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北欧4カ国・周遊の旅11日間 ( 10日目/2005年6月3日金曜 )
北シェラン島古城巡り、そして帰国の途に
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ホテル出発まで:
06:00 起床。インスタント・コーヒーを飲む。
ワイフは傘が無いと騒ぎだした。何処を探しても見つからないので、昨日のバスに忘れたと思った。今日も雨なのでレインコートのみで我慢するしかない。
06:50 スーツケースを廊下に出す。その後、1階のレストランに向かった。
朝食のレストランでは奥の4人掛けテーブルにした。ナフキンを広げて使用中のサインを出し、食べ物を取りに行く。その間にウェイターがコーヒーを2つテーブルに置いていった。食事中に右足の上で何か暖かい感じがする。見ると、コーヒーがテーブルからポタポタと落ちているのだ。私のコーヒーカップにヒビがあり、そこからコーヒーが滲みだしていたのだった。通りがかりのウェイターを呼びつけ、少し厳しい口調で苦情をいった。すぐ布でテーブルとズボンを拭き、コーヒーを取り替えてくれたがブーとした不満そうな顔付きだった。「自分の受け持ちでも責任でもない」と思っているようないやいや仕事だった。「責任者を出せ!」と息巻くほどのことでもなし、こちらもブーとした顔をし続けた・・・。
07:25 部屋に戻る。スーツケースは未だ廊下にあった。30分以上の放置だった。
07:55 小雨の中、バスに乗車。昨日とは違う車両でワイフの傘は捜しようがなかった。

北シェラン島古城巡りに出発:
08:00 出発。今日はコペンハーゲンのあるシェラン島の北部をバス・ドライブです。世界文化遺産(2000年)のクロンボー城とそこから西にあるフレデリクスボー城の見学です。
昨日と同じ熟年女性の現地ガイドさんが案内役でした。雨で外の風景とて楽しめず、何かとデンマークのことを話していました。例えば、
* ガソリンは高く、日本円に換算するとリットル当たり170〜200円もするそうです。
* 自動車産業はなく、最も多いのがドイツ製で次が日本製の車のようでした。
* 沿道には針葉樹は限られ、ブナなどの落葉樹が多かった。5月にはアネモネが多く咲く地域のようでした。
* 寒さ防ぎのためと思われるわらぶき屋根も時折みられる。

世界遺産のクロンボー城(Kronborg Castle):
クロンボー城の略史: この地には古くヴァイキングの時代からデーン人(ヴァイキングの一派)の基地といわれる城塞があったともいわれる。
歴史的には、中世になり北欧3ヶ国を統一したポメラニア(Pomerania)のエーリク王(Erick, 1382-1459)が1420年代にクローゲン城砦を築き、船舶から海峡通行税とったことにさかのぼる。
フレデリック2世王が1577〜85年に11年間をかけて古い城砦をルネッサンス様式をもって増改築し、1577年にクロンボー城(Kronborg)と名づけた。クロンボー城は戦力よりも富が力の象徴となったその時代のヨーロッパ貴族の影響を受けているとされる。
1629年9月にはチャペルを除き焼失したが、フレデリック2世の子息クリスチャン4世が再建した。この時にインテリアは新しいバロック様式となった。
1658年にはスウェーデンの攻撃を受けて荒廃した。フレデリック2世時代からの装飾品類が戦利品として略奪された。 その後修復され、さらなる防御用の施設も加えられたが、時代と共に王族はこの城を使わなくなり、最終的には兵舎となってしまった。
1923年に軍隊が引き上げたあとは、城内のインテリアは細心の注意をもってフレデリック2世の時代のものに復元されたのである。
2000年には世界文化遺産にも登録され、デンマークで最も知られた城となっています。
[ 参考サイト: kronborgcastle
09:15 コペンハーゲンから約 30Km ほど北のヘルシンガー(Helsingor)の町に入り、しばし走るとクロンボー城に到着となった。 ここはシェラン島とスカンディナビア半島に挟まれた狭いオアスン海峡に面した場所になります。(注:北部の広い海峡の1部とみなしてカテガット海峡と呼ぶ場合もあるようです。)

相変わらず雨が降り続いていた。傘をさして濠の最初の橋で三角堡に渡り、三角堡から城門への第2の橋を渡ってやっと城内となるのです。橋の基本的部分は石かコンクリート製ながら道の部分は木の板が敷いてあり欄干は鉄パイプだった。重厚な古城のイメージに何となくミスマッチな橋にも思えました。
09:23 本城の入口前の小高い展望所からオアスン海峡を眺める。雨で何も見えない。晴れていたらスウェーデン側のヘルシングボーグ(城)も遠望できるのかもしれませんが・・・。海峡に向けた大砲の列が海峡の守りでもあったことを覗わせます。
Kronborg Castle Map / 地図は北行庵の制作です。
クロンボー城(Kronborg Castle)の地図、赤線は見学路。
内濠の橋を渡り本城の中庭に行きました。外観のみ拝見したのですが古色蒼然としたものです。我々は内部の参観をしないので、これでクロンボー城の見学は終了となりました。

ハムレット: デンマーク王子ハムレットは父王の急逝後あまりにも早く母が父の弟で王位を継いだクローディアスと再婚したことに悩むが、やがて父の亡霊によって父が叔父に毒害されたことを告げられる。彼は父王暗殺の状況を筋に仕組んだ芝居をクローディアスに見せてその反応を試す一方、狂気を装って復讐の機をうかがうが、そのうちに王と誤って重臣ポローニアスを刺殺してしまい、その娘で彼の恋人であったオフィーリアは狂死する。遊学先から帰国したポローニアスの息子レアティーズは、王と結託して親善試合の最中にハムレットを毒剣で刺し、ハムレットもまた彼と王を殺して死ぬ。
[ Ref.04、項目「ハムレット」から部分的に借用 ]
シェイクスピアがハムレットの舞台となる城としてクロンボー城を利用したことで有名らしいのですが、薄暗くて陰気な天候なので、お化けが出ても不思議はないような雰囲気でした。
しかし、クロンボー城の内部はルネッサンスとバロックの室内調度品が多く保存され、62m もある大舞踏会場、極めて保存状態のよいチャペル、デンマークに危機が迫ったときには目を覚まして国を守ると言われている伝説の巨人ホルガー・デーン(Holger the Dane)の像、デンマーク最大の航海博物館など見所が多いとされます。ハムレットの印象とは逆に、充実した文化施設として2010年を目処に改善中とのことでした。

残念ながら、止む気配すらない雨の中をトボトボと駐車場に戻りました。風がなかったことを良しとすべき天候でした。 クロンボー城
09:50 クロンボー城の見学を終了、出発。
ヘルシンガーの南西の内陸部にあるヒレロッドに向った。シェラン島北部の海岸線は漁村があり、内陸部は湖が点在する綺麗な農村地帯のようです。古城も多いようです。

フレデリクスボー城(Frederiksborg Slot/Frederiksborg Castle):
フレデリクスボー城について: この王城はヒレロッド(Hillerod)にあるカッスル湖の3つの小島上にある。最も古い部分はフレデリック2世が1560年に建てたもので、これにちなみ城には王の名が付けられた。南から1番目と2番目の島の間にS字型の橋があるが、1番目の島の橋の取付け部両側の低く丸い塔はフレデリック2世の時代からの建物です。
現存する城の大部分は1600〜1620年の間にフレデリック2世の子息クリスチャン4世によりオランダ流ルネッサンス様式で建てられたものです。1859年に大火があり、城は焼け落ちました。しかし、1860〜84年に再建されました。それはヤコブセン氏(J. C. Jacobsen)とカールズバーグ財団(Carlsberg Foundation)の財政援助によるものでした。
デンマークの王達はフレデリクスボー城に約1世紀の間住み、1671年以後の絶対君主は宮殿チャペルにて戴冠したのです。 1693年以来はクリスチャン4世の宮殿チャペルは騎士達の教会堂にもなり、さらに地区教会としても使用されたのです。この教会堂には1610年に設置された古いオルガンも現存しています。 1995年11月にはフレデリクスボー城の宮殿チャペルにてヨアヒム王子(Prince Joachim)とアレキサンドラ王妃(Princess Alexandra)の結婚式が挙行されました。
1878年以降は、カールスバーグ財団の特殊部門として醸造家ヤコブセン氏の財政援助により設立された国立歴史博物館が入居しています。宮殿チャペルや謁見の間のような素晴らしい施設に加えて、博物館はデンマークで最も重要な肖像画と歴史的絵画のコレクションを所蔵しているのです。
[ URLを失くしたが英語サイトの要点・翻訳です。 ]
のっけから何ですが、各種の記述では”フレデリクスボー城”としていますが、王侯の住居でもあり広大なフランス庭園もあって”宮殿”の性格も強い城です。現在は王家の夏の離宮でもあるようです。この旅行記では”城”、”王城”、”王宮”、”宮殿”などと書く場合もあり得ます。その辺りは御拝察の上ご容赦ください。
10:20 ヒレロッドの中心部にあるフレデリクスボー城に到着、下車。相変わらず雨が降り続いています。駐車場近くの前庭の南側には広い芝に大きく育った石楠花が咲いていたが、晴天下と違いさえません。 この王城はカッスル湖の西側にある南から北に並ぶ4小島のうちの3つを使用して建てられている。まず噴水のある広場の第2島に行き、直ぐ北の王城本館のある第3島への石橋を渡りました。この石橋は第3島入口近くのみ石造りの欄干がない。この部分は恐らく跳ね橋だったのでしょう。石の欄干の終りには来客を威嚇するライオンの石像があった。それから宮殿の門を潜り、三方を宮殿の建物に囲まれた石畳の広場になる。古色蒼然としているが、装飾品も多く見事です。
Frederiksborg Castle Map / 地図は北行庵の制作です。
フレデリクスボー城(Frederiksborg Castle)の地図、赤線は見学路。城の北側に広大なフランス庭園がある。 それから内部の階段を登り宮殿チャペルの上部の回廊に出ました。この礼拝堂の壁は楕円形の飾り(貢献者の氏名など?)が沢山取り付けられて特色となっている。全体的には絢爛豪華とか圧倒されるといった雰囲気ではないと思います。色彩的にも、北欧独自と表現できそうな白い石材と彫刻と薄い水色が基調で、僅かに数少ないステンドグラスの赤が目立ち、木製品の茶色が柔らかさを加えていたようなものです。それでも、大きくて素晴らしく立派な宮殿チャペルでした。1995年にヨアヒム王子とアレキサンドラ王妃の結婚式がこのチャペルで挙行されました。これからもデンマークで重要な教会の1つであることが分かります。
それから宮殿(国立歴史博物館)内のいろいろな部屋を見て回りました。お城を建てたフレデリクス2世の若い時の肖像画はスリムな体型でなかなかハンサムでした。ところが年齢を重ねてからの肖像はデップリと太り昔日の面影は無くなっていた。古今東西、これは同じですネ。王族などの肖像画も多いのですが、歴史に疎く1度の説明では記憶に残らずよく分かりません。でもデンマークの歴史的な雰囲気は伝わってくるような気がしました。
謁見の間も広く立派で、壁も天井もシャンデリアもそれなりに見事です。奥に長い執務テーブルと数脚の椅子が置いてある。その脇に口を開け唸っているようなライオンのブロンズがあった。「妙な真似をしたらライオンが噛み付くぞ!」と脅しているようなものです。王宮への石橋にも王宮に入る者を威嚇するようなライオン像があり、見学したクリスチャンV世(?)の肖像画のフレームの下部には襲いかかるようなライオンの彫刻がある。この王城でのライオンは役割が明確だったようです。
最後に王侯が使用した各種の用具類の展示を見たりしました。幾つも花を差し込む穴の付いた花瓶、銀製品、古いチェンバロ(?)に時代物の楽譜、・・・。驚いたのは王様のベットの色でした。北欧独特の白色系を基調に僅かな金色などが使われているだけです。こんな色に包まれて眠ると頭脳明晰かつ冷静沈着、しかも勇猛果敢にして温厚な性格が睡眠中にはぐくまれるのでしょうか?あるいは、北欧の庶民にとって”王者の色”と映るのでしょうか?北欧系の人達には慣れて落ち着ける配色なのでしょうが、布団に各種の色を用いる”日本人”には少々冷たい雰囲気を感ずるような気がしました。 廊下にでると面白い油彩画があった。蛇腹状のカンバスに2つの絵が描かれている。右から見る絵と左から見る絵が違っているのです。昔のおふざけでしょう。いろいろ沢山拝見して建物から出ました。

宮殿のある第3島から第2島の広場に行く。噴水の周辺で写真を撮って直ぐに第1島に渡り、建物の間の道を通り抜けた。フレデリクスボー城は湖を濠のように利用している。白鳥が雛をつれて遊んでいた。日本には白鳥が越冬のために飛来するが子育てはしない。多分、白鳥の親子は初めて見たと思います。 フレデリクスボー城

11:55 見学終了、コペンハーゲンに向け出発。
途中の風景は落葉樹の林とその間の酪農家らしき建物などが見られる。 道沿いにピンクの浜茄子が咲いているところもあった。

昼食(街のレストラン):
12:38 オープン・サンドイッチのレストランに入る。中国人家族が経営している店で、レストランは住宅用を改造したものだった。狭いくらいにテーブルが置かれている。他のグループもいたので満席でギューギューだった。飲物はスプライト(@20.00D.Kr.)にした。オープンサンドイッチというのは、パンの上に食材が載せられているだけでナイフとフォークで食べる。それだけのことだったが、味も悪くはなかったと思うし、デザートのフルーツも新鮮だった。これだけ客が入れば、経営者は郊外の瀟洒なお宅に住んでいるかもしれません。
このレストランで現地ガイドさんは若い日本人に交代だった。 昼食(街のレストラン)
13:20 レストラン出。

聖マリア教会:
空港に向うには早すぎたらしく、しばしの自由時間となった。バスの駐車場の横には大きな聖マリア教会(プロテスタント系)がある。その中を拝見しました。正面の祭壇の場所には迎えるように両手を僅かに広げたキリスト像がある。それだけでした。多くのプロテスタント教会は本当に質素にも感じられるものが多いようです。しかし、宗教は教会の建物と設備ではなく人の心(信仰・信条)と行動(仕事・生活)ともいえるのですから、それぞれ・・・、いろいろ・・・、ムニャムニャ・・・。 聖マリア教会
13:40 バス出発。

コペンハーゲン空港:
14:05 空港に到着。搭乗券が渡されるまで1階の出発ロビーで待つ。
14:20 搭乗手続き。スーツケースの計量をして預け入れた。私のは 18.4Kg、ワイフのは 16.5Kg だった。特に買物はなかったので重量は出発時とあまり変わらない。今回のツアーの場合、 重量オーバーが2Kg 程度なら良いが、それ以上なら課金されるようでした。実際には超過重量への課金は旅行会社や航空会社により多少の相違があるものと思われます。それでもジェット燃料が高騰しているので止むを得ないことでしょう。
我々が搭乗手続きをする間に添乗員さんは免税申告の人達を離れた手続き場所につれていった。無申告組みは若い現地ガイドさんが搭乗手続きで使用した航空券を回収した。搭乗券はもちろん各自の所持です。その後自由時間となる。

14:35 デンマーク通貨は手持ちがかなりある。2階のDFSに行き、ベルギー産チョコレート6箱を 586.00DKr で購入した。手持ちの 500.00DKr とコイン全てで支払った。不足金はワイフのカードで決済するつもりだった。その旨つたえると、レジ係りは「ディスカウントにします(値引きしてあげます)」といって不足金のカード決済はせずに済んだのです。僅かとは言えサービスしてくれたのです。この種の店舗では珍しく寛大なものでした。価格的には日本で購入するよりも随分と安くつきました。
5月26日に日本からこの空港に到着した時にエルメスに寄りました。ワイフはスカーフを予約したのですが、エルメスの店舗が何処だったか・・・、忘れたらしく寄りませんでした。

eu-stamp showing leaving 帰国便SAS機の搭乗口はC49です。我々が時間を過ごした場所から搭乗口までは距離があった。途中の大きな自動ドアー付きのガラス・ボックスを通り抜け、その後にパスポート・コントロール(出国審査ブース)がある。ここでパスポートにEUからの出国スタンプが押されます。我々の時には開いていたブースは1つだけで極端に長い行列が出来ていました。これでは搭乗遅れの人も出そうですが、我々が済んでから他の窓口も開きました。

搭乗口C49ではコンコースから搭乗待合室に入る時に搭乗券を機械に通すのです。しかも実際の搭乗と同じく半券のみが返却になる。搭乗口待合室に入ることが、搭乗したことと同じなのです。

15:40 添乗員さんが各グループから代表1名づつを集めた。何らかの理由で搭乗予定のSAS機の出発が1時間遅れの 16:45 に変更になったのです。

帰国便に搭乗・出発、機中泊
16:30 SK-983便に搭乗開始。ワイフは毎日スペアー毛布の手配をしてくれた添乗員さんにお礼の小型チョコレート箱を上げた。
16:45 出発。今日は満席とアナウンスがあった。機種は A340、座席配列は 2-4-2、我々は比較的前方の33Cと33Dだった。何時もの通りセーターを着たり靴からスリッパに替えたり、ゴソゴソとして何とか落ちつく。

EとFの座席は日本人女性の個人旅行者が2人だった。ワイフの隣は九州からノルウェーのベルゲンに恋人の家を訪ねた若い女性だった。ノルウェー人男性が在日中に交際が始まり、結婚話まで進展はしたようだった。この度、彼の国と自宅を訪問してしばらく滞在したらしい。自然環境と社会環境が大きく異なるうえに日本人会もないベルゲンでの生活にすっかり自信を失くした様子だった。初対面の我々に「どうしようか、迷っているのです」といって涙をポロポロ流している。気の毒に思っても、こればかりは・・・。

17:45 スナックと飲物のサービス。ウーロン茶をもらった。
18:30 夕食。白ワインを2人で1本もらう。食後に私はコーヒー、ワイフは日本茶。
19:20 旅行会社のアンケート用紙を書き終える。
その後、5時間半ほど熟睡した。
00:00 日付は6月4日になるが成田到着までデンマーク時刻でこのページに記載。
01:20 朝食の配布あり。
01:40 コーヒーの追加を依頼。
01:47 朝食のトレー片付け。 スカンジナビア航空・成田便
01:55 鼻水が出始めたので、スチュワーデスに水を頼み、携帯している風邪薬を服用。
02:57 着陸。
03:05 成田空港ターミナルに到着。

日本  JST は デンマーク時刻(夏時間) の+7時間、日付は6月4日。
10:05 成田空港ターミナルに到着。

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