ドイツ南部とスイス名峰の旅 ( 2003年5月17日(土)/2日目 )
flag-switzerland チューリヒからユングフラウヨッホ
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起床から出発まで: 最近は横になると直ぐ眠る。昨夜もそうだった。朝まで熟睡できた。
05:40 起床。コーヒーの湯を沸かしたり、ゴソゴソしていたらワイフも起きた。
06:30 モーニングコール。本館までの長い連絡地下道を何度も歩きたくないのでパッキングを済ませた。これで朝食後に部屋に戻る必要はない。
06:55 指定時刻(07:15)より早いがスーツケースを廊下に出す。
06:55 直ぐ連絡地下道を登って本館に行く。朝食のレストランは2階だった。
ツアーのテーブルは奥まった処でウェイターが案内してくれた。メンバーの多くは既に食事中でしたが、挨拶はするものの未だよそよそしい雰囲気が漂っている。ビュッフェ・スタイル(コンチネンタル)ですが朝食としては十分で、ベーコン2切れ、スクランブルエッグ、パン、ジャム、コーヒーにしました。ベーコンは日本のものより塩味が強く感じられた。パンは籠からは取らず、まな板に置かれた大型のものを自分でスライスしました。色は黒パンに近く僅かに酸味があるが美味しいものでした。
07:25 レストランを出て1階のロビーに下りる。チェックアウトですが、カードキーをレストランのテーブルに置き忘れていた。急いで取りに戻った。鍵を返すだけのチェックアウトを済ませ、その場で10SF紙幣を少額コイン(5CHF、2CHFx2、1CHF)に両替してもらった。
5フラン硬貨は有名なスイス建国の人物ウィリアム・テルの肖像、と何かで読んだような気がした。確認のため両替してくれたホテルの人に聞いてみる。5フラン硬貨の人物像をジーと見て、「違うと思う」といった。彼女のテルのイメージとはかなり異なる肖像だったようでした。若い人なので、恐らく気にもしていなかったのでしょう。
その後はホテルの外に出てスイスの空気を胸いっぱいに吸い、写真を撮ってすごした。
07:50 バスに乗車。座席は自由なので前から3番目、左側に座った。

バス・ドライブ (ルッツェルン経由でグリンデルワルト): これからグリンデルワルトまで163Km(約3時間)の移動です。雲はあるものの一応は晴れでした。平地は明るい新緑が濃いグリーンに変りつつある時期で、外の気温は晩春から初夏の感じでした。午前のドライブは、チューリヒの郊外からルツェルン近くまでは通常の国道です。その後は少しだけ高速道路を使用しましたが、また通常の国道を走り、インターラーケン経由で目的地グリンデルワルトに行きました。大部分は農村・放牧地帯で谷間と峠の道、幾つか湖の傍も走り、珍しさも手伝って風景には飽きません。しかし、序の口の単純な移動でした。

08:05 出発。バスはホテルから坂道を下り、踏み切りで停車した。赤い電車が通過した。その後しばらくチューリヒの市街地を走り、郊外に出る。チューリヒの家々は茶系の瓦屋根に黒色の雨樋が多いようでした。住宅の1軒は3階のベランダに大きなサンタクロースがよじ登る飾りが取付けてありびっくりしたものです。スイスとドイツでは時々この種のお遊び感覚の飾りが住宅などにあり、質実剛健な生活態度からは想像が難しい面白さもありました。

09:15 Giswil という鉄道の駅で休息。駅舎から離れて単独の公衆トイレがありました。田舎町の公衆トイレとは思えない立派な設備でした。道の反対側にはホテルや土産屋などがあり、近くの山の登山口とも思われました。この駅には似合わない広い自転車置き場があるのです。ハンドル部分を挟み持ち上げて自転車を固定する設備ですが、恐らくは盗難防止用なのでしょう。確かなことは不明です。この地域の家の数を考えると随分と多い自転車が利用していました。ここまで自転車、ここから職場まで鉄道で通勤、というのは日本的発想でしょうか・・・。国道の反対側の小さい土産屋を覗いてみましたが、初日の朝のことで食指は動きません。09:15 出発しました。 グリンデルワルトに向う

チューリヒ湖の西からツーク湖の地域にはこの Giswil の他にも Adiswil とか Richterswil のように wil の付いた地名が多く、大昔に同一部族が侵入し定着した感じがします。この地方だけかスイス全土なのか不明ですが、沿道には薪を蓄えている家が多い。そろった長さの薪をチキンと積み重ねてあるのが住人の性格を現しているようです。

09:40 眺めの良い峠道でカメラ停車をしてくれました。左右の急峻な斜面と放牧地、そして谷底の湖と集落の屋根がみごとなスイス特有の牧歌的風景となっていた。左側の急斜面は森林が切り開かれ牧草地になっていた。そこには赤い屋根の農家の建物が点在している。どうしてこんな高い急斜面を選んで開拓し牧畜を営むのか、不思議に思われた。実はスイスの政策が関係している。牧畜を営む場合に、その標高に応じて補助金(助成金)の額が決定される仕組みという。つまり高地であるほど多くの補助金がでる。そして、どんなに高い場所であれ、道路、水道、電気、電話などのインフラは整っていて、ある意味ではとても恵まれた環境下で牧畜を営んでいるのです。

09:50 バスは峠を越え、普通の国道から高速道路の走行に変りました。説明によると、何処の国でも言われるのですが、高速道路の通行料は日本より遥かに安いのです。スイスのシステムでは高速道路を使用する毎に料金を払う必要はありません。高速道路使用のステッカーを購入し車に貼り付けておきます。これで1年間は高速道路は使い放題になる。乗用車の場合は 40.00F/年、観光バスなどはこれよりは高額になるそうです。スイスは山国です。トンネルと橋が多く、道路建設の費用は用地買収費を除けば日本以上かも知れません。いかなる手段で安い利用料金を実現しているのでしょうか。

10:00頃、バスはルツェルンを走り抜けました。高速道路から市街地はほとんど見えずチラッとだけでした。ルツェルンは複雑な形のフィーアヴァルトシュテッテ湖(四森州湖/森深き四つの国に囲まれた湖)の西端に位置し、ルツェルン州の首都でありスイスの代表的観光都市の1つでもあります。さらにスイスの歴史にとっても重要極まりない街なのです。1332年のこと、オーストリア・ハプスグルグ家の支配を脱して森林3州同盟(1291年結成)に早々と加盟、スイス連邦設立の核の役割を果たしたのでした。
スイス5フラン硬貨(ウィリアム・テル)

ウィリアム・テル

シラーの完成した最後の韻文戯曲で知られる。1804年作。初演は同年3月ワイマール宮廷劇場。ハプスブルク家の支配に反抗するスイス連邦の独立騒動とテルの英雄的行為と平和への熱情の賛歌で、シラーはこの題材をチューディの「スイス年代記」(1734‐36)と各種のテル伝説から得た。物語は悪代官ゲスラーに対するスイス3州代表のリュートリの同盟、最愛の息子の頭にのせた林檎を一矢で射落とし、ゲスラーの難題をはね返すテル、テルのゲスラー殺害と農民の一斉蜂起と(物語は)展開するが、シラーはスイスの自然と風俗と言語の研究にもとづくすぐれた情景や人物描写によって、牧歌的で格調の高い民衆の自由の勝利のドラマに仕立て上げた。国民演劇の典型としてドイツ人に愛好された。日本には明治初期の自由民権運動との関係で紹介された。なお、ロッシーニ作曲の歌劇「ギョーム・テル」(4幕)も,シラーのこの作品にもとづくもので,一般には「ウィリアム・テル」の名で知られる。1829年パリで初演。
(引用: 日立デジタル平凡社、世界大百科事典DVD版(1998)、項目「テル」。文章の一部を省略・変更。)
森林3州同盟の象徴は伝説上のスイス建国の父ウィリアム・テルだった。 日本でも伝説の物語は忘れてもロッシーニ作曲の歌劇「ウィリアム・テル」序曲など知らない人はいないでしょう。長らく実在の人物とされてきましたが、北欧の物語の移植による創作された伝説上の人物のようです。(アイスランドから15世紀に伝わった、という説もある。2003.08.11追記) それでも、今もってスイスではあたかも実在した人物のように敬愛され、コインでは最大の5フラン硬貨の肖像になっています。

ついでながら、スイスのコインは”スイス”と刻印されていない。代わりに上記の5フラン硬貨にはアルファベット大文字で”CONFOEDERATIO HELVETICA”と刻印され、他の手持ちの小額コインは”HELVETIA”と書かれているだけです。スイス北西部やドイツ南部の地域はローマ時代にはラテン語でヘルベティア(Helvetia)と呼ばれていた。スイスは良く知られるように幾つかの異なる民族から成り立ち、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語が使用されています。異なる言語を用いる異なる民族の共通国名として伝統的にラテン語をコインや郵便切手で使用しているのです。狭い表面に3ヶ国語で書くのは事実上むずかしい。それでスイス・フランは記号としてCHFになります。

10:05 高速道路から出て通常の国道をインターラーケンに向う。途中の峠道の下りで大きなU字谷の絶壁から流れ落ちる細いが高い滝を何本も見えた。スイスで初めて見る滝だったが、特に珍しくもないらしく説明すらなかった。日本なら滝壷まで行く名所になるような規模でしたが・・・。
インターラーケン北側のブリエンツ湖を見ながらしばらく走り、インターラーケン市街地を通らずにグリンデルワルトに向った。高く登るにつれ、空は曇ってきた。

グリンデルワルト(Grindelwald): 10:40 グリンデルワルト(標高1034m)はあまりにも有名な山岳リゾートです。2つの氷河が迫るグリンデルワルトはユネスコの世界遺産にも指定されている。この村にはアルプスを楽しめる各種のハイキングコースが多く、その総距離は実に300km以上もあるそうです。グレッチャーシュルフト渓谷の切り立つ岩肌に作られた約1kmの道で氷河まで近づいたり、「青い氷の洞窟」と呼ばれるオーベラー氷河の観光もここから出発とか・・・。日本人訪問者も極めて多い観光地ですが、欧米人とは異なりせいぜい1〜2日の滞在しかしないそうです。資金力の相違でしょうか?それとも、楽しみ方の違いでしょうか?
(我々はたったの30分間の滞在でした。)

登山鉄道BOBとWABのターミナル・グリンデルワルト駅の近くに駐車場がある。バスはその中で止まった。降車して見上げた名峰アイガーは雲に隠れていたが、切り立つ北壁の大部分は間近かに屏風のようにそびえている。最初の一見が強烈な印象となった。それでも内心の失望は大きかった。せっかくユングフラウヨッホまで登山電車で登っても、今日はアイガー、メンヒ、ユングフラウを見れないことでしょう。それでもグリンデルワルトは山岳リゾートの雰囲気を十分に発散していました。アイガー北側のメッテンベルク(3104m)の急峻な山肌も直ぐ近くに見え、その先には北側の名峰ウェッターホルン(3701m)につながる山肌が見えました。「日本語観光案内所」の左手に山岳リゾートホテルや各種の商店が並ぶ細いメーンストリート Dorfstrasse があるのですが・・・。散策すると面白いでしょうが時間がありません。

11:10 登山電車WABはなかなかターミナルに到着しません。代わりにオレンジ色の連絡バスが道に停車しました。今日はWABの登山電車はグリンデルワルト駅には来ないそうです。観光用の地図はWAB鉄道がグリンデルワルト駅から出発してグルント駅を通過しクライネ・シャイデック駅に向うように描かれている。実は、これは簡略化したWAB路線です。実際には”Z”型の路線で、右上の角がグリンデルワルト駅、左下の角がグルント駅となります。グリンデルワルト駅発のWABは電車前方がグルント駅で後方になる形、折り返し(スイッチ・バック)運行されるのです。考え方によれば、WAB鉄道にはターミナルが2つあるみたいなものです。
オレンジ色の連絡バスでグルント駅(944m)まで下りました。途中の車窓から見える山麓に広がるグリンデルワルト村の家々とアイガー北壁の風景は見事でした。晴天下ならば、散歩は素晴らしいでしょう。

この光景もスイス人の細かい神経が行き届いているのです。人口3500人の村は、屋根の角度と色彩を規制して揃えているのです。自然のすばらしい景観に加えて、さらに魅力的なグリンデルワルト村が人為的に演出されている、とも言えるのです。 グリンデルワルト

登山電車WAB: 11:25 グルント駅に到着。 オレンジ色と緑のツートンカラーの電車が待っていました。直ぐ登山電車に乗車。我々の車両と座席は団体のため割り当てがありました。といっても指定席ではありません。
数分の内に出発だったと思います。カーブの多いアプト式軌道をゆっくりと登って行く。進むにつれ寒々とした風景に変ります。最高の日和ではなくとも、雪と氷のへばり付いたアイガーの厳しい岩壁を間近かに観る事が出来るし、電車の中から写真の撮影も何とか可能だった(要高速シャッター)。閑散とした高い台地に数軒の建物がありました。チーズを造っていて長くここで寝せるそうです。アプト式軌道が豪雪に埋まらないための覆道(スノーシェルター)も長いものがありました。この電車でグルント駅から標高2061mのクライネ・シャイデック駅まで1117mも登りました。我々はここで下車して登山鉄道を乗換えますが、WABの終点ではなく中間駅になる。帰路、ここから再度同じ方向のラウターブルンネン行きWABに乗車です。

クライネ・シャイデック(昼食と土産屋): 11:52 クライネ・シャイデック駅到着。 ここはWABからJBへの乗り換え駅として知られている。加えて、アイガー(3970m)、メンヒ(4099m)、ユングフラウ(4158m)を一望する展望台ともいいます。もっとも、ここから見えるのはユングフラウ山頂ではなく手前のウェンゲン・ユングフラウ(4089m)という指摘もありますが・・・。何れにせよ、我々の場合は生憎の小雨で山は全く見えなかったのです。

直ぐWABの駅とJB乗場の間にあるレストランに入り、昼食となった。このレストランは入り口の右側が細長い団体用スペース(らしい)、入り口の奥に入ると一段と高床になった一般用テーブルだった。天気が良ければ風景を楽しみながら食事するのでしょう。
直ぐに飲み物の注文取りにきた。我々はコーヒー(@3.60F)にした。メニューは、スープ、スパゲッティー(ミートソース)、グリーンサラダ(タップリ)、デザート(プリン)だった。ミートソースは薄味で体に良いでしょうが、私には少々物足りない味付けでした。しかもタバスコはありません。これは日・米のみの習慣のようです。飲み物代を集める時に、当地のマップを印刷したランチマット(紙)を「記念にお持ち帰りください。」 そのつもりで汚さぬようにしていました。早めの 12:20 にレストランを出ました。

12:50 に集合で時間がある。食事後は土産屋の下見を兼ねた冷やかしです。旅行前からスイス旅行の記念品としてチロリアン・ハット (スイスの至る所で売っているが、名前どおりオーストリア製) を候補の1つにしていた。若い時に山登りの仲間から話に聞いていたが、その頃は高価で買えなかったものです。レストランと同じ並びで端の土産屋では飾り紐が二重のダーク・グリーンのチロリアンが確か98.00F(?)でした。これは素材が柔らかく、「似合う似合わない」は別として、被り心地も良いものでした。同じ素材でつばの広いソフト帽は118.00Fでした。安いもの(90F以下)も何種類かありましたが、とても硬い素材で型崩れしない帽子でした。
離れた高台の店にも行ってみる。こちらは主人がセールスのため直ぐ話し掛けましたが、同じようなチロリアン・ハットが少し高い値段でした。結局、下見で終わりました。

救命犬の土産品・セントバーナード犬
ワイフは最初の店で「救命犬のマグネット」と「救命犬(小)」を買いました。モデルの犬はもちろんスイス原産のセントバーナードで首に医薬品の小箱を付けている。犬の顔・形は上手く作られていました。実物は70cmにもなる大型犬です。数百年の昔、アルプスの寺院の修道僧に飼われた番犬だったようですが、雪崩に巻き込まれた旅人を救出するために救命犬として訓練されるようになったと言われます。70人もの命を救った犬がいるとか・・・。 クライネ・シャイデック

登山電車JB: 12:50 集合して直ぐに乗車。ここからユングフラウヨッホまで標高差の1393mも電車で登る。その全長9.3Kmのうち7.122Kmがアイガーとメンヒをくり貫いたトンネルで、つまり77%は視界の無い暗闇を走るのです。この登山鉄道の歴史は古く、現在のJBは1912年8月に全線開通と言われます。インターラーケンが京都・大津市と姉妹都市なので、「大津号」と命名された電車もあるとか・・・。

クライネ・シャイデックを出発して暫くはまだ枯れたままの草地の斜面を登り、残雪の入り混じった場所を走る。駅から離れるにつれ、草地の残雪に近い処に数種類の高山性植物が花を沢山咲かせている場所が断続的に続いた。軌道沿いの土手にもかなり見ることもできる。写真に収めようと幾度かシャッターを押したが、走る電車からはブレてダメでした。シャッター優先モードで高速に設定すれば良かったかもしれませんが、慌てて・・・。電車は長いシェルター内を走り、そして暫く登ってからトンネルに入りました。

13:20 トンネル内にはアイガーヴァント駅(2865m)とアイスメーア駅(3160m)がある。アイガーヴァント駅で下車し、展望台に行ってみました。駅と展望台は1本の短い通路で結ばれ、これらが”工”の形になっている。展望台の数ヶ所に大きなガラス窓がある。その外は雪が降っていた。展望台の壁の岩を撮影し、登山電車に戻った。

14:00 ユングフラウ・ヨッホ駅到着。

ユングフラウヨッホ(3454m) Top of Europe: 登山電車の駅から少し歩くとユングフラウヨッホのフロアー0に出ます。ここは中央広場に相当し、各展望所への連絡通路につながっている。そして売店とカフェ・スタンドと郵便局がある。予想外に人が多く驚きました。今日は、欧米系を除くと、意外にもインド系の顔が多く、日系の観光客は少ないようでした。
アイさんから「14:50にフロアー0のこの場所に集合」と言われて解散となりました。

売店の傍に回転式の絵葉書スタンドがあり、種類が豊富でした。
ユングフラウヨッホの郵便スタンプ
直ぐ幾種か選んで航空便の切手(1.80F)と一緒に購入です。絵葉書を大急ぎで認め、スイスの黄色いポストに投函した。配達される絵葉書は写真のようにスタンプが押され、少々見にくいけれど JUNGFRAUJOCH、DATE(投函日)、3454m(標高)がはっきりと分かります。この写真を旅行記に掲載したくて絵葉書を自分宛に出したのです。良い記念です。ここは世界一高い標高の郵便ポストと今では日本でも見れない昔の赤いポストがあるのです。富士山5合目の簡易郵便局から贈呈されたもの、と伺いました。さらに、駅に向う出口近くの右手に世界一高い郵便局すらありました。

古い表現ですが”三高志向の女性”はここからラブ・カードを出すと成功する確率も極めて高く、限りなく1に近いでしょう。もっとも「JUNGの分水嶺」はよく考えませんと・・・。そして高いほど落ちたときの衝撃が大きいことも・・・。

14:15 地下トンネルをかなり歩き、エレベータに乗って展望台スフィンクス(3573m)に行った。全く何も見えません。ユングフラウも万年雪もアレッチ氷河も・・・。霧の中でした。同じ道のつもりが別ルートでユングフラウヨッホ・フロアー0に戻ったようでした。
そこから反対側のプラトーに行くつもりでエレベータに乗りました。トップ・オブ・ヨーロップという別の場所でした。かすかに近くの岩山が見えたが展望などというものではなく、雪が降っています。それでも写真は撮影しておきました。プラトーに行ったところで所詮は・・・。
14:35 再びフロアー0に戻り、スタンドでコーヒー(@3.40F)を買って飲む。その後、ワイフは土産屋を物色し、私は窓からこの展望台にぶら下る巨大なツララの写真を撮った。これは、スイスの美しき「若いお嬢さん」に振られた全観光客の涙の結晶、に思えました。
14:50 集合。全員で郵便局に寄ってから下山電車に向いました。 ユングフラウ・ヨッホ

下山電車JB・WABでラウターブルンネンに向う: 15:00 下山電車JB・出発。

今日の最大の観光ポイントを終えて、しかも電車はトンネルの走行です。ウトウト船を漕ぐのが自然でした。 トンネルを出ると再び高山植物の花が目を慰めてくれました。しかし、正直に表現すれば、今日の雨交じりの天候では冴えません。高山植物の可憐な花も晴天下の方が明るく華やかで楽しめます。

15:50 クライネ・シャイデックでWABに乗換。ラウターブルンネンに向う。

しばし同じような岩山と枯れ草の風景でしたが、下るにつれ緑の草木地帯になりました。自然(?)のお花畑も沿線にかなりありました。タンポポは終り白いボンボリになっていましたが、タンポポ・モドキのように思える黄色の花が多かった。他にも幾種もの異なる色の花が入り混じって咲き、予想外の光景を車窓から楽しむことが出来ました。ツアーの女性など、場所によっては「わぁー、キレイ!」と歓声を上げていましたネ。
夏に自然の花が多いハイキングコースを選んで訪ねた旅行記を拝見すると、「すばらしい花畑」と表現する人が多いのも想像はできるのです。

そして、多くのガイドブックは 「7〜8月に訪問すると花がきれい」 と説明するようです。この種の説明と観光写真を鵜呑みにして、残念ながら「スイスは夏に行くところ」と決め付ける人達が多いのではないかと恐れます。誰がどのように仕掛けたのかは知りませんが、日本人のエーデルワイス志向は極端なようです。実は、自然のエーデルワイス (スイス国花、ドイツ語で「高貴な白」、7〜9月に咲く) などは山歩きのセミプロ級以上の人達でしか楽しめないと考えても、「当らずと言えども遠からず」のようなのです。もちろん、植物ですから、生息地なら一部のオンライン報告に見られるように「夏に散歩するとアチコチで咲いている」と表現できる状態でしょう。しかし、・・・。アルペンローゼ(バラではなく石楠花の一種)など他の植物はどうでしょうか。自然のお花畑も同様なはずです。単なるツアー旅行(高山植物の豊富な場所に案内するツアーは別として)とかフツーの個人旅行程度なら、花の種類と高度によって実際には5月ころから楽しめるのでしょう。

蛇足1: オンライン旅行記とかガイドブックにはスイスの高山植物の花を掲載するものも時折あるようです。筆者は居住地方の野山の植物を捜し歩いた経験があります。野草の花を特定して探すのは極めて難しい。まず見つからない。例えば、一薬草。生えているとされる山を幾度探しても見つからなかった。しかし別の山を漫然と散歩している時に一度だけ偶然に出会いました。類似の経験は随分とあります。野山を花の時期に時折歩く(見たい植物を探すのではない)。その方が各種の花との出会いを楽しめる、と経験的に思います。外国のスイスで珍しい高山植物とその花を探すのはガイド(又は詳細なガイドマップ)なしでは至難の業でしょう。日程にハイキングがあったら、出会った花の写真を撮り、後から名前などを確かめる。これも楽しむ方法の1つで誰にでも可能な容易なものと思います。
蛇足2: 「7〜8月に訪問すると花がきれい」は半分はアド的表現です。 「植物によって花の時期が異なり、その時期も生える緯度と高度によりズレがある。」 そして、「植物の多くは早春から夏に花を咲かせる。」 これらの単純な自然の法則を脇に置き、「アド的な表現」を記憶して、それで物事を判断する危険 (事実から乖離するリスク) を平気で犯すのは不思議にも思えます。日本人の社会性とか国民性と言えばそれまでですが・・・。実は昨年秋のトルコ旅行の後に、「トルコは真冬に行くものでは?」と言われ、ショックでした。「何故、真冬なのか」その理由は特には無いのです。検索エンジンで上位にリストされるオンライン・トルコ旅行記にその種の勧めがあるので、受け売りとは思いましたが・・・。しかしネ・・・。 [蛇足・終り]

車やバスの入れないリゾートのウェンゲンが登山電車WABの沿線にあり町には駅もある。その近くではラウターブルンネンがある巨大なU字谷を眼下に見下ろすことになる。高所から見ると、シュタウプバッハの滝(落差・約300m、欧州第2の滝)から先のU字谷上流の高山から流れ落ちるような雲の形が圧巻だった。有名なシュタウプバッハの滝もウェンゲン近郊の高所から眺め、また電車が下山した後にラウターブルンネンの家々と共に車内から見上げることが出来る、まさに素晴らしい景観の中を電車は行くのです。壮大な風景としか書きようがありません。どうぞ写真を御覧になってください。 下り電車、氷河谷の風景

補足:シュタウプバッハの滝は落差300mで欧州第2の滝という(稀ではあるが、時にはスイス第2の滝という表現にも遭遇する。) ならば、ヨーロッパ又はスイス第1の滝は何処にあるのでしょう?検索エンジンで探しましたが欧州とかスイスの滝のリストと差順位は発見できなかった。しかし各種サイトの情報を総合すると次の滝が1番の可能性があります。オーストリア・ザルツブルク州のザルツァッハ渓谷に三段の滝ながら総落差が約400mのクリムルの滝がある。落差は1段目約140m、2段目約100m、3段目約140m。EUの特別保護下という情報もあり、”欧州第一の滝”との表現もウェブ上にないわけでもない。ラインの滝は水量は大きいですが落差がありません。(間違いなら御容赦を。正しい第1の滝を教えてください。)(補足1・終り)
蛇足:スイスで1番よく知られた滝はシュタウプバッハの滝にあらず、世界中のシャーロッキアンに知らない者はいないライヘンバッハの滝(落差・約100m)と思います。ブリエンツ湖の東北端から東方向に行くとマイリンゲンがある。ここの駅から20分くらい郊外に行くとケーブルカー(夏期のみ)乗場があり、これを利用して滝の直ぐ近くまで登る。これが訪ねるのに簡便なルートのようです。
短編集「シャーロック・ホームズの回想」の「最後の事件」にあるお話:1891年5月4日、ライヘンバッハ滝の断崖上でシャーロック・ホームズは宿敵モリアーティ教授と素手で格闘し、教授もろともに深い滝つぼに落ちてしまった。一旦は死んだと信じられた。 しかし日本の武術の心得のあったホームズは何とか断崖の岩につかまり奇跡的に生きのびていたのでした。アチコチ転々とした後、1894年4月5日に突然ワトソン医師のまえに現れ、名探偵は復活したのでした。(ウフッ!)
ライヘンバッハの滝の格闘でホームズは生き延びましたが、モリアーチィ教授は滝壺に落ちて死んだ・・・。ところが、100年後のIT時代にホームズに対する執拗な復讐心をもってネット社会で生き返ったのであります。ヴィクトリア時代のモリアーチィ教授はロンドンの蜘蛛の巣(Web)のような犯罪組織の中心でジッと全般の動きを見守り高い知性で組織を操ったが、今日ではあたかも日本人であるかのように振る舞っているのです。隠れ蓑にスイスを利用し、自ら仕掛けた Net にホームズの亡霊が引っかかるのを待っている・・・。(補足2・終り)
16:50 ラウターブルンネン到着。電車からバスに乗り換え。
16:58 ラウターブルンネン出発。
17:20 インターラーケン到着。

インターラーケン: この町はスイスのほぼ中心部にあり、二つの湖 (トゥーン湖とブリエンツ湖) の間に位置するので「湖の間」を意味する名がついている。標高は 570m。ベルナーオーバーラントの各種リゾートへの基点であり、山と湖の両方を一度に堪能できる世界的な観光都市の1つです。また、この町のどこからでもユングフラウ等が見え、特に夕刻には素晴らしい山々の姿が冴えるそうです。

土産屋とインターラーケン商店街散歩: インターラーケン・ヴェスト(西)駅からオスト(東)駅までのメインストリート「ヘーエ通り」に堂々たる建物の高級ホテル「メトロポール」がある。その向かいのヘーエマッテ(公園/広場)側にバスは停車した。
少し戻って公園から商店街になった所でヘーエ通りを渡り、日本人観光客相手の比較的大きい免税店(高級土産屋)に案内された。ワイフは店内を丁寧に見回っていたが、私は退屈したので店の外に出た。写真を撮りながらメーンストリートをヴェスト駅に向って1人で散歩する。商店が多く、人通りもあり、賑やかな通りといえる。途中の左手の小路は万国旗が飾れた商店街で、右手の小路の彼方には高い山が見えた。小路入口近くの建物には牛の飾りが付けられている。角の二面を突き抜けて1頭のホルスタイン牛がいるのだ。とても目立ちますが、多分スイス人の目印兼用のお遊びなのでしょう。再びメーンストリートをブラブラと歩き進んだ。驚く程にインド系の観光客が目にとまる。ユングフラウヨッホでも彼らは目立ったが、下界も同じである。ロータリーのポールが旗で飾り立てられた大きい交差店まで歩いてみた。距離的には僅かだった。写真を撮ってから戻る。丁度、土産屋から手ぶらで出てきたワイフに出会った。その後2人で幾つかの土産屋を覗いたが買物の意欲は湧かなかった。

インターラーケン・チョコレート、Schuh(シュー)
地元のチョコレート屋 Schuh(シュー): 最初の土産屋の向かいにチョコレートの店があった。公園角の建物だったと思います。数軒目の入り口がチョコレート屋のはず・・・。 Schuh(シュー) と言う店ですが、Schuhはドイツ語で「靴」の意味、チョコやケーキの店の名としてはチト奇妙です。スイスでは別の意味でしょうか?
スイスのチョコレートもベルギー産のように良い評判で知られている。地元のチョコ屋と思いつつ、店に入ってみた。入り口近くのガラスケースにはトリュフ等々の各種のチョコが沢山並べられている。ワイフに言わせると、何かわからない形の奇妙なチョコ(靴の形?)が沢山あったそうです。その左手の奥の大きいケースにはいろいろなケーキが数多く並べられていた。良く見ると、その先は食事も出来る喫茶店になっている。時間があればコーヒーに絶好の場所でした。
国際的な観光都市の中心部でこんな店を経営できるのは、例え我々がその名を知らなくとも、チョコやケーキが水準以上だからでしょう。少し買ってみることにした。ところがワイフの腹が決まらず一旦外に出ました。チャンスは逃すと2度とない。戻ってトリュフ6個入りの透明な小箱(@9.20F、約900円/1個150円位)を幾つか買いました。トリュフは日本でも1個200〜300円するので低価格でした。「日本でギフトに使用する」と言って小型の紙袋を頼んだ。丁度良いサイズのものを購入した小箱の数ほどくれました。外国では用意していない店も時々あるのです。愛想良く応対してくれたのは若いスイス人女性でした。この人は英語でOKでした。後日談ですが、自宅で試食したら、やはり美味しいチョコレートなのです。紙袋には1885年創立とあり、老舗でした。 インターラーケン

18:00 集合。全員遅れずにバスに乗った。まずインターラーケン・オスト駅方向に行き、左折してカジノ(極く少額の賭け)の前を走った。2つの湖を結ぶアーレ川を渡り、閑静な地区のホテルに着いた。強いて言えば、ヴェスト駅の対岸地域です。

インターラーケンのホテル(シャレー・スイス): 18:10 到着。当国のリゾート地ホテルとして伝統的な建物で、前庭に置いてある実物大の赤い牛が目印でした。シャレー・スイスというホテルでした。バスは本館と新館の間に止まり我々を降ろした。そして、裏側の新館のロビーで部屋割りを待った。その間、ホテルの人達がスーツケースを別館の奥に運んだ。

珍しい鍵のシステム: ツアコン・アイさんから部屋の鍵が渡された。「喧嘩しないように、全部同じつくりの部屋です」とコメント付きだった。我々はRm451。しかし、この部屋番号付きの鍵は部屋のキーではない。ホテル入口の鍵で、これを自室キーに取り替えるのだ。本館のフロント前の壁に設置されたキーボードに行く。自室番号の下のキーを抜き取るとブザーのような警告音がする。先刻受け取ったホテル入口の鍵を同じ場所に差し込むとその音は止まる。それから自分の部屋に行きドアーの開錠をするのです。複雑なシステムですが、部屋のキーを持って夜遊びしないようにしているそうです。

我々の部屋は1階の中程でした。本館の側は玉砂利を敷いたベランダでプラスチックの椅子が置いてある。部屋の堺の柱の全てにつるバラが絡み赤い花が沢山咲いていた。ワイフが言うに、「夏は虫がいるから、泊まれない。」 虫に弱い人間は敏感でした。
部屋の作りや調度品はマァ普通のホテルのものです。ただ、ベットは、一見ダブルベットのように、シングルが2つ付けて並べてある。今回の旅行ではこの配置が多かった。 ホテル・シャレー・スイス

夕食: 19:00 ホテル本館のレストランで夕食。我々のツアーにピッタリの広さの部屋でした。年齢の近い夫婦3組でテーブルを囲んだのですが、お互いの品定めも進んだ頃合で和み始めています。冗談の1つの出るような雰囲気でした。
飲み物は白のグラスワイン(小)(@4.50F)を注文、味はサラッとしていました。夕食は野菜ポタージュ、サラダ、白身魚のフライとポテト、アイスクリームでしたが、質量共に我々には十分でした。今回の旅行では食事の写真は撮るように心がけたつもりでしたが、こちらのホテルでは夕食・朝食とも忘れていました。
夕食の間に各種の話が出たと思いますが、ツアコン・アイさんは業界の現状を話してくれました。今年のゴールデンウィークは珍しくも仕事が無かったそうです。設定された5/23発の同じツアーは中止、とも言っていました。やはり旅行全体が収縮しているようでした。
「皆さん、ユングフラウヨッホではインド人が多かったのに気付きましたか?」 と、アイさんは聞いた。「数年前にはインド人はどこでも見なかったのですが・・・。ここ1〜2年の間に急にアチコチで姿を見るようになったのです。聞くところでは、インド人は数学が得意で、コンピュータ関係の仕事がアメリカから大量に入って、その方面で小金持ちが急増中。その人達が海外旅行をするようになったのだそうです。」 確かにインドのIT景気について日米の新聞雑誌で時折いろいろ言われているが、その波及効果の1つが海外旅行でした。

2人分のワイン代9.00Fを払って、我々は21:00ごろ部屋に戻りました。夕食後、元気に夜のインターラーケン市街の探索に出かけた人達も居たのです。夜9時は丁度暗くなった頃で、街の雰囲気も昼とは違っていたことでしょう。「歩いても、すぐ。」と言っていましたネ。が、商店は閉まっている・・・。

このホテルのバスルームにはドライヤーが無い。ワイフに頼まれて、21:30頃フロントに電話してドライヤーの貸し出しを聞いてみる。デポジットの現金を出せば貸し出すとのこと、直ぐ本館のフロントに行き10フラン紙幣を預けて小型ドライアーを借り受けた。そして、何時もの通り、ワイフが必要とするスペアー毛布一枚を頼んだ。「後で部屋に届けます」といった。ドライヤーだけ持って部屋に戻った。数分の内にフロントの女性が毛布を持ってきてくれました。別にチップは渡しませんでしたし、枕チップも置かなかったです。スイスでは「原則としてチップは不要」とは言いますが・・・。この辺が微妙というか、分かりづらいですね。添乗員のアイさんに聞けぱ良かったと思っています。

ユングフラウヨッホは悪天候で残念でしたが、観光初日を堪能し満足してすぐ眠りました。
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(2017.03.21 表示改善)(2007.06.01 改訂版)(2003.08.02 公開)