ドイツ南部とスイス名峰の旅 ( 2003年5月19日(月)/4日目 )
flag-switzerland 氷河特急8時間 (ツェルマット ⇒ サンモリッツ)
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起床から出発まで: 05:30 起床。昨日に教えてもらった日の出の時刻。直ぐトラベルポットに水をいれてスイッチ・オン、そして衣類を身につけた。コーヒーを1杯だけ大急ぎで飲み、デジカメを持って1人で外に出ました。

早朝のマッターホルン(写真撮影): そろそろ町も明るくなりつつあった。早朝とは言え、冷えた空気でもなく、セーターと半コートで丁度よかった。
05:45 ホテルから徒歩1分のマッターフィスト川の橋には誰も居なかった。マッターホルンは昨日と同じく頂上付近で雲が湧き出ている。ピークはその雲で見えず、がっかりした。
06:00 ポツポツとカメラ片手に日本人観光客がこの橋に集まった。私を含め男3人にペアー1組でした。全員ピークが現れるのを待つつもりのようです。時折通る欧米系の人達は物珍しそうにカメラ片手の我々を見ていました。ここで早朝のマッターホルンを見ようという物好きな人種は日本人以外にいないようです。絵葉書の写真で十分でしたネ?
06:12 ワイフがデジカメを持って様子を見にきた。
06:14 頂上部分の雲が薄くなり、かすかにピークが見えた。1番はっきりした時を狙い急ぎ数枚を撮影した。集まった人達も同様だったと思いますが、他の人達の行動を観察する余裕はありません。多分、たった数分間足らずのチャンスは逃さなかったでしょう。
06:15 全部で7人が橋にいた。皆さん、完全な姿が見たかったのです。
06:30 マッターホルンの上部は雲の中だった。その後ピークは二度と現れなかったのです。まだ数人は残っていましたが、我々はホテルに戻りました。

朝食: 07:15頃 朝食。ホテル1階のレストラン。うっかり時間などを記録しなかったのですが、完全なコンチネンタル・スタイルでパン、チーズ、ハム、コーヒーだったはずです。

晴天のマッターホルン: 08:10 偶然に出会ったアイさんが「マッターホルンがよく見えます」と教えてくれた。急ぎワイフと3人でマッターフィスパ川の橋まで行く。真っ青な空に御馴染みのマーターホルンのピークがよく見える。素晴らしい!これを背景に幾枚か記念写真も撮り、マッターホルンも十分に撮影してやっと心底から満足感が湧きました。この山をこの姿で見なくてはツェルマットに来た甲斐がない。チャンスを教えてくれた添乗員さんには感謝です。
マッターホルンの周りは快晴に思えますが、注意して見ると、実は僅かな雲が湧いたり流れたりしています。今日の午後も頂上は落ち着かない天候の予感がしました。多くの人達が、マッターホルンを見るなら午前中と言っていますが、その通りなのでしょう。 マッターホルン

この見事なマッターホルンは下界から眺めると素晴らしいのですが、頂上に登るのは至難の業でした。 1786年にモンブラン初登頂が達成された後にアルプス登山ブームとなり多くの名山の初登頂が達成されました。英国人エドワード・ウィンパー(Edward Whymper,、1840-1911)もスイスとイタリア国境にそびえるマッターホルンの魅力にとりつかれ幾度となく登頂を試みましたが全て失敗しました。1865年7月のこと、8度目の挑戦でやっと初登頂に成功したのですが、下山中に7人のパーティの内4人が滑落で亡くなり、ウィンパーら3人はザイルが切れたために助かったのでした。この悲劇が小さな山村だったツェルマットを一躍有名な観光地とし、以後の発展のきっかけとなったようです。
例えば、後に米国の第26代大統領となったセオドア・ルーズベルト (Theodore Roosvelt、1858-1919、日露講和の斡旋) も1881年5月にマッターホルンに登ったそうです。ツェルマットの山岳博物館にはその時のルーズベルトの言葉が残されているようです。

ツェルマット散策: 09:00頃 荷物を廊下に出し、1階に降りてキーを返した。チェックアウト完了です。 氷河特急の出発までに十分な時間がある。ツェルマットの街を少し楽しむつもりで歩きました。マッターフィスト川の例の橋を越え、教会の裏手の墓地に寄ってみました。一般的なものに混じり、ピッケルを彫った墓石やピッケルそのものを使用した御墓がありました。これらはこの地の山で遭難死された方たちのものなのです。山男たちは夢果てても山岳リゾートの中心に埋葬され幸せでしょうか、それとも他山の石となり肩身が狭く嫌がっているでしょうか。ご冥福を。

メーンストリートを駅に向った。横丁を右に入ると木彫りの専門店がある。ここの看板は、木彫りを数多く取り付けた柱の左にドイツとスイスの国旗、右にアメリカと日本の国旗が飾られていた。来店客の国籍の反映でしょうか。中に入ると所狭しと実に豊富な商品が並べられている。手彫りと云うだけに価格も少々高い(と思いました。) が、趣味ある人には絶好の物色場所のひとつかも知れません。
さらに、メーンストリートを歩き、土産屋などを幾つか覗いたら時間が過ぎました。

氷河特急:Glacier Express-906(10:10-18:11)

09:40頃 駅に行く。スーツケースはホテルから運ばれていた。ここから各自で指定された車両まで運びます。列車への積み込みはポーターがやってくれる手筈でした。車両の入口でポーターをしばし待ちましたが、手が空かないのか来ません。二等車両の前後に荷物置き場があり、我々は前部の荷物置き場でした。列車の床はホームよりも高かった。男性メンバーと体力のある女性数名でリレー式にスーツケースを運び上げ、何とか狭いスペースに積み上げました。しかし、前部の置き場だけに納まらず、乗降部の空スペースにも置きました。通路を半分を塞いでしまい、他のスイス人の乗客は笑っていましたネ。まぁ、何とかなり、客室内に落ち着きました。が、後で走行中に荷崩れし、再度の作業が必要となりました。何分にも素人仕事で・・・。

多くのガイドブックは天井両側がガラス窓のパノラマ1等車を勧めるようです。特に長時間乗車の場合は、椅子も上質でテーブルもあるので快適な列車の旅が出来る。乗務員の応対も良いことでしょう。客車の等級差は扱いの差として露骨に現れるので、金を払って快適さを購入し記念とする旅行者も多い、ようです。
ところが窓が開かないという。私の場合、旅行中は写真撮影を趣味としてスキあらば勝手に動き回るタイプです。今回は窓が開けられる2等車が適切でした。(実際には、他の乗客の迷惑になるので、ラントヴァッサール橋以外は自分で窓を開けることは無かった。)

氷河特急・略式路線図
ツェルマット (10:10発)
Zermatt
標高1604m

テッシュ
Tasch

ランダ
Randa

ヘルブリッゲン
Herbriggen

ザンクト・ニクラウス
St.Niklaus

カルペトラン
Kalpetran

シュタルデン・サース
Stalden-Saas

フィスプ
Visp


ブリーク(11:34頃)
Brig
第2の低地・標高 671m

ビッチュ
Bitsch

メレル
Morel

ベッテン
Betten

グレンギオルス
Grengiois
ループあり。
ラックス
Lax

フィーシュ(12:16頃)
Fiesch

フュアガンゲン
Furgangen

ニーダーワルト
Niederwald

ブリッツィンゲン
Blitzingen

ビール
Biel

グルリンゲン
Gluringen

レッキンゲン
Reckingen

ミュンスター
Munster

ゲシネン
Geshinen

ウルリッヒェン
Ulrichen

オーバーゲシュテルン
Obergesteln

オーバーワルト
Oberwald

地中海と北海の分水嶺
フルカ峠(2431m)
新フルカ・トンネル(1982年開通、15.4km)

レアルプ Realp

ホスベンタール
Hospental

アンデルマット(13:15頃)
Andermatt
雄大な風景と山頂の氷河
ネッチェン(13:44頃)
Natschen

オーバーアルプパスヘーエ
Oberalppasshohe
最高地点・標高2033m

チャムート・セルヴァ
Tschamut Selva

ディーニ
Dieni

セドゥルン
Sedrun

ブンニャイ
Bugnei

センニャス
Segnas

ディセンティス(14:52頃)
Disentis
↓↓
Sumvtig-Cumpadials
↓↓
Rabius-Surrein
↓↓
トゥルン
Trun
↓↓
タヴァナサ・ブライル
Tavanasa-Breil
↓↓
ヴァルテンスデルク
Waltensburg
↓↓
ルオイン
Rueun
↓↓
シュナウス・シュトラーダ
Schnaus-Strada
↓↓
イランツ
Ilanz
↓↓
カストリッシュ
Castrisch
↓↓
ヴァレンダス・サゴイン
Valendas-Sagogn
↓↓
フェアサム・サフィン
Versam Safien
↓↓
トゥリン
Trin
↓↓
(16:00頃・着)
ライヒェナウ ⇒ クール
Reichenau ⇒ Chur
最低地点・標高 604m
(16:17頃・発)
↓↓
ボナドゥツ
Bonaduz
↓↓
レツェンス
Rhazuns
↓↓
ローテンブルンネン
Rothenbrunnen
↓↓ ローテンブルネンの城
ローデルス
Rodels
↓↓
カツィス
Cazis
↓↓
トゥズィス(16:35頃)
Thusis
↓↓
シルス
Sils
↓↓
ソリス
Solis
↓↓
ティーフェンカステル
Tiefencastel

↓↓
スラバ
Tiefencastel
↓↓
アルヴァノイ(16:52頃)
Alvaneu
↓↓ ラントヴァッサー橋
フィリズール
Filisur
↓↓
シュトウグル
Stugl
↓↓
ベルギュン
Bergun

↓↓ 3つの連続ループ。
プレダ
Preda
↓↓
北海と黒海の分水嶺
アルプラ峠(2312m)
アルプラ・トンネル(5.8km)
↓↓
シュピナス
Spinas
↓↓
べヴァー
Bever
↓↓
サメダン
Samedan
↓↓
チェレリナ
Celerina
↓↓
サン・モリッツ(18:15着)
St.Moritz
標高 1775m
参考文献:ブルーガイド・ワールド11「スイス」実業之日本社、1996.3.15、pp.127-130

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乗車した列車が通過した駅と重要な地点などを略式路線図としてまとめておきます。詳しいことは参考書か専門サイトを見てください。
略式路線図(左)の見方と情報
鉄道会社:はBVZ鉄道、↓はFO鉄道、↓↓はBCK鉄道。
太字の駅:特急が停車するなど重要な駅。
(時刻・頃):乗車した特急の通過した大凡の時刻。
赤文字:その地域にある特記事項。
分水嶺:背景色が黄色の2地点。
沿線の川:
背景色ブルー/マッター谷・フィスプ谷
 マッターフィスプ川 ⇒ フィスプ川 ⇒ ローヌ川
背景色レッド/ローヌの谷
 フルカ峠までは ローヌ川 ⇒ 地中海。
背景色グリーン/スルゼルカ谷
 フルカ峠から先 フォルダーライン川 ⇒ ライン川 ⇒ 北海。
背景色パープル/
 アルプラ峠までは アルプラ川 ⇒ フォルダーライン川
背景色パープル/エンカディンの谷
 アルプラ峠から先 イン川 ⇒ ドナウ川 ⇒ 黒海。
氷河特急とは:世界一のろい特急。心は、風景を満喫できるように。
発足:1930年。新フルカ・トンネル完成で鑑賞氷河数は減少。
軌道方式:アプト式ラックレール(*)。
走行距離:268.7km/所要時間:7時間30分(*)。列車による。
トンネルの数:91(*)/橋の数:291以上(*)
(*) と略式路線図の標高は鉄道会社のパンフレット ”GLACIER EXPRESS St.Moritz/Davos-Zermatt” から入手しました。

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ツェルマット出発: 10:10 氷河特急は動き出した。アイさんは鉄道会社の氷河特急パンフレット(日・英)、絵葉書2枚、車内販売カタログのセットを配布、さらに彼女がコピーした詳しい日本語ルートマップもくれました。これで氷河特急の主要な見所と通過点は分かり、好天気で車窓からかなり楽しめるはずでした。 が、気分的に「ゆっくりできる」とダレた感じでして、結果として時々居眠りの旅になりました。昼に弁当が配られ自席で昼食になった。その後はアンデルマット付近まで1時間近くも熟睡する始末。記録も取っていません。思い出せることも少なく、以下は写真を見ながらの簡略な記述となりました。

だだし、沿線の風景はスイスご自慢の伝統ある観光鉄道だけのことはあります。素晴らしいパノラマの連続です。これは誤解なきよう・・・。言葉での表現は難しいので、写真をぜひ御覧下さい。

11:00頃、車内販売がワゴンに各種の飲料を満載して来ました。グラスの炭酸入りリンゴジュース(@4.5F)を買って飲んでみたら、さっぱり味でスッーとしました。

フィスプ駅だったと思うのですが、駅構内にスイス軍の兵士が大勢いた。軍用の輸送車も停車中でした。しかし武器類は目立ちません。訓練を終えて帰る途中のようでした。軍服だと本物の軍人にみえますが、通常は平服の市民で経済活動などに忙しい人達です。国の平和と中立は国民の手で守る、空念仏無用のスイスの伝統は生きています。 氷河特急1

追記: スイスでは2011年2月13日に国民投票が行われ、兵役時に支給される銃の自宅保管の禁止について賛否が問われた。結果は、賛成43.7%、反対56.3%。今まで通り現役と予備役が自宅における銃の保有が認められることになる。
人口100人当たりの銃保有率は、アメリカ89人、イエメン55人、スイス46人、なる統計もあり、3番目の銃大国になっている。[2011.02.14 時事 & NHKニュース/文章変更]

ブリークからイタリア行きの列車があり、東側のシンプロン・トンネルを出ると既にイタリア国内になる。

車内でランチ:12:00頃、添乗員さんが弁当を配りました。割り箸付きのスイス式和風弁当とでもいえるでしょう。炊き込みご飯にカツ3切れ、ゆで卵(1個を薄切り)、野菜類でした。野菜が多くヘルシーです。空腹と珍しさで、それなりに結構おいしく食べれました。
氷河特急で食べた洋風折り詰め弁当
この弁当は@25.00F(約2400円)なのだそうです。デパチカやスーパーの弁当に比べると高いようにも思えます。
腹の皮が張れば目の皮が弛む。言葉通り食後は直ぐ眠ってしまい、長い新フルカ・トンネル等は知らずに過ぎました。このトンネルが開通する以前は、風光明媚といわれるフルカ峠で氷河を間近に見ることができたそうです。

目覚めたら、サン・ゴッタルト峠など幾つもの峠道の中心に位置し観光で知られたアンデルマット駅の近くだった。この駅舎は小さいながらも新しい感じの建物です。シェーネレン渓谷などの景勝地も多い地方だけに、駅には観光バスも数台止まっていましたね。ルガーノ経由でイタリア・ミラノ行きの列車がある要所の駅でもあります。
氷河特急もここから暫くは素晴らしい展望が続きます。列車は1436mのアンデルマットから最高地点2033mのオーバーアルプ峠までグイグイ登るのです。特に高度を稼ぐ次のネッチェン駅までの風景は見逃せません。
出発すると列車はトンネルもあるクネクネした路線を左に右にと回りながら登ります。だんだんとアンデルマットの町のある谷がよく見えるようになる。5月下旬の谷は雪を抱く高い山々に囲まれた盆地にみえ、谷底の村は穏やかそのものに思えます。高度が上るにつれ右手は深い谷となり、その向こうは急峻な山肌に塞がれます。そして頂上付近には氷河が見える。 氷河特急2

氷河特急の最高地点(2033m)付近は高地の残雪に覆われたなだらかな谷間でした。暫くはこの高原谷を走り、しだいに険しい谷の高い場所を走り下るようになる。そして、広い谷となり、黄色い花が咲く牧草地の村々を抜けていく。センニャスでは遠くに氷河もある3つのピークが続き、のどかなスイスの風景を創っていました。
これまでの鉄道とこれからの鉄道は運営会社がディセンティス駅で交代です。スイスでは幾つもの私鉄が連動して長距離列車を運行する。日本では馴染みの薄い長距離鉄道の運行形態(除くJR系)でしょうが、近年は羽田空港から成田空港まで幾つかの私鉄の路線を使用して直通電車が運行されている。これに似た方法がスイスでは大規模に行われているらしい。 氷河特急3

フルカ峠後に車窓から見える川はフォルダーライン川で、ライン川の支流です。山々の雪解け水を集め、この辺りから川らしい大きさと水量になってきますが、まだラインの流れは想像できません。スイスの他の川と同じく、石灰質で白く濁っている。偶然かも知れないが、スイスでは川釣りを全く見かけなかった。川魚は生息していないのでしょうか。今でも疑問に思います。(悠々と流れるドイツのライン川では1度釣り人を見かけました・・・。)

ディセンティスを越えて暫くすると、氷河特急の沿線は一部の人達がロマンシュ語を話す地域となる。ロマンシュ語はラテン語に近い言葉だそうです。イタリア標準語のフェレンツェ方言(トスカーナ方言の一種)もラテン語に近いそうですから、ルーツは共にラテン語です。が、長い歴史でこれらは別の言語のようになったのでしょう。スイスのロマンシュ語圏はオーストリアとイタリアに国境を接するスイス南東部といわれる。地形的にも複雑で古い風習と慣習が残る保守的な地域なのだそうです。ならば、ロマンシュ語は最もラテン語に近い実用語なのかもしれません(私の勝手な推測です。)

列車は走り続ける。しかし、暫くはウトウトと過ごしました。気が付いたらライヒェナウ駅付近でした。ここで列車は方向転換、多少もどってから南に向います。車内販売のワゴンが回ったので、コーヒー(@3.40F)にしました。

しばし、谷の奥に向って進んで行く。印象に残ったのは、山の中腹にあった小さな古城くらいなものでした。アルプラ川の上流に近づくにつれ、沿線の教会の塔(鐘楼?)がイタリア風に変りました。そこの風景写真は「イタリア北部で撮った」といっても通用するかも知れません。 氷河特急4

列車はこれからアルプラ峠を越えるのです。まず、スイスで1番有名な橋、ラントヴァッサー橋(川床から高さ65m、長さ130m、半径100mの曲線橋)、を通過する。ここは写真ポイントなのです。スイス専門ウェブサイトから「写真撮影には氷河特急5両目右側が最良」という事前情報を入手していました。アイさんは通過の5分くらい前に、「そろそろ、ラントヴァッサー橋に近づきました」と知らせてくれた。乗客はほぼ全員が車両の右側の窓に移動し、列車が「転覆(?)」するのではと思われたほどです。我々は4番目の車両だった。それで私はデジカメ片手に後方に移動したのですが、5両目は小包を床に並べた作業用車両で乗れません。幸い4両目後部の荷物室は空で誰も居ない。窓を開けて身を乗り出し、1〜2枚の試し撮りをして様子を掴み、デジカメを構えて待ちました。遠くにラントヴァッサー橋の一部とトンネル入り口が見えた。カメラをしっかりと構えた。
短い時間で通り過ぎたが、何とか橋上の列車の写真は3枚撮れました。望んでいた写真ではありません。しかし、マァ記念としては十分でしょう。
アイさんは4両目最後部の席に1人でいました。帰りがけに、「いい写真とれました?」「ウーン、まぁ〜」 氷河特急5

その後、列車は幾つものループを右に左にグルグル回りながらアルプラ峠を登った。木々の多い峠でした。 スイスらしい雄大にして変化に富んだきれいな風景が次から次に現れる長い列車の旅も、もう終りに近づきました。

氷河特急 乗車証書 (GLACIER EXPRESS Diploma):

氷河特急・乗車証書(GLACIER EXPRESS Diloma)
18:15頃、約8時間で終着駅サン・モリッツに到着しました。長く短い氷河特急の旅でした。 氷河特急に乗車すると左の乗車証書がもらえます。記念になるお遊びです。

話が前後しますが、我々の場合はツアコン・アイさんがまとめて入手し、夕食後の夜8時40分頃ツアーメンバーの部屋を回って配布してくれました。氏名・乗車日は自分で記入しなくてはなりません。どちらでもよいことですが、鉄道会社に言いたいのは、団体の場合でも日付は駅名入りのスタンプを使用したほうがBetterな記念品になる、と思いますね。21x30cmの大きさなのでシワにならないよう気を付けて持ち帰る必要があります。

個人旅行の場合、途中下車でも下車駅で切符を見せて請求すると発行する、という情報もありました。

サン・モリッツ: スイス南東部の山々はベルニナ・アルプスと呼ばれ、3000〜4000mの高山が連なるが、他のアルプスと比べて穏やかな印象を与えると言われます。ここを流れるイン川(ドナウ川の支流)の上流地区をオーバー・エンガディンといい、サン・モリッツはその中心的なリゾート・タウンになる。ここは特にイギリス人に好まれているとも言われるようです。
鉄道の駅はサン・モリッツ湖の北側にある。市街地は2つに別れ、駅の西側の斜面にサンモリッツ・ドルフがあり、そこから離れて湖の西端にサンモリッツ・バートがある。

ツアーでは観光やアクティビティーの予定はありません。直ぐバスでホテルに行き、スイス最後の夕べをゆっくり休む予定です。駅前にはバスが迎えに来ていました。綺麗な街並みの坂道を登り、5〜10分でホテルに着きました。

サン・モリッツのホテル: ドルフの中心部にある比較的高い場所にあるホテル・ハウザーに到着しました。スーツケースは運んでくれるので、部屋割りを待つだけです。1階のロビーは入り口のフロント前を通り右手になる。そこで休みました。

アルペンホルンの人形
フロント近くのショーケースにスイス土産の小物が陳列してあった。ツェルマットでチロリアン・ハットを購入した後は、アルペン・ホルン(アルプ・ホルン/アルプス・ホルン)を吹く人形に興味を持って見ていました。土産屋では木彫りや金属製のリアルなミニチュアが置いてありますが、未だ買っていなかった。個人的に街を散策する予定はないので、買い逃したと思っていました。ところが、ここに焼き物のアルペン・ホルンの人形があった。同じものを並べているが値段は18.00F〜23.00Fでばらついている。良く見ると、ホルンが歪んでいる等の欠陥があると安く、作りのよいものは高いのである。高いほうを買わざるを得なかった。ホテルに人形用の箱はなく、気を付けて持ち帰るように云われた。これで、スイス・フランはコーヒー代を残しほぼ使い切りました。(実際の購入は明日20日の出立直前。)

ホテルのエレベータ: 4人乗りのエレペータが2台あり利用したのですが、扉が外開きのドアー式で中には保護用ドアーが無いものでした。壁面に触れないように気を付ける必要があります。夕食時に地階に同じエレベータで降りましたが、地階では乗った時の反対側のドアーから出るのです。こちらは日本のエレベータのドアーのように両開きで内外2重になっている。不慣れなタイプで少々驚きました。

夕食: 19:30 エレペータから出るとすぐレストランです。高尾から参加のカメラウーマンと横浜から参加した女性の4人でテーブルを囲んだ。ツアーのメンバーといっても、多少でも話を交わすのはこんな時くらいなものです。
飲み物はグラスの白ワイン(@5.40F)にした。飲みやすく美味しいものでした。スープ、メーンデッシュ(鶏肉くし焼き、グリーンピース、マッシュド・ポテト)、デザート(ババロア)、今晩はグリーンサラダ抜きでした。マッシュドポテトはあまり出ないので珍しく思われましたね。

20:40 片付け物をしていたら誰かドアーをノックする。添乗員さんが GLACIER EXPRESS の乗車証書を2人分届けてくれました。これで、乗車証書についてガイドブックで読んだことを思い出しました。よい記念品を忘れずに持ち帰ることができて助かりました。傷まないようにスーツケースの底に仕舞いました。

部屋は広い上にクローゼットも大きく、スペース的な余裕があり快適でした。スーツケースを2つ拡げておいても邪魔にはならない。ただ、部屋のドアーとか戸棚の扉などに節のある板を使っていたのが、珍しかった。リゾート地の素朴な雰囲気を出すためと思われます。金庫も設備され棚類もホテルでは珍しい大きさなので、シーズン中は滞在型の客が多いのでしょう。テレビをベッド頭部の反対側の壁上部に固定したり、金属製で場所を取らないライトの使用ですが、拘らなければ気になりません。狭い部屋は窮屈で、広い部屋だと気分的にも楽で疲れがとれます。 サン・モリッツのホテル

23:00頃 就寝。

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(2017.03.21 表示改善)(2007.06.01 改訂版)(2003.08.02 公開)