旅行記|南米3ヵ国、周遊の旅11日間 ( 2日目/2006年4月12日・水曜 )
移動、サンパウロ市内観光、移動、イグアス
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リマ空港(経由)、出発まで:
自由時間なのでカフェでコーラ1本(US$2.00)で買い2人で飲む。チップは$0.20を置いた。

00:30 集合。
サンパウロ便に搭乗したら直ぐ時計をさらに2時間進ませてサンパウロの時刻に合わせるように指示がありました。(ブラジルは時間帯が4つある、らしい。)
添乗員さんからブラジル入国書類(ED Card & Customs Declaration)の書き方の説明を受けた。驚いたことに出入国書類( 出入国カードと関税申告書 )を自分で記入する参加者はどうやら我々だけらしかった。入出国手続きの必要な4ヵ国で9枚もの書類が必要です。それで他の参加者は全員が旅行会社に作成を依頼していた。我々のみ自己作成なので、記入を間違えないよう基本的な説明をしてくれたのです。「1国でも今回のように米国を含め4ヵ国の入出国書類の作成でも、旅行会社の手数料は参加者1人に付き \4200 で変わりません。1ヵ国だけなら高過ぎますが。」ということでした。仮に、旅行会社に作成依頼しても入出国書類は1度本人の手に渡り、少なくともパスポートと同じ署名をする必要があります。それで添乗員さんは全員に署名の箇所などを説明に回っていました。
00:50 ブラジル入国用の書類の記入が終わり、入国準備は整った。
01:10 搭乗用の書類3点(バスポート・LAN航空の半券・TRANSITパス)を手に、搭乗口で列にならんだ。
リマ空港はロスアンゼルス発サンパウロ便の単なる経由空港ですが、到着から出発まで約2時間30分もかかりました。

ブラジル・サンパウロに到着まで:
01:20 搭乗。リマ空港は経由なので搭乗する機材は同じ、座席も同じです。これから夜間飛行です。我々は眠るのでスリッパに履き替てアイマスクなどを用意した。
02:00 出発。飛行中はほぼ眠って過ごす。
到着間近かになり、入国書類(ED Card)の再点検をすると記入忘れがあった。急ぎ座席のテーブルを出して書こうとしたが、直ぐスチュワードからテーブルは仕舞うよう注意された。仕方なく機内誌を下敷きにして書類の記入を終える。
06:30 サンパウロ空港に到着。リマからサンパウロまで約4時間30分のフライトでした。

腕時計やデジカメの時計は機内でサンパウロ時刻(JST-12時間/ペルー時刻+2時間)に合わせたが、旅行記ではここまでペルー時刻です。

★★★ 成田空港からサンパウロ空港まで、搭乗時間の合計は22時間20分でした。ロスアンゼルス空港とリマ空港で過ごした計4時間15分を加えると、サンパウロまで26時間35分もかかったことになる。初めて地球の裏までの長距離移動でした。
我々の場合、地元空港から羽田空港までの飛行時間を加えると、4月12日午前から13日朝まで約24時間の実質飛行となるのです。実に遠くまできたものです! ★★★

ブラジル : サンパウロ 現地時刻はJST-12時間/ペルー時刻+2時間 13日 午前8時30分

グアルーリョス国際空港・到着、ブラジル入国:
08:30 サンパウロ空港(グアルーリョス国際空港/Guarulhos)に到着。窓の外は晴天そのものでした。
パスポート、出入国カード、関税申告書の3点を手に入国審査ブースの列にならんだ。この空港はかなり古いのか、何かしら薄暗く感じられる。査証は旅行会社に依頼して取得済み、入国審査は全く問題なかった。次にスーツケースをラゲージ・リクレームのターンテーブルで受取った。乗継ぎのロスアンゼルス空港にて各自でLAN航空に預けた上にリマ経由のみのサンパウロ便のこと、ロストバゲッジの発生はなかった。
サンパウロ
Sao Paulo

サンパウロは南米最大の都市で人口は急速に増加して現在は約1800万人ともいわれる。ブラジル経済の中心的な都会で商工業が盛んであり、高層ビルの多さは世界でも有数とされる。世界中の人種が入り混じり、雑多で活発な雰囲気を持つ都会である。かつてコーヒー労働者としてイタリア人、ポルトガル人。スペイン人、ドイツ系人、日本人などが流入し、市内に民族的集中地区がモザイクを織り成した。現在はその区分は薄れつつある。日系人も多く(約130万人)、世界最大の日系人街(現・東洋人街)が形成されている。国民性には自由奔放な面があるとされ、芸術活動も活発、数多くの美術館や劇場がある。 魅力は世界中の文化をサンパウロで触れることが出来ること、とりわけ食文化が変化に富み世界中の本格的な料理を楽しめる。 南回帰線に近い熱帯圏に位置するサンバウロは標高が約800mあり、気温は冬に摂氏0度近くに下がるが夏には摂氏30度以上になる。

サンパウロ市内観光:
09:35 空港前に停車していた大型観光バスに乗り込む。空いていた前から3番目の座席にする。

このツアーは航空機による移動が多く、必然的に利用空港も多い。夫々で空港使用税が徴収されるのです。当初はJAL機内かロスアンゼルス空港で集金すると言っていましたが、このバスに乗車した後に南米各地の空港使用税の合計(計61米ドル/1人)を集金しました。当座のサンパウロ空港の使用税は旅行会社で立て替えてくれたのでしょう。

現地ガイドさん(男性)は昭和31年(1956年)にブラジルに渡った人で当年67才という。ブラジル人ドライバーさんの紹介もあった。空港からサンパウロ中心部まで約30Km程度ある。その間、現地ガイドさんはブラジルのことやサンパウロについていろいろと説明してくれました。メモしたもののみ以下に記述しますが、聞き違いやメモ違いがありましたら何卒ご容赦ください。
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* ブラジルは1500年ごろからポルトガルの植民地だった。1812年に独立した。
* ブラジルはポルトガル語を使用しているが、アイウエオの音が基本なので聞き取りやすい。本質的に無関係でも、ポルトガル語には日本語の意味に解釈すると面白い言葉が多くある。いろいろと実例をあげて笑わせていた。
* 空港からサンパウロの間は中小企業のある場所になる。
* 大陸なので右側通行、南米では珍しく自動車産業が盛んで国産車が多い。燃料はガソリンの他にアルコール(エタノール)車が実用化されて全体の15〜25%にもなる。
* 原油を産する。石油の自給率は 70〜75% に達する。
* ブラジルは工業が盛んで航空機の製造も行われている。
* ブラジルには地震がない。
* ブラジルの人種は白・黒・中間と黄の4種である。
* 日系人は約160万人がおり、今日では日系6世までいるらしい。
* 等々。
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注: ここまでの全ての写真は誤ってメディアから消去、写真ページの掲載は出来ません。 10:35 東洋人街に到着、脇の坂道でバスから降車。ここは日本人街だったが近年は他のアジア諸国の人達も多く住むようになり「東洋人街」と呼ばれるようになった。メーンストリートには東洋風の街灯が並び、先には赤い大鳥居が見える。
10:43 その鳥居を潜り抜け、「大阪橋」という高速道路を跨ぐ陸橋を渡った。橋の袂近くには日本庭園もある。さらに商店が並ぶ道を東洋人街の入口のある広場に向かった。広場といっても地下鉄の駅や教会やキオスクなどがある普通の庶民的な空間に思える所だった。往来の人は多かった。
失敗。インスタント・コーヒーでした。 10:55 しばし過ごしたが、再び鳥居の方向に戻ってMARUKAI(丸海)というスーパーに入った。商品は豊富に棚に並べられているが、何が適切なブラジル産品かはっきりしない。平凡にブラジル産コーヒーの真空パックを購入しておいた。値段は記録忘れですが大したものではありません。(注:帰国後にインスタント・コーヒーと分かったが、味の評判は良かったようです。) このスーパーの両隣は「SOGO」や「SANWA」という聞きなれた名前の商店だった。近年は日本人以上に中国系や他の東洋系の住人が増加したと言われても、ここに住んだり仕事を続ける日系人も多いのでしょう。 サンパウロ/東洋人街

再び広場に戻り、ブラブラの周囲の建物などの写真を撮って時間潰しをした。遠くのカテドラル・メトロポリター(大聖堂)のドームが良く見えるが、この広場には取り立てて見学する程のものは無いのかも知れなかった。治安が良くないため、多くの警官の姿がありました。ただし東洋人街は昔と違い現在はかなり安全とされます。念のため。 サンパウロ/東洋人街入口の広場

サンパウロの中心部(クリックで拡大 950x643)/現地ガイドさん配布の地図の一部を借用。

11:15 広場からバスに乗り、有名なF1レーサーが埋葬された墓地に向かう。
サンパウロは人口が約1500万人とも云われ、その意味では世界最大のようです。それだけに林立する高層ビルも数が多い。新しく建設されたもの、建設中のものも多く見かけました。バスから見える歩道には人の動きがあり活力は感じます。しかし、サンパウロ住民の20%程度は貧民とも云われ、周辺のスラムに住む人達も多いようです。
11:37 イビラプエラ公園という広大な公園を通る。「バンディラス記念像」という白く巨大な石像がみえた。現地ガイドさんによると、バンディラスとはポルトガルの植民地時代にブラジルの奥地探検をした人達のこと、ポルトガル語のバンディランティスは「パイオニア」の意味になるそうです。2頭の馬と総勢37人のポルトガル人と現地人が大きい船を引いている。入植400年祭のモニュメントとして建立されたもの。船はブラジルを表し、国民全員で国を進めることを意味しているらしい。
11:55 外気温は31度だった。南回帰線上にあるサンバウロの初秋は暑かった。
12:10 サンパウロ州庁舎の前を通る。ここにサンパウロ市街を車窓から撮影した写真のページを置きます。 サンパウロ市街(車窓)

12:14 F1レーサー・セナが眠るモルンビー墓地に到着。ここはサンパウロ中心部から南西12Kmの場所になり、周囲は高層住宅に囲まれている。F1レースはもとよりセナ選手のことは全く知らなかった。以下はからオンライン情報から部分的にお借りしたものです。

アイルトン・セナ・ダ・シルバ(Ayrton Senna da Silva, 1960年3月21日 - 1994年5月1日)は、ブラジル人のレーシング・ドライバーである。生涯で3度のF1チャンピオンを獲得した。日本では、古舘伊知郎が実況時に使用した「音速の貴公子」が通称として有名。(略) 1994年レース中に事故死。』 出典:フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)

広大な芝生の中に多くの墓があったが、日本の墓地とは全く違う。埋葬された人の名が記されたプレート(小型の真鍮板)が芝の地面にあるだけです。セナのお墓は今日でも花束のお供えが絶えないようです。
現地ガイドさんによると、ブラジルでは火葬もOKで、墓地に埋葬しないで自分の庭にお墓を作る人まで居るそうです。
12:25 墓地を出発。ゲートの傍に繊細な感じの竹林があり、印象に残りました。 モルンビー墓地

13:02 添乗員さんが全員のパスポートを集めた。我々が昼食をする間に、前もってイグアスに向かうGOL航空機の搭乗手続きを済ませるため。

昼食(シェラスカリア):
13:18 レストランに到着。駐車場付き郊外型レストランによくある雰囲気の平屋建てで、屋根には CHURRASCARIA (シェラスカリア/シェラスコ料理レストラン)と書かれた大看板があった。牧童料理シェラスコ(焼肉)がブラジルの名物料理として全国に普及したらしい。

このレストランは基本的にスモーガスボード形式で野菜やサラダやデザートなどは自分で選んで皿に盛る。驚いたことに小型の海苔巻きまであった。幾つか皿にとり食べてみました。日本の海苔巻きとは僅かに味が違うようでも「結構いける!」 しかし何といっても、シェラスコの巨大な串焼きに驚きました。ウェイターさんがテーブルを回り希望の量を目の前で皿に切り落としてくれる。まことにダイナミックな焼肉のサービスでした。しかし味は良く、ショー的な要素を合わせて120点を上げたいくらいでした。もう一度味わいたいものです。(ただし、ワイフが云うに 「オージーと同じく少し臭いがある」 とか・・・。)

珍しいので何枚かデジカメにおさめました。それが理由かどうか分かりませんが、食事が終わりコーヒーも済んだころにマネジャーらしき人が私のところにやってきました。
14:00 その人は私の腕を無言で捕まえ、何と厨房に連れて行ったのです。英語で話しかけても何も言わないし、当初は訳が分からなかった。「丸ごと串焼きにされるかも・・・。」
ところが、シェラスコの厨房やまだ焼いていない串焼き肉や牛肉の冷凍貯蔵庫を案内してくれたのです。普通は客に見せる場所ではないでしょうが、大きなネオ一眼レフ・デジカメを使う「プロ・カメラマンもどき」に特別サービスだったのでしょう。折角なので何枚も写真を撮影しました。珍しい場所を見せてくれたことに、感謝です! 昼食(シェラスカリア) ← ぜひ見てね。

14:07 厨房からレストランの外に出る。ツアーの人達は私が戻ってくるのを待っていたのです。「誰も見れない所を見ましたネ!」とやっかみ半分のことも云われてしまいました。お待たせしてスミマセンです。

大型車両の車輪 高速道路を使って空港に向かった。 サンパウロ市内観光で当初から気付いていたが、大型のバスやトラックの後部車輪に写真のような棒状のものが取り付けられている。あまり見た事がないので目的が分かりません。確か欧州の一部でも見たように思いますが・・・。つまらないことですが、気になって仕方ないので写真まで載せました。

サンパウロ空港、国内便に搭乗:
14:45 サンパウロ空港に到着。バスからスーツケースを受取り、各自でターミナルビルに運んだ。
14:53 GOL航空イグアス便(G3-1850)の搭乗手続きをする。短い国内移動なのでスーツケースに加えキャリーケースも預けました。ローカル色豊かと云うか、搭乗券がバーコード付きレシート風の紙切れだったので驚きました。写真ページに掲載したものは搭乗の際に渡したものですが、搭乗便情報に加え料金や空港税などが記入されたレシートも別にくれました。所変われば品変わる・・・。
搭乗券には、Guarulhos-SP 空港 15時20分発、Foz do Iguacu 空港 17時20分着 と書かれてはいた。しかし、南米では航空会社の発着時刻が当てにならない、と言われます。その一例を加えたスケジュールでした。搭乗まで国内便の待合ホールで休みました。
15:20 身体と手荷物のX線検査を受けて、搭乗口のゲート3番に向かった。未だ搭乗機は到着していなかった。
15:40 この頃に搭乗機が到着した。 サンパウロ空港、国内便
移動(GOL航空:イグアス便):
16:10 搭乗を開始。機材はB737-300、全席がエコノミークラスで座席配列は 3-3 だった。我々の座席は主翼の少し前になる15番の窓側だった。
16:25 出発。途中はほとんどボーとして過ごしたようです。イグアスに近づくまで何の記録も写真もありません。着陸で降下すると、イグアス滝の上流の風景などが楽しめました。

ホォス・ド・イグアス空港(ブラジル)・到着:
18:00 フォス・ド・イグアス空港に到着。タラップを使用して機外に出ました。イグアスは雨期のある観光地、タラップは透明プラスチックの屋根付きでした。そこから2階建てのターミナル・ビルまでは歩行です。
到着ロビーでは観光地らしく沢山の観光業者が名前を書いたA4位の紙を持って客待ちをしていました。小さいながら整った空港の印象です。
ターミナル・ビルの到着口の近くに停車していた迎えのバスに乗り込みました。
18:20 空港を出発、ホテルに向かう。 ホォス・ド・イグアス空港(ブラジル)

トロピカル・ダス・カタラタス ホテル(イグアス泊/ブラジル):
18:40 有名なトロピカル・ダス・カタラタスというホテルに到着。イグアス滝の観光ではブラジル側の高級ホテルとして良く知られ、イベリア風の一種独特な外観に特色がある。到着時には既に暗く、建物の外観を眺めるのは明日になりました。
スーツケース類はホテルの職員にまかせ、ロビーの奥にある小部屋で部屋の割り当てを待ちました。
その間に、添乗員さんから明朝の予定などが発表になった。
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* 明朝の予定: 05:00 モーニング・コール/05:30〜 朝食/06:30 出発。
* スーツケースは部屋に置いておくが、全所持品はスーツケースに入れロックする。
* 部屋の金庫はフロントでキーを借りて使用する。使用料は$4.00(R$/US$ ?)。
* 添乗員の部屋は「227号室」になる。
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18:55 部屋の鍵が渡された。「夕食のため 19:30 分にロビー集合」といわれて解散となった。フロントの左の廊下を奥まで行き、右・左と曲がり、さらに奥に進む。奥まった階段を降りた場所に我々の部屋はあった。地階と思ったが、傾斜地のため窓の外は地面で1階に相当するフロアーにも思えます。
18:58 部屋に入り、まず写真を数枚だけ撮影した。普通の都市ホテルと違い、床は昔ながらのフローリングでした。ピカピカに手入れされ、古びたカーペットより清潔感がある。しかし、空調機器が作動しておらず、空気が淀み暑苦しく感じた。バスルームなど各種のチェックをした後、エアコンのスイッチと温度調節器を探したが見当たらない。通常は壁にあるが、あちこち探し回っても気付かない。

夕食(ホテル):
19:20 部屋を出る。
19:30 ロビーで集合。
19:35 中庭のレストランに行き、固まってテーブルに着いた。ここもスモーガスボード形式ですが、音楽の演奏もありムードの良いレストランでした。飲み物は2人でビール1本(US$3.00)にしたはず・・・。空腹だったのでテーブルと料理のテーブルを数回も往復でした。料理の味は結構いけるもので、ウーン、上出来の印象でした・・・。部屋のテーブルに「イースター祭により14日と16日は特別メニュー」という案内状がありましたが、その通りなのでしょう。最後に飲み物の代金を支払い、解散です。
20:20 部屋に戻った。その直後、添乗員さんがエアコンの状態を確認にきてくれました。しかしスイッチの位置が分からず、また今日は満室で部屋の変更は難しいそうで、ホテルのフロントに連絡してくれたのです。
20:25 ホテルの従業員が来て、なんとベッドの横のエアコン・スイッチをいれてくれた。どうして気付かなかったのか不思議です・・・。快調に冷気が噴出し、やっと息苦しさから開放です。明朝は早いのでシャワーなど急いですませました。
21:00 添乗員さんから電話あり。エアコンの件とスペアー毛布のことだった。エアコンは順調に作動中、スペアー毛布はクローゼットに数枚入っていると伝えた。その後は早々に就寝。久々に横になれました!

2連泊のトロピカル・ダス・カタラタスに関する写真情報は全てここのページにまとめました。ホテル外観、部屋、食事などに加え展望台の写真も含まれます。掲載写真は撮影の順序に従っていません。 トロピカル・ダス・カタラタス

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