ドイツ南部とスイス名峰の旅 ( 2003年5月18日(日)/3日目 )
flag-switzerland ツェルマット ⇔ ゴルナーグラート展望台
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今日はローヌの谷を横切るツェルマットまでのバス移動(一部カートレイン)の後、登山電車でゴルナーグラート展望台に行き、マッターホルンやモンテローザの山々と氷河を見る予定。下山後はツェルマット市街地をゆっくり散策する時間もありそうです。

起床から出発まで: 05:20 起床。トラベル・ポットを役立て、すぐコーヒーを作って飲む。
06:50 スーツケースを廊下に出す。そのまま、本館のフロントに行き昨夜借りたドライヤーを返した。預けた10.00F紙幣がそのまま戻ってきた。
06:55 昨日の夕食と同じレストランで朝食。完全なコンチネンタル・スタイルだった。パン、チーズ、コーヒー。特にチーズは塩味がせず美味しく感じました。
07:25 レストランを出て、ホテル周辺を少し散歩。写真を数枚だけ撮る。本館のトイレを借用したが、ホールの壁の窪みに金属製の古いミルク入れと中世の槍が飾られていた。素朴で質素な印象を与え、スイス人気質が現れているように思えました。
07:40 バスに乗車。
07:45 出発。

ツェルマットまでバスの旅: インターラーケンの西側に氷河によって出来た細長いトゥーン湖があり、南岸の中程にシュピーツの町がある。そこまで湖沿いにバスは走った。右手の湖はそれなりに良い眺めでした。氷河による湖はニュージーランド南島で幾つも見たが、そちらは迫る山々が荒々しい岩山だった。ここの山裾は緑に覆われ、それだけ優しい印象を与えている。シュピーツの町でバスは左折し、西から南に方向転換して湖とは別れ、谷間の道を奥まったカンテルシュテークという所まで行く。ここで道は終り(峠越えのバス道路は無い)、ローヌの谷の近くまでは鉄道です。

沿道には小手毬のような白い花、パンジー、白とか紫のライラック、時にはバラの花が咲いていた。背の高い新緑に近いポプラも時折ありました。山麓は針葉樹と落葉樹が混じっている。昨日もそうでしたが、見かけた低地の植物にあまり違和感がないので日本のものに近い種類が多いのかも知れません。もし北海道に4000m級の山が連なるならスイスのような風景になる、と思ったものです。

特に見るべきものもない走行中、アイさんはスイスのことをいろいろ話してくれました。以下、断片的メモで申し訳ないのですが、書き残しておきます。聞き違い、メモ間違いなどがあるかも知れませんが、その点は御容赦のほどを・・・。

◆両側の斜面は牧草地化して農家が点在していた。昨日も言っていたが、斜面で放牧すると政府から補助金が出るからです。農業人口は総人口の約6%なのに、世界一の優遇を甘受している。スイスがEUに加入しない理由は”農業保護のため”なのだそうです。
◆時にはニジの旗がありました。3〜4月のイラク戦争中は多かったそうです。イラク戦争反対(反米)の人達の意思表示だったとか・・・。
◆スイス人は大の保険好き。家計の支出ランキングは、(1)レント(家賃) (2)保険 (3)食費 (4)貯金 の順になるとか。食事などは質素で体に良い物を多く食べる傾向があるそうです。スイス人は”ケチ”と言われるそうです。
◆良く知られるようにスイスは永世中立国で戦争当事国のいずれにも加担しません。が、戦闘能力の放棄ではなく、全体で1800人の職業軍人と国民の兵役により戦闘能力の維持がなされている。兵役義務の年齢は20〜42歳で、年齢によりその期間が異なり、(1) 20才の時に17週間、(2) 28才まで3週間を8回、(3) 42才まで2週間を5回、となっている。各家庭に軍事用品が備えられており、48時間以内に62万人が出動できる体制が整えられている。さらに、新築住宅にはシェルター(防空壕)と2週間分の食料備蓄と放射能防御装置の設置が義務付けられている。費用の7割は国から補助金が出るそうです。
◆日本の関係者には不面目で面白くない話かも知れませんが、阪神大震災の時にスイスは24時間以内に救助犬をチューリヒに集め瓦礫に閉じ込められた被災者の救助活動の補佐体制を整えた、と言われます。ところがチューリヒで救助犬は足止めとなり、出国まで長く待たされることになった。理由は、救助犬の派遣に対し当時の日本から協力受諾の返事が無かったからだそうです。結果は随分と遅れた被災地・到着となりました。
◆ETC., ETC.,・・・。

08:35 休息。急峻な山々に囲まれた小さな盆地のようなところでバスは止まった。線路、架線、駅舎が近くにあり、その向こうには幾つもの建物がみえる。 遠くからダイナマイトの爆発音らしきものが時々聞こえてきた。スイスでは春の雪解けと共に建設工事が始まるそうで、道路でも作っているのでしょう。気持ちよい山間いの空気を吸いながらブラブラしました。実は、ここが何処なのか分からなかった。駅舎につながる陸橋近くに簡明な真新しい看板がありました。(注:ドイツ語のみで日本語は筆者による。)

Gute Reise よい旅を
Ihre Ferienregion Lotschberg 皆様の休養地 レッチェベルク
Lotschental レッチェン谷 BIL Lotschenbahn BIL レッチェン鉄道 Kandersteg カンデルシュテーク

どうやら走り登ってきたカンデル谷の奥の目的地まで来たようです。カートレインは09:10出発なので、時間調整の意味で、乗場の手前でゆっくりしているようでした。
08:50 乗車。バスは駅構内に移動。カートレインの乗車待ちとなる。

カートレイン乗車体験(レッチェベルク・トンネル): このカンデルシュテーク駅は標高1100m以上で、電車で登ったユングフラウヨッホの西南西20Km位にあります。ユングフラウ、ミッタークホルン、ブライトホルン等々の西側にドルデンホルン(3643m)とパルムホルン(3709m)があり、それらを結ぶ鞍部をレッチェベルク峠という。その下をくり貫いて、ここからゴッペンシュタイン駅に通ずるレッチェベルグ・トンネル(全長14.6km、1913年開業)があるのです。カンデルシュテークとゴッペンシュタインの間に自動車の通れる道はなく、車もバスもカートレインに乗せてトンネル内を運搬する。この地域ではローヌの谷に抜ける唯一の方法なのです。30分に1本程度の間隔で早朝から深夜まで営業しているようです。スイス連邦鉄道(SBB)とベルン・レッチェベルク・シンプロン鉄道(BLS)はレッチェベルク峠のカートレイン輸送力を増強するために、アルプス縦断鉄道の1部として現トンネルの下に新レッチェベルク・トンネル(34.6km)を建設中(予定期間1999年〜2008年?)とのことでした。

さて、駅構内のパーキングスペース右側に屋根のあるカートレインの最後部があった。次々に到着した車はカートレインの最後部から列車に乗り最前部までゆっくりと自走する。乗用車優先だった。バスはパーキングスペースの左端に停車している。右手のカートレインは一旦は動いて前方に移動、それから軌道を変えてバックしてきた(と思います)。バスが乗車できる場所で停車した。

09:00 カートレイン乗車は大型バス運転手の腕の見せ所になっているとか・・・。本当にハンドル操作が大変な様子でした。ドライバーさんの名人芸(?)で、カートレイン上でバスは真っ直ぐな姿勢になった。ゆっくりと前方に移動し、先に乗った乗用車の後についた。ただ、バスは長い。カートレインの連結部に跨ると列車走行中に大変なことになる。どこで停車するかも気を使うようでした。カートレインに乗った自動車の乗員は下車する必要はありません。車体ごと全部運んでもらうのです。バスの運賃は片道180フラン(約17000円)、乗用車の運賃は不明です。カートレインの乗車は珍しくて印象に残る体験の1つでした。

09:10 カンデルシュテーク出発。
09:22 ゴッペンシュタイン到着。

この駅はトンネルを出てすぐです。駅の一部が峡谷の橋になっている凄い感じのところだった、と記憶しています。 カートレイン(レッチェベルク・トンネル)

ここから北東方向、アレッチホルン(4195m)山麓まで切り込まれた細長いレッチェン谷はアルプス中央の名峰に囲まれたリゾートです。スイスの他のリゾートと異なり、隔離されたような谷なのでキリスト教が入る以前からの古い風習が今でも残っている珍しい地域と言われます。我々のバスは反対方向のクネクネした山道を下り、ローヌの谷に向いました。

ローヌの谷: トンネルのこちら側も気持ちよい晴天だった。ゴッペンシュタイン駅からはヘアピン・カーブや渓谷に架かる橋がある下り坂で風景もスイスらしいものでした。坂の途中から眺めるローヌの谷はスケールが大きい。谷底は想像以上に広く、肥沃な土地のようです。 ローヌの谷
坂を下ったキャンペル・ステェグからフィスプまで僅かな距離だがローヌの谷を東に走った。山裾とか平野部には赤松がよく見られ、ポプラも多く、場所によっては並木になっていた。ローヌ谷一帯はスイスではブドウの2大産地の1つ、しかしブドウ畑は見なかったと思う。

マッター谷: 09:50ころにフィスプという町でバスは右折し、ローヌ川支流のフィスプ川が流れるフィスプ谷に入った。比較的穏やかに開けた谷だった。5〜6kmも行くとシュタルデンという町になり、フィスプ川は左右の2つの支流に分かれる。右手がマッターホルンの山裾を源流とするマッター・フィスプ川で、この川が作り出したのが雄大なマッター谷。シュタルデン付近の道路は高いところにあり、車窓からの渓谷やアーチ橋の眺めが印象的でした。アイさんはヨーデルのテープを流しました。風景との相乗効果でムードいっぱいです。
雪を抱いた峰々の麓になる渓谷の両側は緑が多く、この辺りは白樺が時々生えています。トーヒ(もみの木?)は実を沢山付け始め、落葉松の明るい新緑がきれいでした。

マッター渓谷の白ワイン/ハイダ(Heida)フィスパーテルミネン: バスは急峻な山肌の迫る渓谷など、変化のあるマッター谷を上流に進んだ。時々斜面に作られたブドウ畑が見えたが、何かしら豊かな印象を与えない。まだ十分に葉が成長しておらず地面の色が見えるためだろうか。

マッター渓谷の白ワイン・ハイダ(Heida)フィスパーテルミネン
http://www.jodernkellerei.ch/
ヴァリス州観光局公式サイトによると、このアッパーヴァリス地方はサフランの栽培が有名で、さらに黒毛の(牛、山羊、羊)でも知られている地域なのだそうです。ここの土壌は軽くて粘土質は僅かしか含まず、代わりに石灰石を含んでいるそうです。年間の平均降雨量は僅か600mmにしかならない乾いた地域なのです。そんな自然環境の標高1100m以上の場所にフィスパーテルミネンがあり(実は地理上の場所は知りません)、そこが欧州のぶどう畑では1番の高所になるといわれます。フィスパーテルミネンのブドウから造られる白ワイン・ハイダ(Heida)はドライな味が高く評価されるようです。残念ながら量的に僅かな産出しかなく貴重なワインと表現されることすらあるらしい。一般的にスイス産ワインは国内消費を賄うだけの生産量しかなく輸出されません。日本では本物のワイン通以外は入手が出来ないワインの1つなのでしょう。

後日のことながら、珍しさ半分で旅行会社が推薦するハイダ白ワインを購入してみました。それが写真のハイダ(Heida VISPERTERMINEN)です。注文すると、後日に自宅配達の方法でした。支払方法は同封の振込み用紙による日本円です。
ウェブ上の情報を総合すると、単純にハイダ・ワインと言っても、この地方には小規模な地酒醸造所が数多くあるので種類が多く、ラベルも様々のようです。 旅行会社の販売価格が高いか安いかも全く分りません。が、一般論として白ワインとしては高価な部類と思います。でも、せっかくのスイス旅行、ワイン好きならツェルマット等の宿泊地の酒屋でVISPERTERMINEN産などフィスプ/マッター谷のワインの一本でも買ってホテルでゆっくり試飲するのも一興でしょう。写真のハイダ・ワインを土産で試飲した数人は「飲みやすくて美味しく、1本が直ぐ空になった」 と例外なく言っていたのです。日本人の口に合うワインなのだと思いました。

バスはマッター谷の奥に進みます。氷河急行の一部路線であるブリーク・フィスプ・ツェルマット(BVZ)鉄道は道路の下を走る。赤い列車がとても風景にマッチして映えてみえる。10:10頃には、車窓からクライン・マッターホルン(小マッターホルン)とブライトホルンが谷間の遠方に見え始めた。今のところ山頂部分は晴れている。急ぎカメラのシャッターを押しました。遠景のため運良くブレず、マァ見れる程度に撮れました。スイスの山の写真は、例え天候は晴れでも、ピークが見える時に必ず撮影しておかないと・・・。

ティシュ駅/鉄道に乗換: 10:20 ティシュ(Tasch)駅に到着。実はガソリンなどの化石燃料を使用する自動車はツェルマットの環境保護のため乗り入れが禁止されている。それで、観光バスでもレンタカーでも一駅手前のティシュで自動車を降り、電車で隣のツェルマットに行くことなる。ツェルマットの他にもミューレンとかウェンゲンのように電気自動車のみ使用できるリゾートがスイスにはあるのです。

スーツケースは下ろされ、このバスとドライバーさんとはお別れです。スーツケースは各自が電車に積みツェルマット駅の外まで運ぶように指示された。2つのスーツケースはカート(無料、しかし利用には5フラン・コインが必要)に乗せて運搬となる。ツアーの全員がツェルマットまでアイさんに5Fコインをお借りした状態でした。

この町ティシュのフェステバルでもあるのか、観光用の毎日の行事なのか、各種の楽器を持った楽団衣装の男達が三々五々と駅前から町中に向っていた。時には民族衣装をまとった若い女性達も花束を持って同じ方向に歩いていった。欧米系も日系も観光客は民族衣装のスイス女性にはカメラを向けています。私も一枚撮影しました。

傾斜を少し登りホームに並んで電車を待った。ワイフにカートを頼んで、ホームの先まで行ってみる。そこは屋根も壁もない。何と、マッターホルン(4478m)とクライン・マッターホルン(3883m)の山頂が見えたのです。左側の丸い感じの山はブライトホルン(4164m)です。予期せずに有名な3つの山の雄姿を1度に眺めることができたのは幸いでした。今後、ツェルマットを離れる直前までマッターホルンは山頂をはっきりとは見せてくれなかったのです。
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2007年初夏に再度ツェルマットに行きました。その帰路、テッシュ駅で列車からバスに乗換えたのですが、テッシュ駅そのものが旧駅の北側(ツェルマットの反対方向)に移設・新築されていました。新テッシュ駅・ツェルマット駅のシャトル列車も真新しいものでした。残念ながら、上記の3峰を新テッシュ駅から一望することは出来ないようです。(2007年追記)
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11:00 発車。風変わりな作りの車両でした。前後が一段と高くなった座席スペースです。ドアーの間の中央部に椅子は無く、代わりに両サイドで荷物カートを固定できるようになっている。確かにカートはベルト等で壁に固定しないと急ブレーキや大揺れの際に動いて危険です。 車窓風景とテッシュ駅の眺め
隣のツェルマット駅には5分前後で到着したと思います。カートを押して駅前広場に出る。スーツケースを降ろしてから駅構内にカートを返しました。アイさんは定められたようにカートを連結し5Fコインを回収しました。

ツェルマット(Zermatt/標高1605m): ホテルの電気自動車が迎えに来ていましたが、一台に全部のスーツケースを積み込めません。スーツケースはホテルの人にまかせ、我々は商店街のメーンストリートを上流方向に歩き、教会の角を左に曲がってマッターフィスプ川の橋を渡った。この橋はマッターホルンの写真撮影の場所として写真愛好家に有名ですが、生憎と頂上はすでに雲の中でした。橋の先の十字路を左折すると宿泊するホテルでした。スイスのリゾートではよく見かけるタイプの建物です。

ホテル・アストリアの部屋割りと休息: 11:20 ホテル着。入り口右側のレストランで部屋割りを待ちました。ツアーが使用する全室のうち3室のみでマッターホルンが見えるそうです。そこに当った人達はラッキーと言えるでしょう。公平を期し(苦情が出ないように)アミダで部屋割りとなりました。しかし滞在型ではなく忙しいツアーですから、実際は大差なしですね。我々は道路側の204号室(3階)で名山は見えません。荷物を片付け、ひと休みしたら外出です。ここのキーは大きくて重く外出時に持ち歩くことは難しいものでした。外出の時にはフロントに預けざるをえません。

昼食: 11:50 ホテル・アストリアのコックさんが休暇中らしく居ないのです。他所で昼食となりました。ホテル前に集合。教会からメーンストリートを駅方向に少し行き左側に入った所のレストランCHARLETで昼食となった。内部が幾つものセクションに細分され、壁には数多くの郷土民芸品などが飾られている。いかにも山岳リゾートのレストランの雰囲気でした。飲み物はコーヒー(@3,50F)を注文、スープ、サラダ、メーンデッシュ(薄切り肉のソース煮、きし麺のような平らなパスタ、キャロット、カリフラワー)、デザートでした。

食後は各自ブラブラ歩きです。この町の自動車はバスやタクシーや荷物車まで全て電気自動車です。何かしら大人しい動き方なので安全で静かでした。本物の有名な山岳リゾートだけあって、土産屋や民芸品店に混じってスポーツショップが幾つもありました。店先にチロリアン・ハットをズラリと並べた店もある。夕方の散策時間に物色することにして、集合場所に行きました。先刻のBVZ鉄道ターミナル駅まで行き、道路を挟んだ反対側にあるゴルナーグラート鉄道GGBの新しい駅舎内に集合です。 ツェルマット

ゴルナーグラート登山電車GGB: 皆さんは駅の待合所に集まっている。アイさんから往復の乗車券を受け取り、自動改札口を通り四両編成の登山電車に乗った。

13:10頃 ツェルマット駅を出発。海抜1605mから3089mまで1484mも登るのです。 初めは緑豊かでツェルマットの家々が点在するマッター谷の上流部を見下ろしながら、落葉松とか赤松などの多い斜面をグイグイと登ります。
最初の停車駅フィンデルンでは赤いヘルメットと本格派ウェアーで身を固めたマウンテン・バイクの男性が1人降りました。ここから自然林の山道を走る。本物のアルプスの山下りです。気分爽快でしょうね。
2番目の駅、リッフェルアルプまで来ると針葉樹になり、それも疎らで雄大なマッター谷を遠方まで一望できるのです。眼下にツェルマットの町がよく見えました。その後、電車はクネクネと曲がりながら上昇する。マッターホルンがだんだんと近くになるが、生憎と天に鋭く突き出たピークは雲で見えなかった。晴れの日も午後はこの状態が多いといいます。
3番目の駅、リッフェルボーデン(冬のみ)ではもう樹木はなく、枯れた草原が広がり始める。ところが、こんな処にリス科のマーモット(ユーラシアに分布、ここのはアルプス・マーモット)という体長50〜60cmの動物が生息しているのです。外に出ていると車窓から見れるのです。1度だけ動く姿が見えたが、素早く物陰に隠れてしまった。草地の所々に穴があるが、マーモットの巣穴です。雪崩避けの長いスノーシェルター近くまでこの動物の領域でした。マーモットは帰りに沢山見たので、「下山電車」で説明しました。
4番目の駅、リッフェルベルクまで登ると残雪が多く白銀の世界になる。その中にホテルの建物がポツンと見えた。頂上こそ雲隠れでもマッターホルンは近くに感じる。雪解けの土手の隙間に高山植物の群生がブルーの花を沢山咲かせた場所もあった。
5番目の駅、ローテンボーデンは既に山と氷河の世界だった。マッターホルンの姿が逆さに映るリッフル湖(小さい池)は、この駅とリッフェルホルンの間の谷底にある。この駅で下車しハイキング路を歩いて下ったところ、夏にはハイキングが多いそうです。 登山電車GGBの車窓から
6番目の駅が終着駅ゴルナーグラートである。時刻は13:55頃だったはず。約45分位かかったようです。下車して直ぐ駅前の展望台に行きました。眼下のゴルナー氷河、その向こう側の白い山々と氷河を間近に見る。一言、「感激でした。」

実はゴルナーグラートのホテル裏側からホーテリーグラートまでロープウェイがある。そこから更にシュトックホルン近くまで別のロープウェイで行くことが出来るのです。しかし、風景が大幅に変るわけではなく、普通の観光客はこのゴルナーグラートで素晴らしい山岳風景を楽しみ満足するといわれます。

ゴルナーグラート展望台: 駅近くの展望台からは、右からマッターホルン(4478m)、クライン・マッターホルン(3883m)、ブライトホルン(4164m)、リスカム(4527m)、モンテローザ(4634m)の山々が連なる大パノラマでした。山々は万年雪が積もり、それらの間は左からゴルナー氷河、グレンツ氷河、シュワルツ氷河、下テオドゥル氷河が展望台の方向に流れ落ち、眼下の巨大なゴルナー氷河に合流している。マッターホルンは上部が雲に覆われてピークを見る事はできなかった。その手前にクライン・マッターホルンの頂上へ行くロープウェイの支柱が数本見える。他の山々も雲が多かったが切れ間に見ることが出来ました。そして流れる氷河と荒々しい岩の織り成す光景の迫力は写真ですら表現不可能です。

この駅から舗装された坂道を登ると天体望遠鏡のドームが2つある建物に行ける。
ゴルナーグラート展望台の岩の小片
この建物にはホテルがあり大パノラマを眺めるカフェテラスもあった。この建物の手前、残雪の傍の瓦礫から小石を拾った。緑色と青色の混じったものからマッターホルンに似た形を探してみたが、写真のものが精一杯でした。
注: 現地の自然物は持ち帰ってはいけない、そうです。反省。

このホテルの上方にも展望台(標高3131m ? )がある。建物を過ぎると残雪が多く細い道は登りづらかった。上部の展望台はまだ雪が解けていない。踏み固められた小道を歩けるだけだった。しかし、ここからは駅の展望台の光景に加えて、ロープウェイ中継点のホーテリグラート(3286m)とシュトックホルン(3583m)が良く見えるのです。視界360度の一大パノラマだった。天候と体力に問題がなければ、このホテル上方の展望台まで登るべきです。

アルプスの展望を満喫し、ホテルまでそろそろと下った。建物内部のカフェテリアでコーヒー(@3.50F)を2つ買った。もちろんテラスのテーブルまで持って行く。風はなく、空気も冷たく感じない。「世界一高所のカフェテラスかも・・・」と思いつつ世界一贅沢なコーヒータイムをゆっくり楽しみました。空と山々の境界線の向こうはイタリー、信じられなかった。

集合は15:00、場所は駅だった。皆さん集まったが、アイさんの顔が冴えません。予定の15:07出発の電車を含め2本が間引きされてしまった。16:19発の電車に乗るしかないというのです。さらに1時間余をゴルナーグラートで自由に過ごすことになりました。

我々は先刻のカフェテリアの室内で休むことにして、再度ホテルまで坂道を登った。今まで高度3000mを全く意識しなかった。二人とも体調の異常を感じなかったからです。しかし、今回の上り坂はきつかった。息切れし、軽い動悸もする。休みながら、ゆっくりと登りました。1時間以上もここに居るので、希薄な酸素に体が少し馴染んだはずなのに・・・。実は軽い高山病の症状だったのです。 何とかホテルまで登りカフェテリアに入りました。屋内には何組かの客が居ただけだった。何も買わずに窓際の椅子で休ませてもらった。

出発時間が迫り、電車に乗った。ボンヤリ外を眺めていると、雲の発生が減り、一部しか見えなかったリスカムとブライトホルンの山容がはっきりと見え始めた。チャンス、大急ぎで電車から降り、駅のフェンスまで行って写真を数枚撮った。ラッキーでした。リスカムの頂上部は直ぐ雲隠れしたのです。 ゴルナーグラート展望台
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2007年初夏、再度ゴルナーグラート展望台に行き雄大なアルプスの山々や氷河を間近に楽しみました。GGBゴルナーグラート駅(標高3089m)からゴルナーグラート・クルム・ホテル(標高3130m)までは坂道のみだったが、今回はエレベータ塔らしき建物が駅広場のホテル側に新設されていました。再訪時の稼動状況は不明です。坂道も作り直されたようです。(2007年追記)
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下山電車: 16:19 出発し、電車はゆっくりと下って行きます。もう満足感が充満し、書く事は多くありません。ただ、帰路にはローテンボーデン駅で大勢のスキーヤーが乗り込みました。アルペンスキーを楽しんだ後で大汗でしたね。次に、スノーシェルターを出た少し先から沢山のマーモット(リス科最大)が巣穴の外に出ていました。オヤツの時間だったのでしょうか? マーモットは地下に10〜70mのトンネルを掘り家族群で生活する動物だそうですが、ここで見たときは群れておらず一匹づつ離れて枯れ草地にいる。そして、電車が通過すると、遠くのマーモットですら慌てて背を向け逃げるのが多かった。一体、ここに何年住んでいるのだろう。いいかげん慣れて、電車に手を振るなり愛嬌を振りまいて欲しいもの・・・(冗談です)。写真撮影は不首尾でしたが、丸々した体型で嫌な感じの動物ではありません。かなり下がった赤松が生え始める頃まで車窓から姿を見ました。
ついでながら、南アメリカ原産の実験用動物として知られるモルモット(テンジクネズミ/guinea pig)は体型がこのマーモット(リス科/marmot)に似ている。それで発見したオリンダ人が誤認してモルモット(marmot)としたそうです。しかし、違う動物です。アジアに分布しているヒマラヤ・マーモットはリス科でここのマーモットと同じ仲間のようです。

ツェルマット散策: 17:00頃 GGBツェルマット駅に到着。夕食は別のホテルなので、19:00にホテル・アストリア前に集合、それまでは自由行動です。

メーンストリートの土産屋2〜3軒に入ってみた。ワイフはレース製品とか小型の置物類を見ていたが、気に入ったものは見つからなかった。私はどの店でもチロリアン・ハットを手にとり、感触と値段をチェックした。ハットの種類は多く、(1) ツバの巾がソフト帽のように広いものから狭いもの、(2) オリーブグリーンから濃いグリーンのもの、(3) 飾り羽の付いているもの無いもの、(4) つばの根元の紐が二重から四重のもの、(5) 型崩れしない硬い素材から柔らかく折りたためるもの、(6) サイズとかメーカーなど、組み合わせは様々です。
土産屋でも幾つかの種類を置いていますが、各種チロリアン・ハットを店頭にズラリと並べたスポーツショップで比較してみました。興味のあるタイプが59.00Fでした。ここでは買わず、さらに2軒のスポーツショップに入り、最後の店 Bayard で購入したのです。

チロリアン・ハット
チロリアン・ハットは奥まった棚に並べられていた。女性店員に頼んで、興味のあるタイプを手に持たせてもらった。軽く柔らかい素材で飾り羽はありません。69.00Fで、先刻の店のものより少し高かった。しかし、店員は折りたたんで小さくして見せ、「スイスではこうやってポケットに入れる」と説明した。「スイス製ですか?」と聞くと、びっくりした顔をして「ハットは全部オーストリア製です。」 これに決めてカードで支払った。

ガイドブックやオンライン旅行記には、日に何度か羊の群れが街中を歩く(観光用)とか、五つ星ホテルの送迎馬車が通るとかの説明もありましたが、我々が散策した時間帯では見かけなかった。角張った小型の電気自動車が静かに走る清潔な山岳リゾートの印象でした。教会を通り越すと商店は直ぐに無くなります。それでホテル・アストリアに戻り、部屋でゆっくりしました。
今日はツェルマットでもゴルナーグラートでも昨日のユングフラウヨッホのように多くのインド系観光客を見ることはなかった。偶然かも知れません。が、海外旅行歴の浅いインド系の旅行社は未だ限られた旅行ルートしか開拓していない、と憶測しました。

夕食(ミートフォンデュ): まだ日中のような夜7時にホテル前に集合した。マッター・フィスプ川左側の道を上流に向って5〜10分程度歩いた。道の左側、アンタレス・ホテル(Hotel Antares)の2階に案内される。明るく立派なグルメ・レストラン(Gourmet Restaurant)だった。80人収容とかで比較的大きいが、有名なようで欧米系の客で満席のようでした。我々は団体なので席は入り口近くに確保されていた。(注:日本のオンライン・ホテルガイドではイタリアンレストランと書くものもありますが・・・、雰囲気は違うけれど、近いから・・・。)

直ぐに飲み物の注文ですが、アイさんは言った。「下山が電車の間引きで遅れてスミマセン。お詫びに一杯だけですが、旅行会社が提供いたします。」 気の毒な気がした。我々の場合は気にしていなかったし、長くゴルナーグラートに居れたので良い写真が撮れたとも言えるのです。それで、お詫びしてもらう理由はなかった。
しかし、アイさんとしては、自分の調査不十分の落ち度と解釈されたくなかったのでしょう。中にはツェルマットの自由行動の予定が狂ったと言う人が居るかも知れないのです。ワイフはアイさんの「個人負担と思う」と言っていましたが・・・。そうかもしれません。
断るのも妙ですし、皆さんと同じくスイスの白ワインをグラスで御馳走になりました。

サラダを取りに行く。パンはテーブルの籠にあったが量は少な目でした。美味しいパンで直ぐなくなった。世話係は驚く程に太った中年のスイス人女性(アイさんの表現では、陽気なスイスの肝っ玉・母さん)で、各テーブルの挨拶に回り、フォンデュ鍋のコンロに火を付けました。近くのテーブルに我々専用のミート・フォンデュ用食材がタップリとおいてある。各自好きなだけ皿にとり食べたいだけ食べるのです。
皿は大型の細かく仕切りのあるタイプ。まず、小型の胡瓜のピクルス1本(酸味は弱い)、ラッキョウ?(味が軽すぎる)、オリーブ2種(普通)を取った。次にミート用ソースですが種類が多い。3種のソース(カレー、ガーリック、?)を選んだ。牛肉は日本のカレー用角切りに似ているが、脂肪のない柔らかそうな赤身です。この角切り牛肉は大皿3枚にデッカク山盛りになっていました。
ミート・フォンデュ
角切り牛肉1個を長い二股槍のような金属棒の先に刺して高温のフォンデュ鍋に入れる。二股槍は長く、手に持つ部分は鍋の外です。好みの時間だけ油で揚げ、肉を槍から外し皿に置く(槍の先についた肉を直接食べるとヤケドする。) 適当なタレを付けて賞味する。牛肉は柔らかくクセのない味で、私の好みのタイプでした。正直に書くと、ソースは3種とも少し軽過ぎる。が、これがスイスの味、塩も加えずにそのまま楽しみました。珍しくも最初に取った量では物足りなく、牛肉とソースはほぼ同じ量でもう一度取りました。ワイフも数切れ追加で取りましたが、実に珍しいことなのです。しかし、日本人はやはり量的には小食なのでしょうか。女性が大半だったためかも知れないのですが、牛肉は半分くらい余りました。

世話係の太ったスイス人のオバサンに見送られ、大満足してレストランを出ました。薄暗くなったマッターフィスプ川沿いの道をホテル・アストリアに向いブラブラと歩き下るのです。家々の窓からは明かりがもれ、山麓の中腹にある巨大な十字架にも灯が燈されて明るく目立っていたのが印象的でした。 ツェルマットの夕暮れ
21:00頃ホテルの部屋に戻りました。

ツェルマットのホテル: 宿泊したアストリア・ホテルは鉄道とか登山鉄道の駅から離れています。繰り返しになりますが、メーンストリートを奥に進んで教会の所で左折、マッターホルン撮影の場所として日本人の写真愛好家には知られたマッターフィスパー川の橋を越え、最初の交差点を左折して直ぐ左側にあります。このように説明すると遠い感じですが、小さいリゾートタウンで距離的には大したことはありません。駅から10分以内でしょう。逆にツェルマットの主要なところを見てしまうことになり、その意味では良い立地です。荷物は駅とホテルの間は電気自動車で運んでくれます。

不思議なことに、このホテルの写真を全く撮影していませんでした。建物はスイスのリゾートでは標準的な大きな三角屋根の4〜5階建てのものです。我々の部屋は3階の通りの側でした。スーツケースを運ぶ時にエレベーターが小さく狭い感じでしたが、それ以外には部屋の広さとか設備の面で全く問題なかったはずです。家族経営のホテルとのこと、従業員の方々も日本人ツアーに慣れている様子で何の心配もありません。星5個でなければ都合の悪い人達を除き、十分なホテルと思います。

今日は昨日と違い天候にはマァ恵まれました。ゴルナーグラートも登った甲斐があったのです。大満足して休みました。

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(2017.03.21 表示改善)(2007.06.01 改訂版)(2003.08.02 公開)