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ロシア紀行、文化遺産を巡る9日間/3日目( 2006年8月29日 )
黄金の輪(ウラジーミル & スズタリ)
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○○ ホテル出発まで
バス移動(→ウラジーミル)
ウラジーミル/黄金の門
昼食(ホテルのレストラン)
ウラジーミル/ウスペンスキー大聖堂
移動(→スズダリ)
スパソ・エフフィミエフ修道院
*展望台からポクロフスキー修道院
*鐘楼(組鐘の演奏)
*聖堂(聖歌の男性コーラス)
木造建築と農民生活・博物館
徒歩移動(→クレムリン)
ロジェストヴェンスキー聖堂
徒歩移動と商業アーケード
夕食(街のレストラン)
ウラジミール泊(1泊)

ホテル出発まで
06:00 目覚ましで起床。予備バッテリーの充電は完了していた。
07:20 2泊したこのホテルは今朝チェックアウトです。忘れ物の確認に念を入れてからスーツケースを廊下に出した。そして朝食レストランに向かった。もちろん25階の事務所で部屋のキーと部屋番号カードを交換したのです。
07:55 自室に戻る。廊下に出したスーツケースは搬出されていた。
08:10 25階の受付でチェックアウト。女性職員と男性職員がいて、男性職員が「備品の無断持ち出し」と「飲物の使用」を確認に使用した2513号室に行く。問題はなく、昨夜飲んだオレンジジュース代 50P を 100P紙幣で支払った。ツリは 50P紙幣だったので 10P紙幣 5枚に取り替えてもらった。小額紙幣は何かと便利なのです。
08:25 ロビーから出て、外気にふれる。無風ながら肌寒く感じた。写真を数枚撮っておく。
08:35 添乗員さんからパスポートの返却があった。出国カードの下部空白にホテルの宿泊を証明するゴム印が押されている。
そして今日のバス座席表が発表となった。左側の7番目だった。

(注) モスクワの宿泊ホテルの写真ページは1日目(前頁)の最後部に置いてあります。

現地ガイドさんも既に到着していた。昨日と同じ人である。 今日はまずモスクワからウラジーミルまで約170Kmの走行となる。時間的には3時間30分の予定。到着後、先ずウラジーミルを観光してから、スズダリに移動し観光する。その後は再びウラジーミルに戻って宿泊の予定だった。

バス移動(モスクワ → ウラジーミル) 移動(モスクワ → ウラジーミル) title=
08:40 ホテル入口前でバスに乗車。人数確認後にすぐ出発となった。
09:04 モスクワ大環状線の外にでる。ここからモスクワではない。しばらくは、現地ガイドさんがモスクワやロシアの説明をしていました。以下、メモした要点のみですが、聞き間違いがあるかも知れません。もしメモ違いがありましたら御容赦のほどを・・・。
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*大環状線の内側の人口は約1200万人、モスクワ市内は約1120万人。
*モスクワの夏の平均気温は19度程度でも日中は35度くらいで東京と同じ。
*11月頃から積雪が始まり、気温はかなり低くなる。
*昨冬は−39度がモスクワの最低気温で家の中でもブーツを履いた。
*南極の最低気温は−69度、シベリアの最低気温は−68度。ロシアは寒い国。
*ロシアの長い川は、ボルガ川が約3700Km、オビ川が約6000Km。
*ロシアで最も高い山は、ブルース山(5642m)。
*モスクワには地震がない。
*モスクワにカトリック教会は6つしかない。
*ロシアには菩提樹やモミの木が多い。
*家は松や樫を材料にすることが多い。
*走行する白樺林の道はシベリア鉄道が開通するまでシベリア行きの主要路だった。
*道路の建設工事により何百万人が命を失い、沿道に埋葬されている。
*等々。
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ナナカマドの実のキーホールダ 10:20 トイレ停車。使用料は 5P。
土産店なので胴体に「ナナカマドの実」が描かれたこけしのキーホルダー(@US$1.00)を探す。黒い頭のものは無いが赤い頭のものがあった。良しとしてワイフは土産用に10個まとめて買った。1個おまけしてくれた。
10:45 出発。

ウラジーミルに近づくにつれ、沿道の木々は赤松、落葉松、白樺が多くなる。そして赤い実を付けたナナカマドを時々見かけるようになった。
11:52 ウラジーミル市街地に入る。

ウラジーミル観光(1) 黄金の門 (Vladimir/the Golden Gate) ウラジーミル観光(1) 黄金の門
12:17 「黄金の門」という大きく白い城門に到着。この3層の建物は12世紀の半ばに建造されたものらしい。当時のウラジーミルは城砦(クレムリン)で、5つの内門と外門があったが現存するのは「黄金の門」だけになり町のシンボルとなっている。昔は門と門の間は城壁(大きな土手)で結ばれ町を守っていたが、今日では僅かにその一部が残っているのみのようです。
「黄金の門」の近くにはトロイツカヤ教会があり、その道には土産の露店が沢山でている。しかし写真だけ撮ってバスに戻った。
12:30 出発。

注: クレムリンは城壁の意味、独特なモスクワのクレムリンが政治の中心として有名です。今日の観光でもクレムリンが出てきますが、この地方のものは街を囲む盛土のクレムリンで迫力は感じません。日本でも豊臣秀吉が京都を南北に長い御土居(オドイ)で囲み、その上に竹を植え、並んで水濠も作った。ロシア風に云うとキョウト・クレムリンでしょうか。今は一部が残るのみです。ちなみに、洛中は御土居の内側、洛外は御土居の外側、の意味になる。(2015.05.06 追記)


昼食(ウラジーミル・ホテルのレストラン) 昼食(ホテルのレストラン) title=
12:40 今晩泊るホテル・ウラジーミルに到着、小さな入口から入る4階建てのホテルだった。ここのレストランで昼食ですが、ロビーに入ると直ぐウェルカム・ドリンクとして小グラスのウォッカが振舞われた。少し舐めてみたが、強い酒なので口中に火が付いたようになる。その後、「パンと塩」が振舞われる。お盆に載った大型の丸い白パンを客が各自でちぎって味合うのです。この地方の伝統的なおもてなしで、大都会では経験できないものですね。
テーブルには既にサラダの皿が置かれており、予約の甲斐があったというもの。グリーン・サラダには柔らかいチーズやオリーブの実も添えられていた。スープは魚肉のシチュー風、メーンデッシュはチキンとフレンチフライ、デザートはロシア風クレープ、そしてコーヒーでした。食事中は女性ピアニストのソロ演奏が続き、ムードも良かったですね。
13:41 バスに乗車、出発。

ウラジーミル観光(2)
聖堂広場、ウスペンスキー大聖堂、ドミトリエフスキー聖堂
ウラジーミル観光(2) ウスペンスキー大聖堂
13:55 聖堂広場に到着。プーシキン公園のこの辺りは芝の緑地になっている。広場から鐘楼と大聖堂が良く見えるようになっていた。4層らしい白亜の塔(鐘楼)が手前にあり、天辺では金色の小ドームが光っていた。その背後に、中心の大ドームとそれを囲む4つの小ドームが目立つ古刹ウスペンスキー大聖堂(Cathedral of the Assumption)が半分ほど見える。ドームは全て金色だった。

この町は、キエフのウラジーミル・モノマフ公が1108年に木製の要塞を築いたことが始まりとされる。その後、ウラジーミル・スズダリ公国が興り、リューリク朝ロシアの中心はキエフからウラジーミルに移ったのです。1158年にこの地方産の白い石灰岩を用いてウスペンスキー大聖堂の建築が始まりました。1326年にイワン1世がモスクワに主府教座を移すまで、ロシア正教の総本山としての役割を果たした歴史的な大聖堂です。その独特な建築様式がロシアの教会建築の原型となった、とされている。昨日モスクワのクレムリンで拝見したどの聖堂よりも古く由緒あるものなのです。
芝の中の小道をウスペンスキー大聖堂の見学に向かいました。鐘楼の近くにチケット売場(小屋)があった。そこで少し待たされました。

14:10 ウスペンスキー大聖堂に入る。もちろん脱帽、内部の写真撮影は禁止でした。
5つのドームの細い縦長の窓から外光は入るのですが、礼拝堂は薄暗かった、と記憶している。一回りして昔の皇帝の棺やイコンの数々を拝見しました。天井近くにある15世紀に描かれた「最後の審判」というフレスコ画が知られているもののようです。
14:30 ウスペンスキー大聖堂から外にでる。
ロシア正教の十字架
ロシア正教の十字架は垂直の棒の上部に水平に短長の2本と下に斜め1本の横棒がある(右の写真)。ロシアに来てみると各種の装飾が施されたものも多く一種独特です。ところが、ここのウスペンスキー寺院は5個の全ドームに縦と横の長さが同じ単純なギリシア十字架が付けられている。ロシアもギリシアも共に東方正教会とはいえ、ギリシア十字架を採用している聖堂はロシアでは非常に珍しいそうです。

細長い3階建てに沿って歩き、単独ながら端正な作りのドミトリエフスキー聖堂(Cathedral of St. Demetrius)に行く。この聖堂はウラジーミル公の礼拝所だったそうです。白い石灰岩で作られているが外壁の浮彫り(レリーフ)に特色があるとされていました。細かい図柄が丁寧に掘り込まれたものですが、石材が柔らかく雨水に溶けやすい石灰石なのに長い歴史を経ながら良くぞ原画をはっきりと留めているものと思います。頻繁に手入れしているのか、酸性雨などは降らない地方なのか、不思議でした。正面入口は修理中、内部の参観はしませんでした。
この聖堂のドーム塔はたった1本で金色でした。その上の十字架はウスペンスキー大聖堂とは異なりロシア風でした。その根元に三日月様の横の飾りがあるのです。
ロシア正教も内部で幾つもの宗派に別れ、夫々が異なる十字架を使用するのでしょうか? それとも、建立者の気まぐれな審美感によるのでしょうか? 十字架の多様性から思うと、宗門の団結を強固にするシンボルは十字架ではないのかも知れません・・・。

ドミトリエフスキー聖堂の近くに展望台があり、ウラジーミル市街が眺望できます。ここからの風景はいいですね。広々と穏やかに起伏する森などと共に、原子力発電所の施設らしきものや大規模な団地もみえます。車窓からは近代的なビルも数多く見る大きな街なのです。

注:先にも書きましたが、ウラジーミルは1108年に基礎が築かれ、1169年以降はロシアの首都となりました。しかし1238年にバトゥ・ハーンのモンゴル軍に破壊され、ロシアの支配権はウラジーミルからモスクワに移った。現在の人口は約36万人である。
序ながら、「ウラジーミル」は「ウラジミール/ウラジミル/ヴラジミル」とも表記される。2006年11月1日でのグーグル検索のヒット頁数は「ウラジミール(265,000件)」で「ウラジーミル(127,000件)」でした。しかし手元の印刷物は全て「ウラジーミル」と表記しているので、この旅行記でも「ウラジーミル」を用いました。

14:42 プーシキン公園の木々を眺めながら聖堂広場に向かった。

移動(ウラジーミル → スズダリ)
14:50 バスに乗車、すぐ出発。目的地スズダリ(Suzdal)まで約36Kmのようです。
15:30 スズダリ北端の駐車場に到着。 スズダリ観光絵地図
スズダリは教会と修道院の町、本当に教会だらけでした。ひょっとすると信者の数より多いのでは? もちろん冗談ですが、そう云いたくなる程あちこちにあります。日本に観光旅行で来て、奈良や京都を巡る外人さんたちも神社仏閣ばかりなので同じように思うでしょうね。

スパソ・エフフィミエフ修道院(世界遺産) スパソ・エフフィミエフ修道院

駐車場から展望台へ 
駐車場は住宅街にあった。そこの両側の歩道には街路樹としてナナカマドが植えられている。もう赤い実を沢山付けていた。北海道のナナカマドの実は未だ白く、色付くには少なくとも1ヵ月はかかる時期なのに・・・。同じに見えるが、種類が違うのであろう。
信号機のある交差点に教会があった。その設備として建物が3つ固まっている。正規の大きい教会堂、鐘楼、小さい平屋です。交差点の建物が如何にも教会らしいが夏しか使わないという。冬は鐘楼を挟んだ先の小さい平屋に集い礼拝するそうです。長年の知恵で暖房費の節約をしているそうです。
そこの信号で大通り(今でも「レーニン通り」という)を横切り、スパソ・エフフィミエフ修道院の”城壁”に沿って展望の良いところまで歩いた。その途中では幾人もの人達が土産品を並べたり、土地の漬物を売ったりしている。知る人ぞ知るロシアの銘酒(?)「蜂蜜酒」を並べた人もいた。素朴な商売です・・・。

スパソ・エフフィミエフ修道院の案内図。

展望台からポクロフスキー修道院
城壁が直角に曲がる所に塔があり、その近くに簡素な板張りの展望台があった。
ここから見るスパソ・エフフィミエフ修道院は尖塔やドームの先端が少し見えるだけ、代わりに城壁(高さ約8m、長さ約1.5Km)と見張りの塔が長々と続きとても目立つ。修道院ならず城砦とも思える代物でした。この城壁は17世紀にリトアニア・ポーランド連合軍の攻撃を受けて修道院が破壊された後のもの、それで城壁の作りとなったのでしょう。
展望台の直ぐ下にカメンカ川がある。対岸の小木の茂みや草地の向こうに白い塀に囲まれたポクロフスキー修道院が見えた。女子修道院になる。スズダリは15世紀から宗教の中心地となり数多くの教会や修道院が建てられた。この展望所からも木々の向こうに幾つもの尖塔やドームを見ることが出来ました。

スパソ・エフフィミエフ修道院(Saviour Efimiev Monastery)
来た道をこの修道院の入口まで戻った。入場料はツアーが払うが、他に 50P のカメラ料がかかる。ルーブルで払ってカメラに貼る小型のステッカーを受取り、敷地内に入った。
奥にはドーム付き2階建ての内門があった。ところが単なる門ではなく、その階上部分はブラゴヴェシチェンスカヤ教会というものだった。そこを潜り抜け、修道院の中心部まで行く。右側に小さな東屋や大きな白い鐘楼、左側にウスペンスカヤ教会、正面にはグリーンのドーム群に囲まれた金色の大ドームをもつスパソ・プレオプラジェーンスキー聖堂があった。世界文化遺産に登録された建物のようです。

鐘楼(組鐘の演奏/Bell concert)
15:57 聖堂手前を右に行き、細長い鐘楼がよく見える場所に行く。直ぐに鐘楼の写真を撮影、その時刻は3時57分と記録されている。ところが鐘楼の大時計は違う時刻を示していた。止っている。今思うと、さすが「文化遺産」ですネ(笑)。
16:00 組鐘の演奏は4時丁度から約5分間のようです。1日に7回の演奏があると聞きました。鐘楼には窓が3つあり、右から順に大・中・小の鐘が見えています。演奏者が左端の窓に現れました。演奏は1人で、手で紐を引き足で紐製ペダルを踏んで行うようでした。体の動きは操り人形のようにも思えます。小鐘の列の後で演奏しているので顔の部分がなかなか見れません。しかし、聞き慣れない鐘の音の音楽も「異国情緒」たっぷり! 耳を傾けていると直ぐに終わったように思えました。
ついでながら、ここスズダリはロシアでも中心的な教会の鐘の生産地のようです。
筆者は観た事がありませんが、世界遺産のTV番組で放映されたこともあるとか・・・。

スパソ・プレオブラジェーンスキー聖堂(聖歌のコーラス)
16:10 中心の聖堂に入りました。中は明るい雰囲気です。全壁面に数多くのイコンがあるが、モスクワのウスペンスキー寺院と同じく5段に描かれているようです。柱などの一部はイコンを失った場所もありました。天井や細いドームにも宗教画が描かれている。

礼拝堂の隣は明るく長い部屋だった。全く予想外でしたが、そこで3人の修道僧(?)が聖歌を2曲歌ってくれました。ロシア語ですから意味は全く分からず、メロデーも知らないものでした。しかし、素晴らしいハーモニー、さらに聖堂は凄いエコー効果があり男性3人のコーラスが10人以上の大コーラスにも思えた程でした。言語的な理解は全くないのに、感性のみでジーンときましたね。宗教音楽というものは不思議なものです・・・。
後で知りましたが、このツアーでは通常はコーラスなしとか・・・。幸運にも本物のロシア聖歌の合唱を聴く事ができました。現地ガイドさんが気を利かせたのでしょう。

16:25 その後、修道院のお庭を拝見しながら出口に向かいました。

コクマルカラス コクマルガラス: 途中の広い芝に鳩くらいの黒い鳥が沢山いる。良く見ると後頭部から翼の付根辺りまでグレーのツートンカラーの鳥です。欧州の渡り鳥でカラスの仲間と聞きました。カラスでは一番小型とか。写真のものは白黒のコントラストが不明瞭だったが、白色がはっきりしたものもいました。帰国後にネットで調べたら、「ニシ・コクマルガラス」という鳥のようです。大陸から渡り九州で冬を過ごす「コクマルガラス」のヨーロッパ種でしょう。

16:30 修道院を出る。


バス移動(修道院 → 木造建築と農民生活博物館)
16:40 駐車場に戻り、直ぐ出発です。まずレーニン通りを走り、左折してリザパラジェーンスキー修道院の「聖なる門」の前を通り過ぎた。カメンカ川を横切り、しばらく走る。車窓から木造の民家を見ていましたが、新しい建物はなく古いものが多かった。屋根はトタンで北海道の人間には珍しくないが、黒瓦の屋根と白壁に慣れた目には質素に思えたかも知れません。

現地ガイドさんはモスクワ大学を卒業、父上は在日ロシア観光局の局長で長く日本に滞在した。日本流に言えば、多分「お家柄が良い。」 ご本人の説明では、元々ここスズダリの出身で親戚が約30軒もあるそうです。しかし1〜2軒しか知らないと云っていましたね。まあ、外国生活が長かったり、難しい大学に在籍し卒業すると、案外そんなものでしょう・・・。地元密着型の人間関係では仕事にならない。

16:50 スズダリには城砦(クレムリン)がある。その中心のラジヂェストヴェンスキー聖堂は白亜の建物とブルーのドームが素晴らしいのです。途中でカメラ停車をしてくれました。

食用のナナカマド
ブラック・チョークベリー
北アメリカ原産のバラ科ナナカマド属(Rosaceae-Sorbus)の果実は赤、黒、紫色の3種があるが、黒い実のナナカマドは加工すると食用になり、英語ではブラック・チョークベリー(Black Chokeberry)という。まず北アメリカからヨーロッパに移植され、ロシアには19世紀の初期に入ったようです。食用になるナナカマドは品種改良され数種類あるが、ロシアでは「黒実のナナカマド」と呼ぶ。ロシア、北欧、東欧ではジャムやジュース、果実酒に利用されている。日本に持込まれたのは比較的遅く、北海道に1976年に入りました。
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次のサイトからお借りしました:
http://kaz-berry.cool.ne.jp/berry/berrykind2a.shtml
文章は勝手ながら変更しました。
食べれるナナカマドの実: 先にも触れたが、北海道には耐寒性のあるナナカマド(rowan)が街路樹としてよく植えられる(注:ナナカマドは九州まで分布)。房状の実が沢山付き、晩秋にはその赤い実が紅葉と共にきれいなので好まれるが、実は食用にならない。真冬の積雪時にはカラスなど鳥が餌にしている。
ここロシアのスズダリ地方でも赤い実のナナカマドが街路樹として沢山植えられていた。
写真撮影が一段落したころ、添乗員さんが赤いナナカマドの実を街路樹から取ってきました。「食べれる」という。一粒だけ貰った。既に硬さが和らぎ押すと弾力がある。口に入れ、恐る々噛み割ると、渋みはほぼ無く、「甘酸っぱい」味がした。これなら加工すると食用になる。実際、ロシアではジャムや果実酒を作っている。
帰国後にネットで調べた結果、右コラムの情報が入手できました。ロシアが品種改良したようですが、スズダリで試食した赤いナナカマドが完熟すると黒い実になるのか、あるいは「黒実のナナカマド」とは違う品種なのか、筆者には分かりません。

木造建築と農民生活・博物館
(The Museum of Wooden Architecture)
木造建築と農民生活・博物館
17:03 到着。ここはスズダリ近郊から古い木造の建物を集めた博物館、予定外の見学です。入場料(ツアー)とカメラ料(50P)が必要、しかし見学できて幸運だったと思います。

木造の教会、2006/08/29 撮影
入口近くの木造教会2つ(大・小)の外観を眺めました。昔の田舎には木造の教会しかなかったが、時代の進行と共に木造教会は次々に石造りの教会に建て替えられて消滅、今となっては保存されたものを観るしかないのでしょう。残念ながらここの木造教会は建てられた時代が分かりません。
大きい教会は、礼拝堂の屋根に中央の塔が3段の構造で乗っている。その天辺に木造ドームとロシア十字架がある。礼拝堂の屋根には小ドームが2つあった。さらに採光の窓の出っ張りが塔の周りを囲んでいる。そんな構造でした(右の写真)。やはり石造りの教会と共通するところが多くあるように思います。

次に農家の中を見学。1階は馬車や農事用の道具の納戸になっている。狭い階段を上がると一家の居間があった。寒いロシアのこと、中央に大きいストーブがある。多分レンガ造りで漆喰を塗ったようなものだった。そのストーブの上部は平らでベッドが作られていた。寒さに弱い老人用とのこと、夫婦のベッドはストーブと通路を挟んで並んでいた。壁には造付けのベンチが長く鍵状にある。子供はそこで寝る。ストーブは台所の釜戸の役目も果たしていた。昼間はそのベンチに腰掛けて窓の傍で手仕事をしたようです。冬は良いが、夏は暑いので居間は隣の部屋に移動となり、ここは台所専用になるそうです。狭いスペースながら3世代の一家が何とか融通をしながらの生活だったようです。
この農家が、領主専属の農奴だったのか、他のタイプの小規模自作農だったのか、その社会的な立場は分かりません。狭いながらも恵まれていたのかどうか・・・?

農家から出て、近くの井戸に行く。説明があるまで水車の一種と思っていたが、水車状の大車輪は人間が回す動力源で、深い井戸から水を汲み上げる装置だった。敷地のさらに奥に行くとロシアの風車もあるらしいが、そこまでは行かなかった。
17:30 記念写真を撮りながら、木造建築博物館から出ました。


徒歩移動(博物館 → クレムリン)
博物館からカメンカ川沿いに歩き、木製の歩道橋を渡ってクレムリンの中に入る。ラジヂェストヴェンスキー聖堂の青いドームや葦の生える川の風景も異国情緒たっぷり、気持ちよい散歩です。昔のクレムリンの城壁は大きな土手として今も姿を残している。

ロジェストヴェンスキー聖堂(世界遺産) ロジェストヴェンスキー聖堂
17:38 府主教宮殿から敷地に入った。この宮殿に沿ってきれいに咲きそろった花壇があり、次に宮殿の白亜の建物、白く尖った鐘楼、聖堂の星の輝く5つのドーム、とても良い眺めです。しばし写真撮影でした。
17:45 花壇を後にして草地の細い道を辿り城壁(土手)に登る。カメンカ川にそった城壁の上をしばし歩き、右の道に入るとニコーリスカヤ教会(木造教会)がある。恐らくは保存されたものであろう。最近修理された部分もある。そこからロジェストヴェンスキー聖堂に向かった。花壇の場所からも直接行けるが遠回りして風景を楽しんだのです。
17:58 聖堂の横から建物に取り囲まれた中庭に入る。まず正面の白亜に尖る鐘楼が印象的だった。花壇の道を鐘楼まで歩くと、今度はロジェストヴェンスキー聖堂の金色の星が散りばめられたブルーのドームが冴えてみえる。残念ながら曇で明るく輝く姿は見れなかったが、それでもおとぎの国の建物みたいです。聖堂の入口は工事中だった。別の道で聖堂の近くに戻った。そこから鐘楼を見ると塔の中ほどに鐘と大時計が見えたが、ここの時計も止っていた。スズダリはロシアの悠久の聖地、時計は不要な感覚で散策すべき・・・。

徒歩移動と商業アーケード 徒歩移動と商業アーケード
ナナカマドの酒 18:05 この頃にロジェストヴェンスキー聖堂から外の道に行き、大通りを左に向かった。
初めてロシアの観光馬車を見ました。1台は赤黒、もう1台は赤白の明るい塗装でメルヘンの世界のようです。
途中の右手に大きな消防署があった。世界遺産に登録された貴重な文化財の多いスズダリのこと、火事には神経を使っている。消防の建物は白でしたが、消防車はやはり赤でした。
クレムリンの城壁(土手)を過ぎると左に教会があった。ウスペンスキー教会(?)と思うが、不確かです。

18:20 この頃に広場に到着。ここには商業アーケードと呼ばれる長い建物がある。広場に向かって沢山の商店が入居していたが、時刻は夕方なので既に店仕舞いしたものも多い。広場の奥に教会があるが、その近くまで行くと酒屋があった。そこに入る。
現地ガイドさんのお勧めは、珍しいナナカマド酒(@100P/約500円)だった。アルコールは40度というが、実は他の蒸留酒にナナカマドの実を漬けて味を出しているのか、ナナカマドの実を醗酵させて造ったものか、判然としない。珍しい酒であることに間違いなく、2本だけ買っておいた。当地スズダリ出身の現地ガイドさんは「大好き」とか云いながら10本も買い、両手にボトルの袋を提げて出てきました。ツアーの酒好きな人達は飲みやすい味と云っていましたが・・・。

バスは近くの交差点までピックアップに来る予定。7時少し前に固まってレーニン通りを渡り、バスを待った。
19:00 バスに乗車、直ぐ出発。

夕食(街のレストラン) 夕食(街のレストラン)
19:25 この頃、「ドミトロフスキー」というレストランに到着。
特に飲物は注文せず、水で済ませた。サラダ(各種の野菜を細かく切りポテトサラダ風に混ぜて固めてパセリを乗せたもの)、ステーキとフライド・ポテト、アイスクリームとオレンジのデザートでした。
残念ながら、このレストランの記憶はありません。
20:30 この頃、レストラン出。

ホテル・ウラジーミル( Hotel Vladimir / 1泊 ) ホテル・ウラジーミル
20:50 ホテル到着。ここは今日の昼食をしたホテルです。
パスポートを添乗員さんに渡して部屋割りを待つ。我々は324号室となり、ロビーでキーを受取った。今朝までのモスクワの大ホテルと違い、各階にキー管理の事務所はなく、フロントがパスポート管理を含む全てを担当しています。
添乗員さんから明朝の予定表が配布された。
21:01 部屋に入る。
スーツケース2個が何とか開けれる程度の狭い部屋でも、リニューアルされたばかりで小奇麗と云える。ベットは質素なシングル・サイズが2つのツイン、バスルームはバスタブなしシャワーのみだった。シャワーは使いづらいが何とかなった。が、水漏れして床が濡れる・・・。使用後は床を拭かざるをえない。
トイレット・ペーパーは硬い。水に溶け難いので使用後は流さずにバケツに入れる。おしりの弱い人は日本から1ロール持ってきた方が良いかもしれない。(これはロシアのホテルでは共通のようです。)
冷房はなく、扇風機を回すとうるさい音がした。ワイフはスペアー毛布が必要だが、クローゼットに厚い毛布が2枚入っている。これで頼まずに済んだ。

実はホテル・サーチでもこのホテルについて簡単に調べてあった(2006年8月)。ウラジーミル・スズダリ地区にホテルは幾つもあるが多くは星印が付いていない。評価を断っているのか、巡礼者向けの質素なホテルで評価のしようがないのか、分かりません。このウラジーミル・ホテルは星2つ、他に星3つのホテルが1つ、それだけが星マーク付きでした。大都会から遠い宗教的な地域である点を考慮すると、何となく分かります。

明日の夜はホテルではなくモスクワからサンクト・ペテルブルクに行く寝台列車になる。予定では4人1室の2等寝台なのでスーツケースを開けるのは難しい。明朝、リュックに入れる着替えや必要品などを1セット用意して分けておく。観光中はバスに残せば良いだけのこと、邪魔にはならない。
デジカメの充電池は残量がタップリで未だ使用できる。この充電池は家電メーカー製で大容量と明記されているが、その通りだった。以前からの充電池とは持ちがかなり違う。が、継ぎ足し充電は不可のタイプである上に明日の夜は寝台列車なので充電できないと思う。多少は心配が残った。予備は1セットのみ、何とか持たせる以外にない。
明朝はゆっくりですが、早めに横になりました。


明朝の予定:
モーニングコール(7:00)/スーツケース回収(8:00)/朝食(8:00-)/出発(8:45)
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