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九州旅行6日間(後半)
(2006年11月20日〜11月22日)
表紙ページ
はじめに
1頁:1日目(11/17): 自宅→羽田→福岡→別府→ホテル(別府)
1頁:2日目(11/18): →血の池地獄→湯布院→阿蘇→高千穂峡→ホテル(阿蘇)
1頁:3日目(11/19): →青島→鵜戸神宮→飫肥城→ホテル(霧島)
2頁:4日目(11/20): →霧島神宮→桜島→(フェリー)→鹿児島→知覧→ホテル(指宿)
2頁:5日目(11/21): →天草→(フェリー)→雲仙普賢岳→島原城→ホテル(長崎)
⇔ 長崎の夜・自由行動(夕食・稲佐山(夜景)・眼鏡橋・オランダ坂)

2頁:6日目(11/22): →大浦天主堂→グラバー園→平和公園→福岡→羽田→自宅
2頁:おわりに
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当サイトの
中国地方と九州
旅行記
* 33回忌の旅、京都市と山口県(2011年6月)
* 北九州と西中国のバス旅行 (2009年4月)
* 九州旅行6日間 (2006年11月)
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◇◆◇

4日目(11/20)
ホテル→霧島神宮→桜島→(フェリー)→鹿児島→知覧→ホテル(指宿)
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06:00 起床。
06:50 レストラン「霧島」で朝食。ヴァイキング・スタイル。
07:15 部屋に戻る。
08:15 忘れ物の確認後に出る。ルーム・キーを返却するだけのチェックアウト。
08:25 バスに乗車。今日の座席は右8番で後方だった。
08:30 出発。

霧島神宮: 

08:45 神宮の駐車場に到着。駐車場の周囲は紅葉だった。
参拝のため本殿に向かった。辺りは杉林だったが、時折紅葉の木々があり見事だった。大自然に擁かれた神宮の雰囲気は実に清々しい。
確か本殿近くの右手と思ったが、樹齢が約800年とされる樹高35mの御神木(キリシマ杉)があったり、四方竹という珍しくも幹が四角い小型の竹もある。植物なので丸みを帯びているが確かに四面があると云える。その竹の子は春ではなく秋に出るそうで、これまた驚きでした。
霧島神社の参道。 霧島神社・本殿。

本殿の前に行く(本殿は実はずっと奥)。賽銭を投げ込み、拍手を打ち、何か真面目に祈念した。この神社は天照大神(女神、伊勢神宮)のお孫さんを祭っているという。その御名を「天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵(あめにぎしくににぎしあまつひだかひこほのににぎ)尊」というが、お分かりか?如何なる神か筆者には想像もつかない。しかし、神話によると、皇室の始まりとされる天照大神から三代目というからに、凄い昔の神様なのです。出雲大社は大国尊が天照大神のお子さんに譲ったものらしく、霧島神宮の神様は出雲大社の神様のお子さんでしょうか?それとも別の方か?神話の世界は難しい・・・。
しかし、一歩下がり改まって考えると、日本人の宗教は本当に神道や仏教と云えるのでしょうか?「鰯の頭も信心から」を実践する多神教、さもなくば具体的には出自が実力の家元制にも通づる祖先崇拝教かも知れません。有力な政治家すらそこに回帰しつつあるような昨今です。「日本教」とした昔の大ベストセラーもありました・・・。が、やはり、庶民の信仰は創意工夫や勤勉に裏打ちされた「拝金教」もしくは「錬金道」といった安全なグローバルなものかも知れません。

09:30 駐車場に戻る。境内ではデジカメを持った東洋人グループをあちこちで見たが、記念写真を撮ったりしながら観光を楽しんでいた。
09:45 出発。
国道220号線・大隈半島から桜島。左の低い場所で接合。
桜島口近く。国道220号線・垂水側から桜島、小湾は小型船の係留場所。
展望台から南岳。
昼食レストラン近くから北岳(左・雲)と南岳(右)。
フェリーから桜島。
しばらく走り、桜島の御岳(北岳)が鹿児島湾(錦江湾)の向こうに見えてきた。頂上付近には雲がある。かつて桜島は湾内の島だったが、1914年の大噴火で流れ出した溶岩により大隈半島と陸続きになった。現在の鹿児島市と垂水市が陸上で接するようになったのです。
しばらくは海岸沿いに櫻島の雄姿と海を眺めながら走る。揚げ蒲鉾の「薩摩揚げ」はこの湾で獲った魚で作るという。小型漁船が数多く浮かんでいました。

桜島: 

10:25 桜島口を通過する。大隈半島を南下する国道220号線と別れ、桜島の島内に入った。桜島の南岸沿いの道を行く。鹿児島湾の先には薩摩半島が見えるし、霞みながらも富士山型の開門岳までも遠望できた。
10:30 桜島・南岳を見る有村展望台に到着。バスを降り、火山性瓦礫の坂道を登ると「霧島屋久国立公園」という碑のあった。そこから南岳の雄姿をしばし楽しむ。溶岩の塊や火山灰の堆積と侵食による荒々しい山肌ながら中腹までポツポツ草木が生えているようでした。桜島の噴火口はこの南岳にある。展望所近くにも万一の噴火に備えコンクリートの避難設備(退避壕)が幾つかありました。記念写真を撮り、土産屋を覗いてみる。桜島大根やその漬物など名物が並んでいた。作りたてのパイナップル・ジュース(@200)で喉を潤した。とても美味しかった。特産の超小型ミカン1袋も買ったが500円は高いと思う。サイズは可愛らしいが味は普通のミカンでした。
11:00 展望台出発。南岳と北岳を右に、そして左の海の向こうに鹿児島市街を見ながら先に進んだ。

11:10 この頃に沿道の昼食会場に到着。1階が比較的広い土産売場で2階がレストランになっている。料理も特に書くことも無い平凡なものと思う。鍋物(鯨肉らしきものとコンニャクや野菜)、小魚と野菜の天麩羅、小型の青魚の刺身、煮付け、漬物、ご飯に味噌汁だった。空腹はおさまった。
食後は土産品を見て回ったり外の風景を眺めて楽しみました。天気が良いと時間は早く過ぎていく。
12:00 出発。

12:07 フェリー乗場に到着。
12:15 バスごと乗船。直ぐに降車してデッキに上がった。
12:25 出港。鹿児島市街は直ぐ近く、短時間のフェリー移動です。好天気でデッキの進行風が心地よい。ワイフが乗船から下船まで15分間もデッキで過ごしたことは最適さの証明でした。

鹿児島: 

12:40 鹿児島の岩壁に到着。
市内観光はなく、市街地を走りこれから見学する「薩摩揚工場」に向かった。
12:47 今日の午後、知覧の武家屋敷に行くがその見学料はツアーに含まれていない。変わった制度ですが、武家屋敷の道を通るだけで料金が必要とか。もっとも民家の敷地内となる枯山水の庭園は見学できるようです。1人500円、ワイフが払いました。払わない人はバスで待機とか、雨ならともかく晴天なので全員が払いました。

薩摩揚げ工場と売店: 

13:12 薩摩揚げ工場に到着。
中に入ると直ぐ若い女性が薩摩揚と工場見学について簡単なガイダンス。その後ガラス張りの中で自動化された薩摩揚を作る行程をザッと案内しました。魚肉をよく練り混ぜ、所定の大きさに形作り、油で揚げる。自動機械で衛生的に大量生産ですが、そもそも素朴な作業で大きな工場ではない。例により売店に”御案内”となり、まずカルカンとお茶の接待がある。その後、「薩摩揚げ」小箱とカルカン箱入りの適当量を自宅発送にした。支払いでは工場見学のガイド役がレジ係もやっていて1人何役もこなすようです。
帰宅後の賞味では、薩摩揚げは以前デパート経由で取寄せたものが種類も多く味も良かったと思います(値段が違う)。カルカンは珍しい舌触りで美味しく、しばらく毎日楽しめました。
13:40 バスに乗車。
13:45 出発。

知覧(1) 武家屋敷:  [ 案内図と説明 ]

薩摩半島の内陸部(鹿児島・野間岬・開聞岬のほぼ中央)に「知覧」という古い町がある。江戸時代の薩摩藩は領地を113の地区に分け、外城と呼び、領主や地頭を配して統治した。外城は御仮屋(行政庁)、麓(武家居住区)、町家、村落からなっていた。薩摩藩は武力を鹿児島に集結させず、外城の麓に士族を住まわせて分散統治したとされます。知覧はその外城の1つで亀甲城があった。今は城址のみ。残っている馬場(大路)に沿った武家屋敷は18世紀中頃までに建てられたものと推定され、琉球の影響をも受けた造りのようでした。
14:07 知覧・武家屋敷の駐車場に到着。歩道と車道の間には鯉も泳ぐ細い流れがある。表通りから少し奥に入ると別世界、昔の武家屋敷がそのまま現代に生きていた。
知覧。馬場(大路)の両側に武家屋敷が並ぶ。 お屋敷はこのような古い石の門柱を備えている。
亀甲城に一番近い森重堅邸の庭園にのみ水が使われ池がある。まず馬場を奥に進んで最初にその森邸の庭園から見学を開始した。
その後、あちこちのお屋敷(全7戸)の枯山水庭園や二ツ家という薩摩様式の民家を見て過ごしました。 約300年も昔の武家屋敷で現代の家々よりは小さく狭く思えます。しかし、シンプルな石の門柱まで数段上がり、見事に刈り込まれたイヌマキの木々や庭石が配置された庭園付きのお屋敷は見事で、格式を感じます。現在も使用される家屋(これは建替え)はもちろん立入り禁止でした。
大型の柑橘類がなっているが、住民の方は「ポンタン」という。キョトンとしたら「宮崎のザボンと同じ」と教えてくれた。日本はこれが大変、「国違えば名が変わる」。特に薩摩弁は暗号で・・・。
14:50 バスに戻る。
14:55 出発。

知覧(2) 特攻平和会館: 

15:02 平和公園の駐車場に到着。見学する特攻平和記念館までは桜並木を少々歩きました。
知覧には昭和17年に旧陸軍飛行学校・分教所が置かれ、昭和20年になると本土最南端の特攻基地となりました。沖縄特攻で1036名の若い特攻隊員が命を亡くされたそうです。特攻平和会館には当時の特攻隊員の遺品や遺書など多くが展示されています。日頃は忘れて過ごしていますが、歴史上で発生した狂気の中で命を散らした若人の霊に何と云えば良いのでしょう。指導層が時代の流れを読み違え、若人の犠牲的活動を強要し、遂にはその命をも失わせる。世が変わり、若人の死を惜しみ霊を慰める。物言わぬ石灯籠のみが増えていく。それはそれ・・・。大切に後世に残すべきもう1つは、大きく目を見開いた研鑽から生まれる、時代の潮流を見誤まらないための英知と方策でしょう・・・。その為なら、知恵を、金を、汗を、惜しむべきではないのでしょう。しかし・・・、言うは易く行うは難し、歴史とはその難しさの証明かも知れないのです・・・。
知覧特攻平和記念館近くの旧日本軍戦闘機。 特攻隊員が出撃前に住んだとされる三角兵舎。 実に多くの灯篭が今日でも寄進され続けている。
15:47 バスに戻る。
15:55 出発。
杉林や時折に茶畑の見える山の中を指宿に向かった。途中に九州で最も大きい湖「池田湖」の傍を通ったり、綺麗なコニーデ型の山容で知られる「開聞岳(992m)」もよく見えた。
車中で今晩と明朝に関する宿泊案内が配布になる。我々は6階の部屋。予定は18:30から夕食、明朝は7:30から朝食、7:50出発となっていた。大浴場は地下1階にある。ここ指宿温泉は浴衣を着て熱い砂で体を温める「砂風呂」が有名。オプショナルを申込むと楽しめるが、我々は希望しなかった。

指宿いわさきホテル: 

16:55 ホテル到着。荷物をバスから受け取り、ロビーで少し待ってルーム・キーを受取り、6階までエレベータで登った。
部屋は別棟なので大きいガラス窓の渡り廊下を歩いた。外は黄昏、茜色の雲の隙間が黄金色に輝き、それを背後に開聞岳のシルエットがすばらしい。
17:08 部屋に入る。明るいベッドスプレッドのセミダブルが2つ、椅子2つとテーブルのセット、壁沿いのデスク・ドレッサーとテレビ、都市ホテル型のバスルーム、プラスチック椅子とテーブルの置かれたベランダ、広くて良い部屋でした。ベランダに出ると、鹿児島湾は穏やかで、ホテルの庭園と相まってなかなか見事な風景でした。庭園には松と背の高いヤシの木が多かった。
部屋のベランダから夕暮れの鹿児島湾 部屋のベランダからホテルの建物と庭 ホテル6階の渡り廊下から開聞岳
18:15 夕食のため部屋を出る。エレベータで地下1階に行き、大浴場入口を過ぎて人工の滝を回りこむと大ストランだった。入口にいた係りが席に案内してくれる。
食材が豊富なヴァイキング、トレーにいろいろ取りました。メーンはシュリンプ・カクテル、ビーフの角切りシチュー風、スパゲッティ、茹野菜。他にカツオのたたき、グリーン・サラダ、トン汁、ご飯、どれも美味しく頂けました。その後は果物3切れと一口ケーキを1つとコーヒー。しかし、甘いものがもっと食べたく、一口ケーキを3個も追加しました。やっと満足ですが、これでは帰宅後の体重が大オーバー、調整に苦労することでしょう。
18:50 部屋に戻り、テレビのニュースを見る。
19:20 部屋から浴衣姿で地下1階の大浴場に向かった。部屋の鍵は大浴場入口の係りに預け、代わりにバス・タオルやハンド・タオルを受取った。この入口から大浴場までは距離がある。細い廊下をかなり歩きました。浴室は大きくて快適、カラスの行水よりはゆっくりだったと思います。今回の旅行での温泉・大浴場はこれが最後です。
20:00 部屋に戻る。カーテンを閉める時に外を見ると、コウモリが沢山飛んでいた。
21:30 この頃に就寝。

5日目(11/21)
ホテル→天草→(フェリー)→雲仙普賢岳→島原城→都市ホテル(長崎)
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06:00 起床。
06:30 朝食レストランに向かう。少し早すぎ開いていない。
06:45 レストランに入る。オレンジ・ジュース、ハム2枚とウィンナ1本、小型のパン2個、フルーツカクテルでした。量は減らしたつもり。代わりにコーヒーは2杯、美味しく感じたのです。
07:05 部屋に戻った。
07:30 忘れ物を確認して部屋を出る。フロントでチェックアウト、ジュース1本の代金263円を払う。この時この地方のマップを一枚貰っておいた。
07:45 バスに乗車。座席表では最前列、これはイヤだった。勝手ながら空いている最後部とその前の座席に別れて座った。
07:54 出発。

天草に移動: 

バスは指宿の町を走りぬけ、昨日とは違う海岸沿いの国道を鹿児島に向かう。
08:45 昨日寄った知覧への道標を通り過ぎる。
09:10 鹿児島インターから九州道に乗った。
09:22-09:35 桜島PAで休息。ここの店で缶コーピー(@120)と駄菓子(@105)を買った。
九州自動車道から見た「龍門滝」
山道は杉林と秋の色が多かった。
宇土半島から有明海と島原半島・普賢岳。
09:40 車窓の向こうに大きな滝が見える。場所は加治木町(鹿児島県)、その名は「龍門滝」といい、日本の滝100選の1つ。高さ46mで巾43mとされる。九州自動車道では加治木インター近くの上り線から見れる。運よく屋根越しの写真が撮れました。国内で町近くの大きな滝は珍しいと思いますが、他にもあるでしょうか?(注:似た名前の滝は大分県や栃木県にある。)
10:00 宮崎県を少しだけ通る。遠方に韓国岳が見えた。その後は熊本県となる。
10:20 球磨川沿いの道になった。八代で海に注ぐ川は富士川と最上川に次ぐ日本3急流の1つとされるそうです。トンネルが多い。ここは川下りで知られるらしい。山麓は秋の色でした。
10:48 八代インターを通る。尖塔のある大聖堂風の教会があり、日本離れした風景だった。
10:52 PAで休息。露店で出来立ての「いきなり団子(@90)」なる素朴なおやつを買ってみた。中はサツマイモとアンで正真正銘の田舎の味だった。
11:05 出発。その後はしばらくミカン畑が多い。この辺りでマンペイという世界最大のミカンを作っているそうです。赤子の頭くらいもあるらしい。
11:25 宇土市を通過、方向を変えて宇土半島の先端に向かった。島原湾沿いの国道57号線からは対岸の島原半島(長崎県)があり、大規模で長期の火山活動による火砕流と豪雨による土石流の被害で有名になった普賢岳も見える。
11:55 半島先端の三角から天草1号橋を通り、大矢野島を通り抜ける。
天草四郎の像。後は天草4号橋。

天草パールセンター: 

12:18 天草4号橋を過ぎて、パールセンターに到着。ここの2階のレストランで昼食となった。
食事は鍋物(海老・貝・蒲鉾・野菜類)、刺身、蕎麦、漬物、ご飯・味噌汁など。食後は1階の売店でサツマイモの田舎餅を遊び半分で買ってみる。帰宅後に厚切りを焼いて味わったら、珍しい食感で予想外に楽しめました。
その後は外に出て、天草四郎の銅像を見たりしながら時間潰しだった。
フェリーから島原半島。
島原湾は引き潮、多くの小型船は泥の上だった。

フェリー利用で普賢岳まで: 

12:58 出発。国道57号線を西に向う。松島有料道路も走った。
13:30 天草市の大橋を渡る。上流側に橋桁が上下に動く珍しい可動橋がみえた。この街から道は北上する。
13:50 鬼池港、島鉄フェリーの乗場に到着。
熊本県はここまでとなる。
14:06 乗船。バスから降り、デッキに上がる。
14:15 出港。約30分の航海は風景をボンヤリと眺めて過ごす。快晴なので心地よい。
14:45 島原半島の口之津港に到着。ここは長崎県になる。
14:48 下船し出発。海岸沿いの国道251号線を島原方向に向かう。

土石流被災家屋記念公園: 

左に穏やかな島原湾、右に普賢岳を見ながら走る。山頂では僅かな噴煙(水蒸気?)が出ていた。1991年6月に大火砕流が幾度も発生し多くの犠牲者や焼失家屋がでました。その後、降雨による土石流も大規模なもので数多くの被災者や物的損害を出しました。この大噴火前の普賢岳は海抜1356mだったが、火山活動で出来たドームにより最高時は 1560m にもなった。現在は平成新山 1483m とされる。自然は生き物と実感します。
記念公園から見る普賢岳。
記念公園では土石流で埋まった民家を保存。
普賢岳の大噴火; 普賢岳は1990〜95年の噴火において新たな溶岩円頂丘を形成して肥大化した。この溶岩円頂丘は普賢岳東端から東斜面にかけて成長したもので平成新山と命名された。この噴火では約1年間の前駆地震活動があり,震源は橘湾地下深部から普賢岳山頂に向かって波状的に移動した。90年11月17日に噴煙活動を開始、91年5月20日溶岩ドームが出現、24日最初の火砕流が発生、消長を繰り返しながら95年2月まで続いたとされる。この間に溶岩円頂丘を成長させ、その過程で局部的に崩落し火砕流を数千回も頻発させた。流下が 4km を超える大火砕流は約10回も発生し、死者44人と焼損家屋約800棟の大惨事をもたらした。また豪雨により土石流も頻発し、約1700棟が損壊した。
[出典:日立デジタル平凡社「世界大百科事典DVD版、項目(普賢岳)、文章変更・要点のみ。]
15:27 普賢岳麓の土石流被災家屋記念公園に到着。火山性の土砂で軒まで埋まった家屋が幾つも保存されている。自然の力に抗し難い人間の無力と適切な避難の重要性を改めて感じます。「逃げるが勝ち・・・。」
土産品などのショッピング・エリアもあり、ブラブラ見歩いて駐車場に戻った。
15:55 記念公園を出発。

島原城址公園: 

天守閣
島原城は1624年に譜代大名の松倉豊後守重政(4万石)が築きました。五層の天守閣を中核に、大小の櫓を要所に配置した、安土桃山期の築城様式を取り入れた城でした。後年に松平氏の統治となったが、その時代は九州の隠れ目付として重要な任務を担ったとされます。 明治維新後に石垣を除き全て解体されたが、1962年に西櫓、1965年に天守閣(35m)、1972年に巽櫓が復元されました。現在は博物館として一般に公開されています。
まず天守閣に入った。エレベータはなく最上階まで階段です。登り切ると360度の展望が楽しめますし、島原湾が広々として気持ちよい。その後は博物館の展示品を見ながら降りました。
別の建物に普賢岳の噴火に関する博物館があるが、覗いただけに終わった。
16:45 バスに乗車。
16:50 出発。

長崎に移動: 

バスは内陸部の国道を利用した。左手に見える普賢岳のシルエットと夕日に輝く秋の雲が素晴らしかった。しばし風景を楽しみました。
17:10 車内で熱い日本茶の紙コップと長崎カステラ1切れのサービスがあった。Thanks !

車窓から見るこの辺りの畑の仕切りが珍しい。ゆるい傾斜地に長い石垣を丁寧に作って水平な畑を確保している。谷間では多くの石垣が谷の奥まで延々と続いていたところもあったのです。話は飛びますが、 今年春に訪れたペルーのインカ遺跡は急斜面の段々畑(アンディネス)で有名です。見事な石垣を何十段も作り、急斜面に水平な地面を作って畑を耕した。観光的には広大な段々畑をもつマチュピチュ遺跡などが知られているが、インカ時代の農家は目立たない緩い傾斜の谷間の畑でも石垣を作って水平な畑を確保していたようなのです。ここは九州、規模こそ違うと云えようが共通点に興味がわきました。

18:10 ホテルの部屋割りや予定時刻の用紙が配布された。我々は4階の部屋、明日は8時出発、朝食は6:40から2階のレストラン、となっていた。
その後ガイドさんは長崎で個人が夕食をする際の知恵を付けていた。中華街があり、ホテルから電車で2つ目の停車場で降りるとよいとか。横浜の中華街のように大きくないので、ホテル近くのレストランも幾つか紹介していた。
江戸時代の長崎には出島があり、交易を許されたオランダ人の居住地だった。現在その場所は港近くではあるが中島川に沿った街中になる。囲む白壁や中の建物などの多くは復元されライトアップされていた。

長崎全日空ホテル・グラバーヒル: 

18:35 電停「大浦天主堂下」近くにある長崎全日空ホテルに到着した。ここは元々ANAが建てたものではなく、地元ホテルをANAが購入したらしい。久々の都市型ホテルでホッとするものも感じた。それ程は待たずにルームキーを受取り、4階の部屋に入る。
今晩の夕食はセットされていない。代わりに「長崎郷土懐石料理と夜景観賞(@5000)」なるオプションがある。我々は申込まなかったが、後日に聞いたところでは、約半数の16名が参加したという。その夕食会場は稲左山中腹の観光ホテルだった。長崎の夜景は稲左山頂上の展望台から観賞するのが普通です。ところがオプションの夜景はホテル屋上からの観賞だったらしく、少し物足りなかったかも知れません。

自由行動/夕食と長崎観光(夜/タクシー利用: 

19:00 ホテルを出る。その直前、ワイフは観光タクシーのリーフレットをロビーで貰った。


夕食: 
食事はガイドさんがバス中でコメントしたホテル前の中華レストラン「四海楼」に決めていた。多少の味の違いはあっても中華なら失敗は少ない。何といっても距離的に近い。派手な紅白の柱が2本立上る専用ビル4階にそのレストランはあった。正面の大階段を上り、そこからエレベータに乗る。偶然ツアーメンバー3人と一緒になった。降りた場所はレストラン、店の人が席に案内してくれた。巨大な窓の傍で夜の街の明かりが楽しめる席でした。
旅行最後の夕食、通常は飲まないビールを1本(中ビン)頼んだ。グラスは2個。食べ物は、長崎ちゃんぽん、チャーハン、八宝菜、春巻き、を注文、2人で分けて食べました。味は「可もなく不可もなく」、フツーと思いました。
19:45 レストランを出る。満腹のためか、外の空気が心地よかった。

観光タクシー: これから夜景を見に行くが、割安タクシーを捜すのに一旦ホテルに戻った。ワイフが貰った Lucky Group の観光タクシー案内では、ショートコース(所要約60分)小型貸切料金 \3,560 となっている(各種コースで一番安い。) ホテルの人にリーフレットのショートコースをやるタクシーを探して貰った。並んだタクシーの中程の車が出てきて前に止まった。欧米ならこの種のことはチップ次第かも・・・、日本のホテルは親切で良いですね。

稲佐山・夜景観光; しばらく街中を走り、橋を渡り、狭い道をクネクネとしてから登坂路になる。途中には観光ホテルが幾つもある地域があった。更に登ると右手にロープウエーの駅がある。ここから上はタクシー以外は通行止め。しばし登りつづけ、狭いタクシー専用駐車場に着いた。我々は先に降りて展望台の端で運転手さんを待った。
20:15 運転手さんはまず展望台の中央部で簡単に街の説明をした。その後デジカメで夜景を背景にツーショットを撮ってくれました。デジカメを夜景に設定してフラッシュを使えば人物と夜景が映り良い記念です。次に展望用の建物に入り、エレベータで最上階まで案内してくれました。
左から次第に明かりが増し、目の前は光の海、赤や黄や白など色々、そして本物の海、右に目をやるとライトアップされた吊橋もある。広がりのあるきれいな夜景でした。下の写真は小型過ぎて・・・、右は吊橋も写っているが左は街の光の部分がカットされています。
綺麗に見渡せた長崎の夜景を堪能し、満足して駐車場に戻りました。
稲佐山・展望台の夜景、写真は3枚を横付け。稲佐山・展望台の夜景、写真は3枚を横付け。稲佐山・展望台の夜景、写真は3枚を横付け。
下山中、運転手さんと雑談。夕刻の到着で未だ何も見ていないし明日の昼過ぎに福岡に向けて出発と話した。長崎観光のプロのこと、それなら大浦天主堂とグラバー邸と平和公園で観光は終わり、と気付いてしまった。有名な眼鏡橋は昼よりも夜の方がライトアップされた橋が水面で反射して見事な「めがね」になるので寄りましょう、と云う。せっかくなので見ることにした。

眼鏡橋、川面に反射 眼鏡橋; 長崎市の中心部らしきビル街を走り、中島川沿いに眼鏡橋に近づいた。隣の橋から見ると確かに石橋のアーチ2つが水に反射して丸眼鏡に見えるのです。おもしろい!大昔、学生時代にも見たが、ただの石橋の印象しかなかった。こんどは「丸メガネ」橋の印象が残ることになりました。更に眼鏡橋に近づいて、左手基礎部に僅かに残る原初の石材を教えてくれた。この橋は日本最古のアーチ型石橋とされるのです。その後、我々を残してUターンしてきたタクシーに乗った。

オランダ坂; 若い女性がたむろする繁華街の狭い道を通り、少し引っ込んだオランダ坂で止まってくれました。我々は下車して「オランダ坂」と書かれた標識の傍で記念写真を撮りましたが、その間にタクシーはUターンしてきました。ここからホテルは近い。
21:10 ホテル到着。料金は基本の \3,560 に遠回りの眼鏡橋の料金 \500 を追加して欲しいとのこと、稲佐山でゆっくりできた上に説明付きで眼鏡橋とオランダ坂を見れたので 異存はない。互いに礼を言って分かれました。ケチな計算ですが、夕食と観光タクシーを合わせて9千円程度、ツアーのオプションより良かったかも・・・。

21:15 部屋に戻る。
22:30 この頃に就寝。

6日目(11/22)
ホテル→大浦天主堂→グラバー園→平和公園→福岡→羽田(解散)→自宅
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05:30 起床。
06:40 朝食。レストランは明るく快適でした。量的に少し食べ過ぎだったかも知れない。厚手のハム3切れ、ソーセージ1本、ゆで卵、ブロッコリ、カリフラワー、ポテト、これだけ皿に取った。他にグリーンサラダをタップリ、小型のロール2個にバターとジャム、食後のコーヒーは2杯だった。
07:15 部屋に戻る。
07:40 忘れ物の確認をして部屋を出る。
07:45 カードキー返却のみのチェックアウト。
08:00 バスのトランクにキャリーバック2つを積込む。

大浦天主堂: 

大浦天主堂の正面
08:05 勢揃いしたので、ホテル横の坂道を登り始めた。
ほんの数分で大浦天主堂の正面に到着です。
未だ戦国の時代、豊臣秀吉は禁教令を発し京都や大阪のキリスト教徒を拘束し、1597年に日本人20名、外国人6名を長崎で処刑した。 キリスト教会側からいうと宗教弾圧により長崎で殉教したのです。その西坂の丘は「日本26聖人殉教地」とされ、キリシタン弾圧の資料を展示する記念館があるらしい。
大浦天主堂にあった説明板。
その殉教に鑑み、大浦天主堂は殉教地である西坂に向けて建てられ、その正式名を「日本26聖殉教者聖堂」というそうです。
書くべき事柄ではないでしょうが、・・・、欧州旅行を幾度も重ねて有名な石造り の大聖堂をみているので、こちらは小さな教会に思えます。しかし、欧州には木造建築の聖堂も所々に残っているが、木造教会としては大浦天主堂も立派なものに思えます。
08:17 簡単に参観しましたが、聖堂内部は写真撮影禁止でした。次は、隣と云えるグラバー邸に移動です。

グラバー園: 

08:17 「グラバー園ファンタジア」と書かれたゲートから屋根付き屋外エスカレーター(動く歩道?)に乗る。管理事務所や旧グラバー邸の近くを通り、まずは高台の旧三菱第2ドックの建物に行く。ここからは長崎市街、港、夜景を楽しんだ稲佐山の展望がすばらしい。丁度大きな船が港入口の吊橋に向かって動いていた。
さて、公園名に冠されたスコットランド生れの英国人グラバー(Thomas Blake Glaver, 1838-1911)は長崎など5港が開港された1859年に21才の若さでやって来ました。グラバー商会を設立し、日本人のツルと結婚、お子をなし、暖かな家庭を築き、ご家族と共にここ長崎に眠っている。幕末の動乱の時期は坂本竜馬などの志士達を支え、明治維新の後は伊藤博文らの英国留学の実現に助力し、純経済人として日本の近代科学の導入にも大きな貢献をしたとされています。
ここグラバー園のリーフレットでは他に、倉場富三郎(グラバーの嗣子/トロール漁法導入/グラバー魚譜)、ロバート・ネール・オルカー(英国人/海運業/清涼飲料)、フレデリック・リンガー(英国人/内外クラブ/上水道/外国貿易/製茶/製粉/発電)、ウィリアム・オルト(英国人/製茶業)、について写真付きで説明しています。夫々の旧邸も園内に保存されている。
地理的に諸外国に近く、歴史的には出島があり、「文明開化」の足音をいち早く聞きとった長崎。その文化遺産は日本の文化遺産として1度は訪れたいものです。
グラバー邸。四葉のクローバーのように丸い凸部が4つある。 丸い凸部の面白い構造と天井。 グラバー邸のダイニング・ルーム。
英国商人フレデリック・リンガーの旧邸。 日本の海運業界に関係した英国人ロバート・N・ウォーカーの次男の旧邸。 旧長崎地方裁判所長官官舎。
プッチーニ作曲「蝶々婦人」を歌った三浦環の銅像。 旧自由邸。1878年に西洋料理店「自由邸」として新築された。近くに西洋料理発祥の碑がある。 旧三菱第2ドックハウス。船舶の展示が多い。

09:10 グラバー園を出る。 細い坂道をホテルに向かってブラブラと下りました。カステラの文明堂総本店や小さい鳥居が地下に続くカステラ神社があった。カステラは長崎の銘菓、数多くの製造元があるようで神社まで出来てしまった・・・。
09:20 ANAホテル近くにコウモリ・マークの福砂屋がある。知名度の高い文明堂は全国展開、知る人ぞ知る福砂屋のカステラが手土産としてはよいらしい。そこは未だ閉まっていた。ブラブラ歩きを続け、大浦天主堂下なる市電停留所まで行く。距離的にはほんの僅かでした。
09:30 ワイフは開いたばかりの福砂屋で必要量のカステラを買っていた。小さな店だが次々に観光客が立寄っている。

車窓から、山王神社二の鳥居(一本足鳥居)。
集合まで多少の時間があった。缶コーヒーで喉を潤す。
10:00 ANAホテル前を出発。
出島の傍を走り、市街の中心部やJR長崎駅を通り過ぎて平和公園に向かった。途中の傾斜地に神社の石の鳥居が見えたが、原爆により左半分を失い右半分だけ残っている。よくも崩れずに今日まで、と思った。これは山王神社二の鳥居(一本足鳥居)、爆心地から然程は遠くない。

平和公園: 

61年以上前の1945年8月9日、第2の原子爆弾が長崎の上空で炸裂、木造家屋の多い街は一瞬にして壊滅し多くの犠牲者が発生しました。その爆心地は平和祈念像のすぐ近くになる。日本からも外国からも多くの人達が訪れ「平和であらんことを!」と心から祈る平和公園、今回のツアーの最後です。まず平和祈念像を背景に全員で記念写真を撮りました。この平和祈念像について、上をさす右手は原爆の脅威を、水平に伸びた左手は世界の平和を、軽く閉じたまぶたは犠牲者の冥福を祈っている、とされます。その後、平和の泉、平和の鐘、各国から寄贈された平和を祈る彫刻類、高台にある平和公園をゆっくりと自由散策しました。
平和祈念像。 平和の泉。 平和の鐘。

脅威の議論はともかく、現在は平和で豊か。感謝しつつ人生を楽しむ。庶民にはそれ以外に何ができましょう? でも、時には云いたくなるものです。

一言居士のつぶやき: 今となれば、原料と道具を与えるとチョットした学生サンにも作れるらしい核兵器。金持ちがかなりのロケットを道楽で打ち上げて喜ぶ時代です。遊び半分2つをくっつけて試しに飛ばしたらどうなるか?並のバカなら直ぐ分かる。火遊び大好き人間のお坊ちゃまには分からない? ウン、くっつけて、飛ばしてみるまでキミには分からないよね。世界に平和公園が増えるかも? 困ったナ〜。でもネ、お坊ちゃま、そんなに生きていれるかな?

昼食(オプション): 

11:00 解散。我々は昼食のオプションを申込んであった。平和公園の入口近くの和泉屋2階のレストランに行く。広く明るい店だった。
食事は中華で、海草と野菜のスープ、八宝菜、酢豚、あんかけ皿うどん、春巻き、ご飯でした。
食後は1階の売場を見歩いた。この和泉屋もカステラが本職らしい(昨日バスでカタログと購入申込用紙を配布)、しかし他の土産類も豊富だった。カステラは他で購入済み、長崎名物の皿うどん1袋(3食分/@600)だけ買ってみた。後日の試食ではパリパリして美味しい食感でした。
11:35 バスに乗車。

移動(福岡空港まで): 

11:40 出発。これで長崎を後にして福岡空港に向かう。
12:53 PAで停車。
13:05 出発。
13:40 福岡空港に到着。6日間一緒だったガイド嬢とバスにお別れです。ドライバーさんは3日目後に交代したのか6日間務めたのか分かりませんが、事故も不安もなく楽しめました。最初にも書きましたが、当初は何かと気になったガイドさん、次第に本領を発揮して上手くやっていた印象です。「30才、未だ独身!」と「スミマセンネ〜」が売りでした。

福岡空港: 

13:45 空港内に移動。手荷物の入替えをする。その間に添乗員さんが搭乗手続きを片付ける。
14:20 機内持込み手荷物の検査を終了。搭乗口7番に行く。隣の8番の椅子で時間まで休む。
15:15 5分遅れで出発。
16:45 この頃、羽田空港に到着。ここから夫々バラバラの帰宅です。添乗員さんの短い挨拶でツアーも解散となりました。
□:□ 搭乗便のゲートに移動。近くの別の搭乗口で時間潰しでした。
□:□ 搭乗。機材はB777-200、座席配列は 3-4-3、我々はエコノミークラス中程の席でした。目的地は悪天候とのアナウンス。状況によっては羽田に引き返すこともあり得るとのこと。
□:□ 機内サービスでアップル・ジュースをもらい、喉をうるおす。
□:□ 到着。雨だったが問題なく着陸できました。
□:□ 預入れ手荷物を受取り、駐車場に向かった。車に異常はない。ゲートで駐車料金を払って自宅に向かった。
□:□ 帰宅。

おわりに Page Head ▲
○ 観光開始後の1日半ほどは天候に恵まれなかったが、その後は少しづつ良くなりました。
○ 5泊6日のツアーでも、時差がなく言葉の問題もない国内旅行はあまり疲れません。
○ 今回は食べ過ぎたようで体重が約2Kg以上も増えました。
○ 2日目はホテルが変更になった。「旅程保証金(2%)+お詫び」が返却されました。
○ 旅行会社のツアーなので、費用的には往復の航空料金で全てを賄ったようなものです。
○ 国内ツアー料金で近場の海外旅行は可能、海外旅行増加のトレンドは分かります。
○ 観光地情報は固有名詞をコピーして検索エンジンのボックスに貼付けると入手が簡単です。検索したい用語や短文を反転表示して左クリック、「○○で検索」をクリックすると検索エンジン○○の検索結果が別タグに表示されます。慣れるととても便利な機能です。
○ 参考資料は日立デジタル平凡社「世界大百科事典DVD版」や「広辞苑」、その他に観光先で貰ったパンフレットや観光先のウェブサイトなどです。一々出典は明記していません。
○ 北行庵「九州旅行記」への御来訪に感謝いたします。お楽しみ頂けたり、お役立ち情報を得られたら幸甚に存じます。宜しければ、北行庵の他の旅行記もお訪ねください。
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壁紙写真集 ⇒ 当旅行記の壁紙写真は未制作です。
(2016.10.07 モバイル表示に適合)((2011.05.05 ブラウザ対策)(2006.12.25 公開)

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