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北欧4カ国・周遊の旅11日間( 3日目/2005年5月27日・金曜 )
ヘルシンキ観光、バス移動、トゥルク観光
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朝の散歩とホテル出発まで:
05:30 目覚め。
06:00 起床。インスタント・コーヒーをいれて、目覚しに飲む。
07:15 レストランで朝食。
07:40 部屋に戻る。
07:55 スーツケースを廊下に出す。部屋の忘れ物の有無を再度チェック。
08:00 部屋を出てロビーに降りた。ヘルシンキの中心部に立地しているので、ホテルの近くを散歩してみる。外は雨ではなかったがどんよりした曇でした。驚いたのはホテル前の大通り中央部分は一段と低く掘られた切通しで鉄道があったことです。切通しは複線の幅に造られているが単線でした。ホテルの横で交差する別の大通りには路面電車が通っている。その交差点を過ぎてから向かいの歩道に渡り、国会議事堂の正面まで行ってみました。建物は堂々とした立派なものでしたが、周辺の庭などは無いに等しく正面の階段の下の芝に僅かな花が植えられている程度でした。
08:40 ホテルに戻り、集合時間までロビーで過ごす。 朝の散歩、ホテルの近く
ワイフはこれから毎日毛布を1枚届けるように添乗員さんに依頼していた。予備の毛布は部屋のクローゼットには置いていないらしいので・・・。フロントへの電話は不要になり私は手間が省けて楽になる。部屋の鍵をフロントに返すだけのチェックアウトも済ませました。
08:50 集合時間。大部分のメンバーが集まった。
09:00 ホテル出。スーツケースはロビーからホテル左手の離れた場所にいるバスまで各自で運んだ。こういう一般歩道を歩くならハンドル付きキャリーケースが楽でしょう。

シベリウス公園:
09:20 バスは市街地からモーターボート溜りがある湾沿いに走り、緑豊かなシベリウス公園に到着した。この公園は名前が示すとおりフィンランドが誇る世界的な作曲家ジャン・シベリウス(Jean Sibelius, 1865-1957)を記念したものです。女性の彫刻家エイラ・ヒルトゥネンが1967年に制作したステンレスパイプのモニュメントもあり、知られた観光スポットになっている。

シベリウスのCD コレクションの1部、シベリウスのCD デビュー作となったフィンランドの叙事詩「カレワラ」に基づく「クレルボ交響曲(1892年)」が大人気を博し、ジャン・シベリウスは作曲家としての地位を確立しました。その後の作曲家としての継続的な活動により、ヴァイオリン協奏曲二短調、7つの交響曲、レミンカイネン組曲やトゥオネラの白鳥、その他にも交響詩など多くの作品を残しました。が、日本では「交響詩フィンランディア」が突出して有名です。この交響詩は、支配国ロシアからの独立を目指すグループにシベリウスがメンバーとして参加したことによって誕生する。グループは1899年にヘルシンキで愛国的な歴史劇を上演したが、その中の 「フィンランドは目覚める」 が原曲とされます。1809年から第一次世界大戦の終了までフィンランドは帝政ロシアの支配下にあったので、交響詩に作り変えられても母国での演奏は難しく、1900年のパリ万国博で初演されたという説がある。後年、「交響詩フィンランディア」として単独であまねく知られるようになりました。

作曲家ジャン・シベリウスはフィンランドの偉人の1人、この公園の他にも トゥルク(旧首都)とハメーンリンナ(生誕地)にシベリウス博物館があり、ヘルシンキ郊外ヤルヴェンパーには生涯を過ごした自宅が保存されているそうです。

09:35 シベリウス公園の見学を終了。風が強烈に強くなった。 シベリウス公園

テンペリアウキオ教会:
09:58 テンペリアウキオ教会に到着。何の変哲もない四角なコンクリートの入口には YLE というフィンランドの放送局(TV・ラジオ)のステーションワゴンがあった。
この教会は1969年に完成したとされる。氷河に削られた天然の岩を円形にくり貫き、直径24mの銅版ドームを180本の窓枠(支柱)で支えた構造のユニークな建造物である。教会の椅子は白樺製という。日本では多くの場合に役立たずとされる木らしいが、工夫次第では使えるようです。

テンペリアウキオ教会の中ではオーケストラと混声合唱団が指揮者の下で練習をしている最中でした。こんな時に訪問したことはラッキーです。放送局の車まできているのだから、当地では知られた楽団なのでしょう。そして、この教会は恐らく音響効果も抜群なのだと思われました。1階から練習を眺め、さらに2階に上がって全体を眺めました。正直いって、教会というよりは音楽堂といいたくなる構造のものでした。 テンペリアウキオ教会
10:15 バスに戻り乗車。

ヘルシンキ大聖堂と元老院広場:
ムーミン
ポッパナ織り
10:35 ヘルシンキ大聖堂、元老院広場に到着。すばらしい青空の下で元老院広場の高台の上に大聖堂はあった。ライトグリーンの屋根と純白の壁に凄い清潔感を感ずると共に淋しさというか何かしらの物足りなさもある不思議な建物でした。もちろん大聖堂といってもプロテスタント系福音ルター教会なのでカトリック教会の大聖堂とはその趣が全く異なるのです。幅広い階段を登り大聖堂の傍まで近付いてみました。内部の参観はしませんでしたが、邪推ながら内装などもシンプルなものと思います。間違っていたら、ご容赦を・・・。
ここからは左手のヘルシンキ大学(旧トゥルク大学)の建物や右手の官庁の建物がよく見える。そして、約40万個もの御影石が敷き詰めらたという広場が見渡せた。その中央にはロシア支配のなごりロシア皇帝アレクサンダー2世の像がありました。一世紀以上に渡りロシア帝国の支配を受けたフィンランドですが、この皇帝は善政も行ったようで今もその銅像が国を代表する広場に堂々と立っているのです。
10:45 元老院広場に面した土産店「ノルディス」に入る。土産品の種類は多いが、そのなかでシルクハットを被ったムーニンを買いました。日本流では、さしずめドラエモンといったところでしょうか。
ワイフはポッパナ織り( ⇒ 詳しい説明 )というフィンランド特有の織物で作った小物入れを幾つか買いました。似非ですが、アイヌのユーカリ織りが連想されました。共に高価なものではなく、手持ちユーロでの支払いです。 ヘルシンキ大聖堂と元老院広場
11:35 元老院広場の横で待っていたバスに乗車、出発。

昼食:
11:45 昼食のレストラン「ジンケラー」は閑静なアパート街と思しき坂道の途中にあった。メーンデッシュはクラカッコという鰊料理でした。我々は春に国内産ニシンを何度も食べるので珍しくないが、洋風ニシン料理はあまり食べた事がない。焼ニシンとミガキニシンの中間くらいの硬さで、それなりに楽しめる味だった、と思います。ニシンとマッシュドポテトの組合わせはやはり洋風ですネ。 昼食(街のレストラン)
12:55 レストラン出。
13:05 バス出発。

マーケット広場:
13:10 港に面したマーケット広場に到着。見学予定外だったがドライバーさんのサービス停車とか。3時頃まで営業している朝市を見て回りました。ここの人々は全般的にとてもフレンドリーな態度で嬉しくなりましたね。昔の写真によると、岸壁に係留された小船に商品を並べて売っていたようですが、その風景は見れなかった・・・。
この広場からは1868年に建てられヨーロッパで最も大きいとされるロシア正教(ギリシャ正教)のウスペンスキー教会がよく見えます。ネギ坊主に特徴がある。時間さえあれば、この教会に行き珍しい東方正教会の内部を参観するのも良いかもしれません。アチコチ歩いて見るならこのマーケット広場を出発点にすると良いのでしょう。ロシアとの長い関係を示す「双頭の鷲」を頂きに飾る大きな石柱がこの広場にもありましたね。ビルの谷間から先刻訪ねた大聖堂も垣間見れます。エスプラナーディというヘルシンキのメインストリートも近くです。ストックホルム行き定期便のシリアラインの大型客船も対岸の岸壁に停泊中でした。我々は今晩トゥルクからシリアラインの別の客船でストックホルムに向う予定です。 マーケット広場

ヘルシンキ観光終了、トゥルクに向けて出発:
13:30 バス出発。マーケット広場からエスプラナーディというヘルシンキのメインストリートを通って郊外に向かいました。バスの中、近くの席の人から朝市で買った真っ赤なサクランボを1個もらった。サッパリ味で美味しかった。バスはヘルシンキ市街を後にして、E18という国道を旧首都のトゥルク市に向かった。ウトウトしたり、時々車窓から山のないフィンランドの農村風景を楽しみながら過ごしました。フィンランドの南部を東から西にドライブでしたが、「森と湖の国」にしては沿道で湖を見かけず、森が多かった。森林は陸地の71%ともいい、森林資源として松(53%)、トウヒ(28%)、カバノキ(17%)が主要なものとされます(注:%値はRef.04から入手)。車窓からは赤松と白樺が多かったように記憶しています。 移動(→トゥルク)

休息:
ムーミン・キシリトールガム 15:00 ABC!というスーパーで休息。キシリトール・ガムなどを買い、アイスクリームを食べた。店舗内のいろいろなものの色彩が日本のものとは異なり珍しく感じました。が、我々が地方住まいのためで、首都圏の先端的地域の店舗では北欧風の配色も今どき珍しくないかもしれません。 移動中の休息、スーバー
15:30 バス出発。

トゥルク(Turku):
バスはフィンランド最古の街トゥルクに入りました。簡単にこの街のスケッチをしてみます。
バルト海に面してアウラ川両岸に跨り、古くから港湾都市であり文教都市でもあった。現在の人口は約162,000人で、フィンランド第4の都市になる。
歴史的には、1200年代にスウェーデンの支配となり、城や教会がつくられた。1229年にはローマ教皇により司教座が置かれ、その後フィンランドの政治・経済・宗教の中心地として発展した。1640年には最初のトゥルク大学が設立される。1809年のこと、スウェーデンはフィンランドをロシアに割譲し、1812年にロシアにより首都がトゥルクからヘルシンキに移された。1827年の大火でトゥルクの4分の3が焼失し、これを機会に大学もヘルシンキに移り、現在のヘルシンキ大学の前身となった。トゥルクはフィンランドの中心都市としての地位を失ったのです。
しかし、トゥルクは有史以前から交易港としてヨーロッパ諸国に開かれたフィンランドの海の玄関口でした。今日でも客船の出入は国内で一番多く、スウェーデンとの間に定期航路もある。他の港と違って不凍港(a nonfreezing port/a warm‐water port)なので、冬季には貨物船にも重要な港になるのです。

トゥルク大聖堂(Turun tuomiokirkko / Turku Cathedral):
16:00 トゥルク大聖堂に到着。古く13世紀に最初の教会堂が建てられ、その後に修復と拡張が繰り返されて現在の左右対称形の力強い石造りとなりました。近世では1827年のトゥルク大火災では大聖堂が最もひどい破損を受けました。その火災で崩壊した塔の替わりに、1830年代にエンゲルの設計による現在の塔が建てられたとされます。
聖堂の正面の祭壇画は皇帝画家だったR.W.エークマンが1836年に描いたとされます。
この大聖堂はフィンランド・福音ルーテル教会の総本山であり、本堂の基本的な形式は諸国の大聖堂と大幅な相違は、少なくとも素人目には、感じられません。しかし、プロテスタント系の教会らしく簡潔・質素な作りであることは否めません。恐らくは、僭越と知りながらコメントすると、そこに良さが含まれているのでしょう・・・。 トゥルク大聖堂

17:00 バス出発。 シベリウス博物館の前を走り、直ぐにトゥルク大学のキャンパスになった。現在のトゥルク大学は1640年設立のトゥルク大学とは全く別の大学です。当初のトゥルク大学はヘルシンキに移設され、アレクサンドル皇帝大学の名で1828年に開講し、独立後の1919年にヘルシンキ大学と改名されている。現在のトゥルク大学は1920年創立の私立大学でしたが、1974年に国立大学となりました。日本的な感覚では小規模な大学にも思えますが、キャンパスは緑豊かで落ち着いたものでした。

次にバスは市街を走り、手芸工芸館を車窓から眺め、アウル川の橋を渡り、トゥルク城に向かいました。

トゥルク城(Turun linna):
17:36 到着。 トゥルク城はフィンランドがスウェーデンの支配下に入った1280年に建設が開始され、14世紀と16世紀に拡張されたフィンランドで一番大きな古城らしい。現在は歴史博物館として一般公開されている。舞踏会が催されたバンケットホールが中世のまま残され、トゥルクの歴史にまつわる品々(貴族達が使用した衣装、銀製品、スズ製品、陶器)が展示されているようです。
この古城は道路の傍にそびえているが、三方は緑の公園でアチコチにベンチが置いてある。まず、正面から風変わりな容貌を眺めました。不思議に威圧感はなく、水平・垂直の判断を狂わすようなユーモラスとも表現できるお城の正面です。建物の内部には入らずとも、城の中庭の一番奥まで行きました。本当に古色蒼然、中世然とした建物でした。 トゥルク城

18:20 トゥルク城を出発。ここで私のデジカメのバッテリーが空になった。海外旅行には予備の充電池が必要ですが購入しなかったのです。仕方なくワイフのデジカメを借用して首に下げました。レンズの望遠倍率は物足りなくとも、正直いって最新型の500万画素なので遜色なく写っていました。

18:30 市街中央にあるマーケット広場に到着。暫くの間は自由時間となった。しかし、足の疲れもあり見歩かなかった。

シリヤライン ( トゥルクからストックホルム ):
19:20 シリアラインのターミナルビルに到着。2階の待合室に行き時間待ちとなった。ただ、座れる椅子が極端に少なく辛かった記憶があります。
19:35 部屋割り。ヨーロッパ号の11階中央部 11318号室 が我々の部屋となった。バスタブはなくシャワーのみですが、他は良いホテルと変わらないらしい。窓側なので風景も楽しめる良い部屋のようです。
19:40 シリアライン乗船口を通過、船の見える中待合室に入った。やっと椅子に座ルことができたが、その内に人数が増え大変な混み具合になる。
20:35 集合。トゥルクを3時間ほど案内してくれた日本人ガイドさんはここで帰った。
20:50 添乗員さんがシリアライン・ヨーロッパ号の見取り図(英語)を配布した。夕食は 21:15 から8階前部のレストラン。各船室にある飲み物は「無料なので御自由に」とのことだった。

ヨーロッパ号に乗船:
20:55 乗船開始。 まず陸側のエスカレータで上がり、その後に乗船、次に船内のエレベータで11階まで上がった。言われたとおり 11318号室 は中央部の窓側の部屋だった。シングルベッド(2)、丸テーブルと椅子2脚のセット、クローゼット(2)、冷蔵庫(1)、テレビ、ドレッサー、シャワーなどが設備された部屋でした。バスタブはないが、問題ありません。冷蔵庫にはファンタや他の飲物が数種類あり十分な量です。 シリアクラス(最高価格の次の部屋)というだけあって思っていたよりは快適でした。
デジカメは予備充電池がないので使えなくなっていた。早々にリュックから充電器を出してバッテリーの充電を開始、船室のコンセントは旅行出発まえに調べてあったとおり「丸型2ピン」のC型でした。

21:15 船室を出て8階前方のレストラン「ヨーロッパ」に行く。ツアーには最前部の席が用意されていて、海岸の風景や夕焼けも素晴らしく見事なものでした。食事はスモーガスボード形式で食品の種類も量も豊富で言う事はありませんが。惜しむなかれ生に近いスモーク・サーモンの塩味が減塩中の私には強すぎた記憶がある。それでもムシャクシャ十分に食べたものです。食後のコーヒーは需要が多くて少々待たされました。

1人で夕食に来ていた埼玉の男性メンバーと同席でした。お話によると、海外旅行は6年ぶりとか。成田を出発した後に奥様の体調が悪くなり、今は食べ物を受付けない状態なので、船室で休んでいるそうです。お話を聞いていると悪い病気のような気がしてきました。この船の船医に診せるとか大都会の病院に早く行って診察してもらうように強く勧めました。御主人はノンビリと「何時ものことで大したことはありません」というが、ツアーが出発して既に2日が経過している。しかも、ストックホルムとオスロはともかく、フィヨルド地区に入ると大病院すらないのです。私の方が気になって仕方ありません。が、御主人の判断にお任せする以外にありません・・・。

22:00 レストランを出る。
22:15 免税店で水3本(@0,90ユーロ)を購入して船室に戻った。 添乗員さんに依頼しておいた追加の毛布は部屋に届けられていた。
22:20 腕時計の時間を1時間遅らせてスゥエーデン時間にする。デジカメは充電中なので時刻の変更は明朝になる。
ただし、旅行記はスゥエーデンのストックホルム到着(次頁)までフィンランド時刻です。
23:15 就寝。 シリアライン、ヨーロッパ号

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