HOME旅行記集
旅行記|スペイン紀行、世界遺産を巡る ( 3日目/2003年11月6日 )
バレンシア観光の後グラナダに移動
TOP 国情報 準備 始め 1日目 2日目 3日目 4日目 5日目 6日目 7日目 8日目 終りに豆情報
文字サイズ変更ボタン(本文のみ)
◇◆◇
起床からホテル出発まで: 06:00 起床。濃い目のインスタントコーヒーを2杯のむ。
07:10 パッキングを済ませ、スーツケースを廊下に出す。
07:15 1階のレストランでコンチネンタル・スタイルの朝食。チーズやヨーグルトの味は食べ易いものでした。
07:50 部屋に1度戻った。
08:10 ロビーに降り外に出てみた。周辺の風景写真を撮影。ロータリーのサイズが日本では見れない程に大きい以外は特に気付いたことはない。泊まった Holiday Inn の外観は質素でした。ロータリー沿いに夾竹桃が植えられ、その花は丁度終りかけていた。そんな時期だった。

08:25 バスに乗車し直ぐ出発。
08:55 カテドラルに行くため下車。しばらく街を歩く。公園のような空間、その建物沿いの道はよく清掃され、開店前のカフェテラスもコーヒーを飲んだら寛げそうな感じだった。この時刻でもスペインでは早朝なのか、人の姿は少なかった。今日の見学は数ヶ所のみでバレンシアの中心部にあるカテドラル、ラ・ロンハ、中央市場の予定、古きスペイン東部の街を少し散策といったところ・・・。

バスを下車してカテドラルに向い街中を歩いていたとき、遠方からも八角形のミゲレテの塔(1420年完成)が目立った。この塔はカテドラルの鐘楼、地元ではミカレットと呼ばれるとか(イスラム教モスクの塔はミナレットで、イスラム文化の折衷的な名残?)。207段の螺旋階段があって一般公開(有料・安い)されていて上部まで登れるそうです。帰国後に幾つかのオンライン個人旅行記を拝見したら、バレンシア市街と周辺の農村風景、そしてバレンシア港とか地中海まで見えて展望が素晴らしいという。しかし皆さんは「登るのが大変で、さらに降りるとき足がガクガク・・・。」 健脚の御仁向け。我々のツアーは無視でした。

カテドラル: 09:03 カテドラル到着。スペイン政府観光局サイトによると、ローマ時代には神殿が、西ゴート時代にはキリスト教会が、イスラム時代にはモスクがあった実に古い場所という。レコンキスタによりイスラム勢力が当地から一掃され、1262年にイスラム教モスク跡地にカテドラルの建設が始まった。欧州の大聖堂にはよくある気の長い建設で、完成は約200年後だった。17〜18世紀に改修されロマネスク様式が持ち込まれたという。見た目には巨大な大聖堂の印象はない。

外観的には改修を反映して異なる建築様式が取り入れられている。たとえばカテドラルには入口(門と呼ぶ)が3つあり、 サラゴサ広場に面する正面入口はイタリア式バロックで質素に思われるが一番新しく、アルモイナ広場に面する南側入口は「パラウの門/南門」でロマネスク様式、ビルヘンの広場にある北側の「使徒の門」はゴシック様式で沢山の彫刻像が扉のまわりにある。スペイン政府観光局サイトでは「13世紀に建てられた殊のほか美しいゴシック様式のカテドラル」 として紹介している。

正面入口の右手にゆくと「聖杯の礼拝堂」なる場所があり、キリストが「最後の晩餐」で用いたとされるメノウの杯「聖杯」がある。私には、宗教にのみ許される信仰上の事実であり史実からは飛躍している、ような気がする・・・。しかしスペイン政府観光局サイトによると、「最後の晩さんの聖杯がどういう経路でスペインへたどりついたのかというと、まず聖ペテロがローマへ持って行き、のちのキリスト教迫害の時代にスペインのウエスカ生れの聖ロレンソが生れ故郷に送り、めぐりめぐって15世紀頃バレンシアのカテドラルに落ち着いた。・・・。考古学的にはローマ時代のものと証明されています。」 カトリックにとってはお宝でしょう。

09:20 まで内部参観。通り一遍の参観なら時間はかからない。しばらく「使徒の門」の前の広場で過ごす。近くには小規模なローマ遺跡の発掘現場もあった。 バレンシアのカテドラル

これから世界遺産の1つ「ラ・ロンハ」に向かう。その途中、かなり古い石造りの建物の間の狭い道を通り抜けた。取り立てて説明はなかったが中世の遺産を思い起こすに十分な雰囲気だった。あちこちの建物では窓の外に大きく長いスダレを下げている。日よけ、覗き見防止、外気取り込みの機能を果たしていると思われる。窓の両側にスペイン風(?)の赤っぽい細長い布を下げている建物もあった。一種独特の雰囲気である。

ラ・ロンハ: 09:33 ラ・ロンハに到着。15世紀に建てられ絹の取引所として使用された。重厚なゴシック風の建物で、内部は取引所時代に使用された古風な木机が並べられた大広間だった。珍しいらせん模様の柱が立ち並び、きれいな曲面と筋状の文様の大天井を支えている。正面入口の左側は小さな庭園で多くのオレンジが植えられていた。庭園から建物の上部をみると城砦みたいな凹凸があった。また、スペインのみならずイタリアなどでも中世の建物には時折見られる上部壁面に直角(水平)に取り付けられた人物像が幾つもある。宗教には関係のない一種の御呪いであろうか?世界文化遺産といっても、研究者ならいざ知らず、観光的には直ぐに見終わる程度の大きさだった。毎日曜日に古銭と切手の市が開かれ、今でも昔とは異なる取引所として多少は活用されているようだった。 ラ・ロンハ

09:45 ラ・ロンハ内部の見学を終え外に出る。 直ぐ近くにバレンシアの台所をまかなう規模の大きい中央市場がある。そこまで固まって歩いた。

中央市場: 09:50 中央市場まえに到着。1928年に建てられた市場の外観は中央駅と言っても通ずるほどに立派だった。ファサードだけではなく、中央部には大ドームまであるのだ。場所を変えて何枚かデジカメに収めた。その後、正面から市場の中に入った。全部で100軒程度らしいが、精肉、鮮魚、野菜、果物、チーズ、荒物などの同業が固まって営業している。もちろん日本と同じものも店頭にはあるが、珍しいものも多いのだ。ブラブラと見歩くだけで面白く、時間はすぐ過ぎる。ただ滞在者でなければここで買い物というわけにも・・・。 バレンシアの中央市場
10:15 バス乗り場に集合。

グラナダに向いバス移動: 10:20 女性の現地ガイドさんとはここでお別れ。出発です。街中では城壁などの遺跡や闘牛場など各種の説明がありましたが、どちらかというと睡眠モードだった。時々目開けて周囲の風景を眺める程度だった。

バレンシアを中心とする地方はオレンジの生産が盛んで国内生産の約90%を占めている(スペイン政府観光局サイト)。さて、日本でいう「バレンシア・オレンジ」はいかにもバレンシア産のイメージだが、実はその原産地は不明で名称の由来が一寸変わっている、ようです。『1870年代にカリフォルニアとフロリダにアゾレス諸島産の苗木が輸入され、大栽培の発端となった。カリフォルニアでスペイン人が自国のバレンシア地方のオレンジに似ているといったことから名称が生まれた。おもにアメリカ、地中海沿岸諸国、南アフリカで栽培される。』(出典:世界大百科事典・第2版(DVD-ROM)、Hitachi Digital Heibonsha, 1998)。

この地方は米の生産も盛んと言われる。イスラム教徒が持ち込んだそうで、信じがたいが稲は水田で栽培という。午前に観たバレンシアのカテドラルの広場には毎週木曜日(注:シーズン中)に周辺の農家が集まり「水裁き」、つまり、水田への水配りを決めるという珍しい習慣も続いているとか・・・。

アルカンテのレストランで昼食: そのような土地柄に加えて地中海が近いためか、米と海産物を材料にしたスペイン料理パエリアが有名だ。昼食はこれだった。ついでながら、アリカンテは古くから知られた土地で、古代ギリシア人は「白い砦」、ローマ人は「光の都」と呼んだ光まばゆい場所で現在はリゾート地コスタブランカの中心地になっている。

12:15 アルカンテのレストラン到着。特に食事中の飲み物は注文しなかった。直ぐにサラダとサングリアが出てきたからだ。パンは小型のものがテーブルに置いてあった。しばらく待たされた後に大型の鉄製平鍋(パエリア鍋)で作られたパエリアをウエイトレス2人で運んできた。レモンの切り身が海老の沢山入ったライスの上に一面に乗せられている。写真撮影が出来るように立ち止まってくれた。ガイドブックの写真にあるパエリアのように大きな海老を使った豪華な印象は受けなかった。が、美味しそうだったネ。各自の皿にはウェイトレスが盛り付けてくれる。スペインの米料理はサフランを使った不慣れな異国の味という。でも、美味しく食べれました。 食後のエスプレッソ(@1.24E)も良く、十分に満足した。 昼食(アルカンテのレストラン)
13:30 出発。高速道路をグラナダに向かって走る。

休息: 15:45 一般的なバル( Cafe & Bar / Rincon del Vino )に停車、トイレを借用。ここは上部の竿からハムやソーセージがぶら下がり、カウンターでは軽い食事もできる。スペイン名物の生ハムも目の前で薄切りにして出してくれるのだ。その道具と作業が珍しかった。ツアー同行者でも注文した人がいたが、スペインの生ハムは美味しいといわれる。このような庶民的なバルで本物の味を試食しなかったのが少し後悔される。それに、ここでは通常の西欧人は食さないといわれる蛸の足が大きい容器でシチューのように料理されていた。やはりイタリアと同じく地中海民族は蛸も食べるのだ。
我々はエスプレッソ(@2.00E)をカウンターで飲んだ。美味しくて生きがえった。「タダでトイレの借用は悪いネー」などと言って何か買ったり飲んだりする人が多かった。 休息、バール

16:10 出発。再び高速道路をグラナダに向けてひたすら走る。風景とて特に変わっているわけでもなく、全員が居眠りモードでした。私も時々目を開ける状態だった。 車窓「アンダルシアの月」
18:00 頃に日が沈んだ。この頃、道路の右手はゴツゴツした岩が剥き出しになった山麓だった。道路沿いは全く小規模だったが、その岩のあちこちがくり抜かれ横穴式住居跡のようだった。トルコ・カツパドキアのような大規模なものではない。原理的には単純で世界中にありそうだが、実際にはあまり見ないものと思われる。

グラナダのホテル: 19:20 到着。ロビーにて部屋割りを待つ。明朝の予定が発表。
19:33 部屋に入る。オプショナルツアーの「フラメンコショーとディナーの夕べ 」に参加した人達は出かけたはずだった。
20:00 4階のレストランに行く。このホテルには珍しい螺旋階段があった。広いレストランはシーズン外れかチラホラの客しかいない。 ここで食事するツアーメンバーもオプションの「フラメンコショーとディナーの夕べ 」に参加しなかった7名のみだった。
奥のテーブルが我々に用意されていた。まずグラスワイン(白、@3,00E)を注文。これは飲みやすかった。夕食はパン、スープ、ポークソテー、デザート。無難な味だったと思う。デザートが珍しいもので、ライスをミルクとクリームで甘く煮てシナモンパウダーをまぶした物(洋風甘味粥)、のようだった。スプーンですくって食べる。スペインは米を各種の料理に用いる国ですが、デザートにまで使っていた。 グラナダのホテル
20:50 部屋に戻る。今日はほぼ移動の1日だった。

追記1: バルセロナ空港にスーツケースが届かなかった熟年男性が1人いた。このホテルにもスーツケースは届いていない。それを知った奥様はワイフに下着の件でこぼしたようだった。自宅出発後は何日も同じものを着ているはず・・・。本人の落ち度では無い出来事で不便を忍んでいる。私は工夫次第で多少の余裕があった。それで手持ちの紙パンツと紙シャツを差し入れることにした。後でワイフに届けてもらう。本心から感謝されました。旅は道連れ・・・と言いますが、こんな時は可能な範囲で融通するしかない。しかし甘えは禁物、「自分が困ったときは誰も助けてくれない」と思って十分に用心するのが Better です(少なくとも長時間の往路・帰路では洗面具と薬に加え下着1セット持ち歩くと各種の問題に何とか対処できる。)

追記2: スペインの名物ダンスが観光用になっている。オプショナルの「フラメンコショーとディナーの夕べ 」に参加したメンバーは13名で 2/3 ということになる。旅行者がフラメンコを鑑賞するには「タブラオ(板張り)」という板張り舞台のあるシアターレストランが一般的で、マドリッド、バルセロナ、グラナダ、セビリアなどにあるという。そこでバイレ・フラメンコ(踊り)、カンテ・フラメンコ(歌)、トーケ・フラメンコ(ギター)が一体となったショーを楽しむことになる。今回のオプショナルツアーでもこの種のデナー付きの場所に行ったようだった。しかし参加者からはフラメンコ・ダンスと夕食の両方に関して芳しい感想は全く聞かれず、あからさまな「観光客向け」だったと想像された。 我々は全くの偶然に近いのだが、
(1) 1995年、岡田倫子スペイン舞踏団フラメンコ公演 「アンダルシアの風」、
(2) 1997年、スペイン国立バレエ団(訪日公演)、「フラメンコ組曲(民族舞踏)・等々」、
を日本で鑑賞したことがあった。その歯切れのよい音楽と舞踏、それらを強調する舞台演出、共々印象深いものだった。ただし、オリジナルのジプシーダンスに近い少人数によるフラメンコダンスではなく、大規模な迫力ある舞台だったと記憶している。
いわゆる独断的偏見により「観光用なんか・・・」と言う気持ちでオプショナルに参加しなかったのだ。もしも、本当に皆さんの評価のとおりなら、今回のフラメンコショーに限り不参加は間違った選択ではなかったようだった。

◇◆◇
HOME旅行記集 スペイン旅行記TOP現在の頁( 3日目 )
Page▲Top