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スイスとアルプスの山々 (3日目/2007年6月27日)
ルツェルンとベルン観光、グリンデルワルト
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ホテル出発まで:
06:00 起床。外は曇り。
07:00 洗面を済ませてパッキング。スーツケースは早めに廊下に出した。
07:05 部屋を出て、エレベーターで0階に下りる。ロビーに面した右手のレストランに入った。感じのよいレストランと思った。
ビュッフェ朝食は、オレンジジュース、パンにバターとジャム、ハム・ソーセージ・スクランブルエッグ、ヨーグルト、そして最後にコーヒー2杯でした。ハムは塩気が少なくてよかったですね。平素よりはかなり多い種類と量ですが、旅行中は動くのでこの程度です。
07:25 部屋に戻ったが、スーツケースはそのままホールウェーにあった。収集は7:30後の予定で当然でしょう。
08:05 忘れ物の確認をして部屋をでる。枕チップは旅行会社持ちなので置かなかった。

08:10 既にロビーに来ているツアーメンバーも多かった。ワイフを残して外に出てみる。空は今にも降り出しそうな曇だった。出発直前のスイス週間天気予報は7日間の全てが雲と雨のマークだった。「やはり当たっている」と思い、かなり落胆した。
ホテル前の道路にツアーの女性が2人いた。ホテル名を入れた記念写真の撮影を頼まれ、デジカメを受取ってシャッターを押す。
厚い雲のため条件が悪く単なる記録写真しか撮れないが、周辺の風景を何枚か撮影しておく。ラッシュ時でしょうが、車道が渋滞ということはなかった。数分でホテルに戻りました。

チューリヒ/Zurich
ローマ帝国時代にはトゥリクム(Turicum)と呼ばれ、河川交通の関税徴収所が置かれていた。9世紀央、ドイツ系支配者ルートウィヒ2世は交通地理的に重要なチューリヒに王城を築いた。その後、王城や教会を中心に発展、10世紀に都市の形が整った。
1351年にスイス同盟に加盟、1400年に自由都市、1519年のツウィングリ(Huldrych Zwingli、1484-1531)によるスイス宗教改革の発祥地、その後ベルンと並ぶ重要都市になり、現在は世界的な商工業と金融の都市として発展している。チューリヒ・クローテン国際空港は欧州のハブ空港の1つ。
チューリヒ湖畔とリマト川(Limmat)両岸に広がる風光明媚な街で、リマト川の東側は旧市街で西側は新市街になる。チューリヒ州の州都であり、人口は約34万人、スイス最大の都市である。周辺を含めると約85万人にもなる。金融や証券取引が盛んで、約350もの銀行があり、スイスのGDPの1/5は当市によるものといわれる。
当市の歴史的人物にエッシャー(Alfred Escher、1819‐82)がいる。19世紀のチューリヒで政財界の頂点に立ち、チューリヒ工科大学学長になり、さらにスイス銀行制度の基礎を築いたとされる。
参考文献:[Ref.02]、[Ref.04]、[Ref.06-2]
ロビーでは昨日発生したロスト・バゲッジの話題でした。航空会社の調査では、該当スーツケースは成田空港で登録されなかったらしい。お詫びとして、約1ヵ月間(8/1まで)有効なKLMチケット(25Euro/約4500円相当)が渡されたが、ご本人は「使えない」と笑っていました。無記名なら、東京に多い格安チケット店が半値で買い取るかも知れません・・・(?)。
08:27 ロビーを出てホテル裏のバスにゆく。丁度スーツケースの積込みが終わったところだった。観光バスは前と中央の2ヶ所に乗降口があり、乗車完了は早い。最前列を除き、それぞれが適当に決めた座席です。

移動( チューリヒ ⇒ ルツェルン ):
08:30 出発。小雨が降り始める。外気温は 20℃ 以下でした。
車窓から眺めるチューリヒの街並みは新しい建物も多く、7階建て程度で揃っている。ポプラ並木も時折あり、きれいな街に思えました。スイス産業の中心とされる。
08:40 この頃に高速道路に入るが、出入口に料金所はありません。高速道路の使用料は車1台で年間CHF40.00(約\4200/レートCHF1.00=\105.00)、ベグネット(Vegnette)というステッカーを購入しフロント・ガラスに貼っておくと高速道路の使用は自由、という説明でした。
2007/6/28 農村の風景(車窓撮影)
チューリヒとルツェルンの間、車窓から見る農村風景。スイスの列車は新しいものが多いと思えました。
チューリヒ郊外からルツェルンまでは牧草地やコーン畑や麦畑などが続くのどかな風景も多かった。雲のため、高山の姿は印象に残っていない。ルツェルンに近づくにつれ牛などの放牧地も増えてきた、と思います。
09:33 この頃にルツェルン郊外になる。

ルツェルン/Luzern/Lucerne
四森州湖の北西に位置し、湖から流出するロイス川の両岸に発達した歴史的な街。標高は436m。ロイス川右岸の旧市街は観光的に知られる。周辺地域にはリギ山やウィリアム・テル縁の地など名所が多い。18、19世紀には文豪ゲーテ、シラー、詩人バイロン、楽聖ワグナーが居を構えた。
人口は約5.8万人、その多くはサービス業、ドイツ系が多く、カトリック教徒が大部分とされます。
参考文献:[Ref.02]、[Ref.07, p.77]
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ルツェルン観光局(英語)Luzern Tourismus AG
ルツェルン市内観光:
ライオン記念碑(Lowendenkmal/Lion Monument):  2007/6/28 瀬死のライオン
瀬死のライオン像
09:38 ルツェルン市内のレーヴェン広場に到着。そこから街中を僅か数分歩いて観光ポイント「ライオン記念碑」に行く。小公園で丸い池があり、正面の切立った灰色の岩壁に大きな「瀬死のライオン(The dying Lion of Lucerne)」の彫刻が彫られていた。ここで15分間の自由時間となった。

この小公園と彫刻は、幾世紀も昔のスイスは他国にスイス兵を傭兵として貸出して国庫収入を補っていた、という史実に基づいている。当時のスイス兵は忠誠と勇猛果敢で知れ渡っていた。ブルボン王朝のフランスもスイス兵を雇った国の1つでした。フランス革命最中の1792年になると、雇主のルイ16世とマリー・アントワネットを守るために革命軍との壮絶な戦闘となった。スイス兵は傭兵たる使命を全うし、その戦いで786名 [注:Ref.02,p.111掲載の数。資料により違う場合あり] が命を失った。この「瀬死のライオン」はフランス革命で亡くなったスイス傭兵を追悼する碑です。彫刻のライオンは心臓を打ち抜かれ本当に苦しそうな顔で横たわっているが、ブルボン王朝の紋章がある楯をしっかりと抱えている・・・。
ついでながら、後年にスイスは永世中立国として国際社会から認められ、当然ながら他国に傭兵の提供はしなくなった。しかし、ローマ法王庁があるヴァチカン市国の警備は今なお一種独特な制服を身に付けたスイス人が担当しています。古えの名残でしょう・・・。
ライオン像の近くまで行ってみたり、記念写真を撮ったり、この小公園での持ち時間は直ぐに過ぎました。
09:50 この頃に公園を出る。
10:00 バス出発。

カペル橋(Kapell-brucke/Chapel Bridge)と旧市街:  ジー橋から眺めた風景。注:空は着色
ウォーター・タワーと木造のカペル橋
10:04 カペル広場に到着。予定としてはロイス川(River Reuss)に架かる古い木造のカペル橋を渡り、その後は川下の橋を渡って旧市街に行き、しばし自由散策です。集合はカペル広場のバスで、11時15分です。

下車してグループで近くのカペル橋に向かった。幸いにして未だ雨は降り出していないし、風もない。ロイス川が四森州湖(Vierwaldstatter See/Lake Lucerne)から流出する場所に架かる大きなゼー橋からカペル橋を眺める。川面には白鳥が遊び、川の流れに対し斜めに架かったカペル橋やその向こうの教会や右手の中世風の建物などでなかなかの風景でした。

10:09 カペル橋の取付け部近くで記念のツーショットを撮ってもらいました。これから全長約200m、ヨーロッパで一番長い木橋を渡ります。長いだけではなく、屋根付き・宗教画付きでも知られる。延々と続く屋根の三角部分に宗教画(ルッツェルンの守護聖人、絵は100枚以上)が描かれているが、両岸近くは宗教画が連続していても中央部分にはありません、その辺りは使用されている橋の木材も新しいものでした。14〜15世紀に作られた元のカペル橋は1992年に火災で焼失し、現在の橋は再建されたものです。
橋の川下側に高さ34m以上の塔がある。ルツェルン観光局サイト(独/英)の説明では、『ウォータータワー(Wasserturm/Water Tower/貯水塔/水の塔)は1300年頃に城壁の一部として作られ、公文書保管庫とか宝物庫とか刑務所・拷問所として使用された。』
( 注:ガイドブック[Ref.02, p.109]は『灯台を兼ねた見張塔(Wasserturm)』となっている。塔名は?ながら、元々城壁の一部なので建設当時はそのようにも使われたのでしょう。)
ゆっくり橋を渡りながら眺める両岸の風景、または両岸の橋の袂からの風景、これらは共々絶品ものといえましょう。晴れていたら更に素晴らしかったと思います。
10:19 カペル橋を渡り終え、再びツゥーショットを撮ってもらいました。

次ぎに、川下側にある細い市庁舎橋(Rathause-steg/歩行者専用)に行く。この橋から眺めるカペル橋とウォータータワーや両岸の風景も素晴らしいものです。
10:26 対岸一帯 は旧市街です。橋の袂の右側はイタリア・ルネッサンス様式で1602-1606年に建立された旧市庁舎(Rathaus/Town Hall)です。カペル橋から見るとスイス国旗とルツェルン州旗が掲げられ、背後には時計塔もある。川に向かった傾斜地なので橋からは壁面で3階、反対側からは壁面で2階に見えるようです。さらに大きな窓付きの屋根がある。名称から想像しがちな威圧感のある建物ではなかった。
その横に果物と野菜の露店があった。やはり日本の果物や野菜とは種類が違う。名知らずも多かったが、ヨーロッパではベリー類は好まれるようです。珍しくて写真を何枚も撮りました。
その先は中世の街の雰囲気そのものでした。石畳の道は狭く、時には広場状になり、時々建屋の壁面が大壁画で装飾されている。
10:31 ブラブラと奥まで行くと、小広場の中央に噴水(人物像が上部にある小塔の周りで水が出ているもの)があった。丁度、噴水は工事中でした。広場の一方の建物の壁面には「最後の晩餐」らしき壁画があった。しかし、その1階は幾つもの路面店で、宗教施設ではなく単なる飾りのようです。旧市街には教会などもありますが、観光客目当てのものも含め、商店やレストランや小ホテルが実に多い地区でした。

ルツェルン土産品
記念品コップ(連邦・州の旗)
細い小路をブラブラ歩きで旧市庁舎まで戻った。ロイス川方向には行かず、多分ハーシェン広場(Hirschen Platz)と思うが、別の道を辿ってみました。 暫くすると、賑やかと云える本物の商店街になる。その一部は各種の旗を掲げて明るい感じだった。
10:45 角に大きなチョコレート店があった。しかし今日は観光初日で荷物をあまり増やしたくなかったのでウィンドウ・ショッピングに終わりました。実は、後悔。知られた観光都市の中心にあるチョコレート店の品質が悪いはずもなく、小さな箱入りチョコでも買って味わうべきでした。

一旦はカペル広場に行き集合場所を確認する。その後、商店街に戻って土産店に入った。例によって例の如く、各種の雑貨で溢れているが、写真の小型の飾りコップを見つけて購入しました。価格はCHF5.00(\525)。スイス旅行中にあちこちの土産店に寄ったのですが、この種の小型コップは見かけても国旗と26州旗のものは見なかった。ルツェルン州はスイス発祥の地域だから売っていたのでしょうか?単なる偶然かも知れません。
他に同様な旗のボールペンも買った。が、写真を撮る前に人に上げてしまいました。

11:05 カペル広場のバスに戻る。ワイフは直ぐ乗車、私は写真を撮りにしばし離れました。
11:08 バスに戻る。これでルツェルン観光は終了です。 ルツェルン市内
11:15 出発。

昼食(ルツェルンのレストラン)/チーズ・フォンデュ:
住宅街のホテルのレストラン
昼食レストラン(小ホテルの1階)
11:21 小ホテルのレストランに到着。住宅街らしいし、ホテルと書いてあるが日本の民宿、又は B&B といったところでしょうか。
レストラン自体は小ざっぱりして快適ともいえましょう。6人掛けのテーブルにワイフと対面で座りました。食事はチーズ・フォンデュ、日本流に云えば鍋物の1種です。チーズ鍋を温めるガス・コンロがテーブルの中央にあった。
飲物のオーダーは「食後にコーヒー」と頼みました。
最初に野菜やゆで卵などに白いドレッシングをかけたサラダを持ってきました。これは新鮮でよかった。
次ぎに、溶けたチーズが入った茶色の土鍋をガス・コンロに置いてくれる。そのチーズに黒胡椒をパラパラと挽いて撒く。多分チーズの臭いを和らげるためでしょう。後は、長いフォークに一口サイズのパンを刺し、溶けたチーズに浸してから食べるだけです。このレストランのチーズがスイスの標準的なものなのか、チーズ・フォンデュを初めて賞味する私には分かりません。妙にクセのあるワインらしき味も混じり、食べ始めの味は濃厚に過ぎると思った。しかしパンの量も少なく、食べておくしかありません。次第にその強いクセには馴れました。昼食として量的に少ない気がするが、カロリー的には分かりません。
デザートはなかった。しかも頼んでおいた食後のコーヒーを持ってきてくれなかった。当方の希望が上手く伝わらなかったか、忘れたか、でしょうね。もちろん代金は払わずにレストランを出ました。 昼食(ルツェルンのレストラン)

移動( ルツェルン ⇒ ベルン ):
12:20 出発。スイスの首都ベルンに向かいます。
12:45 雨になり、だんだんとひどくなる。
13:30 この頃、ベルン市街に入った。変わらず雨が降っている。

スイスの首都ベルン(Bern/Berne)旧市街観光:
ローズ庭園(Rosengarten/The Garden of Roses): 
ベルン旧市街、右上は大聖堂、緑の下はアーレ川が大きく蛇行する。
ローズ庭園からベルン旧市街。
13:37 小雨のローズ・ガーデンに到着。一旦は傘をさして歩いたが、直ぐに不要になりました。
道路の並木は大木のリンデンバウム、公園内の入口部分にも同じ菩提樹(Lindenbaum/リンデンバウム)が多くあり、花を沢山付けている。しかし花自体は地味なものです。晴れていると独特の強い香りが漂ったことでしょう。
公園名の通り、色とりどりのバラも数多くあるが、天気のためか目立った印象はあまりない。公園入口から真直ぐな道を奥の展望テラスに向かった。
ベルン旧市街が良く眺めれるように、南北に広く長い展望台があった。足元は森の緑、次ぎに豊かな水量のアーレ川、そして半島状の旧市街の街並み、遠くにはミュンスター(大聖堂)の尖塔も見えます。小雨がちな曇り空の下でも素晴らしい眺望が楽しめました。
その後、公園の色とりどりのバラを楽しみながら、バスに戻った。
14:00 出発。

ベルン/Bern/Berne(仏・英)
ベルンは公爵ベルクトルト5世(Duke Berchtold V of Zahringen)が1191年にアーレ川の半島に都市を築いたことに始まり、都市名は当地に多いヒグマから命名されたとされる。北・東・南の三方をアーレ川に囲まれたベルンは、天然の要塞で政治の中心として栄えました。
1353年、成立まもないスイス連邦に加盟。
1831年、ベルン州の州都となる。
1848年、スイス連邦の首都になった。
1983年、旧市街がユネスコの世界文化遺産に登録された。
人口は約12万7千人、言語はドイツ語、宗教はプロテスタント(49%)ローマン・カトリック(25%)、市中心部の標高は542m。
参考文献:[Ref.02]、[Ref.07, p.77]
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スイスガイド/ベルン情報(英語)
熊の堀(Barengraben/Bear Park/熊公園):  14:02 熊公園に到着。雨が降り始めた。深く掘られた円形のコンクリートの穴に数頭のヒグマがいる。それだけの場所だが、スイスの首都ベルンは訳すと「首都・熊市」となる。やはり敬意を表すべきでしょう。しかし、北海道から来ている我々は「なんだ、ヒグマか」と思っただけでした。でも餌をねだる姿や観光客から何やら貰って食べる姿は悪くない。欧州のヒグマは日本のヒグマより小型とか・・・。
熊公園の奥にある建物のトイレを借用。
14:12 雨の降る中、熊公園を徒歩で出発、世界文化遺産の旧市街に向かった。

14:14 アーレ川(the River Aare)に架かるニーデック橋(Nydegg-brucke/Nydegg Bridge)を渡り始める。雨ながら、古き街のよき眺めを楽しめました。
14:16 橋を渡り終える。

旧市街の大通り:  ニーデック橋からベルン中央駅まで、旧市街の中央部を縦に走るメーン・ストリートがある。この大通りの名称は橋から駅までに Gereshtigkeits、Kram,、Markt、Spital と変わる。中世の名残りでしょうか。我々は Kram-gasse の終りの時計塔まで歩きます。
大通りは石畳の緩い上り坂で両側にアーケードが長くつづく(約6Kmありヨーロッパでは最長らしい)。「アーケード」と云うと日本では歩道上に作られた屋根のことだが、ここでは隣合せの建物が境に空間を置かずに並び、1階部分の道路側は車道より一段と高くアーチ型の柱列になっていた。その内側が歩道で、その奥が店舗などになっている。つまり1階は歩道の分だけ2階の床面積より狭いのです。雨や雪の時に歩行者は助かるし、大通りの外観も整ったものとなり美観上も優れている。このアーケードは中世以来というよりは、その後に改造されたものと思われました。
この大通りには他にも特色があった。ニーデック橋とバーンホフ広場の間に6個もの「噴水」がある(少し離れた所に他の2つ)。ルツェルンの旧市街で見たものと同じく、噴水といっても水を噴き上げる噴水ではない。小塔の上に聖書や神話などの物語から取られた人物像があるのです。それぞれの塔は個性的な形状と装飾と色彩をもち、基部にはベコニアと思える赤い花の植え込みがる。花の少し上には長めの水道パイプが数本あり水が出ています。このような噴水が、車やバスが頻繁に走る石畳の大通りの中央に幾つもあるのです。優雅な感じすら漂わせていました。
ニーデック橋とバーンホフ広場の真ん中あたりに、カラクリ人形を持つ中世の時計塔があり、これも古都の観光名物になっている。

アーケードを歩き、「正義の女神の噴水(Gerechtigkeits-brunnen)」ではその写真を撮った。それから「サムソンの噴水(Samson-brunnen)」まで行きました。意外にもアーケードは人通りがあり、正直いって歩きにくかった。「サムソンの噴水」地点で左折し、とても狭い小路を通り抜けると、ミュンスター広場に出る。近くに1790年に作られたらしい「モーゼの噴水(Moses-brunnen/Moses fountain)」があった。大通りの「噴水」と似たものです。
広場入口の少し先に大聖堂がある。

ミュンスター(Munster/Minister Church/大聖堂): 
ミュンスターの礼拝堂
13:35 ベルンのシンボルともいわれるミュンスターの尖塔は約100mでスイスで最も高いという。この尖塔は徒歩で登れるが有料です。その広場に面したファサードには「最後の審判」レリーフがあるが、ここのはレプリカで本物はベルン博物館にあるそうです。予定外らしいが、添乗員Sさんは「ミサではないから、中も見学しましょう」と入った。帽子を脱いで我々も続きました。

13世紀に建立された教会のあった場所、そこに大聖堂の建立が始まった。1421年の着工ながら、長い年月を経て1893年に完成した。欧州の大聖堂は息長く幾世紀もかけて完成するのは珍しくない。これは、寄付があると建設工事が部分的に進行し、資金切れで中断される。この繰り返しで気が遠くなる年月を経て竣工する、とされます。地震がない欧州の石造建築ならでは、でしょう。しかし幾世紀にも渡る建築でも統一的な姿の大聖堂が出来るのは、日本人(少なくとも筆者)の目には不思議でもあります。資金の提供者が身勝手な注文をつけたら、まずもって最終的には変てこな建物になるでしょう。
この大聖堂には宗教改革の時代を生き残った古い部分もあるようです。ゴシック様式で作られ、内部の正面は祭壇、中央は礼拝者用の木製の長椅子、両袖は巨大な石柱が並び、壁面の窓は大ステンド・グラスが綺麗です。入口の上部には大きなパイプ・オルガンがある。大体は標準的にも思えますが、ステンド・グラスは完成したのか未完なのか判然としないものもありました。
14:43 内部の見学を終えて外にでる。まだ小雨が降っている。

ツェーリンゲンの噴水(Zahringen-brunnen):  往路も通った狭い小路で大通り(Kram-grasse)に戻る。大通り左側のアーケードを時計台に向かったが、途中にアインシュタイン大先生(Albert Einstein/一石先生)が1903〜1905年に住んだアパートがあった。歩道に看板が出ているので直ぐ分かります。我々の観光ツアーは、中の見学はしなかった。飛躍しますが、御先祖がスイスから移住したらしい英国のノーベル物理学者ディラック(Paul Dirac)先生は当時は幼少でしたが、相対性理論の著書もあるのです。後年ここを訪ねたでしょうか?やはり観光客向けでしょうか・・・。
日本人はランキングとか似た者どおしの上下関係など社会的な相対性には敏感な民族とも云えましょうが、数学を多用する理論物理学の相対性理論はその本を開くどころか手に取ったこともない人達が大部分と思います。多分、どこでも、それが普通でしょう。

その少し先にツェーリンゲンの噴水がある。上部は甲冑を身に着けた熊の兵士で、ベルンを創始したツェーリンゲン家を象徴する噴水とされる。交代に記念写真の撮影でした。

時計塔(Zeitglocken-turn/The Zytglogge clock tower):  (注:空は着色)
ベルンの時計塔、カラクリ人形が有名。
旧市街の中心部にある時計塔はベルンのシンボルともいわれる。英語のスイス情報サイトによると、公式のベルン州時刻はここで定められ、ベルン州の全道路の距離もここを基点にしている、という。当初の木造塔(13世紀建立)は1405年の大火で焼失し、その後に現在の四角い石造りの時計台が作られました。ついでながら、世界文化遺産となった旧市街は同じく大火の後に建てられた市街と建物群のようです。この大時計は故障して122年間も止ったまま放置されていたが、1530年に優れた時計職人が機構を改めました。その後は動きつづけ、『 現在でも専門の時計職人が毎日ゼンマイを巻く 』[出典:NHK世界遺産サイト]とされています。
14:55 丁度3時に時計塔の「からくり人形」が動く。雨の中で待ちました。説明では「有名なローテンブルグのからくり時計ほどではない。」 その通りで、屋根の中間部に設置された金色の人形が時間になるとハンマーで鐘を打つだけでした。ところが、私は見逃したが、大時計の右下の人形もカラクリです。小さい鐘を叩いたり、回転台が回りイロイロな人形が見れる仕掛けだったのです。
時計塔は内部も公開されている。有料でガイド付きツアーのみ、個人が自由に登ることは出来ないようです。
時計塔の下部、大時計の下の装置は天文学・占星学に用いられる複雑なもので、大時計に連動して動いているらしい。一見、チェコはプラハの市庁舎にあるものとそっくりでした。
15:04 時計塔の下を潜り通ると、中世の様子を描いた絵が架かっている。反対側の壁面にも大時計がありました。

カジノ広場(Casino-platz):  時計台を過ぎると路面電車が走る大きな十字路だった。歩いてきたクラム通りの西はマルクト通りと名を変えるようです。その先にはまた噴水が見える。近くには行かなかったが、「射撃手の噴水」というそうで、望遠を効かせて背後から撮影しておいた。右の道の先にもあり、「子供食いの噴水」という恐ろしい名が付いている。その写真は撮れなかった。
十字路で左折し、線路沿いに南に歩き、カジノ広場まで行きました。広場の向こうには CASINO と書かれた立派な建物がある。質実剛健とされるスイスでも博打好きの御仁はいるのでしょう。観光客向けですかね。そこで暫しバスを待ちました。 ベルン市内
15:15 この頃に雨が止み、薄日がさし始める。
我々がベルンを徒歩観光した間にのみ降ったらしく、すごい歓待でした・・・??? 
何時もながら、何故ヨーロッパの人達は雨なのに傘をささないのか、不思議です。

移動( ベルン ⇒ グリンデルワルト ):
15:20 バスに乗車、直ぐに出発。
15:30 ベルンを出た所でトイレ停車。ここは無料だった。
15:35 乗車、出発。
ツアー日程表は「途中の土産店に寄る」となっています。2つの湖に挟まれたインターラーケンが中間にある。「そこの土産店なら」と密かに願っていました。しかし、バスはインターラーケンの中心部を通らずにグリンデルワルトに向かったのです。残念・・・。


到着時のグリンデルワルト村。アイガー(右)とシュレックホルン(左)。
登山鉄道BOBの始発点となるインターラーケンは標高567mとされる。そこから標高1034mのグリンデルワルトまで谷間の山道を登ります。雨ではなかったが、雲が低くたれて山々の山頂部は見えません。グリンデルワルト村に近づくとアイガー北壁がよく見えるはずですが、残念ながら写真のような状態でした。
日本出発前のスイス週間天気予報をまた思い出し、大失望でした。

グリンデルワルトの土産屋:
16:45 グリンデルワルトに到着。直接ホテルに行かず、BOB と WAB のグリンデルワルト駅の近くで下車し、近くの土産店に入った。主に時計類を扱う店で我々は興味がわかない。ツアーでは数名が比較的安価な知られたブランド時計を購入したようでしたが・・・。しばらくは店内を見歩きましたが、外に出ました。

リュックに付けた小型カウベル
と、云っても行く当てもない。近くの土産屋で小型のカウベルを1個だけ購入しました。さっそくリュックに付けたのですが、リンリンと音がうるさい。それでベルの中にテシューを詰めると静かになった。これでよい。
最初の土産店に戻り集合時間まで過ごす。何も買わなかった。
17:15 バスに乗車。
17:20 出発。バスはホテル等の建物が続くハウプト通り(haupt-strasse)を登る。メイン・ストリートはドルフ通り(Durf-strasse)と名を変えるが山岳リゾートの街並みはまだ続いている。フィルスト展望台行きロープウェー乗場の反対側に2連泊するホテル・サンスターがあった。

グリンデルワルトのホテル(SUNSTER):
タンスター・ホテル。(2007/6/29)
タンスター・ホテルの正面と入口
17:25 ホテル・サンスター到着。前庭は大型観光バス数台は楽に止れる広さ、ホテルはスイス流の三角屋根の建物と四角い都会風の建物の2棟だった。
降車して直ぐロビーの椅子で休んだ。我々こそ入口近くのソファーだったが、かなり広いロビーだった。スーツケースはホテルが部屋に運んでくれるので、部屋割りを待つだけです。チューリッヒ空港でロスト・バゲッジとなった人は、未だスーツケースが届いていない。もう一晩でしょう。
明朝の予定時刻などが発表になる。グループに1枚づつコピーが配布になりました。

明日はオプショナル(無料)の早朝ハイキングがある。ハイキング参加者と不参加者は集合時刻と場所が違うのです。実際は、全員が早朝ハイキング参加でした。グローセシャイデック展望台までは村営バスで行くのですが、人数が多いので事前予約というか、連絡する必要があるようでした。万が一ひどい雨ならドタキャンでしょうね。
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モーニング・コール(06:00)/荷物出し(なし)/朝食(06:30)全員揃って/
早朝ハイキング参加者
ホテル出発(07:10)、乗合バス・グリンデルワルト出発(07:35)、山小屋トイレ休息、ハイキング下り(15分)、ハイキング登り(30分)、乗合バス・クローネシャイデック出発(09:30)
早朝ハイキング不参加、集合(10:10)、場所は駅の待合室
クライネシャイデック行き登山電車WAB出発(10:30)
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部屋割りが決まり、我々は358号室(4階)のカードキーを受取った。ロビー奥のエレベータ・ホールに行く。

17:52 入室。広々として快適な部屋でした。クローゼットなど1部の調度品は節が沢山ある板に透明ニスを塗っただけ、4年前にサン・モリッツで泊った部屋もそうでした。山岳リゾートの雰囲気を出すためかも知れません。入室後すぐに部屋の写真を撮った。スーツケースは未だ部屋に配達されていない。洗面のみ済ませたが、少しサッパリする。
18:05 スーツケースが届いた。広げる場所を決めて、その後はゆっくりした。
18:25 エレベータでE階に降り、ロビーに行く。
18:30 集合。ホテルを出て、道を横切り、右側のレストラン・ランデブーに入る。

夕食は外のレストラン(Restaurant Rendez-vous):  夕食レストラン、Restaurant Rendez-vous
ホテル向かいのレストラン
レストランには客が多かったが、奥の一角が予約されていた。
飲物はグラスワイン(白/@CHF3.80)を頼んだ。
食事はサラダの皿、メーン・デッシュは白身魚のソテーに野菜の付合せ、アップルパイのデザート、でした。味に問題はないと思ったが、量的に少ない感じです。しかし夜中に空腹を感じた訳ではありません。量も丁度よかった、のでしょう。
最後は飲物の清算です。2人分でCHF7.60ですが、重い財布にCHF7.50分のコインがあった。しかし10ラッペン(サンチーム)不足です。20フラン紙幣で釣りを受取るのがいやで、お隣から10ラッペン(約10円)コインをお借りしました。前後しますが、翌日午後に20ラッペンのコインでお返し。やはり、外国の不慣れなコインの事、先方は気付かずに受取りました。
19:30 レストランを出る。 夕食(グリンデルワルトのレストラン)

もう自由時間、商店街まで繰り出すグループもいたが、我々は部屋で過ごすことにする。
19:35 部屋に戻った。ワイフのスペアー毛布が未だ届いていない。フロントに電話(英語)して毛布1枚を届けるように頼みました。直ぐ来てくれたのは良いのですが、届けたのは白いコットン・シーツ2枚だった。「毛布!毛布をお願いしました。」 何が必要なのか分かるのにチト時間がかかった。が、理解してくれ、次ぎに毛布2枚を持ってきた。「1枚だけ頼んだの!」と伝えて1枚返しました。どうやら、コミュニケーション(英語)の問題で、不親切ではないのです。個人的に依頼したことなので、ポケットに入れてあったCHF2のコインを1つ上げました。鳩が豆鉄砲を食らったような顔で戻って行きました。
mini-bar price list
ミニバーの料金表(当時は約CHF1.00=\105)
後で知ったが、他のメンバーもフロントで意思疎通に困ったらしい。「英語が通じない・・・」とブツブツこぼした人もいたのです。フロントでは、私も紙幣からコインの両替を頼んだり、他の些細な事をお願いしましたが、英語で問題がなかった。多分、時には、英語が不得意なホテル従業員が接客することもあるのでしょう。

早朝ハイキングの衣類を用意したり、雨具など必要品をリュックに入れて準備を済ませた。デジカメのバッテリーも充電です。テレビの天気予報は何時もながら見ません。「矢でも鉄砲でも持って来い」の心境、悪天候なら諦めるだけです。明朝は朝5時起床、早々にシャワーでサッパリして就寝でした。

グリンデルワルトのサンスター・ホテル(Sunstar Hotel/4つ星/2泊)と夕食レストランの画像情報は全て1頁にまとめました。 グリンデルワルト/サンスターホテル
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