旅行記|南米3ヵ国、周遊の旅11日間 ( 8日目/2006年4月19日・水曜 )
ナスカの地上絵、バスでリマ空港、ペルー出発
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ホテル出発まで:
04:30 起床。
05:00 モーニングコールあり。
05:20 ロビーに集合。
05:35 ホテル出発。

セスナ機から地上絵の鑑賞:
05:45 ナスカは小さな町、ホテルから空港まで約10分だった。観光用セスナ機の運行会社は AEROICA、早朝のため他に客の姿はなかった。
何故これ程に早い日出時刻の見学なのか?地上絵の多くは荒野の地表に幅50cm前後の溝を掘り下地の白い土石の部分を露出させた線で描いている。多分、多少は掘った土砂が盛り土になった部分もあるでしょう。そのためか、日中の太陽が高い時より日出で光線が斜めにあたる時に良く見えるとされます。もう1つの理由は、他のツアーがいるとセスナになかなか搭乗できない。もし数時間の待ちとなれば、ツアーのスケジュールに影響が大きいのです。これらの理由で早朝観光となりました。
遊覧飛行は6人乗りセスナ(パイロット+乗客5名)2機に分乗して行います。20人の団体なので、最初のグループ10人がまず2機に分乗して飛び、これが帰還してから次のグループが2機に分乗して出発、という手筈でした。我々は最初のグループで後発のセスナ機となりました。パイロットさんに1人US$1.00のチップを上げるのが慣例のようで、添乗員さんが集めました。

ナスカの地上絵
1994年にユネスコ世界文化遺産に登録されたナスカの地上絵は雨の降らないパンパ(Pampa/降雨量・年間数ミリ)という荒れた砂漠に描かれている。一説によると、1930年に上空を飛んだパイロットが偶然に発見したとされる。ナスカ川流域のカワチ Cahuachi 遺跡を中心とするナスカ文化(1〜8世紀)の人達が祭礼の場とか水源を示す標べとして、また神として崇めた鳥獣類の姿として、各種の具象画や幾何学文様を描いたもの、とされるようです。
地上絵のあるパンパの表面は灼熱の太陽に曝され黒く変色しているが、掘り起こすと本来の白い大地が現れる。地上絵はそのような大地を大体のところ 30〜50cm の幅で掘り起こして描かれているものが多い。時には1mの幅があるらしい。鳥獣類の具象画は「一筆書き」で描かれていることも特色の1つであろう。日本では「地上絵」と呼び具象画を連想するが、英語では「ナスカの線(Nazca Lines)」と呼び、具象的な絵は Nazca Animal Figures とか Birds で表現することが多いようです。
誰が最初の発見者なのか? これは記述者により異なるようです。英語版 Wikipedia によると、(1)年代記録者 Pedro de Cieza de Leon が 1547年に斜面に描かれた地上絵のことを記述。(2)1920年代に航空機がペルーに導入され、医師で考古学者の Toribio Mejia Xespe が 1927年に祭祀用の道具として認知。(3)1930年代・40年代にアメリカ人考古学者ポール・コソック(Paul Kosok)が「地上絵の再発見」と「体系的な研究」を遂行したとされ、「学術上の発見」として学会に初めて報告した。(4)ドイツ人マリア・ライヘ(Maria Reiche)は一生を地上絵の研究に捧げ、1977年には有名な「Mistery on the Desert」を出版した。ユネスコの文化遺産登録はライへの働きかけが貢献したとされる。
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資料1:Ref.04、項目「ナスカ」
資料2:英語版 Wikipedia、「Nazca Lines」
資料3:その他、各種の日本語/英語のウェブサイト。
06:00 セスナ機に搭乗。パイロットさんから前の席に座るよう云われ得をした気分でした。
セスナ機が動き出したとき、添乗員さんは離れた場所にて直立不動の姿勢で見送ってくれました。何事も無く戻ってくるよう祈っていたことでしょう。
滑走路の端に移動するとき、右手には何機ものセスナや格納庫や運行会社などがあった。搭乗中の AEROICA は一番奥の会社でした。

06:05 この頃に離陸でした。ナスカの町は直ぐに視界から消え、代わりに畑らしきものや長く複雑な曲線を描く枯川状のものや波打つ山並みが見えてくる。まだ日の出前の弱々しい光ながら地形はよく見えました。
06:16 乾燥しきった荒地の上をしばし飛ぶと、頂上部分のみが白く山裾は赤茶けた山塊があった。その斜面に地上絵「宇宙人(宇宙飛行士ともいう)」が見えた。夢中でシャッターを押したが・・・、ソコソコの写りでした。セスナ機は左に右に旋回して左右の窓から公平に見れるように飛行します。でもとても早く飛びシャッターチャンスがつかめない・・・。
06:19 遥かなる山々の少し上から太陽が昇った。遠方は濃いモヤ状で実際の日の出はもっと早い時刻になるでしょう。
次に「猿」が見えた。写真に写ったのは尻尾の渦巻きだけでガッカリ。旋回してくれるが、やはり早くて・・・。後知恵ながら、画面の解像度を上げ、たとえズームを効かせても地上絵より広く撮影した方が地上絵の写真は撮り易いと思います。地上絵の部分をトリミングで切取ればよいのです。
その次の「クモ」は良く見えたし、カメラ・アングルも落ち着いて決めることができた。だんだんとセスナ機の旋回にもなれてきたようです。しかし「コンドル」は辛うじて形を判別できるだけの写真がたったの1枚でした。
多くの人達に好まれる有名な「ハチドリ」は縦と横の2枚がうまく撮れました。これは研究者や観光客の写真でもはっきりと撮れているものが多く、恐らく描画の線が明瞭に残っているのでしょう。「サギ(アオサギともいう」はくちばしが長くジクザグに曲がったもので地上絵では最大のものらしい。これもはっきりと写りました。
バンアメリカン・ハイウェー、ミラドール、地上絵「木」は拡大すると何とか分かるような写真が1枚におさまりました。しかし、ミラドール近くの「トカゲ」はバンアメリカン・ハイウェーで「トカゲの腹切り」になっているはずですが、写真に写っていません。「手」も写るはずでも見えません。話は飛びますが、午後に訪ねたミラドールの展望台から「木」と「手」は見えますが、やはり「トカゲ」は認知できませんでした。
地上絵は以上のような具象画だけではなく、多くの直線で描かれた抽象的で理解の出来ないものが無数にある。中には地下水路を示したものもあるようですが、未だ謎なのでしょう。だから、面白い・・・。

光線と撮影角度で見えたり見えなかったり・・・。正直いって、地上絵の撮影は難しかった。写真ページに掲載したものはトリミングした上でコントラストや明度、彩度、明るさの調整をしてあるのです。それでもはっきりとは見えない。思うに絵葉書などの写真は地上絵の線に多少の色彩加工をして目立つようにしたものもあるでしょう・・・。
蛇足ながら、これから地上絵を観に行くなら、地上絵のパターンを良く覚えておくことです。下の地図にある地上絵が役立つかも知れません。形を知っていると、セスナ機から見下ろす個々の地上絵の認知が素早くできるのです。

帰路では砂漠の風景を空から眺めて楽しみました。地上絵の数々もさることながら、非日常的な何とも云い難い風景を満喫した遊覧飛行だったのです。セスナ機は急旋回を続けたが、幸いにして同乗者に乗り物酔いになった人はいなかった。
06:37 着陸。地上絵観光は「あっという間」に終わってしまった。
06:40 到着。次のグループと交代。 セスナ機からナスカ地上絵

map of nazca by Aeroica 地図はセスナ搭乗者にAEROICAが配布、日本語名は北行庵が記入。原画サイズ(1024 x 955)、拡大可。
1994年12月17日にユネスコの世界文化遺産に登録されました。


souvenir stones of nazca 待合室にて:
06:41 待合室に入る。
ホテル出発前に朝食のサンドイッチ弁当を受取ったはずですが、すっぽりと記憶から抜けている。何時、何処で食べたのかワイフも私も共々忘れてしまった。写真やメモも朝食に関しては何もありません。多分、遊覧飛行後にこの待合室で食べたものと思います。
土産屋があったので、絵葉書5枚(@S/.1)と地上絵を描いた石を2個(@S/.2)を購入し9ソルを払った。
07:30 第2軍の遊覧飛行が終わり無事に帰ってきました。全員が待合室に揃いました。
07:40 飛行場を出発。

souvenir chocolates of nazca souvenir chocolates of nazca souvenir chocolates of nazca 何処でもある土産用クルミ・チョコレートですが、面白い地上絵の包装、味も土産なら十分と思います。
写真は旅行した知人の手土産。リマの会社が製造販売、購入場所は不明。(2007年5月下旬・追記)
日本の研究者グループが新・地上絵を発見(2006/4/20 報道): Y大学・文化人類学のグループが巨大な地上絵で知られるペルーのナスカ台地で、新たな地上絵を発見した。土器を連想させる呪術的なデザインで何らかの儀礼的な意味があり、豊穣(ほうじょう)儀礼にかかわる図像表現と考えられる。発見した地上絵は全長約65mで、ナスカ台地(東西約20キロ、南北約10キロ)の南でナスカ川の北岸付近にある。世界遺産の指定区域内ではあるが、セスナで観光する北部とは離れた南部になる。
米国の商業衛星によるナスカ台地の画像を用いて昨年夏から解析を進めた。今年3月末に軽飛行機でその上空を飛んで肉眼で確認した。直線、三角形などを含めると100以上の地上絵を新たに発見した。ペルー政府の2000年の調査では発見されなかった、ものらしい。
[2006年04月20日木曜日・河北新聞、要点のみ、一部は他サイトから加筆。]
英語サイトによる紹介 (日本の新聞は既に閲覧できません。):
(1) http://agutie.homestead.com/files/world_news_map/new_nazca_lines.html (写真あり)
(2) http://www.crystalinks.com/nazca406.html (写真あり)

日本の研究チームが新・地上絵を発見(2011/1/18 日経電子版)
Y大学のチームがナスカ台地南部(知られた北部から約10Km南)において人間の頭部((長さ約4.20m、幅約3m)と動物(長さ約6.9m、幅約2.7m)と思われる地上絵2点が新たに発見した。ここには神殿跡もあり、生き物を模した地上絵は珍しく、ナスカ期(200年BC〜600年AD)前期か、ナスカ期以前の遺作と考えられる。
(1) 日経電子(2011/01/19)
(2) 読売オンライン(2011/01/19)


ホテルにて休息:
07:50 ホテル着。添乗員さんから次の予定が知らされた。
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11:30 スーツケースを部屋前に出してロビーに集合。このホテルのレストランでランチ。
12:30 各自でチェックアウト(キー返却)。ホテル出発。
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07:55 部屋に戻る。洗面を済ませ、スーツケースに所持品を納める。
08:40 ベットで眠る。
10:30 起床。
空腹なので日本から持参した固焼き煎餅を食べた。その後、朝食後の薬を服用しておく。
11:30 スーツケースを廊下に出し、ロビーに行く。
レストランに入る。飲み物はスプライト2本(@US$4.00)を注文した。昼食はアスパラガスのスープ、白身魚のソテーと温野菜、デザート(カット・フルーツ)、コーヒーだった。 ナスカのホテル
12:15 手荷物類を取りに部屋に戻った。その後フロントに鍵を返すだけのチェック・アウト。
12:30 バスに乗車。パスポートの確認をいわれる。今度は大丈夫だった。

ミラドール観光:
12:55 ミラドール到着。昔は地上絵観光のセスナ機が導入されていなかった。その頃、地上絵の観察には鉄塔の展望台(ミラドール)が使われていた。現在もその鉄塔は砂漠に残され、一種の観光名所になっているのです。
バスはパンアメリカン・ハイウェーを挟んでミラドールの反対側に駐車した。見通しが良いのでハイウェーの車は猛スピードを出している。車は極めて少ないとしても、横断はやはり誘導がありました。
我々のツアーは20人です。ミラドールは1度に10人と言われて2グループに分かれた(はず)。実際にはゴチャゴチャと皆さん登ったように思いますが・・・。どうでしたか・・・。
小さな観測塔ですが、登った感触はとても良かった。抜けるような青空、乾燥しきった地表、穏やかにうねる遠くの山々、その中を突き抜けるハイウェー、直ぐ足元には地上絵の「手」と「木」が見えるのです。高速で飛ぶセスナ機と違い、やはり足が地についている。今朝は撮影できなかった「手」もミラドールからはっきりと写せました。僅か数分の展望台でしたが、来てよかったです。満足しました。今回の南米ツアー最後の観光ポイントでした。

ミラドールの下では現地の男性が簡単な露店を開き、地上絵を描いた小石だけを売っている。ナスカの空港で購入したものと違い、石の地肌をそのまま利用している素朴なものですが、悪くない。2個(@US$1.00)買ってみました。大きい石に幾つもの地上絵を描いたものもある。試しに値段を聞くと、地上絵1個につきUS$1.00という。手にしたのは10個の絵があるので$10.00だった。値段の交渉には至りませんでした。
13:05 ミラドールの上をセスナ機が飛んだ。今朝、我々もここを飛んだと思い写真を撮っておく。その後バスに乗車した。 ミラドール

バス移動( ナスカ ⇒ リマ ):
13:08 ミラドールを出発。これからリマまで一路パンアメリカン・ハイウェーを北上です。 13:15 観光予定は全て終了、添乗員さんは今回の南米旅行に関する封筒付きアンケート用紙を配布した。行程としては、12〜13日分を10日にギュッと圧縮した充実の内容と云っていました。我々もこの意見に賛成です。早起きと移動の連続でしたが、天候に恵まれて満足感に溢れる良い旅行となっています。これから再び大移動と乗継ぎで帰国、さらに国内移動がある。何事もなく帰宅できるよう、気を付ける以外にありません。

昨日は夜の走行で見れなかったが、ナスカとイカの間の風景は一種独特です。岩山ばかりですが、灼熱の太陽に焼かれた山肌に何万年もかけて出来た谷の筋が数多く見える。今に思うと、こんな乾燥地帯の岩山をこれだけ侵食する降雨量があったこと自体が不思議です。中には幾条もの谷をうめる白い砂があたかも流れ落ちるように見えるものもある。簡単に「砂漠」といっても様々な表情があるものです。
岩の山地が砂漠と化するプロセスは?一説では、岩に含まれる僅かな水分が気温の低下で氷結し膨張する。岩はその内圧で割れ、次第に細かな砂となる。最終的に岩山は消滅し大きな砂丘と成り果て、完全な砂漠になる・・・。ナスカとイカの間ではこの自然の変化が止まることなく続いている様子がよく分かりました。
急峻で涸れた小さな谷が集まり大きな谷となり、その先には緑多き平野が細長く海岸まで延びている。そんなオアシスのような場所も所々にありました。見える限りの山々は裾まで乾ききった岩と砂、そして雨すら降らない地域でも、遥か遠くアンデスの山々からは何らかの形で水が流れ下っているようなのです。不思議といえば真に不思議・・・。 ミラドール

イカ空港: 14:45 イカ空港に到着。この小さな空港もナスカの地上絵を遊覧するセスナ機の出発基地ですが、ここから遊覧飛行を始めるとナスカの地上絵までかなりの時間がかかる。値段もそれなりに高くなるでしょう。リマ空港からセスナの定期便もあるようです。
このイカという町は砂漠の中にあり、見事な砂丘が幾つも見れます。同じ不毛の砂漠としても、ナスカからイカへの道中の風景とは異なり、通常の砂漠のイメージに近いものでした。
当初はトイレ休息のみの予定でしたが、コンドルが見れるということで少し長めに休みました。小さな空港の奥まった所にコンドルの檻があった。檻の中に入りコンドルと写真を撮ることが出来ますが、その場合はチップ(料金?)がUS$1.00かかります。折角なので1枚だけコンドルと共に撮影しておきました。「ここのコンドルはホームページに沢山載っているヨ」 という声もありましたね。思わず苦笑・・・。 イカ空港
15:04 イカ空港を出発。

車窓から見ていると、イカは砂漠にある町で質素なレンガ造りの四角い家も多く、殺伐とした感じが漂っている。その道にはインドのオートリクシャを思い出す小型の自動三輪車が走っていた。人々の皮膚も日焼けなのか褐色も多い。以前、「ペルーはインドに似た国」と表現した添乗員がいましたが、こんな風景のことを云っていたのでしょう。

16:30 太平洋の見えるハイウェーとなった。傾き始めた太陽の光が反射する海面はホッとさせるものがありました。が、反対側の大砂原には奇妙な光景が広がっている。昨日パチャカマ遺跡の前でも説明しましたが、砂漠の中に突如としてデベロップ中のスラムが現れたのです。大砂原に小さな四角な箱が点々とある光景は表現のしようがありません。時々屋根を付けた小屋もあるので住人はいるようです・・・。

コンドルは飛んで行く?: ハイウェーは海岸から離れ、両側とも砂漠が続いていました。何気なく太平洋の方向を見ると2つの点がバスと同じ方向に飛んでいる。当初はヘリコプター2機が飛んでいると思ったのです。退屈しのぎにズームを効かせて1枚撮影しました。帰宅後にPCでゆっくり見ると、どうやら大型の鳥でした。ペルーなので コンドル としても良いのではないでしょうか? 私はコンドルだと思います。 砂漠を飛行するコンドル2羽? (2006年4月19日、16時37分、イカとカニェテの中間、車窓から撮影)
17:00 沿道のレストランでトイレを借用。ここはカニェテ(Canete)という町になる。
笑い話ですが、ワイフは旅の疲れでチップの相場を完全に忘れていたらしい。トイレチップとしてUS$1.00を係りの女性にあげてしまった。「ものすごく喜んでいた!」と本人は不思議そうな顔だった。トイレチップは0.5ソルが相場、その約6倍もあげたのです。喜ぶのが当たり前でしょう。
店でバニラアイスクリーム(@US$1.00)を2個買って外で食べた。バニラの色なのか(?)、黄色の強いものだったが味はよかったです。この種のものが旅の疲れを癒してくれます。
17:12 出発。

17:26 ハイウェーは再び海の砂浜沿いになった。赤い太陽が沈む直前だったが、太平洋は湖のように波静かで水平線はモヤのためか全く見えない。空と海が一体だった。そんな夕焼けでした。 イカからリマ
その後はボンヤリと過ごしたが、往路と違い眠れなかった。

現地ガイドさんは最後のチャンスを生かして前フジモリ大統領のことをペルーの政治情勢などを交じえて説明していました。日系では初めて外国の大統領になった方ですが、日本を出国後はチリ政府の手で拘束中なのです(2006年4月現在)。ペルーの政治情勢も流動的といえるようですが、二世の現地ガイドさんは「フジモリさんの応援をよろしく」と云っていました。現地の日系人は当然ながらフジモリ派が多いことでしょう。

往路と違い観光や食事はなかったが、ナスカからリマ市内までの総時間は往路の走行時間より約1時間も短い6時間弱だった。多分、かなりスピードを出したのでしょう。

夕食(日本食レストラン):
19:00 リマ市内の大きくモダンな日本食レストランに到着した。その名は KINTARO だった。
ツアー最後の夕食なので、2人でビール小瓶を1本注文、グラスは2個たのんだ。ところがグラス2個の意味が分からずウェイターは戸惑っていた。1人1本以上が普通ですよね。
夕食は和風で突き出しの後はトンカツ、エビフライ、野菜炒め、春雨と野菜の煮付け、等々だった。ご飯と味噌汁は当然ついている。デザートはカット・フルーツ盛合わせでしたが、他にもう一品が続きました。
テーブルは例の男性2人組みと一緒だった。その1人の誕生日(還暦)ということで、夕食後に旅行会社からバースデーケーキがプレゼントされ、全員でハッピーバースデーの合唱となる。もちろんケーキは小さく切られ、全員のデザートとして消えた。
22:00 ビールの代金(@US$4.00)を払い、トイレに寄ってから外にでた。 夕食(日本食レストラン)

真空パックのコーヒー 日本人経営の土産店: 20:45 予定にはないが、日本人経営の土産店に寄った。ここは民宿を兼ねており個人旅行者の拠点らしかった。
1階には土産雑貨類、2階にはアルパカ製品やTシャツなどの衣類が所狭しと並べてある。色々物色はしたものの食指が動かない。結局はお座なりにコーヒー1袋(US$8.00)を購入しただけに終わった。その後は店内のソファーに座って休む。泊り客らしき若い日本人女性などもチラホラ。他に猫2匹がウロウロ。ご主人は動物好きらしく鳥類もいる・・・。
21:30 出発

リマ空港(到着から搭乗まで ):
22:00 この頃にリマ空港に到着。
搭乗口で下車し、スーツケースは各自で押しながらLAN航空の搭乗手続きに向かう。行列で少し待たされたが、ボーとした状態なので苦にならない。ボーデングパスを受取った時に「英語は話せるか?」と聞かれた。航空会社にしては珍しいことを聞くものだと思った。
アルゼンチンからペルーに到着した真夜中にホテルまで付き添ったり、昨日からリマ市内とナスカの地上絵を案内してくれた二世の現地ガイドさんともお別れとなりました。お世話様でした。
スーツケースを預けた後は出国審査となる。携帯品と身体のX線検査は問題がない。パスポートの提示の際に、係官がパスポートをスキャンさせたあと妙な顔付きに変わり、ディスプレーを凝視した。何だろう?と思った。しかし無言でパスポートは返却された。他の人には無い記号でも書かれているのだろうか? いや、気のせいでしょう。

搭乗口は19番、未明の1時05分発です。2階のショッピング・モールで解散となった。
23:15 モールの入口近くに Alpaca111 という店があった。昨日の朝、クスコ空港でワイフがストールを買った店と同じ店名だった。しかし、モールの奥にも同じ店名が2ヶ所もあった。当地では活発な店舗展開をしているショプらしい。
奥の店の1つに入ったら昨日買ったものと同じストールがUS$51.00になっている。試しに「ディスカウントはないのか?」と聞くと、ダメだった。クスコ店のオン・セール価格 US$32 が買い得だったのです。ワイフは仕方なく $51 で色違いを土産用に購入していました。
男性用のベイビーアルパカ製品は、品質の良さは分かるが、デザインや色などに難しさがあり買いたい気持ちになれなかった。

民芸品の購入にも興味が沸かなかったので、搭乗口18番の椅子で休む。旅行会社のアンケート用紙に記入して通りがかった添乗員さんに返却した。
11:50 LA600便の搭乗口が19番から18番に変更となった。これで移動せずにすむ。
このLAN航空ロスアンゼルス便は通常の「南米大陸3大絶景ツアー」で利用するもの、ブエノスアイレス・サンティアゴ・リマ・ロスアンゼルスと飛ぶ。途中での搭乗となるので夫婦も隣合せの席は難しいらしい。適当に融通する以外になさそうだった。
00:05 手持ちのペルー通貨が多少あった。南米の現地通貨は日本では両替ができない。使い切るのが一番です。通路反対側のカフェに行きコーラ1本をS/.10,00で購入、グラス2個に氷を入れてもらった。テイクアウトなので搭乗口の椅子まで持ち帰る。冷やしていないコーラのこと、泡の吹き出しに注意しながらユックリとボトルを開けた。前の欧米人カップルが失敗しないか笑いながら見ていたが、残念でした!(欧米の習慣では、多分、当方から「うまくやったでしょ」とウィンクする・・・。)

その後も搭乗まで暫くここで過ごす。旅の疲れも感ずるが、何時もよりは楽な感じでした。

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