【北行庵】 HOMETRAVEL
事例報告/旅行中のハップニング
その他、ツアーの出来事の事例集
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はじめに
冒頭のセクション・メニューに6テーマありますが、このページでは分量的に少ない題材の幾つかをまとめてあります。ある程度の分量になった時に独立したページとして分離する予定です。当ページの記録がご参考になれば幸いです。

旅行中に過労でツアーから離団、
入院し回復後にツアー復帰
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2005年5月25日、成田空港を出発、コペンハーゲンで乗継ぎ、ヘルシンキに1泊した。翌5月26日はヘルシンキとトゥルクの観光を終え、夜にはシリアラインのヨーロッパ号でストックホルムに向かった。出港後に遅い夕食となった。
21:15 ご夫婦で参加しているはずの男性1人と同席だった。お話によると、海外旅行は6年ぶりとか。成田空港を出発した後に奥様の体調が悪くなり、食べ物を全く受付けない状態で船室で休んでいるそうです。いろいろとお話を聞いていると悪い病気のような気がしてきました。この船(大型)の船医に診せるとか大都会の病院に早く行って診察してもらうように強く勧めました。
御主人はノンビリと「何時ものことで大したことはありません」というが、ツアー出発後すでに2日が経過している。明日のストックホルムと明後日のオスロは大都会でも、ノルウェーのフィヨルド地区に入ると大病院すらない。「早く受診しなくては」と私の方が気になって仕方がない。が、御主人の判断にお任せする以外にありません・・・。

この方の奥様は一晩休んでも体調が改善せず、添乗員さんに相談して今日一日は観光を中止してホテルの部屋で休むことになったようでした。しかし、下船の途中で数度も歩く事が出来なくなり、うずくまって休む最悪に近い状態だったのです。「この船には車椅子の用意は無いのだろうか?」という声もあったが、昨夜か着岸前の早朝に客船側に病人発生の報告をしていれば、車椅子の用意をしたり、着船時にストックホルムの救急医療チームの船室派遣があったことでしょう。書きづらいことではありますが、下船時に急に添乗員さんに相談しても慌しい移動中なので微妙な難しさがあると思います。

シリアラインのターミナルビル前で観光バスに乗車した。添乗員さんから病人に関する再度の発表がありました。結局は、病人と御主人と添乗員さんの3名は直ぐ病院に向かうことになったのです。それを聞いて私は内心ホッとしました。後で知ったのですが、旅行保険には加入していたそうです。
ストックホルム観光の案内は現地ガイドさんが1人で担当することになりました。ストックホルム観光中や食事時には添乗員さんも病院からツアーの様子を見に戻ってきました。日に3度の往復で、やはり大変だったことでしょう。病人は単純な過労とされ、数日間の入院が必要と診断されたようです。現在はベットで点滴を受けているようでした。多分、久々の海外旅行で準備や緊張感により旅行の前にすでに疲れがたまったのでしょう。ツアーから離団して個人的に帰国の手配をする、ような説明でした。

何時の事か忘れたが、フィヨルド地区を旅行中に病人に関する経過説明がありました。元気になり退院したらしい。個人的に帰国すると航空券だけで約100万円もするらしく、個人的に滞在してデンマークのコペンハーゲンでツアーに復帰することになった。幸いなことに旅行会社の対応はフレキシブルでした。

2005年6月2日、コペンハーゲンに到着。ターンテーブルから出てきたスーツケースを各自で確認してからポーターにまかせ、外で待つバスに向った。
13:55 雨のなかバスまで歩き乗車した。病気治療のためストックホルムで離団した御夫婦もツアーに復帰し合流しました。奥様の顔色も良くなりニコニコと元気だった。退院後はデパートなどをゆっくりと見歩いて我々のコペンハーゲン到着を待っていたそうです。

後半のデナー中に意識不明、
離団し入院、個人で帰国
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2002年11月18日〜30日、エジプトとトルコにパック・ツアーで行きました。まず新千歳空港から関空に飛び、同日中に関空からエジプト・カイロに直行便で行きました。カイロに3泊して観光、その後 2002/11/21(木)−26(火) はトルコ旅行、再びエジプトに戻り 10日目 の 11月27日(水) はナイル川デナークルーズでした。

観光からホテルに一旦もどり休息、そして19時30分ころにディナークルーズ船の入り口に到着でした。THE PHARAHOS(すべてのファラオ)なる凄い名の書かれたゲートと両脇の椰子の木の飾りがライトアップされていた。そこで記念写真をとり、遊覧船に向かった。
乗船用の細いブリッジでは、同行の20才過ぎと思われる娘さんとその母親がいた。娘さんは庇うように母親の背中に手を回し、そろそろと歩いていたので「オヤッ」と思った。それまでエジプトでもトルコでも2人とも元気にバラバラに歩いていたのです。

私は気付かなかったのですが、ビュッフェ・スタイルの夕食が始まった直後の8時頃、ステージ右側テーブルにいた母娘2人連れの母親が意識不明で倒れました。直ぐレストランから担ぎ出され、病院に運ばれたそうです。この話が皆に流れた途端に、「保険に入っているだろうか?」という囁きがアチコチでしました。

翌日に明らかになったのですが、病人は病院ではなくホテルの部屋に戻されて医師が呼ばれました。まずは往診です。その後にホテル近くの病院に移動となり、そこに一旦は入院しました。ところが十分な処置が出来ないことが判明し、再度の移動で大病院に入院したそうです。

原因は脳血栓で、現在は ICU(集中治療室) に入っているとのことでした。なんとか意識だけは回復したようでしたが、たとえ一緒に帰りたいと言ってもこの状態では航空会社が搭乗拒否するそうです。ツアーからは離脱し、母娘共々数日後に帰国することになりました。幸い旅行保険に加入していたので、入院治療費はもちろんのこと、娘さんの延長滞在とか帰国の航空券などを含めて金銭上の負担は全くないとのことでした。

欧州のハブ空港で乗り継ぎ、
ロスト・バゲッジの発生
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このセクション「長距離飛行|エコノミークラス症候群の発生」の派生的なトラブルです。

2日目、成田空港からシャルル・ド・ゴール空港への直行便が到着した直後、高齢の女性メンバーがエコノミー症候群で亡くなりました。各種の公的調査と手続きに時間がかかり予定のバルセロナ便に乗れない。荷物の積替えが可能だった数時間後のバルセロナ便に変更です。ところが、ド・ゴール空港は次第に濃い霧に覆われ搭乗予定便は欠航となった。またまた搭乗延期です。当然、スーツケースなど預け入れた手荷物は別のバルセロナ便に積替えです。昼過ぎにやっと搭乗となりました。
予定より5時間半も遅れて午後2時ごろバルセロナ・プラット国際空港に到着し、各自で自分のスーツケースの有無を確認しました。その後ポーターが専用バスに運んでくれる。ご夫婦で参加したご主人のスーツケースが届かなかった。直ぐ航空会社で調べてもらったところ、パリ空港で積み残したことが判明した。
3日目の夜。グラナダのホテルにもスーツケースは届いていない。それを知った奥様はワイフに下着の件でこぼしたようだった。自宅出発後は何日も同じものを着ているはず・・・。本人の落ち度では無い出来事で不便を忍んでいる。私は工夫次第で多少の余裕があった。それで手持ちの紙パンツと紙シャツを差し入れることにした。後でワイフに届けてもらう。本心から感謝されました。旅は道連れ・・・と言いますが、こんな時は可能な範囲で融通しあうしかありません。
4日目、夜8時ごろ夕食のためロビーに集合。やっとロスバゲのスーツケースがセビリア空港に届いたので、添乗員さんとご夫婦の3名は受け取りに行き不在だった。

直行便ならロスト・バゲッジの心配はあまり無いようですが、乗継の場合には運が悪いとロスト・バゲッジで数日の不便を強いられます。 聞くところでは、ロスト・バゲッジが発生すると、通常は2〜3日後に本人に戻るようです。今回の例ではご本人に下着類の予備が無かったため、同行者が融通してあげました。しかし実際には甘えは禁物、「自分が困ったときは誰も助けてくれない」と思って十分に用心するのが Better です。長時間の往路・帰路と乗継のある旅行では、洗面具と医薬品に加え下着類の1セットを持ち歩く(機内持込にする)と各種の問題に何とか対処できるものです。
(2006.01.25 追加)

奇妙なロスト・バゲッジ Page Head ▲
2006年9月3日、ロシア観光を終えてサンクト・ペテルブルクからモスクワにロシアのプルコボ航空で移動、シェレメチェボ第1空港から第2空港にバス移動して帰国のJL442便に搭乗する予定でした。シェレメチェボ第1空港に到着し、手荷物受取所の待合室で別室のターンテーブルに手荷物が出てくるのを待ちました。待合室では他の日本人ツアー(E旅行社)も手荷物を待っていた(多くはトイレ行きで手荷物の確認はしなかったらしい)。そのツアーの手荷物が先に出てきた。ポーターの大きな台車が入り、その台車一杯にスーツケースを積んで出て行きました。もちろん他の欧米系の個人客も次々に手荷物を運び出したが、全員で見ていたので我々の旅行会社のステッカーが貼られたスーツケースがあったなら直ぐに分かったはずです。
次が我々のツアーの番だった。確認に行くと、メンバー1人のスーツケースがない。サンクト・ペテルブルク空港では間違いなくプルコボ航空に渡してある。可能性としては(1)サンクト・ペテルブルクで積み忘れか、別便に積んだか、何らかの理由でモスクワに着いていない、(2)モスクワ・シェレメチェボ第1空港に着いたが何処かに置き忘れたか持ち去られたかした、といったところでしょう。現実として「ロスト・バゲッジ」です。問題は出発まで2時間余しかなかった。バスで第2空港に行き、JAL便の搭乗手続きを済ませ、時間のかかるロシアの出国手続きを済ませなくてはならないのです。
スーツケースがロスト・バゲッジとなったメンバーの気持ちは如何ほどのものだったでしょう。残念ながら旅行者狙いの盗難も多い国とも言われるのです。土産や衣類など金銭に換えがたいものも入っているかも知れません。「出てこなかったらどうしょう?」と不安な思いを味わったに違いありません。
第1空港・到着から第2空港・出国までロシア人のガイドが配置されていた。彼は未着として正規の手続きをするので自分に任せることを主張した。添乗員は到着した手荷物からロスト・バゲッジとなったスーツケースの手荷物番号を割り出す必要を主張、同時に先のツアーの手荷物に紛れて第2空港に運ばれて受取なしで放置されているかも知れない、と主張した。実はその他諸々のやり取りで2人の間では大変な口論となったのです。手持ち時間はどんどん減ります。その喧嘩の状態で急ぎバスに乗りました。が、バスの車内でももめつづけたのです。第2ターミナル・出発ロビーに着くと添乗員はスーツケースに付けられたプルコボ航空の手荷物タグを集め、番号を猛スピードで全て書き出し、ロスト・バゲッジの番号を割り出した。その直後、付近にロスト・バゲッジとなったスーツケースがチョコンと放置されているのが見つかった。「あそこにある!」 プルコボ航空のミスではなく、添乗員の予想が当たり、先着E旅行社のツアーがスーツケースの総数を確認せずに勝手に持ち出したとしか思えません。
さて、(1)単純な積み込みエラー、(2)同業他社の故意的な積み込みエラー、(3)空港や航空会社などの人間が何らかの理由で裏口から勝手に運搬した、等の可能性が出てきました。(3)は関係者にメリットは無く可能性の排除ができると思います。(1)の場合、そのE旅行社の若い添乗員は運び出したスーツケースの総数を確認しなかったことだけは間違いありません。数え違い? そして大きいステッカーや荷札の違いが見えない人に台車積み作業を任せた? 有り得るが、よろしくない。まさか、客が勝手に台車に積み込んだとは言わないでしょうね? 仮に最悪・最低の場合でもその旅行会社は(1)を主張することでしょう。
筆者は企業間競争の熾烈さは全く知らないノンキ人間ですが、何か妙に気になる出来事でした。今回はロストバゲッジが国際便の出発ロビーに無責任に放置されているのが発見され、搭乗機の到着が遅れ出発も遅れたので問題なく帰国できました。しかし万が一搭乗出来なかったら大問題となっていたことでしょう。機内の座席に着いたら、エコノミークラス前部の通路側座席の多くにE旅行社の参加者が・・・。私もワイフもバラバラで共にE社メンバーに挟まれた状態だったのです。トイレに行くたびに、「スミマセン」です。E社の添乗員は連絡なども通路側ばかりなのでスイスイ・・・。1秒でも早く他社に先駆けて搭乗手続きを済ませたいですよネ。我々のツアーはモスクワで散会の挨拶済みで重要な連絡はなかったのですが。
しかし、何様であれ、E旅行社とその添乗員には要所々での確認事項は確実に実行して欲しいと思う次第です。我々のツアーの参加者は時間的ロス(残ったルーブルを使いきる簡単なショッピングも出来なくなった)、添乗員と現地ガイドの口論の不快さ、あげくのはて搭乗出来るかどうかの不安、等々で全員が被害者です。この程度は書かせてもらう権利はあると思います。
ちなみに我々が利用する旅行会社の添乗員は受取りや預入れなど要所での手荷物の確認は”経験上”参加した全てのツアーで実行している、と云えます。だから今回もロスト・バゲッジが直ぐ分かったのです。
(2006.09.08 追記)

欧州で同じ航空会社を乗継、
でもロスト・バゲッジが発生
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2007年初夏、夏休み前で比較的空いているはずの時期でした。成田空港で搭乗した KL862 からスキポール空港にて同じ航空会社のスイス・チューリッヒ空港行き KL1969 に乗継ぎました。参加者26名のツアーでしたが、男性1名のスーツケースがチューリッヒ空港のバゲジ・クレームに出てこなかった。ご本人と添乗員さんは成田空港で受取った預入れ手荷物番号を提出しロスト・バゲジの申し立てをした。チューリッヒ空港に届いていないことが直ぐに判明、数日後にホテルに配達されることになりました。
ロスバゲのメンバーはチューリッヒ1泊とグリンデルワルト1泊の後まで実質的に丸3日もスーツケース無しで過ごすはめになりました。翌日の午前にスーツケースはホテルに届いたようです。グリンデルワルト2泊目の夕食前に受取り、着替えもやっと済ませたと報告がありました。
ご本人は「シャツはTシャツを買って間に合わせたが、パンツがどうにもならず困った」といっていました。やはり、機内持込み手荷物にロスト・バゲジ対策として紙製下着1セット(小型・軽量)は入れておくのが良いようです。同じ航空会社の乗継ならロスト・バゲジはないと思えますが、膨大な数の預入れ手荷物を処理しているので、どの航空会社であれ時には発生するようです。
些細なことながら、今回の事例では航空会社から迷惑料が出るようなウワサでした(口コミ情報では5000円らしい)。
実はロスト・バゲジの予感があり、出発直前に紙下着2セットを機内持込み手荷物に入れておきました。通常より1セット余計に持ち歩いたのです。ロスト・バゲジは当事者が何とか工夫するしかないのです。「1週間も経ってからスーツケースが届いた」という運の悪い経験談もメンバーから出ましたね。(2007年7月6日 追記)

ロンドンの赤い2階建て路線バスが接触事故 Page Head ▲
1998年の秋、パック旅行といってもフライト・アンド・ホテルに近いプランでロンドンに行き、個人散策を楽しんだ時のことでした。ロンドン滞在も終わりかけの10月8日、ロンドン名物の赤い2階建て路線バスでテート美術館を訪ねました。ロンドンの道路は歴史ある都市だけに狭く感する場所が多いのです。その道を背の高い2階建てバスがあちこち走り回るのですが、運転手によってはかなりのスピードをだすので少々怖く感ずる時もありました。スピードを落とさずにカーブを曲がるバスにたまたま乗ってしまい、「危ないな」と思っていたら、歩道に2/3ぐらい乗り上げて駐車していた作業用ボックスカーを避けきれず、接触事故を起こしてしまいました。バスの側面が長く傷つき、ボックカーのサイドミラーが根本から折れた程度でしたが、接触音が大きく、乗客は皆びっくりです。
10分ぐらい停車して、運転手どうし話し合うのは日本と同じ、この程度ではパトカーは来ませんでした。通行人も当初から素知らぬ顔で、ヤジ馬は一人もいません。しかも、乗客は皆座ったままで、後部まで行って事の成り行きを見たりしたのは私一人でした。座席に戻るとき数人のイギリス人の乗客がおかしそうに笑って私を見るのです。英国では紳士のたしなみとして「ヤジ馬になってはいけない」という暗黙の了解でもあるのでしょうか?
(2006.01.25 追加)

ロンドン、テート美術館で非常ベルが鳴り響く Page Head ▲
1998年10月8日(木曜)、テート美術館で William Tarner の油彩画をゆっくりと鑑賞したら、昼になってしまいました。地下のカフェテリアでケーキ(大きい)と紅茶を盆にのせて、適当な空き席に陣取りました。紅茶を二口、ケーキを一口といった頃合いに、けたたましい警報ベルが鳴り響き始めました。何事かと満席に近いカフェテリアの客が腰を浮かせたのは当然のことです。会計の女性が両手を下に大きく振り、「座って! 冷静に! 」とどなり、一応全員が指示に従いました。
直ぐ血相を変えた美術館のガードが飛び込んで来て、「外に出ろ! 外に出ろ! 」 皆、即座に立ち上がったけれども、出口へはゾロゾロといった歩き方で、走る人は勿論のこと、急ぎ足の人もいません。誰も前の人を追い越さないのです。不安をあおるような警報ベルの鳴り響く中、全員訓練されているがごとく落ち着いて館外に避難しました。
外に避難してから老人に「何事ですか」と聞かれたが、答えようがありません。傍の若い女性に聞いてみましたが 「No idea」との事。皆、勝手な事は言わないようです。そのうち、美術館員が携帯拡声器を用いて説明し始めましたが、避難の人垣で聞き取れません。消防車一台がサイレンを鳴らし駆けつけたので、恐らくはボヤか誤報だったのでしょう。しかしケーキと紅茶は惜しかった。
(2006.01.25 追加)

台風の影響、3例 Page Head ▲
(1)国内移動中に台風が来襲、成田空港でツアー中止: 1996年10月8日(木曜)、大手旅行会社のパックツアー「香港3泊4日」に申込んであった。フライト・アンド・ホテルに簡単な半日観光が付いたもの、殆どは香港で自由行動です。成田空港にて集合、夜に出発のJAL便でした。
当地から羽田空港までもJAL国内便で飛びました。台風の風が関東上空ではかなり強かった。羽田空港も完全な混乱状態で、燃料不足のフライトが優先らしく我々の搭乗機は約30分程度を上空旋回で着陸待機となりました。ガタガタ、ドーン、ガタガタ、・・・・。立揺れ、横揺れ、ストーンと落ちたりスーと上がったり。恐怖の機内と云っても過言ではない状況、「死ぬのは一緒」とワイフは私の腕にしがみ付いていた。何とか許可が下りて着陸となりました。「台風時の飛行は真っ平」と本気で思ったものです。それでも成田までリムジンバスで行きました。台風は過ぎ去り、高速道路は傷んだ部分の点検などが始まっていた。成田到着時には台風の風や雨は終わったようにも思えました。
搭乗手続きフロアーは出発便のキャンセルや遅れで超満員の状況でした。それでも、旅行会社は「未だ搭乗機は出発/中止の決定が無く、お待ちください」の一点張り。かなり疲れていたが、窓際で何とか座れる場所を見つけて待ちました。夜も10時を過ぎてからJAL香港便は出発中止となり、ツアーは自動的にキャンセルとなった。もう帰ることも出来ず、成田のホテルは満杯で空はない。当時は未だ経営していた第一ホテルに電話して一部屋を確保しました。最終のリムジンバスで新橋に向かい、やっと部屋に入れたのは翌日未明の1時過ぎだったと思います。
我々は地方都市住まいです。どうしても遠距離の国内移動が必要です。8・9・10月の台風シーズンの海外旅行は真っ平と思わせた台風でした。これ以後はこの期間の海外旅行はかなり慎重になっている。

(2)香港滞在中に台風が来る: 1995年の秋、上記の香港旅行と同じようなプランで香港に行った。往路・帰路とも問題は無かった。しかし、滞在2日目だったと思うが、台風が香港の近くを通過するので昼過ぎには商店はバタバタと店仕舞いをし、多くの人達が家路を急いだ。当時の香港はあらゆる建物に数多くの看板が付いていた。台風の風で落ちたり飛んだりで危険なのです。こうなると、観光は無理、ショッピングも不自由(不可能に近い)、夕食は宿泊中のシェラトン・ホテルのレストランで済ませました。ほぼ丸1日の損失に近いものでした。
東アジア諸国、特に太平洋岸の中国、台湾、韓国などの夏・秋の旅行は万一台風に遭遇した時の覚悟が必要です。

(3)成田発が台風で到着遅れ、帰国便の出発が遅れる: 2006年のロシア旅行は8〜9月でした。全ての予定を終え、モスクワの空港で帰国便の搭乗手続きとなった。ところが台風の影響で搭乗する機材は遅れて成田を出発し未着、数時間は出発できないようでした。モスクワ空港では、遅れて出発したうえに、滑走路が空かず随分と誘導路で待たされたのです。帰国日に乗る羽田発・国内便に間に合うか、かなり気をもみました。結果として何の影響も無かったが、改めて台風シーズンの海外旅行は避けた方が良い、と思った次第です。地方住まいのハンデの1つでしょう。
(2007.09.15 追加)

民族独立運動が燻ぶる地域 Page Head ▲
日本国内では想像できない事態が進行中の国々も世界には数多くあります。我々旅行愛好者は事件発生後にマスコミ等で知るのですが、旅行先を決める時には次のサイトで安全性を前もって確認することが肝心です。政治的もしくは社会的な変動に加えて、2008年5月12日に発生した中国・四川省の巨大地震(M7.9)のような天災も海外旅行に大きな影響を与えますが、これは予測不能が普通です。

外務省 : 海外安全ホームページ

例1:コソボ/2008年2月17日:
バルカン半島にあるセルビアの自治州コソボ(アルバニア系)が一方的に独立を宣言しました。セルビアはその独立を認めず多少の混乱が発生しました。欧米はコソボの独立を承認、ロシアは不承認でセルビアを支援、これが政治的な状況のようです。幸い軍事的な争いにならず政治問題に留まっているようです。
実は、数ヶ月も先ながらバルカン半島を回るパックツアーに既に申込み済みだった。クロアチアが中心でスロベニア(EU)、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナを少しづつ訪ねる旅行、上記のセルビアとコソボは入っていない。それでも全て旧ユーゴスラビアから分離独立した諸国で近隣です。外務省サイト「海外安全ホームページ」を読みますと、

外務省:海外安全ホームページ
クロアチアに対する渡航情報(危険情報)の発出(2006/07/26)
●中央陸部からザダル市付近にかけての地域(主としてボスニア・ヘルツェゴビナ北西部との国境地域)及び東スラボニア地域(セルビアとの国境地帯) ← 2008/03/18 現在も有効

2008/05/28: いろいろ気掛かりなことが多い地域のためか、参加を申込んだクロアチア・ツアーは5月になり参加者不足のため催行中止になった。これは致し方ありません。早々と購入した国内移動の往復の航空券で50%のキャンセル料と振込料が発生しました。実は、それでもホッとした面もあるのです。海外旅行は心配のない安全な国がよいですね。

例2:ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦/200x年x月x日:
旧ユーゴスラヴィアから独立した諸国の1つ、独立は1992年。人口約430万人程度でも多民族国家でセルビア人(33%)、クロアチア人(17%)、ボシュニャク人(ムスリム人/44%)が主な構成民族とされる。セルビア人の分離・独立運動により 1995年 まで激しい内戦が続いた。現在でもムスリム系とクロアチア系住民が主なる地域とスルプスカ共和国(セルビア系)の境界は争いが残っているようです。
今日ではEU部隊の活動により治安は回復しているとされます。他方、強固な犯罪組織があり、銃器を用いた抗争も発生するようで夜間の外出は危険を伴うようです。観光客に対するスリ、置き引き、引ったくりなども増加中とされています。

外務省:海外安全ホームページ
ボスニア・ヘルツェゴビナに対する渡航情報(危険情報)の発出(2006/08/04)
●全土:「十分注意してください。」(継続) ← 2008/03/18現在 有効

例3:チベット/2008年3月14日:
中国チベット自治区ラサで独立を求める騒乱(暴動)が発生、中国側の発表では16人(2008/3/17)が死亡したもようです。数日たっても暴動の規模や現状は良く分かりません。北インド在住のダライ・ラマ14世の亡命政権は中国政府とは異なる情報を公表しており、真相が明らかになるまで日時がかかりそうです。報道によると、暴動発生日には54名の日本人がラサ市に滞在していたようです。1部のツアー客は鉄道を利用して避難、このグループに被害者はいなかったもよう。観光目的の人達にとっては正に「晴天の霹靂」、命からがら逃げ出したと想像しています。避難した日欧米の観光客による目撃情報やビデオ映像がテレビ・ニュースで放映されましたが、騒乱の実態と制圧の状況は中国政府発表のものと異なっているようです。この騒乱が収まり安全が確保されるまでチベットは立入り禁止で観光は出来ません。(2008年3月18日記)

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(2016.10.12 モバイル対策)(2008.05.28 更新/文字サイズ変更ボタン設置)(2006.01.19 公開)

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