トルコ:バス周遊の旅 (6日目/2002年11月26日)
イスタンブール旧市街とドルマバフチェ宮殿
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イスタンブール到着まで:
06:45 乗務員が起床を知らせるベルを「チャリーン、チャリーン」と鳴らしながら車内を歩いた。昔ながらの方法だった。珍しくも朝方に良く眠り、これで目覚めたのだった。
車窓から眺めるマルマラ海は波静か、すじ状の雲が赤く色付くきれいな朝焼けでした。

07:10 ベットの畳込みに係りがくる。上段ベットが壁に納まり、梯子が片付けられた。
車窓の外はイスタンブールのアジア側の街並みで、高層アパートやモスクが見られた。すれ違う電車も日本とは色彩も違い珍しく感じられます。久々に大都会の雰囲気でした。

08:20 列車はハイダルパシャ駅に到着した。鉄道は未だボスポラス海峡を渡れない。それでイスタンブールにはこの小アジア側のハイダルパシャ駅と欧州側・旧市街のシルケジ駅の2つがある。我々は専用バスを使い、第一ボスポラス橋と高速道路を利用する大回りコースで旧市街に直行しましたが、約1時間もかかりました。両駅はかなり離れていることになります。実はボスポラス海峡のマルマラ海出口で対峙している両駅の直線距離は短かいのです。金閣湾北側からハイダルパシャ行きフェリーがあり、タクシーとフェリーを利用すると速そうですが、待ち時間などで同じ様なものと思われます。

バス移動(旧市街地まで):
08:52 清掃の行き届いた駅ホームをスーツケースを押して歩いた。専用バスの乗場はボスポラス海峡の直ぐ近くだった。黒海沿岸行きの船舶が必ず通るボスポラス海峡は本当に狭く、対岸は近くに見え、海というより大河の感じだった。運転手はレイセルさん、イスタンブール市内観光と空港までの送迎担当だった。積荷を終えてバスは出発した。

第1ボスポラス大橋の小アジア側のたもとにベイレルベイ宮殿がよく見えた。1865年にスルタン・アブドゥル・アジズが建てた大理石を潤沢に使った離宮だった。木蓮をたくさん植えた庭を中央に、夢のように美しい白い大理石造りの宮殿と言われ、スルタンの夏の別荘とか外国からの賓客の滞在先としても使われました建物でした。 ボスポラス大橋の欧州側対岸には白い豪華客船が2艘係留されている。この辺りの海峡は豊かな地区のようだった。この遥か北側には日本の会社が建設を担当した第2ボスポラス大橋がある。残念ながらその姿は見えなかった。 バス移動(旧市街地まで)

09:50 高速道路を出て市街を走った。最初の見学先、旧市街地まで行く。東西文化の混じりあうイスタンブールの特に歴史ある部分です。1985年には「イスタンブール歴史地区 / Historic Areas of Istanbul 」として 世界文化遺産にも登録されました。その地区にある GRUPレストラン に到着、遅い朝食となりました。
10:25 出発。旧市街は歩いて観光できる限られた地域です。しかし、バスは最初の観光先、旧競馬場跡地、まで我々を運んだ。
古代競馬場跡:
10:30 細長い緑地公園状の古代競馬場跡には、古代象形文字の書かれた「テオドシウス I世のオベリスク」が目立ちます。高さは32mあり、上エジプトのカルナック神殿にあったものです。コンスタンチヌス帝の戦利品と言うらしいのですが、その明確な根拠はなく定説ではないそうです。オベリスクは四角い柱ですが、地上から1本で立っているのではありません。基底部が別にあり、オベリスクの下部四隅の突起だけが基底部に接触して立っている。トルコは地震国と言えますが、よく倒れないものと感心しました。
その少し奥に、円形の窪みが鉄棒の塀で囲まれている。その中心部に青銅製の「蛇の円柱」が立っていました。大きいものでも背の高いものでもありません。これはギリシア・デルフィのアポロン神殿から移設されたそうです。
他に「コンスタンチヌス大帝の円柱」がありますが、近くには行きませんでした。
見るべきものは以上で、古代競馬場跡としては物足りないものでした。
競馬場は10万人の観客を収容できる規模だったそうです。ロイヤルボックスに飾られていた4頭の馬のブロンズは現在はイタリア・ヴェネチアのサンマルコ寺院にあるとか。サンマルコ広場に向う中央入り口の上部に4頭の馬がありますが、恐らくはその馬のことでしょう。欧州人の移動性は知られていますが、歴史的な創造物も人と同じくあちこち動くようですね。

奥にゆくと大テントがあり、それは食事を無料で振舞うための施設とのことでした。イスラム教国独自の宗教的定めに基づく社会福祉の一形態でしょう。今日の午後、グランド・バザールの近くで実際にテントに群がる人々を見ることができました。ただ、ラマダン期間なので不思議にも思いましたが・・・。微妙な夕暮れ時だったからかも知れません。 古代競馬場跡

ブルーモスク (スルタン・アフメット・ジャミイ):
10:50 競馬場跡地からブルーモスクの正面ゲートは直ぐでした。このモスクはアフメット1世が1616年に竣工させたもので、トルコ最大のモスクと言われます。エジプト・カイロのモハメッド・アリ・モスクはイスタンブールのモスク様式を取り入れて建造されました。ボコボコしたドーム群とミナレットが素晴らしく均整が取れて、やはりイスラム文化を代表する建造物の1つなのでしょう。

モスクは日5回の祈りの時刻に、アザ−ンという「肉声による礼拝への呼びかけ」をミナレットから行います。アザ−ンの為にモスクの外にミナレットが建てられる。その数はモスクの力の象徴にもなっているようです。 ブルーモスクは世界で只1つ6本も持っているのです。
ブルーモスクのミナレット数について有名なエピソードがあります。スルタン・アフメットは「アルトゥン(黄金)のミナレットを建てよ」と命じたが、大建設家ミマル・シナンの弟子が「アルトゥ(6つ)のミナレット」と聞き違えてしまった。結果として、現在見るような6本のミナレットが完成したのです。
ところが、アラビア半島のメッカのモスク(イスラム教大本山)も当時は6本のミナレットだったのです。「恐れ多くも・・・」と慌てたアフメット1世はメッカのカアバ殿のあるモスクに1本のミナレットを寄進し、そちらは7本のミナレットになった・・・。
メッカ、メディナの聖地には異教徒は入れません。メッカのカアバ殿モスクのミナレット数を確認したくてウェブサイトで適当な写真を探しましたが見つかりません。(脱線ですが、1995年完成のメディナ・予言者モスクは写真で数える限りでは少なくとも8本はあるようです。)
次に、サウジアラビア政府観光局のウェブサイトで次の記述を見つけました。
In 1988 (1408/09 AH) King Fahd laid the foundation stone for the third Saudi expansion of the Mosque in the Holy City of Makkah,・・・ <cut>・・・ Two towering minarets have been added to complement the seven existing whitened stone structures, the latest additions carefully matching the former in architectural style.
これによると現在のメッカ・カアバ殿モスクミナレット9本があり、確実なところ1988年までは7本だったのです。アフメット1世と6本のミナレットに関するエピソードは本当のことなのでしょう。

ミナレットを眺めつつ、境内に入って右側に行き、今度は左に曲がってモスク沿いに歩きました。階段を上るモスク入り口には行列ができていました。いよいよ有名なブルーモスクの内部見学です。

何と言っても圧巻なのは大小のドームが連続的に広がる大天井でしょう。温かみのある色彩に細かなイスラム文化独自の細かい文様が描かれています。各ドームの基底周囲には採光窓があり、夫々が明るいステンドグラスになっている。ステンドグラスは本堂全体で250以上もあるそうです。採光用ですから、多くのステンドグラスは濃い色ではありません。濃い色の装飾用ステンドグラスもありますが・・・。そしてドームから細いワイヤーが無数に下がり、本堂内部のシャンデリアなど照明器具を吊り支えています。照明器具の吊り下げがモスクの特徴の1つかも知れません。ブルーモスク名の由来となった綺麗な青と白のイズニックタイルの部分もあります。簡単に拝見してから、本堂の端にあるコーナーに案内されました。全員がその中に座り、現地ガイドNさんからオスマン建築の最高傑作といわれるブルーモスクの説明を詳しく受けました。 ブルーモスク

見学は毎日8〜18時で無料ですし、5〜10月は夜間ライトアップがされて21時からアヤソフィアとの間で「音と光のショー」が見れるそうです。これも無料とか。イスタンブール滞在の場合は夜の訪問もよいかも知れません。その後、短い自由時間があり、本堂内の見学で過ごしました。
ブルーモスクとアヤソフィア(聖ソフィア大聖堂)の間の庭園:
11:20 入った時の反対側からブルーモスクの外に出ました。アヤソフィアに通ずる公園です。ここで又、暫くは写真を撮って過ごすことになりました。昼近くなのに公園の街灯は明かりが燈っていました。公園の中程に円形の池があります。ここを左に少し行くと有名な地下宮殿になります。我々のツアーでは時間がなく、アヤソフィアも地下宮殿も見学は予定外でした。

ローマ帝国のコンスタンティヌスII世が325〜360年に建造した教会堂がアヤソフィアの始まりでした。東ローマ帝国は東方正教会を中心とした国家、後日には東方正教会の総本山になったのです。しかし初期には2度も破壊され、その度に再建されました。現在の建物は537年に完成し、大ドームを持ち、内部は黄色のモザイクで装飾されていました。1204年には十字軍によって大損傷を受けました。1453年にオスマントルコのスルタン・メフメットII世によるイスタンブール征服があり、イスラム教が主流となった。その後はモスクに改修されて2本のミナレットが建てられ、内部のキリスト教的なモザイクの絵は漆喰で塗りつぶされたのでした。アタチュルク大統領の時代にアメリカ人の手により漆喰の下のモザイクが発見され、聖ソフィア大聖堂は博物館として解放されることになったのです。このような歴史を持つアヤソフィアは高さ55mで直径36mの大ドームを持ち、ビザンチン様式の最高傑作と言われます。 真に由緒ある聖ソフィア大聖堂を背景にツアー参加者全員で記念写真を撮影して、この公園を後にしました。 庭園:ブルーモスクとアヤソフィアの間

11:45 出発。当初は次に「トプカプ宮殿」の見学予定でしたが、火曜休館日なのに木曜の今日が臨時休館になったのです。旅行社から新市街の「ドルマバフチェ宮殿」に見学先変更の事前通知がありました。バスに乗り、シルケジ駅エジプト・マーケットの近くを通り、金閣湾にかかるガラタ橋を渡って新市街地に入りました。ポスポラス海峡に面した場所に宮殿がありました。
ドルマバフチェ宮殿:
11:55 到着。歴史的なトプカプ宮殿が老朽化したので、スルタン・アブドールメジッドII が新たに建てた宮殿です。宮殿敷地は入り江を埋め立てて造成されました。「次第に埋め立てる」のトルコ語が「ドルマ・バフチェ」だそうです。着工は1843年、竣工は1856年でした。スルタンの居城でもあり政庁としても使用されました。ボスポラス海峡沿いに左右600mになり、水上に浮かんだ感じなので「水の宮殿」とも言われます。2階建の宮殿は285の部屋と43の広間がある。基本的にヨーロッパのバロック建築様式ですが、一部ではアジアの様式も取り入れられているといいます。マルマラ海の島から運んだ綺麗な大理石を大量に用い、最高級のヘレケ産シルク絨毯も敷かれ、ボヘミア製やフランス製の大シャンデリアが見事な天井ドームから吊り下がる、贅を極めた立派な宮殿です。

我々は金閣湾よりの駐車場で下車し宮殿の正門に向いました。途中で警備隊6人の行進とすれ違いました。立派で巨大な正門の真ん中には白いヘルメット姿の兵士1人が警備に立っている。これは珍しいことではありません。しかし、これが微動もしない(動く事は許可されていない)のです。この姿勢は1時間が限度、そこで交代するそうです。この正門の横の入り口から宮殿の前庭に入ります。真っ直ぐ進むと円形の池に噴水、その向こうに宮殿の玄関が見えます。正門右の道を進むとボスポラス海峡が見えるようになる。大規模で圧倒される感じではなく、大資産家の邸宅の前庭といったところかも知れません。

南北に長いドルマバフチェ宮殿の南端にある玄関の階段を登った。振りかえると眩いくらいの白大理石が敷き詰められた道と池と噴水が見事です。右手には立派で大きな弧状の門があり、表通りから敷地内に入り、この玄関階段の手前に馬車や車が横付けできるようになっています。筆者の想像ですが、公式ゲスト用とか儀式用の門なのでしょう。参考書によってはこれを正門としています。

中はもう「素晴らしく立派」としか言いようがありません。柱一つでも、綺麗な大理石で繊細な彫刻が上部にほどこされた、所謂コリント式、と思える形状のものです。どの広間にも大型の凄いシャンデリアが下がり、アチコチに世界各地のオスマン帝国への貢物が飾られていました。明治維新直後の日本政府から贈呈された大型の青い壷もありました。
調度品や壁の絵画も見事なものです。各種のお宝が並べられた部屋もあり、宮殿で使用された食器類やガラス器など珍しい小物類も多く、それなりに興味深いものでした。
スルタンの使用した洗面所や風呂やトイレまで公開されています。トイレは例えスルタン専用と言っても何かしらガランとした侘しい独特の雰囲気でした。風呂や洗面所は大理石をふんだんに使ったもので、大理石彫刻の手本の1つとも思えます。

見学を一通り済ませ、一階中央の大ホールに降ります。そこの天井ドームの色彩の素晴らしいこと、驚きでした。しびれるようなブルーが混じっています。そこから釣り下がっているシャンデリアは英国のヴィクトリア女王から送られた4.5トンもあるバカラ製のシャンデリアとか・・・。それを囲むホールの柱や壁面の優雅なこと、溜息がでます。入館した時とは別の宮殿中央部の出口から外に出ました。ボスポラス海峡に向って立つ門があります。記念撮影をして宮殿を後にしました。 ドルマバフチェ宮殿

第1次世界大戦の後、アタチュルク大統領はアンカラに遷都するまでこの宮殿で執務したそうです。その後もイスタンブールに来たときは使用し、1938年11月10日に宮殿で執務中に亡くなりました。宮殿内の時計はその時刻で止まったままにされているそうです。

13:30 見学終了。バスの駐車場へ。少し時間があったので、ボスポラス海峡沿いのレストランからドルマバフチェ宮殿を見てみたら、第1ボスポラス大橋も見えて見事な眺めでした。良い撮影アングルでもあります。もっとも双方を一枚の写真にするには海峡上の船が一番良いのでしょう。
昼食:
14:10 旧市街地の海側にはテオドシウス城壁と呼ばれる約7Kmの城壁が残っている。その一角にあるレストランに案内されました。随分と遅いランチですが、朝食が遅かったので時間的には丁度良いのです。蛇足ながら、夕食は飛行機ですから、旅行社は一食分コストダウンが出来るのです。上手くスケジュールを作ったものと感心しました。
レストランは団体観光客専用とも思える大きいものでした。やはり「大都会」の印象です。
15:05 出発。
グランド・バザール:
15:30 グランドバザールの入り口にはバスは行けません。手前の広場状の場所で降り、商店の並ぶ細い道を下りました。左側に立派なグランドバザールの入口がありました。広い場所なのであちこち20ヶ所ほども入口があるそうです。
そこを少し行き、トルコ名物の「からすみ」や「キャビア」を売る店ヌール・オスマーニの前まで案内されました。現地ガイドNさんの友人なる人物がやっている店でした。ここが集合場所として指定されたのです。そして解散となりました。

最初のグランド・バザールは15世紀中頃に作られたそうです。焼失したり、再建されたり、歴史の中で発展し現在は4000軒以上の商店が集まる中近東一のバザールといわれます。我々日本人は何処も彼処も商店だらけの国からきました。特に欲しいものがあるわけでもなく、伝統ある巨大ショッピングモールのブラブラ歩きです。気に入った小物に出会ったら記念に買ってみるかナ、という程度です。
貴金属店がズラリと並ぶ通りはやはり壮観でした。主にブレスレットなどの金製品のようですが、他の宝飾品も数多くあるのです。各商店が店員を入口の外に立たせているので、どこでも声を掛けられます。ゆっくりウィンドウ内の商品を見れません。昔は中近東の金細工は安価で良質と欧米人は言っていましたが、今はどうでしょうか。
革製品の通りはチラリと覗いただけでした。特に魅力も感じなかったので、早々に土産の小物を探しに移動しました。 奥まった、観光客の姿など見ないところに楽器を置いた店が数軒あった。こういう店は珍しくて面白いものです。
ワイフは駱駝の骨で作った小箱をアチコチで見て回った。最終的に買う店が決まり、そこに戻った。いかにもトルコ人らしい顔の主人が応対し、いやな顔1つしないで、各種のものを取り出して説明した。ワイフがよくもコミュニケ−ョンが出来るものだと感心した。最終的には値引きしてくれた。通にいた若い男が「アリガトウ」という。店の人間ではない・・・。

観光客の潜り込まない小路でチャイハネに入るとトルコの味と雰囲気を楽しめるはず。でも、その勇気と時間がありません。指定された集合場所に戻りました。皆さん、既に集まっていました。ワイフはキャビアの缶詰を検討したが止め、カラスミの量り売りを少し購入しました。帰国後に賞味したら、値段相応に良い味でした。お酒のつまみには最高でしょう。 他の皆さんも食べ物なので適当に購入しています。繁盛してましたネ。 グランド・バザール
16:30 バスの駐車場まで坂道を歩いて登りました。出発。

グランドバザール近くの公園状の空間に青と白の大テントが張られ、大勢の人達が集まっています。現地ガイドNさんによれば、夕食のために集まってきているそうでした。もう直き日没になる・・・。
アタチュルク空港・トルコ発:
トルコ周遊旅行の全ての予定を無事こなしました。バスはアタチュルク国際空港に向って高速道路を走りました。疲れが出たのでしょう、空港に着くまでのことは何も思い出せません。21日から行動を供にした現地ガイドNさんともそろそろお別れです。お腹を壊して入国したのに快調そのもので出国できるのも、彼の尽力のお陰です。お世話になりました。 Nさんも別れの挨拶です。携帯電話の番号を教え、「どのような理由であれ、トルコに来たら御連絡ください。」 ツアコンのFさんが、Nさんのガイドぶりを次のように総括しました:「ニハットさんは五つ星ガイドです!」 これを聞いてNさんのカオは輝きました。誰でも仕事振りを誉められると嬉しいものです。

17:50 搭乗手続き完了。直ぐ近くの免税店とレストランのエリアに入った。右奥に行き、ホットアップルティーを買ってテーブルで休む。ここのアップルティーは高く、2人分で4500000トルコリラ(360円?)だった。でも味は良かったですね。売店に行って同じ銘柄のアップルティーを自宅用に購入したくらいです。トルコリラはハイパーインフレなので所持していても意味がありません。この売店で小銭も含めて全部使い切りました。不足分は米ドルで支払いました。

搭乗口 202 に行くつもりで歩いていた。出会ったツアーメンバーに、変更で搭乗口214番、と教えられた。ツアコンFさんの簡単な報告が待ち時間にあった。2人組み参加のメンバーが売店で万引きと間違えられ、大騒ぎになったそうである。Fさんが中に入り、売店側に説明してやっと分ってもらえたそうだ。異国、異文化ではチョットした動きが誤解を招くこともあるでしょうね。空港利用者は千差万別の人達がいるから・・・。

エジプト航空MS238の座席は28Hと28Cで、我々は離れて座ることになった。エコノミークラスは20番から始まるので後方の席ではない。窓側は81才の老人男性二人組だった。年齢に似合わず実に元気で驚きです。

19:55 エジプト航空・カイロ便出発。
20:30 夕食(機内食)。ビーフステーキを選んだ。
エジプト、カイロ空港に帰着:
21:45 カイロ空港・到着。入国カードを提出したり、入国ビザを旅券に貼ってもらったり・・・。トルコのアタチュルク空港に比べると遥かにガサガサしたカイロ空港でした。エジプトの旅行社のモハメッドさんと現地ガイドAさんが「おかえりなさ〜い」と笑顔で出迎えてくれました。何かしらホッとしましたね。荷物を確認して、バスに向いました。
22:35 乗車。出発は警備関係の許可が出なくて遅れました。

移動に続く移動のトルコ旅行も大いに楽しみながら見聞を拡げ無事終えることが出来ました。明朝早くからエジプト観光の後半です。 がんばる、つもりです。

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