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旅行記|スペイン紀行、世界遺産を巡る ( 5日目/2003年11月8日 )
コルドバ観光後にラ マンチャの風車
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起床から出発まで: アンダルシア地方の朝は遅かった。
06:00 起床。直ぐ湯を沸かしインスタントコーヒーを入れる。
06:30 モーニングコールが入る。
07:10 スーツケースを廊下に出す。
07:15 朝食。外はまだ暗い。
07:45 部屋に1度戻った。
07:55 出発。コルドバまで138Kmを高速道路で移動。
09:30 コルドバ市街地に入る。
09:37 ローマ橋とカラオーラの塔を車窓から見ながらメスキータに向かう。

コルドバ(Cordoba): コルドバにも先に訪れたセビリアと同じくグアダルキビル川が流れるが、はるか上流になる。 現在の人口は28万人程でアンダルシア第3の都市。が、産業活動に見るべきものが無く活気に乏しいという。
歴史は古く、イベリア半島をヒスパニアと呼んだローマ帝国は最初の植民都市をこのコルドバに建てた。今では古代ローマ時代の遺構としてグアダルキビル川にかかる橋と城壁が残るのみ。しかしローマ皇帝ネロの家庭教師でローマ最大のストア哲学者といわれるセネガの誕生の地としても知られているそうである。
西ゴートの時代からイスラム教徒の侵略するところとなり、イスラム教徒の後ウマイヤ朝(10世紀)頃にコルドバは西ヨーロッパ随一の規模に発展した。その周囲の城壁は全長12km、人口は10万(100万という記述もある)、城壁外居住地区は21を数え、東方のバグダッドやコンスタンティノープルとその威容を競るほどになった。
1236年のカスティーリャ王フェルナンド3世による征服後は一地方都市となり、しだいに繁栄の道から外れていった。人口も16世紀初めには3万3000人にまで落ち込んだという。

メスキータ: アンダルシア地方ではグラナダのアルハンブラ宮殿、セビリアのヒラルダの塔、そしてコルドバのメスキータが夫々の街の象徴という。「メスキータ」とはスペイン語でイスラム教寺院のモスクを意味するらしいが、通常はコルドバのモスクのことで、スペインのイスラム建築中の傑作とされる。
最初のモスクは758年に着工し3年後に完成した。「オレンジの木の中庭」とその南側にある「多柱式礼拝堂」である。これは長方形の石造建築で、砦のように厚く高い壁に囲まれていた。その後、987年まで4次にわたり増築が行われた。このモスク建築の特色は大屋根を支える円柱にピアを重ね、その上に白い石と赤煉瓦による縞文様の2層アーチ(馬蹄、半円、多弁形)を載せていることにある。確かに珍しく異様な雰囲気をかもし出していた。
1236年のカスティーリャ王フェルナンド3世の再征服(レコンキスタ)によりキリスト教の大聖堂となった。1510‐1607年には中央に十字形のゴシック風の教会堂も設けられて今日の姿となった。
このメスキータ中央部の礼拝堂建築はレコンキスタの勝利に基づくとはいえ、メスキータの記念碑的価値を認めるキリスト教徒も多く、改築には反対した人達もいたらしい。最終的には国王カルロス1世が教会側の意向を受け入れ改築の許可を出した。後日、中央部の聖堂を視察した国王は、「何処にも無いものを壊し、何処にでもあるものをつくった」 と嘆き、自分の軽率な判断を悔いたとされる。

メスキータ観光: 09:40 メスキータ下で下車。入り口までゆるやかな坂道を登る。この道も異国風のスペイン建築に囲まれてそれなりに珍しかった。
10:00 メスキータ入場。椰子やオレンジの木のある中庭に入り、最も古い部分の入口「棕櫚(シュロ)の門」の近くで現地ガイドさんの説明を聞く。と言っても説明の聞き取りはワイフにまかせデジカメ片手にブラブラした。今日は24〜25人の和服姿の熟年団体が勢ぞろいで記念撮影などをしている。珍しい光景なので欧米系の人達も立ち止まって見たりしていた。ある意味では異様な感じもするもの・・・。午後にファッションショーではないが日本の文化を紹介するイベントが催され、その為に訪問している人達のようだった。スペイン人の現地ガイドさんにもこのイベントの招待状が届いたとか。
10:13 「棕櫚の門」からメスキータで最も古い785年着工の部分に入る。中は薄暗いが、朱色と白の縞模様のアーチが有名な寺院内部となる。赤白はいかにも塗り物のように見えるが、前述のように天井を支える構造体に異なる石を組み合わせて模様を作り出している。二重アーチの構造の源泉は遠くメソポタミアまで遡るとか・・・。
中央部はキリスト教の大聖堂で祭壇がある。規模のある立派なものだった。カトリック信者にとっては意味深い宗教的な品々も展示してあるが、我々には意味も分からず簡単に拝見するだけだった。写真を数多く撮影したがほとんどは露出不足、ただデジカメの強みで多少は補正できる・・・。
この聖堂部分には数多くのパイプオルガンが設置されているのが目にとまる。通常のパイプオルガンはパイプが縦に壁面に取り付けられるが、ここでは一部の高音用パイプが壁面から直角に飛び出たものもあった。
一番奥はミヒラブと呼ばれ、メッカの方向を向くイスラム教の祭壇にあたる場所とか。これまでのスペイン建築は石と大理石で建てられたが、ここで初めて石膏が使用されたとされる。これが後世のスペインの装飾(ムデハル様式)に大きな影響を与えたそうだ。
観光グループの歩く場所以外は天窓の僅かな光と吊り下げられたライトの放つ弱い光て゜柱だけがボーと見えるガランとした空間だった。1人で入るなら背筋が冷たくなるかも知れない雰囲気ともいえよう。
10:55 メスキータの「オレンジの中庭」にでる。この中庭は最初に作られたものの1つで、単なる中庭ではなく宗教的にメスキータと一体のものだったらしい。昔は中央に池があり、イスラム教徒の禊(みそぎ、体を水で清める)が行われたそうだ。この池は今はない。
スペインのあちこちの街路とか中庭にオレンジの木が植えられている。丁度オレンジの実が黄色くなる時期だったが「食べられない」という説明があった(食べれると言うともぎ取る御仁が現れ日本人の評判を落とす可能性があるので、「食べれない」と言っているのでは?) メスキータ

ユダヤ人街と花の小道: 10:55 メスキータ北側近くのユダヤ人街に移動。白壁の建物の間にある狭い小路を歩くだけのことだった。白い壁だけだと変化もなく殺風景なので壁に花の鉢を沢山取り付けている。これが観光的に人気があるという。道路で土産物を売る人もいたが総じて小規模な静かなエリアだった。比較すると昨日のセビリアのユダヤ人街(サンタクルス街)のほうが大規模で商店やカフェテラスも多く観光的には楽しめる(と思う)。
スペイン国内では珍しいシナゴーグ(ユダヤ教寺院)の一つがこのコルドバのユダヤ人居住区に残っているそうである。恐らく今でも住んでいるユダヤ人家族がいるのであろう。

コロンブスが新大陸を発見した1492年にイスラム教徒のグラナダ王国がキリスト教勢力に滅ぼされ、スペインはレコンキスタを完了する。その時までイスラム教徒とキリスト教徒の間をつなぐ商活動をしてきた、とされるユダヤ人は同じ1492年にスペインから追放の憂き目にあった。スペインとしては今日まで敬虔なカトリック教国としての道を歩む基礎固めになった、ともいえよう。同時にスペインではシナゴーグが珍しい存在になったのだ。

ところがコロンブスの航海に使われたサンタ・マリア号の船員の多くが改宗ユダヤ人だったといわれる。なにか、皮肉な話である。スペインの無敵艦隊がアングロ・サクソン国家に破れ(1588年)、衰退を余儀なくされた。そのしばらく後(1620年)にアングロ・アメリカの基礎作りが始まった。スペインとコロンブスの発見した新大陸の北米にユダヤ人にとって比較的寛容な国が作られ、今日ではラテン・アメリカ諸国とは比較できない唯一の超大国とまで言われるようになっているのだ。余談ながら、ニューヨーク時代に親しかった若いユダヤ教ラバイ(当時はNY市立大学システムの歴史学の講師)が「アメリカはユダヤ人の歴史にとり最も住みやすい国」と言っていたのが思い出される。 ユダヤ人街と花の小道
11:00 メスキータ入口前の土産店に入る。特に買い物もないので冷やかしで終わった。
11:20 土産店前に集合。メスキータの反対側のレストランまで歩く。

昼食: 11:30 レストランに到着。その前で現地ガイドさんと別れた。
ランチはスープ、メーンデッシュ(ポークとフレンチフライ)、アイスクリームだった。食後にコーヒーを注文。もちろん空腹はおさまったが印象には残らなかった。 昼食(コルドバのレストラン)
12:20 レストランを出る。

コルドバからマドリッドにバス移動: 12:25 駐車場に戻り、バスに乗車、直ぐ出発。これからマドリッドまで407Kmの移動となる。大部分は高速道路だった。
14:25 休息。オレンジジュース(@2,30E)をカウンターで作ってもらった。美味い。
14:45 出発。
15:40 ガソリン購入の停車。
15:45 出発。バスはさらに北に進む。 コルドバからマドリッドに移動

ラ・マンチャ地方: ラ・マンチャ地方はトレド、クエンカ、アルバセーテ、シウダーレアルの4県にまたがり、低い丘が果てしなくうねる広々とした乾燥地帯という。確かに同じようななだらかな丘陵地帯の農村風景が呆れる程に長々と続いた。ラ・マンチャといえば、「ラ・マンチャの男」のドン・キホーテ、作家セルバンテス(1547-1616)はこの地方を選らんで騎士道精神に溢れるドン・キホーテの活躍の場所とした。知られた話で、日本でも「ラ・マンチャの男」というお芝居がロングランを続けたことがあったはず・・・。

カンポ・デ・クリプターナの風車: マドリッドに通ずる高速道路から一旦降りて東に田舎道を走った。小高い丘の上に幾つかの風車が見える。そしてその丘の頂上に出ると進行方向左側の町寄りの緩やかな斜面に風車が群がっている。といっても総数は10基くらいだったと思う(正確な数は忘れた)。かつてはここに30基もあったそうだ。
16:25 バスは未舗装の駐車場に到着、直ぐに自由行動となる。風車は近くにあった。5基が並んでいたが端の1つは塔だけで風車は取り外されている。ここで数枚の記念写真を撮った。それから町へ歩いてみた。距離も無く、ほんの数分のことである。町との境近く、町に向かって左手に観光案内所になっている風車、右手に塔の内部に入れる風車があった。その辺から空、風車、オレンジ色の瓦屋根と白い壁のスペインらしき風景が楽しめる。坂道を少し下り左に行くと街中にも風車があった。我々は町の探検はしなかったが、かなり先まで歩いた人達は土産屋があった程度といっていた。

風車内の土産屋で買ったスケッチ
額に入れたら意外にも・・・
坂道を戻り、風車塔の中に入ってみた。階段を登ると土産物を並べた店があり老人が店番をしている。さらに階段を登ると風車の機械室となる。横向きの風車の軸に大きな歯車が付けられ、その歯車から回転力が別の軸に伝わる仕組みだった。全て木製である。大昔の代物だが、やはり粉引きなどには役立ったことであろう。この機械室には窓があり外の風景も楽しめる。 カンポ・デ・クリプターナの風車
階段を降り、土産屋の品々を見てみた。興味をそそるものは少なかったが、「部屋の窓から風車が見える」スケッチ(印刷物,@5,00E)を一枚買ってあげた。帰宅後に写真用の額に入れ書斎に飾ったら案外とさまになる。「ヤァー、ドン・キホーテ殿。ご機嫌はいかがでごぜいやすか?」という声が聞こえてきそうな・・・。あるいは、「わが大和国のもののふの端くれとして、かのスペイン国の騎士道の具現者、諸国の騎士らの手本とあがめられる貴殿を粗末にはいたしませぬ。ごゆるりとお過ごしあれ」とでも言いたくなるような・・・(ウフッ)。
冗談はさておいて、カンポ・デ・クリプターナはドン・キホーテが物語りの中で戦いを挑んだ場所として知られている。その解説は適当な参考書でも見てください。実は学生時代に、セルバンテス、「ドン・キホーテ 前篇」、筑摩書房、なる文学書を買ったが、最初だけでバカバカしくなり(若すぎて意味を汲み取れなかったので)投げてあった。超ヒマな時にどのように風車に戦いを挑んだのか読んで調べたいものです。翻訳本では岩波書店出版のほうがポビュラーらしい・・・。
17:00 出発。来た道を戻り、カンポ・デ・クリプターナの狭い道を走った。こんな田舎町なのに家々の1階の窓には全て厳重に鉄格子がはめられていた。アルミ製の軽い感じのものと違い、実にガッチリとしたものなのだ。2階の窓には無い。用心のためとはいえ驚きだった。町を出てからしばらく走り、高速道路に乗ってマドリッドに向かった。
17:30 雨が降り始めた。ラ・マンチャとは「乾いた土地」の意味だそうだが・・・。

マドリッドのホテル:
19:00 ホテル到着。バレンシアからここまで4日間も案内してくれたバスのスルー・ドライバーさんともお別れとなりました。
19:55 しばらく部屋で休んだあと、1階のレストランに集合。夕食のテーブルは添乗員さんと3人だった。 白ワイン・ボトルを注文。一本8,00Eで約1000円程度、高くは無いし、飲み易いスペイン産ワインで3人には丁度よかった。 夕食は新鮮なサラダ、グラタン風のスペイン料理、デザートだった。
21:05 部屋に戻った。 マドリッドのホテル
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