HOME旅行記一覧
ロシア紀行、文化遺産を巡る9日間/7日目( 2006年9月2日 )
ピョートル大帝夏の宮殿とエカテリーナ宮殿
TOP ツアー 国情報 準備 1日目 2日目 3日目 4日目 5日目 6日目 7日目 8日目 9日目 総括
文字サイズ変更ボタン(本文のみ)
◇◆◇
サムスンの噴水 ホテル出発まで
移動( → ペテルゴーフ )
ピョートル大帝・夏の宮殿
昼食(庭園内のレストラン)
エカテリーナ宮殿
ニコライ聖堂
ニコライ宮殿
移動とホテル(3泊目)

ホテル出発まで
06:30 起床。
ツアーでは観光の最終日、サンクト・ペテルグルグ郊外の宮殿2つを見学する。午前にペテルゴーフの「ピョートル大帝・夏の宮殿」、午後はプーシキンの「エカテリーナ宮殿」を訪問です。そして夜にはオプショナルとして「フォークロア・ショー(ニコライ宮殿)」が用意されている。しかし、我々は夜のイベントは不参加なので夕食後はホテルに直ぐ戻る予定です。

07:30 モーニング・コールあり。スーツケースに私有品を全て収め、ロックして鍵穴の部分をガムテープで塞いだ。枕チップ US$1.00 を置いておく。
07:45 朝食レストランに行くと大混雑だった。オレンジ・ジュース、ハム・チーズ・ゆで卵・丸型パン2種を皿に取る。生野菜類には手を出さなかった。食後のコーヒーは美味しいので2杯も飲む。が、全体として小食だったと思う。
直接部屋に戻らず、ホテルを出て昨夜のコンビニに行く。そこで洗面所で使用するミネラル・ウォーター2本を購入した。合計で 112P だった。後で分かったが、同じ棚からボトル2本取ったつもりだったが、1本は炭酸入りで使えなかった。
08:30 部屋に戻る。

09:10 部屋を出る。ロビーでは既に大勢の人達が集まっている。今日のバス座席は前から4番目が指定だった。
09:25 バスに乗車。現在の気温は15度、雲は多くとも晴だった。

移動( ホテル → ペテルゴーフ Peterhof ) 移動
09:30 出発。サンクト・ペテルブルグから約30Km南西にあるペテルゴーフの「ピョートル大帝・夏の宮殿」に向かいます。
09:54 しばらく市街地を走る。外れに近づいた頃、大きな凱旋門を通り過ぎた。この旧帝都の凱旋門は参謀本部の建物に設置された宮殿広場のものやモスクワ大通りの柱列構造のものが知られています。ここで通過した凱旋門の形状や設置場所(ロータリー)はよくある普通のものと思えても、その色が濃い緑系で珍しく感じました。何を記念する凱旋門かは分かりません。
郊外になると2両連結の路面電車が走っている。フィンランド湾岸に広がるベッドタウンとサンクト・ペテルブルグを結ぶものらしい。日本なら巨大な団地とされるような高層住宅が延々と続く場所もあった。

10:17 郊外のストレルナではコンスタンチン宮殿の前を走った。この宮殿は18世紀初頭にピョートル大帝の計画により建設がはじまったが、次第に大帝の関心はペテルゴーフの「夏の宮殿」に移り、大帝の没後は放置されてしまった。ニコライ1世が自分の夏離宮とするため新たに建設したとされる。しかし第二次世界大戦で破壊された。サンクト・ペテルブルグ遷都300年を機に2003年に再建され、現在は迎賓館となっている。今年7月には例年のG7サミットがロシアを議長国として拡大G8(さらに中国も最終日1日のみ出席)として開催されましたが、その会場がこのコンスタンチン宮殿だったのです。

10:27 ロシア全土に時代を反映する個性豊かな教会や聖堂の建物がある。ここペテルゴーフでも同様で、16〜17世紀のロシア建築を範として1895〜1905年に建てられた「聖使徒ペテロとパウロ聖堂」があり、噴水の都ペテルゴーフを代表する教会とされます。建設当時は宮廷行事用の教会でしたが、宮仕えの期間は僅かでした・・・。形状、構造、外部と内部の装飾、等々がとてもユニークな聖堂のようです。純ロシア建築の教会というと聖ワシリー寺院やスパソ・ナ・クラヴィ聖堂のように非対称系で全てのドームが個性的に異なるものを思い浮かべるのですが、この教会は幾何的に対称形のピラミッド型で他のロシア正教の聖堂とは全く異なるのです。車窓からチラッと眺めただけですが、写真は運よく撮れました。[Ref.09, p.146]

ピョートル大帝・夏の宮殿(Summer Palace of Peter the Great ) ピョートル大帝・夏の宮殿
ピョートル大帝・夏の宮殿
(世界遺産)
ピョートル1世(1672-1725)は個性的で有能な皇帝で大帝(Peter the Great)と呼ばれる。在位は1682‐1725年の42年間に及ぶが52才で他界した。国家と社会の改革を強力に進め、モスクワ・ロシア末期の絶対主義化と西欧化の方向を決定的にし、1712年にモスクワからサンクト・ペテルブルグに遷都した。北方戦争終結の1721年にツァーリ(皇帝)を称し、ロシア帝国の建設者となった。 ----------
サンクト・ペテルブルグから南西に約30Kmのフィンランド湾を望むペテルゴフに「夏の宮殿」はあるが、地名ペテルゴフ自体が「ピョートルの宮殿」の意味とされる。この「夏の宮殿」は上の庭園、大宮殿、下の庭園からなる。
ピョートル1世がフィンランド湾を望む地にロシアには無かった噴水を主眼とする大宮殿を造営する構想をもったのは1705年のこととされる。1710年にはこの地に館を建て、1712年から水を利用した宮殿の造営を始めたとされる。1721年、ピョートル1世は北方戦争に勝利し大国となったロシアの皇帝となった。新たな帝政ロシアに相応しい宮殿をこの地に望み、1723年8月15日に完成させた。着想後ほぼ18年もかかったことになる。その後の皇帝もその美的な完成度を高めて今日見る見事な「夏の宮殿」となった。第二次世界大戦で破壊されたが、現在では完全に復元されている。 ----------
下の庭園にある水の自然の落差を利用した噴水や水の吹き出し口は数多い。中でも左右の大滝(64の噴水)や北方戦争勝利を記念するサムソンの像の噴水(高さ20mに吹き上げる)は特に知られている。 ----------
[ Ref.05, 項目「ピョートル1世」 ]
[ Ref.09, pp.136-146 ]
[ Ref.02, pp.244-247 ]
----------
10:30 ピョートル大帝・夏の宮殿に到着。バスを降り、しばし外壁に沿って入口に歩いた。ゲートでの入場は特に問題はなかった。
フランス式庭園の「上の公園」と噴水群で知られる「下の公園」の間に「大宮殿」がある。名前とは違い大規模で絢爛豪華とは云いがたい宮殿ですが、ピョートル大帝が好んだだけのことはある居心地のよさそうな眺めの良い夏の離宮、ここは内部参観をするのです。カメラ料(100P)は現地ガイドさんが集めてまとめて購入してくれました。1度に入館できる人数(入館者総数)に制限があるようです。外で長く待たされました。その間に写真モデルを兼ねたバンドの演奏を楽しんだり、行列から離れて写真を撮ってみたり、くつろいで時間潰しでした。
11:10 この頃にやっと入館できました。

玄関ホールは一寸した置物がある程度だったと思いますが、2階に上る中央階段の天井画や壁面の装飾はやはり王宮で豪華な感じでした。ロシアの建物は内外の装飾に金色を用いることが多いと思うのですが、ここも正にその通りです。
執務用のテーブルやチェストの置かれた部屋、大油彩画が両端の壁面一杯に飾られた大ホール、白を基調に明るい青緑で縁取りをしたり赤いカーテンでアクセントを付けた玉座の間、鏡がやたらと多い広間やポートレートばかりの部屋など観るべきものは多かった。
白い無地だったり青で文様を描いたものだったり様々ですが、陶器製の大ストーブが多くの部屋に設置されている。長く寒い冬を過ごすための必需品ですが、その装飾性も気配りがされているようでした。

12:15 大宮殿の参観を終えた。今日は晴天で観光客も多く、噴水の周りは特に大勢の人達がいる。添乗員さんから「スリに用心」と注意があった。これから30分の自由散策、噴水の脇を降りて「下の庭園」に行く。
持ち時間では運河の先まで行きフィンランド湾を眺めることはできません。噴水の周りで何枚かの記念写真をとり、右手の開けた庭園を一回りしました。端からはフランスの噴水、サムソンの噴水(大滝の下)、イタリアの噴水と並んで見える。気持ちよい散歩を楽しみ、人の多い中央の階段まで戻った。

そこで雑誌を広げて歩いている男とぶつかった。妙に不自然な感じなのでウェストポーチを見るとファスナーが開いている。ぶつかった男はスリだった。しかし財布は2つでズボンの左右の前ポケットに分けてある。スリに狙われ易いウェストポーチに貴重品はないので実害は全くありません。
後で知りましたが、この噴水の場所でバックから財布を抜き取られた女性メンバーがいたのです。金額的には大したことはなく不幸中の幸いだったようでした。しかし相手は生活をかけての手仕事、旅行客は用心するしかありません。

「夏の宮殿」のガイドブックをここで購入したら「大宮殿」の説明も少し詳しく出来るはずですが、残念ながら資料がありません。写真ページにて「ロシアの”明治維新”を1人で成し遂げた皇帝」が好んだ宮殿をご覧頂ければと思います。ただし微妙なのは、ピョートル大帝が自ら手がけたペテルゴーフの宮殿を好んだことは間違いないらしいが、見学した宮殿の華麗なバロック様式は大帝の姫宮エリザベータが女帝になり完成させたとされます。[Ref.09, p.143] どうやら何事もピョートル大帝とエカテリーナ2世に結びつける”クセ”があるように感じました・・・。

12:40 大宮殿前で集合。バスに向かった。

12:45 出発。これから約34Km離れたプーシキンに向かう。「エカテリーナ宮殿」の参観前に昼食ですが、同じ「ツァールスコエ・セロー」の敷地内にあるレストランの予定でした。バス移動中は特に珍しい風景や建物も無いようでした。


昼食(エカテリーナ宮殿近くの庭園内レストラン) 昼食
13:35 この頃にツァールスコエ・セローのレストラン近くでバスを降りる。すぐ宮殿の庭園の一部となり、かつてはドイツ人の家庭教師が住んでいた家をレストランにした「アドミラル・テシトボ」に入る。外観は少々ユーモラスだが、内部は古色豊かでも不潔感などは全くない。

13:38 レストラン2階のテーブルが用意されていた。飲物はミネラル・ウォーターで済ませる。昼食はサラダ大盛り、野菜スープ、白身魚のフライとポテト、プリヌイ(クレープでコケモモの実を包んだもの)、コーヒーでした。心配ない感じの野菜類が多く、味も満足できて、今日の昼はよかったです。

14:37 レストランの建物の外にでる。玄関の外側に銀色の小型コインが沢山落ちている。あたかも賽銭でも投げたかのように・・・。不思議に思った。添乗員さんや現地ガイドさんが支払いを済せるまで暫くの間はエカテリーナ公園ともいう宮殿の壮大な風景を楽しんだ。

15:45 このレストランからエカテリーナ宮殿には庭園の道を歩いて行くが、実は庭園は宮殿の裏にあたる。正面入口までは一旦宮殿を半周りする必要があった。池の近くにあるグロット宮(朝の間)やキャメロンの回廊の前を歩き、大プール越しに綺麗な宮殿を眺める快適そのものの散歩でした。宮殿近くでは結婚式後の新郎新婦が記念写真を撮る姿が見られました。我々が滞在中に他にも数組を見かけたので多くの新婚カップルが撮影に訪れるのでしょう。

ツァールスコエ・セロー/エカテリーナ宮殿
(Tsarskoe Selo/Catherine Palace)
ツァールスコエ・セロー
ツァールスコエ・セロー大宮殿
エカテリーナ宮殿として知られるツァールスコエ・セローの宮殿はロマノフ王朝の第3番目の「冬の宮殿」です。現在はエカテリーナ公園とアレクサンドラ公園を合わせた広大な公園の一部になっている。 ----------
ピョートル大帝の后は大帝亡き後にエカテリーナ1世として即位し、当地で館の建設を開始した。現在の宮殿名はエカテリーナ1世に由来する。ピョートル大帝の皇女エリザベータは1741年に即位、その後はツァールスコエ・セローの館を豪奢なバロック様式の宮殿に建替え、小宮の建設や庭園の造営に資金を惜しまなかった。
エカテリーナ2世(1762年即位)の時代には古典主義の建築家らが雇われ、その様式が取り入れられた。
最終的に全長740mもの大宮殿となった。全体としてバロック的な華々しさに加えて、古典主義様式の優美さも兼ね備えた宮殿となったのです。 ----------
エカテリーナ宮殿は「琥珀の間」で知られる。1701-1709年に建築家シュリューテルが琥珀を寄せ集めたパネルを制作した。1717年、プロイセン王ウィルヘルム1世はピョートル1世に宮殿の装飾用としてこの琥珀パネルを贈ったのです。1755年、建築家ラストレッリは琥珀のパネルを利用して現在見る「琥珀の間」を作ったとされます。
第二次世界大戦中に琥珀はドイツ軍に持ち去られたが、琥珀の間は2003年に完全に復元されました。
----------
[ Ref.11, 文章は変更]、[Ref.02]
----------
Ref.11/エカテリーナ宮殿にて購入
15:00 エカテリーナ宮殿の正面入口から入る。ゲートはゴールデン・ゲートと呼ばれ、黒の支柱類に金色の王冠や双頭の鷲やアラベスクとも云える植物文様が透かし彫り風に作られたものだった。そこから一直線に宮殿の中央に向けて道がある。宮殿は左右にかなり長い建物で白と青に塗られている。その前庭は宮殿と同じ幅の広々とした芝生の広場だった。その左右には宮殿と同じ配色の長い一階建てが広場を囲む塀のように作られていた。
寒冷地のためか、宮殿の背後の庭園がメインのためか、前庭の広場には花壇1つとして作られていない。珍しく思えた。

15:08 宮殿の入口に到着。内部は土足厳禁、靴は脱がずに用意されているビニールの靴カバーを履いた。まず赤いカーテンが奇妙に印象に残った中央階段で2階に上がる。直ぐに「大広間(舞踏の間)」に入った。

ロマノフ家の宮殿の大広間としては大きいもので面積846平方m、幅17m、長さ47m もある。床のモザイク、壁面の窓と金色の装飾、天井画、全てが凄いものでした。壁面の装飾は木彫りに金色の彩色をしたものです。「なんだ、木彫りか」と思うなかれ。日本の伝統建築には木彫の欄間があるが、芸は繊細で見事でもサイズは小さいのです。この大広間の壁面装飾は、繰り返しパターンが多いとしても、窓や鏡などと相まって色彩と規模による迫力がにじみ出ていると思います。

こんな素晴らしく豪華な大広間でオーケストラの演奏をバックに着飾った大勢の紳士淑女が優雅に踊る様子を想像したら・・・。それが1日ならば映画やテレビの撮影ていど、3日続いたら王室の結婚式などの大行事、7日続いたら戦勝祝い、30日続いたら自ら「革命せよ!」のシグナル発信、・・・、といったところでしょうか? 絶対君主制の下での桁違いの贅沢はやはり昔の物語なのでしょう。しかし、だからこそ、個性的な建造物や装飾や庭園を今日では庶民も楽しむことが出来るのです・・・。民主主義的な経済制度の結果として、ここにはネオ華族というかブリッコ貴族というべきか、お金持ちの中でもセレブさんとかセレブ・モドキさんという種族が訪問し滞在するプランもあるようです・・・。
脱線が過ぎたようです。スミマセン。

よく知られた「琥珀の間」も見ましたが、黄みを帯びた濃淡のある薄茶色の琥珀が一面に埋められた不思議な空間でした。使用される素材が素材だけに宮殿の部屋としては小さいものでした。ここだけは写真撮影は禁止です。

他にもダイニング・ルーム、ポートレートの間、絵画の間、等々宮殿らしい豪華な部屋を拝見し、調度品や装飾品を数多く観賞しました。
ロシアの歴史を読むと、前半にはリューリュク朝、後半にロマノフ朝があった。第一次世界大戦の最中1917年にロシア革命が成立し、ロマノフ朝は終わりました。時の皇帝はニコライ2世、その最後の皇帝の軍服や凛々しい肖像画などの拝見が宮殿見学の最後でした。

16:05 1階の売店エリアで解散となった。少し離れた場所のトイレを使用し、それから売店で写真付きガイド・ブック(US$10.00)を購入しました。日本語版ですが、薄いものです。詳しく厚いガイドブックに日本語版はなく、ロシア語を知らない場合は英語版を購入するしかないでしょう。

16:14 宮殿から庭園に出たが、そこが集合場所でした。約30分間は庭園の散策です。
庭園は昼食後に歩いて通ったので様子は分かります。ブラブラとキャメロンの回廊まで行きました。細長い建物で、その池側の端には立派な曲線階段が設けられている。上がったら門番の女性がいて中には入れません。高い位置から大きな池のある庭園の風景を楽しみました。昼食をしたレストランの建物もよく見える。結婚式後のカップルが記念写真の撮影に来ていました。
プールの傍の道を戻り、宮殿がよく見えるベンチに座ってゆっくりしました。ピープル・ウォッチングです。また新婚カップルが友人達と庭園を歩いている。シーズンでウエディング姿が本当に多い。風もなく気持ちよい天気なので、ツアーの他の人達もゆっくり庭園で過ごす姿が多かったように思います。

16:50 集合場所に移動した。
17:00 宮殿の敷地から出て、宮殿と回廊で結ばれた学習院の傍を通ってバスの待つ場所に行く。
17:10 バス出発。これからサンクト・ペテルブルグに戻ります。

夕食(街のレストラン) 夕食
17:45 この頃にレストラン「アルゴカフェ」に到着。我々は4〜6人用のボックス席に分散だったが、既に先客のロシア人グループが長いテーブルを囲みディナー・パーティの最中だった。とても陽気で賑やかな人達でした。

飲物は最後の夕食なのでビールの小瓶1本を2人で飲んだはず・・・。サラダは普通のものに思えたが、角切りチーズやオリーブが混じり「ギリシア・サラダ」と云っていた。メーンは「ビーフ・ストロガノフ」、デザートは「アイスクリーム」、そして最後にコーヒーでした。
我々のメーン・デッシュが終わりデザートになる前にロシア人グループが話しかけてきた。遠方を含む各地から1年に1回集まる親戚や友人のグループらしく、気さくに何でも話題にして楽しんでいる様子だった。日本からのツアーと知り、遠来の客としておもてなし。早速アルコール好きには大瓶のウォッカを振舞ってくれました。お互いに利害のない庶民同士、言葉は通じなくても何となく気持ちが通づる雰囲気でした。

18:35 バスに乗車、出発。

聖ニコライ聖堂(St. Nicholas Cathedral) 聖ニコライ聖堂
モスクワ通り入口にある凱旋門の傍を通り、船乗りの守護神とされるニコライ聖堂(18世紀中頃の完成)に向かった。聖ニコライが海で難破した船を救助したという伝説により海運の聖人(または、災害救助の聖人)とされ、聖堂の名となったという。女帝エカテリーナ2世により1762年に大聖堂に格上げされた、これもウェブで読みました。また1904-05の日露戦争で亡くなった人達や1989年に事故を起こした原子力潜水艦の乗組員の方々の霊も祀られているようです。ここは博物館ではなく、名実共々教会です。

見学予定にはないが、次の予定まで時間があり簡単に参観することになりました。
19:05 聖ニコライ聖堂に到着。
聖堂は緑地に囲まれている。四方からアクセスできるように道があり、その中心に5個の金色ドームを乗せたニコライ聖堂があった。不思議にも、ドーム上の十字架がロシア正教のものではなくラテン十字に見えましたが・・・? 建物はバロック様式と伝統的なロシア建築を結合させたものとされ、外観は薄水色の壁と白い柱で清楚な印象だった。夜長の真冬は見え易くてよいかも知れないが、ロシアの人達はこの配色でも寒く感じないのでしょうか。
大礼拝堂は2階にあり、我々が歩いたアクセス路の反対側にある小さい入口から階段を登る。入口には物乞いが数名いました・・・。今日は土曜日なのでミサが行われていた。荘厳な男性コーラスの流れる中で僧侶の祈りかお説教の声が響いていた。ロシア正教のことで信者用の椅子はなく、大勢の人達が立ったまま耳を傾けている。我々は人の少ない後方に行き、そこで暫し参観させてもらいました。黄金の輪の大聖堂では個人の礼拝を拝見しましたが、ミサに大勢の信者が集うロシア正教の礼拝堂はここで初めて拝見しました。聖堂内はもちろん脱帽、そして本当のミサなので写真撮影はできません。

19:25 バスに乗車、直ぐに出発。次はニコライ宮殿です。途中、バレエで有名なマリインスキー劇場の前を通った。

ニコライ宮殿(Nikolai Palace/フォークロア・ショー) ニコライ宮殿
今晩はオプショナルの「フォークロア・ショー」が用意されていた。我々2人を含む6名は不参加だったが、他の全員が申込済みだった。会場のニコライ宮殿で参観者と現地ガイドさんを降ろして不参加の6名と添乗員さんは直ぐホテルに向かう予定でした。

19:30 ニコライ宮殿に到着すると、6時30分開演の部が終わっておらず入口には行列が出来ていた。オプショナルは次の8時45分に開演のショーです。何か不安に思わせる理由でもあったのか、日本語の堪能な現地・女性ガイドさんがいるのに、「劇場の席に落ち着くまで添乗員さんに付き添って欲しい」という要望が強く、急遽そのようになったのです。我々不参加組みの6名は添乗員さんが自由になるまでバスで待つことになりました。その間に宮殿のトイレの借用のために中に入ったら、入口から4階まで真直ぐに延びる大理石の階段があった。どうやらロシアの宮殿には直線の大階段が時折用いられるようだ、思ったものです。

この建物について: ニコライ宮殿(Nikolai Palace/Nikolayevsky Palace)は皇帝ニコライ1世の子息ニコライ大公(Grand Duke Nikolay Nikolayevich)が居住しました。初期古典様式の建物で 1861年12月 に完成したようです。大公の没後、1891年からは中産階級の子女の学校となり、1917年からは The Palace of Labour となった。ロシア連邦誕生後は The Nikolayevsky Art-Centre として使用されている。

「フォークロア・ショー」不参加組みの間では明日午前の自由時間の過ごし方が話題になった。東京の母娘組みが「ホテルの周囲は見るものもない。スパス・ナ・クラヴィ(血の上の教会)やイサク大聖堂を見に行こう」と提案、直ぐに千葉の御夫婦は賛同、我々も異存はなかった。ホテルからタクシーで往復するとして6人が乗れるかどうかが問題だった。ひとまず、明日の午前は一緒に中心部に出ることだけは決まった。

移動とホテル(3泊目)
20:40 添乗員さんがバスに戻ってきた。直ぐホテルに向けて出発。途中、20:45頃に日が沈んだ。

車内で、添乗員さんに明朝の観光の件を話す。色々話し合った結果、往路はタクシーではなくミニバスをホテルのフロントで予約して利用する。これなら10人は乗れるようです。観光後はホテルに戻らす、ニコライ1世の騎馬像が見えるイサク大聖堂の入口でバスを待つことになった。12:40にピックアップに来てくれるのです。時間と費用の双方で良い結果となりました。

我々の場合には問題が1つあった。スーツケース2個は部屋に残しておくとポーターが運んでくれるが、機内持込用の小型キャリーバックには旅行会社のステッカーも荷札もない。添乗員さんが部屋にキャリーケースを見にきて、明朝バスに積み込んでくれることになりました。ロビーまで間違いなく運んでくれるように紙に名前を書いてガムテープで貼り付けておいた。これで手荷物の心配はせずに観光できます。

添乗員さんはホテルでの所用を急ぎ片付け、ニコライ宮殿の劇場にとんぼ返りでした。
我々も大急ぎで再びロビーに戻り、他の人達と明朝の打ち合わせです。明朝9:30にこの場所に集合、ミニバスはホテルからスパス・ナ・クラヴィまで行って30分待ってくれる。そこからイサク大聖堂まで同じミニバスで行くことになった。その代金は1台 2144P なので、1組2人分を 720P として千葉の御主人に渡した。これはホテルの予約デスクに先払いでした。千葉の御主人はキチンとした方で後から僅かな釣を返してくれました。50才代前半と思っていたが、還暦と伺い驚きました。

実はミニバス代金の支払いで手持ちのルーブルを殆ど使い切った。明日の観光で入場料やカメラ料が必要です。ロビー奥の両替所に行き2人分の必要経費として US$100.00 をルーブルにしました。レートは 25.20P/$1.00 でした。両替にはパスポートのコピーが必要、先方は氏名とパスポート番号で滞在客かどうかを端末で確認したようです。明日の準備も完了となり、やっと部屋に戻って落ち着きました。

23:00 デジカメのバッテリーの充電を開始、その後に就寝。

宿泊ホテル関連の写真ページは5日目の最後部に[PHOTO]リンクがあります。


明朝の予定:
起床(7:30)、朝食(8:30)、ロビー集合(9:30)、自由行動、ツアー合流(12:40/イサク聖堂)
◇◆◇
HOME旅行記一覧この旅行記TOP現在の頁(7日目)
page▲top