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ロシア紀行、文化遺産を巡る9日間/4日目( 2006年8月30日 )
黄金の輪(セルギエフ・ポサード)
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○○ ホテル出発まで
移動(→ セルギエフ・ポサード)
スピード違反
アレクサンドロフで休息
昼食(セルギエフ・ポサード)
トロイツェ・セルギエフ大修道院
土産店(モスクワ)
モスクワ川クルーズ
夕食(街のレストラン)
移動(列車・1等寝台)

ホテル出発まで
06:10 起床。外を見ると小雨だった。しかし雨はしばらくして止んだ。
06:15 トラベル・シェーバーで髭剃り。終わったころにバッテリーが空になる。出発まで1時間以上あるので直ぐ充電開始。このシェーバーは1時間で満充電なので便利だった。
06:30 モーニング・コールあり。
ワイフは昨日まで弾力タイツを使用した。今日の歩行は多くないはず、膝までの弾力ソックスに代えた。とにかく着用すると脚の痛みがなく観光に集中できるようです。
トラベル・シェーバーの充電は丁度1時間で終わった。今晩は寝台列車なので用意した着替え1セットや洗面用具などをまとめリュックに入れる。4人用のコンパートメントなのでスーツケースは開けることが無理なのです。
07:40 パッキングを終了した。ロックにしっかりとガムテープ貼って鍵穴を塞ぎ、スーツケースを廊下に出した。
08:00 朝食レストランに行く。ビュッフェ・スタイルで、今朝は紙パック入りジュース、安全そうなサラダとハム2種と卵料理、甘いパン2種、ヨーグルト、コーヒーにした。
08:20 部屋に一旦もどる。
08:35 忘れ物の確認をして、ロビーに行く。
08:45 添乗員さんがバスの座席の一覧を発表。我々は最後部前の9番だった。乗車して指定の席に着く。ところが体調を崩し、顔色の悪い浦安の男性1人と札幌の女性1人が後部席(5人用)に来て横になった。各自で持ってきた薬は使用しているようだった。伝わった話では今朝になり5名が下痢という。原因は分からないが、とにかく重症の2人が空いていた後部座席で横になったのです。幸い我々2人は今の所は大丈夫でした。

バス移動 バス移動・スピード違反で捕まる
08:50 出発。また小雨が降り始めていた。
車窓の風景をボンヤリと見ながら過ごす。乳牛(ホルスタイン種)の放牧地や牧草地が所々にある。家々も道沿いにあるが、木造の個人の住宅らしき家が多い。屋根はトタン、壁面はペンキ塗装、大部分の民家は古い感じがする。それでも窓枠だけは飾りを回らせ白色などに塗装するのはロシアの習慣らしい。寒冷地である上に積雪地帯なので木造建屋は傷みやすく古く見えるのかも知れません。見た目とは違い、それなりに大切に使っていると思うのですが・・・。しかしアメリカの田舎の家のようにペンキを小まめに塗ってはいない。
車窓からみる樹木は赤松が多かった。それもスカンジナビア半島と赤松と似て下枝は切り落としてあり真直ぐに成長している。多分、建材などに加工されるのでしょう。

あ〜、スピード違反で捕まった・・・
10:17 物陰にパトカーが止まっていた。その前に警官1名がスピード測定器を手にして立っている。そこを通過した直後、バスは停車命令を受けた。警官1名がきてドライバーさんと何か長々と話していたが、結局はドライバーさんが下車しパトカーまで連行され、調書を取られた。10Kmオーバーのスピード違反になるそうで、はっきりしないが添乗員さんによると、1〜2万円(2000-4000P)程度の罰金らしい。このドライバーさんの月収は約3万円(6000P)で奥さんと3人の子供がいる。大変な負担という説明だった。上の写真ページをご覧あれ、珍しい4コマ写真記録にしてあります。
10:30 出発。

アレクサンドロフ
Alexandrov
今日のアレクサンドロフは「黄金の輪」に属する静かな教会の町。ところが16世紀のロシア皇帝イワン4世(在位1533〜84年)が悪名高い恐怖政治を行った中心地だった。
ロシアを支配した「タタールのくびき」はイワン3世(大帝)により1480年に終止符が打たれたが、イワン4世はタタールの国カザン・ハンを1552年に、アストラ・ハンを1556年に征服し併合した。その後、西方へ転じ1558年からリボニア戦争を始めた。しかしポーランドに敗北し、大貴族に戦争反対論が強まった。イワン4世は1564年末にモスクワからアレクサンドロフに転居、そして退位を宣言した。
その結果モスクワは大混乱となり、大貴族と聖職者は代表団をアレクサンドロフに派遣して復位を請願せざるを得なかった。イワン4世は反逆者を自由に処罰する権利などの大権を獲得した上で皇帝に復位した。が・・・。
それ以前のイワン4世とは違い、行政組織や軍隊をもつオプリチニナ(1564-1572)を使い、貴族の世襲領地や裕福層の財産の没収とか貴族の強制移住を頻繁に行ったとされる。イワン雷帝の恐怖政治ために働いたのは貴族ではなく士族だったようで、オプリチニナは事実上の軍事独裁制だった。その本拠地はモスクワではなくアレクサンドロフにありました。
その地でイワン雷帝は皇太子とつまらぬ口論をした。怒った末に皇太子を殺害したとされる。後継者を失い悲嘆にくれた雷帝は1581年にモスクワに戻り、再びアレクサンドロフに戻ることはなかった。
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各種のウェブサイトの情報を合成した。
アレクサンドロフで休息
添乗員さんはアレクサンドロフ・クレムリンと云っていたが、今は修道院と思しき立派な外塀に囲まれた施設に立寄りました。入口近くのトイレを借用し(有料5P)、その後は敷地内を散歩して建物などの外観を拝見したのです。派手な感じはせず、白壁とグリーンの塗装が印象に残った落ち着いた施設です。単なるトイレ休息にしては、何か雰囲気に一種独特なものがある場所でした。 アレクサンドロフ・クレムリン

話が前後しますが、今朝ウラジーミル出発(08:50)で昼過ぎにセルギエフ・ポサードのレストランに到着(12:20)でした。その間の3時間30分(実走行は約3時間)はどこをどう走ったのか、見当が付きません。アレクサンドロフは人口約6万5000人でモスクワの北東約100Kmの「黄金の輪」に属する歴史的な町とされるが、旅行ガイドブックや手持ちの地図数種にも何も情報がないのです。帰国後の日本語や英語によるネット検索でも情報入手が難しかった。分かったことのみ右コラムにまとめて置きました。
我々が立寄った修道院は、どうやらイワン雷帝の離宮の跡のようでした。イワン雷帝は皇帝として優秀であると同時に極端な性格であり、ここアレクサンドルを基地に軍事独裁政治を行った歴史上の陰惨な面が語り伝わっているので、観光する人は多くないのかも知れません。

11:23 乗車。
11:25 出発。
12:05 パトカーによるスピード取締りを見かけたが、今度は大丈夫だった。
12:07 日本最大の草は? その名をシシウドといい、2m程度に成長する。似た姿の植物が固まって沢山生えた場所がありました。
街近くの沿道には野菜類の露店が出ている。日本でも街近くの国道などで見かけるような店で違和感はありません。
12:20 セルギエフ・ポサード(Sergiev Posad)のレストラン駐車場に到着。この時は雨は止んでいた。

昼食(セルギエフ・ポサード市内のレストラン) 昼食(セルギエフ・ポサード)
12:23 レストラン「ゴールデンリング」に入る。広い店だった。
飲物はテーブルに1人1本づつ置いてあったミネラル・ウォーターで済ませた。
食事はまずグリーンサラダ。次はロシア名物のボルシチ。ビーフの煮出し汁でビートやキャベツなどの野菜を煮込んだスープです。ビートの色でスープが真っ赤、この色はチト不慣れですが味は良く美味しかった。メーンデッシュはトンカツ、フライド・ポテト、野菜でした。デザートはスィートとコーヒー。

13:40 レストランを出る。写真を数枚とり、バスに戻る。
13:50 出発。

また雨が降ってきた。急いで傘2本とワイフのレインコートと自分のジャンパーをリュックから取り出した。

トロイツェ・セルギエフ大修道院(世界遺産) トロイツェ・セルギエフ大修道院
13:53 修道院の駐車場に到着。ここから大修道院の入口までは結構な距離です。傘をさして歩きました。
途中から見る大修道院の金色やブルーのドームが素晴らしい。メルヘンの国を訪問するみたいです。晴れていたら、ドームは光輝き強い印象が残ることでしょう。
14:04 現地ガイドさんがカメラ券(100P/1人)をまとめて購入してくれる。しばし入口の手前で待ちました。相変わらず雨がかなり降っている。

無料で受取ったCD:ロシア正教の賛美歌 この大修道院では聖歌のCD1枚のプレゼントがありました。全員かペアーに1枚づづと思っていたが、実際にはカメラ券の購入者にのみ配布されたようでした。それも、何時もの事なのか、現地ガイドさんが首尾良く入手したのか、分かりません。(注:この種のものはロシア人価格と外国人価格の二重価格が多く、ロシア人はかなり安く買える、という話がある。筆者は具体例を知りませんが・・・。) 帰宅後に聴いたところ、男性コーラスによる荘厳なロシア正教の聖歌(賛美歌)が沢山納まっています。音質も悪くない。曲名などの説明はロシア語と英語なので何とか分かります。信者ではないが、よい記念になりました。

その後、大修道院内のトイレ(5P)に寄り、雨の中を傘を差して奥の建物に向かった。モスクワから近い場所にあり、世界遺産でもあるので、パッケージ旅行やモスクワからのツアーに組込まれることが多いとされます。さらに、カトリックのバチカンに相当すると云われるロシア正教の中心トロイツェ・セルギエフ大修道院です。雨ながら参拝や巡礼の信者や観光客の姿が多い境内でした。写真では少なく見えますが・・・、筆者が常に人物を入れないように撮影するためと思います。

しばし並木道を行き、次に左の大きな建物に沿ってその端の入口まで行く。
セルギエフ教会(大食堂ともいう)という施設ですが、中は広く大きな礼拝堂でした。現地ガイドさんの説明を聞きながら金色に飾り立てられた大部屋を一回りしたのですが、よく分からないことが多かった。入口近くの壁面に大きな「追放されるアダムとイブ」の絵がありましたが、これは分かった(笑)。

外に出ると未だ雨が降っている。ゆっくり散策する雰囲気ではなく、直ぐ中心のウスペンスキー大聖堂に向かった。先に見学したセルギエフ教会の直ぐ近くに小さな教会堂があるが、どうやらトロイツェ・セルギエフ大修道院の始まりとなった由緒あるものらしい。途中で長い黒衣をまとい黒ヒゲを蓄えた若いロシア人僧侶(神学生?)から話しかけられた。「アナタガタ ハ ドコカラ キタノデスカ?(英語)」と聞いた。ビックリしたが、「ニッポン カラ(英語)」と短く答えて先方の反応を待っていたら、ジーと顔を見てスーと離れて行きました。

先のアレクサンドロフで説明したイワン4世(雷帝)は恐怖政治で評判が良くないのですが、皇帝としては有能な面も多いようでした。ウスペンスキー大聖堂はその雷帝の命により1585年に建てられたものとされる。金色の中央ドームを囲む4本のドームはブルーに星のデザインでとても綺麗なものでした。訪問時には正面右の外壁が工事中でした。後日に写真で気付いたのですが、中心の大ドームの上の十字架は小・中・大の水平棒があり下に半月のようなものが付いている。小・中・大の水平棒の十字架はパパル十字といいローマ法王のみが使用するもの。その十字架の下部に半月を付けてロシア正教・大本山の十字架にしたようです(少なくともそう見える)。さて、ここウスペンスキー大聖堂が大修道院の中心、聖堂内に入り見学しました。
トロイツェ・セルギエフ大修道院はモスクワのクレムリンと違い入場料はありません。それ故か、驚く程に多くの信者の方々や観光客がおり、「びっしり/すし詰め」と表現しても「当たらずと云えども遠からず」の状態でした。礼拝する場所は正面入口から右奥のコーナーにある。信者は礼拝所に向かい一礼し十字を切る(カトリックと違い、頭・胸・右肩・左肩の順)。そして祭壇の正面に進み十字を切る。後の蝋燭に火を灯し十字をきる。祭壇前で十字を切り一礼して祭壇から下がり、また十字をきる。信者の1人々がこの手順で礼拝するので時間がかかる。それで礼拝に来た人々は順番が来るまで列に並ぶ。聖堂の中心部までの長い行列でした。礼拝に詣でた信者の殆どは女性です。
荘厳な聖堂内には男性コーラスによる賛美歌がエコーを伴って神秘的に響いている。聖職者らしき衣装の男性も幾人もみかけ、実質的なロシア正教の大本山は信者のために活動中だったのてす。もちろん、壁面や巨大な石柱にはイコンがびっしりと描かれている。良くは分からなくとも、立派なものでした。
正確な比較は出来ませんが、ロシア正教の大聖堂はカトリックやプロテスタントの大聖堂よりは面積的に小さいと思います。† 字構造の建物ではなく四角な建物だからかも知れません。信者用の椅子は無いので、収容人数としては大きいものでしょう・・・。
現地ガイドさんが色々と重要な見所を説明してくれたのですが、残念ながら頭に残っていません。見学時にメモることは難しい。ボイスレコーダーを活用していたら、とチョッピリ後悔も感じます。

その後はウスペンスキー大聖堂の前で写真を撮ったり、ブラブラと自由時間を過ごしました。鐘楼、オベリスク、ドゥホフスカヤ教会、トロイツキー聖堂、神学校、等々設備の多い大修道院でした。
15:20 入口に集合。参道の広場にある土産の露店も雨で商売にならない状態だった。そんな道を駐車場に戻りました。
15:30 バス出発。これからモスクワに向かう。居眠りモードでした。

土産店(モスクワ) 土産店(モスクワ)
17:30 モスクワ市内の土産店に入る。その入口には看板もなく、旅行会社と契約した外国人観光客専用の店らしい。入口から階段を下りると1部屋あった。飲物の自販機があったが、天井からは昔懐かしい「ハエ取り」がぶら下っていた。店内にはドアーを開けて入る。定番のロシア土産の品々を各種を並べた店だった。
以下の写真にあるものを買っておきました。私の購入品は白樺の小箱でしたが、精巧な作りでUS$22.00(約2600円)しました。
ワイフが買ったシュカトゥールカの小箱は絵を丁寧に細かく描いた綺麗なものです。宝石のように箱入りでした。小型でも土産品としては値の高いもので、他の購入品と合わせてUS$240.00(約28000円)になったようです。店により多少の高安はあるでしょうが、ツアーが寄った他の幾つかの土産店でもシュカトゥールカは決して安くはありません。他の幾つかの購入品は通常の土産品で手軽な値段でした。
琥珀のアクセサリー類や虫入り琥珀の飾り物などは高価なものも多いようです。といっても本物の宝石とは違います。趣味が無く我々はパスしました。

平凡な土産用のチョコレート。

白樺細工、精巧な作り。

ホフロマ塗りのシャモジ。

土産用チョコレートの箱の中。

白樺細工の中の底。

シュカトゥールカの小箱。

18:18 店を出て、前に停車中のバスに乗る。

18:20 今夜遅くに寝台列車でモスクワを離れるが(23:55発)、夕食の時間を除いてもかなりの時間がある。幸い風もない穏やかな天気なので、添乗員さんと現地ガイドさんは2つのオプションを提案した。
(1)モスクワ川クルーズ(1人US$25.00/約3000円)、
(2)赤の広場とグム百貨店の自由散策。
グム百貨店を希望したのは4〜5人だった。こちらは添乗員さんが付き添うことになり、残りの全員は現地ガイドさんの案内でモスクワ川クルーズとなった。

ワイフはスラックスのベルトが必要になっていた。グム百貨店に行く添乗員さんに適当に見計らって購入するようお願いしていました。少人数なので負担は大きくない、と思われます。快く引き受けてくれました。
はっきりとは分からないのですが、クレムリンからアルバート通りを西に向かいモスクワ川を渡る橋の近くに観光船乗場があったはずです。


モスクワ川クルーズ モスクワ川クルーズ
19:30 出発。
ガラスの天蓋に覆われた優雅な橋の近くからクルーズに出発です。間もなく右手に係留された中国風の大型木造船をみる。中華レストランらしかった。昼に雀が丘から眺めたモスクワ大学が丘の上に見え始める。左手にはノヴォデヴィチ修道院のドーム群が綺麗に見えていた。しばらくすると今度はスタジアムのドームの傍を通過する。この辺りには一群の鴨が遊び、観光船を追いかけるように「水の上を走る」姿が面白い。しばし眺めて楽しんだ。その後、雀が丘に個人で行く場合に利用できる地下鉄の駅の下を通過した。上段は通常の道路で下段が地下鉄駅になっている珍しい橋でした。この橋を過ぎた頃から日没となる。20:05頃でした。黄昏の市街の眺めがロマンチックというか、見事です。川沿いの公園にはベンチがポツポツと置かれ、老若は分からずとも男女がゆっくりと過ごしている。平和そのもの・・・。またガラスの天蓋に覆われた均整の取れた橋を通過した。次は遊園地(ゴーリキー公園)、シャトルの実物も展示され観光船からも良くみえます。しかし人気のある遊園地でもなさそうな話でした。この頃、モスクワ川から眺める半月がきれいでした。

モスクワ川のクレムリン近くは長い中州があり市街地になっている。その先端にピョートル大帝記念碑があった。帆船のマストの中ほどに丸めた書類を掲げた大帝の像がある。しかしピョートル大帝はモスクワからサンクト・ペテルブルグに遷都した皇帝です。モスクワでは人気がないそうです。中州の左を観光船は行く。白亜の救世主大聖堂が左にそびえている。逆光ながら103mの塔が黄昏の中に浮き出てみごとなものでした。
20:30過ぎにクレムリンが見えてきた。手前に外壁やポロヴィツカヤ塔など幾つかの塔、その後には大クレムリン宮殿、そしてイワン大帝の鐘楼も高く目立っている。その手前にはアルハンゲルスキー聖堂のドームが見える。ウスペンスキー大聖堂のドームはチラッと見えたかどうか?といったところ。 モスクワ川から見上げる黄昏のクレムリンは風景として素晴らしいものでした。
クレムリンを過ぎるころ、橋の下を通る。その直前にチラッと聖ワシリー寺院が見えました。姿は面白いのですが独特の色彩は薄暗くて良くは見えません。

20:40 クレムリンが未だ遠方に見える辺りの船着場に到着。直ぐ下船。バスは近くで待機していました。 モスクワ川クルーズは、我々の場合、モスクワ観光の良い復習となりました。多くは既に近くから観ていたが、やはり違う風景で楽しめました。

モスクワ川クルーズの観光船はデッキと船室がある。どちらでも景色は楽しめるが、雨でなければデッキのほうが写真は撮りやすい。それで乗船後は1度も船室に降りずデッキで頑張りました。こんな人は現地ガイドさんを含め他にはいなかった。綿パン、半袖シャツ、薄手ジャンパー、帽子の姿で1時間余も体を進行風にさらしたのです。気温は知りませんが、体は芯から冷えました。ガタガタする一歩手前・・・。用心のため、バスの乗ってから直ぐ風邪薬をのみ点鼻薬をさしました。結果として大丈夫でした。

21:00 「グム百貨店グループ」を乗せて赤の広場を出発。夕食のレストランに向かった。
添乗員さんはワイフがお願いしたベルトをグム百貨店で買ってきてくれました。太めのメッシュの柔らかいものでした。価格は600P(約3000円)でしたが、少し安いか妥当なプライスと思います。お手数でした。

バスはロシア国立図書館の横を走った。そこからクレムリンのスタフィア門の方向の眺めも珍しいもの。手前の広場は照明が多くて明る過ぎると思ったが、赤茶色のクレムリン外壁や特色ある尖った塔がライトアップされて一種独特のムードを醸し出していました。

夕食(街のレストラン) 夕食(街のレストラン)
21:25 この頃にレストラン「アストリア」に到着。
飲物はテーブルに1本づつあったミネラル・ウォーターで済ませた。パンもスライスした白パンとロシアの黒パンが各テーブルに置いてある。白パンは少し古い味の感じだった。グリーン・サラダはOKです。

メーンデッシュはロシア名物とされる「つぼ焼き」のはずでした。旅行ガイドブックや旅行サイトの写真で見かける「つぼ焼き」は羊肉や牛肉のスープの入った陶器の壷にパン生地(ピロシキの生地ともいう)を被せて蓋をする。それをオープンで焼き上げたもので、蓋のパンが壷の外側上部に垂れ下がっている。知る限り日本ではそのように紹介されている。
このレストランのつぼ焼きは少し違い、簡易型でした。まずビーフと野菜類の濃いスープ(シチュー?)が入った熱い壷をテーブルに置き、次にその上に丸型の薄いパンをのせたのです。遅い夕食でかなりの空腹、形状に関係なく美味しく(実際はガツガツ)頂きました。デザートはスイーツとコーヒーでした。

22:05 夕食を終了。その後、暫くこのレストランに留まり、女性は広い洗面所で全員がズラッーと並んで洗顔し、そして歯磨きでした。案外と時間がかかりました。
22:20 女性組みの洗面所占拠が終わったので、顔のみ湯で洗う。口はグチュグチュと良く漱いで終わった。
何時にレストランを出たのか記録がない。22:45前後には出発したと思います。

レニングラード駅と寝台列車(1等) レニングラード駅と寝台列車(1等)
23:20 レニングラード駅("Leningradski" Station)に到着。駅舎側からホームが何本も長く延びた駅だった。我々の車両は8号車で前方になる。随分とホームを歩きました。
乗車する車両の近くでポーターが運んでくるスーツケースを待った。

モスクワ到着から3泊4日も御世話になった現地ガイドさんともここでお別れです。メンバーにも慣れ気軽な会話が行き交っていました。今日の昼は雨でしたが観光には大した影響はなく、他はまずまずの天気でした。現地ガイドさんは予定外の見学も時々混ぜてくれて良いモスクワと黄金の輪の観光だったと思います。出身地や父上の職業も知れ、日本語も上手、モスクワ大出身、未だ若いX1の独身、ツアーの女性メンバーは細かく観察していたようで・・・(笑)。頑張って欲しいものです。

11:45 この頃に現地ガイドさんと別れ、各自のスーツケースを持ってそれぞれの車両に向かいました。我々は8号車でベッド番号11番と12番でした。旅行会社のパンフレットや日程表では4人1室の2等寝台となっている。プラットホームで添乗員さんから寝台車の見取り図と我々のベッド番号、その他細々とした注意事項を書いたものを受取りました。それによると、2名1室です。ボーとして頭が回転せず、しばらく不思議に思い続けました。

注意事項:
*コンパートメント内は禁煙なのでタバコは喫煙所を利用のこと、
*トイレは出発後10分と到着前15分は使用できない、
*コンパートメント内の備品は持出し厳禁(車掌のチェックあり)、
*出発後はお湯も利用できる、

等々でした。この列車の場合、簡単な洗面はトイレでも可能と思いますが、ツアーでは到着後の朝食会場のホテルで洗面となっています。

スーツケースを押しながら車両中央部過ぎのコンパートメントに入りました。中は素晴らしく綺麗なもので窓際のテーブルには花瓶の花、ウェルカム・ドリンク(水)、グラス、スイーツのパック、夜食(サンドイッチ)が置いてあった。「アー、これは1等寝台・・・?!」とやっと気付いたのです。後で知りましたが、この列車は今月(8月)からモスクワとサンクト・ペテルブルグの間で使用され始めたピッカピカの新型寝台列車でした。同じ旅行会社の同じツアーでは正真正銘の一番乗りになるそうです。2等寝台が1等寝台になっただけでも運が良いのに、ダブルでラッキーでした!
我々のコンパートメントの場合(他も同じはず)、少し狭く窮屈になりますがテーブルとドアーの間に立てたままのスーツケース2個を置けます。しかしスーツケースを開けるのは大変です。リュックに1泊分を用意したのは正解でした。不慣れで多少はモタモタしましたが、全て快適そのもの。ベッドは椅子の背もたれを手前に倒すとOKです。夜も遅いので直ぐに下着姿で横になりました。毛布だけで朝まで熟睡できました。
充電用のコンセントがコンパートメントにあったかどうかは不明です。今晩の充電はしなくとも間に合うので・・・。「大容量充電池に感謝」といったところ。

11:55 定刻に出発。これからサンクト・ペテルブルグまで眠りながら650Kmの移動です。レニングラート駅から出ると列車はポイント切り替え地点を走っているような ゴトン、ゴットン、ゴトゴト・・・という揺れを伴った音が続きました。ロシアはロング・レールは未だなのかな?とか思いつつ、Z、Z、Z、・・・。

明朝の予定:
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