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旅行記|スペイン紀行、世界遺産を巡る ( 4日目/2003年11月07日 )
グラナダ観光・移動・セビリア観光
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起床から出発まで: 06:00 起床。トラベルポットで湯を沸かしインスタントコーヒーを飲む。
07:30 朝食。オレンジジュース、ハム・セラミ・チーズ・スクランブルエッグ、ヨーグルト、パン2種、フルーツ2種、コーヒーだった。今日の昼食は遅くなるので、しっかりと朝食はとった。コンチネンタル・スタイルとはいえ、朝食としては十分な種類と量が用意されているし、ビュッフェスタイルなので各自適量が可能でよかった。
08:05 レストランを出る。一旦部屋に戻り集合時間まで過ごす。この部屋には広いテラスがありプラスチック製ガーデン用の椅子とテーブルのセットがあった。そこからホテル正面の駐車場や2階のカフェテラスなどが見下ろせてゆったりした気分を味わえる。グラナダでは比較的よいホテルを利用したようだった。
08:30 ロビーに集合、出発。

アルハンブラ宮殿: 「アルハンブラ」からまず連想したのはナルシソ・イエペスの1枚のCDだった。その最初がタレルガ(Tarrega, 1852-1909)作曲の綺麗なギター曲「アルハンブラの思い出」、たった3分余の短いものである。ムーア人(改宗ベルベル人)の言葉でアルハンブラとは「赤い城」の意味とか、13〜15世紀に建てられた宮殿は繊細で洗練の極致ともいわれるすばらしいものなのだ。中央付近の中庭では12頭のライオンに支えられた噴水の音のみが静寂を破り、そして静寂を強調する。そんなアルハンブラ宮殿を訪れたタレルガはショパンがエチュードで使用したのと同じトレモロ奏法でみごとにその光景を表現した、という(CDの説明)。高音部は玉が転がるように演奏される郷愁をさそう甘いメロデー、それを支える低音の伴奏部、ギターの名曲である・・・。

文学的にも知られた逸話がある。今日でこそアルハンブラ宮殿はユネスコ世界遺産の1つとしてよく知られた観光サイトだが、19世紀までは荒れに荒れ果て浮浪者が寝泊りするこの世でも見捨てられた場所だった。
ニューヨーク生まれの作家ワシントン・アービング( Washington Irving、1783‐1859)は「ニューヨーク史 (1809)」で認められ、商用で1815年イギリスに渡り、以後17年間ヨーロッパに滞在、スペインのアメリカ公使館にも3年間勤務したことがあった。スペイン文化に親しんだ成果の1つが異国情緒豊かな「アルハンブラ宮殿物語 (1832)」だった。無頼の徒の巣窟だった宮殿が「アルハンブラ宮殿物語」を契機に世に知られ、アルハンブラ救済の声が沸きあがった。その結果として多くの修復が可能になり、我々が見学する今日の宮殿が復活したのだった。作家アービングは宮殿北側の一室にて執筆したとされるが、その部屋は入ることは出来ない。芳名を記したプレートがあるだけだった。

珠玉の小曲にもなり、小説で世に知られたアルハンブラ宮殿は9世紀頃からあったアルカサバ(城砦)を最盛期のグラナダ王朝が東に拡張し王宮としたことから始まった。13世紀のことで、その後約2世紀をかけて造営されたが、グラナダは1492年にレコンキスタの最後の戦いの場所となりキリスト教勢力に破れ消滅したのだった。しかし現在でもグラナダには往時のイスラム文化の跡が数多く残り、その最重要なものがこのアルハンブラ宮殿になる。確かに至る所に異国情緒あふれる建物とイスラム建築特有の緻密な装飾が施され、優雅なアラビア風王宮生活の一端を彷彿とさせるに十分だった。

以下、歩いた順に正確に記録したいが、主な場所しか記憶にない。写真によると多くの建物や装飾を鑑賞したが、宮殿ツアーの道順が細かいところでぼやけてしまう。アンダルシア地方で一番の観光ポイントなのに残念・・・。

08:42 駐車場に到着。駐車場からしばらくは糸杉などの並木道を歩き、その後は古色蒼然とした王宮の建造物などを観ながら歩く。ゲート状のアーチには ALHAMBLA の看板もあった。アルカサバ(城砦)に近いメインゲートから王宮に入る。
09:00 入場。ツアーなので直ぐ王宮内部に入れたが、個人の場合は1日の入場数が制限されており時間によっては見学が難しい場合もあるようだ。メインゲートの右手(東方向)に進み、カルロス五世宮殿に南側中央の入口から入った。
09:02 カルロス五世宮殿は外形は正方形に近い大きな建物だが中央部分は円形の空間(中庭)になっている。16世紀に建てられたルネッサンス様式の宮殿という。円形の石造りの中庭は2階建ての回廊に囲まれ、1階はドーリア式(飾りが少ない)、2階はイオニア式(飾りがある)の柱が使われおり一風変わっている。キリスト教徒のカルロス5世(カール5世)がイスラム建築に対抗して建設したようで、他のイスラム建築との違和感が否めない。現在は1階・2階とも美術館として使用されているし、中庭は毎夏のグラナダ国際音楽舞踏祭りの会場として利用されているとか・・・。
09:06 カルロス五世宮殿を過ぎ奥の左手にある王宮に入った。城砦の建物を遠望したり、グラナダ・アルバイシン地区の白壁の街並みを眺めたり、装飾の精密なアラビア文様を鑑賞したり・・・。グラナダ王の執務室だった「メスアルの間」にも入ったと思うのですが、どうも記憶がはっきりとしません。
09:16 アラヤネスの中庭。王宮の東側、カルロス5世宮殿の北側にはプール状の細長い池ある。ここはアラビア風の回廊に囲まれアラヤネス(天人花という植物とか・・・)が池に沿って植えられた中庭であり、城砦の一部のような「コマレスの塔」が北側にそびえている。池の水面に反射する塔の姿もそれなりに・・・。
09:25 ライオンの中庭。アラビア風の装飾を施された124本もの柱列群をもつ異国的な回廊がある。それらに囲まれた中庭の中央に12頭のライオンに支えられた噴水のお盆があった。「これは見逃せない」とする説明も多い。私には回廊からみるライオンが羊のように大人しい動物に見える・・・。しかし、アラビア風柱列群の後ろの部屋は王以外の男性は入れなかったハーレムだったのだ。中庭と建物の全てを合わせてライオンの宮廷という。ライオンが優しい作りなのは当然であろうか?
その後、ドーム状の天井がみごとな部屋などに案内された。ドームは「モカラベ」とかいう表面にウロコのような凹凸が沢山ある珍しい装飾をもち、窓の配置と相俟ってきれいなものだった。が、場所も建物の名もはっきりとしない。
09:35 ワシンントン・アービングの部屋近くを歩いた。先に述べたように、作家アービングの使用した部屋は見学できない。中央に噴水のある緑豊かな中庭を階上から眺め、その後にアルハンブラ宮殿の外にでた。 アルハンブラ宮殿
09:45 フェネラリフェに向う。途中の庭(恐らくはパルタル庭園)を鑑賞、高い鐘楼などもあった。ポプラが黄ばむ秋なのに大輪のバラが見事だった。 城壁の一部とも思われる砦のような建物の傍を通り、フェネラリフェの迷路のような庭園に入った。その先には離宮の建物となる。

フェネラリフェ(グラナダ王家の夏の離宮):   王宮から徒歩10分位の距離にある。14世紀に作られたグラナダ王の夏の離宮というが、随分と近くに建てたものである。レコンキスタの影響で遠方には無理だったのであろうか。
10:02 フェネラリフェの建物に到着。
10:03 アセキアの中庭を鑑賞。アセキアとは水路の意味で石造り直線の水路があり両側には噴水列が配置されている。アラビア人の残した庭園の一部ではあるが、日本人にも親しめるような庭園だった。
10:04 建物の中に入る。窓からアルハンブラ宮殿の写真などを撮影したが、フェネラリフェそのものの記憶は残念ながらない。
10:10 建物から出る。糸杉の狭い並木道を歩きバス乗り場に戻った。
10:22 バス乗り場に到着。 フェネラリフェ 壁紙写真|アルハンブラ宮殿



(上)スペイン文様の寄木細工(壁掛け)
(下)スペイン陶器(小皿)
注:以前のアルハンブラ宮殿には入場制限がなかった。しかし現在は入場制限が設定され1日7700人しか入れないそうです。個人旅行の場合には前売り券を十分な日数の余裕をもって手配しておくことが必要とか。もっとも、遠路グラナダまで行き、当日券が売り切れでアルハンブラ宮殿の見学ができなくても気にしない御仁は別です・・・。

寄木細工の店:トイレ休息。
10:30 広場を囲んで幾つかの商店がある場所にバスは到着。寄木細工の店に入る。 特に欲しい訳ではないが記念品として象嵌細工(寄木細工、@27,00E)の壁飾りとスペイン文様の小皿(@6,00E)を購入した。

グラナダ出発、セビリアにむかう: 10:50 出発。セビリアまで260Km余もあり高速道路でもかなりの時間がかかる。スペインはオリーブ油の生産量では世界一といわれるが、沿道にはオリーブ畑が多かった。他の作物は見当たらない。
12:28 休息。Abades de la Roda と看板が掲げられたドライブインでトイレ休息。ここはスペイン国営の土産屋という。日本に持ち帰る気軽な土産類を購入した。オリーブ油を壷入りで売っていたのが珍しかった。 セビリアに向う
12:50 出発。

セビリア(Sevilla)到着: 地図を見るとセビリアはジブラルタル海峡の真北、大西洋から北東に60Km(地図目測)程度は離れているような内陸部にある。ローマ時代からこの地方の中心でカエサルはヒスパニアと呼んだらしい。次の西ゴートの時代には首都だったこともあるらしい。1248年、レコンキスタによりキリスト教の勢力圏として取り戻され、1492年のコロンブスの新大陸発見後はアメリカ大陸への出発地となった。1519年にマゼランは世界一周の航海に出発したが、このセビリアからの出航だった。街の中心付近を流れるグアダルキビル川(Rio Guadalquivir)は水量が豊かで外洋船が航行できるスペイン唯一の内陸港をつくれ、ロンドンのテームズ川に相当するものといえる。この内陸都市が大航海時代と続く植民地時代に大きな役割を担えたのもこの川のお陰だった。特に南米植民地と取引をする「インディオ通商院」が1503年に設立された後、セビリアは植民地貿易を独占し、タバコ工場が建設され、新大陸の金銀はセビリア造幣局で鋳造されたといわれる。

日本ではその歴史よりもロッシーニ作曲の歌劇「セビリアの理髪師」で知られているのではなかろうか?特にその序曲で・・・。あるいは有名な放蕩児ドン・ファンのモデルとなったセビリア貴族ミゲル・デ・マニャラであろうか・・・。ドン・ファンのモデルは妻を亡くした後は悔い改め修道僧のような生活を送ったという。イタリア・アッシジの聖フランチェスカの話に少しだけ似ているような・・・。

黄金の塔・昼食: バスはしばし歴史的な市街地を走り、セルビアのシンボルとも言われる「黄金の塔」を右に見ながら、グアダルキビル川に架かる橋を東側から西側に渡った。昔は西岸にも同じような塔があり、「銀の塔」と呼ばれたそうだ。共に敵の侵入を監視する望楼だったが、塔の間に鎖を渡し夜間には船舶の航行を不可能にする役割もあったという。黄金の塔は13世紀前半に建築されたもので正12角形の均整のとれた作りだった。

14:30 黄金の塔の対岸地域にあるレストラン(San Marco Restaurante)に到着。入口のゲートはアルカサルの城門と同じような朱色、レストランの壁はアラビア風文様で飾られ、異国情緒たっぷりでムードがあ.った。ただ昼食には遅過ぎる時刻で客はポツポツ。飲み物は大人しくミネラルウォータ(@1,60E)を注文。サラダ、メーンデッシュはイカ墨料理、デザートはメロン、その後エスプレッソ(@1,60E)を飲んだ。
メーンデッシュはスペイン風の大柄な文様の角皿にイカ墨で煮た2匹のイカと白いライスだった。イカ墨は微かな甘味がある。スペインの米料理はサフランで味付けすると言われるが、ここのは普通の白いご飯で富士山状にもられていた。 昼食(黄金の塔近くのレストラン)

15:34 出発。今度はグアダルキビル川を西から東に渡り歴史的地域に戻った。車窓から撮影したセビリアのシンボルともいわれる「黄金の塔」をここで掲載して置きます。 黄金の塔

アルカサル(王城): この地にはイスラムのイベリア半島侵略が始まった翌年の1712年からイスラム王の要塞兼用住居があったらしい。しかし今まで残っているのは14世紀後半頃に「残酷王ペドロ1世」が残した宮殿の施設である。スペイン独特のイスラム様式(ムデハル様式)の代表的建設物とか・・・。アルハンブラ宮殿を鑑賞した後で特には驚かないが、やはり見事な異国的なイスラム風の建物だった。

15:45 バス下車。アルカサルまで街の道を徒歩で行く。
15:52 アルカサル入口の朱色の城門が珍しい。両側の城壁は高さのある石造りで頑丈なものだったが、城門の部分は広く滑らかな朱色の壁になっている。中央部分に城壁に比して狭い感じの入口が作られていた。その上部には前足に十字架を持つライオンが描かれている。今までの欧州旅行で観たどの城門にも似ていない独特のもののように思えた。
15:55 城門内に入る。王宮前の広場との間には城砦時代の遺跡が残っている。それを潜り抜けるとアルカサル正面である。イスラム様式というが、外観的には屋根とか最上部の建造物とか、微かに中国的な雰囲気もする建物だった。こんな印象は私だけだろうか?
16:00 場内見学に建物に入る。多くはアラビア風建物そのものの鑑賞だが、コロンブスが新大陸を発見したときの船、サンタ・マリア号、の模型があったり、「航海士の聖母」という大きな祭壇画を飾った部屋があったり、それなりに変化があった。 アルカサル(王城)

ヒラルダの塔: 16:25 城門を出る。目と鼻の先に次の見学先カテドラルがあり、そこまで歩く。道では観光馬車が客待ちをしていた。カテドラルの施設で98mの高さがあるヒラルダの塔が本堂の後方にそびえている。レコンキスタ以前はモスクのミナレットだったので高さ70mまではイスラム様式、その上がキリスト教徒が付け加えた部分となる。鐘塔の最上部は「信仰の勝利」を象徴する女性像で、風で向きを変えるので「ヒラルダ(風見鶏)」と呼ばれるようになり、セビリアのシンボルといわれる。

カテドラル: 16:35 カテドラル内部に入る。1402年に建設開始、その一世紀後に完成したと言われるゴシック様式の大聖堂は、ローマのサン・ピエトロ寺院、ロンドンのセント・ポール大聖堂に次ぐ欧州で3番目の大寺院になるらしい。堂々たる石柱が並び、世界最大といわれる木製の祭壇がみれる。特筆・記憶すべきは、この大聖堂がコロンブスの墓所で、スペインの4王国(カスティーリャ、レオン、ナバラ、アラゴン)を象徴する4巨人像に担がれたクリストファー・コロンブスの棺があることだ。中には遺灰が収められているという。何かと圧倒されるような大聖堂だった。
コロンブスの墓所というだけで大変なもの、よく耳にする「コロンビア」とは「コロンブス」のことである。アメリカ(U.S.A.)では、州の首都名、大学名、映画会社名、放送局名等々あらゆる所で「コロンビア」が普通名詞のように使われているのだ。南米では国名でも使用されている。こんな大人物が歴史上にいるであろうか?ローマ帝国のカエサルだって及ばない・・・。 カテドラル
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(追記 2006/01/26 ) セビリア近郊のパロスから出港したクリストファー・コロンブス(1451-1506)は1492年10月に大西洋を横断しバハマ諸島に達しました。大航海を成功させてスペインに帰国したのですが、コロンブスを妬んだ者もいたのです。「新大陸はいずれ誰かが見つけたに違いない」といわれ、お返しに卵を机上に立てるゲームをもちかけた。しかし誰も成功しなかった。コロンブスは卵の先を割って立ててみせ、「何事も誰かやった後なら簡単だ。」 これが有名な「コロンブスの卵」のお話です。
さて、コロンブスは数回もの大航海を成功させた後、1506年にスペイン北西部で病気により亡くなりました。遺言に従ってカリブ海の島(現ドミニカ共和国)に埋葬されたが、現地の宗主国が変わり遺体はその後キューバを経てセビリアの大聖堂に移された、とされていた。ところがドミニカ共和国の首都にあるサントドミンゴ記念碑からコロンブスの名を記した骨壷が発見(1877年らしい)されたそうです。これでコロンブスの遺骨は2ヵ所にあることになり、100年以上の論争が続いていたのです。さて、本物の遺骨は? スペインの研究者によりDNA鑑定が行われ、その結果が2006年に発表になるとか・・・。
(以上、トラピックス倶楽部2006年2月号と他の資料から合成しました。)
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17:00 カテドラルを出る。焼き栗ベンダーなどのいる街の道をしばらく歩き、旧市街の情緒を良く残していると言われる地区に向かった。

サンタ・クルス街(旧ユダヤ人街): 昔はユダヤ人の地域だったり貴族の街だったりしたそうだが、今はユダヤ人街とはいえないようだ。JUDERIA の看板こそあれ、何処かに移住したらしい。
17:15 サンタクルス街に入る。 古い迷路の小路ではぐれたら大変なことになる。しばらく入ったところでウェデングドレスの女性が数人に囲まれていた。本物の花嫁ではなく、サンタクルス街でのビデオ撮影だった。近くに行きデジカメで撮ったがそれを見て新郎役が可笑しそうに笑っていた。しかしカメラさん達は日本人観光客と知ってか何も言わなかった。
この街はカフェテラスや商店のある小さな広場が細い道で複雑に結ばれている。その小道の両壁には鉢がかざられている場所もあった。花の季節には綺麗でしょう。この地区の入口近くのカフェテラスに客はいなかったが、奥の幾つかの広場には欧米系の観光客が多かった。椅子を借りて休んでも何も言われない。近くの人達はアメリカからの年配の観光客だった。何も話しかけず目が合うと笑っていた。
幾つかの店にも入ってみた。普通の土産店もあればリアドロのようにスペイン陶人形の専門店もある。安物商店も高価なものを並べた店もあった。要は古き情緒の残る街並みを売り物にした観光の街だった。 サンタ・クルス街(旧ユダヤ人街)
17:55 サンタクルス街を通り抜け、バスに乗った。しばらくグアダルキビル川に沿って走る。レジャー用ヨットが並び、単なる観光地ではなくリゾートとしても賑わっている様子だった。

スペイン広場: アルカサルの南にカルメンの舞台となったタバコ工場があった。今はセビリア大学となっている。さらに南に進むと広大なマリア・ルイサ公園になる。
18:05 その公園の中心にスペイン広場がある。大噴水があった。その向こうには巨大な半円形に沿う堀が作られ、その弧にそってカーブする立派な建物がある。1929年のイペロ・アメリカ博覧会に合わせて作られたものとか。僅かな時間だったが自由行動だったので堀の橋を渡り建物の傍に行ってみ スペイン広場
18:10 スペイン広場出発。ホテルに向う途中、再び「黄金の塔」の傍を通る。ライトアップされ昼とは違うムードだった。

ホテル・夕食: ホテル到着。部屋割りが決まるころにはスーツケースはもう運ばれていた。しばらく部屋で寛いですごした。
19:50 夕食のためロビーに集合。バルセロナ空港で未着のスーツケースがセビリア空港に届いたので、添乗員さんとご夫婦の3名は受け取りに行き不在だった。しかし3名は20:10頃に戻ってきた。
夕食はホテルのレストランだった。飲み物はテーブルワイン(白、@1,80E)をとる。山盛りのサラダ、鶏のもも肉丸焼き、デザートだった。
21:15 散会、自室に戻る。 ホテル
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