旅行記|南米3ヵ国、周遊の旅11日間 ( 5日目/2006年4月16日・日曜 )
空路でリマからクスコ、クスコ市内観光
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ホテル出発まで:
05:00 目覚ましのベルで起床。約3時間の睡眠だった。
到着直後に開始したバッテリーの充電は完了しておらず、赤いランプが点灯したままだった。そのまま充電を継続する。
06:00 朝食のレストランに行った。今日は亡インカ帝国の都クスコに飛ぶ。そこの標高は約3400mもある。早過ぎるかも知れないが高山病対策のつもりで食事量を制限、極く少量のみ皿にとる。食後のコーヒーは2杯飲んだ。
06:25 エレベーターで部屋に向かう。男性2人組みのFさんが「この階から見下ろす吹き抜けは怖いぐらい見事だ」と話しかけてきた。その通りなので、直ぐに吹き抜けを撮影して、後は少々雑談。実はこの2人組みとは食事時など何かと良く同席になりました。
部屋に戻ったらバッテリーの充電は完了していた。
06:30 大急ぎでスーツケースに小道具をしまい、ロックして廊下に出した。
07:00 部屋を出て、ロビーに向かう。フロントにカードキーを返却し、”ダメモト”で昨夜両替した10ソル紙幣を1ソル・コインに両替できるか尋ねてみた。サッとコイン10枚を出してくれました。これで道中はかなり助かります。感謝!
昨夜の現地ガイドさんがロビーまで出迎えに来ています。時間まで自由なので、ホテルの前の風景写真を数枚撮影しておきました。向かいは裁判所らしく威厳のある建物でした。シェラトン・ホテルの周辺は”危険エリア”と聞いていましたが、近くには古くとも見応えのある建物が幾つもある・・・。
07:10 バスに乗車。
07:18 出発。

移動(ホテル→リマ空港) :
バスが動き出すと添乗員さんが高山病対策の説明を始めました。現在いるリマからインカの古都クスコへ飛行機で行くと、海抜150mから海抜3360mまで短時間に上ることになる。酸素がかなり薄いので(富士山の8合目入口に相当らしい)、一時的な酸欠となるのです。息苦しさ、目眩、頭痛、吐き気、下痢などの症状が表れることがある。これが(急性)高山病。 対策としては、
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* 全て急がず、ゆっくりスローに、
* ゆっくり深呼吸を頻繁に、
* 水分を多く飲み、
* 怒らず、興奮せず、
* 紅茶やコカ茶が良いと云われ、
* 人によりガス(おなら)が出やすくなるが気にしない。
* 酷い症状なら連絡のこと、酸素吸入(10〜15分程度らしい)で治ることが多い。
* 等々。
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添乗員さんの出発前アドバイスに従いレモン飴を数種持ってきました。それ以外に粉末スポーツドリンクや頭痛薬などを用意したものの、多少の不安はありました。しかし発症の予測は出来ないとされる高山病です。クスコに行って様子をみる以外にありません。
実は定期的に血液検査を受けている。直近の結果によると、ヘモグロビンは正常範囲の内で十分に多く、酸素の運搬に問題はなさそうです。専門家はヘモグロビンと酸素の結合率を示す酸素飽和度SPO2(%)を重視するようですが、素人なので「ゆっくり動いて深呼吸を頻繁にすれば大丈夫」と思っていました。気圧など細かな議論はさておいて、空気中の酸素量の低下分を多く呼吸して補えばよい、という単純な発想です。

車窓を眺めていると、ホテル周辺やその後しばらくは立派な欧州風の建物や記念碑や大ロータリーがあったりした。外見上はペルーの首都だけのことはある、と思わざるを得ないのです。しかし・・・、いわゆる旧市街で急速に劣化が進行中、新市街と違って観光客の一人歩きは出来ない地域のようでした。
街では鉄格子で玄関や窓を厳重に固めた建物も多く、コンクリート塀の四隅に監視塔のある設備も時折目に止まり、全体的な印象は治安の悪さを漂わせるものでした。さらに街外れの空港近くでは、昨年の春に旅行したインドの街を思い出すありさま・・・。ペルーの太平洋側は砂漠地帯、埃っぽく乾燥しきった四角い家々の質素なたたずまいがそう思わせた。いろいろな理由で生産に目が向かず、貧しいままの面が多く残っているのでしょう・・・。

リマ空港(Jorge Chavez Lima-Callao International Airport) :
07:43 リマ市中心部から約16Kmほど北西に位置するリマ国際空港に到着。昨夜は国際便・到着フロアーだったが、今朝は国内便フロアーです。
07:47 LAN航空の搭乗手続き窓口に並ぶ。それなりの搭乗客が並びかなり待たされる。
08:20 全員の搭乗手続きが完了、我々はツアーで最後だった。次は搭乗ゲート行きですが、X線検査があり乗客以外は入れない。その手前で現地ガイドさんと別れました。
まず空港税を支払ったことをシステムに確認させ、それからX線検査に移動する。つまり空港税のバーコード付き領収書が搭乗客専用の入場券です。入口に設置されたバーコード・リーダーに読ませるのですが、入口の左右にあり、係りが右と左に乗客を振り分けている。ところが、バーコードを所定の位置に当てると「ビッ」ではなく、少々大げさにいうと「・・・・・、???、ピッ」という感触で通れるようになる。つられて人間のこちらもモタツイタ。 が、皆さん不慣れで同じようなものでした。
次は手荷物と身体のX線検査です。今回はブザーが鳴らずスンナリ通過できました。

08:30 この頃と思いますが、モールの中ほどで一旦解散になる。搭乗便のゲート番号がまだ分からなかった。トイレに寄ってから土産ショップに入って色々と見てみる。ペルーの民芸品(インカとプレ・インカ物)には未だ興味がわかない。アルパカのセーターは手にしたものがUS$79.00だった。しかし真冬用の厚手、ここに薄いセーターは無かった。適当に下見を済ませ、集合場所で時間まで待つことにする。
08:50 海外ツアーでは珍しいのですが、添乗員さんがペルーの旗を掲げて集合場所の目印にしている。やはり、ポツポツ集まってきた。この頃になるとメンバーは互いに馴染み、会話をしながら時間待ちとなっていた。
09:00 搭乗口は4番となった。そこに移動して待つ。喉を潤すため、ミネラルウォーターに粉末スポーツドリンクを混ぜて飲んだ。
09:30 搭乗開始。記憶がはっきりしませんが、確かバスで搭乗機に行ったはず・・・。
09:45 LAN航空クスコ便の機材は A320、座席配列は 3-3、我々は離れた席だったが乗客で融通し合いワイフの隣になった。
09:47 出発。 リマ空港

移動(リマ→クスコ)・クスコ空港(Cusco Airport):
昨夜の到着時には暗くて気付かなかったが、リマ空港は民間と軍が共同で使用している。ターミナルから滑走路の端までタクシーアウト中、軍用のヘリコプターや輸送機などが数多く駐機していた。外に並ぶものに最新型はなさそうで、ロートルで引退したと思わしき機種すらチラホラ、使えなくなったとして棄てられた印象を受けるものすらあった。
離陸すると暫くは海岸上を飛んだが、しばらく後には雲で下界が見えなくなる。
10:20 ブランチであろうか、ハムチーズ・サンドイッチ、菓子、ジュースのサービスがあった。サンドイッチは食べずに後で返した。腹7分程度が高山病対策とされるようで・・・。
10:30 トレーを集めに来る。
10:45 クスコ市街の上空となる。天候は曇だった。 飛行(リマ→クスコ)

クスコ空港(Cusco Airport):
10:55 クスコのベラスコ・アステテ空港(Velazco Astete/標高3360m)に到着。中心部まで10分で行ける便利な空港らしい。
11:00 空港1階のターンテーブルでスーツケースを待つ。窓際でインカ民族衣装の5人がフォークロア(folklore)音楽の演奏をしている。男性4人はトレードマークの丸いハットを被っていたが、女性は平たい珍しいものを頭にのせている。このグループのCDを US$10.00 で売っていた。写真を撮ったら何がしを置いて欲しいらしく、「チップ」と書いたザルもある。確かS/.1,00のコインを入れたと思いますが、メモ忘れで別の場所と勘違いしているかもしれません。 ベラスコ・アステテ空港
このバンドの人達の顔付きは欧米系ともインカ系とも割り切れないようなものでした。恐らくは幾百年の間に交じり合った中間的な人達なのでしょう。インカの末裔を意識する当地の人達は今尚スペイン文化への同化に抵抗を感ずるらしく、言葉も祖先伝来のケチュア語を使用しているそうです。

移動(クスコ空港→ホテル):
11:15 空港からターミナル前の駐車場に行く。我々の乗る中型バスはそこで待っていた。現地ガイドさんを含めて22名が乗車すると空き席はない。そんなサイズのバスだった。スーツケースはここまでポーターが台車で運んでくれた。しかしバスの床下にトランクはなく、重いスーツケースを数名がリレーで屋根に積み重ねた。
11:25 出発。
現地ガイドさんは日本人男性で、若い頃は世界漫遊の旅を楽しんでいたらしい。ここクスコに辿りついたら、当地の日本人女性に”捕まった”。漫遊の旅は終焉を迎え、その後はクスコに定住しているそうです。今年初めに1ヵ月帰国したとか・・・。
11:35 ホテルに到着。街中でも交通量は少ない静かな角にある。向かいはコンビニ風の商店だった。

ホセ・アントニオ・ホテル(Hotel Hose Antonio Cusco) :
このホテルは中規模だが中庭もあり全般的に快適でした。「当社の分類ではスタンダード・クラスでも、つい最近までスーペリア・クラスだった。料金以外に格下げになった理由が分からない」 と旅行会社の人から聞いていました。実際に来てみると納得できます。

CD Case
以下はCDから借用:クリックで拡大。
CD Inca's Traditional Musical Instruments
インカの民族楽器と名称
CD Contents with Signatures of the Musicians
CDの曲目と楽団メンバーのサイン
昼食(ホテル):  部屋割りを待つことなく、ロビーの左奥にあるレストランに入る。テーブルは団体用にセットされていた。
直ぐコカ茶が回ってきた。思っていた程に飲み辛いこともなく、高山病予防に良いとされるので昼食中に3杯も飲んだ。さらにコカの葉を入れたザルが回ってきたので数枚をとる。これはチューインガムのように良く噛んで味合う(?)ものらしい。
昼食はコンソメ・スープ、パン、パスタ、ケーキだった。量的には少なめに思えるが、これで丁度よいらしい。味は十分でした。

最初のコカ茶が注がれたころ、フォークロア音楽のバンド4人がきました。女性1人、男性3人の楽団です。無帽に黒い服、それに民族模様の肩掛けをまとっての演奏でした。最初はギター、チャランゴ(ウクレレより大きいギター風の楽器)、小型の縦笛、ドラムで演奏だった。それから大きな縦笛を使ったり、チリ(Chili)からトヨ(Toyo)までの組み笛を次々に代えての演奏だった。楽器の名も使う度に説明したがその時は全く頭に残らなかった・・・。
演奏する曲目では有名な「コンドルは飛んで行く」だけは分かりました。でも、それ以外の曲は知りません。フォークロアやインカの音楽について少し下調べするべきでした。
デザートも食べ終わったころ、CDの販売が始まった。このグループもCD1枚がUS$10.00。購入するとケースの説明書に日付と都市名とグループ4名のサインを記入してくれる。インカの民族音楽は穏やかにして賑やか、素朴ながら楽しめたのです。1枚買ってあげました。約1200円だから、特に高い記念品でもないでしょう。女性が販売担当でしたが、代金の10ドル紙幣を渡したときはニコッと目が輝きましたネ。
家で聴いてもインカの民族音楽は楽しめます。説明書をよく見ると、サインした楽団メンバーの氏名は活字で印刷もされている。説明文は何故かドイツ語でした・・・。 昼食(ホテル)民族音楽

ホテルの部屋で休息:  12:30 レストランにて添乗員さんから部屋割りが発表になった。我々は408号室だった。
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* 添乗員の部屋番は232号室。
用事の場合はこの部屋番の前に”1”を付けてダイアルする。つまり、内線番号1232。
* 水洗トイレは詰まり易い。紙は流さず備え付けのビニール袋(バケツ)に捨てること。
* NHKテレビは55チャネルで見れる。
* 各部屋のセーフティボックスは鍵をフロントから借りて使用する。
* ホテル前の土産屋は過去に多少のトラブルがあった。
* 暗くなってからの外出は禁止。
* これから各自の部屋で休み、13:30 にロビーで集合のこと。
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* 明日の予定: 朝6時にマチュピチュ行きの列車が出発。
* 4:30 モーニングコール/5:00 朝食/5:30 ホテル出発。
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12:40 エレベーターを使用して自室に行く。スーツケースは運び込んであった。窓から市街が良く見える。クスコは盆地、ホテル近くの小高い山々の上まで家並みが続いていた。直ぐ近くには駅があるらしく、眼下の列車止まりに客車や貨物車が停車しています。風景や部屋の写真をとり、その後は休みました。
この時点では我々に高山病の症状は何もありません。今晩を乗り切れば大丈夫と思います。全てゆっくり、スロー、スロー。
しかし、問題もあった。昼食時にコカ茶を3杯も飲み、コカの葉を何枚もかじりました。周りから判断すると、特に多かった訳ではない、と思います。ところが、コカ茶とコカの葉の利尿作用は私には強烈でした。夜までほぼ1時間毎のトイレ行き、尿が大量に出るのです。驚きました。結局、コカ茶にはワイフ・ストップがかかりました。
13:15 この頃に部屋を出ました。待ち時間は中庭などの写真を撮って過ごした。

クスコ市郊外の遺跡と市内観光:
13:25 バスに乗車。
土産品の物売りが寄って来ましたが、手を出す人はいません。バスは出発し、クスコの中心部を走り抜けました。インカ帝国の首都だった地にスペインが各種の建物を造営した遺跡の街、中型バスが適当な狭い道が多いようです。直ぐに市外に出ました。

サクサイワマン城砦:  13:37 サクサイワマン遺跡(Saqsaywaman)は入場料が必要らしくバスは料金所で止まりました。車窓の近くにペルー国花のカンツータ(Kantuta)が咲いていた。赤いツリガネ状の花です。
13:40 料金所の直ぐ先の遺跡入口部に到着です。ここはクスコ市街よりさらに高所となり、ゆっくりと歩かねばなりません。
サクサイワマン城砦は毎年6月24日(冬至)に行われるインカの儀式インティライミ(Inti Raimi/太陽の祭り)で知られます。これはスペインの植民地時代から長らく中断されていたが、1944年に再開されたようです。文字を持たなかったインカの人達が長年の間その儀式の様式を口承で伝えていたことは驚くべきことです・・・。
その時を除き、ジクザクに作られた3段の石垣が続く静かな遺跡です。その入口で降車、バスは反対側(出口)まで先に行って待っている。我々は大小の切石を”精密に”とも云える方法で積み上げた石垣に沿って草地を歩いたのです。今日と明日の2日間、鉄を知らなかったインカ文明の不思議な組石技術の見事さをたっぷりと味わいましたが、ここが手始めでした。ゆっくりと深呼吸をしながらの散歩です。
4月はペルーの秋、ハンゴンソウの一種と思われる少し赤みを帯びた黄色い花が沢山咲いていました。遺跡の終わり近くではアヤメに似る花の群落もあった。その先ではインカの5〜6人の女性や子供が伝統衣装を着て写真のモデルをしている。一緒に撮影してモデル料US$1.00を上げました。 クスコ市郊外の遺跡
14:00 バスの待つ遺跡の終わりにつく。少し離れたトイレに行く。
14:05 バス出発。

map-cusco-2

タンボマチャイ沐浴場:  14:25 タンボマチャイ沐浴場(Tambomachay/Tambo de la Caverna)の駐車場に到着。ここから先は徒歩で坂道を登るのです。
左側は草地や畑らしき傾斜地だったが、そのうちに高い石垣になる。先はカーブで見えないが、目的の遺跡は未だ遠いようだった。ゆっくりした歩調でマイペースで登った。
登り道が左にカーブする辺りで後を振り返った。遠くの丘の上に大きな遺跡が見える。インカ時代には「聖なる谷」の関所だったとされるプカプカラ遺跡(Pukapukara)だった。少し赤みを帯びた石で作られているように思えた。
14:35 タンボマチャイ沐浴場に到着。左側の傾斜地に石垣が4段ていど作られている。最上部の石垣には、大人が立って入れる大きさに思えるが、インカ独特の台形の窪みが幾つも作られていた。その右には階段も2ヶ所に設けられ、やはり大人が入れる台形の窪みもある。何かの祭事か神事に用いられたらしい。2段目の石垣には1条の小滝が、最下部(1段目)の石垣には2条の小滝が流れ落ちている。この水を浴びて体を清めたのであろうか・・・。ロープが張られ、流れ落ちる水に触れることは出来なかった。
いろいろな人達が書いているが、「水源が未だ分からない」らしい。乾期、雨期にかかわらず水量が一定しているとも云います。しかしこの遺跡の前には小川があり、草地が多いとしても木々が生える山地です。古代インカの人々は何処か適当な水源から地下水路で水を引いたのでしょう。
ここの標高は3700m以上あり今日の最高地点になるそうです。おおよそ富士山頂の高さとか。高山病がとても気になります。が、我々の場合には自覚症状はありません。
下り道は楽。しかし、ゆっくり歩いてバスまで戻りました。途中の斜面では現地の男達がスキのような道具で土を耕していた。日本人の目からは随分と荒い耕し方にも思えますが、何にするのかは分かりません。実は、写真を撮ってよいかどうか、迷いました。現地ガイドさんは「大丈夫です。」 それで一枚撮っておきました。 タンボマチャイ沐浴場
注:タンボマチャイの遺跡はインカの宿場町だったという説もあります。
15:00 この頃に出発。これから市街地に戻る。
15:07 途中の峠の展望台で停車してくれた。そこからクスコを見下ろしたのですが、雨雲がかかり暗くてよく見えません。 その後、クスコ市内に戻る途中で土砂降りの雨になりました。

サント・ドミンゴ教会:  15:20 サント・ドミンゴ教会の前に到着、下車。通常ならここまでバスは入らないらしいが大雨なので運んでくれたのです。傘をさして正面入口に行きました。つい急ぎ足になったが、本来なら用心すべきでしょう。正面の小広場は雨のためか観光客で大賑わいでした。
ここはインカ時代の宮殿跡でもあり、各種の石造りの壁が修復されたり保存されたりしている。同時にスペイン人が建設したカトリック教会でもあるのです。教会内部の宗教的な施設は撮影禁止でした。インカ時代の遺跡は撮影OKです。
話は飛びますが、スペインはコルドバに風変わりなカトリックの大聖堂がある。本来はイスラム教の巨大なモスクでメスキータという。イスラム建築様式を多く残す建物で、特に紅白の縞模様で良く知られている。その建物の中心部に設けられたカトリックの大聖堂は何ともミスマッチの感じがしたものです。もう1つ。スペインはグラナダにイスラム勢力の最後の砦となったアルハンブラ宮殿がある。繊細なイスラム建築と装飾であまねく知られ、現在では世界遺産になっている。16世紀のこと、スペインはアルハンブラ宮殿の中心部にルネッサンス様式による正方形のカルロス五世宮殿を建てた。これもアルハンブラ宮殿の全体的な雰囲気にはミスマッチといえましょう。
ところが、ここサント・ドミンゴ教会はインカの王宮跡とされながらインカの痕跡はミスマッチどころか消滅直前の極く一角のみでした。1533年にF. ピサロがインカ帝国を征服した後に神殿等々の金・銀・財宝を略奪し本国スペインに送った、とされています。その為か、大部分はスペイン人の手によるヨーロッパ建築なのです。しかし今日ではインカ帝国の遺構は大切に保存されています。インカ建築の特色である精密な切石の組合せ、そして台形の入口や窓や壁の窪み(Niche、壁ガン)はドミンゴ教会の一角でつぶさに見ることができるのです。通路入口は壁面の石とは別の積石で作るが、時には壁面の石と台形を作る積石が同じものだったりする。よくも巨石の凹凸を正確に加工したものです。また、積石の小さな隙間を埋める石が実に正確に作られていたりする。鉄の道具を用いずに、どのようにしてこんな精密度で岩を削ることが出来たのでしょう。「石造建築技術の発達は目ざましく、一分のすき間もない切石積みのみごとさは他に例をみない(Ref.04)」という表現すらあるのです。

その後、しばし中庭からサント・ドミンゴ教会のドームを眺めたり、小高い場所なので外にでて街の様子を観たりでした。雨はやっと止む直前の小降りとなりました。 サント・ドミンゴ教会
16:05 参観は終了、出発。

map-cusco-1

12角石:  サント・ドミンゴ教会からそれ程は遠くない場所、現アルマス広場と東門を結ぶらしい細くて古い道路にはインカ時代の狭い石畳と石壁が残っている。
16:15 その石壁の中ほどに有名な12角石という切石があり、そこまでゆっくり歩きました。
16:20 人通りがあり、12角石をバックに観光客が次々に記念写真を撮るのでなかなかシャッターチャンスがない。結局はグループの最後になり、数人の通行人が待ってくれたのでやっと12角石の写真が撮れました。 12角石
通常の観光で見れる角数の多い巨石はこの12角石です。しかし石垣作りが得意技のインカ文明のこと、12角以上の角数をもつ組石も別の遺跡にあるようです。

注: 最初のサクサイワマン城砦でも石垣の写真を数多く撮影しました。帰国後にみたら、なんと巨大な”12角石”があった。2つの角は180度近くでも、間違いなく12角石なのです。しかし城壁の為か風化の為か、周辺の石との接合部がここの12角石より雑な感じはします。その石はサクサイワマンの写真ページでご覧ください。

ここからアルマス広場は近くです。来た道を戻り、カテドラルのある広場に徒歩で向かいました。

カテドラルとアルマス広場:  16:24 カテドラルの横に着いた。 ここから幾つかの由緒ある教会などが見えるが、大聖堂そのものは近すぎて写真も撮れません。広場を一周できると良かったのですが、あまり歩くと体力の消耗となり高山病にかかり易くなる。しばらく大聖堂前で街を眺めて過ごしました。残念ながら、大聖堂の写真はありません。

16:35 この頃バスに乗車したはず、直ぐ出発でした。土産屋に寄る予定はなかったが、現地ガイドさんの奥さんが店を出しているので寄ることになったのです。

Alpaca Scarf
Handmade Dolls
日本人経営の土産店:  16:41 バスを下車。表通りから入る石畳の坂道を少し登り、横切って古い建物に囲まれる中庭に入った。その左側の並びの中央部に目的の店がありました。
16:44 土産店に着く。この店は現地ガイドさんの奥様と息子さんが店番でした。
日本人の旅行客が買いそうなペルーの民芸品も色々と並べていたし、アルパカのセーター類も多かった。ワイフは荒い目のアルパカのスカーフを気軽なペルー土産として幾つか買っていました。色彩や模様はインカ調になるのでしょう。頼んでスカーフの数だけ袋と小型のパンフレットを付けてもらいました。珍しいし素朴な感じなので女性は案外よろこぶ種類なのかも知れません。他の人達も適当なものを購入していたようです。
最後に奥様の気遣いで、ペルーの手作り・超ミニ人形(右の写真)のセットを記念品としてプレゼントしてくれました。あまりにも小型なので「良く作ったナ」と感心します。
実は、お店の名前も住所も不明なのです。クスコの中心部にあるのですが・・・。
17:20 この頃に店を後にして表通りのバスに戻った、はずです。 日本人経営の土産店

ホテル(クスコ泊/ホセ・アントニオ・ホテル):
18:00 この時刻にはもう自室にいたはずです。記録がなく詳細は忘れました。
18:20 部屋を出てロビーに降りた。

夕食:  18:30 昼食と同じレストランに行く。
夕食のメニューは、カボチャ・スープ、パン、ビーフシチュー・ライス・フレンチフライ、デザートでした。不思議に食べ易い味なのです。しかし我慢して少し残すようにした。
実はメンバーが1名少なかった。高山病にかかり、部屋でホテルの人から酸素吸入をしてもらったそうです。酸素を吸うと直ぐ元のように元気になるようですが・・・。
19:20 自室に戻った。
すぐデジカメの予備バッテリーの充電を開始する。イグアスのホテルで洗濯したTシャツはまだ乾かしていない。明日はマチュピチュ行き。下着代わりに着るのでビニール袋から出してハンガーにつるした。
20:20 騒ぐ程ではないが、体が少しクラクラするというか、又はフワァーとした感じというか、普段と違うように思える。そして極く軽い頭痛がするような気もした。念のため寝る前に痛み止めを服用しておきました。
明朝も早いので、その後に就寝です。

このホセ・アントニオ・ホテルは2連泊ですが、全てのホテル関連の写真はここの写真ページにまとめました。 PHOTO

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