トルコ:バス周遊の旅 (5日目/2002年11月25日)
カッパドキア(奇岩景勝・地下都市・絨毯店)
表紙 | ツアー | トルコ情報 | 始めに | 1日目 | 2日目 | 3日目 | 4日目 | 5日目 | 6日目 | 終りに
前頁に戻る 行程表(目次) 次頁に進む
◇◆◇
ホテル出発まで:
06:00 誰か部屋のドアーをノックした。ワイフが出たら添乗員のFさんだった。内線が通じないので、Wakeup Call の代わりにわざわざノックしに来たのだった。「ヨカッタ〜ッ!パジャマなので御主人だったらどうしようと思ってた。」 私が出るべきだったようですネ。

06:30 ホテルのモーニングコール。
07:00 スーツケースを廊下に出す。
07:05 朝食。朝からレストランの片隅で丸いトルコ・パンの素を作る実演もしていました。
07:45 出発。

カッパドキア:
今日はカッパドキアの遺跡と景勝を眺めて過ごす予定です。キノコ形などの奇岩が林立するギョレメ渓谷を中心にアチコチ移動しながらの見学です。この地は1985年12月に「ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群 / Goreme National Park and the Rock Sites of Cappadocia 」として世界遺産に登録され、複合遺産 (文化、自然の両者の価値を兼ね備えた遺産)に分類されました。ついでながら、厳密にはカッパドキアという地名は存在せず、歴史的にこの地方をこの名で呼んでいるだけとも伺いました。

ここの風景は写真を見て頂くのが簡便ですが、奇岩を含む奇妙な風景が出来た理由と人間との係わりを簡単に説明します。

300万年前にエルジイェス山(3916m)とハッサン山(3268m)の巨大な噴火があり、カッパドキアの高原は石灰華とか溶岩を含んだ軟らかい石、灰、泥で覆われました。そして今日の柔らかい凝灰岩(主に2mm以下の各種火山岩が凝縮して出来た岩)の山麓と侵食された渓谷の地形となったのです。その凝灰岩の山麓は柔らかい層と硬い層が重なり混りあっていた上に、場所により凝灰岩の色が異なっていたり黒っぽい玄武岩だったりするのです。雨と風による侵食の速度も各層で違っていました。これが色とりどりの円錐形やキノコ型の奇妙な形状の岩を産み、幻想的で現実離れした風景を創り出したのです。

このアナトリア中央南部では紀元前4000年もの昔から人間が柔らかい凝灰岩をくり貫いた住居で生活をしたそうです。しかも、周辺の自然を損なうことなく人間の手が入った世界でも珍しい地域ともいわれます。ローマ時代、ビザンチン(東ローマ帝国)時代、セルジュークトルコ時代と変遷するにつれ、単純な岩穴住居は地下の細い回廊で繋がり幾層にもなって多くの人口を抱える大規模な地下都市に変化した場所も多くありました。カイマクル、マズ、デリンクユ、オズコナック の地下都市は、ビザンチン帝国の偶像破壊運動の迫害を逃れた7世紀のキリスト教徒が安全な隠れ家として逃げ込んだのです。地下都市には教会、穀物の貯蔵庫、作業所、家畜小屋、寝室、台所、通気口などが完備されていました。今日では、明かりも灯され、カッパドキアではツアーに欠かせない見学先になっています。

キリスト教徒が古くから隠れ住んだのですから、教会や修道院の跡も数多く残っています。 修道院は6世紀から13世紀に作られ、特に10世紀に多く設立されたようです。特定の地域に群をなし各種の異なる修道院が隣接し合っていたそうです。修道院はアッサライ近くのペリストラマ渓谷とかウルギュップの町を中心としたギョレメ等々にありました。
教会堂のほうが遺跡としてもっと重要なのだそうです。その数は300以上もあり、その内150程度は壁画が描かれています。キリスト教に基づく壁画は、コンスタンティノープルやバルカン半島のビザンチン美術の作例の隙間を埋め、また独自の絵画様式を有し、西欧中世美術にも影響を与えたともいわれます。 特にギョレメ地区のトカール・キリッセ、カランルック・キリッセは有名とされています。

カッパドキアの洞窟教会とか地下都市の存在が世に知られたのは比較的新しいことでした。1907年から始まり40年間も継続した調査と研究により明らかになったといわれます。洞窟での生活は1950年以降は特別な許可が無い限り禁止されているそうです。
前置きが長くなりましたが、ツアーに戻ります。

展望 1: 07:55 渓谷の展望台に到着。左手に現在の街並みを遠望しながら、目前の渓谷の景勝を楽しんだ。この辺りの岩にも所々に窓が開けられていて昔は洞窟生活が営まれていたようでした。しかし、その数は少なく疎らでした。いわば 洞窟集落の田舎といった感じでしょうか。所々に黄葉した木々があり晩秋の雰囲気がよく出ています。[写真上段二枚]
展望 2: 08:08 再び展望台で下車し、次の有名なウチヒサールを裏側から眺めました。頂上部には今にも崩れそうな異様な突起があるのです。巨岩の上まで窓穴が無数に開けられているのですが、鳩の巣が主で、この地域一帯では鳩の糞から肥料を作っているそうです。この地の土壌は肥沃とは言い難く、ここで作られる肥料も農業には貢献しているようでした。ここは観光定番の展望台で、ラクダ引きもいましたね。 カッパドキアの展望
展望 3: 08:15 ピジョンバレー(鳩の谷)方向からウチヒサールの砦と街を遠望。これは有名な風景です。ウチヒサールはトルコ語で「尖った砦」を意味し、街の背後にある蜂の巣のように穴だらけの岩山のことです。先刻に見た裏側とは全く様相が違い大きく見えますね。その岩山の頂上は赤いトルコの国旗がはためいている。この岩山は頂上まで登ることができ、ギョレメの街と奇岩の谷を眺めるには最適といいます。また、頂上からの夕暮れもこの世のものとも思えないとか・・・。
蛇足ながら、もしこれが日本なら?観光バスの駐車場ができ、土産屋の並ぶ門前町を通り抜け、砦下部のトンネルに入り、観光用エレペータで頂上に上る。超満員の展望設備で記念写真を撮り、階段を下りてバスに戻る・・・。しめて、1時間余。私は、ウチヒサールは今のままが好きですね。登るのは熱心な個人旅行者だけ、それが良いのでしょう。 カッパドキアの展望
08:25 出発。 私には以上の展望台の場所名を明示出来ません。番号は勝手に付けたものです。写真に記録された時刻から間違いない順番であることは確かなのですが・・・。

カイマクル地下都市:
08:50 カイマクル地下都市に到着しました。ここは有名な観光ポイントであるだけに門前町が出来ています。バスを下車して直ぐ入場しました。

カイマクルは地下8層まであり、最盛期には15000人が住んでいたそうです。食料貯蔵庫、作業所、食堂、集会所、教会、居室などが迷路のような細い通路で結ばれています。我々は浅い部分のみ見学でしたが、万一敵が侵入したら通路を遮断できる装置とか小麦粉を作る石臼のある作業場など各種の設備を見ました。往時の地下都市生活の一旦を想像するに十分でした。外気を取り込む通気孔もあり、中では妙な臭いなどによる不快感はありません。入った場所に戻り、外にでました。 08:15 カイマクル地下都市・退出。 カイマクル地下都市

しばらくは門前町の土産屋で時間潰しです。気軽に買える値段で風変わりなものも結構売っています。何も買わずとも、見ているだけで楽しめる雰囲気でした。 09:40 出発。

バスは離れた場所の絨毯屋に向いました。一般的にはアナトリア高原は冬の厳しい寒さと夏の乾燥のため農耕に適していません。それで牧畜が主な生業となっているそうです。ただし葡萄の栽培は行われ、ユルギュップはワインの名産地として毎年10月に国際ワインフェスティバルを開催する土地柄でもあります。途中の斜面に小さい煙突状の突起が規則正しく出ている場所が幾つかありました。現地ガイドNさんの説明では、その下の地下部分はワイン貯蔵庫になっているそうです。温度と湿度が一定している地下貯蔵所を手軽に作れる長所を生かした、良質のワインを製造するための熟成工程でした。

カッパドキアの絨毯屋:
10:10 絨毯店到着。トルコは良質な絨毯で知られています。カッパドキア産の「ヘレキ」なる種類の絨毯は世界最高級として知られているとか・・・。説明によると、そのヘレキ絨毯は1平方センチ当り10x10の結び目(ノット)があるそうです。一般の絨毯は7x7ノットが普通で、カッパドキア産は8x8ノットなので高品質といいます(宣伝の受け売りですが本当らしい。) 歴史的にもコンヤのモスクでは13世紀頃の絨毯が保存され、14世紀以降の欧州各地ではアナトリア(トルコ)の風景を織り込んだ絨毯が使用されたといいます。トルコが絨毯の中心的生産地だった証拠が現存しているのです(もちろん絨毯は世界各地の遊牧民族の手で作られたし、ペルシャ絨毯が有名ですが・・・。)

ウール絨毯、ウール・棉の混紡絨毯、棉絨毯のほかにシルク絨毯も多く製造され、原料のシルクはブルサという地方で産出するそうです。ただ、当地で販売される絨毯も実際は東に約2時間走った絨毯の町カイセリで製造されたものが多いといいます。 ですが、事実上、カッパドキア地方にも多くの絨毯屋があり、各村に絨毯製造会社と絨毯学校があるそうです。学校と言いますが、絨毯会社が併設した絨毯織りの訓練部門で、村の若い女性に伝統的な絨毯の織り方を教えるのでしょう。職業訓練所の一種ですね。会社に出勤して織る場合もあるでしょうが、自宅で絨毯織りを一生続けるのが伝統で主流とのことでした。

訪ねたユクセル・ハレセレク絨毯製造 (Yuksel Halecelek Carpet Manufacturing) はオタヒサール(Ortahisar)近くにありました。周辺をカッパドキア独特の景観に囲まれた小高い場所でした。すぐ観光用(?)の工房に案内され、絨毯製造の一連の作業の説明を受ける。固定された白い縦糸に染色された横糸で模様を織り込む作業はどこでも見せるようです。ここでも老若の女性が壁沿いに座りその作業をしているのですが、独特の鋏を使って織り込んだ横糸を同じ厚さにカットして見せたり、一連の工程がよく分るようにしていましたね。
それ以外にも、シルク絨毯の製造販売をしているので、まゆ玉を大釜の湯につけての絹糸製造作業まで見せてくれます。観光用の工房としては充実しているのでしょう。

次はもちろん絨毯の展示即売です。まず大部屋の床に何種類もの絨毯を広げ、座ったときの感触や手触りを体感させる。それから客は壁沿いのベンチに座って次々に広げられる大小の絨毯を見て、気に入ったものがあったら商談に入るのです。素晴らしい文様と色彩の絨毯は単なる工芸品を越えて芸術品の感じすらします。その上に立った時の感触は、日本でポピュラーな家庭用ウールカーペットとは全く違うのです。やはり素晴らしいものが多いと思われました。購入希望者も結構いて、商談がアチコチで始まりました。

カッパドキア独自の文様で無染色糸のみで織った大型のものに隣の熟年女性が興味を示した。会社の人は最初の価格(ウン十万円)から少しづづ値下げした。買手は半値で手を打った。カード支払いで自宅へ発送でした。商談がまとまると、店の人は大声でその旨全員に伝えるのです。全員で歓声と拍手となる。一種のショー気分です。
実は私もこの文様、カッパドキア独自のアラベスク風文様、と素朴な色合いが気に入っていた。ホール用の小型で細長いものに目を付けていたが、未だ意思表示は何もしていない。隣の商談を担当した人に、その細長いホール用を見せるように依頼する。日本円で○万円だった。値下げ要求すると1〜2割り程度しか下げてくれない。仕方なく奥の手で、「隣は全く同じ文様のサイズ違いなのに半値にしたでしょう?これも半値なら買う。」奥に飛んで行きました。戻ってきたときは笑いながら、「キャッシュ、持ち帰りなら。」当然でしょうね。店の人は商談成立の大声を出した。おおげさな歓声と拍手があり、持ち帰りの小物を買った私としては少々恥ずかしかった。2mの長さなのに折りたたんだら驚く程に小さくなりました。専用のキャリーバックに入れてくれ、おまけにカッパドキアの白ワインも持たせてくれました。支払いは日本円でした。帰国後に玄関で使用していますが、落ち着いた感じでとても気に入っています。
出発前に御主人から「絨毯だけは買うな」と言われて来た女性も、我慢できずに大きいものを買ってしまった。 笑ってみていたら、「敷く場所がなくて、物置に仕舞っとくしかないのヨ。 私、主婦失業だ。」 いえいえ、優雅なことです。 カッパドキアの絨毯屋
11:35 出発。

洞窟レストラン:
11:45 カイマクルの地下レストランに到着。カッパドキアには地下の洞窟を利用したレストランが幾つもある。今日の昼食はその1つで、BORA Underground Resttaurant という店だった。凝灰岩を掘って広いスペースを作り、テーブルを並べている。窓が全く無い地下で凝灰岩の壁と天井である事を除けば、小奇麗な普通のレストランという感じだった。料理はビュッフェではなく、内陸部のことで鱒一匹を焼いたものでした。醤油ではなくレモンの絞り汁をかけて食べます。久々に魚の丸焼きのワンプレート・ランチは無難で楽しめました。
このレストランには小規模なワインの売店がありました。カッパドキア産の白ワインを2本購入しておきました。値段は特に高くはないし(US$10.00前後)、帰国後に賞味したら癖も少なくて飲みやすいワインでした。ワイン造りは世界中に広がっている昨今ですが、当地のワインは日本の愛好家にも知られたもののようです。 洞窟レストラン
12:45 出発。
奇岩鑑賞・教会跡見学:
アンカラに向う前にもう数時間カッパドキアに滞在です。

13:05 ユルギュプの近くの丘には3本のキノコ岩がありました。シメジにそっくりです。侵食と風化で出来た典型的な当地の奇岩で、下部の明るい色の岩は凝灰岩、上部の傘の部分は黒っぽい岩(恐らく玄武岩の一種)です。寄り添った3本のキコノが見事なので、観光バスが必ず停車する名所になっています。
13:30 らくだ岩。自然の造形が動物の姿に似る場合があります。ここのは駱駝にそっくりでした。日本でも海岸などの奇岩に名前をつけますが、それと同じです。 奇岩鑑賞・教会跡

13:40 パシャバーの岩窟の教会。実は場所名を忘れ、オンライン旅行記を漁って同じ場所の写真を掲載したサイトを見つけました。ところが、場所名が書かれていなかった。他の旅行記の幾つかが同じと思える風景の写真を載せて「パシャバー」と説明しています。一応パシャバーとして記述しますが、間違えていたらスミマセン。

ユクセル・ハレセレク絨毯がくれた古風なマップの説明では、「妖精の煙突(キノコ岩)」はゼルブ近くのパシャバー(Pasabag)で一番良く観察できる。ふどう畑とひまわり畑に囲まれたこの地域の「妖精の煙突」は、上部が3〜4に分かれたものもあり、みごとな形を作り出している。大昔にはキリスト教僧侶のひっそりした庵として使用された、という。

沿道に土産屋がズラリと並ぶところにバスは停車、道から少し歩き狭い浸食谷に入りました。その谷は例の奇妙な帽子をかぶった岩が林立して出来たものでした。その奥に小さな教会があった。「妖精の煙突」の途中がくり貫かれ小さな部屋が作られている。梯子を登り中に入ると正面に祭壇らしきものがあり上部の壁に祈りの対象となる宗教画が描かれています。多分、キリストの像でしょうがはっきりしません。恐らくは1000年以上も自然の中に放置されたのでしょう。それを思うと、良い状態の絵とも言えるのです。この教会堂は、迫害を避ける生活を強いられたキリスト教徒がひっそりと祈りをささげた場所、その感じが本当によく残っていました。 地名不詳、きのこ岩がみごと

土産屋をゆっくりと見て回りました。布製品の店の他に、骨董・中古品の店屋が多く、かなりの種類の金属製品が売られています。自分で磨いて飾る趣味があれば、持ち帰る価値もありそうな珍しい形状のものが随分とあります。引っ込んだ店には独特な彫刻類もありましたね。日本には持ち込み禁止と思われるものでした。 14:10 出発。

14:20 陶芸の店。あまり印象に残りませんでした。店の御主人がロクロを回して見せたり、風変わりなアラビア(トルコ)文様の飾り皿など珍しいものも多数が並べられていたのですが・・・。買い物は誰もしません。日本は陶磁器の盛んな国だから・・・。
15:00 出発。
アンカラに向かう:
トルコの観光地では日本人に特に人気があるカッパドキア、その観光を終えました。ウチヒサールの頂上からカッパドキアの全景を見たかったし、修道院跡など良く保存された大規模な史跡も見学したかったのですが、コース外で果たせませんでした。十分とは言えなくとも、当地の主な処はかなり見学したので、一応の満足感がありました。これからアンカラに向かい、約270Kmの走行です。しばし走った後に、このページの冒頭に書いたハッサン山の雄姿がバスから良くみえました。この山の噴火がカッパドキアの今日の奇妙な地形をもたらしたのでした。すでにカッパドキアは遠く後方になりました。

16:20 休息。
16:45 出発。旅行スケジュールによれば、途中のトウズ湖という塩湖が見れるはずでしたが、「晩秋のこの時間帯に見れるはずがない」ということでして・・・。既に暗く・・・。イスラエルの死海が有名ですが、トルコ東部のワン湖も塩湖だそうです。乾燥地帯の中近東には塩水の湖が多いようです。

18:40 夕食。途中のレストランで焼肉、ポテトサラダ、ヨーグルト等の夕食を済ませた。特に印象には残っていません・・・。 19:35 出発。
アンカラ・アタチュルク駅:
20:10 アンカラのアタチュルク駅に到着。イスタンブールから長々と我々を案内してくれたバスと運転手に別れを告げる。ここからイスタンブールまでは寝台列車の旅となるのだ。荷物は列車の各自コンパートメントに運び込むことになる。

トルコの首都の中央駅とはいえ、ガランとした感じで静かなものだった。ただし、構内は比較的明るくて清潔なので人影が少なくても不安な感じは全くしません。駅の待合室に集合し、列車乗り込み時間とか寝台車利用上の注意などを聞く。ツアー参加者には列車1〜3号車に分散したコンパートメントが割り当てられていた。我々は3号車34番。ツアコンFさんは同じ車両の19番なので何かあった時には便利そうだった。22時30分発車なので遅くとも22時15分までに乗車するように言われる。各コンパートメントには冷蔵庫があり、入っている飲み物類は無料でした。ただ、ミネラルウォータのガラス瓶は持ち出し禁止、つまり水は無料でもビンは有料なのです。列車コンダクターがベッドメークを終えたら、眠ってよし。大体こんなところでした。

寝台列車と同じホームにチャイハネ(喫茶店)があるそうなので、そこで時間まで休みました。ホット・アップルティーをオーダーしましたが、疲れているためか、甘酸っぱい味がとても美味しく感じられましたね。同行の人達もポツポツ来ていました。ゆっくりしてから列車に向いました。
イスタンブール行き1等寝台列車:
21:45 早めに寝台列車に乗車した。皆さんも既に乗り込んでいます。
コンパートメントは左に下段ベット兼用の長い椅子、右に洗面台、冷蔵庫、棚、洋服架け等があり、その間は通路のような空間です。2人部屋なので椅子の上方に上段ベッドを作り、梯子をかける。もちろんベッドメーキングは列車が動き出してからコンダクターがやってくれます。 イスタンブール行き1等寝台列車

洗面はコンパートメントで済むが、トイレは車両入口の共同のものを使用です。
海外旅行用のスーツケースは置くだけで拡げるスペースはありません。このツアーの場合、明朝スーツケースを列車から降ろしたらエジプト・カイロのホテルまで物の出し入れは難しい。窮屈でも必要品は今夜中に出すのが賢明です。椅子(下段ベッド)にスーツケースを乗せると何とか開けることができました。
洗面台の上部にはコンセントもあり、シェーバーも使えるし、デジカメの充電もOKです。220VでC型ですから、トランスとアダプターは必要です。
冷蔵庫の中身は憶えていないのですが、ミネラルウォータ、ジュース、ヨーグルトだったはずです。間違っていたら、御容赦を。

22:30 アタチュルク駅を出発。間もなく車掌がベッドメークと梯子掛けに回りました。何十年ぶりかの寝台列車です。揺れと音で眠れないと覚悟していましたが、驚いたことに直ぐ眠り、翌朝までぐっすりでした。

◇◆◇
HOME旅行記集トルコ旅行記・トップ当ページ(6日目)
前頁に戻る This Page Top ▲ 次頁に進む