ニューヨーク滞在8泊9日  [ 9日目/5月25日(木) ]
チェックアウト・ケネディ空港
前頁に戻る New York City 次頁に進む

この部屋ともこれでお別れだ。部屋の写真を数枚撮った。外はどんより曇り、いつ降り出してもおかしくない状況だった。洗面道具など最後まで必要としたものをスーツケースに収め、チップを置いた。

ビデオ・チェックアウト
このホテルは部屋のテレビで「ビデオ・チェックアウト」が出来る。  リモコンでその画面を呼び出し、明細を確認し(入力・取り消しがあり表記は乱れた感じだったが、請求合計は正しい)、チェックアウトに印を入力した。部屋の鍵 (カード)は部屋に置いて出るよう指示が表示されたのでテーブルに置く。  これでチェックアウト完了のはずだが、画面には「フロントに領収証を受け取りに 来るように」と指示が出ている。そうか、プリンターは無いので「紙」は貰いに行く必要があるナ。忘れ物の有無を確認をして部屋を出る。荷物をホテルに頼むと時間がかかるそうなので自分で運んだ。いつもの事だが、廊下の絨毯が厚くキャスターが旨く転がってくれないので難儀した。 

ホテルの会計窓口は空いていた。男性ホテルマンに「ビデオ・チェックアウトで済ませたが・・・」と伝えると、直ぐ画面を確認してプリンターの出力を待った。そして1枚の明細・領収書をくれた。「明細が乱れていたので、お越しいただきました。」 なるほど、そういうことか。

集合
ホテルには出入り口が2つあり、54丁目に面した奥まった場所に横浜の岡田屋という店があった。この裏口が集合場所である。既に二組の4人が来ていた。一方は年配、他方は若いカップルだった。名刺交換などして滞在中に何らかの交流があったらしい。9時45分の集合時間まで、旅行社が迎えにくるのを待った。
ケネディー空港へ
旅行社のマイクロバスは裏出入り口斜め向かいに駐車していた。  荷物を積み終わると出発である。来る時はミッドタウントンネル経由だったが、 今度はクイーズボロ橋を通った。そのままクイーンズブルバードを走るかと思った が、右に曲がり、昔ソニーが有った倉庫や作業場が密集した観光とは縁のない 地域を左右に曲がりながら走る。ガイドは信号を避けるためというが・・・。

バスの中は雑談が行き交った。年配のカップルは1960-65年にニューヨーク勤務をされ、当時はヤミドルが400円したそうだ。ボーナスもドルにすると50ドルにしかならなかった、と笑っていた。ご主人は出張で幾度もニューヨークに来ているが奥様はその後初めてとのことだった。昔住んだクイーンズの家を見に行ったら、建物は残っていたが辺りがすっかり変わっていたり、子供を遊ばせた公園も鍵がかかり入れなかったとか。やはり黒人街になったのかと思われた。ハーレムのジャズ・オプションとかブロードウェイのミュージカル「オペラ座の怪人」に行ったともいう。ハーレムは報道されるように改善されて安全な感じだったそうだ。日本語でも理解の難しい「オペラ座の怪人」は恐らく雰囲気を味わっただけであろう。話し好きのご主人だった。

ガイドはニューヨークは3年になるという。フォレストヒルズに住んでいるそうだ。「フォレストヒルズには1年半ぐらい住んだことがあるけれど、変わっていませんか」と尋ねると「ええ、全く昔のままです。」何となく安心した。

途中から雨が降り出した。道路案内標識などを見て、すっかり忘れていた道路を思い出したり、変わりない風景をぼんやり眺めていると空港の入り口にさしかかった。大規模な立体交差の工事が行われていたが、昔風の鉄製の陸橋ではなく、日本の高架橋と同じコンクリート製だった。  ここは航空会社別と言える程に建物が多く、広さはかなりのものである。

ケネディー空港・搭乗手続き
11:00 日本航空と大韓航空の共同ターミナルビルに到着した。スーツ ケース用のカートを使おうとしたら、動かない。2ドルを機械に入れると止め具 が外れ動かせる仕組みになっていた。JALの搭乗手続き窓口はビル入り口から それ程距離は無く、カートは使用する必要は全くなかった。
日本人社員の窓口は行列だったが、米国人女性の窓口には誰もいない。 
ガイドはそちらに行けという。 
「Hokkaido行きのチケットが付いている。」
「ええ、Hokkaidoまで帰るのだ。」
「Hokkaidoは韓国なの?」 
「いや、日本の一番北の島になる。韓国ではない。」
「ふーん。」
いくら大韓航空との共同使用ビル内とは言え、日本航空に勤める以上は日本の主な地理くらい知っていてもらいたいものだ。若い女性だから、 Training On The Job か・・・。
出国手続き
全員搭乗手続きを済ませるとガイドの空港施設の説明があり、その後出国手続きとなる。危険物持ち込み検査は問題なく通過したが、ショルダーバックを受け取る直前に「バックを検査してよいか?」と聞かれた。  レントゲン検査で何か変な形状の物があると判断されたと思った。  しかし係官はバック外側の手の触れる部分を白い紙状のもので丁寧に拭き、その紙を検査機にかけた。問題は無かった。珍しいので見ていた人達もおり、「伝染病じゃないか」とか「薬物検査だろう」と言う声が聞こえてきた。 
ショッピングモールにて
この先は直ぐ免税のショッピングモールになる。まずDFSを下見して、それからブラブラと見歩いた。サングラス専門店があったので、そこでワイフは数年の物色に終止符を打った。グッチのデザインが気に入り迷わず決め、カードで支払った。帰国後に支払い伝票を確認したら、何とニューヨークの Sales Tax 8.25% が取られている。出国手続き後はニューヨークにあってニューヨークにあらず。これはひどい。投書ものですね。

さて、タバコを吸いたくなった。喫煙所と書かかれた場所に入ると、ちょっとした喫茶店の作りである。女性ウェイトレスも2名いる。席に着いたら直ぐ簡単なメニューを持ってきた。コーヒーを頼んだ。  その後ウェイトレスの1人が来て、日本語で書かれた手紙を見せた。  「ここでくつろげた事を感謝します」という趣旨の長い手紙だった。次に 「これは読めるか」と韓国ハングル文字の文章を見せる。 「私には読めない。」

相手は何か言うのだが、何をして欲しいのか分からない。 こちらはゆっくり休みタバコを吸いたいだけなのに・・・。 近くの日本人女性が助けにきて
「同じようなお礼の文章を書いてくれ、といっているの。」  
そんなことを言っている???
「同じような文章を書いて欲しいのですか?」と確認したら頷いた。
このような文を書き残す趣味はないし、まずもって面倒だ。
「タバコを吸って、コーヒーを飲んで、リラックスしたいだけ!何も書きたくない!」
と声が大きくなってしまった。
ウェイトレスはムッとした表情で引き下がった。
ゆっくりした後で、傍を通ったそのウェイトレスに 「Check, please.」
ここは無料の喫煙所でメニューの飲み物は無料サービスであった。
ビックリした。どおりで感謝の手紙が来ることもあるわけだ。
ウェイトレスも私が何故声を荒くしたかを理解したらしく、おかしそうに笑った。

DFSに戻り天狗の5オンス・ビーフジャッキーを約1900円で購入した。  が、成田空港に到着後、空港の1階売店で同じ物が約1400円で売られていた。  為替変動では説明のつかない大幅な価格差である。帰国後、ニューヨークタイムズ紙 (NYT Online, May 30, 2001) に国際空港に関する記事が掲載されていた。  読んでみたら、JFK国際空港の評判は米国人にもあまり良くないようだった。  全体の印象として、分かるような気がする。

搭乗・離陸
搭乗口に行った。搭乗したら座席は最後尾で、I'LLの他の人達も近くだった。搭乗手続きは特に遅い時間でもなかったが、どうも米国からの帰国便では座席に恵まれない。格安チケットの人達の方が優遇されている感じである。4年前のサンフランシスコからの帰国便はテレビ投影スクリーンの前で足を伸ばせず落ち着かなかった。それに比べるとまし、と慰めた。 

13:30 JAL005便は動き出す。雨のニューヨークとも完全にお別れ。  数時間するとカナダ上空・ハドソン湾南部の荒涼とした地帯が眼下に広がって いた。樹木もなく、起伏のない薄茶色の地面に無数の湖が見える。  中にはそこだけ気温・地温が低いのか白く凍った湖もあった。表面はともかく、 永久凍土のツンドラであろう。時には路が細く長く延びている。人間の痕跡を 感じさせる唯一のものだった。

前頁に戻る This Page Top ▲ 次頁に進む