上海、蘇州、水郷古鎮巡り (2日目/2009年3月15日)
露人公園、豫園商城、豫園、朱家角、田子坊
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ホテル出発まで:
昨夜は未明に就寝だったが、今朝の集合は8時から9時に延びて楽でした。
06:15 起床。
06:45 部屋を出て2階のレストランに行く。その入口はエレベーターホールを出て直ぐ左側にあり便利です。係りが紙製キーケースから部屋番号を記録する。それでOK。
07:00 ウェイクアップ・コールがあったはず、朝食中で不明。

朝食レストラン: ヴァイキング料理の食材は中華と洋食が基本でサラダやカットフルーツなどもあり、通常の欧米のヴァイキング朝食と大差はありません。飲物もミルク、アップルジュース、オレンジジュースの3種、ミルクの前にはシリアル1種(コーンフレーク)があった。パンも食パン以外に数種類あり不足ありません。バターはあるがジャム類はなかった。欧米人にとっても、十分かどうかはいざ知らず、不自由はない食材だったと思います。日本人には洋食と中華の朝食でも違和感はないのが普通でしょう。

料理人が目の前で卵焼きを作るサービスがあった。生卵が籠に山盛り、客の注文に応じた数だけフライパンで卵を1個づつ両面焼きする。中の黄身は半熟です。ところが、同じ台に野菜や麺が並べられている。小型ボールもあり、中華風ラーメンらしきものも作ってくれる。ワイフは珍しがって、卵焼き2個、ラーメン2つを頼んだ。行列が出来ていたが、運よく料理人は両方を作ってくれました。ラーメン玉をお湯で温め、小型の器に入れ、野菜数種をトッピングして熱いスープをかける。これで完成でした。料理人は1人なのでその間は卵焼きの注文はストップです。今回は数人のみラーメンを作ってくれたが、これが初めてで終わり。明日以降の朝は「混んでるからダメ」、卵焼きのみでした。蛇足ながら、注文はゼスチャーで十分、和風マージャン用語より余程つうずる。

今朝の大皿は白ソーセージ、ベーコン、卵焼き、さや豆炒め、中華風はるさめ炒め、蒸パン、全て火を通したものばかり。他にラーメンを手にもった。実はお腹が心配でサラダやカットフルーツはホテルのみならず昼食や夕食のレストランでも中国滞在中は摂らなかった。殆どの人達は気にせず食していたが、我々と同じような人達もチラホラいましたね。実際は4つ星以上のホテルの生野菜はOKとされているし、大手旅行会社が選定した街のレストランも大丈夫でしょう。筆者は海外でお腹を壊した過去の経験から極度に用心した、というだけです。

このレストランは大皿を豊富に用意してあるが、不思議にトレーがない。不足分は再度取りに来ることにして、持てるだけで窓際のテーブルに行く。直ぐウェイトレスが飛んできて、ここはダメという。どうやら個人客の席らしい。道理でテーブルのセッテングなどが良いものでした。教えてくれた別室に行く。そこは事実上、「日本人様ご専用」のダイニング・ルームといえる。それも満席に近く、安・近・短の旅行ブームの結果でしょうか・・・。

入口近くの2席が空いている。そこに皿を置き、直ぐ飲物のアップルジュースを取りに行く。
コーヒーカップ、ナイフとフォーク(大小のスプーンはない)、コップに紙ナフキンがセットされている。4泊の経験から、コーヒーはウェイトレスが注いでくれたり自分でコーヒーを取りにいったり・・・。ここのコーヒーは飲む人が多く不足気味でした。ミルク入れはテーブルにあり、ダイエット・シュガーはないがグラニュー糖とコーヒー用ブラウンシュガーがあった。コーヒーの味は普通以上かも知れません。

皿にとった料理はそれなりに美味かった。白ソーセージは記憶にあるドイツ風の味がするし、特にベーコンは厚く固焼きに仕上げられ、噛む程に良い味が染み出てくる。他に中国風の蒸しパンが気に入りました。作って貰ったラーメンは油気がない。料理知らずの印象として、あてずっぽうながら、そば粉とフラワーが3対7のような色、細めながら中華麺のちぢれはなくウドン玉みたいに1人分づつ丸めてある。それを湯に漬けてあたため、葉野菜いくつかをトッピング、それに極く薄味のコンソメスープ(?)をかけたような・・・、サッパリ味でどこか懐かしい食感でした。全くの別料理となった日本ラーメンの原型かも知れない珍しいものを賞味できました。食後にコーヒーを2杯、これで完了です。
ホテルのヴァイキング昼食として十分に楽しめるものでした。

テーブルの人達と情報交換や雑談をすることもなく、満足してレストランを後にした。

自室:  07:25 部屋に戻った。
07:45 誰かドアーをノックした。「Who's this ?」 と云うと 「Morning Call !」 と女の声。ウェイクアップ・コールは朝食で全員不在だったので、頃合を計って各部屋を回っているらしい。

部屋を出る前に枕チップとして20元紙幣を置く。アメリカでも1人1ドル、欧州なら1人1ユーロ、さらに上海のタクシーは初乗り3Kmで11元、これらの相場から1人10元(156円)は多すぎると思うが、ガイドさんのアドバイスにしたがった。これは「今日の掃除もキチンとしてほしい」の意味らしい。だから、出立日には「枕チップ不要」のアドバイスとなるのです。「良いサービスの場合に出す」という欧米流のチップと少し意味が違うが、それなりの合理性も無い訳ではない。しかし主客転倒の危険も含む。「金をやるからキチンと仕事をせよ」ではなく、「キチンと仕事をしたら誉めてつかわす」なら、チップの金額は客に主導権がある。それでも、4連泊して出立日の枕チップ不要は分かるような・・・。つまり、やらず遁走です。 ウーン・・・。この考え方を認めると、ホテル1泊づつの旅なら枕チップは不要となるが・・・、いかが?

08:20 我々としては珍しくテレビをみた。中国語の天気予報では今日と明日は晴で最高気温17度となっている。観光日和です。その後チャネル24にすると確かに日本語放送が受信された。確認だけでスイッチを切る。

08:35 一応はスーツケースに鍵をかけて外にでる。今日はリュック姿、首からネオ一眼デジカメを下げた何時もの旅行姿です。リュック内はミネラルウォーターのほか雨具やセーター、非常用の医薬品や予備の小型バックなどです。ワイフは布製の軽い手提げバックでした。共に、貴重品はなく、観光時はバスの座席下に置いておく予定です。

ホテル近くのコンビニを偵察:  ホテル近くのコンビニ
集合には早くロビーは人もまばらだった。正面玄関を出て左に行き、上は高速道路の大きな交差点もそのまま歩道を左に行く。すぐの左側に階段を上るコンビニがあった。所狭しといろいろなものを売っている。ミネラルウォーターやビールのほか日本製の飲物や袋菓子もあった。中を一回りして様子を探り、今回はキャンデー2袋(14元)のみ買った。

08:45 混雑したロビーに戻る。1号車の皆さんも集まっていた。

移動(→魯迅公園):
08:55 乗車。
08:57 出発。これから同じ虹口区にある魯迅公園に向う。

現地ガイドさんの話:  目的地まで市街地を走るが、普通の大都会の街並みです。
ガイドさんは観光客向け四方山話を始めました。


魯迅公園、朝の散策:  魯迅公園
魯迅の銅像(お墓)
09:15 魯迅公園に到着、降車。
09:20 正門から公園に入る。大きな赤い風船のアーチが直線の道に連なっている。「上海市虹口区 3.15 国際 消費者 権益日 主会場」と書かれていた(注:中国の略字は日本流に書き換え)。今日ここで行事が催行されるようだ。未だ朝のこと、大勢の観光客と地元の人達の姿があるだけでした。

この公園に祭られる魯迅(本名:周樹人)は1881年に浙江省に生まれた。仙台医学専門学校(現東北大学)に留学したが、中国人としての難しい立場があり医学から文学に転向したとされる。帰国し北京に住んだ。辛亥革命(1911)に期待を寄せたが失望を味合う。その後、最初の小説「狂人日記(1918)」を発表し、封建的で植民地的な現状を暴いて中国文学に新風を吹き込んだとされる。中編小説「阿Q正伝」でも知られる。1935年に結核で他界した。
よく知りませんが、王朝制の中国から列強による半植民地化の時代に左翼思想の力を借りて中国の民族意識を文学や思想で表した人なのでしょう。
ここはかつて虹口公園と呼ばれ約40万平米もの面積があるが、魯迅の墓や記念館が移されて魯迅公園と改称された。

正門から魯迅の墓地までかなり距離がある。その途中が面白い。ちょっとした広場や空き地では地元の老若男女が踊っている。多くは太極拳のようだった。この習慣は日本でも良く知られている。 上海で生活する少数民族と思しきグループも太鼓などを持って踊っていたり・・・。いろいろな民族グループが夫々の方法でアピールです。

所々の空地で大勢が西洋の社交ダンスまでしている。皆さん、服装など全く気にせず楽しそうです。中にはペアーがおらず1人で踊る人も・・・。列強の租界が全盛だった時代のなごりでしょうか・・・? 目を日本に転ずると、明治時代の鹿鳴館文化はこのような形で大衆に定着することはなかった、と思います。
大昔、アメリカの大学のダンスパーテーを覗いたことがある。私は壁の虫。ところが米国に何とか渡ってきた上海出身(2〜3世?)の中国人数名は踊るアメリカ人の群れにスーと溶け込んでいった。当時は知り合いでしたが、あまりの上手さに今だに憶えている。「中国人は日本人より社交的」と聞いたことはあるが、その1つ、ダンス上手はこんな所に基礎があるのかも知れません。
話は公園に戻る。遊歩道では水の容器に筆を付け、道路に水で漢詩などを書く人の姿が多い。歩行が難しいくらい多くの人達が字を書いている場所すらあった。水だから文字はしばらく後に消える。すると、また書く。中には知った四字熟語などもありました。漢字発祥の国、皆さん達筆でした。いろいろな楽しみがあるものです。
他に、三輪オートバイで公園に集まった年配の男性が固まった場所も幾つかみた。ガイドさん曰く、「暇だから毎日集まる」そうです。
今日は日曜日、特別に人出が多いのかもしれません。

魯迅の銅像前まできた。記念写真を撮って裏にまわる。石畳の小広場の先には大きい石壁が作られ、「魯迅先生之墓」と彫られている。こんな場所で太極拳をする人達が数名おり驚愕でした。これは・・・、例えば、東京品川の伊藤博文公の墓前でラジオ体操するようなものでしょう(実際は私墓で入れません)。

来た道を戻った。相変わらずの人出です。正門の横奥にトイレがある。しばし休んでからバスまで表通りを歩きました。中国の郵便ポストは昔の日本の筒型と似ているが、色が緑でした。赤や黄の郵便ポストは日本や欧州で見ますが、この型の緑のポストは初めてです。

09:55 バスに乗車、魯迅公園出発。これから上海ヒルズに向う。
しばらくは車窓から街を眺めて過ごす。高架の高速道路からは、高層アパート群に囲まれて瓦屋根のモルタル造りの低層住宅が円形脱毛のように所々にある。大抵は古い低層住宅を取壊して建設中の高層住宅がある。大都会の新陳代謝です。
10:15 黄浦江を潜り抜けるトンネルに入った。

上海環球金融中心(上海ヒルズ):
右が上海ヒルズ
10:21 上海ヒルズの前で降車。ガイドさんの旗について展望台入口に行く。このビルの100階は世界一高い展望台なのです。 入口には長い列ができていた。ガイドさんが窓口で確認したところ、「大団体が展望台にいるため40分待ち」らしかった。 行列で時間を使うのはもったいない。
急遽、予定を変更して上海ヒルズ展望台は明日に回し、これから豫園に行くことになった。
10:30 バスに戻り、乗車後は直ぐ出発。
浦東の新オフィス街を抜け、再び黄浦江のトンネルを潜り、外灘を走って豫園地区まで行った。車中で「豫園はスリが多い」と注意があった。

豫園商城と豫園: 
人民道から福佑路を行く:  人民道から福佑路を行く
10:50 豫園地区に近い人民路でバスを降車し、しばし福佑路の歩道を西に向って歩く。右の塀の内側は緑が多い古城公園だった。この公園や豫園の地域は旧上海城と呼ばれ、租界時代には中国人のみが居住できたらしい。歩道の反対側は古びた木造二階建てが続き、万国旗ならず洗濯物がはためいていた。これは感心するものでもない。
10:56 きれいな竹林や並木に挟まれた道を抜けると右手は白塀になり「豫園」と書かれた門があった。しかし、我々はさらに直進でした。
この先は賑やかな商店街となり、人混みをかき分ける感じとなった。それでも、さらに奥に進む。
10:59 左手に「豫園商城」と書かれた立派な門があった。その中は歩行者専用の商店街らしい。門の両側は白壁の中国風の建物で1階部分は路面店になっている。
11:00 大きな四つ角に到着。左手の角は「上海老飯店」なる老舗(1875年創業)だった。ガイドブックによると高級な料理屋らしく、このツアーでは無理な感じ。さらに直進すると骨董品の自由市場街になるが、ガイドさんの旗はここでストップだった。右側のデパート風というか広い土産品店に入る。しばし店内の自由行動でした。

中国茶のお手前: 豫園
豫園地区の御茶屋の実演室
11:10 地下の御茶屋さんに入る。並の商店ではなく、ずらりと10〜20名が入れる部屋が並んでいる。各部屋の中央にテーブルがあり、お茶道具が並んでいる。湯沸かしはステンレスのヤカンでした。そのテーブルを囲んで客が座る。グループ毎に女性店員が付き、中国茶の入れ方や作法を簡単に実演してくれる。
日本のように急須にお茶と湯を入れて作るのではない。お湯を急須にかけて外側からも暖める。急須の湯は直ぐにガラス器に入れる。その湯でお茶をだす。等々。詳細は忘れました。小型の茶碗で出してくれた中国茶3種はそれぞれ違った味で珍しい体験でした。それに、暖かいお茶で疲れが癒されました。
11:33 中国茶の作法や味を楽しみ、その後は定番通り売店に案内されました。
11:50 この頃まで売店で過ごした。中国の陶器製茶碗には必ず龍が描かれているらしい。珍しい花茶は安いもので1箱350元(約40個入り約5000円)、高いものは450元(30個入り約7000円)もする。もちろん土産に適当な小さくて安価なお茶もありました。我々は興味がなく何も買物はしなかった。

昼食(街のレストラン): 豫園の中華レストラン
昼食レストラン(豫園地区)
12:00 この頃、同じビル4階のレストランにエレベーターで行く。
座席は1号車の10名がテーブル1、8名がテーブル2、4名がテーブル3だった。今回は3テーブルだったが、今後は全て2テーブルになる。
料理の説明があったと思いますが、当方にとり中華料理でした。回転台から適当に銘々皿に取って食べただけです。中華料理のこと、可もなく不可もなく、お腹は満足しました。飲物は注文せず、お茶ですませた。
12:40 レストランを出る。4階ホールには土産屋があった。エレベーターはホール数ヶ所にバラバラに設置されている。割と表通りの眺めがよく、福佑路の大きな交差点の写真を撮って時間潰しをした。

下町商店街を豫園まで歩く: 豫園近くの下町商店街
13:00 約2時間も過ごした建物を出て、下町の商業地域を歩いて豫園に向った。とにかく人が多い。全てが中国風に作られて珍しさもあるが、ユックリ見る訳にはいかない。ガイドさんの旗について行くのが関の山でした。
広い商店街から左の小路に入る。お祭りのような人出の小路を左や右に曲がり、何とか「南翔饅頭店」など小籠包を作って売る店の一角にたどりついた。 日本でも点心で知られる小籠包は我々が明日行く南翔が発祥の地(1871年)とされる。南翔饅頭店はその名のとおり南翔鎮にて1800年代後半から点心専門店を営んだ。20世紀初頭に豫園近くの商業地に出店し、後年に南翔饅頭店と改名したようです。この店はアジア各地のみならず日本にも六本木ヒルズ店を含め幾つもあるようです。その店頭で小籠包を作る作業が見れるが、購入する客数が多くて驚きでした。

上海名物の九曲橋の一端は南翔饅頭店の直ぐ近くになる。ツアーはそこから九曲橋を渡らず商店街の間を進んで豫園入口に出ました。池の東側に九曲橋のもう一端があり、橋でつながる池の中央部に湖心亭があった。現在は豫園に属さない茶館(1855年創業)だが、建物自体は1784年完成で当時は豫園の1部だったらしい。由緒ある茶館で休息する人達も多いようです。

13:08 豫園入口に到着。しばらくは湖心亭や九曲橋の写真撮影で過ごす。九曲橋は渡る人の数たるや凄いものでした。

豫園の見学:  豫園
豫園にあった龍の塀
ここは上海で1番知られた観光地。そもそもは1559年(明代)に官僚の潘允端が望郷の念にかられた父親を慰めるため作った庭園といわれる。完成まで20年も要したらしい。ほぼ2平方キロの敷地に40近い建造物や異なる風景区があり、明代と清代の特色を併せ持つ江南で最も優れた庭園と言われる。長い歴史において放置されたり破壊されたりしたが、1956年から地方政府が修復を進め、今では中国を代表する庭園の1つになっている。

13:12 豫園に入りました。最初に目に入ったのは、三穂堂の前に鎮座する大きな石でした。金色で「海上名園、江沢民、一九九九年五月十八日」と書かれている。そういえば、太い黒縁の眼鏡をかけた江沢民さんは確か上海の出身でした。それから、三穂堂の中を拝見しましたが、寺なら御本尊が安置される位置に大きな額に入った長い漢文が掲げられている。チンプン漢文です。建物内の木部は全て漆が塗られ丁寧な作りで中国独自の六角の提灯が幾つも釣り下がっている。この建物は1760年代の建立で祝賀や接待の行事に使われたらしい。

豫園内では上海の市花ハクモクレンや赤い椿が満開でした。そんな春の日曜日、散策者は多く、欧米系の観光客もチラホラ見受けます。三穂堂の右後に背の高い穴ぼこだらけの太湖石が置いてある。江南の庭には欠かせないのでしょう。次は妙にユーモラスな狛犬(獅子)が屋根付き庭園道の入口両側を守っていた。我々はガイドさんの後について歩くだけ、似たような建物ばかりで訳が分からない。ところがガイドのガイド知らず。不親切と思いきや、後で知ったが制度上「ガイドは出来ない」そうです。観光地内の説明が許されていない。それでも時々簡単に見るべき所は説明してくれました。

見学コースは、三穂堂→万華堂→点春堂→玉華堂→玉玲堂→内園、だったと思います。
○豫園の建物は総じて小さいもの、しかし屋根の角のそり上りや重なりが見事に思えます。原則として黒瓦に白壁としても、日本流の寺院建設物とは趣がかなり違う。やはり中国独特の建築でした。
○中国独自の龍の塀がある。龍頭と波打つ瓦屋根が独特です。塀の瓦屋根のみならず白壁までがクネクネと曲面に作られ迫力ある龍壁までもありました。
○屋根に人間(武士が多いと思った)や動物の飾りが時々付けられている。日本人にはない中国人の遊び心でしょうか。
○庭園内の塀に中門が作られているが、中国流に白壁に円形が多い。
○アチコチに穴ぼこの太湖石が置いてある。江南の庭園の特色とか。
○高さ3mの中国3大太湖石の1つ「玉玲瓏(ギョクレイロウ)」がある。かなり古い時代のもの。観光用の話らしいが、全ての穴がつながり「上の穴から水を入れると全ての穴から水が流れ出て、下の穴から煙を入れると全ての穴から煙がでる。」 まあ、白髪三千丈のお国柄、証明する訳にもいかない事柄で・・・(笑)。
○池には沢山の緋鯉がいる。日本の錦鯉より小型に思えます。

ガイドブックを暗記してから見学したのではなく、印象に残ったものを書き留めました。
13:57 出口から商業地区の雑踏に戻った。

市鎮(しちん)
鎮は古くからの郷級・行政区であり、中国語では「町」を指す普通名詞でもある。英語では town/small city と訳される。中華人民共和国になって地方行政は省級、地級、県級、郷級の4級となったが、鎮は現在でも存続している。
市鎮とは中国の宋代に発生した農村の市場中心地のことだった。当時の政府は県城に公認の市を設けて重要な流通の拠点としていたが、次第に地方の人口増加で農村経済が活発になり、非公認の草市(そうし)が登場した。これで初めて鎮と呼ぶ町が多く発生したのである。民衆は経済的には市鎮に出入りし、政治的には農村並みという二重構造の中にあったが、唐以前に比べれば自律の幅を広げたとされる。
鎮は県城レベルの都市間商業の下位にあり全国的な経済活動の影響を受けた。同時に、鎮の下位に数多くあった村市(そんし)を介して農民の生産を吸い上げ、かつ塩・茶・繊維などの遠隔地流通品を配給する仲介者でもあった。ふつう一鎮に数個の村市が帰属し、一村市には十数村が帰属して、社会は鎮・市の交易圏でブロック状の細胞の網の目の状況にあった。農民の経済生活の過半は市鎮との取引に依存したのである。この最盛期は明末〜清末であり、清末には3万の村市があり、辺境部ではその多くが根強く残っているとされる。
9世紀から20世紀まで市鎮が発達し持続できたのは、中国社会が早熟したにもかかわらず進化が緩慢だったことによる。生産増と商業化が市鎮の成因であるが、県城レベルの都市数が政策的に1500内外に固定され、交通の革新がなく、全国の地域統合が遅れたことが鎮の存続を促したとされる。
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主に、Ref.04、項目「市鎮(しちん)」
他にウェブサイト等を参考に文章を変更。
バス移動(→朱家角):
14:10 バスに乗車。直ぐ出発。
しばらくは上海市内の建物を見ながら高速道路を走った。この街の高層ビルは最上部の形が個性的に作られている。ほかのビルと区別するため、独特の形状にした、と思われます。
郊外になり、平地がつづく。上海市内近くは高層や中層の集合住宅が多いが、旧ソ連と社会主義国家どおしの交流が深かった時代のものが多く、1種の画一性を発散している。時々見えたが固まった2階建住宅の多くは農家だそうです。かつて集団農場で働いた農民の住居なのでしょう。
離れるほどに時々船が航行する大運河を横切り、クリークが数多くある地帯になった。

上海郊外の運河と小山(14時58分ごろ撮影)

この一帯は長江デルタと呼ばれ、長江が運んだ土砂が溜まって出来た平坦な水郷です。しかし、朱家角への途中で左側の遠方に小山が幾つか見えた。水郷地帯の起伏は極めて珍しいが、時には高さ100m程度の丘があると読んでいた。その小山の1つかもしれません。
上海の遥か西方、大淀湖畔にある朱家角には車で約1時間、もう直ぐ到着です。

朱家角(ジュージャージャオ):  x
朱家角の放生橋と観光・屋形船
15:14 朱家角の駐車場に到着。
上海から近くて人気がある朱家角は古く5000年も前から人が住み始めたという。しかし、鎮として現在の形になったのは明代・清代のことだった。
高速道路から通常の市街地の道路に入ると、それなりの街になっている。しばし行き、大駐車場に到着した。
駐車場の角に「朱家角古鎮旅遊入口処(中国漢字は日本流に変更)」と書かれた門があった。そこを潜り抜けた先には幅狭く商店が連なる「北大街」があった。観光客相手ではなく、伝統的な食材や商品を扱う店もけっこうある。建物は本当に古いものらしい。商店をチラチラ見ながらガイドさんの旗についてゆく。
途中、5分くらいトイレ休息。中国の公衆トイレは何かと云われるが、ここは問題はない。
15:29 古く狭い北大街に観光船乗場があった。道路が数メートル開け、簡便なチケット売場があり、その先は運河と木製の乗場です。係りが携帯で屋形船を呼んだ。「オーイ、46人の団体さん、早くこーい」てなところでしょう。屋形船が集まってきた。

15:30 最初の屋形船に6人が乗り、先に出発した。次の船に乗る。この屋形船は船頭が後で櫓を漕いで進む。ベニスのゴンドラとは違うが、櫓の動きに合わせて船は僅かに揺れる。なかなか優雅な気分です。
直ぐに運河にかかる石の太鼓橋「泰安橋」の下を通る。橋上は次々に観光客が渡る。その先は行き止りに見えるが、運河のカーブ。左には大きなお寺の建物があった。そこを抜けると運河は広々とする。そして遠くに大きく長い石のアーチ橋「放生橋(1571年完成、長さ72m、高さ7.4m)」が見えた。櫓漕ぎの屋形船は次々にその放生橋に向った。この橋も大勢の観光客が渡っている。我々の船は近くまで行き、Uターンした。
戻ると思いきや、細い運河に入り、大淀湖に向う。先の左側には昔の大富豪の豪邸と庭園があるらしい。運河の両側は遊歩道で観光客が散歩したり道路にテラス風に椅子を並べた茶屋で休んでいる。そんな観光地ながら、時々運河沿いに洗濯物が干してある。観光客は生活を忘れたいが、奇妙なコントラストです。石橋を幾つか潜ってからUターンだった。
15:46 屋形船を降りる。
ベニスにも春先に行った。その時、真夏のベニスの狭い運河をゴンドラで回ると「臭う」と聞いた。ここも真夏の運河は臭うのでは?誰も何も言わないけれど・・・。

全員が揃ったら、北大街を僅かに戻り、左側の運河にかかる石の太鼓橋「泰安橋」を渡った。登りは意外にきつい。橋を降りてから左に行き、船乗場を過ぎて先にゆく。船の往来を妨げぬよう高く作られた屋根付き鉄橋がある。それを渡って再び賑わう北大街に戻った。
これで我々の朱家角観光は終わり、北大街の商店をもう一度見ながら駐車場に向った。

バス移動(→上海):
16:00 朱家角を出発。
風景も見飽きたので暫くは居眠りだった。これは全員が似たようなものでした。
上海市街に近づくと渋滞気味でスピードダウンが多かった。しかし、全体的にスムースな走行でした。
夕食の予約時間には早いので途中で時間潰しです。
しばらくプラタナスの並木が続く旧フランス租界の地区を走りました。

田子坊(デンシボウ)、芸術家の新名所: x
入口のプレート、田子坊は Industry Park
17:20 田子坊に到着、降車。
ここは地図的に云えば人民広場から約2Km南になる。旧フランス租界のエリアです。
17:24 田子坊の入口の門に到着。プレートには「 2006 Chinese Best Creative Industry Park 」とあった。他に、「2006年12月11日 北京人民大会堂授契」と読める記述がある。何らかの政治的な賛同を得て作られた大都会の芸術村なのでしょう。
細い路地に入ると、現代芸術家の作品などを並べる新しい店舗が幾つもあり、目立たないがデザイン工房や個人工房も集まっている。さらにゴチャゴチャと小路を行くとオーブンカフェやレストランがある小広場だった。満席の賑わい。驚いたことに欧米系の人達が半数近くに思えた。我々はガイドの後を団子になって歩く場違いなツアー客で、本心では「ここのお客さんは我々を嫌がっているだろうな」と思いました。芸術村を好むタイプと団体ツアーを好むタイプは人間が違うのが普通でしょう。でも、珍しい上海の一角を見学できました。ロンドンやニューヨークのSOHOとの比較は未だ無理と思いますが、将来を目指して上海の芸術家や芸術愛好家がガンバルしかありません。モドキさんも多いでしょうから、実際にがんばるのは芸術家ならず経営者かも・・・。
17:35 バスに乗車。夕食のレストランに向う。

夕食レストラン:  x
四つ折ナフキン上の上海蟹
17:45 夕食レストランのビルに到着。エレベータでレストランまで上がる。
先入観として中華レストランなら必ず赤い色が何かに使われている。ここは違い、現代風レストランでした。しかし、テーブルは円形で回転台付き。やはり中華レストランなのです。1号車はテーブル1に10人、テーブル2に8人、残り4人は別テーブルだった。
回転テーブルに前菜4種、料理は例の如く次々に運ばれてくる。適当に皿にとって食べました。中華のこと、当たり障り無くお腹は満足しました。
今晩の目玉は名物「上海蟹」。食べ終わりに近づくと、蟹が運ばれてきた。1人1匹づつもらう。ビニール手袋をしたウェイトレスが蟹を食べ易く千切ってまわった。1種のショー気分なのでしょう。
このツアーの食事で大きな蟹など全く期待していない。としても、蟹の身は極めて微小しかなく味わうなど不可能に近かった。当たりが悪かったらしいが、僅かな蟹ミソとその周囲を除くと、殻ごとかじって蟹の味のみ絞り出す状態でした。辛らつな表現をすれば、「生物学的には上海蟹、食材としては何でしょう?」 しかし、実はこれも旅の楽しみなのです。「格安ツアーでよくぞここまで」と旅行会社に感心もします。
最後に蟹を千切ってくれた若いウェイトレスにチップを上げた人がいる。ウェイトレスは断る身振りを続けたが、結局は受取った。普段は貰うことがないのか、驚いた表情でした。

18:35 レストランを出て、1階ホールでバスの到着を待つ。外の歩道では行商人が数名待ち受けている。ビル内には入れない。
バスが到着。外に出るや、すかさず行商人が声をかけるが、決して見たり目を合わせてはいけない。上を向いてサッサッと歩きました。同情は禁物です。
18:43 バスに乗車。
今晩のオプショナルツアー「上海雑技団(19:30〜21:00)」は20人が参加した。この人達は2号車で行く。1号車はホテル行きとなった。我々はそのまま乗車です。バス2台なら、この様な場合に便利です。

ホテルに向う:
18:48 出発。虹口区の北側にある蘭生大酒店まで高速道路でも少々時間がかかる。
19:20 ホテル到着。

上海蘭生大酒家(2泊目):
部屋には向わず、ホテル近くのコンビニに行った。
オレンジ2個、オレンジジュース2本、ガム1個を購入。〆て約19元だった。
19:35 ホテルの部屋に戻った。
今日一日、いろいろと見歩きました。天気は良いが上海のスモッグには驚きでした。

シャワーで1日の汗を流し、サッパリしてから日本の菓子で夜食にする。
明日のウェイクアップ・コールは6:30、出発は8:00です。

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