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旅行記|スペイン紀行、世界遺産を巡る ( 2日目/2003年11月5日 )
パリ経由バルセロナ、観光後にバレンシアに
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パリ、シャルル・ド・ゴール空港に到着: 早朝の4時23分、まだ暗闇のド・ゴール空港に着陸した。満席の機体からボーデングブリッジに出るにはそれなりの時間がかかった。 ゾロゾロと透明ガラスのボーデングブリッジを歩いている時にワイフが倒れた老婦人を見かけた。「外人さんが支えて床に寝かせた」と興奮気味に言う。この人は同じツアーに友人4人のグループで参加していたのだった。エコノミー症候群によりその場でそのままお亡くなりになった。 話には聞き知っていても身近かでエコノミー症候群の犠牲者がでると印象が違うもの、驚きだった。エコノミー症候群とパリ空港出発までの顛末は旅行記最後の別ページで詳しく説明したので、そちらを参照してください( 左のメニュー[事例] )。ここでは簡単な経過説明に止めます。
フランスの医師による診断、フランス警察による検死、日本大使館へのご遺体の引渡し等々で添乗員さんは動きが取れず、我々も空港内で出発できるまで待つ以外になかった。もちろん予定の06:45発バルセロナ行き(AF1048)には乗れなかった。エールフランスから差し入れの食券でコーヒーとクロワッサンを食べたり、ショッピングゾーンを見歩いて時間をつぶした。ところがです、悪いことは重なるもので、搭乗予定の10:05発バルセロナ行きエールフランス機は09:50に濃霧のため欠航が決まり、再度の出発延期となった。 シャルル・ド・ゴール空港

昼過ぎのバルセロナ行きに乗ることになり、11:30頃にゲート24番で搭乗手続きを済ませ、階段を降りてバス乗り場に行く。ここでも係官3名によるパスポートと搭乗半券の氏名照合があった。パリ空港の警備体制は厳重だった。アラブ系住民が多いと言われる都会の故か・・・。11:35にバスに乗車し遠くに駐機していたエールフランス機に乗った。バラバラの席だったが、ワイフの隣の人が気を利かせ、我々は18Dと18Eと並んで座ることができた。ブルーの座席で広く感じた。12:07に搭乗機は駐機場から動き始め、12:30ころ離陸した。窓の外は晴天で太陽光が眩しかった。

バルセロナ・プラット国際空港: 13:50 バルセロナ・プラット国際空港に到着、14:00丁度にターミナルビルに移動した。ラゲージ・リクレームでスーツケースを確認する。パリ空港で幾度か予想外の積み替えがあったのだ。心配だったが我々のスーツケースは到着し安堵した。ところが男性メンドー1名のスーツケースが未着だった。調べた結果、パリで積み残したとのことだった。が、結果として本人の手元に届くまで数日を要したのだった。1度行程が狂うと何かあるもの・・・。幸いにして、これがツアー最後のトラブルだった。
ワイフはバルセロナ・オリンピック(1992年)の参観のためスペインに来たことがあり、この空港のロビーなどを思い出して懐かしい様子だった。出発に少し時間があったので物陰でパスポートなどの貴重品をセーフティベルトに仕舞った。ターミナルビルの外に出るとツートンカラーのタクシーの行列、その少し先に我々の中型観光バスが待っていた。所々に植えられている街路樹のナツメヤシには実がたわわだった。
14:35 バスに乗る。全員が揃うのに時間がかかった。 バルセロナ・プラット国際空港

14:45 空港出発。現地ガイドのMさんの説明を聞く。このプラット空港はバルセロナ市街から7kmほど離れているそうだ。低い山並みと畑がみえる道路を走った。枝垂れ柳やポプラと思える木々が生え、畑には日本の畑と同じようなウネが作られていた。バルセロナからフランス領まで僅か160 Kmで、昔フランス領だった時代もあったとか・・・。言葉はカタルーニャ語。現在は人口170万人を擁するスペイン第2の大都会で、ミロ、ダリ、カザルスなどの世界的な芸術家を輩出したことで知られている。ガウディを代表とするモダニズム芸術も盛んな土地柄で、パブロ・ピカソもバルセロナで制作活動をした。それで有名なピカソ美術館もあるのです。バルセロナは国際的な行事も多く、1929年には万博、1992年にはオリンピックがあったし、2004年には世界文化博覧会が予定されているそうです。

グエル公園: バスはバルセロナ市街に入り、ビルの谷間を走り抜けて小高いグエル公園の駐車場に着いた。15:15頃だった。

グエル公園はイギリス風住宅街?: 天才建築家ガウディ(アントニ・ガウディ・イ・コルネット、1852年6月25日タラゴナ県レウスに生れる)のパトロンだった大資産家エウセビ・グエル男爵はイギリス風の静かな分譲住宅街を作ろうと思い15haの土地の設計をガウディに依頼した、とされる。ガウディは中央広場、道路、門番小屋、管理事務所などを設計し、現在はガウディ博物館となっている彼の自宅もここにあった。公園は確かに一風変わった個性豊かなものでアールヌーボー独特の曲線による人間に優しい雰囲気をかもし出している。だが、グエル男爵が本当にイギリス風住宅街をここに作りたかったのなら、設計者の人選を間違えたことだけは絶対に確かなこと、何がイギリス風なものですか。中央入口や管理棟とか門番の建物などの形式はイギリスでなくとも世界中の大金持ちの豪邸とか排他的な高級住宅街にはあるでしょうよ。丘の中腹なら階段を作り途中に飾りを設置するのもよくあること、確か香港では大資産家の邸宅で遥かに奇怪なものが観光名所になっていたはず。ここでは中央入口からマーケットへの上り階段の中央に置かれた色彩豊かな巨大トカゲが口からヨダレを流しているしまつ。現在のグエル公園が天才によるイギリス風住宅街なら、この巨大トカゲを竜(カタルーニアでは聖獣 ? )と理解する御仁が現れても不思議はないというもの。彼らが言うように、ガウディは竜を作った?ならば、凡人には不可解な天才の表現力ですね・・・。類い稀なる天才の偉大なる遺産と解するから凡人の頭は混乱する。「猿も木から落ちる」ような失敗作(住宅建設なし)と解すれば言うことは何も無い。天才がイギリス風宅地を作ったつもりが天才の大天分を率直に暴露して似つかぬ純ガウディ風住宅地になった。もしグエル男爵の本心が「ガウディの好きにさせる」だったなら、何をかいわんや・・・。いずれにせよ、天才の残した稀なる形状と雰囲気の建造物を鑑賞し満喫すれば良いだけのことである。「アールヌーボー」という言葉は、何というか、アー、角が無くヌルーとしてボーとした音感でしょう? ここはそんな感じ、でも強い印象が残った・・・。

注:インドネシアのコモド島などに生息するコモドオオトカゲ (Varanus komodoensis) は巨大なトカゲ、世界で最も大きいトカゲと云われます。その別名はコモドドラゴンです。トカゲをドラゴンとする実例です。グエル公園のドラゴンに関する上記の記述は勝手気ままな筆者の感想に過ぎません。(2009.08.19 追記)

グエル公園散策: グエル公園はそれ程に広い公園ではない。ガウディ博物館の内部参観をしたり広場の奥(?)のオープンカフェで雰囲気をユックリと楽しむことも出来るが、一通り主なる場所を観回るだけなら時間はかからない。我々の散策は約30分だった。簡単に時間を追って公園内ツアーを記録しておこう。
15:15頃、駐車場に到着し直ぐ下車。中央入口ではないが、遥か右側の駐車場からグエル公園へ別の入口がある。そこは丘の中腹になり、右が山側、左が低くバルセロナ市街が広がっている。
15:20 公園内に入る。公園内は赤松などの木々が茂りこの道からの展望は良くない。道は分かれたり合流したりするが全て曲線である。右手遠方の斜面には粘土色の橋脚が並んでいた。凹凸や棘(トゲ)を思わせるような突起が多く、木々の中にうまく溶け込んだ自然な作りだった。この種の柱列は公園内のいたるところに配置されている。
15:25 ガウディ博物館前。入口からの道を分岐点で左の坂道を下る。ここにも粘土色のゴツゴツした作りの陸橋と橋脚があった。橋脚の色合いと形状が木の幹のように周りの自然によく合っているのだ。その陸橋を潜り抜けるとピンク色のガウディ博物館(1906年からガウディの自邸、ガウディの右腕ベレンゲールが設計)がある。ガウディ自身がデザインした家具類や使用したベッドなどが展示されているそうである。見学には小額の入館料がいる。この建物は教会のような高い尖塔があり、公園内では目立っていた。博物館の前で写真を撮ったりしてしばし過ごす。
15:29 博物館の左側面を見ながら道を進む。アールヌーボーらしき曲面ばかりの風変わりだが均整のとれた建物が見えてきた。煙突の先端が彩色されたキノコのようにも思える。これは中央入口の門番の家とか・・・。その入口の反対側にも十字架のある尖塔が目立つ管理棟があった。形や曲面外壁や彩色が独特で、これらの御伽噺に出てくるような建物は「お菓子の家」と呼ばれることもあるという。
15:31 歩いた道の右側(山側)は大きな石柱が沢山並ぶ市場(?)と言われる場所だった。多くの石柱で上の広場を支える構造なのだ。


グエル公園・トカゲの模型
サグラダファミリアで購入

15:33 中央入口に下る階段の上部に出た。真ん中あたりに有名な彩色タイルの巨大トカゲの飾りがある。ここは記念写真の撮影場所で観光客が途切れることがない。我々が訪ねた時は上手くやらないと良い写真の撮影は難しい状況だった。
15:38 市場の中。ここは広場の真下になる。ガウディとしては珍しく古典的な感じの石柱を多用しているが、天井が曲面で所々に色タイルの装飾があった。柱ではなく、この天井が見所とか・・・。
15:40 市場の左手の階段から広場へ上がった。途中に写真でよく見かける斜めの柱列があった。これも粘土色のゴツゴツした作りだった。
15:41 広場は言葉通りに広々としていた。ベンチで周辺が形作られているようだった。特に展望のよい市街地側(市場の上部)は彩色タイルを粉砕した小片を埋めクニャクャと曲がった長いベンチがある。機能美を追求したベンチではないと思うが、ガウディのデザインは結果として美的にも機能的にも人間に合っているようで見た目にも抵抗が少なく大勢の人達が座して休んでいる。ここから、バルセロナ市街のみならず地中海も見え、先刻のトカゲやお菓子の家などが眼下に再度眺めることが出来るし、良い写真撮影の場所でもあった。
15:48 広場から出る。帰路。途中に椰子の木が並んでいた。頭上から鳥の鳴き声が聞こえるが姿が見えない。立ち止まってしばし探した。椰子の木に巣を作ったブルーのインコがいたのだった。自然に生きるインコの姿は初めて見る。 デジカメで狙ったがインコの動きが早くて・・・。 グエル公園散策

15:55 駐車場のバス乗車。直ぐに出発。

サグラダファミリア(聖家族贖罪教会/聖家族教会): 小高い丘のグエル公園から坂道を下りながらバルセロナの中心地区の近くにあるサグラダファミリアに向かった。途中に、道路両側の柱を支えに道路上を跨ぐ色ガラスの装飾が続くところがあった。年末には神戸ルミナリエというイタリア人デザインの大電飾がTVでよく放映される。道を跨ぐ多数の同形の電飾(ガレリア?)が重なって電飾のトンネルに見えるものである。バルセロナにも似たものがあった。が、その原型の趣きで個々の作りもそれらの間隔も疎に思われた。ただし電飾なのか単なる色ガラスの飾りなのかは定かではない。ラテン系諸国で時折見られる大規模な街の装飾品かも・・・。

これから訪問するサグラダファミリア(聖家族教会)は高いトウモロコシ状の鐘塔(尖塔?)であまりにも有名であり、改めて説明などは不要であろう。1882年にフランシスコ・デ・ビリャルがこの聖堂の建設を開始したが、翌1883年に31才のガウデイが建設を引き継いだ。

サグラダファミリア完成模型
写真の模型が完成予定の姿を示しているが中央にそびえる高さ170mの塔はまだない。聖堂入口になる3つのファサードの内2つとその鐘塔8本が主な完成建造物である。聖堂本体の壁面なども建設中だった。ガウディが直接手がけた主な建造物は南面の「誕生ファサード」といわれ、確かに奇妙だが精巧極まりなく観賞価値は高いと素人にも思える建造物である。厳密な設計図は無いともいわれ、ガウディの残した聖堂の基本的概念に沿って粛々と完成への仕事が続けられているとか・・・。建設着手後121年の今(2003年)は南面の「誕生ファサード」に加え北面の「受難ファサード」とその4本の鐘塔も一応は完成しているのだ。しかし「栄光ファサード」はまだ姿を現していない。若い時代にバルセロナ北西60Kmにある林立する奇岩の景勝地モンセラッテから影響を受け、個人的な苦悩の連続によって偏執的なカトリック信者となり、その教義を建設に持ち込もうとしたガウディの残したこの聖堂は欧州で我々が見学したどの大聖堂にもない真に不思議な造形物だった。

16:05 サグラダファミリア・「受難ファサード」に到着。このファサードも既に4本の鐘塔が完成し、後で乗るエレペーターも設置されている。ガウディ自身の制作による「誕生ファサード」に比べ、かなり単純化された装飾だった。入口には現代的とも表現できる宗教的彫刻があった。1992年のバルセロナ・オリンピックの時にワイフは一度訪ねているが、その時はこの「受難ファサード」はなかったという。そこから聖堂内部に入り、現在も建設が進行中の内部を興味深く眺めながらクネクネと歩いて南側の入口から一旦外に出た。
16:10 そこが聖堂南面にあるガウデイ自身が手がけたとされる「誕生ファサード」だった。ファサードと巨大な4本の鐘塔を眺めるのため少し聖堂から離れた。鐘楼の中央にはキリストの誕生を象徴する像がありその上の塔には白い鳥(彫刻)が群がる塔があった。この下部が聖堂の入口であり、入口とキリスト誕生の彫刻の間には多くの楽器を奏でる彫刻があり、演奏する白い女性(天使?)の像が幾つもあった。日本人彫刻家・外尾悦郎氏の作品はこれらの像のことであろうか?
巨大な4本の鐘塔の中央から上部には橋が架けられ、互いに行き来できる。しかし「誕生ファサード」は足で登るしかない。鍛えた健脚の持ち主ならいざ知らず、もし階段を登ったら翌日は両足がかなり痛むという話もきいた。
現地ガイドさんの説明の後、解散・自由行動となる。「受難ファサード」の鐘塔に登るためエレベータの場所まで聖堂内部を戻った。将来はステンドグラスとなる壁面と窓枠などが完成間近なところもあり珍しかった。またアールヌーボー(?)の大支柱も下から見上げるとなかなか見事と思える。「受難ファサード」の1階には売店があり、その近くにエレベータの乗り場があった。料金が張り出されていたので切符売り場を探したが見つからない。狭い階段をぐるり登るとエレベータ乗り場となる。そこにも切符売り場はなかった。「料金はどこで払うのかな〜」とワイフに言うと、若いスペイン人女性を連れた若い日本人男性が妙なことをいった。「これだから、日本人は。カネを払えばいいと思ってるんだから。」 私は驚き、無視できなかった。「料金が書いてある以上は払うのが当然のことです。」 相手は顔を背けた。
16:25 エレペーターに乗る。中にオペレーターがいて料金はこの人が集めていた。1〜2分後に、鐘塔の上部近くと思われるところでエレベータから降りた。狭い展望所ながら鐘塔の空洞を眺め下ろしたり、バルセロナ市街を展望したり、「誕生ファサード」を今度は裏側から眺めたりした。先刻の日本人男性が実に滑稽至極だった。この人、本物の高所恐怖症でエレベータを降りたとたんに真っ青、震え上がり動けなくなった。連れのスペイン女性は鐘塔からの展望を1人で楽しみ、帰りがけに私に意味深な可笑しそうな笑い顔を見せた。「高所恐怖症ならスペイン美人と一緒にこんな高い塔に登るなって。まったく、今の若いモンは・・・!(ウフッ)」
この場所には徒歩でも登れる。トウモロコシのような鐘塔壁の内部に螺旋状の狭い石の階段がある。歩いて下れるがエレペーターを利用した。
16:35 「受難ファサード」の土産店に入る。グエル公園では何も買えなかったのでここで幾つか小物を求めた。
16:50 「誕生ファサード」に集合。道路を横切り「誕生ファサード」の向い側からバスに乗る。
16:55 サグラダファミリア前から出発。バルセロナ空港到着が大幅に遅れ超特急なみのガウディ遺作の見学だったが、澄み渡る晴天下で見学できたのは不幸中の幸いといえる。街中のカサ・ミラとかグエル邸を車窓から見たかったが時間的に無理だった。 サグラダファミリア

注: グエル公園とサグラダファミリアなどガウディに関しては観光ガイドブックに加えて、
アールヌーボーの世界5、「 ティファニーとニューヨーク/ガウディ 」、学習研究社、1994年2月20日第7刷、
を参考にした。


バレンシアへバス移動: 暗くなりかけたバルセロナ市中をストップ&ゴーで走り20分以上かけてやっと郊外にでた。夕食はバレンシアのレストランの予定だから時間的に遅くなる。それでサンドイッチとジュースが当座のオヤツとして配られた。我々はそれ以外に水を2本(バスドライバーから、@1,00E)を用意した。
18:45 Autogrill でトイレ休息。ここは設備が全て新しく快適だった。日本でも洗面台の近くに手の温風乾燥機が設備されたトイレは多いが、ここでも設備されていた。ただ、全ての手洗いシンクの上部に温風乾燥機が設備されている。濡れた手をその場で乾かす。設備費はかかるが、珍しかったし合理的とも思えた。このタイプは日本では見たことがない。
ここでミネラルウォータの値段を確認、500mlで@1,30Eだった。バスのほうが安かった。
19:00 出発。高速道路をひたすら南に走り、バルセロナから4時間以上のバス・ドライブでした。が、途中の大部分は睡眠モードで記憶はほとんどない・・・。バレンシア市街地に入ったのは21:25頃だった。

バレンシア: バレンシアの人口は約77万人で、マドリッド、バルセロナに次いでスペイン第3の街といわれる。ローマ時代からの街で地中海に面した港町でもある。バレンシア・オレンジ(この名称に関しては後述)は世界的に知られているし、近郊のアルプフェラ湖周辺はスペインの米どころ、米料理も盛んでパエリアの種類も多いと聞いた。時期が異なるが3月の「火祭り Las Fallas 」はスペイン三大祭の一つといわれる。バレンシア観光は明日午前の予定、今日は夕食後にホテルで休むのみ。

レストランで夕食: バレンシアの繁華街らしき場所で下車となり、レストランまで少々歩いた。表通りから広い歩行者専用道路に入ったが、その奥では布などを路上に広げて売る素朴な露天商人がかなりいた。良くは分からないが顔付きも皮膚の色も通常のスペイン人とは違う印象だった。少し不気味だったが、 「カッテヨ」と声をかけるのではなく、商品の後ろにただ直立して客から声がかかるのを待つやり方だった。
21:40 この広い遊歩道から右折して少し先に目的のレストランがあった。2階の奥まったテーブルがツアーに用意されていた。スペインとしては遅い時間でもないはずだったし、観光ガイドブックにも掲載されているレストランというが、客はまばらだった。しかし空腹なのでそんなことはどうでもよかった。

飲み物はサングリア(スペイン風ポンチ、@5,00E)を注文、その他にスペインの発泡酒が味見のため回ってきた。クセが強過ぎて飲めなかったが、何度も飲むと味が分かり止められなくなる種類かも・・・。パンは既にテーブルに出ていた。野菜類の煮込み(スペイン風ミックスベジタブル?)がまず出てきた。 本物の薄味だった。メーンデッシュはサーモンで付け合せはポテトの輪切りだった。これも薄味でマズイと思ったが全部たべた(薄味は体に良い)。このレストランでは最後のデザートのみ美味しかった。飲み物代を清算し、22:35にレストランを出てバスに戻った。 夕食(バレンシアのレストラン

ホテル着: 大きなロータリー交差点に面した建物の Holiday Inn に入った。ロビーで休んで部屋割りを待つ。決まり次第、時間が惜しいので自分でスーツケースを運んだ。
23:00 3階の部屋に入った。豪華ではなく普通のツアー向けの部屋と言えるが広さはマァ十分だった。もう遅いのでシャワーを急いで済ませ、12:30に就寝。明朝は早いのだ。 バレンシアのホテル

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