
08:20 乗車。手動ズーム・ネオ一眼デジカメを出し、コンパクト・デジカメはショルダーバックにしまいました。これで何時もの海外旅行スタイルです。
まもなく出発、まずは吐含山(746m)の中腹にある石窟庵に向かった。慶州の平野から山道になる。バスは約540mも上るようです。途中に木蓮の白い花が見事に連なる場所があった。天気もよく、早春のドライブは快適でした。

石窟庵(世界遺産): 慶州/石窟庵 wp
751年に建立の石窟庵。建物後方の土饅頭の中が石窟。 08:37 石窟庵の広い駐車場に到着。慶州の町が見渡せる展望台でもあります。山側の一段と高い場所に「佛国大鐘閣」という赤い大鐘楼があった。どうやら上から見ると十字形の構造のようです。キリスト教の施設ならともかく、仏教の施設としては珍しい形でしょう。その右側の広い石段を上がると巨大な梵鐘が中央に釣り下がっている。修学旅行生が路面に腰を下ろし熱心に説明を聞いていた。
よく見ると、巨大な梵鐘(朝鮮鐘)は床から10〜30cmらしく、比例して鐘を突く撞木(しゅもく)も低い位置になっている。今回の旅行中に見た幾つかの鐘楼に共通で、韓国の鐘楼様式は日本のものと少し違ったものでした。
ここから暫くは曲りくねった舗装された山道を行くのです。

08:43 鐘楼のすぐ先にある「吐含山石窟庵」と書かれた門をくぐった。韓国の建造物らしく、小さな門ながら丁寧な彩色が施されて綺麗です。大勢の人達が同じ方向に向かって門を潜っている。参道の傾斜は緩やかなものだった。
08:56 石窟庵が見える広場に到着です。驚くほど多くの人達がいる。修学旅行生の大団体で、賑やかでした。
以下、広場にある説明文です。我々はこの場所でガイドさんの説明を受けました。

石窟庵は新羅時代の景徳王(751)当時の宰相の金大城によって創建され、当初は〈石仏寺〉と呼ばれた。
石窟の平面構造は前方が四角で、後方は丸くなっている。石窟内は本尊仏を中心として、その周囲には天部像・羅漢像・居士像・四天王像・仁王像(金剛力士像)・人部神像などが彫刻されている。
石窟庵はインドや中国の石窟寺院と違って花崗岩で造られており、仏教世界の理想と科学技術、そして洗練された彫刻がほどよく調和をなしている傑作である。『三国遺事』に「金大城」が前生の父母のために創建した」と伝えられる石窟庵は、新羅時代の芸術の極致を体現しており、東洋の仏教美術の頂点として評価されている。1995年、仏国寺と共にユネスコ世界文化遺産に指定された。 [ 石窟庵石窟図 ]

09:10 左側の坂道を登り、石窟庵に到着です。小さな建物の軒下に赤い蓮の花の提灯が下がっている。その建物に入り、御本尊を拝見します。 一口に云うと、前方後円の石窟が切石の組立てで出来ている。岩を掘った石窟ではない。山麓の斜面に大きな土饅頭があるが、その下は切石の組合せによる石窟の天井ドームなのです。建造された年代を思うと、とても珍しいものでしょう。そのドームの真下に純白の花崗岩で造られた釈梼如来座像が安置されています。その両手が自然な姿でした。この点は日本の仏像と大きく違います。他にも幾つもの仏像が壁面にあり、釈梼如来像を囲んでいます。建物内部の写真撮影は禁止でした。
拝観後は下り専用の坂道を広場まで下った。何か書かれた黒い瓦が並べられている。奈良の大仏殿と同じく、何某の寄進をすると瓦に名前や願い事などを書いてくれるのだ、と思います。
広場を通り抜け、山中の参道を戻りました。
09:35 バスに乗車です。
移動(⇒仏国寺)
09:40 この頃、出発。上った道を戻ります。山麓には赤松がとても多い。昔は松茸が沢山採れたらしいが、今は僅かだそうです。次の観光先「仏国寺」も吐含山の低い山麓にあり遠くではない。「元々石窟庵は仏国寺の一部」という記述もあり、世界遺産にも一緒に登録されています。

仏国寺(プルグッサ/Bulguksa/世界遺産): 慶州/仏国寺 wp
仏国寺「紫霞門」、上の石段は白雲橋、下は青雲橋。
09:58 「佛国寺」と書かれた山門に到着。日本によくある壮大な山門ではなく、彩色が施された韓国風の山門です。
境内に入り、参道を進むと左に池や島が作られている。
参道に桜も時々あり、咲きかけから7〜8分咲きだった。
10:02 大きな「天王門」についた。この門の中には韓国風に彩色された仁王像が左右に2体づつある。東大寺南大門の阿形・吽形と違い、剣を持った仁王、棒を持った仁王、楽器をもった仁王、龍を片手に掴んだ仁王、これらは不思議にも迫力や怖さを感じさせない。最後のはユーモラスで腹部をギュッと握られた子供の龍が悲鳴を上げている感じ・・・。
その後は右側に用水路風の枯れた川などをみながら進む。

正面に立派な石段があり、その上に大きな仏閣がある。しかし、これらは本殿の大雄殿ではなく、聖俗を分かつ青雲橋(下17段)、白雲橋(上16段)、紫霞門になる。この紫霞門まで登る石段は751年ころの築造とされ、その青雲橋と白雲橋を結合する基部の石造りアーチに特色があって世界遺産登録の決め手になったらしい。もちろん石段を登ることは許されず、しばし正面と側面から鑑賞しました。アーチを構成する石材は薄目に思え、素人目にもローマ帝国が考案した有名な形式と違うように思えます。このアーチや石窟庵の石のドームの例から、古の朝鮮(新羅)には独特の石造り建造物の技術があったようですね。
ここの石段を橋と呼ぶのは聖俗の架け橋の意味を込めたもの。青雲橋と白雲橋の段数は計33段ですが、仏教では「33は未だ仏の境地に達していない」状態の意味があるらしい。
左側の遠く極楽殿の前方に類似の蓮華橋と七宝橋がある。そちらは比較すると少し小型らしい。我々は反対の右側に移動し、佛国寺の重要な建物群のある伽藍の見学に向かいました。

大雄殿の回廊から入り、左コーナーに案内される。そこには角の生えた大魚が吊り下がっている。ガイドさんは詳細を説明していたが、耳に入らず・・・、何でしょう?そこから紫霞門の内側に行き、四方に階段があり狛犬もある多宝塔(高さ10.4m)と比較的素朴な釈迦塔(高さ8.2m)を眺めました。共に新羅時代当初のもので、極めて重要な国宝です。1966年には釈迦塔から8世紀前半の制作らしい新羅木版「無垢浄光大陀羅尼経」が発見された。現存する世界最古の印刷物とされているそうです。
正面の本堂「大雄殿」の建物も拝見しました。韓国に多く見られる入母屋造りで、681年頃の創建らしく、1765年に再建されたそうです。日本の1部の有名仏閣のような圧倒する規模はありませんが、親しみ易い庶民的な外観に思われます。御本尊は「毘廬遮那如来坐像」。建物の写真撮影はOKですが、御本尊は撮影禁止でカメラを向けるだけで不遜とされるそうです。

これから大雄殿の裏側に行きますが、1972年に復元された建造物の地域です。
大雄殿の横から切妻造りの無説殿(講堂)近くを通り、小高い場所の観音堂に行く。ここから回廊や本殿など伽藍の一部がよく見渡せます。観音堂は仏国寺の建物としては珍しく寄棟造りでした。もちろん韓国風の彩色は施されています。
そこから急な石段を降りて毘慮殿に移動です。石垣に沿って白い木蓮の花が多く見事でした。石垣の組み方は荒い感じですが、長持ちしているのでキチンと作られたものでしょう。
入母屋造りの毘慮殿は仏国寺では珍しくシャチホコ(?)が屋根の両側にあった。

段差があるので庭の坂道を下って入母屋造りの極楽殿の裏に出ました。前にも書きましたが、外から極楽殿に上がるには蓮華橋と七宝橋の石段を登り安養門をくぐる。つまり、大雄殿と同じ構造で規模が少し小さいだけです。極楽殿は大雄殿に次ぐ重要な施設なのでしょう。こちらは西の極楽浄土に居られるとされる「阿弥陀如来坐像」が御本尊になる。
半周りして「極楽殿」と書かれた大表札の裏壁を見に行きました。そこには彩色された木彫りの猪があった。極楽殿と猪の関係は忘れましたが、極楽殿と安養門の間には真鍮製の猪の像がある。これに触ると「幸運に恵まれる」とされていました(欧州でも観光地では時々あることです)。大勢の観光客が喜んで撫でています。それから、安養門の外側に行ってみた。石段を見下ろすことが出来ます。気分爽快でした。紫霞門だったら、もっと気分が良いかも知れません。これで伽藍の見学は終りとなりました。

建物の屋根の形状をいちいち書きました。東アジアの屋根は切妻造・寄棟造・入母屋造が多いが、切妻造と寄棟造の特色を合せ持つ入母屋造が東アジアに特有な屋根で最も格式が高いとされるようです。それで寺院などに多く用いられる。仏国寺においても外門と中門(天王門)は切妻造風だが最奥の紫霞門は入母屋造です。
仏国寺の伽藍は長々とした回廊があるが、寺院の建物と回廊は接合していない。互いに独立した建造物だったのが珍しかった。

11:08 仏国寺の伽藍から出ると右手に梵鐘閣(入母屋造)があった。その先は土産屋(露店)の並ぶ参道で、その道を駐車場に向かった。途中で公衆トイレに寄りましたが、清潔でした。
11:15 バス出発。途中に想像できない程に延々と続く桜並木の道路を走った。残念ながら開花には早すぎます。

移動(古墳公園車窓観光)
墳墓群
次第に大きな土饅頭(王侯の墳墓)が沢山ある地域を走った。広大な慶州歴史地域内の古墳公園には7基の王陵を含む23基の古墳群があるとされ、その1つ天馬塚のみは内部参観ができる。我々のツアーは見学しないが、現在走っている所が古墳公園の一部、大きな土饅頭がポコポコとある光景を車窓から眺めるだけでも珍しいものでした。

古墳とは違うが、今日は山の斜面の開けた場所に小さな土饅頭を数多く見かけました。現地ガイドさんによると、韓国では未だ土葬が多くて土饅頭はお墓なのです。後日にインターネットで確認したら、韓国の調査結果では今日でも約 70% の人達が土葬を好むと答えたらしい。まず墓地となる安い土地を入手し、お棺は地面に四角く掘られた穴に納められ、喪主が土を数回まいた後に土を平らに敷きつめ、それから丸く盛土し芝を植えてお墓をつくる。年に数度は墓参りを兼ねて墓と山道(参道?)の手入れをするようです。隣国とは云え、習慣は違うものです・・・。

紫水晶の店:
紫水晶の店
11:45 この頃、アメシスト(紫水晶)の店に到着。道路の反対側は開けた農地でその中にも古墳が幾つも見えます。
店内は原石の飾りや、指輪、ネックレス、プレースレット、等々の紫水晶製品のみ置いている。「幸運を呼ぶ魔力がある」そうで、面白がって買う人達が多い。値段も高いものではありません。ワイフは水晶玉の付いた携帯ストラップ(10000W/\1000)を土産用に買ったりしていました。私は、例により壁の虫。

昼食(レストラン/石焼ビビンバ):  昼食(レストラン)
昼食のレストラン
12:12 「東洋会館」というレストランに入る。実は先刻のアメジストの店の隣で歩かずに済みました。
日本でもお馴染みの石焼ビビンバがメインですが、チヂミ(1000W)を1つ頼みました。飲み物はお茶(無料)で済ませたはずです。ここもオカズの皿が幾つも並べられている。野菜類が沢山食べれるので良いですね。
ビビンバとは、家庭の色々な手持ち食材をご飯の上に乗せてゴチャゴチャと混ぜることのようです。出てきた石焼ビビンバはゴチャゴチャに混ぜて食しましたが、なかなか・・・、楽しめました。

カプチーノ 移動(約180Km) 13:00 出発。空腹もおさまり、居眠りモードでした。疲れが取れて丁度よかったです。
14:35-14:55 パーキング・エリアでトイレ休息。Maxwell の店でカプチーノ(@2000W)を2つ買う。目の前でコーヒー豆と牛乳を自動コーヒーメーカーに入れてつくる。カプチーノの場合はエスプレッソ用に挽くのでしょう。少し時間はかかるが、本物のカプチーノで美味しかった。後から来たツアーメンバーの分も注文代行、若い女性店員は英語が通じたので・・・。身振り手振りも面白いが、片言でも共通言語があると大いに助かります。

安東河回民族村(アンドン ハフェマウル みんぞくむら): 安東河回民族村 壁紙写真:安東河回村 map
代表的な同姓村(豊山・柳)。両班の家々を中心に庶民の住居が取り囲む。写真は中心部の土塀の道。 15:20 河回民族村の駐車場に到着。
直ぐチケット売場向かいの英国エリザベス女王・御訪問記念館に案内された。エリザベス女王が自ら望まれて河回村を訪問されたらしく、さらに訪問日(1999年4月21日)が女王の誕生日に重なり河回村にて誕生祝賀会が執り行われました。お写真やお誕生日祝賀会の食事や菓子の模型など様々なものが展示されています。

追記: 2010年に「韓国の歴史的村落、河回村と良洞村 (Historic Villages of Korea: Hahoe and Yangdong)」としてユネスコの世界文化遺産に登録されました。(2011.08.20 記)

15:30 民族村の集落に向かって歩く。道の左側に石造りの大亀の上に石碑が立っている。重要なものらしく鉄格子に囲まれていた。この辺りから村が見えるが、遠方からは瓦屋根と藁葺(ワラブキ)屋根だけです。この村名の由来は洛東江が大きくS字型に蛇行し、村を取り囲む形になっている故とされる。
集落の中心の小高いところに三神堂・神木がある。その神木を囲むように身分が高く支配階級だった両班(ヤンパン)の立派な家々がある。一軒々は土塀に囲まれ、瓦葺の数棟からなるようです。韓国の伝統的な暖房設備オンドルの焚口が見れる屋敷もある。オンドルは薪を燃料として煙の熱で床を暖める設備ですが、居間・寝室・客室などに限られ、他は部屋は床暖なしの板の間が多いらしい。色々と興味深いものがありました。
パンフレットによると、現在の河回村は家屋458棟(瓦葺162、藁葺211、その他85)があり、121世帯229名が実際に生活しているし、指定文化財でなければ私有財産になるそうです。
上のタイトル横の [map] を御覧になると様子はかなり分かります。 ツアーで歩いた中央の主道は舗装されていたが、横に入ると未舗装路で黄色い粘土の道も多く、雨の日の観光は大変でしょう。

村から駐車場に直接もどってもよかったが、少し遠回りして洛東江の流れを土手から眺めてみました。丁度、大きく蛇行する所で、広い砂地の河川敷が見えるところだった。
カチガラス(カササギ)Magpie
ご神木の近くでも木の枝に止まる姿を見かけたが、この河原近くでも尾羽が長くて体は鳩くらい、全体は黒くて胸から上が白い鳥がいた。カチガラス(別名カササギ/鵲/Magpie)と云う鳥で、サギの仲間ではなくカラス科といいます。その学名は「 Pica Pica / Pica Pica Japonica」とか、好い名ですね。止まった枝近くに行ってもカメラを向けても逃げなかった。日本では佐賀県の県鳥で、その生息地域は国の天然記念物に指定らしい。北半球の温帯に広く分布する鳥とされるが、「コウライガラス」の別名があるように韓国には多く生息し、ソウル市の鳥に指定されていると云われます。かなり親しまれているのでしょう。
16:30 バスに戻る。
16:35 出発。

丹陽に移動する車中:
17:00 韓国の大型観光マップがグループに一枚づつ配布になった。日本語地図で全国地図とソウルなど都会の情報も多く便利なものです。
17:15 この頃、韓国では最長のトンネル(4.7Km)を通過。
このツアーには12人とか8人の大グループが参加している。12人組みのリーダーが自発的にマイクを借りて挨拶と自己紹介を始めた。最終的には自分の立ち上げた農産品オンライン販売店の紹介となり、半分は宣伝らしかった。続いて8人組みのリーダーの挨拶、2ヵ月に1回の海外旅行とか、優雅ですね。その後、2〜3人挨拶したが、残念ながら盛り上がった感じはしない。多少の退屈凌ぎ程度に終わりました。

丹陽八景の1つ「嶋潭三峰(ドダムサンボン)」: 嶋潭三峰(ドダムサンボン) 壁紙写真:嶋潭三峰
丹陽の「嶋潭三峰」 17:40 この頃に到着。南漢江の川幅が広く穏やかに湾曲した場所に大小の岩が3個並んでいる。観光地では良くあることだが、民話に基づいて3個の岩に名前が付けられている。正妻に子供が出来ず、妾に子供を生ませた男性がおり、その3者間の愛憎の物語。結果的には3人それぞれが罰を受けたとか・・・。中央の大きい岩が「将軍岩/夫岩」、左が「妻岩」、右は妊娠中で腹の大きい「妾岩」だったと思います。日本の落語に大岡越前守「三方一両損」なる面白い裁判上の話があるが、韓国流「三方損」のお話のようなものらしい。説明も「風が吹けば桶屋が儲かる」といった感じでして、書いている私にも全く分かっていない。
落語にある「風が吹けば桶屋が儲かる」とは?
風が吹くと砂塵が飛ぶ。砂塵が目に入ると目の病気が増え、盲人も増える。盲人が増えると生活のため三味線引きが増える。三味線が売れる。すると三味線の材料になる猫の皮がいる。だから猫を沢山捕まえる。猫が減ると鼠が増える。鼠が増えると桶もかじられる。それで桶が売れて、桶屋が儲かる。
大岡裁きより難解な韓国流「三方損」の説明はこの種のもの・・・、韓国独特の習慣も混じった論理プロセスは複雑で頭に残りませんでした。
そんな状況ながら、一同そろって記念写真の撮影がありました。はい、チーズ!

街のレストランにて「ゴンドレ釜飯定食」夕食: 夕食「ゴンドレ釜飯定食」
夕食「ゴンドレ釜飯定食」、オカズ類は種類が実に多かった。
18:00 丹陽中心部らしい大通りのレストランに到着、我々は2階の大部屋に上がった。ここも靴は脱いで上がります。オカズの食材やご飯の釜などは既にテーブルに用意されている。我々は1番奥まった4人グループとなった。他の2人は女性の友達コンビだった。昨日の夕食では私はオットリし過ぎだっかかも知れないが、今日は反対にその1人の体調が悪く何も食べなかった。我々は飲み物はオーダーしなかった。ドンドンジュと云うもち米のドブロクを注文した男性もいたが、その味のパンチ力は今一だったらしい。ポットのお湯はお茶用ではなく、後で釜底のオコゲでお粥を作るためでした。お茶は別にくれました。
オカズ類やチゲは各自で取りますが、4人1組なので鰻の蒲焼のように1皿4個のオカズもある。釜のご飯はどんぶりに取って野菜類を乗せてから、ビビンバです。つまり、ゴチャゴチャ混ぜてから食べる。釜底のコゲ飯はお湯を入れて粥にする。これを最後に片付ける。その間は肉や小エビや海草や天麩羅など種類が実に多いオカズを楽しむタイプの夕食でした。味に問題はないし、お粥は一口で済ます程度に満腹になりました。
ご飯の上に乗った「ゴンドレ」は丹陽特産の野菜らしい。それで他の地方では注文しても分からないそうです。

18:50 レストラン前からバスに乗車。実は、キムチの辛さとご飯やスープやお粥の熱さ、そして温かい床暖で腰が温まり、夕食中は大汗でした。食事の最後には暑さでダウンする寸前でした。バスに乗るまで外気で体を冷やし、やっと元に戻った。床暖も良し悪しです・・・。

丹陽・大明リゾートホテル: 丹陽・大明リゾートホテルの全画像
丹陽・大明リゾートホテルの正面、大きいリゾート・ホテルです。 19:00 この頃に到着でした。
既にバス車中で部屋割りは発表になっている。明朝の予定表も配布ずみでした。ホテルでルーム・キーを受取って各自の部屋に落ち着くだけとなりました。前もって注意があったが、コンドミニアム・タイプの部屋でベットはありません。床暖のフローリングに布団を敷いて寝るのです。敷布団と掛布団の区別が難しいらしい。
ロビーで鍵を受取ってエレベーターホールに行く。エレベーターは5台(?)づつ対面で設置されているが、ロビー側は奇数階のみで奥は遇数階のみに停まる。エレベーターホールの片側は奇数階、反対側は遇数階、この方が分かり易いと思うが・・・。誘導係の指示に従って奇数階用に乗り7階に上がった。我々は720号室、随分と奥まった端の部屋でかなり歩きました。ルームキーは古いタイプのものでした。
部屋に入ると確かに広い。自炊用の小型シンクやコンロや食器棚、ダイニング・テーブルもある。2部屋あり、小部屋の押入れに布団が4組あった。クローゼットはその隣です。布団はテレビやソファーのある大部屋に敷くことにした。
手荷物から必要品を出すと、ワイフはシャワーだった。その間に、数十年ぶりの布団敷きをする。おもしろい。濃い色が掛布団に思えたので薄い色をまず2枚だして床に敷いた。ところがサイズが大きい。濃い色で厚めの布団が下で薄い色のものが上だった。前もって添乗員Nさんが云っていたように、間違えやすい。やり直し。
今日は2台のデジカメを使用した。コンパクト・デジカメのリチウム・イオン充電池の充電は直ぐに済むが、ネオ一眼デジカメのバッテリーは完全放電前でも充電OKのニッケル水素充電池(単3型)を入れてある。これも同時に充電開始した。双方とも就寝前に充電完了でした。問題は、充電する間にネオ一眼デジカメの設定が元に戻ったことでした・・・。以前は満充電した予備電池を持ち歩き、使いきった時点ですぐ電池交換したのでこの問題は発生しなかった。何事も一長一短あるものです。
シャワーでサッパリしたあと、持参した塩煎餅と栗饅頭を食べる。美味しいですね。

明朝は7時にモーニング・コールで、8時出発となっている。これなら7時45分までにロビーに行き、チェックアウトです。その間にレストランでヴァイキング朝食、目覚ましは6時に設定しました。
床に敷いた薄い布団では、直にフローリングの硬さが伝わってくる。当初は眠れるか心配だったが、疲れもあり間もなく眠りに落ちた。結果論ですが、意外にも熟睡できました。恐らく床暖で適度に暖かかったのでしょう。ついでながら、韓国の都会のホテルやマンションは床暖が多いそうですが、燃料は都市ガスのようです。もしLPGなら、高カロリーで効率が良いのでしょう。

◇◆◇
HOME旅行記集韓国旅行記トップ頁現在の頁(2日目)
≪ PREV. page▲top NEXT ≫