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イギリス(英国)旅行記: 春のイングランド周遊9日間 5日目(2012/5/18)
コッツウォルズ→ストラトフォードUA→オックスフォード
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シェイクスピアの妻アン・ハサウェイの実家(農家)、ストラトフォード・アポン・エイボン ホテル出発まで
移動(→バイブリー/コッツウォルズ)
 ・バイブリー
 ・ボートン・オン・ザ・ウォーター
移動(→ストラトフォード・アポン・エイボン)
ストラトフォード・アポン・エイボン
 ・アン・ハサウェイの家
 ・昼食(街のレストラン)
 ・ロイヤル・シェークスピア劇場
 ・エイボン川
 ・ホーリー・トリニティ・チャーチ
 ・シェイクスピアの生家
オックフォード大学
ホールマーク ホテル グロスター(2泊目)


ホテル出発まで
05:30 起床。昨夜ヒーターを入れたので眠り易かった。
起床後、ワイフはケータイで親戚に電話をかけ、預けた猫の様子を聞いていた。何時もの旅行時と違い、飼い主を捜したり、家に帰りたがったり、いろいろ大変らしかった。今まで聞いたこともない”暴れ方”のようなのだ。1才なので自我と領分がはっきりしてきているらしい。食べ物や睡眠は普通らしく、その点は安心でした。
06:00 モーニングコールあり。

朝食: 06:48 部屋を出てレストラン前に向かう。入口前には既にツアー客が大勢いる。
07:00 レストランがオープン。
ヴィキング(コンチネンタル・スタイル)なのですが、何時もの朝食で私としては沢山食べました。オレンジジュース、メーンデッシュ(ソーセージ、ベーコン、ポテトサラダ、マッシュルーム、焼きトマト、ビーンズ)、ヨーグルト、甘いパン2個でした。量的には十分し、味も好みに合っていた。

07:30 部屋に戻る。
今晩も部屋は同じ、身の回り品をざっとスーツケースに入れて片づけた。
今日の気温は低い。ワイフは使捨てカイロを使用し、さらにダウン半コートも着用した。
07:50 部屋を出てる。殆んどはロビーに集まっていた。皆さん、厚着でした。
私は数分間だけホテル前で外の空気を吸う。
カササギ(Magpie/Pica pica) その時、芝の上に珍しい中型の鳥がきました。地上での動きは早い。ツートンカラーで尾の上はブルーです。カササギ(Magpie/Pica pica)でしょう。欧州では広く分布し普通の鳥らしい。日本では不思議にも佐賀県の狭い地域のみに生息し、その生息地は天然記念物に指定されている。しかし、近年は全国で目撃情報があるともいう。

ロビーに戻ると、バスの座席表が発表になっていた。今日はイギリス4日目、最初に戻りC組はバス最後部です。後ろから4番目、窓の大きい座席にしました。

バス移動(→バイブリー/コッツウォルズ)
コッツウォルズ
Cotswolds, Central England
「Cots」はこの地方の大型長毛の「羊」、「Wolds」は古い英語で「穏やかな丘陵/gentle hills」を意味している。コッツウォルズとは「羊の丘」の意味になる。その場所は中央イングランド。
ほぼ東京都の広さの丘陵地帯で最高地点は標高約330mらしい。最もイギリスらしい、と表現される美しい町や村が多く点在する。東はオックスフォードの郊外から西のチェルトナムまで、北はシェークスピアの生地ストラトフォード・アポン・エイボンから南はバースやカッスルクルームまでの広い地域をいう (注: 範囲は文献で多少異なります)。交通や宿泊の利便性は良いとは言えず、多くを見るにはレンタカーで回るのが望まれるエリアです。それだけに見事な農村風景が残っている。「蜂蜜色」と表現される当地産の石灰石(Limestone/local honey-coloured limestone)を使った民家に特色がある。イギリス最大のテムズ川はコッツウォルド丘陵地に源を発する、とされる。
----- 観光 -----
以下の町や村が観光で知られます。
次の地図から簡単な説明が表示できる。 コッツウォルズの地図(日)

バース *
バイブリー *
ボートン・オン・ザ・ウォーター *
ブロードウェイ
バーフォード
カッスル・クーム *
チェルトナム
チッピング・カムデン
サイレンセスター
グロスター *
レイコック
マームズブリー
モートン・イン・マーシュ
ノースリーチ
ペンズウィック
スノースヒル
スタントン
スタンウェイ
ストウ・オン・ザ・ウォルド
ストラットフォード・アポン・エイヴォン *
ストラウド
テトベリー
テュークスブリー
ザ・スローターズ
ウィンチクーム
ウッドストック
 注: * 印はツアーで寄った場所
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参考サイト:
コッツウォルズの地図(日)
Official Site: コッツウォルズ(日)
Official Site: The Cotswolds (英)
コッツウォルズの観光|阪急
車窓の風景、コッツウォルズの丘陵地 08:05 出発。距離ははっきりしませんが、バイブリーまで約40分の予定です。
ホテルや前庭で少し動いたので、バイブリー到着時の歩数計は874歩でした。

バイブリー バイブリー
アーリントン・ローの古い住居(昔は倉庫?) 08:47 到着。
左に庭園、正面に石橋とホテル、右にナショナルトラストの表示があるアーリントン・ローの入口です。

なんですか、バイブリーとは? 実はイギリスの本当の田舎の奥まった部落です。それでも西洋文化と文明に基礎が置かれているので雰囲気は良いものでした。秋田から参加の一見紳士風の男性が東北なまりで曰く、「同じ部落とはいっても、秋田の部落とは比較できない。」 率直にして正当な評価と思います。(笑)
当地については、観光ガイドブックか以下のコラムをお読みください。

バイブリー
Bibury, Cotswolds, England
観光案内所もない静かな村、川には水鳥が遊びマスが泳ぐ。羊毛の倉庫だったライムストーンの建物が続いたり、雰囲気はコッツウォルズそのものという。イギリスの詩人ウィリアム・モリス(William Morris, 1834-96年)が「イングランドで最も美しい」といった、といろいろな人が書いている。
----- 観光 -----
・Arlington Row (アーリントン通り)
・Bibury Trout Farm (マス養殖場)
・St. Mary's Church (聖マリア教会)
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参考サイト:
バイブリー
トリップアドバイザー/バイブリー
Bibury. A Charming Cotswold Village

最初は小川沿いの小径を行くのですが、アスファルト舗装され歩きやすい。その入り口には”National Trust”の看板がある。先に少し進むと、左に小さな湿原があったり、右には小川と林があっり、日本の奥深い田舎にもあるような場所となる。小川の橋をわたると、地元で産する多孔質の石灰石(ウーライト/木造より安い)で作られた長屋風の2階建に行き当たる。ここがアーリントン・ローらしい。その右の小高くなった斜面には同じく石造りの戸建てが幾つもあった。焼瓦ではなく薄く割られた岩を敷き詰めた屋根、年月を反映してか黒ずんでいる。家の壁はウーライト(ハニー・カラー・ストーン/蜂蜜色の石灰石)として観光的に良く知られている。しかし古い建屋はくすんだ色が多かった。家の周りは色とりどりの花が少しづつ植えられ、派手さは全くないが、実に良い雰囲気なのです。

丁度、猫が出てきて、屋根づたいに歩きだした。アメリカン・ショート系と思えたが、種類は分からない。もともとアメリカン・ショートの御先祖は欧州と新大陸を往復する船のネズミ駆除用として航海のお供をした。ネズミ狩りの名人故である。それがアメリカの家庭でも飼われ、今ではペット猫の主流の1つとなった。イギリスの田舎の猫がアメリカン・ショートに似ていても何の不思議もないのです。
さらに屋根の上には鳩がいた。猫も鳩も我関せず、長閑なものです。

自動車道に出て、優雅にも思える庭付き住居の前を通ってホテルまで歩いた。左のコルン川には鴨が遊んでいる。珍しい白い水鳥も一羽いた。人を恐れる様子はない。
途中にあった公衆トイレに寄ったが、男女マークが付いた共通の個室が2つでした。使用料は幾らだったか忘れました。
蔦に覆われたスワン・ホテル近くの石橋を渡って降車場所に戻った。

バイブリ散策後の歩数計 09:30 乗車。すぐに出発でした。
到着時の歩数計は874歩、
出発時の歩数計は2094歩、
バイブリーの歩数は1220歩でした。


バス移動(→ボートン・オン・ザ・ウォーター/コッツウォルズ)
車窓の風景、広大な菜の花畑の連続 車内で添さんが次の観光地ボートン オン ザ ウォーダーの地図を配布した。中心部までグループで行き、自由散策後にバスに集合なのです。
車窓から見ていると、丘陵地の高地は一面の麦畑、牧草地、菜の花畑になっている。やはり菜の花畑が目立つ季節です。谷間は林が多かった。
約30分のドライブでした。

ボートン・オン・ザ・ウォーター ボートン・オン・ザ・ウォーター
ウィンドラッシュ川 10:03 広い駐車場に到着。
のっけから恐縮ですが、駐車場のトイレは無料、約1時間の歩きなのでトイレタイムでした。散策で気付いたが、商店地区にも有料らしいが公衆トイレはあるようです。
街の中心部まで駐車場から細い道を何度か曲がって行きます。右下コラム最下部のリンク先の地図でその道(Path)は分る。
ウィンドラッシュ川(Windrush river)に平行するメーンストリートまでグループで行きました。そこで解散、自由散策です。

ボートン・オン・ザ・ウォーター
Bourton-on-the-Water
古い集落らしい。前史時代から人が住んだともいう。人口は約3300人(2009年)。 この町には観光案内所がある。中心部を流れる清流ウィンドラッシュ川(Windrush river)には低い石橋が架かり、コッツウォルズで最も人気ある村といわれるらしい。1/9に縮小した精巧な村のミニチュアなどもある。観光用にいろいろ整備されている。
----- 観光 -----
・モデル・ビレッジ
・パフューマリーツアー
・コッツウォルド自動車博物館
・モデル鉄道エキシビション
・バードランド鳥公園
・ドラゴンフライ・メイズ
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参考サイト:
ボートン・オン・ザ・ウォーター
Welcome to Bourton-on-the-Water
地図(Bourton-on-the-Water)
我々2人の歩いた道順は単なる建物ウォッチで次のものです。

駐車場/Car and Coach Park → Path → High Street 解散 → High Bridge → Victoria Street → [Sherborne Street] → The Mill Bridge → Park along Windrush River → High Street → Path → 駐車場

Sherborne Street は特に勧めはなかったが、西の街外れまで行ってみました。大きなお屋敷などがあり、庶民的な小さい家が密集する中心部とは少し趣が違います。でも建材の”蜂蜜色”と表現されるライムストーンは同じようでした。我々だけかと思いきや、同じツアーの人達や他のアジア系観光客のグループも散策しています。全体的に小さな街なので隅々まで見る時間があるのでしょう。

中心部を流れるウィンドラッシュ川と低い石橋は公園の緑と相まって印象に残ります。適当に写真を撮って駐車場に戻りました。小1時間の散策。

散策後の歩数計 蜂蜜色と表現される多孔質の石灰石(ウーライト)の真新しい石垣 10:58 乗車。
到着時の歩数計は2094歩、散策後は4320歩、 ボートン・オン・ザ・ウォーターでは2226歩でした。

右の写真は駐車場の新しい石垣(塀)です。家屋に使われる多孔質の石灰石(ウーライト)と同じ石材、らしい。含まれる鉄分の量で色が違うようです。古い家屋の場合は経年変色して観光的には”蜂蜜色”と表現される。北イングランドの牧場にある長い石垣も基本的に類似の構造でした。

バス移動(→ストラトフォード・アポン・エイボン)
車窓の農村風景 11:05 出発。
コッツウォルズの丘陵地帯は昔は羊牧場ばかりだったそうです。今でも牧場もまだ数多くあるが畑も多い。そして時々写真のような集落がみえる。それぞれ小さな観光地になっているかも知れないが、分からない。以前も指摘しましたが、屋根の色が大陸欧州のオレンジ色と違って濃いグレーです。

ストラトフォード・アポン・エイボン/シェークスピアの町
ストラトフォード・アポン・エイボン
Stratford-upon-Avon
人口: 約24000人(2002年)
ストラト(Strat)はローマの軍道、フォード(Ford)は浅瀬、エイボン(Avon)はケルト語で川、を意味する。16世紀には約200軒程度の村だったらしい。
劇作家ウィリアム・シェークスピア(William Shakespeare, 1564・洗礼年-1616年)はストラトフォード・アポン・エイボンで生まれ育ち、当地のグラマースクールに学んだ。18才で結婚、学歴はなかったが、青年期からロンドンで活躍し成功した。晩年は故郷に戻り、ここで永眠した。町にはチューダー様式の家々が多く、当時を彷彿とさせる。劇団ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの本拠地もここに置かれている。
ウィリアム シェークスピアの銅像、車窓撮影 ----- 観光 -----
シェイクスピアの生家(Shakespeare's Birthplace): 祖先はヨーマン(小規模自作農)だったらしいが、皮革加工業や毛織物の仲買業で財を成した父親は町長まで務めた名家だった。シェイクスピアはこの家に生まれ青年期まで過ごした。しかし没落があり大学に行けなかった。内部は復元とされる。
ロイヤル・シェークスピア劇場(Royal Shakespeare Theater): オリジナルは焼失し、1932年にエイボン川沿いに再建された建物です。隣接のスワン劇場は1986年に木造のチューダー様式で再建された。プロセニアム・アーチ(額縁)劇場を含めた3劇場がロイヤル・シェークスピア・カンパニーの所有という。
ハーバード・ハウス(Harvard House): 元の建物は大火で焼失、1596年の建屋が残っている。キャサリン・ロジャーズという独身女性が住んでいたが、ロバート・ハーバードと結婚、息子ジョン・ハーバードが新大陸アメリカに渡った。ピューリタンの牧師だったが、1638年に他界した。遺言により土地と蔵書を植民地が設立を決めた高等教育機関へ寄付し、その最初の寄付者となった。寄付の功績を讃え、1639年にハーバード・カレッジが創立され、1640年に最初の学長が任命される。後年ハーバード大学となった。ジョン・ハーバードを含め設立に関係した多くがケンブリッジ大学の出身者だったのでボストン郊外の所在地一帯はケンブリッジと命名された。
ナッシュの家とニュープレイス(Nash's House & New Place): シェークスピアが1597年に購入し亡くなるまで暮らした豪邸。というが、家屋は取り壊されて庭とい う空間しかない。ナッシュの家は孫エリザベスが嫁いで住んだ家とされ、今は歴史博物館。
ホールズ・クロフト(Hall's Croft): 17世紀の医者ジョン・ホールの家。シェークスピアの娘スザンナが結婚し暮らした家。調度品や診察室は当時のまま。
ホリー・トリニティ教会(Holy Trinity Church): 古い教会の跡地に13世紀に翼廊が建てられ、16世紀にほぼ現在の姿となった。シェークスピアが1564年に生誕洗礼を受け、その後の教会との関係は極く一般的だった。寄付はしたとされる。死後は内陣に埋葬されました。教区登録簿に洗礼日と埋葬日が記録されているが、特別扱いはなく一般人と同じそうです。
アン・ハザウェイの家(Anne Hathaway's Cottage): シェークスピアの妻アンが1582年に結婚するまで暮らした家。シェークスピアが18才の時で、アンは8才年上だった。
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参考サイト:
ストラトフォード・アポン・エイボン
Wikipedia → ストラトフォード・アポン・エイボン
トリップアドバイザー → ストラトフォード・アポン・エイボン
Yahoo!百科事典 → シェイクスピア
Wikipedia → ・シェイクスピア
Royal Shakespeare Company | RSC | Theatre Company in Stratford-upon-Avon, UK
ストラトフォード・アポン・エイボンは小さな都会です。ウィリアム・シェークスピアはここで生まれ育ち、ロンドンで大活躍の後、生まれ故郷に戻り晩年を過ごしました。エイヴォン川岸には立派なロイヤル・シェークスピア劇場があり、マチネや夜の公演が目玉でしょう。毎年の夏、ここでシェークスピア・フェスティバルも開かれる。しかし、他にもシェークスピアに縁の場所も多い。ツアーでは、町はずれのアン・ハサウェイの家に寄り、中心部のレストランで昼食をすませ、主要な観光ポイントを見歩きました。それだけでも、この街の雰囲気は良く分かります。

アン・ハサウェイの家: アン・ハサウェイの家
アン・ハサウェイの家 11:48 駐車場に到着。大きなキングサリの一種が満開で見事でした。
そこから表通りに下り、大きな茅葺屋根の農家の建物を外から拝見です。イギリスのことで茅葺でもレンガの煙突が突き抜けて立っている。外壁は一種の木組みでしょうか。道路側はレンガと木組み、奥は白壁に木組みです。農家といっても建物の大きさから推察して豊かな自作農だったのでしょう。19世紀になると既に観光的に知られていた、という説もあるようです。

アン・ハザウェイはシェークスピアより8才も年上でした。妊娠したので結婚した、と云われている。翌年に長女、2年後に双子が生まれている。この後、ロンドンでの作家活動にも連れ添いシェークスピアは大成功する。1611年に帰郷し、1616年に他界するまでニュープレイスに住んだという。

写真を撮ってから、坂道を奥に上ると普通の民家があり、一部は土産店になっている。入りましたが特に買物もありません。イギリス系のお客さんが結構いました。時には赤い観光用ダブルデッカーが立寄っているし、人気のある場所なのでしょう。

12:08 出発。
チューダー様式の木組み建屋が多い古色蒼然たる中心部に入ると、シェークスピアが通ったグラマースクール(公立中等学校)が見えた。この校舎は現在も使用していると云いますが・・・、学校の一部であることは間違いないらしい。

昼食(街のレストラン) 昼食(街のレストラン)
昼食レストランの建物 12:24 レストラン前に停車、直ぐに降車して道を横断する。
Marlowe's Restaurant の表側はチューダー様式の木組みでした。その入口からは細い通路で奥にゆく。まるで京都のウナギの寝床みたいです。階段を上がってダイニングルームに入った。テーブルはセット済みでパンとバターの皿が銘々に置かれている。

飲物はジンジャエールを注文したはず。アイスキューブ入りで飲みやすかった。メーンデッシュは牛肉角切りの煮込みでシチュー風です。同じ皿にライス、グリーンピースとキャロットのミックスでした。デザートは撮影忘れか、無かったか、忘れました。

ワイン・ゴブレットのマーク レストランでのミニ情報です。ゴブレットに適切な量のワインを入れるのにメジャーは使わない。勘なら量のばらつきがでる。それを避けるために、ゴブレットに横線のマークが入っているものがある。初めて見たと思います。
13:25 飲物の清算を済ませ、2階のテラスに集合した後、レストランの外にでました。

ハーバード・ハウス(中央) 13:27 近くにハーバード・ハウス(写真中央の建物)があった。詳しくは右上のコラムをご覧ください。
この家で生まれ育った牧師ジョン・ハーバードは新世界に渡り、ハーバード大学の最初の設立貢献者となりました。

ここでネオ一眼デジのバッテリーが上がってしまう。昨日に続いて何たることか!? 予備電池は持っていない。大急ぎで小型コンデジにネオ一眼デジのSDを差し替え、記録写真は撮り続けました。
実は、この頃から鼻水がスーと出るようになる。鼻風邪のようでした。この時点では、風邪薬や点鼻薬は使用しなかった。それがいけなかった。後で大変な異常が発生したのです。

ロイヤル・シェークスピア劇場
ロイヤル・シェークスピア劇場 13:33 東のエイボン川に向かうと大きな赤レンガの建物がある。これがロイヤル・シェークスピア・カンパニーの本拠地ロイヤル・シェークスピア劇場である。現在の建物は1932年に再建されたものらしい。時折のマチネ、6〜9月のハイシーズンは日曜日を除いて毎日シェークスピア劇が上演される。カンパニーは他にスワン劇場とコートヤード劇場を所有している。

エイボン川
エイボン川 13:36 ロイヤル・シェークスピア劇場の広場を通り過ぎると川幅のあるエイボン川となる。ここは穏やかな流れで白鳥や鴨が遊んでいた。遊覧船も浮かぶ。
これからエイボン川に沿った道を南に向かい、ホーリー・トリニティ・チャーチまで歩いて行きます。
途中にスワン劇場がある。大きな建物でした。
ストラトフォード・アポン・エイボンを流れるエイボン川は ”The River Avon (Warwickshire)” であり、その長さは137Kmとされる。イギリス国内に多くのエイボン川があり、混同を避けるため、ウォーウィックシャー・エイボン川(Warwickshire Avon)とかシェイクスピア・エイボン川(Shakespeare's Avon)ともいう。遊覧船も浮かぶが、水上交通に利用され、他の運河とも結ばれている。
観光地バース(Bath)を流れるのもエイボン川ですが、別の ”The River Avon (Bristol)” です。
ケルト系ブリトン人の言葉で川の一般名が”Avon”、後に侵入したサクソン人が諸河川を固有名詞として”Avon川”と呼んだ。それでイギリスにはエイボン川が多くある、と説明されるようです。
直訳すると川川(センカワ/音訓)といったところでしょう・・・。

ホリー・トリニティ教会 ホリー・トリニティ教会
ホリー・トリニティ教会 13:50 £1の拝観料(献金)が求められましたので払い、脱帽して中に入りました。
すでに9世紀には木造教会がこの地に建てられたらしい。13世紀初めに現在の石灰石を用いた教会堂の建築がはじまった。大聖堂のように十字型です。外観はシェークスピアの時代とは僅かに違うようです。イギリスで最も訪問者の多いパリッシュ教会(教区教会)といいます。なぜなら、
ウィリアム・シェークスピアはこの教会で1564年4月26日に(生誕)洗礼を受けました。1616年4月23日に亡くなると、この教会の祭壇近くの内陣(左側)に埋葬されました。妻アンの墓碑もその左隣にあります。その直ぐ近くに白い大理石の洗礼盤があった。シェークスピアが洗礼を受けたものかどうかは分かりません。
シェークスピアのキーホルダ 内陣に埋葬された理由は文学上の大天才だったからでしょうか? シェークスピアはこの教会にかなりの寄付をしていたから、と読んだことがあります。はてさて・・・。
最後に売店でシェークスピアのキーリング(£1.80)を買いましたが、この種の人物のものは壁に吊るして飾るにも・・・。選択を間違えたかもしれません。
14:01 教会を出ました。

シェークスピアが通ったグラマースクール 14:15 シェークスピアが通ったグラマースクールの前を通る。前にも書いたが、この校舎は現在も使用している、らしい。イギリスの中等教育はパブリックスクールが貴族など資産家の子弟が学ぶ私立学校、対してグラマースクールは庶民の子弟が通う公立学校、と云います。シェークスピアの父親は一旦は成功し町長まで務めたが没落し、シェークスピアを大学にやれなかった。それでこの学校が最後の教育だった。ロンドンでの大成功は学歴なしで達成したものです。

その後はシェークスピアが老後を過ごしたニュー・プレイス、孫娘が住んだナッシュの家、再びハーバードハウスの前を通り、にぎやかな街中を歩き続けました。

シェイクスピアの生家 ストラトフォード・アポン・エイボン
シェイクスピアの生家 14:30 シェイクスピアの生家に到着。この近くは観光客で大賑わいです。 シェークスピアはこの家で誕生し、青年期まで過ごしたとされる。内部は近年になりシェークスピアの時代のものに復元され、見学が出来るようです。
もしシェイクスピアがこの地に誕生しなかったら? 今日のストラトフォード・アポン・エイボンは存在しないでしょう。歴史的な場所、記念撮影の姿がとても多かった。

ストラトフォード・アポン・エイボン散策後の歩数計 徒歩見学も全ての予定を終え、バス乗場に向かった。

14:45 乗車。
到着時の歩数計は4320歩、
到着時の歩数計は9133歩、
ストラトフォード・アポン・エイボンの歩数は4813歩でした。


バス移動(→オックフォード/87Km)
オックスフォード
Oxford, England
人口: 約165,000人
多少の工業もあるようだが、オークスフォード大学を中心とする研究と教育の街になる。IT関連企業は多いらしい。観光は主に大学の施設になる。
----- 観光 -----
カーファックス塔(Carfax Tower): 今はなきセント・マーチン教会の塔で、13世紀に建てられたもの。からくり時計があり現在も人形が時を告げる。99段の階段を上るとオックスフォード市街の眺望が楽しめる。有料(£2.30/2012年現在)
オックスフォード大学(Oxford University): 次のコラム参照。
----- 参考サイト -----
Oxford (英)
Wikipedia → オックスフォード
Oxford City / Official Site
14:50 出発。
オックスフォードまで87Km、約1時間30分の予定です。

観光中に鼻水に加えて右目から涙が出るようになる。このような症状はあまり経験がない。
バスに乗車後、テシューで涙をふき取ると、驚いたことに黄色の目ヤニがかなり付着した。単純な風邪ではないかも知れないが、とりあえず手持ちの風邪薬を服用し、両眼にドライアイ用の点眼薬をさしておいた。ドライアイの薬に殺菌力があると思えないが、この時点では他の良い薬を思い出さなかった。
これ以後、明日の未明まで、時々鼻をかみ涙と目ヤニをふき取る状態でした。この風邪に関しては当ページの最後に詳しい記録があります。

移動中は風景を楽しむ気分ではなかった。


オックスフォード大学 オックスフォード大学
ボドリーアン図書館の付属図書館ラドクリフ・カメラ
オックスフォード大学
Oxford University
12世紀に発足した University of Oxford が英語圏で最も古く、1160年代には大学の形が整ったという。次いで University of Cambridge が設立された。当初は貧しい家庭ながら有能な子弟を学寮に集めて教育し、卒業生は聖職者や法律家になった。1264年創設のマートン学寮が良く知られる。学寮は中庭を囲んでホール、寄宿舎、礼拝堂、図書館等が配置されたという。 16世紀のヘンリー8世が学寮クライスト・チャーチをつくり、17世紀の初めに英国国教会との結合が確定した。産業革命後のヴィクトリア女王の時代に聖職者養成機関から学問研究に軸足が大きく変わり、非国教徒にも門戸が開かれ、レディ・マーガレット・ホールが建設されて女性も学べるようになった。現在は学寮(College)は36もある。
中でも良く知られているのはクライスト・チャーチ学寮(Christ Church College)、トリニティ学寮(Trinity College)、ベリオル学寮 (Balliol College)とされるようです。
歴史的には大学学寮(University College/1249年、実活動は1280年以後らしい)、マートン学寮(Merton college/1264年)、ベリオル学寮 (Balliol College/1263年)が古いとされます。
注1: 設立年は英語版 Wikipedia から入手。2012年04月20日現在。
注2: 日本の皇太子殿下はマートン・カレッジ、雅子さまはベリオル・カレッジに留学されました。
イギリスには100以上の大学があるというが、私立大学(Private University)は University of Buckingham(1976-) のみで他は国立大学(Public university/Public research university)、と説明される。昔は授業料が無料だった。今は年間£9000(2012年以降)のようである。海外から留学なら約5割かそれ以上に高くなる。勿論、入学が大学か大学院かポスドクか、あるいは専門領域により支払う学費は違います。
注1: 英語圏では国立大学(公立大学/Public University)と表現される。しかし、日本の国立大学 イメージするのは不適切と思います。イギリスの国立大学のスタッフは公務員(civil servants)ではなく、国は大学の資産を所有せずに施設補助金や経常費補助金を提供する立場、とされます。時には私立大学と見なされることもあり、公立と私立の両面を持つ折衷型(ハイブリッド型)と推察されます。
注2: イギリスの”パブリック・スクール(Public school/Independent school)”は裕福な階級の子弟のための私立中学校で寄宿生活を行い、オックスフォード大やケンブリッジ大など指導的な大学への進学が多い、という。1868年執行の Public Schools 法に基づく学校は多いが、Charterhouse School,、Eton College、Harrow School 等がある。公立の中等教育は伝統的な”グラマースクール”だったが、教育制度の変化で衰退中らしい。アメリカのパブリック・スクールは公立学校を意味する。[出典:広辞苑など、文章変更]
----- 観光 -----
マートン・カレッジ(Marton College): 先述のようにオックスフォード大学で最も古い学寮の1つです。マートン・カレッジでは垂直様式(後期ゴシック)の礼拝堂(1294年)やホールトによる古典様式の図書館(1624年)、玄関棟(1610年)などが現存する。
ラドクリフ・カメラ(Radcliffe Camera): ボドリーアン図書館(Bodleian Library)の付属図書館で今は閲覧室らしい。国王付き医師ジョン・ラドクリフ(John Radcliffe)は遺言により自分の医科学関係の蔵書を寄贈、それを収める建物として建てられた。建築家J. ギブズの設計による図書館(1737-49年建設)は16角形平面に円堂を重ねた古典様式の建物としてしられる。
ボドリアン図書館(Bodleian Library): オックスフォード大学の図書館は14世紀に萌芽したが15世紀になり大学の一部となった。しかし、印刷技術の発達とカレッジ図書館の充実化により大学図書館は衰退した。ヘンリー8世の宗教改革で蔵書が免散したこともあった。17世紀初頭にトーマス・ボッドレイが大学図書館を復活させた。その後、元の建物に加えて新館も建てられ、地下道で結ばれた。ボドリアン図書館は、日本の国会図書館と同じく(勿論、日本はこの制度を採用)、イギリスで印刷された書物は少なくとも1冊は寄贈されることになっている。内部ツアーあり。
聖メアリー教会(University Church of St. Mary the Virgin): オックスフォード大学と市街を高所から展望できる場所の一つ(有料)。
アシュモリーン博物館(Ashmolean Museum): イギリスで最も古い博物館(Public Museum)とされ、オックスフォード大学に所属している。
シェルドニアン劇場(Sheldonian Theatre): オックスフォード大学に所属している。
----- 参考サイト -----
ウィキペディアオックスフォード大学
University of Oxford (英)
Wikipedia → University of Oxford
Radcliffe Camera (英)
Bodleian Library (英)
2012/13 University tuition fee rates (英)
Martyrs' Memorial, Oxford (英)
15:55 表通りにバスは停車、大急ぎで降車となった。

オックスフォード観光といっても、古い大学の校舎をザッと見ただけで大した印象もありません。「大学は建物ではなく、どのレベルの人達が集まり、社会的にどのレベルの仕事が期待されるか」にある。と云っても、ここは別格でしょう・・・。本当に古く、時には迫力も感じます。

オックスフォード散策の道順
バス降車(殉教者記念碑/Martyrs' Memorial) → マートン・カレッジ/ラドクリフ・カメラ → 聖メアリー教会(工事中の天幕) → MERTON COLLEGE CHAPEL → クライスト・チャーチ・カレッジ → 土産店アリス(Alice's Shop) → 市役所(Town Hall/無料トイレ) → 集合(カーファックス塔) → バス乗車(殉教者記念碑)
オックスフォードは観光客の多い街ながら公衆トイレが極めて少なく、カフェやレストランを利用するしかないらしい。

殉教者記念碑(バス降車の場所): 
St Giles Street と Beaumont St. の交わる緑地の端にある殉教者記念碑(Martyrs' Memorial)がある。これは 1840-42年に建立されたものながら、謂れは古く16世紀の女王メアリー1世(Queen Mary Tudor)の時代です。カトリック派だったメアリー1世は多くの新教派を粛清し処刑したのでブラッディ・メアリーの異名で知られる。オックスフォード出身の主教(Bishop)2名と大主教(Archbishop)1名が殉教した。その慰霊塔らしい。殉教者は3名ではなく2名の主教ともいうが、よく分かりません。
ここからマートン・カレッジまでかなり歩きました。

マートン・カレッジ: 
16:05 → 右コラムをご覧ください。

ラドクリフ・カメラ: 
16:07 → 右コラムをご覧ください。

聖メアリー教会: 
16:10 → 右コラムをご覧ください。
現在は工事中で尖塔はすっぽりと天幕で囲まれて見えません。

クライストチャーチ学寮: 
一旦、St. Aldates Street に出て、クライストチャーチ学寮(カレッジ)に向かった。
16:31 その通りから庭園に入ると右側が広いクライストチャーチ緑地となる。左側は学寮の巨大な建物です。校舎に沿って奥まで行くと木々の上にマートン・カレッジの塔が見えました。
この学寮はヘンリー8世が創立者とされます。17世紀にはイギリス国教と結合した。ニュージーランド南島にクライストチャーチという素晴らしい街があるが、この学寮の出身者が理想郷を作ろうとしたのがその街の発端になったそうです。(2011年2月22日にM6.3の大地震がありました。)
オックスフォード大学のこのカレッジ名はあまねく知れています。卒業生から13人もがイギリスの首相になり、他にも哲学者ジョン・ロックなど著名人を数多く輩出している。世界的な童話「不思議な国のアリス」の作家ルイス・キャロル(本名チャールズ・ドジソン)の母校でもあります。

「不思議な国のアリス」の作家ドジソン: 
1832年1月27日、チャールズ・ドジソン(Charles Lutwidge Dodgson/後のルイス・キャロル)はクライスト・チャーチ・カレッジ出身でパリッシュ教会の牧師チャールズ・ドジソンの長男としてチェシャー州ダーズベリの牧師館に生まれた。
1850年、チャールズはラグビー校を卒業。
1851年1月、父の母校オックスフォード大学クライスト・チャーチ・カレッジに入学。
1854年、クライスト・チャーチ・カレッジを最優秀の成績で卒業、同校の数学講師となった。
数学者、論理学者、写真家、作家、詩人でした。
作家としてはルイス・キャロル(Lewis Carroll)の名を用い、「不思議な国のアリス」で有名である。

記念品 土産店アリス
(Alice's Shop): 

16:45 それで、クライストチャーチ学寮の向かいに土産店アリスがある。入ってみました。童話に基づいた色々な記念品があり、ワイフは何か1つだけ購入したようです。

これから集合場所に向かいますが、途中のタウン・ホールに寄ってトイレを借用、無料でした。

カーファックス塔: 
17:03 集合場所のカーファックス塔に到着です。
この塔は単独ですが、1032年創立の聖マーチン教会の鐘楼でした。からくり時計も付いており、オックスフォードのシンボル的な存在とされます。屋上は展望台になっている(有料)。人通りの多い十字路にあります。
この塔の近く、カフェが入る木組みの3階建てがある。古く由緒がありそうです。面白い構造で上の階ほど広く大きい。で、外壁は上の階程せり出ています。ついでの思い出ですが、フランスのルーアン大聖堂の横にも類似の木組みの建物があり、そこでも上階ほど外に出ています。欧州では稀ながら時には見る建てかたのようです。
17:18 カーファックス塔から殉教者記念碑まで、街中の賑わう道をグルーブで歩きました。

殉教者記念碑でバス乗車: 
オックスフォード後の歩数計 17:26 殉教者記念碑に到着。
17:46 乗車。
オックスフォード到着時の歩数計は9133歩、
出発時の歩数計は13636歩、
オックスフォードの歩数は4503歩でした。
体調のためギリギリの感じです。

移動(→ホテル/68Km)
ホテルまで68Km、約1時間30分のバス・ドライブです。
車窓の風景も楽しまず、ウトウトと過ごしました。

ホールマーク ホテル グロスター (2泊目) ホテル
ホールマーク ホテル  グロスター 19:15 部屋に入る。異常はありません。
夕食に直ぐ行かねばならない。洗面だけ急いで済ませました。

夕食(ホテル)
19:25 部屋を出て1階のレストランに向かった。
皆さん、もう集まり着席していました。適当に相席だったと思います。
テーブルにはクッペ1個とバター1個の皿が置いてある。今晩も2人に1カップのビール(大/£3.60)です。ワイフと回し飲みですが、やはり余しました。味ゆえではない。しばらく後にサラダです。メーンデッシュはグリル・ステーキにキャロットなど煮野菜でした。デザートはカットフルーツのミックス(フルーツ・カクテル)でした。
20:30 レストランから部屋に戻った。

昨日に続き、今日も観光中にネオ一眼デジが電池切れとなった。バッテリー故ではなく、充電不足だった。それで今夜は、ネオ一眼デジカメのバッテリーは朝まで充電します。小型デジカメと停滞電話機の充電に問題はありません。

甘い菓子の軽い夜食をしてから就寝です。
今日は歩行数が多い上に体調が悪くなり疲れました。

明日の予定
06:30 モーニングコール。(05:30 起床の予定。)
07:40 ドアーの外にスーツケース出す。
08:00 朝食(1階のレストラン)。
08:45 出発。


風邪か? 体調不全
今日の午後、ストラトフォード・アポン・エイボンの観光中に鼻水が出始め、不思議にも目にきて涙と目ヤニがでるようになった。何時もの風邪薬や点鼻薬を使用し、ドライアイの薬を点眼しておいた。実は、全く改善しなかった。シャワー後、風邪薬と点鼻薬を使用し、ワイフの抗菌点眼剤を両眼に点眼して休んだ。
少しでも発熱の感じがしたら、旅行前に処方してもらった抗生物質ジスロマックを服用の予定です。その点は安心していました。

未明に苦しくて目覚めた。ところが、まぶたが開かない。物理的に接着された感じです。両眼ともすごい量の目ヤニで開けられない。抗菌点眼剤は逆に悪化させたように思いました。一度、洗面所で両眼を清潔にする。眼用テラマイシン軟膏を持ってきたのを思い出し、それを両眼の目頭と下まぶたの内側にたっぷりとぬっておいた。風邪の菌なら有効かも知れません。それ以上のことは何も出来ない。休みました。

翌朝まで良く眠りました。鼻水は治まっている。
眼用テラマイシンが効き、目ヤニは僅かなものでした。しかし眼球と内瞼の充血が酷い。多分、風邪の菌による結膜炎と思いました。洗顔後に再び眼用テラマイシンを両眼につけ、朝食後に風邪薬ものんでおく。

昼食時には風邪の感じはなく、両眼の涙も目ヤニも止まっています。充血も目立たない状態まで落ち着き、どうやら治っているようです。念の為、眼用テラマイシンを両眼の目頭につけておきました。
午後には完全に落ち着きました。

この風邪と目の記事は明日の内容を含んでいます。それで、明日の記録ではこの風邪の件には触れません。

追記: 今春のイングランドは低気温でした。寒がりのワイフは厚着や使い捨てカイロで温めていましたが、やはり早々に風邪をひき、自分の抗生物質ジスロマックを毎朝3日間のみつづけた。同時処方の風邪薬も服用したためか、観光しながらでも完全に治りました。
抗生物質ジスロマックは朝1回の服用を3日間続ける。その効果は1週間の持続、とされます。海外旅行者は携帯するのが良い薬の一つかもしれません。呼吸器の感染症を初めとし細菌性の病気では幅広く使える薬とされています。ただし、医師に体質などを良く相談されて処方をお願いするのが良いでしょう。
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