ドイツ南部とスイス名峰の旅 ( 2003年5月22日(木)/7日目 )
flag-germany ハイデルベルクとライン川クルーズ
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起床から出発まで: 05:30 目覚める。
06:40 スーツケースを廊下に出す。
06:45 1階のレストランに行く。混んでいた。ツアーに用意された窓際の3テーブルの内1つは他グループに占拠されていた。仕方なくウェイトレスに「席がない」と伝えた。今度は手前の大グループの空き席に連れて行き、ここを使用するように言った。ワイフを置いてジュースを取りに行き直ぐ戻った。その間に向かいの女性から何か言われ、不愉快な態度をされた様子だった。その隣の男性は私には英語で「座っていても良いです。我々はかまいません。」という。が、隣の女性の態度から何か妙な食い違いの印象も受けた。パナマ人の大ツアーだった。どうも雰囲気が違いすぎ落ち着かなかったが、遠慮せず朝食はしっかりと食べた。
今回のツアーで多少でも嫌な思いをしたのはこれが初めてで最後だった。
07:15 部屋に戻る。
07:45 ロビーに行く。昨日、夕食レストランで見たドイツ人と日本人女性のカップルが友人の女性2人組とお別れでした。お2人の天気情報では、夏のような暑い日が続いていたが、ここ2〜3日は雨で寒くなった、そうです。
07:50 バスに乗車。小雨でした。
08:00 若々しい(?)カップルが見送るなか、出発。我々も手を振ってお別れです。

ハイデルベルク城に向う: 小雨の中をハイデルベルクに向いました。添乗員さんが免税申告書の所持の確認をしたところ、2/3位の人達が免税申告レベルの買物をしたようでした。フランクフルト空港では購入した免税品を手荷物として持つかスーツケースに入れるかの何れかに統一するように言われる。両方に分散するといけないそうです。こんな話が出ると、今回のツアーもそろそろ終りに近づいた実感がわいてきます。

15分もすると出勤の車の渋滞に巻き込まれストップ&ゴーになりましたが、何とか市内に入れました。街では小雨の中でも自転車に乗った人が多かった。駅舎前のスペースに置かれた自転車の数に驚いたものです。電車やバスも日本の物とは異なり、外国にいるのが実感されます。例えば、バスは短めの車両が2台連結されて運行しているし、数両連結のいろいろなトラムや列車があるのです。ハイデルベルクは旧市街地を中心とする観光だけではなく、学問と研究に関連する多くの施設や米軍基地まである都会でした。

旧市街からハイデルベルク城まで、チョットした坂道を登りますが、バスで数分程度だったと思います。 当市の重要遺跡ハイデルベルク城に行くには、幾つかの方法があって、ケーブルカー(数分)の利用も簡便です。時間があれば、大した高所でもないので古都の散策をかねてコルンマクルト広場から狭い急な石段を登るのが面白いそうです。徒歩でも時間はそれ程かからないでしょう。(注:徒歩とかケーブルカー利用なら確認されてください。)

ハイデルベルク
ドイツ南西部、バーデン・ヴュルテンブルク州の都市。人口13万9000(1995)。ネッカー川河畔に位置し、中世以来のハイデルベルク大学とヴィッテルスバッハ家の古城で著名な歴史的観光都市で、大学のほかに多数の研究施設や教育機関がある。経済的には観光が重要な役割を果たしてきたが、新市街には繊維・機械などの近代工業も発達している。
ハイデルベルクの略歴
1196年/ショーナウ修道院の文書にハイデルベルクが史上初めて登場。
1225年/プファルツ伯オットー・フォン・ヴィッテルスバッハが居城を営む。以後1720年までプファルツ伯の宮廷所在地。
1356年/黄金勅書によりドイツ国王は選帝侯7人により選出されることになる。聖俗7人の選帝侯は:

マインツ大司教
トリール(トリエル)大司教
ケルン大司教
ベーメン(ボヘミア)王
プファルツ伯
ザクセン公
ブランデンブルク辺境伯
■分裂割拠の時代に逆戻り。

1383年/プファルツ候ルプレヒト1世がハイデルベルク大学創立(現ドイツ最古の大学)。当初は神学、哲学、医学、法学の4学部で構成。正称はルプレヒト・カール大学。
1518年/宗教改革者マルティン・ルターが立ち寄る。
1556年/プファルツ侯、新教に改宗する。
1577年/オランダから新教徒が流入、ハイデルベルクの人口は約6300人。
1618年〜1648年/30年戦争。城主フリードリッヒ5世は妃エリザベス・スチュワートのために城に庭園をつくり防御施設を縮小。それで容易に皇帝軍ティリー将軍に城と町を包囲された。
1689年/フランス王ルイ14世はプファルツ侯との契約を破りプファルツの相続権を主張した。ハイデルベルクの拒絶によりプファルツ継承戦争が勃発。フランス軍に破壊される。
1693年/プファルツ継承戦争、フランスの2度目の攻撃。

■30年戦争とプファルツ継承戦争によりハイデルベルク城と町は徹底的に破壊された。

1720年/プファルツ侯カール・フィリップが宗教紛争により宮殿をマンハイムに移す。
1764年/カール・テオドールはハイデルベルク城の改築計画をたてたが、落雷で城が炎上したため工事を断念する。以後、この城が大々的に再建されることはなかった。
1803年/バーデン大公国領に属す。
1945年/ハイデルベルクは第2次世界大戦の爆破を免れる。
現在/バーデン・ヴュルテンベルク州
以上は各種ウェブサイトから断片的に史実などを集積しました。
ハイデルベルク城:08:36 城の駐車場に到着。小雨は未だ降っていたが大したことはなかった。緑の木々に囲まれた古い傷んだ建物はいかにも”中世遺跡”の雰囲気があり、小雨でムードが強調されているのかも知れなかった。この城内の建造物は全て赤茶色の石造りだが、その建材は近郊で産する加工し易い赤砂岩だそうです。ドイツではこの石材を使用した建物は時折見かけますし、昨日の古城街道・写真アルバムにも沿道の赤砂岩の小さな採石場の写真を掲載しておきました。
現在、ハイデルベルク城はバーデン・ヴュッテンブルク州に所属し役所が管理しているそうです。
ハイデルベルク城の城内地図
ハイデルベルク城の城内地図と見学路 (1)入り口、(2)エリザベス門、(3)橋の館(チケット売り場)、(4)橋、(5)城門塔、(6)ルプレヒト館、(7)中庭、(8)オットーハインリッヒ館、(9)フリードリッヒ館、(10)テラス(展望台)、(11)ワイン大樽
参考:地図原図は詳細なドイツ関連サイト(閲覧をお薦め)、
http://homepage2.nifty.com/kachiinoheya/
の「ハイデルベルク城」ページを参考に手書きしました。
エリザベス門:城の入り口に向う道の左手に小さなエリザベス門がポツンとある。フリードリッヒ5世(プロテスタント)は英国生まれのエリザベス・スチュワートを王妃として迎えました。政略結婚にもかかわらず仲の良い二人だったそうです。若き王は妃の誕生日(19才)のプレゼントとして一夜でこの門を建てさせた。毎朝ここを散歩するのが好きだった王妃は、昨日は無かった門が突然現れたので驚き喜んだそうです。しかしフリードリッヒ5世はこの周辺の大砲など防御用武器と施設を撤去して王妃のために庭園造りをしたのでした。城砦としては弱体化したのです。(これが30年戦争とプファルツ継承戦争の結果に大きな負の影響を与えた、とされます。) 選帝侯に在任中、ボヘミアに赴いたフリードリッヒ5世は翌春の戦いに敗れてボヘミア王の地位を一冬しか維持できず、「冬の王」と異名で呼ばれたそうです。その後、選帝侯の地位も失い国外に逃亡せざるを得ない悲劇的な最後でした。
このエリザベス門は表側は装飾があるけれど、裏は積み重ねた石材が剥き出しで、それらを結合する鉄材が露出したままの箇所もありましたネ。四角くカットされた小さい赤砂岩は赤レンガにそっくりです。大きくて磨かれたものは全く異なる感じの綺麗な石材ですが・・・。

エリザベス門から城入り口への道に戻り、少し先に行くとチケット売り場になる。添乗員さんがまとめて入場券を購入します。その間、奥の植物を見にいったら、石楠花の薄紫の花が満開でした。イギリスには多い花と思いますが、ドイツではここが初めてでした。

橋の館・空掘り・城門塔:チケット売り場は昔は「橋の館」と呼ばれていた。ここを通り抜けると空掘りがあり橋がかかっている。この空掘りは平時の姿で、堀のなかで鹿を飼っていたともいわれます。戦時には水門が開けられ水堀になり、橋は跳ね橋で敵の侵入を阻むようになっていました。現在の橋の欄干の上にゲーテの名を彫ったプレートがあります。34才の時にハイデルベルク城を訪れた時の記念とか・・・。 橋の向こうは時計のある「城門塔(高さ52m)」、塔のなかでは度重なる戦争に耐えて唯一残ったものです。ここを通り抜けて城内に入るのですが、通路を閉じる頑丈な扉があり、大きい鉄の輪の取っ手が付いている。「この鉄の輪を噛み切った者にこの城を与えよう」と戯れを言った王様がいたそうです。それを聞いたドイツの魔女はこの城が欲しくなったらしく・・・。 (ホントです。証拠がある!)

ルプレヒト館・トイレ・中庭: 城門塔を過ぎると、左がルプレヒト館です。この建物の地下(入り口は裏側)にトイレがある。城砦門とルプレヒト館の間の小道を入ると、建物の角からは城の廃墟の部分が見える。すごく荒れており、夜ならば幽霊でも出そうです。角の右側に行きルプレヒト館裏側の階段を下りた場所です。利用した時は係り2人がいて、使用料は1人0,30Eでした。設備も立派で快適です。ただ、ここは閉まっていることもあると聞きました。
ルプレヒト館は15世紀の初頭のゴシック様式で城内の最古の住居館といわれます。向かい側に3階建ての建物があり、これも使用されている様子でした。その入り口、中庭の角には変った横向き仕立ての木があり、白い花を咲かせ赤い建物を背景に冴えていました。
建物の間を通ると広い中庭、そこから現存する建物の大部分を見ることが出来ます。

オットーハインリッヒ館: まず中庭の右にある高い建物はオットー・ハインリッヒが1546年に建てたオットーハインリッヒ館です。1〜2階はガラス窓で3〜4階は壁面だけが残っています。廃墟と説明されました。窓と窓の間には窪み(ニッチ)があり、人物像が置かれている。屋根は無いが、その高い部分にも2つありました。オットー・ハインリッヒはプファルツのプロテスタント化を実施した王で、人物像の1つ1つが彼の信条を表現するものといわれます。建物自体はドイツ・ルネサンスの最高傑作と評価されるようです。

フリードリッヒ館: 正面はフリードリッヒ4世により建てられたフリードリッヒ館で、1720年まで代々の選帝侯の居住館(本丸)として使用された。中庭側の壁面は歴代の力のあった選帝侯の像が飾られている。これらは風化を避けるためのレプリカで、本物は建物の中に保存されているそうです。この建物もドイツ・ルネサンス様式の傑作といわれます。
フリードリッヒ館の右側の通路から行く裏側が、ネッカー川の流れるハイデルベルク旧市街を眼下に眺める展望台(テラス)です。素晴らしいとしか表現できない、有名なハイデルベルクの眺めです。ゆっくりと古都のパノラマを楽しみました。
展望台の建物側の敷石に、足型の窪みがある。実は王妃が浮気の真っ最中、突然王が狩から戻ってきた。お相手があわてて逃げる際に窓から飛び降りた。その時の足の跡だそうです。日本では「点滴石を穿つ」、ドイツでは「脱兎岩を凹ます」、ですネ。
フリードリッヒ館の正面に戻り、入り口から中に入るとワイン醸造用の大樽がある。入り口近くの大樽も見事ですが、これは目的のものではありません。その右手の奥に世界一の大樽(直径7m、長さ8.5m、容量222キロリットル、木製)が低い床に置かれています。日本も酒の醸造等々で大樽を使用しますが、この横置きのワイン樽は見事でした。この大樽でワインを醸造したのでしょうか? 税金として納められた各種のワインをこの大樽に入れて貯蔵したので味はまずかった、という話もあります。
樽の前の壁には大樽造りに使用されたという”大かんな”と”コンパス”が飾られ、その下には”ペルケオ”というイタリア出身の番人(小男の道化師ともいう)の彩色像がある。日に18本ものワインを飲む大酒のみ、酔っては人をからかって喜んでいたそうです。ところがワインの代わりに「水」を勧められ、あまりのまずさに驚き病気になった。そして、そのまま死んだそうです。(酒で命を落とした、ともいう。) 実在した人物だったそうです。 が、しかし・・・、ウーン、また担いでいるのでは?
長居して、これ以上にペルケオに取り付かれると大変なことになりそうです。これで大樽を後にしました。土産屋があり寄りましたが、結局は手ぶらで出ました。 ハイデルベルク城

09:30 出発。バスで山を下る。小雨の生憎の天候でした。比較はできないのですが、雲一つない快晴の日よりも、小雨の方が古城の雰囲気は味わえたような気がします。

アルテ・ブリュッケ(古い橋/カール・テオドア橋): 09:40 到着。雨は止み風もなかった。 ネッカー川の傍、アルテ・ブリュッケの下流側に愉快な顔をした猿の像がある。この像は、結婚前に愛し合い妊娠した若い男女を裁いた末に街から追い出した、という故事に基づきます。左手に丸いものを持っているが、これは鏡。「オレのカオがおかしいって?何いってやがる。自分のツラを写して比べてみな!(偽善者ぶって人を裁けるか。みんな似たりよったり。)」と猿は言っているそうです。この種のことでは、意外にもドイツ人(ハイデルベルク人?)はかなりの遊び好き、観光客が猿の顔の中に顔を入れて記念写真が撮れるようにもなっています。猿の近くに小さいネズミがいますが、その理由は忘れました。確か、風が吹けば桶屋が儲かる、ようなものだったはず・・・。

橋の旧市街地の袂には変わった塔門があり目立ちます。中世には城壁の一部だった城門で、敵の侵入を妨ぐための落し戸も付けられている。その塔は経済犯のような軽い罪を犯した罪人の牢獄としても使われたそうです。昔の橋は屋根付きの木造だったので、度々洪水で流されました。それで1784年に橋が壊れたのを機に、カール・テオドア選帝候は赤砂岩で長さ約220mの現在の橋を作ったのです。もちろん同選帝候はハイデルベルク城の住人ではなく、マンハイムからミュンヘンに居を移し、バイエルン王国のヴィッテルスバッハ家の遺産を継承していました。

橋を少し進むと左側にハイデルベルク城を見ているカール・テオドア候の大きな立像があり、その基部を囲んで幾つかの彫刻がある。ドイツを代表するライン川、ネッカー川、ドナウ川、モーゼル川の神を表すものだそうです。 この近くで下流と上流の風景写真をとりました。橋から見る運河化されたネッカー川の上流には堰があり、その右端には船を上げ下ろしする閘門(こう門/lock)が見えました。堰を作る前は急流の難所だったのでしょう。 ここからのハイデルベルク城と旧市街の眺めも抜群です。実は対岸の山の中腹にある元祖「哲学の道」からネッカー川とハイデルベルク城の写真を撮るとベストショットといいます。が、そこまでは望めません。 アルテ・ブリュッケ

聖霊教会の周辺: 09:55 旧市街を聖霊教会まで歩きました。マルクト広場に着く頃はまた雨が降り出しました。 聖霊教会の塔は82mもあり、このゴシック様式の建物は古くからハイデルベルクの中心的な存在でした。14世紀頃から建てられ始め数百年かけて現在の形になったようです。ここは王家の菩提寺で、歴代のプファルツ選帝侯の墓が納められましたが、プファルツ継承戦争の時に王家の墓はフランス軍により全面的に破壊されました。残ったのはこの教会を建て始めたルプレヒト3世と妃の墓石だけとされています。
また、プファルツ選帝侯がカトリックからプロテスタントに変ると共に、この教会もプロテスタントになった。しかしカトリックの巻き返しも激しく、2派間の争いは実に長く続いたのです。プロテスタント派がカトリック派から権利を買い取ることで1936年にようやく争いが決着した、と言われます。
歴史はともかく、教会の外壁下部はグルリと土産屋になっている。かつてはローソク等の宗教関連の品を売る店だったようです。時代が変り、観光客目当ての土産商売が行われているのです。もし教会の建物から離れているならば門前町として珍しくないのですが、ここのには驚きました。

騎士の家ツム・リッター:09:58 教会内部は参観しないで、教会の向かいにある「騎士の家ツム・リッター」を外から眺めました。16世紀末にフランスから逃避してきたユグノー派カルビニストが建立したもので、プファルツ継承戦争(1693年)のフランス軍による焼き討ちにも耐えて残った唯一の建物といいます。ハイデルベルクに残る民間の建物として一番古いものなのです。現在はホテルとレストランとして利用されているが、外からも優雅な建物と見受けました。

壁掛け・郵便配達
免税店:10:00 騎士の家と同じ並びでマルクト広場に面した免税店に入る。外は雨だったのでホッとしましたネ。この種の店では女性は実に活発です。確かに珍しいドイツ土産が種類多くありますし、ここは日本人の店員が説明もしてくれるのです。やはり小型タオルに人気があるようでした。店により絵柄が似ていても違うのでしょう。
ワイフはここで昨日買ったのとは違うタイプの錫製の壁掛けを見つけました。周りに飾りの縁取りがあるのです。大きいものではありませんしそれ程は高くもありません。この店では、この種の壁掛けをまとめ買いするツアーメンバーもいたので、ドイツ土産として利用価値があるのでしょう。100,00E以上する大型(といってもチェーンを除き25x25cm位?)も数種類も置いていました。綺麗なものですが、買った人がいるかどうか・・・。

10:40 マルクト広場の端の店を出て、バスの駐車しているところまで旧市街を歩きます。相変わらず雨が降っていました。マドンナの像のあるコルンマルクト広場を通過。ハイデルベルク城も近くの高台に見えます。暫く先で待っていたバスに乗る。古都ハイデルベルクともこれでお別れです。雨が降ったり止んだりでしたが、ハイデルベルク観光は何とか無事にこなしました。 聖霊教会の周辺

10:50 バス出発。リューデスハイムまで約2時間のドライブだった。天候のせいもあり、バス移動は仮眠に最適でした。

リューデスハイム(RUEDESHEIM AM RHEIN): このワインで知られた観光の町に関する情報は多くはありません。人口が約1万人程度で、人口1人当りの訪問観光客数ではドイツ最大となるようです。下の地図は観光エリアでして、町そのものは右側とその上方に住宅街が広がっています。地図中央の教会の下が市役所になります。

リューデスハイム市街地図 リューデスハイム市街地図

(A) ツグミ横丁
(B) ライン通り
(C) オーバー通り
(D) ライン川沿いの遊歩道
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(1) ホテル Lindenwirt
(2) レストラン Drosselhof
(3) Kola-Dusseldorfer 桟橋
(4) 展望台ロープウェイ乗場
(5) ワインの店(地階)
(5) 喫茶店(1階)
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ブルーの線(矢印付き)は散歩した道筋です。
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注: 原図は Nicolas Wine Trading のワイン価格表の裏面に印刷された地図を部分的にお借りしました。

昼食(ツグミ横丁): 12:45 ライン通り(Rheinstrasse/ライン川沿いの道)で下車。夕方にライン川クルーズを終えるまでバスに乗ることはありません。スーツケースを積んだまま何処かへ行ってしまいました。

我々はレストランでまず昼食です。ライン通りをツグミ横丁(Drosselgasse)まで行きました。入り口にはドイツ流の看板が釣り下がっています。巾3〜4mで狭いのですが、高台のオーバー通り(Oberstrasse)まで144mの長さがあり、土産屋とかレストランが両側に続きます。奥に行くにつれレストラン街の感じです。よく知られた観光横丁なので人通りはそれなりに多かった。ドイツ観光局サイト(日本語)リューデスハイム・イベント情報には、「3月:ドロッセルガッセ(ツグミ横丁)のクラブライン−2日間 12の居酒屋で24のバンド演奏(アンダーラインは筆者による)」とあり、全体では結構な数のレストランがあるようです。
12:50 かなり奥の左手に目的のレストランがありました。ステージもある十分なスペースの店で、通りに面して窓が並びます。ツグミ横丁上側の隣はホテル Drosselhof で、互いに行き来できる造りでした。ホテル併設のレストランなのでしょう。

飲み物は記録忘れで何だったか・・・。多分、紅茶かコーヒーだったと思います。 13:15 メーンデッシュが出る。ここの料理は少し変っていました。鶏肉を細かめに切り野菜類と一緒に煮込んだシチューのようなものがライスと一緒に大皿ででたのです。カレーライスと同じ盛り付けで、別々に食べても、混ぜて食べてもよいのです。スパイス味はなく塩味も薄くて食べ易いものでした。デザートのアイスクリームも美味しかったですね。食事中に奥のステージで数名のバンド演奏が始まりました。賑やかでいいものです。 昼食(リューデスハイム、ツグミ横丁)

一言: ”レストラン”と書きましたが、これでは、昼食時はともかく、夜には実態と違う印象を与えます。ツグミ横丁と周辺の”レストラン”はほぼ全部が生演奏のバンド付き(時にはアトラクション付き)で、昼前から真夜中過ぎまで営業している。夜にはワインやビールで酔いしれ遅くまで歌ったり踊ったり、観光客などの庶民が気軽に楽しむ場所のようなのです。たまには凄いドンチャン騒ぎになる、との記述も読みました。日本語では”居酒屋”と言うべきかも知れません。しかし、各店は客用テーブルのスペース(レストラン風)と演奏用ステージがあり、日本の居酒屋とかイギリスの”パブ”とは全く感じが異なるのです。”ドイツ風(参加型)ライブ音楽付きレストラン兼用ワインホール”の方が実態に近い表現という気もします。長ったらしいし、ツアーでは食事のみだったので、”レストラン”で済ませました。

13:45 ランチを終え、レストランの外へ。雨で人通りが減ったツグミ横丁を戻り、ライン通りを上流方向に歩いて、遊覧船の桟橋に行きました。ライン川クルーズは運航会社が数多くあるようで、このリューデスハイムだけで6〜7の桟橋があるのです。ライン川航行では百数十年の伝統がある”Koln-Dusseldorfer”なる会社の桟橋に行きました。マルクト広場の坂道を下った所でした。ツアコン・アイさんが乗船券の手配を済ませ、ライン川クルーズのパンフレット(ドイツ語)を全員に配布してくれました。

ライン川クルーズ・コース

ライン川クルーズ/両岸の古城

Rudesheim 乗船 ===
( 1) Ruine Ehrenfels
( 2) Mauseturm
( 3) Burg Rheinstein
( 4) Burg Rheichenstein
( 5) Burg Sooneck
( 6) Heimburg
( 7) Ruine Nollig
( 8) Ruine Furstenberg
( 9) Burg Stahleck
(10) Pfalzgrafenstein
(11) Burg Gutenfels
(12) Schonburg
(13) Loreley
St.Goarshausen 下船 ===
(14) Burg Katz
(15) Burg Rheinfels
注:ドイツ語のウムラウトは省略した。 注:資料は観光船配布のパンフレット。
ライン川クルーズ: 14:00 乗船。直ぐ出航。小雨模様でクルーズの条件は良くないのですが、両岸の丘は見えるので幾多の古城も何とか見えるでしょう。始めは見晴らしのよい屋上デッキに行きました。航行による風があるので直ぐ船内に入り、後部展望室の椅子に座りました。アイさんが回ってきて、前部がBetterと移動させました。最前部のガラスは雨の水滴で外は見ずらい状態でしたが、前部両横はよく見えます。適当な席に落ち着きました。

直ぐに古城が次々に現れるのです。写真撮影のため右の窓に行ったり左の窓でデジカメを構えたり、実際には忙しいクルーズとなりました。実はガラスが邪魔になるのですが、これは止むを得ません。同じコースなら、左岸に古城が多いので左側の席がよいかも知れません。それでも写真好きの人達はどうしても右左に動きます。好天なら、屋上デッキです。
今回は小学校高学年くらいのドイツ人男子グループが乗船していて、外のデッキを走り回るのです。デジカメを構えている時は身を屈めてくれてマナーは良いのですが、ワイフだとふざけてカメラの前で手を振ったりする・・・。

古城にも形を良く留めているものや廃墟に近いものもあるのです。しかし、網をかけ修復中のものもありました。恐らくホテルに改修している、といっていましたね。どの古城だったか忘れましたが、ユースホステルになっているものもあり、アイさんは学生時代に宿泊したそうです。
ラインの両側は確かにブドウ畑が多いですね。ワインの産地だけのことはあります。
それを背景に、ラインに平行する道路沿いに一列に3〜4階建ての家屋がズラリ並んでいるのも、特色ある風景に思われました。さらに両側の低い所を鉄道が走っているのです。川を横切る橋がないのが景観の保存に役立っているようです。それでも川を渡る需要はあるので町によっては小型フェリーが対岸と往復しています。
所々の川面に距離を表示する標識がありますが、ボーデン湖からの距離を示しているそうです。 この地域には高いポプラの木がアチコチにありました。

天候のため良い写真は撮れなかったのですが、写真撮影に忙しく2時間がすぐに過ぎました。ゆっくりしたのは途中でコーヒーを飲んでいた時だけでしょうか。といった状況で、クルーズに関しては何も書くが無いのです。 写真アルバムに撮影した古城の多くを掲載したので、そちらを御覧ください。古城の詳細はとても調べる余裕はなく、名称のみです。写真は写りとサイズの双方で見難いのですが、雰囲気だけはお伝え出来るかと思います。なお、上の地図上の古城番号と写真アルバムの古城番号は同じです。 ライン川クルーズ

16:00 ザンクトゴアスハウゼン(St.Goarshausen)で下船。遠方の古城を背景に写真を撮り、我々を待っていたバスに乗る。雨はやっと止んでくれました。
16:05 バス出発。ライン川の上流に向って川沿いの道を走ります。対岸に古城が多いので船上から見た風景の復習にもなりました。バスだとリューデスハイムまで約30分でした。

ワインの店: リューデスハイムは、ドイツ屈指のワイン産地であるラインガウ地域の中心的な場所です。このラインガウ地方で栽培されるブドウの約75%はリースリング種で、このブドウから造られる白ワインの多くは辛口か中辛口です。食中酒として用いるために、糖度より酸味を優先してブドウを育てる結果、ここのワインは日本人好みのサラッとさわやかな感じと言われます。ところが、これから入るワインの専門店は逆にドイツ特産の超甘口ワインを勧めるところでした。

16:45 ツグミ通りがオーバー通りに出会う手前に、地下に降りる階段がある。そこにドイツワインの専門店(Nicolas Wine Trading)があった。ワインの樽などの飾りを通り過ぎると団体客用のテーブルがあり、その椅子に座った。ドイツワインの一般的な説明と、珍しいデザートワイン(甘い)の説明と試飲が続いた。よく分からないが、この店の価格表から甘いワインの名称と簡単な説明を抜き書きしてみます。
カビネット (やや甘口)マイルドでサッパリと食事に合わせ易い甘口。
シュペートレーゼ (やや甘口) 程よい酸味と果実の香り。
アウスレーゼ (甘口) 完熟ぶどうの房のみを選りすぐって収穫された上品な甘口。
アイスワイン (極甘口)氷結したままのぶどうから造る、ドイツ発祥の奇跡のワイン。
貴腐ワイン (極甘口)干しぶどう状態になったぶどうから造られる世界で最も高級な一滴。
アイスワインなどを試飲。確かに甘くデザートに最適でしょう。この店は自宅配送・日本円支払いですが、趣味があるわけでもなく購入は見送りました。珍しいものを御馳走様でした。ここも、どうやら経営者も従業員も日本人のようです。

ホテル・リンデンヴァルト: 17:20 ホテル着。ワインの店を出てツグミ横丁の坂を僅かに下ると左にレストランがある。この店の中を横切ると我々が泊まる Hotel Lindenwirt の広くは無い古風なロビーになる。フロントの規模も従業員1〜2名のサイズだったと思う。中庭に出る玄関脇の椅子に座り、部屋割りを待った。我々は3階の部屋だったので4人乗り程度の小さいエレベータを利用した。このエレベータはフロント・ロビー用とそれに直角に回廊用の2つのドアーがある。スイスでも経験済みで驚かなかったが、やはり少し戸惑った。回廊に出ると中庭側に窓は無く植物の葉と花が目にとまる。部屋側はドアーと白壁と黒塗りの木組みだった。そんな廊下を行き、1度曲がって進んだ中頃の部屋だった。中庭を見ながら歩く感じは、セレナーデが流れたら映画の撮影にも使えるような雰囲気のものだった。昔はワインの産地リューデスハイムのワイナリーの建物だったそうである。

部屋は清潔感がある快適な広さだった。ただ入り口右手に設置された回廊沿いの細長いバスルームはホテルとしては珍しく、慣れるまで少し時間がかかった。形状が珍しいだけで、設備はバスタブも奥にあり十分なものです。スーツケースを開けてトラベルポットを出し、コーヒーで寛ぐ。暫く休み、夕食までリューデスハイムの散策に出かけました。 ホテル・リンデンヴァルト

白フクロウのワイン栓
リューデスハイム散策1:来たときの逆を歩き、フロント・ロビーからレストランを横切り、ツグミ横丁にでました。昼にランチをしたレストランは直ぐ近くの向かい側でした。この横丁のライン通り近くの土産屋に入ったら、日本人の女性店員が1人いる。日本からの観光客が多いのでしょう。その後、ライン通りの店を数軒覗いてみる。食品スーパーらしき店で板チョコ数枚とゼリー菓子を買ってみました。土産用ではなく地元の人達がオヤツにするようなものです。ゼリーは日本のものより硬めですが、味はそれなりに楽しめます。店の感じから言って安い板チョコですが、帰国後の試食では美味しいものとクセが有り過ぎる(我々にはマズイ)ものがありました。共々、厚くて硬くてあまり見ないタイプでした。 次に2階もある大きな土産屋に入りました。小物をいろいろ物色して、どこでも扱っている錫製の小型ワイングラス(実用より記念品)とフクロウの付いたワイン用の栓(やはり飾りとして)を買いました。僅かでも小遣いを使ったためか気分が落ち着き、それから散歩になりました。

錫製のワイン・カップ
ライン通りを少し進んで、マルクト通り(Marktstrasse)をカトリック教会に向って登った。この教会の塔はホテルの部屋から見えるものでした。マルクト広場には小さく仕立てたプラタナスの並木があり、通常の広場とは感じが違います。通り過ぎただけでしたが、ガランとしたプラザではなく気持ちよい場所でした。このリューデスハイムは何処を歩いても、隅々まで掃除と手入れが行き届いた町なのです。掃除好きのドイツ人が特に腕によりをかけた感じ、ライン川見物に世界から人が集まる観光地のことはあります。マルクト広場から少し登り、オーバー通り(Oberstrasse)をブラブラ歩いてローブウェイ駅の前に出ました。そこの下はもうホテルです。リューデスハイムは広い町ではなく、どこでも徒歩で行けるのです。 リューデスハイム散策

夕食: 19:00 ホテル・ロビーの隣もツムギ横丁に面したレストランですが、夕食の場所は同じホテル内の別のレストランでした。我々の部屋からは、ロの字型建物の隣の棟2階にあるのです。客室棟からの連絡通路はないので、一旦ロビーに行き、中庭を横切って外の階段を上って行くのです。皆さんはもう集まっていました。
今晩がドイツでの最後の夕食です。ドイツ産の白ワインをグラスでオーダーしました。添乗員さんが若いカップルを呼び、「Mさんは新婚旅行でツアーに参加されました。」(みんなで拍手)「会社からお祝いのプレゼントです。」何やらお2人に手渡された。「魔女の人形です。ドイツでは魔除けの意味があるのです。お2人のお幸せのために!」(拍手)「かんぱ〜い!」 こんな時は男性より女性のほうが堂々としていますネ。しかしよく気を利かせ、楽しい雰囲気と思い出づくりに協力的なアイさんでした。

ただ、食事は最後といっても通常のものでした。スープ、鶏肉のフライにライスと野菜少々、デザートです。味付けはあっさりで食べ易いものでした。ドイツ人が好んで食べる野菜の1つに「ホワイト・アスパラガス」があり名物ともいいます。しかし、どこのレストランでも出たことがなかった(と思う)。食事が終りに近づいた頃ゆでたホワイト・アスパラが大皿で回ってきました。これはミュンヘンのビアホールで「誕生日、おめでと〜!」を連発した女性2人組みのT&Aさんが、気を利かせて全員に振舞ったものでした。せっかくですから、1本づつドイツ名物を賞味させて頂きました。太くて立派で繊維を感じさせない柔らかいアスパラでした。ついでながら、グリーンアスパラとホワイトアスパラの違いは、アスパラの新芽に太陽光線に当てるか(Green)盛り土して当てないか(White)により決まります。
食事中に数名編成のバンドが始まり、女性歌手が歌い続けました。ドイツ語なので内容は全くわかりませんがムードはよいですね。我々は早い時間の夕食のみですが、遅い客はかなり違う楽しみ方なのでしょう。 ホテル・リンデンヴァルト

20:20 このレストランは中庭側からは2階ですが、外の通りからは1階なのです。傾斜地なので有り得ることですが、知らなかったのでびっくりしました。レストランの入り口から通りに出てみました。しかし散歩する気分にもなれず、ツーショットを撮ってもらって部屋に戻りました。明日の夜には帰国の飛行機に搭乗です。機内用の手荷物もまとめる必要がありました。僅かな免税品は全てスーツケースに収め、機内持込は簡単な必需品だけにした。明日フランクフルトで何か買うかもしれませんが、それはそれ。空港でスーツケースに収めるしかありません。

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(2017.03.21 表示改善)(2007.06.01 改訂版)(2003.08.02 公開)