上海、蘇州、水郷古鎮巡り (4日目/2009年3月17日)
蘇州(寒山寺、刺繍研究所、留園、山塘街)
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ホテル出発まで:
06:05 起床。
06:40 レストラン。中央部のテーブルにした。両側の方々に席のキープをお願いして料理を取りに行く。 ヴァイキング料理に格段の変化は無いように思えた。我々はこのレストランの料理を好んでいるので、それでいい。 昨日までは体重を気にせず食べたが、今朝から料理の量を心持ち減らしました。
一皿に白ソーセージ1個、ベーコン3枚、卵焼き1個、インゲン、煮豆、中国風蒸しパン2個、他にアップルジュースとコーヒー2杯だった。

ワイフの隣は中年女性2人組、同じ旅行会社のツアーながら東京からでした。私の隣は年配の御夫婦でやはり同じ旅行会社のツアーで鹿児島からです。こうなると、この旅行会社の上海旅行パッケージが話題になる。4泊5日で日程は同じ、燃油サーチャージも12000円で共通です。ところがツアー代金は参加地によって異なっている。細かな数値は忘れましたが、北海道出発なら地元空港と羽田空港の往復航空券と羽田・成田のリムジンバス料金が加算になる。それでツアー料金が最も高くても当然です。我々北海道組は燃油サーチャージを除くと1人5万円弱だった。東京組は1人3.1万円程度らしい。さて、鹿児島組は上海に近く、飛行時間もとても短いのです。ところが1人3.9万円(記憶が不確実)程度という。鹿児島の御夫婦は大阪組の料金を既に確認していたが、これは東京組と同じだったそうです。なぜ鹿児島出発が高いのか、その理由が分からず釈然としないようでした。お金のことになると人間は敏感なものです・・・。でも、我々としては、随分と参考になる情報でした。時々海外旅行する人達ばかりで他の雑談も交えて楽しい朝食でした。
07:10 レストランを出る。

今日の天気:フロント横の表示
部屋に戻らず、1階の土産品店に行く。朱肉入れを探すと、昨日は2個だけ購入できたものが、今日は3個ある。ワイフは土産用に追加の2個(@1500円)買った。
今まで気付かなかったが、フロントの横の太い柱に大型液晶ディスプレーがある。今日の天気予報が表示されていた。天候は晴れ、気温は14-23℃になっている。快適な旅行日和のようです。

07:20 部屋に戻った。
08:23 バスに乗車。
昨日、帽子を失くした。予備を持ってこなかったので頭頂が少々物足りないが仕方ない。

バス移動(→蘇州):  バス移動
サービスエリアで休息
08:25 出発。これから約2時間のドライブになる。
実は、隋の時代に建設された北京と杭州を結ぶ延長1749kmの京杭大運河を車窓でよいから見たかった。しかし、どの運河がこの巨大運河なのか分からなかった。
09:45 高速道路のサービスエリアに停車。
冷たいコカコーラ(3元)を購入、二人で飲む。
09:55 サービスエリア出発。
10:10 休息は蘇州に近かったらしく、高速道路の両側は市街地になった。中層の集合住宅が多くある。

蘇州の有名な観光地「虎丘」には春秋時代(770BC〜403BC)の呉王の墓がある。その丘に高さ47mの8角7層の塔がそびえるが、宗代961年の建立と云うからに随分と古いものだ。約400年前から地盤沈下のため傾き始め、今は北に15度も傾いているらしい。スモッグか何か分からぬが、霞のかかる遥か遠方に傾いた虎丘の塔が見えました。ツアーでは行かないので、車窓撮影はしましたが・・・。

10:15 高速道路から蘇州市の一般路に降りた。
10:20 寒山寺の駐車場に到着。

寒山寺:  寒山寺 map
寒山寺の東側と普明宝塔(日本式五重塔)
10:20 降車すると直ぐ見慣れた形の五重塔(普明宝塔)がある。これは日本の塔と同じ構造で、中国の七重の塔とは全く違います。知らなかったので「中国にこんな塔がある」と驚きました。
駐車場から左側の道を進んだ。寒山寺の少し赤みのある黄色の土塀がとても印象的です。左側には土産品の店や寒山茶道館と書かれた建物などがある。その先を右に曲がる。すると古い石造りのアーチ橋があった。 江村橋と書いてある。2つある古橋の1つで、もう1つの楓橋は100mほど離れた場所にある。石橋の先は小さな広場になり、大勢が記念写真の撮影に忙しかった。その右側が寒山寺の入り口だった。售票房は広場の奥になる。その先は小路で商店が並んでいるようでした。

10:30 我々のグループも「寒山寺」と書かれた黄色の壁を背に記念撮影となり、その後に境内に入る。照壁の境内側に大きな案内図がある。その案内図はタイトル横の[ MAP ]をクリックすると表示され、拡大もできます。
ここは仏教のお寺ですが、中国では仏教、道教、儒教、回教などの宗教があり、夫々の寺院の外観は良く似ていて良く観察しないと何教の寺院か分かり難いらしい・・・。中国の国教は共産主義、宗教を問わず僧侶の宗教活動は原則として寺院内に限られるそうです。

照壁から参道を行くと最初の建物は天王殿になり、金色に塗られた四天王像がある。左右に2体づつです。ガイドさんはここで寒山寺について長々と説明しました。申し訳ないが、その説明は頭に残っていない。記述の時点で調べたら、概略は次のようです。

『 現在の寒山寺は517年に「妙利普明塔院」として作られた。今日では寒山拾得が創建時の僧として知られるが、実際は寒山と拾得(じゅうとく)と豊干(国清寺、2人の師)の3人が初期の重要人物らしい。寒山と拾得は縁あり国清寺に所属していた。しかし、仏教の知識は深いながら非僧非俗の風狂の徒だったとされる。森鴎外の小説にもなっている。現在の名称「寒山寺」は寒山が唐代(627年 - 649年)にこの地で草庵を営んだという伝承によるらしい。寒山寺は最盛期には現在の10倍もの規模があったとされる。度々火災を被り、その度に復興された。現在の寒山寺は清朝末期(1906年)に再建され、建物などは比較的新しいものになる。その後の戦火は免れた。現在の宗派は禅宗の臨済宗とされる。(ウィキペディア&その他ウェブサイトから合成)』

天王堂と大雄宝殿の間は広くて小広場風でもあります。多くの信者がその広場で祈りを捧げていた。その人々が従う儀式がとても珍しい。腕の長さもあろうと思われる太い棒状の香を三本掲げ、その煙をもうもうと立てながら各方角に一度づつ向かって頭をたれて祈っている。個人的な願いがあり祈っているのか、経の一節を心で唱えているのか、知る由も無い。しかし、祈りを捧げる人達は真剣そのものでした。
恐らくは願い事の実現を祈る印でしょうが、赤いリボンがあちこちに無数に結ばれている。神社の御神籤を木の枝に結んだりしますが、それは小さく白い。しかし宗教上の行為として多分似たものと思います。寒山寺の赤リボンは大きくて賑やか・・・。ここでは掃除のおじさんまで赤い帽子でした。

大雄宝殿を参観しました。中央に金色の仏像があり、その前に賽銭箱が置いてある。これは通常ですが、両側には金糸で織った長い短冊状のものが多く吊り下げられている。仏像の前のみ赤い布が2枚あり、中央部分で両側に引かれて開いている。賽銭を投げて両手を合わせる中国人の信者が切れ目なく続いていました。大雄宝殿の両側には7体づつ金色の仏像が並んでいる。右の奥には小型の梵鐘があった。これは日本からの贈り物(明治38年4月)になる。寒山寺は中国の寺院としては日本との関係が深いようです。

次は寒山拾得のお2人を祭る寒拾殿になる。金色の2僧が赤く丸い天蓋の下であたかも踊っているような姿でした。信仰の対象としての「ありがたい仏様」というより、何かしらユーモラスな仏教彫刻に感じます。
このお堂の屋根には三蔵法師(玄奘三蔵)と孫悟空や馬の石造が飾られている。小さいので見落とし易いが、正面から離れて屋根を見ると直ぐ分かる。

10:50 寒拾殿を出ると、「無上清涼」と書かれた五重塔(普明宝塔)の入口になる。この塔は登れるようで、少なくとも2階部分は幾人もの観光客が歩いている。ツアーは塔には入らず、その前でしばしトイレ休息となった。

その後は弘法堂に入った。建物こそ小さくいが、精神的には大きな影響を日本に与えた高僧が御三方も祭られている。中央は玄奘三蔵(西遊記)、鑑真和尚(唐招提寺)、空海大師(真言宗)です。前述したが、寒拾殿の屋根にも三蔵法師の像があり、中国でも好まれた故事なのでしょう。

白檀の線香の箱 白檀の線香
その先の土産品店に寄り、白檀の線香を1箱(1600円)で買った。煙の香りは分からなかったが、線香そのものは良い香りだった。数珠をご主人とお子さん2人に買った女性もいる。ここは日本円を受け取りますが、レートは(?)です。
親子連れが、「何を買ったの?」、「お線香」、「高い?」
この種の値段の高安は分からない。街の土産屋ならもっと安いかも知れない。実際に使った人、例えば坊さん、が「良い香り」と云えば1600円は安いし、「変な嫌な臭い」と云えば高いことになる。「寒山寺で買った」、これに価値を見出すしかありません。

張継の「楓橋夜泊」の石碑、寒山寺
張継の七言絶句: 唐代の詩人で高級官僚だった張継(ちょうけい)が詠んだ漢詩「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」は有名で、唐詩選にも掲載されているそうです。張継が「楓橋夜泊」を詠んだのは8世紀中頃、その中に寒山寺が出てくるので、その石碑があった(右の写真)。古い石碑ではないらしい。

楓橋夜泊(ふうきょうやはく)
月落ち烏啼いて霜天に滿つ/つきおち からすないて しもてんにみつ
江楓漁火愁眠に對す/こうふうぎょか しゅうみんにたいす
姑蘇城外寒山寺/こそじょうがい かんざんじ
夜半の鐘聲客船に到る/やはんのしょうせい かくせんにいたる

張継は科挙の試験に合格するまで何度も落第したとされます。ガイドさんの説明では、幾度も落第した失意の中で帰郷する途中で歌ったもの、としていました。

一言居士の蛇足: 中国の詩は六朝時代から有ったらしいが、漢の時代に5文字の五言絶句と7文字の七言絶句の形式が定まったとされる。話はかわり、日本では音訓など漢字の読み方は色々ある。ところが平仮名と片仮名は一字一音です。他方、中国の漢字は一字一音と聞いた(間違っていたらスミマセン)。ここで面白い連想ができる。和歌は57577、俳句は575、字数と音節数は5と7が基本です。中国の五言絶句は5555、七言絶句は7777が基本、ただし新唐詩選を見ると長いものも多い。さて、中国伝来の詩の形式を日本の言葉の特色を生かして和流漢詩を作って楽しんだ。そのうち、組合わせを変えて和歌ができ、その後俳句ができた・・・、何時の間にか元祖から離れ日本独自の形式に変化した・・・。もしそうなら、和歌や俳句も昔のガラパゴス化の一種かも知れません。独自性と普遍性、個と全体、これらは永遠のテーマであり続けることでしょう・・・。
物知らずの勘ぐりでしょうが、「日本独自」に時々疑問を抱くことが多くなり、余計なことを書きました。

その後は楓江楼(?)に行き、中国の絵や掛け軸などの売店でしばらく休んだ。
寒山寺の出口に向かい、その途中にある鐘楼の前で写真タイムとなった。聴鐘石と彫られた釣鐘に似た形の石が置いてあり、その近くで中国風の鐘楼を背景に記念写真を撮る人が多い。寒山寺で除夜の鐘を突くためのパック旅行が毎年あり、日本人が大晦日には大勢集まるそうです。驚きです。その隣には樹齢は不明ながら銀杏の古木がある。手入れの方法は日本式と違うように見受けました。

11:20 寒山寺の参観を終了、駐車場に戻った。乗車。
11:27 買物で2名が遅れてバスに戻った。その分だけ遅れて出発。

刺繍研究所: 撮影禁止
刺繍研究所の前庭
11:39 刺繍研究所に到着。虎丘に向かう大通りから警察署の前でUターンして繍研究所前に駐車だった。警察署は白壁に黒瓦の古風な建物、忍者映画の舞台になっても不思議はない感じ。古色豊かな建物を警察署にする中国はやはり歴史の国なのだ。と思いきや、建物の外観は伝統的でも新しい建物なのかも知れません。何故なら、

刺繍研究所も外観は同系の白壁に黒瓦でも内部は最新のものでした。経営は部分的に国で残りは私企業になる。写真は全面禁止でした。日本語が達者な女性案内係がいろいろと説明をしてくれます。中国刺繍の特色は一枚の布の両面に見事な刺繍をすることにある。西洋流は布の片面のみにきれいな刺繍が施されるのです。さらに、極端に薄い生地に細かな両面刺繍をしたらどうなるか?言葉の表現は難しく、ただ「お見事」としか云いようがありません。 土産用の刺繍ハンカチ
牡丹の花や愛らしい猫など多くの作品が展示されています。サイズや出来栄えによるが、数十万円ていどで購入できるものもある。中国の人件費は安いため、という説明だった。

展示場を後にして、広々した売店に行く。ここでも両面刺繍の飾り物が多く販売されている。しかし、仕上り具合は千差万別とのことでした。いろいろ見回ったが、ワイフが刺繍された白いハンカチを土産に買い求めただけに終わりました。
12:10 刺繍販売店からバスに戻った。

12:20 大きな建物の駐車場に到着。

昼食 (蘇州のレストラン):  昼食(蘇州のレストラン)
蘇州の昼食レストラン、一番奥の個室に入った
12:25 その建物の二階にエスカレーターで行く。大レストランがあり、奥の予約室に案内された。2テーブルに10人と12人に分かれて座る。我々は12人のテーブルだった。

飲み物は買わず、お茶で済ませた。直ぐ前菜が4種、回転台に乗せられる。出てきた料理の種類は多く、前菜を除いて多分12〜13皿程度になる。蘇州料理ということだが、普通の中華料理で味付けが少し薄い感じだった。それ以上のことは分からない。出された皿数のため料理の量が多く、残った料理の分量も通常よりかなり多かった。

食べ終わったころ、音楽のメニューが配布された。琵琶のような楽器を演奏しながら女性歌手が独唱する。日本語の曲は「蘇州夜曲」など3つ、他の7曲は中国語の歌だった。リスエストすると1曲30元(約480円)です。最初にリクエストした人は有料と知らずに頼んだようだった・・・。その後、同じテーブルで数人がリクエストした。

帰る直前に隣の10人組みからクレームが出る。料理が12人組みより一皿少なかったというのだ(食べ物の祟りは怖い!) ガイドさんはレストランにその旨伝えた。ウェイトレス2名がきて確認し、その理由を話してくれた。我々のテーブルが2名多いのでその分一品増やして量の調節をしたのです。10人組みも納得したようでした。細かな事まで目を光らせる人がいるもので・・・、すごいですね。

2階から降りて外に一旦出た。同じビルの隣の入口からシルク工場に入る。

シルク工場の見学と真綿と絹製品の店:  シルク工場フォトページ
旧式の生糸製造工場
13:10 レストランを出て、同じビルの隣の入り口から絹工場に入る。
直ぐガイド嬢が繭(マユ)の大きさと使用法について説明をする。これまで、お恥ずかしいながら、真綿(マワタ)はコットンの一種と思っていた。大昔の日本では綿と云えば真綿のことだったらしい。実は小型の良質な繭からは生糸が取れる。それが絹製品の原料になる。大型の繭は質の関係で生糸が作れないので真綿の原料にするのです。

その後はまず小型の繭玉から生糸を紡ぐ作業工程の見学です。素朴な機械で旧式なもの。反面、原理は分かりやすい。工場と云っても単なるデモンストレーションでしょう。

次に、生糸を作る品質に満たない大きな繭玉から「真綿」の素材を作る工程を見学した。繭をアルカリ性の溶液で精練してから水洗いする。その後、この工場では、繭玉を団扇ていどの大きさの半円状の枠に被せて伸ばす。すると繭は柔らかい袋状のものに変わる。
次に、その袋状のものを数名で四方に引張り真綿布団のサイズに延ばす。薄く広く延ばしても真綿は破れない。 次に、ツアーメンバーで真綿を薄く広く延ばす作業の体験でした。手触りは柔らかくしっとりした良い感触でした。

次はやはり、真綿布団など寝具売り場へ移動となった。
我々は何も購入しなかったが、数名は高価な真綿布団を購入していました。確かに軽くて手触りもよく、眠り心地も良いのでしょう。真綿布団の値段表は写真ページにあります。
13:50 布団売り場からデパート風の絹製品売り場に移動でした。
商品を見て回る気持ちになれず、奥にあった椅子に座って集合時間まで休みました。

14:20 店の出口に集合。
14:25 バスに乗車、出発。

留園 (世界遺産/Lingering Garden):  留園
留園・入場券売り場
蘇州には庭園が多い。高級官僚として中央政府に使えた人物を多く輩出し、蓄財して故郷に隠居し、私庭園を造って楽しんだためとされる。世界遺産に登録(1997年)された名園もあり、留園、掘政園、滄浪亭、獅子林が知られている。
ツアーでは留園のみ拝見しました。蘇州城の西に位置し、総面積は2万平米もある。楼閣がある東園、自然に近い西園、池を中心にした中園、田園風景を再現した北園の4区画からなる。
明代に太朴寺少卿徐秦時の私家庭園の東園として建設された。清代に改修され、時の園主の劉恕名にちなんで劉園、のちに中国語で同じ発音の留園と呼ばれるようになった。

14:35 留園の駐車場に到着。留園の外塀がある場所です。
一旦は公道に出て、直ぐ近くの入口から入った。古い中国式お屋敷の回廊をクネクネと歩くのですが、まず小さな中庭の赤い椿が印象に残った。色が鮮やかで花弁が柔らかくウェーブして何とも表現できない見事さなのです。類似の赤い椿は他でも時々見かけました。
次には左に池がある。水面に接して透かし彫りの窓が並ぶ白壁の建物や幾何学文様の壁を持つ建物があったり、小さな船が浮かべられたり、贅の限りを尽くしたとも云えるが、それ以上に設計そのものも優れたものなのでしょう。目を右に向けると池の端に舞台らしき小広場があり、その横は宴会場らしい。更なる右は自然に近い風景でした。


留園の楼閣、謁見の間の近くの太湖石の壁。
この御殿には謁見の間というか、立派な客室があった。最初は待合の間で両側に三脚づつ椅子が並んでいる。 その部屋から眺める庭は太湖石の壁です。ガイドさんはその特色などを一所懸命に説明していました。しかし筆者には鑑賞する価値が分からず庭というより単なる岩壁みたいに感じた・・・。右の写真はその太湖石の壁の1/2〜1/3程度です。パソコンの大画面で写真を見ながら良さを探したのですが、何を見所として鑑賞すべきか、やはり分かりません。上の赤点は椿で下の植物は龍の髭ですかね。ロッククライミングの練習には易し過ぎるし、子供の遊び場としては危険にすぎる・・・。ウーン。
で、太湖石なるもの1個いくらでしょうね?

次に立ち止まったのは、またまた奇石が幾つか置かれた中庭でした。ここは庭とわかる。さらに岩の形は庭石として面白いと思える。でも、動物の争いに見立てるのが良く分からない・・・。その先が当家ご主人夫妻が中央に座する謁見の間でした。その椅子は太い猫足のベッドにも見える作り、紫檀か何か高価な素材で出来きているのでしょう。

その近くの庭がすごい。小池の向こうに巨大かつ細い太湖石が孤高な姿を見せている。
上海の豫園で中国三大太湖石の1つ高さ3mの「玉玲瓏」を見たが、この留園にも中国三大太湖石の1つがある。それが目の前にある高さ6.5m「冠雲峰」です。確かに大きなもの、正面から見ると直立しているが、横から見ると上部が前に少し曲がっている。

庭園に出て、龍の塀の小道を庭の展望台まで上った。良い眺めとされるが、今は未だ木々の緑がない。風情がもの足りないが、逆に見通しは良い。池の対岸は見学した御殿が連なる。つまり、見学路は回遊式のお屋敷と庭園です。
展望台から宴会場に下り、水面に出た舞台に立った。先刻の展望台の東屋が見える。池の傍には黄色い山吹が咲いていた。

ガイドさんは宴会場を出た所で、いろいろ説明をしてくれました。覚えているのはたったの1つ。恥ずかしそうに顔を赤らめて云うからに、「この庭園は賄賂で出来たもの・・・。」 難関中の難関を突破した頭脳明晰な高級官僚は高額な報酬で中央の優雅な生活を楽しみ、蓄財は投資ならず別の手段を駆使して行った、ということでしょうか? いつの時代であれ、エリート官僚の行動基準には庶民の価値観では理解しづらい一面もあるようです・・・。
名園を鑑賞した直後には、少々淋し過ぎる話でした。

15:10 留園の駐車場を出発。

運河遊覧:  運河遊覧
遊覧船乗り場
15:20 遊覧船乗り場に到着。
バスを降りて少し下がった場所に遊覧船乗り場があった。今回は通常の遊覧船で屋根もガラス窓もエンジンも付いている。ボートの運転士もいるし土産屋(絵葉書販売)もちゃんと乗船している。準備万端、これから観光ガイドブック曰く「東洋のベニス」に出発です。

出発した場所の川幅は広く、家々も立派な感じ、川辺の枝垂れ柳は明るい新緑でした。はるか先には石造りアーチ橋も見えている。ベニスとは似てないが、長江デルタの水郷らしき雰囲気がいっぱい。数十分の遊覧も悪くない、と思い始めた。

大きな石橋の下を通り過ぎ、それから運河は細くなり両側の家並みも裏側を存分に見せ始めた。運河の支流があったり、船に乗降する石段が家々にあり、時にはそこに鉢植えの植物が飾られている。しかし、それが逆に侘しさを強調するような環境ともいえましょう。確かに、ベニスのゴンドラも壁が剥げ落ちたボロボロの細い運河も通るし、そこでは生活も貧しさも発散した場所があるのです。その意味では「東洋のベニス」は嘘とは言い切れない・・・。もう止めましょう。これも旅行体験の1つなのです。

15:43 到着。ここは広々した水面で、はるか先には綺麗なアーチ構造の石橋が見えている。多分、新しいものと思います。ガイドさんのにお勧めはその橋ではなく、大きな楼閣と石橋が上下に重なった風景でした。蘇州では云われある建物なのでしょう。ここで写真タイムとなり、しばらくは風景を楽しみながらシャッターを押し続けました。

山塘街の散策:  山塘街
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15:47 下船した場所から公道にでて、直ぐに石橋を渡った。その下は我々が乗ったものと同じ遊覧船が通っている。左に曲がって山塘街という狭い商店街に入る。買い物がある訳ではなく、見物で歩くだけです。
いろいろな店があるが、妙な臭いはしなかった。途中には小学校もあり、中国の学校を始めて近くで眺めました。
公衆トイレにも寄ったが、男性用は普通のトイレで問題など何もありません。女性用も普通の水洗だったそうです。
其の先に行くと中国の伝統音楽が聞こえてきた。右に立派な舞台があり4〜5人で演奏していたのです。どうやら左側の中華料理店の一部のように思えます。
少し先に行くと、左が開けている。中国服の若い女性が運河の傍に立ち、その近くには昔の遊覧船らしき古い屋根付き木造船が多く係留されている。何の船か、どんな場所か分かりませんが、我々の散策はそこの橋で終わりとなりました。

16:00 バスに乗車。これで蘇州観光の予定は全てこなしました。

バス移動(→上海): 
16:03 出発。
十分に観光し、満足感と疲れで半分は眠りながらの車中でした。
16:53 トイレ休息。
古い記念碑があった。見開いた白石製の巨大な書籍と両側の黒い碑が置いてある。その旗竿には中国の国旗が掲げられているが、驚いたことに旗はボロボロでした。中国でもこんなことがある・・・。何らかの政治的な理由で放置され続けているものと思われました。
17:02 出発。

中国土産品の車内販売が始まった。天津甘栗やウーロン茶クッキーなど人気商品は見本を味わせてくれました。カタログで分量と値段を間違わないようにチェックして、天津甘栗、月餅、ウーロン茶クッキーに決めました。注文伝票にそれらの数量と氏名とホテル部屋番号を記入です。土産品の注文は終わり、それからガイドさんがその情報を携帯電話で会社に知らせ、土産品は部屋毎の袋に入れられてホテル到着時に渡されます。

ガイドさんは神経質に賞味期限について繰り返し説明しました。十分な日数があり心配はないが、恐らくは昨年の中国製餃子の農薬混入問題により日本人の食品に対する神経の細かさを知って、くどく賞味期限を繰り返したのでしょう。製造から販売まで細かな事柄でも注意深く対処することは安心感につながります。

土産品の選定で直ぐ時間がたち、上海市街の走行となりました。

夕食(四川料理:上海のレストラン):  夕食(上海のレストラン)
レストランの正面
18:00 夕食レストランに到着。建物の前は大型バスも止まれる駐車場で歩かずにすみました。

これが今回のツアー最後の夕食です。でも飲物は相変わらずお茶です。同じく10人・12人のテーブルに分かれましたが、もう気心も分かり始め、皆さん寛いでいる。次々に料理は出てきますが、今回初めてオコゲもでました。全体的にピリ辛なので食が進みます。食べ過ぎないよう、自分ではかなりセーブしたつもり。でも満腹になりました。他の人達も同様で、かなり量をこなしている。盛皿に残りはほぼ無かった状態でした。
今回のツアーで気付いたのですが、炒めた青梗菜が毎回出ます。日本のものより濃い味で人気がある。幾人もが「青梗菜が美味しい」と同じような感想を口にしていましたが・・・。

18:55 バス乗車。
19:05 今晩のオプショナル、マッサージに参加する人達は1号車が4名だった。この人達は2号車に乗換え、代わりにホテルに帰る2号車の人達が1号車に乗り込んできた。
19:07 アシスタント兼カメラマンの女性は「明日、写真をお渡しするのでヨロシク」と挨拶して帰っていった。
19:08 レストランの駐車場を出発。

蘭生大酒店(4泊目):
19:50 ホテルに到着。
蘇州から上海に向かう車中で注文した土産品は注文主別に手提げ袋に入れられて正面玄関の横に置いてある。大きく整理番号が書いてあるが注文書に記入した部屋番号と違い、どれが自分のか分からない。大混乱となった。さらに土産品の袋の一部はロビーにあった。しばらくは土産品の配達員とガイドさんに2人で整理となる。やっと整理番号と部屋番の対照表が出来上がり、ガイドさんが点呼しながら袋の番号を言ってくれた。各自で袋の中身を確認の上、受取って部屋に向かった。
20:08 部屋に戻った。

今日で上海ツアーの観光は全て終了です。
シャワーで汗を流し、簡単な夜食代わりのお八つを食べて寝るだけです。
明朝は4:30起床です。

明朝の予定: ウェイクアップ・コールは5:00、チェック・アウトは6:30まで、それから急いで朝食、出発は7:00です。

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