ドイツ南部とスイス名峰の旅 ( 2003年5月23日(金)/8日目 )
flag-germany ニーダーヴァルトとフランクフルト 出国
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起床から散策出発まで:
06:00 起床
07:30 パッキング完了。
07:40 昨日の夕食と同じホテルのレストランで朝食。大きめのコーヒーカップがステン製の特殊なケースの中に縦に積まれていた。程よくカップを暖める装置で、下から取ればよいだけだった。コーヒーが冷えにくく気が利いています。ドイツ最後の朝食なので、ハム、チーズ、丸パンを皿にとり、フルーツカクテルにたっぷりとヨーグルトをかけました。特にフルーツカクテルとヨーグルトの組み合わせは案外いけますね。美味しくて、満足できました。
08:00 レストランを出る。中庭側の出口の回廊には柵がある。その上に、浅いガラス・ボールにパンが一切れ入れて置いてあった。すずめ3羽が朝ごはん(朝パン?)の最中だった。慣れていて近づいても逃げません。一旦中庭から外の通りに出て、ホテルの写真を撮影、それから部屋に戻りました。(写真は前頁の最後、「ホテル」に置いてあります。)
08:15 スーツケースを廊下に出す。
08:20 散策に出発。

リューデスハイム散策2: 外で偶然にアイさんと出逢った。「先ほどチェックに行ったら、展望台のケーブルカーは9時30分からです。まだ早いです」と教えてくれた。予定を変えて町の散策をすることにした。アイさんはもうライン川沿いの散歩を1人で済ませた、という。川沿いの散歩道を歩いてみるように勧めてくれた。後で我々も行くことにして別れ、坂を少し登った。

まず朝のオーバー通りをブラブラとマルクト広場の方角に向った。小奇麗な商店や住宅が並んでいる。小さな交差点ではケーブルを渡してブドウ蔓を絡ませたところもあった。数年したら立派なぶどうの木に成長し、秋には観光客の目を楽しませることでしょう。自宅の玄関まで、ガーデニングで各種の花を飾ったお宅もあった。ここでは樽にうさぎ一家と鶏の置物を入れて飾っていた。(ワイフはこれが気に入り、帰国後にホームセンターで小型の樽とガーデニン用の兎を買って真似ていました。結果は似否ですが・・・。) さらにブラブラ進み、昨日通ったマルクト広場には寄らず真っ直ぐ歩いてみました。山の手には素晴らしいお宅も並んでいます。

08:32 オーバー通りを右に曲がり、クラッベン通りを下り始めた。この辺りは既に観光の町から住宅地に変っている。 坂道を下がって左に入った場所には福音教会があった。プロテスタント系と思いつつ近くを通りすぎました。

小型蓋付きジョッキ
土産屋とレシート: 下ってきたクラッベン通りはブライヒ通り(ライン通りの川上側)に出ると終わるので、その交差点を右に曲がった。通りの左側は比較的大きな土産屋で、既に開店していた。 まだ、例の定番ドイツ土産タンカード(tankard)を買っていなかった。下戸のことで実用にする大きいものには興味がなく、小型の飾り用で十分なのだ。ショーウインドウに適当なものがあったので店に入った。 実に明瞭な英語を話すドイツ人男性が店番をしている。代金を払いながら、「どうしてドイツでは領収書を出さないのか?」と聞いてみた。「必要なら、店名の入った紙に値段をメモしてあげる。」「いらないけれど・・・、どこでも領収書をださないのを不思議に思っているのですが?」「ここではそうなのです・・・。」
法律上レシートの発行が義務付けられていないと想像しますが、旅行者としては店名、商品名、価格、日付と時刻などをプリントしたレシートを貰えると記録になって良いのです。
(注:購入したタンカードは全高15cm、遊び心で時々コーヒーを入れて飲んでいます。)

ライン川沿いの遊歩道:この店の少し先から鉄道を横切るだけでライン川沿いの遊歩道に行けました。右手は線路、左手はライン川と時折の桟橋、そんなアスファルト道路が街の反対側の端まで続いている。遊歩道と書きますが、本来は幾つもある観光船桟橋の連絡路かも知れません。特に観光用に整備されたものではないようです。
水面近くではライン川が広く見え、対岸までの距離感も相当なものに感じました。下流遠方に白い渡し舟がゆっくり動いています。川面では鴨が遊んでいたり、釣り人が椅子に座っていたり、ノンビリした雰囲気でした。昨日と違い青空も見える穏やかな日和で気持ち良い散歩です。この遊歩道の端で線路を横切り街側に戻れると思って歩いたのですが、我々を追い越した犬の散歩の女性が戻ってきました。先に鉄道の横断路があるかどうか不安になりました。角張った塔のあるボーゼン城(ワイナリーの個人所有らしい)と葡萄畑が近くに見える街の端まで行き、戻って横断トンネルを利用してライン通りに出ました。

09:10 ツグミ横丁の土産屋も開店していたので、ワイフは昨日買いそびれた物を検討に入りました。結局は買わず、リフト乗場に行くことになった。丁度、蒸気機関車の形をした観光用バスが大勢の客を降ろしたばかり、ケーブルカー駅の小広場は人で埋まった感じでした。団体なので、我々はすり抜けて切符売り場に行き、往復切符購入後はその場で待ちました。展望台から街まで歩いて降りれるのですが、往復ともケーブルカーを利用するように云われています。ツアーコンダクターとしては、万一迷って行方不明になったら大変だからでしょう。 リューデスハイムの朝の散策

ロープウェーの運行開始を待つ間、訛りの強い英語で中年男性から話し掛けられました。腰にウインドブレーカーを巻きつけ、トレッキングシューズです。観光客としては少し妙なスタイルですが、オーストリアから来たそうです。単なるライン川観光ではなく、展望台からニーダーワルトの森やブドウ畑を歩き回り、隣の町に降りる予定という。これなら、スタイルも理解できます。多分、一人旅で少し話したかったのでしょう。ワイフに言わせると、昨日この人とは街で何度もすれ違ったそうです。

ケーブルカーでニーダーヴァルトの展望台に: 09:30 ザイルバーン(ロープウェー)運行開始、4〜5番目にのりました。ゴンドラは2人乗りで対面座席です。約10分ほど乗っていたと思います。気温や風の状況次第ですが、体が冷えないように身繕いしたほうが良いですね。今日は大丈夫でした。雲はあるものの好天気で眼下のブドウ畑、陽を反射するラインの流れ、遥か遠方に広がる丘陵、良い眺めです。ひろびろした傾斜地に波打つブドウ畑を農薬散布のトラクターが動きまわっていました。ブドウ畑が終りニーダーヴァルトの森が始まる所にロープウェーの駅はあった。小さな駅舎を出るとニーダーヴァルト記念碑に行くアスファルト歩道が森の中にあった。直ぐ二手に別れ、我々は理由も無く下がる道を選んだ。こちらを行くと記念碑の下の展望台にでる。上の道を選ぶと記念碑の上に出るのです。
途中、急ぎ足で追い越した日本人男性がいた。「お1人ですか?」と声をかけると、「出張できたのですが、帰国便を1便遅らせてここにきました。急いでいますので!」「どうぞ〜。」

ニーダーヴァルト記念碑
ドレスデンの Johann Schilling の企画により1877年〜1883年に造られた記念碑(高さ約38m)は既に時代遅れで人気を失ったものなのです。 1870年〜1871年の普仏戦争後のドイツ帝国再成立(the reestablishment of the German Empire)の象徴で、 記念碑の中心像ゲルマニアは右手で帝国の冠を高くかかげ、左手は帝国の剣を持っています。
1868年、この頃までに有名なニーダーヴァルトは定期的に走る大型4輪の乗合馬車で行くことができた。(注:日本は明治維新)
1870年、この頃は、リューデスハイムは「ラインの真珠」として知られ、主要な旅行目的地の1つだった。旅行シーズンには船で毎日100人も訪れた。
1871年、ドイツ帝国成立。
1871年、有力者 Ferdinand Heyl はニーダーヴァルトはドイツで最も素晴らしい景観の1つであると宣言し、そこに女神ゲルマニアの像を建てるよう提言した。
1873年、ニーダーヴァルトに女神ゲルマニアの像を立てることが最終的に決定。1877年に設立基金が設けられるまでに、幾つかの道路が建設され、リューデスハイムの町は化粧直しを行った。
1878年、”Ruedesheim on the Nahe”と混同されないように、リューデスハイムの正式名称を変更し”RUEDESHEIM AM RHEIN”に。
1883年、ニーダーヴァルト記念碑は完成、除幕式が行われた。
1884年、最初のロープウェーがニーダーヴァルト記念碑まで登り始めた。
1885年、Assmannshausenからニーダーヴァルト記念碑まで第二のロープウェーが運行開始。この時にリューデスハイムへの”大衆旅行”が始まった。
以上はリューデスハイム公式サイト(英文)から抜粋し翻訳。
ブラブラ歩きで5分もかかったでしょうか、ニーダーヴァルト記念碑の下に到着です。未だ数名しか居ません。展望台から見下ろすドイツの「父なるライン川」は悠々と流れ、手前にぶどう畑、対岸に丘陵地、その眺めは抜群です。左側が川上で川幅は広く木々の茂る細長い中州が見えます。島が終る対岸の丘の上には教会の尖塔があった。その川下の低地はビンゲン(Bingen)という町で白い遊覧船が数隻係留されている。さらに左に目をやると、Naheという支流がライン本流に流れ込んむ場所だった。その川下には「ねずみの塔」という観光で知られた古城があるのだが、そこはもうブドウ畑と木々の斜面に遮られ見えなかった。

この風景を眺めていたら、同じツアーの御夫婦が記念碑の階段を降りてきました。お互いのカメラで記念写真を撮り、我々は記念碑まで登りました。我々の後にリフトに乗った欧米系の団体さんも到着し人の数は増えましたが、賑やかと言うほどの人数ではありません。 記念碑の前に幾つかのベンチがあった。左端のベンチに座り、ボンヤリとライン川を行く船などの風景を眺めていました。先刻の御夫婦は帰りましたが、代わりにツアーの中年女性2人が下の展望台にやってきた。記念碑を見上げて我々に気付き手を振っていた。後でワイフに話したそうですが、「外人ばかりで日本人がこんな処に来ていいのだろうか」と不安に思っていたそうです。我々の姿を見てホッとしたとか。案外、そんなところかも知れません。

ニーダーヴァルト記念碑(Niederwald-Monument):ニーダーヴァルトとかニーダーヴァルト記念碑とは一体何でしょう?著者自身が知らないので、リューデスハイムの公式サイト(英文)から要点のみ抜書きしておきました。リューデスハイム背後のこの丘は昔からラインを眺める素晴らしい展望の地として認知されていたようです。
コラムには記されていませんが、女神ゲルマニアの像の台座には大レリーフがあり、等身大の200人もの人物が描かれている。中央の馬上の人物が時のドイツ皇帝ヴィルヘルム1世で傍に立つ人物が鉄血宰相と言われたビスマルク首相という・・・。

記念碑建造が計画された頃は、イタリアも統一され、アメリカは南北戦争を終え、日本は明治維新の直後でした。ドイツは既にビスマルクの時代で、彼のリーダーシップの下に1871年にドイツ帝国成立だったのです。ドイツ帝国の象徴であるニーダーヴァルト記念碑も問題なく容認される世界的な政治環境だったのでしょう。リューデスハイムにはヴィクトリア時代の英国、ロンドンから定期便が通うほどになった時代だったのです。 ニーダーヴァルト

10:15 ゆっくりした展望台を後にし、ロープウェーの駅に向いました。
10:30 ロープウェーから降りる。駅前の喫茶店でコーヒーを飲みたかったが、展望台に登った欧米系の団体で満員でした。他を探しても入りたい感じの店はなく、戻りました。
10:45 今度は店の中央部に空席がありました。欧米人観光客ばかりでしたが、やっと落ち着けた。温かいコーヒーを飲んでホ〜ッと寛ぎました。帰りがけレジで支払いをしている時に、ワイフが呼びに来た。 アメリカ、メリーランド州からきた老夫妻に話し掛けられたのだった。「日本のどこから来たか?」と聞く。ご夫婦とも日本人に慣れている様子だった。適当に簡単な雑談をしているうちに、御主人(80才)は第二次世界大戦後、最初に東京入りした米国人グループの1人だったことがわかった(その頃は22才)。その後、東京と神奈川に住んだ、と言っていました。「東京も変ったから、ぜひ見にいらして下さい」というと、頷いてとても喜んだ様子でしたね。

ホテルはこの喫茶店の直ぐ下になる。時間などかかりません。ロビーに一旦入り、鍵を返すだけのチェックアウトを済ませました。
11:20 中庭のバスに乗車、パスポート所持の確認が求められました。
11:25 出発。これから最後の訪問地フランクフルトに向います。

バスの中でアイさんはフランクフルトでの予定を簡単に説明した。自由行動もあり、ゲーテの家(現在は博物館)とかショッピング街などを勧めていた。
この場で、阪急トラピックスのツアー参加者に協力の依頼が2つあった:
(1)阪急トラピックスは今年で55周年になり、それを記念してユネスコに寄付をすることになった。それで、もし協力頂けるならば、スイス・フランとユーロで余った現金の一部(コイン等)を拠出して欲しい。これは別に異論は無い性質のことだった。
(2)今回のツアーに関するアンケートを実施するので協力してほしい。
共に、帰りの機内で寄付金用の封筒とアンケート用紙を配布するので宜しく、との予告だった。リューデスハイムからフランクフルトはそれ程の距離でもなく、1時間程度で市街地に入った。

フランクフルト市内観光

概要: マイン川が流れ人口が約65万人のフランクフルトは、欧州中央銀行を含む400以上の銀行やドイツ最大の証券取引所のある金融と商業の都会です。見本市都市としても有名で、年間を通して多くの国際見本市が開催されていると言われます。ドイツの都会では珍しく高層ビルが林立し、ビジネス活動が盛んなことは外形からも想像できるのです。
他方、中心部には中世の面影が漂うレーマー広場、大聖堂、文豪ゲーテの生家など歴史的なものが残され(再建され)、観光とかショッピングも十分に楽しめる街といわれます。 中央駅のある地区からマイン川を橋で渡るとザクセンハウゼンになる。マイン川に沿ったシャウマインカイ通りには凝った造りの博物館と美術館が7つあり、博物館通りとも呼ばれます。その裏側一帯はワインレストラン、バーなどが軒をならべる下町情緒あふれる地域で、名物アップルワイン(りんご酒)やフランクフルト・ビールを試すのに最適とか・・・。
フランクフルトはロマンチック街道、古城街道、ゲーテ街道、メルヘン街道のアクセスに便利な都会で、リューデスハイムやハイデルベルクへのライン川クルーズ出発点でもあるのです。 ゆっくりできると良いのですが、我々は駆け足の観光つまみ食いの滞在でした。

レーマー広場: 12:20 表通りでバスから降り、人通りの多い道をレーマー広場に向った。いかにもドイツ風の建物に囲まれた広場でしたが、第2次世界大戦の爆撃で完全に破壊されたのにドイツ人らしく几帳面に昔の通りに復元したそうです。
旧市庁舎(Town Hall)はフランクフルトのシンボル的存在で、旧リンパーグ(Old Limpurg), レーマー(The Roman), ライオンの石(Lion's Stone)からなる3つの建物の総称です。中心のレーマーはローマの豪商からドイツが買い取ったものなのでレーマー(ローマ人)と呼ばれているそうです。ハイデルベル城と同じく赤砂岩を使った建物でした。この建物の皇帝の間(The Emperor's Hall )ではドイツ皇帝10人が神聖ローマ皇帝即位の祝宴を挙行し、現在でも皇帝の大広間には18世紀に描かれた歴代52人の皇帝の肖像画が飾られているそうです。

広場には右手に剣を左手に公正を表す天秤を持った「正義の女神」の銅像と噴水がある。銅像はローマ神話の女神ユースティティア(Justitia)です。英語のジャスティス(正義)の語源になったという。未確認情報ながら、女神ユースティティアの像は日本でも司法関係者が飾っていることがあるそうです。[2017年5月、この節の記述変更]
皇帝の戴冠式当日にはここで受難劇が演じられ、この噴水からワインが流れ出て市民に振る舞われた、と伝わっているそうです。
今日はこの銅像の近くに多くの白いテントが張られ2〜3人づつテーブルにいるのです。時折通行人が立ち寄り何やら話している。お祭りでも市でもない・・・。声をかけられても分からない。レーマー広場の人出を当てに何かしているのでしょう。

昼食: 12:40頃 一旦レーマー広場を出て、数分歩いた所のレストランに入りました。ドイツ風の飾りが壁面に多く付けられた大部屋の片隅に案内された。飲み物は紅茶を注文、最初にスープ、メーンディッシュは(魚肉フライのクリームソースかけ、ミックスド・ベジタブル、マッシュドポテト、グリーンサラダ)、最後にデザートでした。食事中に入り口近くで食事していた人の大型犬が吠えはじめたのです。その吠える声の大きさに驚きました。直ぐレストランの外に連れ出しましたが、通常はペット連れも認められているのでしょうか。

大聖堂・パウロ教会・フランクフルト三越: 13:20頃、レストランを出て大聖堂(Dom/Der Kaiserdom/The Emperor's Cathedral/Cathedral of St. Bartholomew)まで歩きました。このドイツ有数の大聖堂は1248年に教会の跡地に建てられ、1356年から1792年の長きに渡り皇帝を選出する場所として、1562年以降は全ドイツ皇帝の戴冠式が挙行された場所なのです。その重要な役割に比して規模はそれ程は大きくないとも言われます。1867年には大火事で焼け落ち、中世の設計に基づき復元されました。第二次大戦の爆撃でも完全に破壊されたのですが戦後に再々度忠実に復元されました。訪ねた時は、尖塔に防塵用の網が掛けられ補修工事中でした。外観すら満足に見ることが出来ないのです。入り口部分は入れますが、その奥の本堂には入れません。あきらめて戻りました。(注:大聖堂と言いますが、カトリックの司教(ビショップ/bishop)がいる大聖堂の意味ではありません。)

再度レーマー広場を通り抜け、旧市庁舎の裏側になるパウロ教会に行きました。1848年の3月革命後に第1回ドイツ国民議会が開催された場所であり、東西ドイツ統一の前は民族統一のシンボルとみなされてきたほどに、歴史的に由緒ある建物なのです。昔の教会は第2次大戦で破壊され、現在の建物は戦後1948年の国民議会100周年記念の日に全国からの寄付で再建されました。 しかし、通常の教会のイメージから程遠い赤茶色の楕円形です。2階が大ホールでバイプオルガンが正面に設置されてはいるものの、明るくモダンなつくりのためか、宗教的な重厚な雰囲気は全く感じませんでした。 フランクフルト

次に、少し離れた大通りにある三越フランクフルト店まで歩きました。
13:50 ここの店内が自由時間後の集合場所なので位置の確認と共にトイレ休息です。JALやANAもある大通り(Kaiser Strasse)に位置するので便利ですし、それなりの広さの店舗でした。この店は全員にフランクフルト市街地図をくれました。また、ワイフがエルメスの場所を尋ねたら、ブランドショップ街の店舗案内図までくれたのです。日本人観光客が頼りにしていろいろ尋ねるので用意してあるのでしょう。ワイフは「誕生日、おめでと〜」の女性2人連れに「エルメスに行くけれど、一緒に行く?」と聞いたらしい。言下に「行く、行く。」 女性というものは・・・。「ご案内よろしくお願いします」とのことですが、道案内迷人とはご存じない・・・。何とか貰った地図を頼りにブランド街ゲーテ通り(Goethe Strasse)に着きました。

フランクフルト自由散策:

ゲーテ通り: 14:10 「こちらがフランクフルトの並木通りでございます」と冗談を言った。この冗談は通じました。が、ゲーテ通りを歩くにつれ、立派な本物の”並木道”でブランドショップがズラー、銀座の並木通りどころではないのです。”XXX者”の馬脚を出してしまいました。(最近は銀座も変わったそうですね。やはり”XXX者”。)
やっとエルメスに着きました。2階はあっても大きい店舗とも思えませでした。女性は早速お目当ての品を探しますが、まずありません。日本から直行便がある都会のエルメスなど入荷した途端に売れると言われるのです。ワイフも頼まれたバックは無く、直ぐに店を出ました。ルイヴィトンに寄っても商品は豊富ともいえません。つまらなくなりますね。ブランド物を探すなら日本の直営店か、並行輸入店や質流れが1番早い、と言いたくなるしまつです。
ところが、このゲーテ通りには日本人サラリーマンの2〜3人のグループが意外にも多く、買物をしているのです。出張の人が現地勤務の人に”御案内”して頂いているのかも知れません。今までに海外のアチコチのブランド街を散歩しましたが、こんな光景は初めてです。たまたまかも知れませんが・・・。
ワイフは買物の意欲を失ってしまった様子。私はドイツ最後の買物でもしようとアイグナー(ドイツブランド)に入りました。 財布に使い易そうなものがあった。が、その時は買わずに店を出ました。またウィンドウショップのブラブラ歩きをして、アイグナーに戻り、先刻の財布を買いました。免税手続きをしても僅かしか戻ってきませんが、店では一応書類を作成してくれました。今回の旅行では1番の高額出費でした。
我々は行きませんでしたが、ゲーテ通りに平行するグローセ・ボッケンハイマー通りは「食いしん坊通り(フレスガッセ/Fressgasse)」の異名があり、レストラン、カフェ、高級食材店などが集中しているそうです。

ウンターマイン橋:15:05頃  ブランド街を去り、三越の前を通ってマイン川に向って歩きました。途中で迷いかけましたが何とかウンターマイン橋(Untermain Brucke)に着きました。今日は晴れで見通しは良いのですが、ここは、何分にも風が強く橋をゆっくり渡る気分になれません。中ほどまで行き、風景写真を撮りました。この強風で波立つマイン川なのに、レガッタ用の3人乗りボートの練習をしている女性がいました。見ていても逞しい感じです。それから、一隻の遊覧船が通っていきました。対岸の美術館通り(7つの博物館と美術館)やザクセンハウゼンを散歩する時間は無く、早々に引き上げ、集合場所近くのカフェテラスに向いました。

フランクフルターホフ・カフェテラス: 15:20 ウンターマイン橋からのシュワイッツアー通りと中央駅からのカイザー通りが合流するところにホテル・フランクフルターホフがあった。その前にカフェテラス Oscar's がある。ビルの谷間で風も弱く日も照っている。ここで休むことにしてカプチーノ(@2,70E)を注文しました。
足も疲れているので4時までゆっくりです。ボンヤリと通り行く人々を見ているだけでも時間は過ぎる。時折、ツアー同行の人も通るが、まず我々には気が付かない(実際には1人だけ横から声をかけたので驚きました。) カイザー通りの反対側の歩道で三越に帰る道が分からなくなり、ドイツ人から身振り手振りで教えて貰う人もいましたね。最後にペコッと頭を下げる様子がユーモラスだった。
ユーロはもう必要ないので、チップを含めて6,00Eを黒人のウェイターに渡した。チップを貰ったので愛想がとても良くなり、可笑しくなった。 フランクフルト自由散策

道を横切った角に台所用品の店があったのでワイフが様子を見に入る。それほど珍しいものは扱っていないようだった。

フランクフルト三越: 16:05 三越に入る。集合時間は 16:50 なのでゆっくりできそうだ。 お土産類の値段は、”知っている範囲”では高くないと言えます。例えば、錫製の大型の壁掛けで、綺麗なメルヘン・デザインのものに注意を払っていました。人気商品のようで多くの土産屋で同じ壁掛けを置いていたのです。ここにも同じものがあり、1番安い値段(約112,00E)でした。1番高い店は132,00Eだったのです。モンブランのボールペンは高からず安からずの印象があります。ワイフに言わせると、ドイツ土産の小型タオルも他より安い感じとのことでした。商店ですから相場より高い値のものも混じっているかも知れませんが、決して「高くて買えない場所」ではなさそうです。もちろんお薦めする訳ではありませんが、我々の印象です。レジに伺ったところ、外国支店でも三越カードを持参するとカード割引も適用になるそうです。

ワイフがこの三越で誕生祝を買ってくれました。アイグナーのネクタイです。もちろん日本よりはかなり安い値段ですが、ドイツ国内の専門店との比較は出来ません。この種のものは、豊富とは言えなくとも、いろいろ選択できる程度の品揃えはしてあるようでした。

ドイツ国内ではデュッセルドルフとミュンヘンにも支店がある。各支店はホームページで所在地の情報も流すようですから、訪問する人は時々チェックするのもよいかも知れません。
ちなみに、【 フランクフルト三越 http://www.mitsukoshi.co.jp/world/frank/gkfr.html 】
時間となり、店員さんに見送られて外に出ました。バスは離れた緑地帯で待っていました。

[ 追記 ] 2008年7月26日の日経新聞によると、三越伊勢丹ホールデングス傘下のドイツ三越(フランクフルト・ミュンヘン・デュッセルドルフの3支店)は2010年7月までに事業を清算し撤退することになった。日本人観光客数が五年前から減少し支店の維持が困難になったため、としています。[2008.07.30 記]

空港へ向う: 17:05 バス出発。17:20 フランクフルト空港着。都心に近くて便利な国際空港といわれますが、本当に直ぐ到着でした。スイス・サンモリッツから今日までアチコチに案内してくれたスルードライバーのオットマン運転手とバスにお別れです。スーツケースを降ろし終えるとニコッと笑顔を見せて運転席に戻り、バスは離れて行きました。

フランクフルト空港: フランクフルト空港は第1ターミナルと第2ターミナルがありますが、どちらだったのか記憶にありません。搭乗手続きをする前に今日購入したものをスーツケースに納めました。

免税申告手続き: 免税品をスーツケースに入れて預けるグループと手荷物として機内に持込むグループは手続きが違うのです。預グループは現地旅行社の人、持込グループは添乗員、と担当が別れました。我々は預グループです。まず、搭乗手続きのカウンターでスーツケースを一旦預け入れます。カウンター内部に入ったら直ぐ返却してくれます。今度は免税品の申告ですが、場所はエスカレータを使用する階下になる。固まってそこに移動しました。関税の係官は、スーツケースを開き購入品との照合は求めずに、書類にスタンプを押してくれました。広い場所でしたが、次に関税の反対側まで行き、スーツケースをここで航空会社に預けるのです。次にこの税関の大部屋を出るとポストがあるので、先刻スタンプを押してもらった書類を投函する。これで免税手続き完了で数ヵ月後には還付金が口座に振り込まれるはずです。正直に言って、こんな面倒な手続きが無駄に思える程度の買物だったのですが、手続きは手続き、と割り切りました。
ついでながら、持込グループは搭乗手続きでスーツケースを預けてしまい、我々とは別の場所で免税手続きをします。購入品と免税申告書の照合の有無は不明です。 少々複雑な感じですが、こと免税手続きに関してはどこの国際空港でも大同小異でしょう。

出国手続き: 例のレントゲン・ゲートによる所持品検査とパスポート提示の簡単なものでした。私など、パスポートを開いて見せたのですが無視されました。顔パス(?)でした。

免税店と休息: 搭乗する ANA NH-210便は20時35分の出発なので、19時55分まで免税店エリアで解散となった。集合場所は搭乗口B42が指定されました。

海外旅行では何時ものことですが、空港DFSでチョコレートなどの土産品の購入があります。日本国内での知名度が抜群で、新聞社の人気ランキングで上位に出る有名ブランドのチョコレートを買うことが多いのです。ここの免税店にも各種サイズの箱が置いてありました。その中から幾つか選んでいました。女性はこの種のお土産に信頼を置いているようで、ツアーの他の女性メンバー達もやはり同じブランドを購入しています。他の棚に同じベルギー産でも違うブランドのチョコレートが置いてあった。これも確かベルギー王室ご用達の銘菓だったはず、ニューヨーク土産に使用して評判が良かったものです。こちらも種類が多かったので、適当なサイズの詰め合わせを2種類選んでバスケットに入れました。 ワイン類は旅行会社に宅配の注文をしたので不要です。チョコレートの購入だけで済みました。大した量でもないのですが、バックはかなり重くなりました。

免税店エリア入り口の小さいキオスク風の店でコーン・アイスを買って、休息所の椅子で食べました。軽く食事をしたいくらい空腹だったので、良い間食でした。
少し早めに搭乗口に行きましたが、他の便の客で満員でした。入れません。コンコースの奥のトイレに行き、その近くの飲み物カウンターでコーヒーを買って戻りました。搭乗口近くの通路の椅子で時間まで休息です。いろいろな人達が通るので自然にピープル・ウォッチングでしたね。欧州人にも各種の骨格と顔付きがあり、TV・映画で見るのとは印象が異なって千差万別です。

搭乗口待合室: 待合室に入るにも搭乗券を機械に通さなくてはならなかった。搭乗券の裏に預けたスーツケースの番号札が指示に従って張ってあった(紛失防止のため)。ワイフが先に搭乗券を機械に入れたが、途中で引っ掛かり妙な大きな音を出し始めた。日本語を話すドイツ人の係りが何かやり始め、ウンウン言いながら詰まったボーディングパスを取り出した。どうも裏に添付した番号札が原因のようなので、自分のボーデングパスの番号札は剥がした。それで問題なく機械を通過した。搭乗待合室はとても混んでいました。

帰国便(全日空NH-210): 帰国便の座席は比較的後方で窓側ではなかった。横4座席だったが、「誕生日、おめでと〜」の女性2人と一緒になる。ワイフはホッとした。先方もはっきりと「お隣でよかった。」 たった17人のツアーでも最終日ともなるとお互いの相性が分かっているのです(不愉快な言動・行為のタイプはもちろん1人も居なかったのです。その意味ではありません。) 通路を挟んで隣は御主人が胃がん手術をした御夫婦でした。この御夫婦も我々と行動が似ていてアチコチで顔を合わせチットした言葉を交わしていました。回りは気を使わずに済みそうで、安心しました。

飛行機が動き出す前に、状況確認をしながらアイさんがツアーのアンケート用紙とユネスコの寄付用封筒を配りました。到着前までに片付ければよいものです。ここまで行程が進むとお互いに安堵感が漂っています。

20:48 ボーデングブリッジが外され、13分ほど遅れて動き始めました。往路と同じ全日空の東京・フランクフルト直行便です。機内のサービスは旅行記1日目に詳しく書いたものと同様で特に書き記すことはありません。
数時間してからアンケートに記入しました。ツアコン・アイさんは上手でしたし参加者も団体行動に慣れた人達だったので満足できる楽しい旅行だったのです。それでアンケートに記入した評価は当然ながら高くなりました。何時も思うのですが、この種のパックツアーは添乗員と参加者の双方で良い旅行に仕立て上げるものなのでしょう。寄付金袋には、スイスの5フラン硬貨(テルの肖像)を除き、残った2人分のコインを全部入れました。と言っても、僅かな金額でしたが・・・。アイさんが回ったときに渡して用件は片付きました。

我々は、往路の期待感の代わりに、満足感と心地よい疲労感に満ちていました。寛いで成田空港到着まで過ごしました。

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(2017.03.21 表示改善)(2007.06.01 改訂版)(2003.08.02 公開)