旅行記|南米3ヵ国、周遊の旅11日間 ( 6日目/2006年4月17日・月曜 )
マチュピチュ遺跡、クスコから列車で往復
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ホテル出発まで:
04:00 目覚め。昨夜は早く横になったが、薬のお陰で熟睡できました。特に体調に異常はなく、どうやらクスコでの高山病は大丈夫だったようです。
ワイフは未明に頭痛で目覚め、痛み止めを服用したという。その後は眠れ、朝には頭痛も治まっていた。結果論ですが、その後は一度も高山病の症状らしき変調が無かったので、極く軽い高山病で済んだと云えるでしょう。

今日の衣類は通常と違う。高所の盆地にあるクスコの朝は涼しすぎる。ところが移動中に徐々に気温が上がり、好天気ならマチュピチュは恐らく暑い。
まず昨夜干したTシャツ、そしてカラーシャツ、セーター、ジャンパーの4枚を着た。朝のホテルやバス、駅、列車内ではこれで良かったが、適当に1枚づつ脱ぎ、マチュピチュではTシャツ1枚になった。帰路はその逆で、1枚づつ重ね着をしたのです。夜のクスコはやはり気温が下がっていました。

05:00 2連泊なのでスーツケースは部屋に置いたままで良いが、私物は全て入れて鍵をかけた。部屋から1階のレストランに行く。朝食は少なめに、パン2種、卵焼き、果物2種、コーヒー2杯でした。朝のコーヒーは生きがいの1つ、とても美味しく感じられてよかったです。
05:25 ロビーで集合を待つ。

移動(ホテル→鉄道の駅):
05:30 バスに乗車、出発。
05:40 鉄道の駅に到着。マチュピチュ行きの列車はサン・ペドロ駅からです。

列車移動(サン・ペドロ駅→アグアス・カリエンテス駅):
我々が利用するペルー・オリエント急行(Peru Orient Express)のビスタドーム(Vistadome)はクスコとアグアス・カリエンテスを1日1往復します。2005年の料金は付加価値税(VAT)込みの往復で US$101 です。往路は出発が朝6時で到着が9時36分(3時間36分)、帰路は出発が午後3時30分で到着が7時25分(3時間55分)。アグアス・カリエンテスはクスコより標高が約1400mも低く、しかもクスコ近くで峠越えがあり、列車は往路より帰路に時間がかかるのです。座席指定で、我々は車両Cの47番と48番でした。進行方向の右側でしたが、左側が良いという意見もあるようです。
ビスタドームの後に比較的安い往復料金のバックパッカー(Backpacker、US$65.00、2005)があるようでした。(参考:ペルー・オリエント急行のサイト[英語])
目的地まで約114Kmらしく、単純に計算すると平均時速が約33Kmの列車の旅です。もちろんマチュピチュ遺跡は素晴らしいのですが、この列車の旅も単なる移動を遥かに超える観光的に優れたものと思います。アマゾンの上流ウルバンバ川沿いの風景は変化に富み、かつてインカの人々が「聖なる谷」と呼んだ渓谷です。自然もさることながら、インカの遺跡も幾つか遠望できるのです。ただし動く列車からの写真撮影は難しく、良い結果のものは極く僅かでした・・・。

06:00 出発。 クスコ市街地は盆地の底に広がっている。トンネルが無いので列車はまず山越えです。現地で ”ジグザグ(the zig zag)” と呼ばれる数回のスィッチバックを繰り返します。 当初は市街地を走りますが、段々と日干し煉瓦の家が多くなり、それも次第に疎らになってクスコから離れました。 スィッチバックのメモした時刻は誤差含みと思いますが、
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06:0? 停車、後進、
06:07 停車、前進、曇の切れ目が明るくクスコ市街が神秘的に見える。
06:12 停車、後進、
06:17 停車、前進、この後3〜4分でクスコの街は全く見えなくなった。
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この辺りの日干し煉瓦はブロックが大きく濃い赤茶色でした。今でこそ農村部でも赤っぽい瓦屋根が多いが、インカの時代にはトウモロコシの幹と葉を藁葺き屋根のように積んだようです。その伝統的な屋根をもつ古びた小屋や家屋も時には見かけましたが住居かどうか・・・。瓦屋根の峰の中ほどに焼物の置物が置いてあるものも多い。魔除けの一種らしく、人によっては「沖縄のシーザーみたいなもの」と表現しています。畑も散見されるが、木々もそこそこ多い。オーストラリアから持ち込まれたユーカリの木が増えているそうです。クスコを囲む峠を越えると、列車は曲がりながら下り続ける。遠くには雪を擁いたアンデスの山並みが見え始めました。

06:45 ポロイ(Poroy)駅に到着。車窓から停車中のペルー・オリエント急行の最高級列車ハイラム・ビンガム(Hiram Bingham)が見えた。この列車にはマチュピチュ遺跡を1911年に発見した米イェール大学・考古学教授ハイラム・ビンガムの名が冠せられている。往復料金(2005年)は US$475.00/1人 。為替レートを\120/$として、57000円もするのです。この列車ハイラム・ビンガムがクスコとマチュピチュ間を走り始める前は我々が乗っている列車ビスタドームが最高級列車だったそうです。
06:55 低い山々がうねる農村風景の中に突然ビール工場が現れた。正直云って蒸気を大量発生させる工場は自然の景観にミスマッチと思いましたが、恐らく原料生産地に立地すると経済性が良いのでしょう。
07:00 この頃に朝食の車内サービスがありました。
ハム・チーズ・サンドイッチ、フルーツ・ミックス、エクレア風スィート、コーヒーだった。
07:23 朝食用トレーを下げた。
朝食中、車窓の外にトウモロコシ畑が点々とあった。種類が色々あるようで、幹が赤黒いものは立派な実を付けている。普通のコーンでも穂が現在開花中らしきものや既に枯れたものなど様々だった。インカの主食の1つだったので、今でも用途により作付けを分けているのでしょう。耕作地を過ぎ、列車は谷間を走り始めた。

07:35 急峻といえる谷間で列車は1度だけスイッチバックした。ここの川辺には白い穂を立ち上げたススキのような植物が多く自生している。欧州の庭園で見かけるパンパスグラス(アルゼンチン/南ブラジル原産、[Ref.08,p.993])の一種のようです。

08:10 オリャンタイタンボ駅(Ollantaytambo)に到着。列車を利用するマチュピチュ遺跡のトレッキング・ツアー(例えば、3泊4日・人数制限あり・要ガイド)はここで列車から下車してバスに乗換え、実際のトレッキング出発点である42Km地点なる停車場(無人駅?)まで行くようです。インカ・トレッキング関連の記述では42Km(Km42)等の表現に出会いますが、クスコのサン・ペドロ駅からの距離とされます。南米で最も良く知られるトレッキング・コースとされ、日本人と思しきトレッキング・スタイルの人もオリャンタイタンボ駅にいましたネ。

追記: パック旅行には関係ないインカ道トレッキングですが、”Machu Picchu, Without Roughing It”、New York Times、2007.08.16 によると、日に500人という人数制限があり、ペルー政府のトレッキング許可証が必要です。許可証の購入にはパスポート番号と氏名が必要ですが、ガイドと共に手配は現地旅行会社です。なお、同記事によると、最近はインカ道の3ロッジとアグアス・カリエンテスのホテルの利用でキャンプせずにトレッキングを楽しむこともできるようです。(2007.08.16 追記)

この駅でペルー特産の大粒のトウモロコシを茹でて売っていた。ツアーの女性メンバーが1本買い、全員に試食させてくれました。見た目は大きくゴツイ感じですが、柔らかいものでした。素朴なトウモロコシで珍しいものですが、美味しくて感激する???、程ではなかったと思います。でもコーンの味そのもの、必要なら主食とするに十分でしょう。

08:25 遠方に雪を擁いたアンデスの山々が見え始める。この辺りはウルバンバ山系と云う。一際めだつ尖った山がベロニカ山(約5700m)なる名山らしかった。しばらくはこの山が左に右に見えていた。
大河アマゾンはペルーのイトキス近くでクラライ川とウカヤリ川の大支流に分かれる。列車が下流に向かって走るウルバンバ川(Urubamba River)はウカヤリ川の上流にあるのです。アンデス山脈の硬い岩盤を侵食し続ける谷底の川は急流が多いようでした。

08:35 オリャンタイタンボ駅から42Km地点に行きマチュピチュ・トレッキングを開始した場合、ヤクタパタ遺跡近くが1泊目の場所の1つのようです。キャンプをしたり、鉄道沿いの長屋の宿泊施設を利用するらしい。そこを過ぎるとインカ・トレッキングで利用する歩行者専用の吊橋があった。鉄製なので比較的新しいものでしょう。
高度が下がり、車窓から見る植物もかなり変わってきた。大きく立上り枝分かれしたサボテンや木に着生した大型シダのタニワタリもみごとなものです。南米にはアナナスという植物があり、一部の品種は園芸用として日本でも愛好家が栽培しています。しかし全体では1500種もあり、特にブラジルに種類が多く、木や岩に着生する種類もあるとされる[Ref.08,pp.1115-1117]。このアナナスの一種と思しき植物が地表や岩壁で大きな葉をロゼット状に広げ、中には花茎が伸びて蕾が見えるものもあった。完全に熱帯の雰囲気です。

09:05 単線なのですれ違いのための停車。
09:20 ウルバンバ川の対岸に大きなインカの遺跡が見える。列車から見ると巨大な石垣だが、インカ文明特有の段々畑でしょう。その下流には小型のダムも作られていた。ダムというより、大規模な取水口かも知れません。
09:35 約3時間半の列車の旅は終わり、アグアス・カリエンタス駅に到着。前記しましたが、ここの標高(約2000m)はクスコよりも低く、高山病の心配はありません。帰路はクスコ(約3400m)まで登るので時間的に往路より長く約4時間弱かかる。
この列車はここが終点で、午後まで停車して我々の帰りを待つのです。プラットホーム、駅舎、駅構内など観光地の設備らしく整っている印象でした。 列車(サン・ペドロ駅→アグアス・カリエンテス駅)

アグアス・カリエンテス(マチュピチュ町):
下車後は直ぐに駅舎を出ましたが、添乗員さんから夕食の料理に関し希望調査があった。前もってレストラン側に伝えるためです。料理は(1)アルパカのステーキ、(2)チキン・カツ、(3)ペルー風焼きウドン、(4)魚料理、の4種でした。添乗員さんは「魚料理は奨められない」としていました。私はアルパカのステーキ、ワイフはペルー風焼きウドンにした。「アルパカのステーキ」を希望する人が最も多く、他の2つは同じ程度のようでした。さて、クイズですが、日本で味わえない料理はどれでしょう?
ここから周囲の山々を見上げると驚くほど垂直に近い岩壁が立ち上がっている。その岩壁には少し黄みを帯びたアナナス(?)らしき植物がびっしりと着生しているのが珍しく思えた。
アグアス・カリエンテス(Aguas Calientes)は山間の温泉町の雰囲気も感じられますが、実際に温泉(鉱泉?)があるのです。しかし日本人が連想しがちな温泉ホテルはなく、有料の共同温泉場が街外れにある程度らしい。またホテルといってもここは Hostel が多く、鉄道以外に交通の便もありません。マチュピチュ観光の基地はそんな町でした。現在の人口は3000〜4000人程度のようです。

標高の問題: 日本のサイトではアグアス・カリエンテスの標高を海抜2000mとするものが多い。アグアス・カリエンテスとマチュピチュ遺跡の比高(高度差)は約400m、マチュピチュ遺跡の奥にそびえるワイナビチュ(若い山)は海抜が約2600m、これらは多くのウェブ・サイトで一致しているようです。しかし肝心のマチュピチュ遺跡の標高は海抜2280m〜2500mの範囲でマチマチと云えるのです。例えば、「ペルー観光情報サイト(政府系)」は2280mですし、旅行会社のパンフレット [Ref.02,p.10] では2460mとなっている。マチュピチュ遺跡での基準点が異なるので標高も違ってくると考えますが、記述上は不便この上もありません。世界的に人気のある世界遺産の標高に統一性がなくバラバラとは驚きです。当旅行記では乱暴ながら理屈抜きで 「(約)2400m」 と表現します。マチュピチュ遺跡はマチュピチュ(古い山)とワイナビチュ(若い山/Wayna Picchu)の鞍部にありますが、ワイナビチュの登山は遺跡から片道40〜60分とされるので通常の人達が比高・約200mの急峻な岩山を登る時間として無理がありません。多くのサイトをチェックしましたが、マチュピチュ(古い山)の標高に触れたサイトは見つかりません。(2006/5/28現在)
追記: あるTV番組の情報ですが、マチュピチュ(古い山)の標高は3050mとされていました。ワイナビチュと違い、登山するような山ではありません。(2007.03.08 加筆)

高山病の問題: クスコからアグアス・カリエンテスまで約1400mも下ったことになる。ここから約400m高い海抜2400mのマチュピチュに登っても高山病の心配はあまりない。しかし我々は今日中に峠越えをしてクスコに戻るので高山病にかかるリスクが大きいらしいのです。添乗員さんから気を付けるように注意を促されました。あくまで結果論ながら、クスコに戻った後に高山病にかかった人はいませんでした。

駅を出ると直ぐに数多くの土産屋が固まったマーケットがある。その中を通り抜け、太鼓橋のような鉄橋を渡たり、川沿いの坂道を少し下った。道沿いに中型バス5〜6台が縦列駐車、先頭のバスまで行って乗車です。どのような団体や個人であれマチュピチュ登山には乗合バスを利用します。嫌なら自分の足を頼る以外にありません。 アグアス・カリエンテス

乗合バス(→マチュピチュ遺跡):
09:45 この頃、バスに乗車。すぐに満員となり出発です。しばしウルバンバ川に沿った道を走り、有名な九十九折の坂道(未舗装)を登りはじめた。この九十九折は天空の遺跡からも良く見え、マチュピチュ遺跡の発見者 Hiram Bingham からハイラム・ビンガム・ロードと呼ばれることもある。バスはどんどん高度を稼ぎ、急峻なウルバンバ峡谷の岩壁や底部が良く見えるようになりました。揺れとカーブと樹木で写真は全くダメでした。序ながら、アグアス・カリエンテスとマチュピチュ遺跡は約8Kmの道程のようです。

マチュピチュ遺跡の入口に到着:
10:04 マチュピチュ遺跡の入口にあるホテル前に到着。このホテルはサンクチュアリ・ロッジ(Sanctuary Lodge)といい、マチュピチュ遺跡では唯一の宿泊施設です。さほど大きくはない2階建てだが、中央にエントランス、右はレストラン、2階が宿泊用のようです。後日のオンライン調査では29室と2つのスィートがある。希少価値から宿泊料金は超高級ホテル並みで US$605〜$1,045 + 19% tax と表示されていた。ペルー滞在60日以内の旅行者はパスポートの提示で免税制度が適用されます[ホテル・サイトの情報(2006/5/31)]。シーズン中の予約はなかなか難しいようです。アグアス・カリエンテスのホテル/ホステルに宿泊し乗合バスで遺跡の往復をするのが一般的なのです。
ビュッフェ・レストラン(定員200名)は一般に公開されている。今日のランチはこのホテルの予定です。

マチュピチュ遺跡の見学を始める前に、まず遺跡入口の下になる施設で不要な手荷物を預けました。我々もジャンパーやセーターなどの衣類2人分を袋に入れて預けて身軽になりました。一時預り所は US$4.00/1人 と表示しているが、添乗員さんがメンバー数名分をまとめて大きい袋に入れ個数を減らして預けたのです。後で1ドルづつ集めたようでした。アバウトな集金らしいのですが、料金が大幅に安くなったことは間違いありません。
遠方の山並みには白雲がありましたが、ここは晴天そのものです。太陽光が眩しいのでサングラスをした。
さて、失敗談です。マチュピチュ遺跡は帽子とTシャツ1枚にジーンズ姿でしたが、顔と腕を太陽光に曝してしまった。予想以上に紫外線が強くて酷い日焼け、特に両腕がすごく焼けました。帰国後に水泡が沢山出来て一皮むけてしまった。日が過ぎたら元に戻ったが、凄いマチュピチュ焼けの経験でした。暑くとも長袖を着るか、しっかりと日焼け止めクリームを塗っておくべきでした。
ついでながら、マチュピチュ遺跡の見学ルートにはトイレがない。数時間はかかるので、遺跡に入る前に必ず済ませること。 マチュピチュ遺跡の入口
世界遺産(複合) マチュピチュ遺跡
Machu Picchu

マチュピチュの歴史保護区(Historic Sanctuary of MACHU PICCHU)は比較的早く 1983年12月9日にユネスコの世界遺産に登録されました。 マチュピチュとワイナビチュに挟まれた鞍部に広がるマチュピチュ遺跡は標高が約2400mで総面積は5平方kmとされる。その半分は斜面に石垣を築いた段々畑であり、西の市街区には神殿群、宮殿、住居域、墓地、等々がある。石造りの建物の他に道路や水路も作られた計画都市とされる。畑の総面積などから最大750名の自給生活が可能、という推測もある。天空の都市マチュピチュの周囲は北、東、西は急峻な崖、インカ街道のある南は城壁で固められている。マチュピチュはインカ街道で首都クスコや他の主要都市と結ばれていた。しかし3方を囲むように蛇行するウルバンバ川沿いからは全く見えず、16世紀のスペインによるインカ帝国侵攻後も発見されることなく放置されたまま20世紀に至った。イェール大学のアメリカ人考古学者ハイラム・ビンガム(Hiram Bingham)が1911年に発見したとされ、世界にその存在が知られることとなった。この遺跡に関する詳細は現在でも不明とされる。今日ではペルー有数の観光地となり、世界の観光地ランキングでも上位にある。
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英語では「 Ruins / Sanctuary of the Machu Picchu Inca citadel 」のように Citadel を用いて表記されることも多い。英和辞書によると、Citadel は「城」の他に「最後のよりどころ」の意味があるようで、マチュピチュ遺跡の性格を暗に言い当てているのかも知れません。
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Ref.04の項目「マチュ・ピチュ」や各種ウェブサイトの情報から文章を作成しました。

マチュピチュ遺跡の観光:
10:16 いよいよ遺跡見学です。まず入口で入場券を見せてターンスタイル(Turnstile)を通り抜ける。その後はインカ風(?)の石畳や石段の坂道をゆっくりと登る。木があり広い風景は見えたり見えなかったりでした。しばらく登ると周囲が明るくなり、屋根が復元された幾つかの小屋などマチュピチュ遺跡の一部や渓谷が見えるようになった。さらに登ると段々畑(アンディネス)の上部になる。さらに歩くと「インカ橋」に行く道らしいが、現地ガイドさんに従って左側の段々畑の1つに入った。高い所ですが、現在は農地ならず草地です。通常のツアーはここまで登らないようです。
10:30 深呼吸をして、マチュピチュ(山)の中腹からの展望を眺めました。

絶景! 遠くには青空と白雲たなびく山々、その手前は深く豊かな森林に覆われた渓谷、谷底に落ち込む急峻な崖、岩壁を侵食し大きく蛇行するウルバンバ川、その上の天空の都市マチュピチュ遺跡と鋭く背後にそびえるワイナピチュ、自分が今見ていることが信じられない素晴らしいパノラマでした。一体全体、それ以上の何が云えましょう?
もし考古学者なら、目前に広がる感動のパノラマに加えて、インカ帝国の人々がこの天空都市でどんな営みをしたか想像を逞しくし不思議な文明のロマンに思いを寄せることでしょう。それだけで何日もここで過ごせることと思います。
筆者は俗人の極み、この場所に桜を1本植えたいと思います。春には、日本の銘酒と料理を持ち込み、超豪華・花見ツアーを売りに出す。期間限定1週間、価格は1人300万円、募集人員は日に20人。どうです、参加しませんか? 必要経費を除いた利益の処分はマチュピチュの神様にお伺いすることとします。いいアイデアでしょ? 多分、マチュピチュの神様は「貰っとく。これで街を修すヨ」と云うことでしょうネ。そして参加者の皆々様にはマチュピチュの神様の御加護が生涯続くことでありましょう。

10:45 添乗員さんの移動の指示で現実に戻った。当初の畑から少し下り、崖っぷちの小屋の南側に行く。広々した草地でしたが、そこでガイドさんの話をききました。
遠く、南側の山上の鞍部に門が見えた。これは「太陽の門(Intipunko/Sun Gate)」と云い、インカ道トレッキングの人達が初めてマチュピチュ遺跡を眺める場所になる。もちろん昔のインカ帝国の人達も同じでした。そこから道を下ると遺跡の入口になるようです。

墓地と生贄の石: インカの都市は市街から少し離れた場所に墓地を作るのが習慣だったとされる。実は我々の居る場所がマチュピチュの墓地なのです。近くには大きな平らな石(Funerary Rock)があった。手前側の右に数段の階段が彫られ、反対側は三角に尖り、左側の突起には穴が開いていた。神々に捧げる生贄(いけにえ)の台なのです。

地図は北行庵の制作です。 赤丸が見学ポイント、場所が不確実なものが幾つかあります。細い赤線はツアーの行程ですが、これも大雑把です。時計回りの見学が多いそうです。地図中央の傾いた縦の直線は空濠(急斜面)で、その左に段々畑の農業地区が広がり右は市街地です。(地図の下絵は英語サイトの地図を参考に北行庵が作成。)

見張り小屋 (Watchman's Hut): 10:50 ここに移動した。高台上の「見張り小屋」という石造り家屋は床は四角で壁が3面にあり、1面は完全にオープンです。奥の壁には窓が3つあるが、全てインカ独自の台形でした。その名のとおり窓からの展望は素晴らしいものです。逆に見張り小屋は遺跡のどこからでも見えるのです。
マチュピチュ遺跡の屋根は朽ち落ちて石壁のみが残っている。青天井の吹き抜けです。しかし遺跡の入口近くとワイナビチュ近くの幾つかとこの高台の「見張り小屋」は屋根が復元されていた。まず太い丸太を縦に細い丸太を横に組合わせて屋根の基礎を作り、その上に麦わらを厚く重ねる。世界中の何処でも見られるわら葺屋根の一種なのです。ただ風で屋根が飛ばないようにする構造が独特でした。外壁の軒下に石で大きい円柱状の突起を作り、それと軒の丸太をツルで縛って固定するのです。単純でがっちりした作りに見えますが、1方の壁が無いのでよく高山の嵐に耐えるものと感心もしました。昔はオープンではなく木やワラの壁でもあったのでしょうか?

パンフレット等のマチュピチュの写真はこの見張り小屋の横から撮影したものが多いらしい。本当に良き眺めです。遺跡を越えワイナビチュの頂上近くに目をやると石垣の段々畑が見えました。月の宮殿がワイナビチュにあるからと云っても、どうしてあんな場所に畑を?不思議でした・・・。

市街への門 (Gate): 11:15 坂道を下り、市街地の入口とされる門に行く。潜り門はやはり台形だったが、街側の上部には何か吊り下げるような穴の開いた突起があった。
この門の上から長い城壁と階段と空濠が一直線に下っている。恐らく市街部の防衛線の意味があったのでしょう。

太陽の神殿 (Temple of the Sun): 太陽の門を過ぎ、少し道なりに下った。左側は「太陽の神殿」、歴代の王のミイラが安置されたらしき場所もあるそうです。インカの石壁は直線が基本ですが、太陽の神殿の1部は珍しくも曲面で外壁が作られている。記憶がはっきりしないのですが、この時は神殿域には入らず近くの細い道を通って採石場に登りました。

石切り場: 11:20 ここから主神殿やインティワタナ(日時計?)のある丘がよく見える。

主神殿 (Main Temple): 11:30 遺跡で最も重要な神殿に到着。まず主神殿の向かいの「神官の館」に入る。ここは神官が祈りを捧げた場所という。石壁には台形の壁がん(Niche)が幾つか並んでいた。その1つに顔を入れて声を出すと不思議にも凄いエコーを伴ってボワーンとした感じに聞こえる。かつて神官らがそんなスタイルで祈りを合唱し霊感を得たのではないか?ということでした。
神官の館とインティワタナの丘の間に3面の壁が残る主神殿がありますが、最も神聖で重要な施設とされ使用された石材も他のものとは違っている。キチンとした長方形で、表面の仕上げも丁寧です。組み方も密な感じでした。インカ文明の神聖な場所の石材はどこの遺跡であれ正確な長方形で表面の仕上げが良いそうです。惜しむらくはインティワタナの丘側の壁・右半分は石材がズレて崩れかかっています。

インティワタナ (Intihuatana Stone): 11:38 主神殿から階段を登り小山の頂上に着く。一説によると、マチュピチュの主要な役割の1つは天文学的な観測にあった。小山の頂上にあるインティワタナ(意味は、「太陽をつなぎ止める柱」)という独特な形状の石は中央部にひし形の柱を持ち、夫々の角は東西南北を向いている。この柱は 正確な昼夜平分時(春分と秋分)を示すものとされます。つまり、春分と秋分の日の真昼には全く石柱の影が出来ないように作られている。この時にインカの人々は太陽を止めたとして祝った、とされています。この種の宗教に関連したインカの遺物は侵略者の手により完全に破壊され、ここ以外には残っていないそうです。[英語サイトの情報]
この説を採用すると、日本語での呼び名「日時計」は不適切な感じもします。しかし実際にどんな使われ方をしたのか分からないそうです。
この丘はマチュピチュ遺跡の景観を眺めるにも良い場所でした。最初の見張り小屋や段々畑、石切り場と太陽の神殿、足元の主神殿などが一望でした。ウルバンバ川の下流の絶壁には水力発電所があり水を落とす長いパイプが作られている。クスコ市の電力をまかなっているようですが、少し配慮して遺跡から見えない場所に作るとよかったですネ。

11:42 少し下ったところに面白い石があった。マチュピチュのミニチュアとも云われ、ワイナビチュを背景にするとマチュピチュの地形の縮図的な形状の石だった。風景写真に気を取られて現地ガイドさんの話を聞いていなかったら、男性2人組みの1人から腕を引っ張られて「写真を撮らないとダメだ!」 咄嗟に旅行前の旅行記調査で見たことを思い出し、急ぎ1枚撮影しました。親切な人もいるものです。しかし、この人達には時々何かと教えてもらい助かりました。

登りとは反対側の道を降りた。段々畑ですが、リャマが何頭もノンビリと寝ていたり草を食らっていたりする。南アメリカ原産の瘤なしラクダの一種ですが、肩の高さが1m程度の小型とは云え頭の位置は人間と同じか少し高いようです。思っていたより大きな動物です。顔はやはりラクダに近く怖い感じはしません。
ついでながら、南アメリカの瘤なしラクダには4種あり、リャマ(Lama/Llama)、アルパカ(Alpaca)、ビクーニャ(Vicuna/標高4000m以上で生息)、グアナコ(Guanaco/ペルー南部からパタゴニアに生息)です。良質の毛がとれるので高級織物の原料として飼育されることも多い。特にビクーニャの毛は極めて細く、毛織物の最高級品とされます。アルパカ製品は土産として気軽に購入できるものもある。

11:55 小山を降りきった頃にカボチャがあった。知られたことですが、ジャガイモ、トウモロコシ、カボチャ、トウガラシ、等々多くの食物が南米原産、スペインの侵攻後に欧州に持ち込まれ、品種改良が加えられながら世界に広がりました。ここにあるカボチャは原種の1つということでした。その実はスジ模様のない長いスイカのよう・・・。
12:00 道の右側に自然の岩場が立ち上っている。コタニワタリのようなシダが見えたり、僅かな窪地に雑草が生えていたりする。岩場の中ほどに野ウサギが顔を出していたのでツアーの女性達がさわいでいる。よく見つけたものと思います。

居住地の石臼(?): 12:05 住居区(産業区?)の一角に入った。床に石で作られた円形の浅い水盤が2つあった。これを石臼という場合もある。しかし我々が見た時は浅い水盤に水が入れられて鏡のようだった。石臼のイメージではない。これらの2つの水盤は正確に南北に配置されているとか。何に用いられたものか分からないようです。

外に出る。ハイラム・ビンガム・ロード(九十九折)とかアグアス・カリエンタスの列車が良く見える道を歩き、コンドルの神殿に向かう。この道から見上げる見張り小屋と段々畑の石垣は太陽光をあびて見事でした。

破壊の危険度が高い7つの遺跡
マチュピチュ遺跡もその1つ

ニューズウィーク誌によると、マチュピチュ遺跡は1年に50万人(日に約1350人)が訪れるペルーで最も人気の高い観光地である。しかしマチュピチュは地理学的に断層地帯にあり、その200もの建物はそもそも不安定な場所に建てられているのだ。悪いことに、定常的な歩行者の流れが古代の石造の基礎部分をすり減らし不安定なものにしている。遺跡近くの開発は山崩れの問題を深刻なものとするし、マチュピチュ遺跡を高い鞍部から崩れ落してしまう恐れすらあるのだ。最近になりペルー政府は1日の訪問者を500人に限り、さらに年に1ヵ月は遺跡を閉鎖して傷んだ山道の修復することを決定した。しかし遅きに過ぎたと言えるでしょう。(管理人の翻訳・抜粋) マチュピチュ遺跡は傷み続ける
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出典:Newsweek, 7 Most Endangered Wonders of The World, April 10, 2006
コンドルの神殿 (Templo del Condor/): 12:13 地面の岩にコンドルの頭と首の部分を浮彫りに、後の大きな自然石を切ってコンドルの両翼に見立てた。現在では足で踏まぬよう縄張りを巡らしたコンドルの頭の部分に生贄を捧げて神聖な儀式を行った、とされています。狭い上に見学者が多くて人影が常にあり、写真撮影が難しい場所でした。
この神殿の裏はマチュピチュの刑務所だったようです。罪人は罰が定まるまでの数日間は人間大の壁がん(Niche)に入れられ手かせ・足かせを掛けられたらしい。そして地下には土牢も作られているそうです。
ここを後にして、木が1本生えている広場沿いの道を登りはじめた。

水汲み場: 12:20 小高い場所まで行く。積石で作られた水路にチョロチョロと水が流れている。水源の近くでは小さな滝のように作られ利用しやすくなっていた。手で水温を確認したら、井戸水の冷たい感触はない。しかし地下水なのです。マチュピチュ遺跡には幾つもの水汲み場があり、高い場所の水ほど高貴な身分の人達が使用した、とされています。しかし表土の層は厚くない岩山の上の遺跡です。地下水脈が付近の山から流れているようなのですが、不思議です。

太陽の神殿 (Temple of the Sun): 12:25 最初に寄った見張り小屋からこの神殿の外観は見えたが、往路では寄らなかった。インカの石造りの建物では珍しい曲面の壁をもつ建物でした。その建物の基礎部分には空洞があり、その入口には階段状に岩が切られている。この奥に王族のミイラがあったとか・・・。重要な建物なので使用された石材は丁寧なつくりの長方形に整えられていた。我々は近くで外観を眺めて終わりです。

12:27 最後の見学ポイントを離れ、段々畑の中ほどを水平に移動し遺跡の入口に向かった。往路の高台の風景とは違い、また光線の向きも変わっている。名残り惜しく帰路でも何枚も写真を撮りました。
帰国後に写真で気付いたのですが、コンドルの神殿の下や南の段々畑では石垣の損傷が激しいようでした。見張り小屋から撮影した写真では分からないマチュピチュ遺跡の現実的な一面がありました。
12:42 マチュピチュ遺跡を出る。 マチュピチュ遺跡

昼食(サンクチュアリー・ロッジ):
12:43 レストランのランチ・チケットを受取る。中に入る。定員200人というだけあり、客席の数も多く、食材も豊富だった。
昼食後は鉄道で峠を越え、海抜・約3400m のクスコに戻るのです。初日が大丈夫なら後は高山病の心配はあまりない、ともいう。しかし用心して空腹ながら少量にしました。小型のパン2個、ハムと羊肉少々、パスタ少々、カボチャ、ジュースでした。
空き席を探したが2人だけの場所はない。同じツアーの御夫婦と同席させて頂きました。やはり海外旅行を趣味とされ、中国には3度も行ったそうです。かなりの年数を置いての間欠的な訪問だったので、「旅行環境は段々と良くなってきている印象」とのことでした。
食後はプリンのデザートにコーヒーにしました。やはり疲れ直しに最高です。
13:45 レストランを出る。 昼食(サンクチュアリー・ロッジ)

乗合バス・下山:
13:50 バスに乗車。
13:55 出発。マチュピチュ遺跡と完全にお別れです。
14:15 アグアス・カリエンテスに到着。オンライン旅行記やペルー観光情報サイトでは時々赤い服のグッドバイ・ボーイのことが書かれている。平地に降りてからそれらしき姿の少年を見かけましたが、九十九折の下り坂にグッドバイ・ボーイはいませんでした。
下車後は「駅前広場」に集合と言われて解散となりました。集合の時刻は記録忘れですが、3時ごろだったと思います。
2006/4/17_Souvenir1_Aguas Calientes
2006/4/17_Souvenir2_Aguas Calientes
マーケットでマチュピチュ記念品を探すことにした。まず絵葉書を1枚1ソルで数枚買った。そしてマーケット入口のベンチで休んでいたら、男性2人組みの1人が話しかけてきた。ランチ・マットを5枚かったが、値切ったらUS$10.00になったという。その品を見せてもらう。土産や記念品に使えそうなので我々も買いに行く。その種のランチ・マットは数軒で扱っていたが、小型のものは1店のみで見つかった。5枚でUS$10.00という。ワイフが「Down, Down ?」というとUS$9.00という。商談成立で適当な柄を選んで購入した。小さい瓢箪のインカものらしき人形があった。やはり2つで$10.00を$9.00にしてもらって購入する。店のおばさんは「バチャママ、バチャ??」と人形の名を教えてくれたが、片方の名は忘れてしまった。こういう時はメモは難しいのでボイスレコーダーを使えばよいのですが・・・。 他の店もブラブラ見歩いたが購入の意欲がわかず、再びマーケット入口のベンチに戻った。
先刻の男性メンバーに成果を話す。教えてもらった我々が$1.00安く買ったことになるので、「先駆者は常に損をするもの」とボヤキの哲学を語った。もちろん金額が問題なのではない・・・。
マーケットには用がないので集合場所の駅前に早めに行く。

列車移動(アグアス・カリエンテス→クスコ):
15:00 この頃に集合だったはず。座席指定の乗車券が渡された。
15:10 乗車。車両はD、座席は59番と60番でした。
15:30 「カーン、カーン」という鐘の音が出発の合図だった。
車窓から見るウルバンバ川は濁流だった。黄ばんだ茶色の水が勢いよく流れ、水かさも増していた。上流は雨なのだろうか?
ウルバンバ渓谷両側は熱帯の原生林に覆われている。熱帯雨林の大木にドンと生えた大きなタニワタリの姿は素晴らしかった。そんな風景がしばし続きましたが、深い谷底の日暮れは早やかった。
16:21 おやつのサービス。小型の菓子バンとスポンジ・ケーキ、コーヒーだった。
その後は1時間近く熟睡した。その間にアトラクションとしてインカの踊り(?)やファッション・ショーの人達が列車内を練り歩いたらしい。見逃してしまった。
話が前後しますが、確か明日のこと、男性2人組みの1人が皆の前で噛み付いた。「あのような珍しくも貴重なショーを、眠って見過ごすとは!」とやられたのです。見ていないから出し物の程度は全く分からない。下手なことを言うと追い討ちで何を云われるやら・・・。一計を案じ、「私はその時に夢をみていた。夢の中でマチュピチュの神様が現れ、このように申されました。『また来てチョ!』」 先方は返す言葉もなく、呆れ顔でした・・・。
このジョークでその場は無事に切り抜けました。夢の真偽は確認不可能で、且つマチュピチュの神様の権威はショーに勝る、と云ったところ。本当に満足感と疲れにより熟睡したので、ショーがいやだったのではありません。
17:30 雨が降り始めた。マチュピチュ観光は晴天に恵まれ幸運でした。昨日のマチュピチュ遺跡は酷い豪雨だったと聞いていました。今日の昼はサイコロの目が「晴」と出ただけですが・・・、遠路はるばる来た甲斐があったということでしょう。
18:50 クスコ到着が近づいたので傘を用意する。気温も下がり、クシャミが出る。急いで風邪薬をのみ添鼻薬をシュとさしておいた。
既に暗闇の中で列車は峠越えのスイッチバックを繰り返した。雨ながら、クスコの夜景はとても綺麗なものでした。しかし撮影した写真の大部分は残念な結果でした。
19:30 予定通り、この頃にクスコ到着だったはずです(記録なし)。 列車(アグアス・カリエンテス→クスコ)

夕食(フォークロア・ディナーショー):
19:43 街のフォークロア・レストランにバスで到着です。昨夕に全員で寄った日本人経営の土産店はすぐ近くだった。急いで買物に行った人達も数名いたが、我々はレストランに入りました。
ここは4人用テーブルが多かったが、奥まった所にグループ用の長いテーブルがセッテングされていた。その奥の席に着く。向かいは例の男性2人組み(食事は度々一緒)、一番奥の席は添乗員さんでした。

珍しくも添乗員さんから全員に飲物の提供がありました。が、何かドジを踏んだわけではない。その理由は? リマから高地クスコに航空機で移動すると、初日の夜は高山病の確率が特に高く、この南米大陸3大絶景ツアーでは3〜5人程度が真夜中に酸素吸入や医者の往診を受けるのが普通とか。 「その人達の世話で昨夜は眠れないもの」と覚悟していたそうです。昨日の夕食時に酸素吸入を受けた女性が1名いましたが、それ以後に重症の人は全く発生しなかった。お陰で添乗員さんはゆっくり眠ることができたのでした。そのお礼としてビールまたはジュースを一杯づつ振舞ってくれたのです。それなら、万歳!我々はジュースにしました。

料理は朝にオーダー済みです。飲み物の次にどんどんと運ばれてきました。私はアルパカ・ステーキ、ワイフはペルー風焼きウドン、味も量も十分と思います。アルパカの肉は柔らかくて脂肪分も少なかったと記憶しています。通常のステーキなら脂肪は切り分けて食べないのですが、結構いけるステーキだったのです。焼きウドンの量は多すぎたのですが、これは小食のワイフにとり何時ものことです。やはり食べ易い味付けだったそうです。デザートはフルーツとアイスクリームの盛り合わせ。ボリュームたっぷりで満足できました。夜ながら食後にコーヒーを飲みました。

レストラン中央のステージでは、フォークロア・バンドがインカ伝統の楽器で民族音楽や洋楽の有名メロデーなどを演奏していました。4〜6人の楽団で他に民族衣装の踊り手が4人いたようです。秋田の「なまはげ」を思い出す仮面で客席に来たこともあります。スイスでもユングフラウ岳の南の谷に「なまはげ」に似た仮面と衣装を身に着ける祭りが残っているそうですが、これはキリスト教以前のものと聞いたことがある。素朴な人間は民族や土地の違いにもかかわらず案外似たような発想をするものかも知れません。偶然でしょうが・・・。夕食後は賑やかな音楽やアトラクションで暫し楽しみました。
最後にやはり US$10.00 の CD を売りにきました。昨日1枚買ったので欲しくならなかった。それで1ドル紙幣をチップとして渡したら感謝の顔をした。
20:55 コカ茶のサービス。ワイフ・ストップのコカ茶でしたが、少しだけ口をつけた。 夕食(フォークロア・ディナーショー)
21:15 レストラン前にてバスに乗車。

バス移動(レストラン⇒ホテル):
バスの中で添乗員さんから明朝の予定が知らされた。
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04:45 モーニング・コール/05:00- 朝食/05:30 スーツケースを室外に出す/
06:00 出発
07:50 LAN航空リマ便の出発時刻。
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21:30 記録忘れですが、この頃にホテルに戻ったと思います。

ホテル(クスコ泊):
朝早くから列車移動とマチュピチュ見学で忙しい1日でした。明日も早起きが強いられます。大急ぎでシャワーなどを済ませ休みました。

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