HOME旅行記一覧
ロシア紀行、文化遺産を巡る9日間/6日目( 2006年9月1日 )
エルミタージュ美術館、終日観光
TOP ツアー 国情報 準備 1日目 2日目 3日目 4日目 5日目 6日目 7日目 8日目 9日目 総括
文字サイズ変更ボタン(本文のみ)
◇◆◇
○○ ホテル出発まで
移動(→ 冬宮殿)
エルミタージュ〔午前〕
昼食(近くのレストラン)
エルミタージュ〔午後〕
文学カフェ
移動(→ ホテル)
ホテル(2泊目)
夕食(ホテルのレストラン)
近くのコンビニ

エルミタージュ美術館、冬宮殿、エカテリーナ宮殿、アレクサンドル・ネフスキー修道院等の歴史地区は、1990年に世界遺産(サンクト・ペテルブルク歴史地区と関連建造物群)に登録されている。


ホテル出発まで
06:20 起床。
07:10 この頃に大体は身の回り用品の片付けが終了、リュックに雨具を入れた。外は昨日と同様にどんよりと曇っている。時折、雨が降ったようだった。
07:30 2階のレストランに行き朝食。大レストランだったが空きテーブルは少なく富山から参加の御夫婦と同席する。食材は豊富だったが、生野菜類は皿に取らなかった。用心です。コーヒーは満足するまでタップリと飲みました。
08:05 部屋に戻る。
ボイス・レコーダーは使わないでいたが、万一エルミタージュ美術館で必要になることも考えバッテリーを交換しておく。(しかし、やはり実際に使用する余裕はなかった。) スーツケースのロック部分はガムテープでしっかりと塞ぎ、枕チップとして US$1.00 を置いた。

09:00 ロビーに行く。どういう訳か、女性メンバーの1人が胃痛を訴える。自分用の胃腸薬は数種類もっていたが、医師ではなく他の人の体調について何も分からないし何もできない。あまりに真剣なので、大手製薬会社の胃痛止めと書かれた当たり障りのない大衆薬を上げておいた。どうやら手持ちの薬を使い切った人達が出始めたようだった。

今まで毎朝バスの座席表が発表になり全員が指定座席だったが、今日から前4列のみ指定で他の人たちは自由に座ることになった。我々は指定席で前から2番目となる。

移動(→ 冬宮殿) ●
09:21 バス出発。
フィンランド湾に通づる大ネヴァ川沿いの道を走った。両岸は桟橋の部分も多く、幾隻もの白い大型客船が停泊していた。恐らくバルト海クルーズの途中でサンクト・ペテルブルグに寄港した豪華客船でしょう。欧米人の旅行としてクルーズは人気があるとも云われます。

10:10 エルミタージュ美術館に到着。写真でよくみるネヴァ川サイドではなく、その反対側の宮殿広場でバスを降りました。この広場の左手には対ナポレオン戦争の勝利(1812年)を記念する凱旋門が目立ちますが、単独の凱旋門ではなく旧参謀本部の長い建物の中央部に作られている。宮殿広場から潜り抜けて進むとサンクト・ペテルブルグを代表するネフスキー大通りとなる。美術館入口に向かう時は凱旋門の反対側に行くことになります。宮殿広場の中央にそびえる「アレクサンドルの柱」は目立つので印象に残る。頂上に天使の像があり、高さは 47.5m、自重が 600t もあるそうです。巨大な1個の大理石を1本の円柱に加工したものらしい。サンクト・ペテルブルグの中心とも評される宮殿広場のこと、晴天なら観光客や散歩する人々で賑わうことでしょう。
今朝は小雨がち、ポツポツ程度の人影で淋しい限りでした。5〜6軒は並んでいた土産の露店もひっそりです。我々はエルミタージュ美術館の入口に急ぎました。


エルミタージュ美術館(Hermitage Museum)〔午前〕 ●
エルミタージュ/建物と美術品
ピョートル大帝がサンクト・ペテルブルグに遷都(1713年)した後、都はモスクワに戻った時期があった。1732年に女帝アンナ・ヨアノヴナが再度ペテルブルグに都を戻したとされる。この女帝はピョートル大帝の冬宮(現エルミタージュ劇場の場所)よりも少し離れた海軍省近くのアプラクシン宮殿を好んだ。王宮の移転まではしなかったものの、建物の増築をした。しかしその後の女帝エリザベータ・ペトローヴナは8年(1754-1762)をかけてアプラクシン宮殿の場所に現存する「冬の宮殿(冬宮)」を建てたのです。
1762年にエカテリーナ2世が即位すると、まず冬宮内部の改築を行った。そして1764年から1787年の間に美術品コレクションの収納用に「小エルミタージュ」と「旧エルミタージュ」を完成させる。冬運河に沿う部分には「ラファエロの回廊」も増設された。さらに、1783-1787年には冬運河の対岸に「エルミタージュ劇場」も建設されたのです。
しばらく増設は無かったが、1852年にニコライ1世は冬運河と旧エルミタージュに接する場所に「新エルミタージュ」を完成させた。これで今日「エルミタージュ」と呼ぶ建築アンサンブルの完成となったのです。
----------
ピョートル大帝の冬宮をエルミタージュ建設の拠点とするなら、美術館としてのエルミタージュは1764年に始まるとされる。エカテリーナ2世の指示によりベルリンの商人から225枚の絵画が届いた年である。それからヨーロッパ全土で女帝のために多くの美術品が求められることになった。ベルギーから王子や伯爵家のコレクション、ザクセンから伯爵家のコレクション、フランスの男爵家のコレクション、イギリスから名家のコレクション、などがエカテリーナ2世の収集品に加わった。1774年制作のカタログには約2000点もの絵画が掲載され、絵画以外ではデッサン、版画、コイン、沈み彫り細工、書籍類があった。
収集はエカテリーナ2世の後継者に引き継がれ、重要なものはアレクサンドル1世が入手したナポレオンの最初の皇后ジョセフィーヌのコレクション、アムステルダムの銀行家のコレクション、ニコライ1世が購入したネーデルランド王のコレクション、などである。ただし、ニコライ1世は1000点以上の絵画を競売で売った皇帝としても記憶されている。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「リッタの聖母」は1865年に、「ベヌアの聖母」は1914年に購入された。その他にも幾つかのまとまったコレクションの入手もあった。
19世紀末に一般公開されたが、ロシア革命(1917年)の後は美術館としての各種の難題が発生し受難の時期となった。しかし現在の国立エルミタージュはロシア連邦の民族文化遺産の特別重要対象物であり、1996年6月からロシア連邦大統領の直接の庇護の下に置かれている。
----------
「エルミタージュ」はフランス語で「隠れ家」を意味するが、400余の展示室を持つ世界有数の美術館である。絵画、彫刻、陶器、等々の収蔵品は膨大な数になり、260万〜300万点のレベルのようである。 ----------
[ Ref.10, pp.9-12, 文章は変更 ]
----------
Ref.10/サンクト・ペテルブルグで購入
10:15 美術館に入館。宮殿広場に面した冬宮の入口から中庭を通り奥のチケット売り場で入場券やカメラ券を購入して正面玄関から入館です。カメラ券は 100P ですがストロボは禁止です。また「黄金の間」はカメラ券を購入しても撮影禁止でした。

標準的な見学コースは「大使の階段」から2階に上がり「ピョートル大帝の間」や「玉座の間/ゲオルギーの間」に進み、それから各種の王宮ホールや絵画などの展示室を回る。
我々は反対のコースだったと言える。「古代ギリシャ・ローマ文化・美術の間」から見学開始となり、中世から近世のヨーロッパの絵画を年代に沿って鑑賞し、午前は「大使の階段」で終わったのです。皇帝に関連する諸ホールとかレオナルド・ダ・ビンチやラファエロなどの絵画を含むイタリア・セクションは午後でした。最後に自由行動がありましたが、その時とヨーロッパ近代絵画セクションを除き美術館の案内と重要な展示品の説明は全て現地ガイドさんの担当でした。

10:25 まずグリーンの大理石の壁を背後に古代ローマ時代の立像や胸像が並ぶ部屋に入りました。紀元前1世紀に制作された「ジュピター」の坐像がこの部屋の見所で、「ジュピターの間」と呼ばれます。展示の彫刻もさることながら、大理石の壁に加えて、床のモザイクや天井の飾りも見事です。次は「ディオニソスの間」、古代ギリシアの理想美の権化とされる「タヴゥダリのビーナス」が冴えている。ここも床や天井と赤い壁が白大理石の彫刻を良く引き立てるように作られている。古代美術品の展示室は新エルミタージュにあり、美術品展示用に作られた建物だけのことはありました。長く真直ぐに立ち上がる正面の階段の踊り場には近年の彫刻がある。観賞価値のあるらしいアントニオ・カノーヴァ作、「三美神」(1813-1816)という大理石の彫刻も歩きながらチラッと見ただけでした。

10:41 これから中世と近世のヨーロッパ絵画の鑑賞です。レンブラント、ルーベンス、ヤン・ステーンなどベネルクス地域の中世の画家からエル・グレコなどスペインの画家、そして近代ヨーロッパ画壇の巨匠たち、ゴッホ、ゴーガン(ゴーギャン)、ルノアール、セザンヌ、ピサロ、ルソー、マチス(マティス)、ピカソ、等々の作品もかなりの充実したコレクションです。
近代の油彩画は自由観賞だった。それで幾人かの画家の部屋で比較的ゆっくり過ごしました。
マチスの作品はかなり多くが展示されている。エルミタージュにある大型の油彩画「ダンス」は有名です。空と草地の上で裸の5人が輪になり踊っている絵ですが、実はそっくりな作品がニューヨーク近代美術館(MoMA)にあります。絵のかもす雰囲気はエルミタージュの作品もかなりのものです。似たサイズと配色の大作に「音楽」があった。マチスはキュビズムを代表する画家の1人、魅力的な女性のポートレートもありました。欧州の宗教画には「原罪」や「アダムとイブの追放」は時折あるが、ここには男が女を襲う油彩画が展示されている。テーマとしては実に珍しい。19〜20世紀の絵画は「聖」ではなくやはり「俗」になるようです。このマチスの絵はその極みの1つでしょう。
ファン・ゴッホの「ライラック」は細かいタッチで描かれた大作の1つになる。明るく素晴らしいもの、と印象に残りました。ゴーガンがタヒチで描いたものも結構ありました。
「日曜画家」とも揶揄されたルソーも数点が展示されていましたが、現実離れした幻想的でユーモラスな画風が面白いですね。
油彩画の観賞を終えた。出口の壁に小型の絵があった。「懐かしさを感ずる」とか「気持ちが休まる」と表現できるものだった。その単純な構図と色彩に気が引かれ写真を撮った。知らないマークェットという画家の作品で題名は「ハンバーグ港」となっていた。

11:45 集合。これからは油彩画だけではなく、タペストリーの回廊や「白い広間」や「孔雀石の間」などをグループで回ったのです。
「黄金の間(黄金の客間)」の壁は全面が眩いばかりの金色ですが、濃いブルーのカーテンが冴えている。この部屋で半貴石、めのう、オニキス、アメジストなどの石彫りと沈み彫りのコレクションが六角形のユニークなケースに納められて展示されている。エカテリーナ2世は石細工に執着したそうですが、女帝に始まるこのコレクションは世界的にも貴重なものとされるようです。前にも書きましたが、「黄金の間」の写真撮影は禁止でした。
絵画、王宮の調度品、陶磁器、ガラス器などの展示品も豊富でした。現在の日本ならデパートなどで見かけるように思えるヴェネチア・グラスのコレクションなどもあり、目を楽しませてくれました。

12:20 午前の最後の見学はみごとな白大理石の「大使の階段」です。そこで短時間ながら自由行動となりました。我々は写真撮影した程度ですが、参観者の流れが途切れることはなく人影が写ってしまう。難しい撮影場所でした。

この美術館は壮大な建物群に膨大な量の美術品が納められています。宮殿の建物を美術館として使用しているので絵画・彫刻・陶磁器などの豊富な収集品に加えて、建物そのものが観賞の対象なのです。例えば、天井の装飾すら部屋により異なり、夫々が凄く凝っているのです。観るものは極く一部に過ぎないとしても、あまりにも多くの優れた展示品や絢爛豪華な王宮の内部を短時間に見学することになり、事前の勉強不足がたたって頭がパニック状態、見学の路順さえ記憶に残らなかったのが実情です。お恥ずかしいながら、この旅行記を書くにあたり、撮影した写真と美術館の案内図を頼りに見学コースをなんとか少し思い出しました。大きな美術館や博物館の見学では何時ものことながら、予備知識の有無が成果と満足度の違いとなってストレートに出てくるようです。そうとしても、今回のツアーは午前と午後に分けてゆっくり出来たことが良かったと思います。

美術館内で撮影した写真は多いのですが、何とか見れる写真をミニミニ美術館(午前・午後)としてまとめました。「論より証拠」と申しますし、文章より写真のほうが分かりやすいと思います。

12:35 昼食のため美術館を出る。

昼食(美術館近くのレストラン) 昼食
12:40 美術館近くのレストラン「ペルチェスキ・モスト」に入る。
飲物はチェリージュース(100P)にした。食事はマヨネーズであえたサラダ、スープ、三角形のピロシキ(外側はパイ)、トンカツとポテト、デザート、コーヒーでした。
13:40 レストランを出る。ここは宮殿広場の一部のようで、テラス形式で食事が出来るようにテーブルと椅子も置いてある。演劇学校も隣にあり、その建物の前には舞台があった。しばらくはレストランの椅子でのんびりと時を送る。
13:55 美術館に移動。

エルミタージュ美術館〔午後〕 エルミタージュ美術館〔午後〕
14:00 エルミタージュ美術館の観賞の再開です。今度は通常の見学路から始まりました。
まず「大使の階段」で2階に上がり、「将軍の間」、「ピョートル大帝の間」、「紋章の間」、「祖国戦争の間」、そして「玉座の間/ゲオロギーの間」と進みました。「ピョートル大帝の間」の玉座は1797年に作られたとされ、もちろん大帝が実際に使用したものではない。しかしその背後に大帝の肖像画が飾られている。「祖国戦争の間」には1812年のナポレオン戦争に参加したロシアの軍人332名の肖像が掲げられている。ここはロシア人以外には関係なさそうです。「ゲオロギーの間」は冬宮の公式の場であり、重要な儀式はここで執り行われたとされます。一番奥に玉座が設けられていました。皇帝の権威に直接関係する場所だけに、煌びやかさは無くとも、全体的に落ち着いた凄く立派なホールでした。

小エルミタージュのネヴァ川に向かう部屋は「パヴリン(孔雀座)の間」と呼ばれ、18世紀後半にイギリスの職人により作られた大きなカラクリ時計がある。木に止まる孔雀とフクロウと鶏が全て黄金色で見事なものです。時計のネジを巻くと孔雀の尾が開きフクロウが瞬くそうですが、月に1〜2度のチャンスしかないらしい。(後日TV番組で孔雀の尾が開くのを見ましたが、それなりに見事です。)
14:30 「パヴリンの間」とイタリア部門の間は階段のあるホール、大きな緑色の孔雀石の飾り壷がありました。そこで、しばしの休息となった。

14:40 いよいよイタリア美術のセクションです。何といってもレオナルド・ダ・ヴィンチの小型の油彩画2枚が圧巻です。「ベヌアのマリア(花を持つマドンナ)」と「リッタのマドンナ」は写真でご覧ください。残念ながら、光がガラスに反射して見づらいです。が、見学客が多くて人影が切れるチャンスは少なく、これでも良く撮れたと思っています。
ヨーロッパには、ギリシア神話でゼウスの息子を生んだとされるダナエを描いた油彩画は多いらしい。エルミタージュにはレンブラント作「ダナエ」があり傑作の1つとされる。 しかし、もう1つのティツィアーノ作「ダナエ」はひときわ知られているようです。同じ画家の「懺悔するマグダラのマリア」と並んで展示されているが、観賞客がとても多かった。
ラファエロの回廊はイタリア・ヴァチカンの模倣らしいが、冬運河に沿った明るい場所に作られている。細部の観賞はとても出来ません・・・。

15:30 小エルミタージュから冬宮に戻ったカフェの近くで解散となった。同じ場所に17:40 集合ということで2時間余の自由行動です。
15:40 まずは一休みです。「大使の階段」近くのカフェに行きました。カフェの中にも入れたが、入口でダイエット・コーラ(@50P)を2本買い、紙コップに氷を入れてもらった。若い女性の店員さんは英語で愛想よく応対している。ロシアも変わりつつあるのでしょうネ。
我々は入口前のテーブルで休みました。喉が渇いていたのでコーラが美味しく、珍しく1本を空にしました。

16:10 カフェのテーブルから離れ、行動開始。 ところが、午前・午後と随分と美術品を堪能したので特に行きたいセクションも思い付かないのです。ワイフがアイデアを提供した。 Rm.239 にあるムリーリョの油彩画「聖母マリアの被昇天」を見たいという。読んだガイドブックが薦めていた絵の1つらしく、メモしてあった。
16:39 美術館の地図はコピーを持っていた。しかし実際の部屋番が分からなかったりで迷ってしまい、時間がかかった。その絵の場所にやっと辿りつきました。B. E. ムリーリョ(1617-82)はスペインの宗教画家でラファエロやルーベンスを研究してから、自由な筆触、明るい色彩、巧みな構図などを特徴とするバロック画家として高名になったとされる。確かに何処かで見覚えのあるような感触の絵でした。しばしその絵の前で過ごしました。
他に見たいものがある訳でもなく、カフェとショップのエリアに向かった。途中の古代エジプト文明の展示品を一回りしてみましたが、時間潰しの域をでません。

16:50 ショップでエルミタージュの日本語ガイドブック(@US$10.00)を購入。他のショップで記念品を探しましたが、欲しくなるものは見つからず諦めました。その後はカフェの椅子を借りて休みました。ボンヤリとピープル・ウォッチングですが、疲れで苦もなく時間が過ぎてゆく・・・。
17:30 集合場所に行く。三々五々、皆さんも集まり始めていた。
17:40 エルミタージュの見学を完了、出発。
17:45 宮殿広場からバスに乗車。

文学カフェ ●
17:53 文学カフェに到着。日本にもありそうな雰囲気の店でした。「昔々知られた文士さんが来店していた」が売りのようですが、恐らく日本人観光客向けと思います。でも、ピアノの実演をBGMに、こういう店での一休みも良いものです。

テーブルには既に紅茶茶碗と菓子類3種が用意されている。ロシア・ティー(紅茶)は砂糖ではなくジャムを食べながら飲むとされるが、テーブルにはやはりジャムと蜂蜜があった。ティーはポットから自分で入れ、ジャムと蜂蜜を溶かして飲みました。まさか自分だけ舐める訳にはいきません。プリヤンクというクッキーなどの菓子類は左程甘くないが珍しい食感があり、ロシア・ティーと一緒に楽しみました。

我々は他の3人と同席したが1席が空いていた。女性の現地ガイドさんが来て、実に色々と沢山の話しを聴かせてくれました。中でも印象に残ったのは、「若い世代はインターネットで世界の情報に触れているので違います。」 いわゆる西側諸国は体制自体を変えずにインターネットの情報化社会に移行しました。ところがロシアは正に閉鎖的だった社会制度の激震的な改革の遂行と同時進行的にインターネット社会への移行が行われた、と云えるのです。どこの国でも若い世代はネット社会にスーと抵抗無く入り込む。ロシアでは世代間の価値観ギャップが西側諸国が思う以上に大きいのかも知れません・・・。
18:39 カフェを出る。

移動(→ ホテル) 移動
今日の予定は全て終了です。ホテルに戻り、ホテル内のレストランで各自で夕食を済ませるだけとなりました。
ワシリー島には宮殿橋を渡ったが、ペテロパブロフスク要塞との間のネヴァ川に大噴水があった。今年7月15日から3日間、当サンクト・ペテルブルグで各国首脳によるG8サミットが開催された(中国も最終日17日のみ招かれた拡大サミット)。それを記念して新設された大噴水なのだそうです。

プリバルチスカヤ・ホテル(2泊目)
19:10 ホテルに到着。一旦は部屋に戻った。

ホテルのレストラン
19:30 2階のレストランに行き、バイキング夕食。食材の近くに空き席はなく離れた所のテーブルにした。ウェートレスが来たのでビール小瓶(@70P)を注文、グラスを2個頼んだ。ビールの味は下戸なので批評は出来ないが、日本のものと大差は無いように思えた。
食事そのものは生野菜は取らずに火を通したものばかり皿に取る。チキン手羽2本を中心に適当に・・・。やはり少なすぎ、もう1度取りに行きました。
20:00 レストランを出る。

近くのコンビニ
しばし2階のホールをブラブラしてから外に出た。未だ明るいので近くのコンビニまで行くことにしたのです。 ホテルの正面玄関を出て左の車道を下り、広場を横切った場所の高層アパートメントの2階に目的の店があった。1階ホールにはCDやDVDの店がある。階段を上った窓側がコンビニの入口だった。地場スーパーみたいな店で生鮮食品からアルコール類まで周辺の住民が必要とするものを棚に並べている。ビールの小瓶は種類が多かったが16〜17Pでした。ブラブラと棚を見歩いたが買いたいものもない。が、手ぶらで店を出るのも気が引ける。ドライフルーツ(@30P)を2袋だけ買いました。レジ袋は持参するか購入です。観察していると客の大部分は買物袋を持参していましたね。
20:37 外の広場に戻る。

20:43 部屋に戻った。
22:10 就寝。

ホテル関連の写真ページは前頁(5日目)の最後部に[PHOTO]リンクがあります。

明朝の予定:
-
◇◆◇
HOME旅行記一覧この旅行記TOP現在の頁(6日目)
page▲top