HOME旅行記集
旅行記|スペイン紀行、世界遺産を巡る ( 6日目/2003年11月09日 )
マドリッド観光とトレド観光
TOP 国情報 準備 始め 1日目 2日目 3日目 4日目 5日目 6日目 7日目 8日目 終りに豆情報
文字サイズ変更ボタン(本文のみ)
◇◆◇
起床から出発まで: 06:30 起床。スペイン観光も今日が最後となる。外はまだ暗かったが雨ではなかった。例によりインスタントコーヒーを飲む。このコーヒーは幸い味が良く持ってきた甲斐があった。今晩も同じ部屋なのでパッキングが無くて楽な朝だった。
07:45 朝食。ジュース、パンにバターとジャム、ハム数切れ(美味しかった)と薄切りトマト、デザート(フルーツ)、コーヒー。グルメではなく、こんな食事が大好き人間なので満足した。
08:10 部屋に戻る。明るくなった窓の外をみると、高層アパートだった。何も見えない。
08:40 ロビーからホテル前の通りに出る。付近の写真撮影。欧州では普通の高層住宅が立ち並ぶ地域だった。街は清潔で枯落ち葉が目に入るくらいだった。
09:00 バスに乗車。今日のバスは昨日までの中型観光バスとは全く違っていた。サイズは大型、全ての座席が座り心地満点の黒の総レザー製なのである。もちろん内装も違う。あまりの違いに驚いていると、バス会社がサッカー選手の移動専用として用意してある2台の高級バスの1台という。たまたま空いていたので回してくれたそうである。ラッキーだった。
出発。美術館まで15分くらいだったが、マドリッドの街並を車窓から眺めて過ごした。

マドリッド: 先史時代から人間が住んだ場所のようだが、記録に残されたのは10世紀ころからといわれる。現在の王宮あたりにイスラム教徒の要塞があった。マゲリー(マグリー)と呼ばれ、これがマドリッドの語源になった。
かつてスペインの首都はトレドだったが、フェリペ2世が遷都してマドリッドを1561年に首都とした。地質的に最も地震が少ないとか、欧州の首都では最も標高が高い(646m)とか、特色がある。さらに、ワシントン(米国)、ブラジリア(ブラジル)、キャンベラ(オーストラリア)、オタワ(カナダ)、アンカラ(トルコ)などと同じ人工的な首都になるという。そして欧米諸国では最も古い人工的首都という指摘もあるようだ。19世紀半ばから発展し、現在は人口が300万人を超える大都会となっている。
歴史的な観光サイトや美術館などの観光資源も豊富で、ロンドンと同じ赤い2階建て観光バスも走る魅力ある大都会である。が、日本人を狙った犯罪が多く、残念ながら、安心して歩き回ることが難しい場所も多いといわれる。

プラド美術館: マドリッドに美術館は多いが、このプラド美術館が最も知られているようだ。 1819年、フェルナンド7世の時にプラド美術館はスペイン王家の美術品を所蔵する美術館として完成した。建設開始は1785年とされる。その後、王家のコレクションを基礎に国立美術館となり、現在ではスペインを代表する世界最大級の美術館の1つとして知られている。イタリア絵画、フランドル絵画、フランス絵画のセクションも充実しているそうだが、スペイン絵画のセクションが見所になっている。スペイン絵画の三大巨匠といわれるエル・グレコ(El Greco, 1541-1614)、ゴヤ(Francisco de Goya,1746-1828)、ベラスケス(Diego Velazquez,1599-1660)の作品とか16〜17世紀のスペイン画家の作品が見応えのあるものらしい。

プラド美術館・鑑賞: 09:15 美術館の前庭に到着。美術館の入口は3つあり、ゴヤの門から入館である。我々はゴヤの銅像の近くで入館できるまで待つことになった。現在はフランスのエドアール・マネ(1832-1883)の特別展覧会が開催中(2003.10.14〜2004.01.11⇒2004.02.04まで延長)で2階の入口には多少の人が集まっていた。この時刻だから良かったものの、帰る時には美術館入口から横の庭(公園?)を一回りするほどの長蛇の列ができていた。日本でもフランス絵画の特別展などには大勢が集まり入館に時間がかかることがある。ここマドリッドでも同じだった。特に、印象派の先駆者マネは浮世絵とスペイン絵画の影響を受けたとされる。事実、マネはスペイン絵画(ベラスケスやゴヤ)を深く研究しスペイン旅行をした上で自分の作風を確立したともいわれ、特にゴヤの「裸のマヤ」(プラド美術館所蔵)の影響が大きいという指摘にも出会った。その意味でマネの作品はスペインでの一般的な人気があり評価も高いのであろう。

09:30 短い行列につき、美術館の2階入口から入館。その後、館内ホールで添乗員さんから概略の説明があり集合時間と場所が言い渡された。マネ展のチケットとパンフも渡された。自由行動は僅か1時間15分程度だった。見学した結果からいうと、プラド美術館の観光的な通り一遍の鑑賞には十分と思われるが、今回は見逃せないマネ展が含まれているから時間不足だった。せめて2時間は用意して欲しかったと思う。が、文句を言っても始まらない。大急ぎで回ることにした。

直進してまずマネの特別展に行く。既に大勢の人たちが入館し、展示場を兼ねたホールウェーは混んだ感じになっている。途中に有名な「笛を吹く少年」があったのでデジカメに収めた。この美術館はフラッシュ禁止でも写真撮影はOKだ。しかしマネの作品は別で、撮影禁止だった。女性職員から即座の注意があった。が、撮った写真の消去までは言われなかった。やはりホールの中央に展示されていたマネ作「バルコニー」を鑑賞するワイフのスナップを撮って(強心臓・・・)からデジカメのレンズにキャップをした。マネ展の入口でチケットを渡して入場した。日本の特別展覧会と似たもので、入場者が多く混んでいるからユックリ鑑賞とはいかない。少しオーバーな表現だが、歩きながら記憶にあるようなマネの絵を眺めただけともいえる。幾つかは日本とかパリなどで鑑賞した作品との再会だった。

次はスペイン絵画のセクションに行く。敬虔なカトリック教国だけに古い宗教画が多く、また王侯貴族の肖像画も多かった。その中には記憶にあるものも混じっていた。ヌルーと縦に伸ばした感じで独特の色合いをもつエル・グレコの大型の作品が幾つもあった。ギリシア・クレタ島の生まれながらスペインで創作活動をしたグレコの作品は、例え宗教画としても、私には絵画として違和感を感じさせない作風だった。深みのあるグリーンの使い方などが記憶に残りやすかった。他にもゴヤやベラスケスももちろん観たはず、しかし大急ぎだったのであらかたの印象を忘れてしまった。ニュージーランド旅行で「親を食して生きる」すごい虫(実物)を見たことがあったが、ここには自分の子供を食べる男のゾ〜とするようなゴヤの作品があったはず・・・。でも見なかったかもしれない。丁度ニューヨークのメトロポリタン美術館でゴヤ特別展を催行中だったはず、有名な「裸のマヤ」も見た記憶が無い・・・。次にイタリアのセクションに入る。ここも宗教画が多い。アンジェリコの「受胎告知」などイタリア旅行中に見たような気がする絵だが、ここで展示されている。短時間に多くの絵を見すぎて頭がパニック状態になったのが正直なところ・・・。 トイレに行き、混んだ売店に飛び込んで大急ぎで絵葉書とか小型ノートなどの記念品を買った。もう残り時間わずかだった。

10:50 ゴヤの門から美術館を出て、集合。数分あったので一旦離れて、右手の庭と美術館の建物を撮影した。 美術館の左側には入館待ちの長蛇の列ができていた。どうやら現在の入館者数を一定にコントロールしているらしい。これでは何時間待ちで入館できるか分からない。我々は指示に従い、美術館の敷地から道路に出てバスに乗った。 プラド美術館
11:00 バス出発。
11:10 バスから下車。一般道をしばらく歩く。団体だったし街を行き交う人達が普通のスペイン人のようで犯罪が怖いということはなかった。東洋人が固まって歩く光景は地元の人達の目には少し異様に写るかも知れないが、それだけの事と思う。小高い場所の公園風のスクエアーに面した革製品の店に着いた。

革製品の店: 11:15 Lepanto という店だった。例によって店の人から一通りのガイダンスがあった。その後、各自の自由な物色となる。店内のスペースも十分程度あり、並べられた皮製品も種類があった。スペインの革製品の評判は良いので購入者もそれなりに見られた。ただ高価な衣類の購入は少なく、バックや財布などの小物の購入が多かったように見受けた。我々も一寸した土産品を購入した。
11:55 店外にでる。前の公園沿いに歩き、坂道を下る。王宮の前庭まで遠くはなかった。

王宮: レコンキスタにより1083年にキリスト教徒がマドリッドを奪回するまでイスラム教徒の城塞があった。その城塞を国王の居城として利用していたが、1734年のクリスマス当日に火災で失われた。再建された王宮は1764年に完成、150m四方の建物に2800もの部屋があるという。現在は50部屋が公開され、それらは絢爛豪華なものといわれる。飾れている陶器・金銀細工・シャンデリア等々は王家のコレクションで、ゴヤなどの美術品やタペストリーのコレクションなども見事なようだ。我々のツアーでは王宮内部の見学はしなかったが、白っぽい石造りの外観から内部の豪華さは想像に難くない。

12:00 王宮の前庭に到着、緑に囲まれた直線路を王宮正面の広場に向った。近くで記念写真を撮って直ぐに王宮の右側の駐車場に向かった。
12:05 王宮近くの地下駐車場に到着。実は近くて徒歩圏内のスペイン広場に行くのだが、ここは日本人観光客の多くが訪れるので一部犯罪者の格好の餌場らしいのだ。用心して公道を歩かずバスでスペイン広場入口に行くのである。 12:10 地下駐車場を出る。

スペイン広場: 12:12 広場入口に到着。池の向こう側に、巨大なスペイン・ビルを背景にした作家ミゲル・デ・セルバンテス(1547-1616)の像がある。没後300年を記念して造られたものといわれる。 セルバンテスの足元には痩せ馬のロシナンテに乗ったドン・キホーテ(Don Quixote)と驢馬に乗る従者サンチョ・パンサの像がある。セルバンテスは自分を世界で最も有名な作家の1人にした自らの創造物をどんな思いで見下ろしているのだろう?

ついでながら、セルバンテスはレパントの戦い(1571年)で負傷し左手が動かせなくなった。58才のときドン・キホーテが出版されたが、それまでは認められることもなく社会的・経済的に苦しい生活を強いられていた。アンダルシア地方で無敵艦隊への食料調達係りをしたり、無敵艦隊が敗れた後には徴税吏となった。が、『仕事上の失策で投獄される憂き目にもあった。セビリアの獄中生活で国家の運命にもてあそばれた自己の運命を振り返っているうちに、理想と現実、行動と挫折、希望と幻滅の人生を、中世風の騎士を戯曲化することによって描く、という着想を得た。』 全くの逆境の最中に構想された小説だったようです。

他方、16世紀のスペインでは騎士道の物語が大流行したという。これにはパターンがあり、登場する騎士は3つの理想、つまり、
(1)強者の不正をくじき弱者を助けること、
(2)いかなる困難にも敢然と立ち向かうこと、
(3)思い姫と定めた貴婦人に至純の愛を捧げること、
を行動の規範として超人的な活躍をする英雄でなければならなかった。 騎士道小説の流行の発端は1508年出版の「アマディス・デ・ガウラ」なる作品といわれ、セルバンテスはその英雄ガウラを騎士道の鑑(カガミ)として忠実に真似ようとするドン・キホーテを主人公とする長編パロディーを書き上げた。それが「ドン・キホーテ前編」(1605)と「ドン・キホーテ続編」(1615)なのです。(講談社「スペイン・ポルトガル」1983、pp.55-57) ところが、この作品は作者の意図をはるかに超え、真実を含んだ超大作となり世界的に高い評価を獲得する結果になった・・・。

我々は、このスペインの偉大な作家像の写真を撮っただけでこの小公園を後にした。前の丸い池が意外にもゴミで汚なかったのは残念です。 スペイン広場
12:17 グランピア通りに出る。ロンドンと同じような赤い2階建て観光バスが走っていた。バスに乗車、次は日本の老舗デパートに寄る。

マドリッド三越: 12:30 マドリッド三越前にバスが停車。我々の到着を歩道で待っていたガードマンが入口のドアーを開錠した。サッと扉を開け、全員が入店したら直ちに再び入り口ドアーに施錠した。この警備の厳重さには驚いた。デパートの三越が経営しているが、デパートではなくマドリッドの大型高級土産店である。日本人にとっては何かと便利な存在であろうが、高級宝飾店なみの警備だった・・・。

買い物の予定はなかったが、せっかくなので店内をゆっくり見歩いた。スペインの代表的陶器リアドロもかなり置いてある。 ニューヨークのデパート、メーシーズ、で印象に残ったリアドロの大型の置物「シンデレラ」がここでは売り物としてあり、値段は@19543,00E(約260万円)だった。メーシーズでは値段の表示はなかったと記憶している。素晴らしい夢のある置物だが値段は手が出ない代わりに目が飛び出るものだった。それでも日本よりは低価格なのであろう。美術館とは違い、ここでは用意さえあれば自分のものに出来るのだ。
同じスペイン製品でも比較的気軽に購入できるロエベの財布とキーホールダーを記念品として購入した。しっかりした作りだった。三越カードが使えるので携帯してきた。それを使って支払う。僅かだが割引となった。
13:00 三越を出てバス乗車。これから昼食レストランに向かう。

マヨール広場近くでタバスの昼食: 13:15 下車。古い建物の間の狭い道を通り抜けると庶民的な賑やかな街になった。建物上部はアパートのようで下部はバルやレストランや商店になっている。小さく長い広場の先には古くて大きな建物の中央にトンネル入口のようなアーチがあった。中に階段がみえる。そこを登るとマヨール広場に入れるらしい。観光ガイドブックによると、「広場には外に出る9ヶ所のアーチがあるが、その1つクチリェーロス門から石段を降りるとバルが集まるクチリェーロス通り。飲んで食べて歌って楽しい通り。」 どうやらそのクチリェーロス通りで昼食らしい。
13:19 レストランに到着。内部をゴチャゴチャと歩き、狭くて古い階段を登り、さらに一番奥まで行ったら我々のテーブルだった。天井から籠が下がり、その中にパンが入っているのが珍しい。適当に取って食べる。まずたっぷりと盛られた生サラダが配られた。タパスとは直訳すれば蓋(フタ)の意味(複数)で、実際には食べ物の「おつまみ」を意味するという。ここはタパス・レストランということで、円形パイ料理の一切れづづとか、イカ・リングのフライ、揚げた肉団子、等々6〜7種類が出てきた。空腹だった為でもあるが、癖がなく美味しく食べれた。タパスは夕食でも十分というが、注文の量さえ適切ならそのとおりと思う。タパスとは日本の「おつまみ」というより「単品の固形惣菜/おかず」でしょうね。

14:05 レストランを出て外の雑踏に混じった。6〜7階の古いアパートが立ち並ぶが、空いた壁面には大きな壁画が描かれている。この街の雰囲気はニューヨークのビレッジにとても近いものだった。要は肩のこらない気軽な場所なのだ。再び庶民的な道を歩き、賑やかな表通りでバスが来るのをまった。その間、本当に身嗜みの良い人達が大勢行き来していたが、マヨール広場の近くでミサがあり、それ故の人波という説明があった。さすが熱心なカトリック教国のことはある。 昼食(タパス料理)

実はここからマドリッドの自由行動の時間である。たったの半日とはいえ、個人的に気の向くまま足の向くままスペインの首都を散策することにも興味があった。しかし何分にも日本人に狙いを定めた犯罪が多発する街といわれる。無理もいけないのでオプショナル・ツアー「古都トレド観光と子豚の丸焼きディナー」を申し込んでいた。全員が申し込んでいたので、全ては今までどおり、変わりなし。

トレドに向け出発: 14:13 バス乗車、直ぐトレドに向けて出発。しばらくはマドリッド市街を走る。その後は高速道路を一路トレドにむかった。

古都トレド: この街の歴史はとても古い。キリスト教以前のローマ時代にはローマ軍の城塞がおかれていた。その後6世紀にキリスト教ゲルマン系民族の西ゴート族がイベリア半島に侵入し、トレドは西ゴート王国の首都になり発展したのだった。しかし、711年に北アフリカから侵入したイスラム教徒により征服され、1085年にレコンキスタによりキリスト教徒の手に取り戻されるまで374年の長きにわたりモスリムの支配下となったのです。1492年の国外追放令が発布されるまでユダヤ人もこの街に住み、キリスト教文化・イスラム教文化・ユダヤ教文化が共存していた。この街の古き建物はイスラム建築の影響が大きいともいわれる。スペインは1561年にマドリッドに遷都したが、それまでトレドが首都だった。しかし、当時から現在までもスペイン・カトリックの首座司教座がおかれ宗教的な中心地であり続けている。それで宗教関連の施設がトレドには多いとされる。他にも画家のエル・グレコが好み住んだ街としても知られている。
1981年に奈良市と姉妹都市となり、1987年にユネスコ世界遺産に指定されました。

追記(2005/8/25): NHK-TVで世界遺産「トレド」の放映が夜8時からありました。その番組では、ユダヤ教徒やイスラム教徒は「国外追放令」によりスペイン国外に去ったという説明はなく、当時のカスティリア王国が「カトリックへの改宗」を強要した、と説明されていました。多くは国外に難を逃れたが、ユダヤ教徒の中には表向きカトリック教徒として振る舞いながら実態はユダヤ教徒(改宗ユダヤ教徒/マラノス)だった人達もスペインに残留したらしいのです。アメリカ大陸の発見をなしとげたコロンブスの船員達の多くはこの改宗ユダヤ教徒だったという指摘すらあるのです。
「国外追放令」が発布されたのか、「カトリックへの改宗」が強要された結果として「国外追放令」と同じ効果があったのか、私には分かりません。こと宗教と政治の絡みには各種の異なる説明があるようです。しかしながら、当時のスペインは異文化・異民族に不寛容な性格が強かったらしく、繁栄していたトレドもユダヤ教徒やイスラム教徒がいなくなると沈滞してしまったそうです。(追記:終り)

トレドに到着:はるかポルトガルのリスボンまで流れくだり大西洋に注ぐタホ川、これが大きく蛇行して三方を囲む丘の上にトレドの街がある。タホ川の流れが急峻な崖を作り天然の要塞となっている。今は街の対岸に展望台が設けられ、そこから街全体を眺めることが観光の目玉の一つになっている。
15:45 バスはまずその展望台に案内した。下車して川向こうの丘にあるトレド市街を眺める。丘の頂上付近の右側にアルカサル(王宮)とその左側にカテドラルの尖塔がとても目立つ。「絶景かな!」といったところ。ツーショットの記念写真を撮ってもらった。
15:50 再度、バスに乗車しトレド市街地に移動。
15:55 トレド市街でバスを下車。太陽の門などを見ながら市街地の狭い石畳の道を進む。
16:05 小高くなったサント・トメ教会の方向に歩き、途中から曲がってカテドラルに向かった。
16:30 カテドラルの鐘塔に到着。大聖堂内部の参観はなく外観のみ。
追記(2005/8/25): NHK-TVの世界遺産「トレド」によると、この大聖堂の内部の絵画や金銀・宝飾品を潤沢に使用した所謂「お宝/財産」はその数も質も想像を絶するものようでした。画面からは絢爛豪華でまばゆいようにも感じました。内部の見学ができると素晴らしいでしようね。(追記:終り)
次にグレコの家に向かう。


王室御用達とされる菓子屋の「マサカオ」、
味は和菓子に似ているような・・・
16:40 通りがかりに王室ご用達の老舗菓子屋があった。スペインのタパス(おつまみ)にマグロ・玉ねぎ・ピーマンを揚げたスペイン餃子と呼べる形の「エンパナディーリャ」がある。ところがこの菓子屋さんのショーウインドウには美味しそうなスペイン菓子に混じり「餃子の形をした菓子」が飾られていた。名物と思われる。中に入りたかったがツアーのことで難しかった。ショーウィンドウの写真だけ撮ってグループを走って追いかけた。
追記(2006/3/12): 昨夜、NHK-BS3で「世界ふれあい街歩き・トレド」という番組が放映されました。それによると、この菓子は「マサカオ」といって元来はイスラム教徒の菓子だったらしい。その後、キリスト教の修道院が貧しい人達への食べ物として用意したことからトレドの名物として定着したようです。今はトレド中で売られている。「餡はカボチャと砂糖、外側は粉末アーモンド、蜂蜜、砂糖をよくこねたもの、それに溶き卵をサッと表面上部にぬってオーブンで焼いてつくる」と紹介されていました。(追記:終り)

16:46 エル・グレコの家に到着。グレコ(本名ドメニコス・テオトコプロス)は1541年ギリシアのクレタ島に生まれ、35才の頃からスペインで活動した。エル・グレコとはスペイン語で「あのギリシア人」を意味するあだ名という。王室に疎まれた後には気に入ったトレドに住んだ。画家としての制作活動と共に画商としても成功し膨大な財産を残したとも言われる。当時住んだとされる邸宅が改装され彼の作品が展示されている。
入場券を渡された。大勢の観光客が集まっていて、中に入るのに時間がかかった。内部でもゆっくりグレコの作品を見た訳ではなく、見学は人に揉まれる感じで数分くらいだったと思う。
16:55 グレコの家からバスに向かう。石造りの建物に挟まれた狭い道を通りぬけ、石橋を渡ってトレド市街と別れた。バスは対岸の石橋の近くで待っていた。
17:13 バス乗車。
17:20 金細工(象嵌細工)の店に寄る。職人が緻密な金細工の製作実演をしてみせた。この店の金細工はデザイン的にアラビア風で興味はあったが購入には至らない。ところが、入口で土産の菓子類を売っていた。王室ご用達の老舗菓子屋で見かけた「餃子形の菓子」も箱入りで置いてある。甘党のこと、三箱(@5,70E)購入した。 世界遺産 トレド点描

注:トレドの金銀細工は「ダマスキナード」と呼ばれる。この名称はイスラム文化では最高の装飾工芸を育んだとされるダマスカス(シリア)の地名から「ダマス物(ニセ物にあらず)」として呼ばれたことに始まったそうです。ダマスカス発祥の工芸技術は、東は中国、西はスペインに伝わり、金銀を巧みな技術で象嵌加工した装飾品は8〜15世紀にイスラムの影響を強く受けたトレドでその技術の継承が行われ成長したのです。

17:30 トレド出発。高速道路を一路マドリッドに向かった。

マドリッドに向かう: 17:30 トレド出発。高速道路でマドリッドに帰る。居眠りモード・・・。

レストランで夕食: 18:50 マドリッド・スペイン広場に面するイタリアン・レストランにはいった。早いものでスペイン最後の夕食となる。そう思うと、1日だけでもマドリッドの自由散策を楽しみたいという気持ちが湧き、「もー帰るんだ」と多少は物足りなさを感じた。
飲み物はグラスワイン(白、@2,50E)を注文した。 ディナーは大皿のサラダ、子豚の焼肉2切れとポテトなど、デザート(アイスクリーム)。特に「子豚の丸焼きディナー」というので、子豚のローストをワゴンで運んできて目の前で切り取り銘々皿に盛ってくれるものと思っていた。が、既に切ったローストポークが皿で出てきた。これでは特に感想を書くほどの料理ではない。夕食として子豚の味は良かったので満足できると言える程度だった。 夕食(マドリッドのレストラン)
レストランを出るとバスは正面に停車していたが、広い歩道では店の人達が出て警戒してくれた。やはり日本人の場合には何か有り得るのだろうか・・・。
19:45 出発。夜のマドリッドをホテルに向かった。

ホテル到着: 20:10 ホテル着。各自の部屋に戻る前に明日の予定が伝えられる。
----------
4:00 モーニングコール、
4:30 朝食、
4:30 スーツケースを廊下に出す、
5:10 ホテル出発。
----------
早い出立となる。早々に就寝とする。忙しいバス旅行だったし、めぼしい土産店にもあまり寄らなかった。それで買い物が極端に少なくパッキングも楽なものだった。
◇◆◇
HOME旅行記集 スペイン旅行記TOP現在の頁( 6日目 )
Page▲Top