トルコ:バス周遊の旅 (2日目/2002年11月22日[金])
トロイ遺跡とベルガマ(アクロポリスなど)
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ラマダンの目覚まし太鼓:
03:30 目覚めてしまった。暫しベットで静かにしていたら、「ドンッ、ドンッ、ドーン」「ドンッ、ドンッ、ドーン」・・・「ドンッ、ドンッ、ドーン」と3回づつ連打する太鼓の音が聞こえ始めました。だんだんと近づき、大きな音になり、そして遠ざかり聞こえなくなった。ラマダンで日中絶食をしている人達を起こす為の「目覚まし太鼓」なのだそうです。 モスリムはこの音で急ぎ起床し、太陽が出るまでに早い朝食を十分にとるのです。もし目覚めなかったら、夜になるまで飢えと乾きで惨めな思いをするしかないのです。何と親切な習慣!もちろん、ラマダン期間中のみの太鼓です。
ツアー参加者でもこの太鼓の音を聞いた人は完全な小数派のようでした。3時〜4時の時間帯はさすが眠っている人が多いのです。私は体調故に偶然に目覚めていました。イスラム教国の珍しい習慣を直接耳にしてチョット得をした気分でした。

06:00 ホテルのモーニングコール。
06:30 スーツケースを廊下に出す。
06:30 朝食。パンとゆで卵で済ませました。

バスはホテル正面玄関に横付けになっていました。すでに数名の物売りが来ています。小型の壁掛けにするような絨毯などを売りつけようとするのです。生活を賭け必死でしょうが、早朝の物売りは正直言って「ウルサイ!」といったところ。誰も相手にしないのですが、バスが動くまでかんばっていましたネ。

07:20 バス出発。1泊のみのチャナッカレとなりましたが、大昔からエーゲ海の玄関口だった由緒ある町なのです。第1次世界大戦ではトルコと連合国(イギリス、フランス、オーストラリア、ニュージーランド)で争われた壮烈な「ガリボリの戦い」がありました。数十万人の戦死者を出したといわれます。第1次大戦後は各国の慰霊碑がある町となったそうです。他に軍事博物館もありますが、チャナッカレ観光はしないで町を出ました。
トロイの遺跡:
08:00 トロイの遺跡に到着。小高く平らですが、松がとても多い場所でした。有名な観光用トロイの木馬の近くで、ツアコンのFさんは入場券をまとめ買いして配布しました。その後は現地ガイドのNさんの案内で遺跡を一巡するのです。ギリシヤ詩人ホメロスが「イーリアス」で描いたトロイ物語、ドイツ人貿易商シュリーマンによるトロイ遺跡プリアモスの財宝の発見、あるいはトロイ遺跡そのものの解説についてはガイドブックなど適当な参考書を御覧になって下さい。後述の「トロイとローマ帝国の関係(伝説)」で物語の短い紹介はあります。 ここは1998年12月に「 トロイ遺跡 / Archaeological Site of Troy 」として世界文化遺産に登録されています。 日本では「トロイ」、「トロヤ」、「トロイア」という表記がありますが、この旅行記では短い「トロイ」に統一しました。

我々は何処からともなく現れた数匹のノラ猫達と一緒に定番コースを見学して回りました。
最初に正面に現れたのは「東の塔」といわれる遺跡でした。ここで右に曲がって下り、古い石垣の間を「東の門」という場所まで歩きます。石垣の組み方や規模は素朴そのもので、日本の小規模な古城を彷彿とさせるものでした。古代トロイ人は敵をこの石垣の間におびき寄せ、「東の門」で足止めさせて殺したそうです。石垣とその間の道の巾から当時の戦いぶりが想像されました。

次に小高い丘の頂上に立ちました。多分アテナ神殿の近くと思います。神殿は彫刻のかけらしか残っていませんが、辺りの風景がよく見えました。トロイ遺跡の片面を囲む今では畑となっている平野は、かつては海だったそうです。紀元前3000年から紀元後400年頃まで幾度も幾度も作り変えられたトロイはエーゲ海に面した地の利を得た場所だったのです。

その後、左側に石垣と雑草のある小高い土手、片や堀のような場所に出ました。斜面の所々に白い標識があります。ここは異なる時代が明確に重なり合ったところで、標識は時代区分(市という)を示しているのです。知らなければ、無価値の古い石垣と堀でしょう。知っていても、取り立てて面白いものでもありません。トロイの一番古い場所は通りすぎたようでした。

眼下に比較的よく形が残っている遺跡がありました。聖域と言われる場所です。何かと思ったら、屠殺場の跡だそうです。トロイの時代には羊や牛の屠殺は神聖な行事でした。その後、入り口方向に歩くと小規模ながら完全に近い円形劇場が左手に現れました。音楽堂だったそうです。近づくことは出来ませんが、通路の土手からツアコンのFさんがツーショットを撮ってくれました。トロイの遺跡では記念撮影に良い場所の1つと思います。

遺跡見学に関しては、これ以上を書くことはとても出来ません。PHOTO GALLERYの写真を御覧になったほうが宜しいかと思います。 トロイの遺跡
最後に、トロイとローマ帝国の繋がりを示す伝説を簡単に御紹介しておきます。
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トロイとローマ帝国の関係(伝説):
ホメロスの叙事詩にある伝説的なトロイ戦争は、トロイに奪われたスバルタの王妃ヘレネを奪回するために始まりました。ギリシャのトロイ攻略にはある種の3条件を満足する必要があった。それらはオデュッセウスの活躍でなんとか片付きました。その後アテナの入れ知恵により巨大な木馬が作られ、ギリシアの精鋭数十名がその中に隠れたのです。 トロイ人たちは神官ラオコンの猛反対を押し切り、木馬を城内に引き入れてしまった。 ギリシャ兵は火を放ち、さしも難攻不落のトロイ城もこれで陥落となったのです。
ヘレネは元の夫メネラオスの手に戻され、トロイの老プリアモス王など男たちは殺されました。王妃ヘカベなど女たちは捕えられ、ギリシアの英雄らの所有物になりはてました。
ところが、アイネイアスだけはトロイからの脱出に成功し、新天地に新たなトロイを築くこととなったのです。後日のローマ人はこの伝承を受け継ぎました。新トロイとはローマのことと解し、アイネイアスをローマ初代の王ロムルスの祖先と位置づけた、のだそうです。ロムルスは「狼の乳で育てられた」という伝説であまりにも有名です。この伝承によれば、ローマ帝国は古代アジア国家の血筋を引いていたこともなるのです。
注:さらに詳しい物語は左メニューのトルコ豆情報「アナトリアの伝説の数々」にあります。
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その後は観光用「トロイの木馬」の中に登ってみたり、写真撮影で時間を潰したり・・・。取り立てて圧倒される遺跡ではありませんが、青銅器時代のものでもあり、世界史的にも有名な遺跡です。一見の価値は十分にあると思われます。
トロイからベルガマに移動:
09:00 トロイア遺跡出発。これからベルガマのアクロポリス遺跡に向うのですが、ここから約200Kmもあります。数時間はバスから風景を楽しむことになりました。

途中の小さな町を通過したときのこと、小学生らしき女の子5〜6人が歩道を歩いていました。観光バスに気付き、そして乗っているのが日本人と分ったらしいのです。全員がバスに向って手を振りながら走り出し、信号停車中もニコニコと笑顔でこちらを見ています。バスが動き出すとまたまた手を振って追いかけ始めました。我々ももちろん手を振ってあげました。オンラインのトルコ旅行記では「トルコ人は親日的」という記述が多いのですが、本当のことかも知れないと思わせた1件でした。

12:20 途中で20分の休息がありましたが、やっと綺麗なベルガマの街に入り、広いメーストリートを暫く行ったら停車しました。左手の坂に昼食のレストランがあった。やっと昼食になります。

テーブルと椅子が150人分もありそうな明るい半オープンのレストランに案内された。さっそく飲み物の注文取りでした。 次は自分で料理の受け取りです。店の人が皿に取ってくれるのですが、カフェテリア形式で希望の料理は自分でチョイスしオーダーするシステムでした。とは言え、言葉は不要で料理を指差すだけです。よく煮た食品が多かったと思います。体調の事もあり、簡単な消化に良いものだけで済ませました。

現地ガイドのNさんからトルコの珍しいものを御馳走になりました。トルコ・コーヒーの粉をレモン1個分の果汁でといたものです。整腸のためのトルコ風民間療法らしいのです。「良薬口に苦し」と言いますが、「良薬」の部分は不明なれど「口に苦し」はマァ当を得ていました。でも、一時的に気分はスツとしましたネ。それはさておいて、今後、Nさんは私の体調に関してかなり気遣ってくれました。
アクロポリス:
13:05 出発。いよいよヘレニズム文化の中心地、ペルガモン王国の遺跡の見学です。ローマ帝国に吸収されるまで紀元前2〜1世紀に150年間も栄えたペルガモン王国は山頂に造営されていました。バスは街を出て坂を登り始めました。途中にトルコ陸軍の演習場があり、戦車がズラリと置かれています。ここで射撃訓練が行われるそうで、写真は厳禁といわれました。

バスはさらに坂を登って行きます。ベルガモ市街の橙色の屋根がよく見えるようになりました。その遥か向こうの山岳地帯に道のようなものが見えます。これは古代ペルガモン王国が高所にあるアクロポリスに水を引くための水道橋の跡のようでした。そもそも水のない山頂(標高335m)にアクロポリスを建設した理由も不思議です。その上さらに高い遠方の山から長い精密な水道を建設してアクロポリスまで水を押し上げた。遺跡には水道の出口に当る井戸が完全に近い形で残っています。何故、こんな面倒なことを・・・。どうしてでしょう?

13:25 土産屋が数件ある駐車場に着きました。アクロポリスに到着です。アクロポリスは下市、中市、上市から成立していたのですが、観光的な見所は上市に集中しています。かつては、ゼウスの祭壇、アテナ神殿、図書館、トラヤヌス神殿などがあった場所にはその一部の遺跡が残っているだけでした。それでも優雅な石柱などから往時を偲ぶことはできるのです。私は、トラヤヌス神殿から眺めた大劇場が印象に残りました。これはほぼ完全な原型を留めています。急峻な斜面に作られた縦長の劇場なのですが、10,000人を収容できるのです。その向こうの広い谷間にはベルガモ市街が広がり、手前の狭い谷には住宅らしきオレンジ色の屋根が散らばっています。見たこともないきれいな風景でした。

トルコの遺跡には図書館跡も多いようです。ペルガモン王国も整備に力を入れ、ここの図書館は蔵書が20万冊にもなったそうです。当時、世界一だったエジプト・アレキサンドリア図書館の地位を脅かし、それが故にエジプトはペルガモン王国に対するパピルス(紙)の輸出を禁じてしまった。困ったペルガモン王国は「羊皮紙」を発明しパピルスの代替えとしたのです。古代から「必要は発明の母」でした。

神殿の遺跡で自由時間を楽しみ、次に円形劇場に入りました。遺跡の間の斜面を下り、小さな石造りのトンネルを潜り抜けると劇場の上部に出ます。ここで考古学博物館専属の写真家に出会いました。写真家とは言ってもアクロポリスを慈しみ守る人間のお1人でしょう。我々は劇場の中腹まで下り、ヘレニズム時代の人達と同じように石造りの席に腰掛けました。良い眺めで気分も最高でしたネ。チョット後を振り返ったら、添乗員さんが膝にツートンカラーの猫を乗せて撫でています。2匹ほど最初から一緒に回っているのには気付いていましたが・・・。全く人見知りしないトルコのノラ猫たちでした。来た道を登って戻ることなく、劇場左手から駐車場への小径がありました。 アクロポリス

駐車場の回りに土産屋が幾つもあった。出発まで幾つか覗いたのですが、偽物(石膏)と思いつつトルコ特産・海泡石のふくろうを買ってみました。金額など気にならない程度なのです。後日、本物の海泡石製フクロウを購入したので比較してみました。違いは明白、とも言えませんデシタ・・・。

14:00 アクロポリス出発。やはりペルガモン王国の施設の1つだったアスクレピヨンに向った。バスは山道をクネクネと走った。
アスクレピヨン:
14:25 到着。遺跡名アスクレピヨンは実在したギリシアの医神アスクレピオスの名に由来しています。ギリシア神話では、「アポロンが妊娠させたコロニスが妊娠中に不貞を働き、怒ったアポロンに殺された。その胎内から取り出されたアスクレピオスは賢者ケイロンに医術を学んで名医となった。その医術は死者を蘇生させるまでになったので、自然の理法が覆ることを恐れたゼウスに殺され、へびつかい座の星となった。」

これから見学するアスクレピヨンはベルガモン王国の聖域であると共に多くの医者が働いていた総合病院でもありました。悲しいかな「治るものは治るが、治らぬものは治らない」のが病気というものです。この原則は今も昔も変りません。しかし、このヘレニズム時代の病院は正直にこの原則を病院の運営で実践したそうです。「治らない重病人の入院はお断わり」だったのです。どのようにして治る治らぬを判断したか?これにも率直な方法を取り入れました。長い入り口の道を患者に走らせた。初めから終りまで走る体力があれば入院OKという説明でした。私はヘレニズム時代の生まれではないことを感謝しました。

アスクレピオンの駐車場に着いたときは未だ曇り空でした。まずイオニア式の折れた石柱が両側に並ぶ「聖なる道」を通って奥に行く。昔の患者はこの道を走らされたのです。先に訪れたアクロポリス(上市)がなだらかな山の上に見えるはずなのですが、よく観なかったし写真も撮らなかったのが残念です。「聖なる道」の終りには医学の象徴「蛇」を彫った石柱がありました。これは有名なもののようでした。この右手の奥には小型の円形劇場があり音楽や演劇に加えて会議にも使用されたそうです。音楽・演劇すら治療の一つだったという説もあるとか・・・。その向かいに診療所に行く約80mの地下道がある。この道がまた曲者なのです。患者が治療所に向かって中を通ると「汝の病は癒される」と神の声が聞こえる仕掛けになっている。実は天井の所々に穴があり、医者とか診療所スタッフがその穴から患者に言っていたのです。暗示で「治る」と思わせる・・・。同様なことが患者の睡眠中にも行われたそうです。食事療法とか温泉・薬草・泥浴・マッサージなど各種の古代療法の中で、この種の心理療法が主だったともいわれます。科学的知識が無かった時代のこと、暗示の効果は現代より顕著だったかも知れません。

一番奥の診療所の天井は大きな穴が出来ていて、何時崩れても不思議はない状態でした。この頃に雨が酷くなり、診療所内はその穴から土砂降りになりました。見学もそこそこにバスに戻ることになりました。傘は携帯していましたが、かなり濡れてしまった。風邪を引かなければ良いが・・・、といったところです。古代の遺跡は石造りの道が多く足元は大丈夫なのが取柄でした。大急ぎで戻りましたが、駐車場ではもう雨は止んだような小降りに変っていました。現地ガイドが言うからに、「トルコの秋は、曇り空になったら何時雨になっても不思議はありません。とかく急変し易いのです。(男性社会のイスラム教国トルコでも、女心と秋の空、この点は日本と似ているようです。)」 アスクレピヨン

注: ペルガモン遺跡の出土品はドイツ・ベルリンのペルガモン博物館の展示も世界的に知られています。( 2004年8月追記 )
トルコ石の店:
15:00 今日の遺跡観光の予定はこれで終りです。濡れたままバスに乗り出発しました。これからトルコ石(Turquoise/12月の誕生石)の専門店に行くのですが、バスで簡単な説明がありました。「トルコ」が原産地のような名前が付いているが現在は米国アリゾナ産、アフガニスタン産、イラン産が主とのことでした。街でトルコ石として売られている緑石には人工のニセ石もあり要注意とのこと、これは宝石全般に言えることでしょう。緑青色の単色ではなく金の混じったものがあり、これは間違いなく本物のようです。この店は値引きが可能なので交渉する必要があります。ただし、半値などではなく、15〜20%が限界のようでした。必要な事前情報は一応与えられたのです。

15:15 トルコ石の店に着きました。道路とは反対側、建物の裏に正面玄関があり、バスが居るか表通りからは分らないようになっています。普通の土産店とは感じが違う新しい平屋の建物でした。建物の割りには小さく感じた玄関から入ると中は暖かく広々とした宝飾店でした。それこそ、ありとあらゆるトルコ石の宝飾品が揃っているのでしょう。ひと通り拝見してから、温風の出口に立ち濡れていた衣類を乾かしました。 気付いた店の人が温風のよく当る場所に移動させ、アップルティーのサービスもしてくれました。もっとも、小型のグラスに入った熱いアップルティーはお盆に乗せて回ってきます。お客全員にサービスで飲み放題でした。

その間、皆さんは買い物でした。人が悪いですが、買い物の様子をじっくり観察するのも面白いものです。ワイフは他の女性の相談に乗ってアドバイスしたり、男性の土産品の購入を冷やかし面白がったり、それなりに楽しんでいたようです。全体としては、結構な売上でした。後日、緑青色に自然の金が混じったトルコ石のタイピンでも買えばよかったと後悔しましたが、後の祭り・・・。
16:00 出発。雨で濡れたシャツやズボンも乾きかかったころ、出発となりました。バスの中は幸せそうな笑顔の女性も多かったようでした。

バスはトルコ第三の都市イズミールに向って走りました。エーゲ海に面した海岸の道を行くのですが、沿道には住宅と別荘が多いようでした。そして、多くのお宅の屋根には丸いドラム缶状の水槽と温水器が取り付けられています。明るい太陽光線を最大限に利用するのでしょう。

イズミールは古くからエーゲ海を代表する港町でしたが、第1次世界大戦の戦場となり、ほぼ壊滅状態になったそうです。その為に現在の街並みは比較的新しく欧州風の雰囲気に溢れているとも言われます。我々は市街からは離れた温泉のホテルに投宿でした。
プリンセス・サーマル・ホテル /Princess Thermal Hotel :
18:30頃ホテル着。大ロビーは吹きぬけで左手前と右奥にはカプセル状のエレーベータが目立ちました。五つ星の高級ホテルと言っていましたが、それらしき雰囲気でした。300室程度の大きいホテルです。部屋の割り当てとスーツケースの搬入を待っている間、現地ガイドにお願いして再度トルコの民間整腸剤「レモン汁トルココーヒー」をレストランに作ってもらいました。ロビー左側にある喫茶部のウェイター(?)が直ぐ持ってきてくれましたが、食事時とは違い有料です。面倒になり、「エィ、持っていけ。」 極端に大きな金額の札(10,000,000"円"札?)を渡しました。釣りをくれ、それから好きな額のチップを勝手に持っていきました。どういう訳か、いつもと違い全く気になりませんでした。

部屋に入れるまでにかなり時間がかかりました。と言って、アチコチにある土産屋など店舗を見る元気もなく、椅子で休みました。しかし日本の熟年女性の元気なのには驚きです。この場でもウィンドウショッピングの余力があるのですから・・・。一旦は部屋に落ち着き、その後、地下の大レストランでビュッフェ形式の夕食です。

19:40 夕食。大きいレストランでした。料理の種類も多くて良いのですが、どういう訳かパンは入り口近くの隅でした。取り難く、混んでいて難儀しました。丸いパンを床に転がしてしまい、慌てたり・・・。皆さん、ビールやワインで寛いでいます。たまにはワインでもと思うのですが、パンとハムと安全そうなサラダのみの夕食でした。
今日の夕食は何時もとは服装が少し違い、購入したトルコ石のアクセサリーをさっそく身に付けてきた女性も多かったようでした。
21:30 部屋に戻る。デジカメの充電をしたり、お茶を飲んだり。

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