ニューヨーク滞在8泊9日  [ 1日目/5月17日(木) ] 日付変更線を越える
国内移動→成田空港発→ニューヨークJFK空港→宿
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快晴で最高の旅行日和である。ワイフの車で空港に向かった。 空港出発口でスーツケース2個を降ろし、駐車場に車を置きに行った。 JALカウンターでパック航空券を受けとり、搭乗し、羽田空港に到着した。 予定通りで順調だった。
羽田から新橋へ
今回は前泊なしの成田出発なので、午後は短時間ながら久々に 東京を楽しむ予定である。銀座は1年半ぶりだった。手荷物はコインロッ カーに入れ、成田行き15:30発リムジンバスの切符を購入し、モノレール に向う。浜松町で山の手線に乗り、新橋駅で外に出た。

新橋駅広場の向かいに大型ブランド店(木村屋)が出来ていた。  1階をざっと見たところ、デジカメ類は一般の量販店価格と同等だったが、 ブランド・ネクタイは品数もあり価格もかなり安い設定であった。エスカ レータでバック売り場に行ってみた。店頭ではまず見れないエルメスの バーキン・ポリード・ケリー等がガラスケースに並んでいる。注文でも かなり待たなければ入手できないバックのためか、プレミアム価格で 3割以上高い値札だった。しかし、入手可能な商品です。エルメス願望 の女性は幸せなことでしょう。店内を見ただけで終わり、店を後にした。

新橋から銀座へ
銀座中央通の資生堂5階のレストランに寄ったが2時まで満席だ。 「それ以後になりますが、予約されますか?」諦めた。 後日聞いた話では、2カ月も前から予約が入るレストランとか。 想像したような所ではなく、 白テーブルクロスの本格派なので入れなかったは幸いだったのでしょう。 これで田舎者の馬脚を出しました。

銀座四丁目の木村屋3階グリルでは窓側の席に案内された。 ここの窓から中央通りを見下ろすと明るく賑やかでホッとします。 グラタンとビーフシチューを注文した。 パンは食べ放題、ウェイトレスがパン籠を持って回りチョイスできる。

木村屋を出て和光に入る。 ワイフがハンカチを購入している間は紳士服を1人で見歩いた。 チリチリと皺のある夏用ジャケットに着易そうなものを見つけたが、 価格は場所を反映してそれなりでした。

銀座「あけぼの」でワイフが菓子を購入する間は、そよ風がここち良い歩道で待った。実は昼食後、前右上の挿し歯が抜けてしまった。 10年以上も前に入れた挿し歯で、3年前にも1度抜け歯科で治したものである。旅行中なので、さて困った。 築地通りにマツモトキヨシがあったので応急手当用のものを尋ねてみる。 店員は店頭の商品を調べ、その後メーカーに電話で問い合わせてくれたが 「適当なものは無い」とのこと。 落とさないように気を付けるしかなさそうである。

羽田空港から成田空港へ
有楽町駅から電車に乗り、モノレールで羽田空港に向かった。 コインロッカーからスーツケースを出し近くのリムジンバス乗り場に行く。 待ち時間は5分程度で丁度よかった。今回のリムジンバスには既に ETS が 設備され高速道路の料金所でも停車しなかった。確かに料金所でスピード ダウンするが、それでも走行はかなりスムースな感じになる。
成田空港
成田空港第2ターミナル南口に到着。JAL-I カウンターにて搭乗 手続きを済ませる。研修直後のような若い女性が窓口で少し頼りない感じは あったが、第2ターミナルに歯医者がいるか尋ねてみた。内科医しか居ない そうだ。第1ターミナルに歯医者がいるが、往復の時間と医者の待ち時間を 考えると治療は無理と言われた。諦めるしかない。

搭乗手続き所のゲートを出るとショッピングモールへ行くエスカレータがある。 その右側に薬屋らしき店があったので寄ってみたが、 やはり適当なものはない。 エスカレータで上に行きモールの薬屋の主人に挿し歯の応急処置の方法を聞いてみた。挿し歯が抜け駆け込む人が時々いるそうだ。 瞬間接着剤のアロンアルファを使えばしばらくは大丈夫という。 神経に悪影響はないか尋ねると、「歯医者さんは問題ないと言っている。」 アロンアルファを購入し、直ぐ近くのトイレに行く。 挿し歯と口を洗浄し、テシューで挿し歯と歯肉の水気を取り去り、接着剤を付けて挿し歯を固定した。1回で巧く付いてくれた。内心、実にホッとしましたね。

出国手続きをする。 ゴールデンウィーク後の5月中旬のことで比較的空いていた。 何時ものとおり免税店でタバコのカートンを買い、ワイフは化粧品を免税価格で購入していた。 米ドルはすでに購入済みなので銀行に用はなかった。 搭乗口に向かうと、Boading Passに記された搭乗口には違う便が表示されている。職員に尋ねるとJAL048便は搭乗口がC81からC82に変更になっていた。 動く歩道の反対側だった。喫煙所も近く、10時間以上の禁煙にそなえた。

搭乗開始。行列についたが、しばらく後JALマイレージの登録を思い出した。 自動登録機にカードを入れたが2度も拒否される。 次の男性も同じく拒否されていたので、システムを稼動させていないのであろう。 搭乗口の職員にカードと搭乗券を渡し記録(筆記)してもらった。

離陸
19:10 JAL048便は5分遅れで、Jew York JFK空港に向け出発。タクシー アウトにかなりの時間がかかり、離陸は40分後だった。離陸後1時間ぐらい すると、飛行機は揺れ始めた。直ぐ機長のアナウンスがあり、「先行機から の連絡によると30分位は強い気流の乱れが続くのでシートベルトを着用」と 指示された。我々は肘掛を両手でしっかり掴み、スチュワーデスも全員着席 する程の、かなりの揺れが続いた。これで夕食は延び、10時過ぎにやっと 食事にありつけた。

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現地時間の15:30頃、飛行機内で腕時計、ICレコーダ、デジカメ、APSカメラの時計を全てESTに合わせた。 ニューヨークは夏時間で、日暮れは夜8時頃とのことだった。

ジョン・F・ケネディー空港到着
18:40 JFK国際空港に到着。入国審査の小太りした係官はパスポート を見ながら
「何度も来ているね。」
「いや、26年ぶり。 昔はこの街に住んでいたけれど。」
「そうか。何していた?」
「そのときは大学院生だった。」
「そーか。滞在を楽しんでくれ。」
「もちろん」
アメリカのことで、何となく気軽になれる(それではいかんのですが。)
空港からホテルへ
旅行社の男性ガイドが出迎え、直ぐマイクロバスに案内される。 これまでのI'LLではドライバーとガイドのペアーが普通だったが、人件費に 敏感な米国のことでガイドがドライバー兼務であった。ミッドタウン・トン ネルを通ってマンハッタンに入る。トンネルを出たあたりは古い建物がその ままあり、景観は昔と変わった感じはしない。もう1組の客はLong Islandの 学校で勉強中の娘さんとその御両親で、別のホテルを予約したようだ。 この人達を先に降ろし、7番街から54丁目を通り6番街近くに駐車した。 

アメリカのマイクロバス(ボックスカー?)は床が高く、降りるというよりは飛び降りる感じになる。 それでガイドがまず降りてドアーを開け小型の足台を置いてから「どーぞ」となる。こんな車では足長のアメリカ人でも不便である。ドアーを開けると自動的に出るステップ装置を取り付けるべきであろう。

ヒルトン ホテルに到着
20:45 Hilton New York & Towers ( 53rd & 54th Street, Avenue of the Americas ) に到着。宿泊手続きでは、クレジットカードの提出を求められた。 また、タバコを吸うかガイドに確認されたので「日に2箱のヘビースモーカー なので、喫煙できる部屋が良い。」部屋の変更をカウンターに申し出てくれた。  受付の女性が曰く「喫煙ルームは良い部屋ではないし、素晴らしい部屋を確保しておいたので、変更すべきではない。」変更は中止、ホテルで用意してくれた部屋に泊まることにした。

17階の6番街寄り南側に当たる角の部屋だった。窓からは6番街と懐かしい「Radio City Music Hall」の赤いネオンがよく見える。ショーとロケットガールズのラインダンスと映画一本が定番プログラムだった。 幾度か週末に観に来たものだった。ダブルベット2つの広い部屋で、窓には柔らかい遮光カーテン、レースカーテン、飾りカーテンが付けられ雰囲気も良いものである。バスルームは狭く感じられたが、これは感覚の問題だった。 また、シャワー設備は実に使い易いうえに湯量を多くしてもソフトに体にかかる快適なものでした。窓のそばに大型の金属製空調パネルがあり、上部が送風口、下部が吸気口になっている。当初は見慣れないのでこれは気になりました。

旅行社の担当は直ぐ部屋の備品・設備などを点検した。冷蔵庫の 使用はかなり厳しい面があるので、持ち込み飲料を冷やす等しないように言 われる。喫煙出来ない部屋だが、窓を開けるなり適当に吸っても大丈夫だそ うだ。ただし、「吸殻と灰をそのままにしておいてはいけない」という。 重ねて「チップは毎日置いたほうが・・・」ともアドバイスするので、 「毎日3ドルでは?」と尋ねたら、「十分です。宜しく」とのことだった。 メードへのチップは1人1晩1ドルと説明されているので、多めである。 必要はなさそうだが、旅行社のテレフォンカードを買ってあげた。公衆電話 から日本への約40分の通話が出来るそうだ。

この旅行社の人はワシントンスクエアー近くの5番街にあるニュースクールlという学校で勉強し、その後は旅行社勤めをしているという。 昔は5番街に面した校舎1棟でやっていたものだ。あちこちの設備を買収し現在はかなりの規模になったという。ナチスに追われたドイツ系ユダヤ人が設立したものと言われ、小さいながらもニューヨークでは知られた文科系の学校の1つである。

ニューヨーク大学時代にこの学校を当時の友人と訪ねたこともあり全く無縁という訳でもなかった。その時だったか、ニュースクールのサポーターをされていたGさんという弁護士の奥様と知り合いになった。 フリーポートのお宅や町のクラブハウスに招待されたことすらあった。 ご主人が「我々はドイツ系ユダヤ人だ」と説明され、ニュースクールの人種的基盤を知ったわけである。ついでながら、このご夫妻は敷地の中に小さい日本庭園を日系庭職人の手で作られていた。この御一家は今どうされているだろうか。久々に聴いた学校名から、一時お世話になった米国人家庭が懐かしく思い出されました。

デリカテッセン(Delli)
Hotelの部屋を出る。夕食のつもりだったが、7番街西側に Delli (デリカテッセン:惣菜屋)が数軒あったので、ベーグル・海苔巻・飲み物 などを買い求めて「中食」で済ますこととした。このような物をぶら下げて ホテルの表からは入りづらい。54丁目の裏出入り口を利用した。ここには 岡田屋という横浜の店が入居し、バック類やその他の商品を並べていました。  ホテルに合った明るい店造りにしています。 

これから1週間滞在する部屋に満足できて安心しました。以前の旅行とは違い、朝食はプランに含めなかったので食事のことが気掛かりですが、大都会のことで何とかなるでしょう。

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