旅行記|トルコ:バス周遊の旅 (2002年11月21日〜11月26日)
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パックツアー「エジプト・トルコ13日間」は前泊を加えると丸2週間の旅行でした。我々の海外旅行では最長記録です。トルコ旅行はその中頃に設定されていました。旅行記はエジプトを先に手がけて1月下旬に公開したので、それから手がけたトルコ旅行記はかなり公開が遅れました。トルコ旅行記は旅行の行程に忠実な記述法なので、カイロ出発に始まりエジプト帰還で終わりとなります。その前後に関しては「旅行記|エジプト・カイロを中心に(写真集付き)」を御覧ください。

トルコ旅行記を記述しながら思ったのですが、エジプト旅行記の方が遥かに筆が軽く進みました。旅行直後の記述で記憶が明瞭だったためでしょう。しかし他にも理由があるのです。エジプトの歴史・文化はエジプト人が同じ地域内に築き上げてきました。ピラミッド等の古代遺跡は現在のエジプト人の遠い御先祖が残したものなのです。

反面、トルコ旅行で訪ねたアナトリア(小アジア)は世界でも稀なる多様な民族の通過点として知られています。観るもの聞くものトルコにあってトルコではない、そんな遺跡が多いのです。トルコ大使館サイトの歴史ページもアナトリアの歴史とトルコの歴史を明確に分けている所以です。旅行記も、古代ギリシア人の諸部族やローマ帝国が残したもの、セルジュークやオスマンなどトルコ民族が残したもの、等々を混ぜることになり何かしら書きづらいのです。遺跡の民族的・文化的な背景まで触れると膨大な専門知識が必要で、つまり、「世界の歴史・文化の知識」が必要でして、一介のツアー参加者に出来ることではありません。何時もながら、マァ特にですが、「何とか・・・、日付順、行程順にサラッと書いてみました」という程度のものです。悪しからず御了解いただけると幸いです。

難しいことはともかく、トルコとアナトリアの貴重な史跡とか遺跡に接し、変化に富んだ自然も魅力的なので帰国後も興味がつきません。世界に知られる逸話もアナトリアが原産地とか、古代の円形劇場の多くはアナトリアにあるとか、・・・。西洋文化に興味のある場合は、海外旅行先として素晴らしい場所の1つなのは間違いないでしょう。我々も優秀な現地ガイド氏の引率と説明で古代諸文明の遺跡の数々と世界遺産登録の類稀なる景観を満喫しました。珍しいものばかり、楽しかったのが本当のところです。

トルコに長く滞在した考古学者が言うところ、東のパキスタンを出発して、イラン、イラク、シリア、アナトリア、イスタンブールと西に向かって旅するとイスタンブールは完全なる欧州の都会、西のドイツを出発し東欧諸国を通過して東に向かうとイスタンブールは東洋そのもの。極東の日本からトルコを訪問したので、私はイスタンブールのみならずアナトリアでも「西洋」を強く意識したのかもしれません。東洋と西洋の混在する国、それがトルコ。昔は中央アジア出身のトルコ民族で、嬰児には日本人と同じく蒙古斑があった。今のトルコには鼻も背も高く、容貌も白人に近い人が意外にも多い。私にとっては、何となく、限りなく欧州系なのです。そして、昔あった蒙古斑は今は無い・・・。ところが、トルコ人は自分らをアジア人と思い、日本人と祖先を同じくすると言うのです。日本語の上手な現地ガイドは言葉も似ているとまで言い切ります。本当に不思議な人種的且つ文化的なルツボなのです。
インターネットの旅行サイトでも、トルコを中近東に分類するところ、アジアとするところ、欧州に入れるところ、様々です。 皆さん、この国の分類には困ってしまうようですね・・・。

この旅行記の利用の仕方:  ホームページ掲載用に制作された旅行記もイタリア、エジプトに続く3番目となりました。画面左フレームにメニュー、右フレームに本文などの形式は全く変りません。また、トップページは表紙の写真、次に当ページ、その次に目次相当の行程表。この行程表はエジプト旅行記からリンク付きになりました。主要な観光先には行程表からクリックでジャンプできます。左フレームのメニュー以外に、右フレームにはナビゲーション用ボタンが設置されています。何かと目的に合わせて利用し易い形式を模索していますが、所詮は文章形式の旅行記です。限界があります。エッセーを読むつもりで気軽に旅行記内を移動されてください。

トルコ旅行の写真集(146枚):  トルコ旅行記はエジプト旅行記と同様に写真集を作成し公開しました。しかし、トルコ写真集のみで2MB以上になります。他サイト isweb_basic のサーバーにトルコ写真集を置くことにしました(2007年12月)。 この写真集へのアクセスは:

(1) 旅行記本文に設置された テーマ別写真ページ をクリックすると、本文の内容に対応する写真ページが JavaScript でデスプレー左側に表示されます。旅行記本文に戻るには、ブラウザ右上 [ X ] をクリックします。表示の写真ページにナビゲータはないので、必ず1度は本文に戻ってください。カウンターは設置されていません。
(2) 旅行記・左フレームのメニューから「PHOTO GALLERY」をクリックして写真集のトップページを表示できます。。こちらの写真集は「ページめくり」が付いています。写真集からトルコ旅行記には、ブラウザ右上の [X] をクリックで戻ります。

日誌・時刻誌風のトルコ旅行記と旅行写真をお楽しみください。どうぞ、ごゆっくり。
蛇足ながら、当サイトに一旦接続されますと、サイト内は自由にサーフィンされてもカウンターは動作しない構造です。お気軽にどのセクションでもどのページでも移動されてください。

旅行中、トルコは「断食の月(ラマダン)」でした。
アラビア語:サウム(oawm)
ペルシア語:ラマダーン(Ramaf´n)
トルコ語:ラマザーン(Ramazan))
トルコはスンニ派イスラム教です。モスリムの「断食」は日の出から日没まで、夜間に食事をします。「太陽光の下では断食/日中断食」がより正確な表現と思われます。
イスラム教国は太陰暦で「断食(ラマダン)の月」は年毎に異なるのです。
我々のツアーに関してラマダンの影響は多少あった程度で、不便は何も感じられなかった。
「断食(ラマダン)」はイスラム教徒の奉仕・儀礼の一つで五柱の第4にあげられる信者の義務である。イスラム教徒は「断食」の1ヵ月間、日の出から日没までいっさいの飲食を禁ぜられ、つばを飲み込むこと、喫煙、性交、も許されない。ただし子ども、病人、身体虚弱者、妊婦、授乳中の婦人、旅人、戦場にある兵士などは除外される。しかし最初の3者以外は原則として後日に埋合せをしなければならない。義務としてラマダン月の断食のほかに自発的断食が推奨される期間もある。イスラム教徒の用いるヒジュラ暦は太陰暦でラマダン月が夏季になることもある。例えばヒジュラ暦1400年には西暦1980年7月14日から8月12日までだった。日中は水一滴も飲めない30日間の断食は非常に辛いものだが、イスラム教徒に課せられた義務であり、共に苦しみに耐える信者の連帯意識の高揚に役立つとされる。ラマダン月27日の夜はライラ・アルカドル(力の夜)と呼ばれ、ムハンマドにコーランの下った日とされる。
[参考文献/要点のみ]
日立デジタル平凡社、「世界大百科事典(DVD版)」、1998年
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