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ロシア紀行、文化遺産を巡る9日間/8日目( 2006年9月2日 )
スパス・ナ・クラヴィ聖堂・イサク大聖堂
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イサク大聖堂 ホテル出発まで
移動(→血の上の教会)
スパス・ナ・クラヴィ聖堂
イサク大聖堂
昼食(街のレストラン)
時間調整の自由行動
プールコヴォ第1空港
プロコボ航空:モスクワ便
シェレメチェヴォ空港
帰国便(JL442)

ホテル出発まで
06:20 起床。
トラベル・シェーバーの電池が空で使えない。直ぐに充電を開始した。
07:20 2階のレストランで朝食。同じように、オレンジ・ジュース、ハム・チーズ・卵・パン、フルーツ、コーヒーです。ここで朝食を3回もした。ビュッフェ・スタイルは何処も同じに思えても、しかし実際には料理の種類が多く味も満足できたと思っています。

07:50 部屋に戻った。シェーバーの充電は完了していた。1時間で充電できる機種は使いやすいですね。すぐ髭剃りを済ませた。また、少々風邪気味なので早めに風邪薬をのんでおいた。
09:00 3連泊した部屋もこれでお別れです。忘れ物のチェックは厳重に、US$1.00の枕チップも忘れずに置いて部屋を出た。バスに積むスーツケース2個とキャリーバック1個は部屋のなか、ロシアでは未だ廊下に出したままに出来ないのです。
09:05 1階のフロントでカード・キーと部屋番カード2組を返却。パスポートの受取りは添乗員さん経由ですし、支払いは無いのでチェックアウトは簡単でした。

自由時間の行動を共にする東京の母娘2人、千葉の御夫婦、その他に女性の友人2人組、そして我々の合計8名が集まった。友人2人組みが東京組が誘ったので話に乗ったようでした。昨夜フォークロア・ショーに行った人達は夜11時頃にホテルに戻ったらしい。それで睡眠は十分のようでした。しかし「来た以上は、少しでも観て帰る」気力と体力に感心します。

ミニバス代金の支払いは千葉の御主人が担当してくれました。フロントの予約デスクで先払い、チップは不要でした。1組2名追加なので各組の負担は 536P と 180P ほど軽くなった。両替レートを US$1.00=\120、US$1.00=25.80P とすると、大体のレートは 1.00P=\4.80 程度です。日本円では約2573円になります。ミニバス1台が途中の待ち時間を入れて1万円強でした。

移動(ホテル→スパス・ナ・クラヴィ聖堂)
mimi-bus 街で見かけるミニバスは黄色が目立つが、我々に配車されたミニバスは右の白塗り11人乗りだった。ドライバーさんは男性だったが車内は小奇麗でした。「ロシアでは洗車しない」という説明もあったが、自家用はいざ知らず業務用は洗車してあるのは明らかです。
09:35 出発。今日の天気はサンクト・ペテルブルグ滞在中では一番良いと思えました。
ホテルから小ネバ川沿いの道を走り、ロストラの灯台を過ぎてから宮殿橋を渡った。それから河岸通りを通り、グリボエードフ運河を渡ると直ぐだった。
09:50 3日前(サンクト・ペテルブルグ到着日)に写真を撮った旧シンガー社の建物とロシア博物館の間の道で下車となった。スパス・ナ・クラヴィ聖堂に到着です。ミニバスは30分待ってくれる。我々は聖堂の裏側になる参観者入口に向かった。
聖堂右側の広い円形路を歩くのですが、外側はミハエル庭園(ミハイロフスキー公園)という緑地です。その境にある円柱列と鋳型で作った鉄製の塀もみごとでした。

スパス・ナ・クラヴィ聖堂(Church of Savior on the Spilled Blood) スパス・ナ・クラヴィ聖堂
スパス・ナ・クラヴィ聖堂
ロシアでは忘れがたい事件があると教会を建立する習慣があった。アレクサンドル2世は1861年2月に農奴制廃止宣言を発布したが、半端な内容のため不満を抑えきれず、過激分子に命を狙われ続けた。1881年3月1日、爆弾テロで足を吹き飛ばされ冬宮で命を落とした。皇太子アレクサンドル3世が即位し前皇帝が殺害された場所に聖堂を建立するよう命じた。1883年10月に起工式が行われ、1907年8月に聖堂が完成した。 ----------
聖堂は中心のドーム(81m)とその周りに4個のドームをもっている。さらに運河に張り出した鐘楼と反対側に小さい鐘楼があり、共に金色のドームがある。鐘楼が運河に張り出したのは、アレクサンドル2世が暗殺された場所を鐘楼の内側にするためだった。
サンクト・ペテルブルグは湿地帯のため、大建造物の建立には大量の木の杭を打ち込んで地盤を固める。しかしスパス・ナ・クラヴィの建設において当市では初めて基礎部分にセメントが用いられた。
装飾はロシアの伝統に従う見事なものである。聖堂の屋根には金箔と七宝細工が施された銅版が用いられ、鐘楼のドームには金箔が貼られた。外壁には400平方メートルを超える大規模なモザイクがあり、外壁装飾としてはロシアで初めてとされる。内部はそれこそ全面がモザイク画である。総面積6560平方メートルで、モザイク画の数は308点とされる。床の大理石もみごとである。
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[ Ref.12, 文章は変更]
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Ref.12/スパス・ナ・クラヴィ聖堂にて購入
日本では「血の上の教会」として知られるが、ロシアでは「スパス・ナ・クラヴィ(血の上の救世主)/キリスト復活聖堂」と呼ばれている。
その簡単な歴史や特色については写真付きガイドブックを参考に記述した右コラムをご覧ください。ロシア正教の伝統に則ったデザインなのでモスクワの聖ワシリー寺院に似たような外観をしていますが、このスパス・ナ・クラヴィ聖堂のほうが落ち着いた配色になっています。近くによると外壁のモザイク画はよく見えますが、屋根の面白いドームは見えにくくなります。
第二次世界大戦では不発弾がドームに落ちたようですが、大破壊は免れたようで、現在は完全に復旧しているそうです。

10:00 オープンと同時に入口で入場券(@300P)2枚とカメラ券(@50P)1枚を購入、計650Pを払った。前後しますが、聖堂の見学後に出口近くの売店で日本語ガイドブック(@150)を購入したので、2人で 800P かかった。両替レートは 1P=\4.8 程度なので日本円で考えると約3840円でした。
旅行前のオンライン調査でスパス・ナ・クラヴィ聖堂の内部を参観するツアーや個人旅行者は少ないという印象を持っていましたが、20〜30分の参観に1人2000円弱を払う人は少ないのかも知れません。

内部に入ると柱や壁面や天井やドーム、至る所に驚く程のモザイク画がある。多くは聖書の物語のようでした。ドームの天井にまでキリストが描かれており、常に上から”監視”されているみたいです。「最後の審判」を待たずに「全てお見通し」かも知れません(笑)。ロシア正教に付き物のイコンと呼ぶ絵と同じ性格なのか、単に聖堂を装飾するだけの宗教画なのか、よく分かりません。巨大な柱に描かれているものは「イコンだろう」と思いましたが、他の絵は定かではありません。ここで購入した日本語ガイドブックでも「モザイク」とか「モザイク画」と表現され、「イコン」という言葉は無いに等しいようです。
確かに宗教施設そのものですが、内部は類のなき規模のモザイク画で埋め尽くされています。テーマがロシア正教に限られた芸術空間と考えると、一見の価値はあると思えます。

入口と出口の中間部の壁寄りですが、鋭く上方に伸びる天蓋の付いた御墓のようなものがある。近くに行けないが、1881年にアレクサンドル2世が反体制派の爆弾テロで倒れた場所のようでした。

その他、あちこち見ていたら直ぐ時間となった。先に書いたガイドブックを出口近くの売店で1冊購入しました。

10:33 外に出る。スパス・ナ・クラヴィ聖堂を背景に御一緒した7名の記念写真を撮影してミニバスに乗りました。ついでながら、先日は「スリが多いので聖堂には近づかないこと」と現地ガイドさんの注意がありましたが、今日は午前のためか観光客の姿も限られており、不安に思うようなことは何もありません。せっかく来たので見学できて良かったですね。
10:35 ミニバスに乗車、直ぐ出発。次の見学場所のイサク大聖堂に向かった。


イサク大聖堂(St. Isaac's Cathedral)
10:47 イサク大聖堂のチケット売場近くでミニバスを下車し直ぐに入場券(@300P)2枚とカメラ券(@50P)を購入した。これで良しと思ったが、他の人からドームに登るためには別売のチケットが必要といわれた。急ぎドーム展望チケット(@150P)2枚を購入した。前後しますが、聖堂内で日本語ガイドブック(@150P)を購入したので、イサク大聖堂関連の出費は2人で 950P、日本円では約4560円です。 序ながら、ミニバス、スパス・ナ・クラヴィ聖堂、イサク大聖堂の費用の合計は 2286P/2人、日本円で約11000円でした。我々は8人で行動したので交通費は割安になったが、個人の見学が多いと出費はかさむようです。

ロシアの入場料: 現地ガイドさんの話では、入場料は時々変更され高くなることが多いとか・・・。また、ロシア全般のことらしいが、外人観光客とロシア人観光客の入場料は異なり、ロシア人観光客には表示価格に割引が適用され安くなるとされます。割引率の情報は入手できませんでした。しかし、ロシア人の平均月収が2万〜3万円の現状を思うと、本当にロシア人向け割引きがあるのかも知れません。
蛇足ながら、モスクワでも書きましたが、この種の個人観光中に万一スリや他の被害にあった場合、警察に被害届を提出するのが普通でしょう? ところが、ロシア人は警察に行かないという話しも聞きました。何故なら、「ロシアの警察は”有料”、料金は”適宜”」らしいのです。料金体系は未公表、実情は外人向けとロシア人向けの2本立てかもしれません。用心して街では被害に合わないのが一番ですね。

イサク大聖堂
イサク大聖堂はドーム(キューポラ)を持つ寺院としては世界第4位になる。すなわち、ローマのサン・ピエトロ寺院、ロンドンのセント・ポール大聖堂、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレに次ぐものとされる。(注:筆者の読んだ幾つかの英語サイトは世界第3位としている。序列は単なる目安でしょう。)大ドームは高さ101.5mあり、内径は21.8m、外径は25.8mである。建物の長さと幅は111.3mと97.6mになり、高さ17mで重さ114tの石の円柱が112本も使用されている。
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設計者はフランス生まれの建築家 Auguste Montferrand とされる。 建設は1818年から始まり、基礎工事として昔の杭に加えて新たに13000本以上の松の杭が打ち込まれた。同時にフィンランドで巨大な円柱を作る花崗岩の採掘が始まった。石柱は海路で運ばれ、ネバ川から陸揚げされた。1828年には北側・前廊に最初の石柱が立てられたが、その際は皇室の列席のもと45分で直立させる作業が完了した、とされる。40年後の1858年に絵画創りが終了し、大聖堂は完成した。
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[ Ref.13, 文章は変更]
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Ref.13/聖イサク大聖堂にて購入
イサク大聖堂/ドーム展望台の眺望:
11:00 展望所の入口から一旦は建物の中に入り、螺旋階段を登った。退屈しのぎかも知れないが、階段の隅に上った段数が書いてある。(注:実は段数を記録しなかった。後日オンライン調査した英語サイトの幾つかは300段としています。) 螺旋階段が終わるとドームの取り付け部に当たる屋根に出る。そこからは外の直線階段を上がった。金色の大ドームは高さ101.5mあるらしいが、それを支える石柱が円形に配置された部分(キューポラのドラム)の下部が展望所です。そこは一周できる。サンクト・ペテルブルグ滞在中に馴染みになった名所旧跡は説明なしに判別できた。その意味では最終日にここに登ったのは正解だったかもしれない。ゆっくりと眺望を楽しんだが、綺麗な街並みと共に古びて崩れかけた場所なども見えている。世界的な観光地の旧帝都でありながら、ロシア人の生活の場であり経済活動の場でもある大都会です。致し方ないことでしょう。 イサク大聖堂/ドーム展望台の眺望

11:30 ドームの展望所から地上に降りた。一旦は外に出て、別の場所にある聖堂の入口に向かいました。

イサク大聖堂/内部参観: 南側にある入口から聖堂内に入った。この建物はギリシャ正教の影響でロシアでは珍しくも十字形に作られている。まず西側と大ドーム下の間に行った。近くには大ドームを支える四角な大石柱が立ち上がっている。その先には東側に設けられた主祭壇が見える。その中央部に以前どこかで写真を見たことがあるキリストの大ステンドグラスがあった。祭壇に近づきつつ大ドームを下から見上げると、天蓋にはやはり手の込んだ宗教画が描かれていた。「栄光の中の聖母」というものらしい。天蓋の中央部には採光の窓があるが、それには聖霊のシンボル「鳩」が描かれているようです。これはプロテスタントのベルリン大聖堂と同じです。

中央の主祭壇の両脇には「聖エカテリーナ副祭壇(右)」と「聖アレクサンドル・ネフスキー副祭壇(左)」がある。それぞれ見事なものと思われます。「ネフスキー副祭壇」に行き、その中を覗いたら礼拝中でした。「この大聖堂は博物館であり宗教的な目的では特殊なこと以外には使用されない」という説明も時折あったが恐らく古い説明でしょう。ロシア連邦となってから少しづつ変化しているかも知れません。

宗教的なことはさて置いて、イサク大聖堂の内部はイタリア産の白大理石や色大理石が潤沢に使用され迫力満点です。特に祭壇の前はマラカイト(緑/孔雀石)やラピスラズリ(青)の巨大な柱が並び見事でした。ラピスラズリの2本の柱はムクではなく薄いラピスラズリを表面に貼ったものですが、その技法は評価が高いようです。欧州のスラブ系民族で最大の勢力を証明したロシア民族は中心となる宮殿や教会にもその力がよく反映している、とも思われました(もちろん裏返すと重大な問題も内包しているのでしょうが・・・。)
多くの宗教画があるが、ここもモザイク画が多いようです。やはり芸術的な殿堂でした。
一通り拝見してから、売店で日本語ガイドブックを購入しました。ガイド無しの自由参観では何を見たのか分からない場合が多く、どうしても必要なのです。 イサク大聖堂/内部参観

集合時刻まで時間があったので大聖堂内で座っていました。しかし他の人達の姿がありません。後で聞いたら、すぐ近くにアストリア・ホテルがある。そこのトイレが凄く豪華で有名とか、借用ついでに見に行ったそうです。
12:30 大聖堂の外に出る。

バスに乗車、合流: 12:36 バスが迎えにきました。他の皆さんは12時15分にホテルを出発したようです。合流するとやはりホッとします。直ぐ乗り込み、近くの昼食レストランに向かいました。


昼食(街のレストラン) 昼食
12:42 レストラン「ダ・ヴィンチ」に到着、中に入る。
飲物はミネラル・ウォーターで済ませた。昼食はサラダ、牛肉スープ、チキンとライス、クレープ、コーヒーでした。時間があったのでゆっくりでした。
14:10 レストランからバスに乗車。
14:15 出発。ブカレスト広場のピョートル大帝・馬上像の傍を通ると新婚カップルの記念写真を撮影している。離れた所にも2組がいました。晩夏のサンクト・ペテルブルグは最後まで花嫁見物でした。

時間調整の自由行動、空港に移動 自由行動
14:30 空港に直行するには早すぎるので、近くの土産店と公園で自由行動となった。
土産店は特に珍しい品揃えとも思えず定番のロシア土産が並べられている。何も買わずトイレを借用した程度に終わった。話は飛びますが、ロシアではアフリカ系の人を見かけない。モスクワの裏庭とも云える「黄金の輪」地域は勿論のこと、モスクワやサンクト・ペテルブルグなどの大都会ですら時には東洋系らしき人を見かける程度です。この店には黒人の店員がいて非常に珍しく思えた。
外に出て、近くの細長い公園を散歩してみる。イサク大聖堂も見える場所だった。ここでも数組のウェデング・ドレス姿を見かけた。お供の多いカップル、2人とカメラマンのみの場合もある。それぞれなのでしょう。ロシアでは結婚の儀式にお金はかけないとも聞きました。
時間まで心地よい公園の散策を楽しみ、集合場所に向かった。

15:15 乗車、直ぐに出発。サンクト・ペテルブルグの予定を全て無事にこなしました。予定外のスパス・ナ・クラヴィ聖堂やイサク大聖堂もゆっくり参観できて満足です。ここから帰国の途が始まります。まず国内便でモスクワに向かうため郊外の空港に向かいました。

a large church accidentally burned in 2006/8/25 15:33 日本でも報道されたが、今回の旅行直前の8月25日にサンクト・ペテルブルグのトロイツキー聖堂(1835年建立)で火災が発生しました。修復中で工事用の足場から出火したようです。偶然その前を走り、現地ガイドさんが教えてくれたので聖堂をチラッと見れました(右の写真)。大ドームは完全に焼失していたが、水色に星が散りばめられた小ドームなど幾つかのドームは助かったようです。消火のヘリコプターまで出動、聖堂内の装飾品や調度品などの多くは住民達の献身的な協力で火事の最中に搬出されたそうです。観光客も訪れる寺院とされるので、何時かは再建されることでしょう。

実は今回の旅行の出発直前に、筆者が知ったものだけでも、これ以外にも幾つかの出来事が発生したのです。モスクワでは貧しい商店街で爆発事件(8/21)がありテロかと思われましたが、単なる事故でした。モスクワで宿泊したホテルの直ぐ近くだったらしく、ロシア到着の当日に添乗員さんから簡単な説明がありました。
他にもウクライナからモスクワに向かったプロコボ航空機が墜落(8/22)、多数の死者がでました。同じ航空会社のモスクワ便にこれから搭乗です。旅行会社側からはもちろん何のコメントもありません。目闇に不安材料を流しても意味はありません。
私としては少し不安ですが、今まで楽しい旅が続いたので多分これからも大丈夫でしょう。


プールコヴォ第1空港 プールコヴォ第1空港
16:00 プールコヴォ第1空港(国内便発着)に到着。バスはターミナルビルの手前で停車した。驚いたことにバリケードでアクセス路は閉鎖され、これ以上の進入が出来ないのです。自動車を利用した爆弾テロを警戒してのことでしょう。最近は下火ながら、ロシアもチェチェン問題を含むイスラム過激派の問題を抱えているのです。そこで下車して出発入口まで歩きました。スーツケースはポーターが運んでくれます。
何時も通り、自分のスーツケースを確認して搭乗手続きと共に航空会社預けとなる。ショップもあったのでワイフはチョコレート(@57.00P/約\275)を幾つか買ってみたようです。後日に味わったら、値段相応というか感心するようなものではなかった。
17:20 今朝一緒に観光した千葉の御夫婦と東京の母娘組みとは住所・TEL番号を交換する。私のデジカメで撮影した記念写真はメールか郵便で送ることとなった。女性友人2人組みにも写真の件は伝えたが、住所の交換はなかった。多分、他のことに気を取られて忘れたのです。
17:25 搭乗口からシャトルバスが出発。

プロコボ航空(モスクワ便) プロコボ航空(モスクワ便)
17:35 タラップ前で搭乗券のチェックあり。横に赤ん坊を抱いた女性がいたが、航空会社はその人を優先的に搭乗させた。次に我々の番だった。 搭乗券の半券を受取る。機材はロシア製のTY-154、座席配列は 3-3、我々の座席は主翼後部の 29A と 29B だった。私は窓側の席にした。
ロシア製の航空機は初めての搭乗だった。このツボレフ(Tupolev Tu-154)は1968年に初飛行し、1972年に商用運行を開始、今年(2006年)製造終了になった。ロシア国内と旧ソ連圏諸国で使用される中距離ジェット旅客機で、今後も10年程度は使われることでしょう。
機内は猛烈に暑かったが未だエンジンは動いていないので送風がない。これは辛かった。座席の椅子が上がるので下に手荷物を置けるのが珍しい。機内誌は英語の部分も僅かにあるが、殆どはロシア語なので読めない。機内アナウンスはロシア語のほかに英語でもありました。座席の全体的な印象は肘掛けやテーブルなど座席周りがガタガタで良くないものでした。
17:55 エンジン始動。暫くして送風が始まりホッとする。
17:59 出発。しばらくはサンクト・ペテルブルグ郊外を飛んだが、中心部は見えなかった。
18:20 トイレ使用。洗面台も便器もステンレス製で実用本位のゴツイ印象だった。ボーイング製やエアバス製に慣れていると少し戸惑います。洗面台の水がどうやっても出なかった。これはマイナスです。
18:27 ジュースとスイーツのサービス。スチュワーデスの応対は普通と思います。
19:30 モスクワのシェルメチェボ第1空港に到着。モスクワは雨だった。タラップを降り、シャトルバスでターミナルビルに向かった。

モスクワ/シェレメチェヴォ空港(第1→第2)
帰国便の搭乗まで
この空港(Sheremetyevo 1 Airport )は成田空港と同じで第1空港(国内便)と第2空港(国際線)がある。往路では第2空港に到着し入国審査の後にホテルに向かった。今回の帰路は第1空港に到着してスーツケースを受取り(確認のみ)、バスで第2空港に移動する。その後にJL442便の搭乗手続きを済ませ、長時間待される出国審査です。もし順調なら手持ちのルーブルを免税店で使い切ることも出来ると思っていました。

19:40 第一空港に到着後は出迎えた現地ガイドさん(ロシア人男性)の案内で直ぐ手荷物受取所に行く。他の空港とは異なり、ターンテーブルのバゲジ・リクレームと建物の出入口の間に待合室がある。そこで手荷物が出てくるのを待った。ポーターが大きな台車を押して入ったので我々の手荷物が出たと思ったが、他の日本人ツアーのものでした。その台車一杯にスーツケースを積んで出て行った。ロシア人や欧米系の個人客も次々に手荷物を運び出した。ゴミ袋のような大きな黒いプラスチック袋を引きずって行くロシアの人達が多いので驚きました。スーツケースの購入が難しいから、と想像したが本当のところは分かりません。
何に時間がかかるのか、スーツケースで出るまで長く時間がかかり、待ちに待ちました。

風変わりなロスト・バゲッジの発生: 20:30 我々の番が回ってきた。確認のためターンテーブルの近くに行く。名古屋から参加したメンバー1人のスーツケースがない。サンクト・ペテルブルクの空港では間違いなくプルコボ航空に渡してあるのでロスト・バゲッジの発生です。出発予定時刻(22:10)まで時間がない。第2空港にバス移動、搭乗手続き、出国手続きを済ませなくてはならない。しかし、ここで大変なことになった。

現地ガイドさんは未着として正規の手続きをするので自分に任せるように主張した。添乗員さんは到着した手荷物からロスト・バゲッジとなったスーツケースの手荷物番号を割り出すことを主張(ロスト・バゲッジのクレームに必要)、同時に先のツアーの手荷物に紛れて第2空港に運ばれた可能性を主張していました。実はその他諸々のやり取りで2人の間で大変な口論となったのです。手持ち時間はどんどん減ります。雨の中、バスのトランクにしまわれたスーツケースを再度出して番号の確認をするのは不可能に近い。ともかく、その喧嘩の状態で急ぎバスに乗りました。が、バスの車内でも2人はもめつづけたのです。

第2空港・出発ロビーに着くと添乗員さんはスーツケースに付けられたプルコボ航空の手荷物タグを全て集め、番号を猛スピードで書き出し、ロスト・バゲッジの番号を割り出した。この作業はツアーの女性数名も手伝いました。その直後、付近にロスト・バゲッジとなったスーツケースが無責任にチョコンと放置されているのが見つかった。「あそこにある!」 プルコボ航空のミスではなく、添乗員さんの予想が当たり、先着ツアーがスーツケースの総数を確認せずに勝手に持ち出したようでした。理由の如何にかかわらず、これで搭乗手続きが出来ることになり、ホッとしました。
搭乗するJAL機は成田出発が台風の影響で遅れ、モスクワ到着も遅れている。これは不幸中の幸いでした。出発時刻も繰り下がるので時間的な余裕ができました。

搭乗手続き: 帰国便のJL442の搭乗手続きはエアロフロートが代行していた。スーツケースの重量に問題はなく、直ぐに搭乗券を発行してくれましたが、座席は思ったようには行かなかった。エコノミークラスの最後部ではなく中程の座席だったのは良いが通路側ではない。再度「通路側は?」と頼んだが窓口の人は何も云わずだまっていましたね。満席のうえ、遅い搭乗手続きでは難しかったようです。

出国審査: 搭乗手続き後は出国審査ですが、この空港では実際の搭乗まで3回も手荷物と身体の検査がある。靴を脱ぎベルトまで外すことがあり、かなり厳重な検査体制でした。金属製品などは身に着けず、リュックなどに入れておく方が全てスムーズに進みます。
出国審査ブースは確か7〜8つの窓口が開いていたはず。しかし長蛇の列でした。色々な事項をデスプレーで確認しながら本人の顔を見たりするので次々の処理とはいかない。さらに何か問題があると係がブースから別の場所に行き処置法を確認したりするので時間がかかる。入国審査と同じく、「中国系の人達の後に付くと大変」と予め云われましたが、見ているとその通りです。中国系と思しき人達はよく引っかかり、実に長い時間ブースに留まる。最後にはどのブースが早いか見極めがつき、我々のグループは右端2つのブースのみに進んだ。私が最後の出国でしたが、こんなに気が遠くなるほど長く待たされた出国審査は長い旅行歴でも初めてと思います。
当空港は世界の主要空港で最も評判の悪いグループになるそうですが、経験上は「その通り!」と頷けます。我々の場合はシェレメチェヴォ第1空港でスーツケースを確認した後は出国手続き完了までトイレに行く時間すら取れなかった。最後に大変な思いをした人たちもいたのです。

グループは固まって免税店などの並ぶ通路を急いだ(買物の時間はない)。搭乗口で最後の手荷物検査を受けました。その後に集まり、添乗員さんの最後の挨拶がありました。ツアーは成田で解散ですが、日本の入国審査と手荷物受取りは各自なのです。集まるチャンスはありません。ここで挨拶だけはすませたのです。


帰国便(JL442) 帰国便(JL442)
22:35 搭乗。機材はB777-200、座席配列は 3-3-3、我々の座席は 28E と 29E でした。DとFに挟まれた真ん中の席で私とワイフは前後です。2人とも他のツアーに挟まれているので座席交換は無理、諦めました。どうやら満席でした。
23:30 出発。予定の出発時刻は22:10なので、1時間20分の遅れでした。ところが機内アナウンスによると4機が離陸待機中なので離陸は遅れるとのことでした。そろそろ成田から羽田への移動と国内便の搭乗のことが気になります。
モスクワの日付はここから9月4日、しかし時刻はページの最後までモスクワ時刻です。
00:07 離陸。
01:15 定番の「おつまみ」と飲物のサービス。
01:45 夕食の配膳。ビーフ・ストロガノフにした。ワイフは何も食べなかった。
02:15 就寝。
07:15 朝食の配膳で目覚め。オレンジ・ジュースを貰い、朝食のトレーを受取る。
07:35 トレーの片付け。
08:00 旅行会社のアンケート用紙に記入。ロシア側に問題が色々とありそうだが、日本側の旅行会社や添乗員さんにツアー参加者として特に云うべき事柄がある訳ではない。全体として十分に楽しめたので満足です。モスクワとサンクト・ペテルブルクの現地ガイドさんはそれなりでしたが、最後の空港の現地ガイドさんにはチト首を傾げたくなり、ロシア全体の印象を下げてしまいました。そうなった本当の原因は他の日本人ツアーにあるのですが・・・、仮にそうとしても・・・。
08:05 添乗員さんが「旅日誌(3頁)」を1組に1つ配布した。見学先やレストラン名や料理名などロシア語では全く分からない名称も几帳面に記入されていて助かります。
08:30 記録がありませんが、この頃に成田に到着したと思います。日本時刻で13時30分ごろになる。

明朝の予定:
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