ドイツ南部とスイス名峰の旅 ( 2003年5月21日(水)/6日目 )
flag-germany ネルトリンゲンとローテンブルク
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起床から出発まで:昨日のビールが良かったのか、珍しく7時間も熟睡できた。
06:00 起床。デジカメの充電は完了していた。直ぐバッテリーを取替え、昨夜使用した電池も充電する。この電池ではあまり写真は撮らなかったので出発までに完了した。
06:45 1階のレストランに行く。
07:45 スーツケースを廊下に出す。
08:15 部屋を出て鍵を返却するだけのチェックアウト。外は薄曇りだった。
08:20 バスに乗車。

ロマンチック街道ドライブ

08:25 出発。 暫くは道なりに走るだけのようで、アイさんはドイツに関する情報提供の時間としました。キチンと説明したのですが、つまみ食いで要点のみのメモしかありません。ウェブサイトの情報等々を織り交ぜて記述したものもありますが、多くは未確認です。聞き違いもあり得ますが、その点は御了承ください。

◆ロマンチック街道(英語では、The Romantic Road)はそもそも“ローマに通じる道”という意味、昔はデンマークからローマまでの長い街道でした。1950年代の高度成長の時期にこの地方は産業化の波に乗れず、観光化の目的でその一部が「ロマンチック街道」と命名されたと言われます。
◆今日ドイツ観光では最も人気があるロマンチック街道は、マイン川に面したヴュルツブルクからオーストリア国境近くのフュッセンを結ぶドイツ南部の縦断道路(約350km)です。昨日訪れたノイシュバンシュタイン城はその南端の重要な見学ポイントですし、昨夜のホテルがあったランツベルクも街道上の町、今日訪問する古城街道との交差点ローテンブルクは中世の面影を残す有名な観光都市なのです。それらを含め、街道上には由緒ある見所を抱えた26もの中世の町があると云われます。
◆中世には神聖ローマ帝国(ドイツ語圏を束ねた)が自治権を認めた都市があり、帝国自由都市と呼ばれた。11〜12世紀頃には、商人たちは経済力を背景に権力者から離れ、自治を好むようになっていた。ロマンチック街道上の町はかつての帝国自由都市だったところも多く、ローテンブルクもその1つだった。
◆ドイツの議員は交通費の支給を受けるだけで伝統的に無報酬が原則。昼は仕事、夜に議会、これが普通だそうです。市会議員に始まり、州議員、国会議員と登るのが通常のようです。
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◆アイさんは日本の農家の研修生と共にドイツでファームスティをした経験があった。2人づつ分かれて一軒の農家に4日間滞在した。ファームスティ先は主にビート(甜菜)とかジャガイモを生産する農家だった。
◆ドイツ人はスイス人と同じく贅沢はせずに堅実な生活を好む。
◆ドイツ人は掃除をよくする。週に1度はガラス拭きをする。
◆温かい本格的な食事は昼だけで、朝食と夕食は簡単なもの。
夕食はパン、ハム、コーヒーぐらいと言う。この習慣も台所を汚さないためとか。
◆皿の種類は少なく、ナイフとスプーンで済ませることも多い。
◆ドイツの大家はフランス人、日本人、中国人にアパートを貸したがらない。何故なら、料理好きで台所を汚すから。
◆洗濯物は裏庭以外には干さない。
◆買物の包装は簡単。スーパーでもポリ袋は購入して使用する。
◆ガラス瓶を繰り返し幾度も使用することが多い。ガラス瓶の回収は茶色、グリーン、透明の3種に分類。
◆可燃ごみの収集は週1回。
◆生ゴミは堆肥化が進行中。悪臭が問題。
◆etc. etc. ・・・。

ミニ講義のあとはドイツの音楽をテープで流しました。
09:45 ハールブルグ城の傍を通りました。濃いクリーム色の大きな建物でした。米国のマイケル・ジャックソンが数年前に購入を打診したが、断られたそうです。こんな大規模な城を個人で購入しようとするだけでも、すごいですね〜。
沿道には菜の花畑が時々あり、その黄色い絨毯が見事でした。ドイツでは菜種油を抽出し、ガソリンの代用燃料を作る試みが行われているので、そのための菜の花だそうです。

ネルトリンゲン・イム・リース( Nordlingen ):ネルトリンゲン郊外にくると街道からダニエルの塔がひときわ高く目立って見える。この塔は旧市街の中心部にあるザンクトゲオルグ教会(聖ゲオルグ教会:プロテスタント系)の鐘楼で高さは89mもあります。健脚なら階段(350段)を登ることも可能で、帝国自由都市の1つだった円形の市街地の展望は素晴らしいそうです。

この町は大昔(推定1500万年前)に巨大な隕石が時速7万kmで落下した跡、直径25kmのリース・クレーター(盆地)の中にあります。それ故に、ダニエルの塔を含め聖ゲオルグ教会の石材は隕石の破片を含んでいると云われます。また、ここの地形が月面のクレーターに似ているので、1970年8月にアメリカのNASAは14人の宇宙飛行士の4日間の訓練をこの地で実施したそうです。NASAはネルトリンゲンの岩石を月に持って行き、代わりに月の岩石を持ち帰って、その一部が市内のリースクレーター博物館に展示されている、とか・・・。

10:05 ネルトリンゲンの駐車場に到着。直ぐに、近くの城門に向いました。途中にあった白いマロニエが見頃の満開、珍しくも「はまなす」がピンク色の花を咲かせていた。市内ではニセ・アカシヤ(ハリエンジュ)も満開に近いものでした。

城門と城壁:
ネルトリンゲン・城門マーク
10:10 我々が旧市街地に入る城門はバルディンガー門(Baldingertor)で、単純な形の石造りでした。大きい通路2つを車道用に、小さいものを歩道用に利用しています。門の中央上部には面白いデザインの鳥の紋章があった。城門の左右には中世以来の城壁が延びている。城壁は完全に旧市街地を囲む形で残っていて11の塔と5つの城門があるそうです。城壁外部は上部の所々に窓状の穴(銃眼?)があるだけですが、市内側には階段があり城壁上部に登って通路を歩けるようになっている。ネルトリンゲンの城壁は一周(2.7km)できるそうです。

街並み: 城門を過ぎ、聖ゲオルグ教会への道を歩きました。両側の歩道は狭まったり広がったり不規則ですが建物に合わせた為なのです。車道はアスファルト。中世に車道(馬車用)と歩道の区分があったのだろうか?これは自動車の普及と共に改修されたものと思われます。建物は三角屋根の4〜6階建て(4階からは屋根の部分)でしたが、揃っているのではなくバラバラです。色も形も違うのですが・・・。それでも、何かしら統一性があり不思議な雰囲気(メルヘン?)を漂わせていました。
(蛇足:日本が誇る電柱と電線のイメージを重ねるともうメチャ・ヘンになります。)

教会と広場: 10:17 聖ゲオルグ教会に到着。内部を簡単に参観。石造りで重厚な外観からは想像が難しい程に内部は明るい感じでした。急いで拝見し、ダニエルの塔に登ることもなく、教会広場から少し離れた建物に案内された。トイレタイムでした。
10:25 20分ほど自由行動になったので、教会後方の広場に1人で行ってみた。そこでは小規模ながら市が開かれている。毎日なのか週に数回なのか不明ですが、生鮮食品や生花などが並べられている。市の各店舗は日本のものと大きな違いはありません。ポツポツ客を集めている感じです。 欧州の大聖堂とか大きい教会の広場では昔は大規模な市が定期的に開かれた、という話は聞いていました。それが故にマルクト広場 Marktplaz (英語ではマーケット広場) の名称がドイツの至る所にあるのです。しかし都会の中心部では市場開催を見る事は難しくなっている。ここ南ドイツの小都市ネルトリンゲンではその習慣が未だ残っているのでしょう。

ワイフと出会い、珍しい建物の写真などを撮りながら集合場所に行きました。僅かに時間があったので、道路の反対側の土産屋に入り物色しました。ワイフは土産に適当な猫の飾り物を見つけ、大急ぎで購入しました。この種のものは気に入ったら買っておかないと2度と同じものに出会わないものなのです。
10:45 集合。来た道をそのまま戻りました。中世の街並みは人々が生活している以上は現代風にアレンジされていると思います。が、建物一つ一つが個性的に感じられ素晴らしい中世の雰囲気は伝わってきました。 ネルトリンゲン

ロマンチック街道をさらに北上: 10:55 バス出発。ローテンブルクに向かってロマンチック街道を北に向って走りました。時折、通過する町とか沿道の古城のこと等々の説明を聞いて過ごしました。

11:25 ディンケルスピュールの傍を通過、ここも帝国自由都市の1つでした。水濠と城壁に囲まれ、木組みの建物が多い美しい町なのだそうです。夏には有名な子供祭りがあるのですが、謂れがユニークなのです。
1632年(30年戦争の中頃)にプロテスタントのスエーデン軍がディンケルスピュールの町を包囲し、圧制する直前のことでした。町の人々は議論の末に全面無条件降伏を決定したのです。ところが城門番の娘ローレ(Lore)は町の子供達と一緒に征服軍の指揮官スペリゥース(Colonel von Sperreuth)の元に行き、略奪と破壊をしないように彼の慈悲を懇願しました。指揮官は自分の若い息子を失ったばかりでした。それゆえ寛容になり、ディンケルスピュールはスエーデン軍の攻撃を免れ救われたのです。
この故事により、1897年から子供達に感謝するための祭を始めました。開催日は毎年すこし変わるようですが、7月中旬から下旬にかけてです。2003年のキンダーツェッヒェ(Kinderzeche/中世フェスティバル子ども祭り)は、7月18〜27日と発表されています。ロココ衣装の子供吹奏楽団の演奏など珍しい行事が多いようです。

ローテンブルク(Rothenburg O.D.T. ): バスはローテンブルグ郊外の昼食のレストラン前を通過し、かなり回り道をしながらUターンして戻った。古い街のため道路は一方通行で複雑なようです。人口は1万数千人程度でも旧市街は交通規制があるようです。

昼食: 12:15 小さなツム・ラッペン・ホテルにあるレストランGASTHOFに到着です。ここは旧市街を囲む城壁の外ですが、城門の1つガルゲン門(Galgenton)のすぐ近くでした。飲み物はコーヒー(@1,50E)を注文、昼食はスープ、メーンディッシュは白身魚のフライにポテト半切り2個、デザートでした。今日は朝食をしっかり食べたので、これで夕食まで大丈夫です。
アイさんがレストランの用件を済ませるまで、外で待ちました。ホテル前では並木の赤いマロニエが咲いていました。

ローテンベルク地図
(1) 昼食のレストランGASTHOF (2) カルゲン門 (3) 白い塔 (4) ツアーの寄ったお土産の店 (5) マルクト広場(市庁舎・市議宴会場) (6) シュニーバルの専門店 (7) 通称「だんな衆の通り」 (8) ブルク公園 (9) クリンゲン門
下絵の地図は阪急交通社トラピックスガイドから借用。
13:10 いよいよローテンブルグ観光に出発です。直ぐガルゲン門を通り抜け、巾広い石畳のガルゲンガッセ通りに入りました。遠方に見える白い塔まで歩くのです。雨は止んでいましたが石畳は濡れていましたね。歩道には岩を細長い長方形に刳り抜いて作った植木鉢が置いてあり、これは古さを感じさせるものでした。両側の家々は4〜5階で意外にも大きく高いものです。3階以上はくすんだ赤系の瓦屋根の三角部分にかかる造りが多いようです。この通りに商店はあまり無く、ローテンブルクの庶民的な住宅街なのでしょうか。ドイツ流の看板とか道路標識は時折あるのですが、目立たず道路が広々と感じられます。

土産屋と1人の散歩: 13:15 白い塔を潜り抜けると直ぐ右側に日本人経営の土産屋があった。ここに案内されて「1時50分までご自由に」とのこと、皆さんは早速土産品とか記念品の物色を熱心に始めました。店内を一回り見た後は、ワイフを置いて、1人で街の散歩に出かけました。
猫の壁掛け キーホールダー
裏道などをブラブラし、聖ヤコブ教会を外から眺め、白い塔まで戻りました。通路の左側に階段があり塔の中央部にあるドアーまで行ける。誰も上ったりしませんが、別に禁止のサインもありません。マルクト広場へ行くときに歩く道を撮影するために登りました。急な石造りの階段で用心して登らねばなりません。塔の中央部のドアーは鍵がかかっていました。その前から聖ヤコブ教会方向に石畳の道と建物の写真を撮りました。ドイツ人らしき観光客たちは立ち止まり、驚いた顔をして見上げていました。写真を撮って降りるだけなら問題はなく、彼らも安心したように立ち去りました。
再度、土産屋に入るとワイフは錫製の小さい壁掛けなど幾つか購入した後でした。ツアーの他の人達には、小型タオルと小さい錫製の壁掛け(大きいものは100,00E以上)に人気があったようです。私は急ぎ Rothenburg の記念に何処にでもあるキーホールダー(@7,00E)を購入しておきました。何時もミニ散財と思うけれど・・・、つい買ってしまいます。 ローテンブルグ

City Councillors' Tavern (1446) (Ratstrinkstube) - this former tavern is probably one of the most famous buildings in Rothenburg and was only accessible to the City Councillors. A special attraction are the various clocks. The main clock was installed in 1683. Since 1910 the two windows to the right and left of the town clock open every hour between 11.00 a.m. and 03.00 p.m. and between 08.00 p.m. and 10.00 p.m. to show the legendary "Master Draught" (Meistertrunk). This legend loes back to the year 1631 when Catholic troops attacked and occupied Protestant Rothenburg. The Catholic General Tilly threatened to plunder and destroy the city. On a whim, he promised to spare the town from destruction, if a Councillor managed to empty an enormous tankard containing 3 1/4 litres of wine in one draught. The former Mayor Nusch mastered this task and in doing so, he saved his city. Even today Rothenburg celebrates this rescue each year on Whitsun with a festival performance, grand army march and a field camp. Today this building accommodates the Tourist Office.
ローテンブルグ公式サイト英語版から引用 (2003.06.24)
マイスタートゥルンクの仕掛け時計: 13:50 土産屋を出て、マルクト広場に向う。雨が降り始めました。先ほど散歩した白い塔の道を聖ヤコブ教会方向に行き、初めての小さい十字路を左に曲がります。この交差点の建物の角に、大きな変った飾り、怪獣と槍で戦う騎士、がついている。パン屋など商店のある細い道を行くと市庁舎や市議宴会場などに囲まれたマルクト広場に出る。この広場は傾斜しており先に向って低くなっている。その中央部に集まりました。これから有名な「マイスタートゥルンクの仕掛け時計」を観るのですが、運悪く雨がかなり降ってきました。観光客の多くは市役所の回廊に逃げ込んで、そこで観るつもりのようです。我々は傘をさし市議宴会場の正面の位置から動きません。

この仕掛け時計の基となった物語は宗教戦争の1つ30年戦争(1618〜1648)に戻ります。1631年のこと、プロテスタント側のローテンブルグはカトリック側の皇帝軍に占領された。そして占領軍のティリー将軍は「略奪して街を破壊する」と脅したのです。しかし戯れに、「もし大杯(3.25リットル)のワインを一気に飲み干す議員がいたら、容赦しよう。」 市長ヌッシュが「飲んでみせる」と進み出たのでした。

14:00 市議宴会場の壁にある時計が2時を示しました。時計両側の窓が開き、時計の左の窓からティリー将軍、右の窓からヌッシュ市長が顔を出しました。市長は大杯を持ち上げ、グイグイと飲み干すしぐさ。将軍は飲み干すか心配そうに少し横向きに見守るスタイル。暫く後にみごと飲み干した市長が大杯を降ろし、将軍は「参ったナ。市長が勝った。」といった感じになる。そして、メデタシ、メデタシ、と2人の人形は扉の陰にかくれるのであります。

1910年製の仕掛け人形(時計は1683年製)のことで素朴そのものですが、2分ほどポカンと見ているのも「マイスタートゥルンクの仕掛け時計」を”観た”という実績にはなりますネ。現代の精巧な玩具やアニメCGと比較するのは「ヤボ」というもの・・・。実はヌッシュ市長は大酒のみで一気飲みの名人だったそうです。ティリー将軍はそんな市長とは知らなかった。だからこそ、現代人は中世そのままの姿を残すローテンブルグ観光を楽しめるのです。最後に、マイスタートゥルンクは英語で Master Draught 、「樽抜き名人」とか「詰め替え名人」といった感じ・・・。

その後は「2時50分まで解散」となりました。
皮肉なもので、仕掛け時計を見終ったら雨は小降りになり、すぐに止んでしまった。 マイスタートゥルンクの仕掛け時計

自由行動: アイさんが広場の南側にあるローテンベルク名物のお菓子「シュニーバル(Schneball/snow ball/雪玉)」の専門店を教えてくれた。マルクト広場の下方に怪物と槍で戦う騎士の銅像があり、その直ぐ下の方になる。あとで寄ることにしました。

まず、東のレーダー門から西のブルク門に至る通称「だんな衆の通り」を西に向いました。途中に多く商店があり、工夫を凝らした伝統の看板やウインドウの飾り付けが面白いものでした。人間よりも大きい巨大なくるみ割り人形とか縫ぐるみを入り口に飾る店も見かけましたね。現代的でピカピカの太いステンレス柱にゲーテ・インスティトゥート(Goethe-Institute)と書いたものがこの通りにある。ゲーテ研究所と思ったが、国内に16分校を持ち世界各国でも活動しているドイツ語学校のローテンブルク校でした。ブルク門から南西方向にブルク公園があり、入り口近くだけでしたが公園内を歩いてみた。入り口左手に展望台がある。そこからは、タウバー川が流れる緑の谷の先に城壁とローテンブルグ旧市街地の屋根が並んで見える。中世の城郭都市そのもので絵になる素晴らしい風景です。欧米の公園ではよく見かけますが、散歩の人達を当て込んで楽器を演奏する人もいましたね。確かに御夫婦とか若い人が単身で散歩するドイツ人の姿もポツポツありました。

シュニーバル(Schneball/snow ball)
シュニーバル(Schneball4/snow ball)
シュニーバル(Schneball/snow ball): 同じ道を戻り、途中で大きな寄り道をしたのですが、結局はアイさんに教えられたシュニーバルの専門店に行きました。この菓子を売る店はローテンブルク市内のアチコチにあるのですが、ここは代表的な専門店の1つのようです。さすが特産名物菓子なので、店の前では欧米人ツアーがガイドから説明を受けている最中でした。少々無礼ながら、そのグループの前を通らせてもらい、店に入ったのです。

ガラスケースの中を覗くと、大きさは同じサイズでも種類は思いがけず多くあります。初めて見る菓子なのでチョイスは難しく、日本に持ち帰るつもりで3種3個入りの箱(@12.60E)を2箱買いました。賞味期間を確認すると「6週間」という。 スーツケースに入れて帰国しましたが、上の写真のように傷みはありません。帰国後に賞味した結果、ビスケットかクッキーの素材を薄く延ばして適当な巾に切り、クリームやチョコなどを付けて丸めた感じのものです(下の写真)。それ程は甘くない。パサパサした食感でした。今でも時々考えるのですが、こんな球形のものを焦がさず芯まで均一に焼き上げる技術は?焼く温度の管理だけで可能でしょうか? 油で揚げるとも聞きましたが、さっぱり味で信じがたい・・・。
追記:テレビ番組で偶然に見たが、シュニーバルはやはり小麦粉を練ったものを薄く伸ばし、ひも状に切り、適当に丸めてから網状で球形のステンレスの型に入れて熱油で揚げる。加熱で膨らみ、型どおりの球形に仕上がるのです。(2008/10/23 記)

時間があったので、市役所と宴会場の間の玩具店に行きました。各種の縫ぐるみ等々があったが、買わずに集合場所に戻りました。ローテンブルクで物珍しく思ったのは、木製の「くるみ割り人形」の数々があちこちで売られていることでした。クリスマス用品というより通年販売の定番土産のようです。ドイツとチェコスロヴァキアの国境近くにエルツ山地があり、そこのザイフェンという村は昔は錫などの鉱業で栄えましたが、現在は「くるみ割り人形」の製造で有名になり観光地化すらしているそうです。

14:50 集合。聖ヤコブ教会の傍を通りバスの駐車場に向かいました。少し先では観光馬車が客待ちをしている。足が短くガッチリした体型の馬2頭で引く素朴な馬車でした。さらに旧市街地を歩いてクリンゲン門から出ました。ここで初めてローテンブルクの城壁をよく見ましたが、石造りで高さのある立派なものでした。その先からバスに乗り、ローテンブルクに別れを告げました。そしてロマンチック街道ともお別れです。 ローテンブルグ自由散策

ハイデルベルクに向う: 15:00 バス出発。すぐにアウトバーンに入る。自家用車は制限速度がないが、大型車(バス・トラック)は最高速度制限があるという。我々が走ったときは、大型から中型の各種のトラックがとても多く、産業用高速道路の感だった。後車輪を縦に3つも並べたトラックとか、後部車輪の一部を持ち上げ使用しない状態で走るトラックが目立つとか、やはり国が違うといろいろ微妙に違うものである。
前から気付いていたが、ガードレールの端は日本に多いスパッと地面から直角に立ち上がった作りでない。当地のものは端が5〜10mのスロープ状になり、正規の高さで水平になる。これだと車がガードレールの端に激突はしないで済むであろう。事故的に乗り上げると横転するだろうが、死者発生の確率は小さくなると思われた。
高速道路の大先輩、アウトバーンの両サイド等はドライバー向け標識や管理用機器類の設置は極めて少なく、あっさりしている。少ない設備で安全走行が可能なら、それに越したことは無いでしょう。

15:50 トイレ休息。ローテンベルクでお茶の時間をとらなかった。それでアイスクリーム(@1,98E)を買い、外で食べる。大量生産のもので味はマァマァでした。
16:00 出発。

古城街道: 16:25 古城街道に入る。ロマンチック街道と並びよく知られた街道の1つで、マンハイムからハイデルベルク、ローテンブルグ、ニュルンベルクなどを通りチェコの首都プラハまでの975kmの国際観光街道なのです。ルート沿いに70以上の古城と宮殿があると云われます。 ローテンブルクから直ぐ古城街道を走れたはずですが、時間節約のためかアウトバーンを暫く走ったのです。

自動車会社アウディの本社工場がこのエリアにあったり、かつては岩塩の採掘が盛んで製塩工場があったとか、温泉保養地のバードウィッテンの傍を通過したり、・・・、が、印象に強く残るような特色は感じさせません。せいぜい幾つかの古城を車窓から見ることが出来たり、ライン川の大支流ネッカー川の流れを見れたことでしょうか。

ネッカー川沿いに走っていた時に、右手の道路沿いに採石場がありました。赤色の岩を切り取っている。ドイツでは建築材料として使用する赤色の砂岩で柔らかく加工し易い物のようです。ハイデルベルク城(明日見学)の石材は確かにここの採石場の岩と似た赤色のものでした。もちろん同じものかどうかは知りません。

ブドウ畑の上にあるホルンベルク城は、ゲーテの戯曲「ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン」の主人公として描かれた実在の騎士ゲッツの居城だったそうです。現在はホテルとレストランになり、キノコ料理が得意とか。また自家製ワインもメニューにあるそうです。ただ、昔の「食事の間」はレストランではなく博物館として使用されている。(日本ではキノコの食べれる/食べれないの判定は保険所がしますが、ドイツでは薬局だそうです。)

17:15 ヒルシュホルン(鹿の角)城がよく見える駐車場でカメラ・ストップとなりました。走るバスの車窓からは古城の写真は上手く撮影できないので短時間でも下車できるのは助かります。この城は郷土料理が自慢の小規模な古城ホテル・レストランとして利用され、カフェテラスからの展望はすばらしいそうです。かつては要塞で、川沿いの多くの古城と同じく税関の役割を果たしていました。

ドイツに古城は多く、2千から2万くらいある云われます。古城の定義が定まっていないので数え方により総数に違いが生ずるのです。知名度が高かったり立地条件のよい古城はホテルやレストランとして再利用される例が目に付きます。ドイツ旅行中には工事中の古城を時折見かけました。「ホテルに改築中」と説明されることもあり、多くは観光用施設になるものと思われます。 古城街道

17:40 街道からハイデルベルク市街地に入りました。右にネッカー川、左にドイツ最古のハイデルベルク大学(1386年創立)の建物、そのような道を通りました。またまた雨が降り始めた。キャンパスの無いハイデルベルク大学の学生は移動に自転車を使用するそうで、雨の中をカッパを着た多くの自転車が走っています。ハイデルベルク観光は明日の予定です。街を走り抜けて住宅街らしきところに出ました。

夕食(ハイデルベルク郊外のレストラン): 18:05 ハイデルベルク郊外(住宅街)に日本の建機メーカーのヤードがあり、その近くのレストランに到着しました。
直ぐ飲み物の注文です。珍しくも地ビール(@3,00E)2つ注文してみました。小ジョッキ程度でした。食事はスープ、サラダ、メーンデッシュ(ポーク、パスタ、ザワークラウト)、デザート。生野菜を食べないドイツと言いますが、このレストランではグリーンサラダも付きました。野菜好きの私としては嬉しかったですね。

今晩は、珍しいお客がありました。女性2人組みの友人がドイツ人男性と結婚して当地で生活しているのです。その御夫婦が訪ねてきて、一緒に食事でした。聞いたところでは、ドイツ人の御主人が日本に滞在中に友人関係の紹介で知り合い、短期間で相思相愛となって電撃結婚だったようです。お2人とも独身だったので、人生最後に幸せを掴んだことになるでしょう。多少離れた場所に住んでいるため、ツアーと同じホテルに部屋をとり、今晩は旧交をゆっくり温めるそうです。こういうのは、いいですね。
19:00 出発。まだ雨が降り続いていた。

ヴァインハイムのホテル(NH ヴァインハイム): 19:30 ホテル着。 ヴァインハイムはハイデルベルクの近郊で、電車がマンハイム−ヴァインハイム−シュリースハイム−ハイデルベルク−マンハイムと循環している町になる。ワインの産地としても知られているようでした。明日はハイデルベルク観光の予定で、当地には宿泊の為だけで来たのです。

ロビーにて部屋割りを待ったが、比較的混み合っていたし、東洋系の団体客が多かった。我々はRm.305だった。シングルベットが3つあるトリプレットで広々した感じではあった。部屋は真新しい印象を与え、調度品類もデザインが現代的だった。しかし、スーツケースがなかなか届かない。

20:10やっとインド系らしきポーターがスーツケースを運んできた。ワイフのスーツケースは余分なベットの上に乗せて広げる。これなら作業し易く邪魔にもならない。やっとお茶が飲めて寛げたし、デジカメの充電もできることになりました。 ホテル(NH ヴァインハイム)

22:00 疲れたのか、早めに就寝。

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(2017.03.21 表示改善)(2007.06.01 改訂版)(2003.08.02 公開)