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アメリカ西部の旅 1日目 (2008/6/25)
長い往路、その後サンフランシスコ市内観光
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往路1(国内移動): 自宅から成田空港まで
06:00 起床。
□:□ ワイフの車で出発。天候は曇、風もなく穏やかな朝です。車の外気温メーターは18度を示していた。
□:□ 空港に到着、駐車場は珍しくも空いていた。到着口と出発口の中間に車を置く。
□:□ JALの自動発券機にクレジット・カードを挿入した。座席指定の画面によると窓際の席はかなり後部になる。前方の通路側を指定し、搭乗券と領収書を受取った。その後はJAL窓口でスーツケース2個を預入れ、搭乗手続きは完了です。
□:□ 機内持込み手荷物と身体のセキュリティー検査を受けて搭乗口待合所に入った。

JAL羽田便
□:□ ○番ゲートから搭乗。機材はB777-200、普通席の配列は珍しい 2-5-2、我々は11Bと11Cでした。携帯手荷物は床下に置いた。各シートに液晶デスプレーあり、座席間隔も少し広く感じたが気のせいかもしれない。後日JALサイトで確認すると、搭乗機は総座席数380人ですが、主力タイプではないらしい。座席の配列が 3-3-3 で座席総数398人が主力のようです。このB777型機はボーイング社と航空会社が協力して製造したハイテク機で燃料効率も良い中距離向けということです。
□:□ 定刻に出発。
□:□ この頃に離陸。イヤホンで音楽を聴きながら機内誌を読んで過ごす。
□:□ 飲物サービス。コーヒー(ミルク・砂糖なし)をもらう。
□:□ 着陸。
□:□ この頃、羽田空港・第1ターミナル17番ゲートに到着。今日の東京は梅雨の中休みらしく、薄曇りだった。降機の後はコンコースを長々と歩いた。
□:□ 手荷物受取所に入り、カートをターンテーブル8番まで持ってゆく。今日の搭乗客は少なかったらしく、スーツケースは早めに出てきた。

羽田空港・第1ターミナル・中華レストラン
赤坂離宮の入口
昼食の「つゆそばセット」
つゆそばセット
羽田空港で昼食
□:□ 手荷物番号の照合を受けて外に出る。近くのコインロッカーにスーツケース2個を入れた。500円先払い、その領収書に開錠番号が印字されている。
□:□ ショッピング・モールの雑貨店を少し見てから、中華レストラン「赤坂離宮」に行く。ショーケースには幾つかのセットものやアラカルトが並んでいる。「つゆそばセット(@\1600)」に決めた。店内に入ると直ぐ空き席に案内される。昼食時のこと、我々の後は間もなく満席になったようです。それ程は待たされなかった。料理の味と量は我々には十分でした。空港の昼時、入口の椅子では数組の人達が空席待ちでした。
□:□ 食事代はワイフ持ち、支払って中華レストランを出ました。
リムジンバスで成田空港に向かう
□:□ リムジンバスの乗車券(@\3000)を2枚購入。乗場7番までかなり歩いた。「成田第1ターミナル・北ウィング」と云ってスーツケースを預けた。しかし、何か記憶違いがあるように思え、日程表で確認すると「南ウィング」となっている。係員に伝え、既に床下トランクに納めれたスーツケース出してもらい、行き先の荷札を取り替えてもらった。当方のウッカリミスで余計な手間をかけました・・・。
□:□ リムジンバスが羽田第1ターミナルを出発。順調な走行でした。
□:□ 成田空港の第2検問所に到着。

往路2(成田空港): ツアー参加から搭乗まで
成田空港に到着
□:□ この頃、第1ターミナル南ウィングに到着でした。
スーツケース2個はカートに積んで運ぶ。入口の左側かなり奥に旅行会社のブースが並んでいる。その手前でツアーのステッカーや荷札をスーツケースに、バッチをリュックに付けた。それから旅行会社の窓口に行く。早過ぎて担当の添乗員は到着していない。「30分程度は待ってください」とのこと、旅行会社の窓口が見える椅子で休むことにした。
その頃、「赤毛のアン生誕100周年記念、プリンスエドワード島」ツアーが受付中でした。文学に関係したテーマなので、参加手続きをする人達の雰囲気が一味も二味も他のツアーと違うのです。見た目の年齢に関わらず、ご衣裳がメルヘンチックというか悪く表現すればマンガチックで浮世離れしていたり、携帯の手荷物が奇妙に凝ったものだったり・・・。我々が知るツアーの雰囲気とはかなり距離感を感じさせる優雅(?)なものでした。長年に渡り身を入れた趣味というものは人格や外見にまで影響するもの・・・。
退屈凌ぎに1階分高い場所から出発フロアーの写真を撮ったりもした。

ツアー参加手続き
14:55 参加ツアーの受付が開始となった。7〜8名の同行者の行列に並ぶ。今回は男性添乗員が担当でした。手続きは簡単でパスポートの確認後に「米国への入国について」という注意書きと入国書類作成の雛形をもらう。また、帰路の航空券を含む全ての航空券を列記した1枚のプリント(e-ticket receipt)も受取った。アメリカにビザなし入国なら必要な帰路航空券を含んでいる。滞米中は必ず所持です。預入れ手荷物に関し、「往路は直行便なので施錠しても良いが、帰路では絶対にロックしないこと」 と云われる。最後に購入済み旅行保険の証書2名分を受取る。集合は15:50、ANA搭乗手続き窓口の向こう側で木のある場所、という。それまで、かなり自由時間があった。

ANAサンフランシスコ便の搭乗手続き
指定のANA搭乗手続き窓口に行く。預入れスーツケースは私のが18Kgでワイフのは15Kgだった。最大23Kgの重量制限内で問題なし、施錠はしなかった。受取ったボーデング・パスによると搭乗口は南ウィング51番ゲート、出発は予定通り 17:10 となっている。我々の座席は 27J と 27Kでした。

後日談で記憶がはっきりしないが、確かANAのマイレージ・カードを航空券と共に提出したはず・・・。しかし、帰国後にANAサイトで確認すると、米国内の移動に利用したユナイテッド・エアライン(UA/スターアライアンス)は搭乗した3航路のマイレージが全て登録済みなのに、同じスターアライアンスのANAのマイレージは往復とも未登録だった。止むを得ず、搭乗半券のコピーを郵送してマイレージ事後登録の申請を行った。これにより日米間の往復マイルは登録されました。
しかし、今度は、搭乗時にマイレージカードを提示した2区間のみ米国内UAのマイルが記載され、提示忘れのラスベガス・ロスアンゼルス間のマイルは抹消されていた。システムは正直、正確でした・・・。

クレジット・カード会社の空港ラウンジ
15:05 搭乗手続きを済ませ、南ウィングと北ウィングの間にあるモールに向かった。このエリアは初めてです。各種の店舗があり、かなりの用は足せるようです。我々はゴールド・カード専用ラウンジが目的で、エリア・ガイドを見ながら何とか IAFF のラウンジに辿り着きました。ラウンジ入口でカードを提出し、OKとなってから中に入る。
航空会社のビジネス・ラウンジ程ではないが、それでも黒いレザーの安楽椅子が並ぶゆったりと落着いた雰囲気でした。適当に場所を決めて、コーヒーをセルフで入れました。味はちょっとした喫茶店なみ、思っていたより楽しめました。他にはPCに向かうサラリーマンやキャリアーウーマンがポツポツです。初めて利用した第1ターミナルのカード会社ラウンジでしたが、飲物と読み物サービスがあり、静かで休めます。良いものでした。
カード1枚で同伴者も無料なのは2008年9月30日まで。その後10月1日から、少なくともセゾン系やJCBのゴールドカードなら、本人のみ無料で同伴者は有料(@\1050)になります。他のカード会社も同じでしょう。
15:30 ラウンジから出て集合場所に向かった。

ツアー集合
15:48 参加者が集合、添乗員さんが点呼をとる。聞いた人数より多く、33名の参加だった。中高年の参加者のみと云えるツアーでした。多くは夫婦で友人組みがチラホラといったところ。例により、初集合のこの時点では、何となく疲れたような冴えないムードが漂っています。緊張感でしょうか・・・。
添乗員さんは男性ですが、自宅で受取ったFAXや今日の配布物は丸字で表現なども妙に女性の雰囲気と思っていた。ワイフはすぐ「この人、○○○!」と云ったが、自分ではそこまで分からなかった。ツアーも終りになると皆さんも「○○○」と思っていたようです。しかし、添乗員としての仕事に全く問題はなく、本人は「そんなの、関係ないわよ!」でしょうね。どういう訳か、当世は流行っているようで・・・。
以下、この時点で申し渡された注意事項ですが、記述漏れや間違いは筆者の責任です。

今回はラスベガスを含めアメリカ西部の砂漠地帯も訪ねるので、旅行中は水の携帯が必須です。しかし日米間の往復航路を含め航空機では携帯できません。我々は預けたスーツケースに数本の水をいれておきました。
ホテルの枕チップは以前と同じです。しかし、タクシーやレストランのチップは 10%〜15% とする説明が多かったが、近年は 15%〜20% とする記述も目につくようになった。アメリカのサービス料は値上りの傾向なのでしょう・・・。大昔を思い出すと、私のニューヨーク時代にはレストランもタクシーも 10% が相場でした。
15:58 解散。各自で出国手続と搭乗です。

出国手続と搭乗待ち
16:10 出国手続きは完了、ショップの並ぶコンコースを搭乗口51番に向かった。今回は特に免税品の購入予定はない。コンコースの所々に水飲みの設備があるし、搭乗後はサービスで水をもらえます。神経質な人でも出国手続き後に水を購入する必要はない、と云えるでしょう。
16:15 搭乗機はボーデング・ブリッジも接続済み、待機中でした。明るい搭乗待合でゆっくりしました。
ANA, JAL, UA 搭乗口51番。偶然ながら今回利用の全航空会社、左からANA搭乗機、国内移動のJAL、米国内移動のUA。 16:45 優先搭乗の人達はいなくなり、普通席の搭乗が始まった。パスポートと搭乗券を手に、行列の後ろにつく。

往路3: ANA サンフランシスコ直行便
16:52 機材は B777-300、座席配列は 3-3-3、我々は窓側と中央の 27K & 27J でした。今日は満席でぎっしり詰まった感じです。座席に就き次第、靴から持参のスリッパに履き替え、脱いだ靴の紐は互いに結んでおく。こうすると睡眠中に蹴飛ばして片方が行方不明にならないのです。リュックは取り出しやすい座席下に置きました。
機長と客室係りからアナウンスがあった。まとめると、

日本から西海岸の飛行時間は偏西風に乗るので短いが、帰路は向かい風で12時間程度かかります。
この旅行記ではここからアメリカ西海岸の標準時を用います。

JST:17時00分 ⇒ PST:6月25日午前1時00分。(夏時間/時差は-16時間)

01:13 出発。
01:31 この頃に離陸。
02:00 熱い小型お絞りが配られた。
02:25 冷えてきた。セーターをリュックから出して着る。

おつまみと飲物
02:30 おつまみと飲物のサービス。飲物はビール1缶にコップ2つを頼んだ。下戸でも年に何度かコップ一杯くらいは口にする。
02:43 使用済みコップを返却。
03:00 この頃に時計(腕時計・デジカメ3台・ICレコーダー)を日本標準時から西海岸標準時にあわせた。
03:05 ワイフがスチュワーデスさんに水を頼んだら、おつまみと水のセットでくれました。
03:11 夕食の配膳。メニューでメーンデッシュのチョイスです。飲物は水にした。ワイフはカレー、私はビーフ・シチュー(?)にしました。 2003年5月「スイス・ドイツ旅行」以後、久々のANAの食事ですが、食べ易い機内食に思えました。

夕食(1)自分のチョイス

夕食(2)ワイフのチョイス
03:40 デザートのアイスクリームが配布になる。ハーゲンダッツのバニラで好物の1つ、楽しめました。
04:20 スチュワーデスさんにEDカード2枚と税関申告書を届けるようにお願いしました。「しばらく後に配布になりますが?」とのことだったが、「早く眠りたいので、スミマセン。」 直ぐ持ってきてくれました。
04:40 EDカードと関税申告書の記入を終える。必要データは旅行会社ガイドブックの記入例にメモしておいたし、アメリカ入国の書類は日本語で作成されているので楽でした。決して難しいものではありません。
04:45 薬を服用してから、マスク(風邪予防)、アイマスク、耳栓をして眠りました。
ZZZzzz・・・・・。
08:00 熟睡したが、目覚めた。もう、機内の人達の多くは起きていた。使用のマスク、アイマスク、耳栓を片付け、スリッパは靴に履き替えておく。
08:08 飲物の配布あり。目覚めに冷たい緑茶をもらった。

朝食

食後のコーヒー
08:11 朝食の配布あり。ソーセージや一種のワッフルやヨーグルト、デザートで簡単ながら楽しめました。食後に熱いコーヒーを2杯もらって満足です。
その後、鼻水が出て仕方ない。風邪らしい。直ぐ携帯の点鼻薬をリュックから出して使用した。私にとり、旅行中の風邪は天敵です。長時間の飛行では気温よりも湿度が低く過ぎて風邪を引きやすいのです。幸い喉は大丈夫で、その後の旅行中に体調の異常は全くなかった。
ワイフは隣の男性(個人・出張)と談笑でした。
08:24 ホットコーヒーをもらう。やっと目覚めた。
08:40 朝食トレーの片付け。
08:55 添乗員さんがEDカードと税関申告書の点検に来ました。記入に問題はなかった。その後は靴を履いたり、セーターをリュックに入れたり、到着の準備です。
09:50 この頃にサンフランシスコ空港ターミナルGに到着だったと思います。記録がなく時刻は正確ではありません。

1日目(2008/6/25) アメリカ入国、サンフランシスコ市内観光

サンフランシスコ空港に到着、アメリカ入国
10:00 ボーデング・ブリッジを渡り、ターミナルGに入り、新しい感じの長いコンコースを歩いた。現在の国際空港は案内表示に従うだけで目的の場所に行けるようになっている。まず入国審査場(Immigration)に着きました。
各審査ブースに4〜5人だったと思います。しばらく待つと順番です。この空港では未だ両手人差指のみ指2本の指紋採取でした(アメリカは10指全部の指紋採取設備を導入中)。その後に顔写真の撮影です。審査官はパスポートをパラパラとめくり、「去年ハワイにきましたね?」 さすが、プロの目は早いもの、スタンプを完璧に読取っていました。アメリカの入国審査官は簡単な質問をすることが時々あるようです。「YES」だけの答えで少々面白くなかった様子でした。しかし、問題はなく、パスポートに入国スタンプを押し、機内で記入したビザ無し入国カードのグリーン・フォーム(Form I-94W/通称 Green Form)の出国用の部分をホッチキスでパスポートに止め、利用航空券の一覧コピーや税関申告書と共に返してくれました。このパスポート取付けのグリーンフォーム I-94W は出国時に外され、帰国便の搭乗券に付けられたりします。
アメリカ滞在中にパスポートに付けられた Form I-94W を紛失し出国時に提出しないと大変です。ペナルティは厳しく、5年間のアメリカ入国禁止の処分となるとか・・・。何分にも、書類上とはいえ、許されたビザ無し滞在期間を過ぎると「不法滞在」になるので・・・、つまりアメリカのコンピュータ内の不法滞在者リストに自動的に入ってしまう。

チト、脱線です。若い時にアメリカ生活の経験があり、アメリカの大学から給料を頂いた時期もある。それで2005年10月1日の「日米社会保障協定」に基づき”毎月”アメリカの年金を受取っている(就業年数が少なく金額は僅か、しかし有り難いものです。) ニューヨーク連銀から(どういう訳か?)ダブリンのシティバンクに振り込まれ、その後に日本の銀行で日本円に両替され口座に振込まれます。為替相場の変動で受取り金額は毎月ちがう。でも、信じようと信じまいと、若い時代の公的な証でもあり、「カッコイイ」でしょ?金額にかかわらず、気分的には半アメリカ人みたいにも感じて他国に来たように思えない、のも事実です。

注: 2009年春からと思いますが、送金依頼人は「USA Social Security Administration(米国社会保険庁)」となり、送金銀行は単に City Bank となりました。これなら直観的に通常です。(2009.08.20 追記)

時刻の記録はありませんが、バゲージ・リクレームで預入れ手荷物を受取り、その場で人数などの確認がありました。それから関税申告書を提出して入国手続き完了です。

サンフランシスコ市内観光
10:38 2階からエレベーターで1階の到着ホールに降りた。
10:40 空港の到着出口で再集合。現地ガイドさんは日本人女性でした。近くで待っていた観光バスに移動、すぐスーツケースを床下トランクに積んでもらった。
10:51 乗車。ドライバーさんはアメリカ国籍の人でした。全員が乗り次第、出発です。サンフランシスコ市街まで約30分です。空港と市街地の間は元々スペイン人が入植したので、建物などは伝統的にスペイン風が多いようです。広大な墓地もある。サンフランシスコの中心部に近づくにつれ、霧で見通しが悪くなってきた。
実は1997年3月後半でしたが、この街はワイフと訪ね3泊したことがある。フライト&ホテルに近いツアーだったが、半日観光付きで今回と似たものでゴールデンゲート公園、ツインピークス、ゴールデンゲート、フィッシャマンズ・ワーフ(ピア39)に案内されました。その時は空気が澄んでいて良く見えた記憶がある。でも、今日は晴ながらボーとした風景です。良く表現すれば有名な「霧のサンフランシスコ」でムードがあるとも云えましょう。

SF1:原油価格が高騰中 ⇒ アメリカのガソリン価格
サンフランシスコ市街の3方を見渡せる展望台「ツインピークス」に向かった。
その途中しばらくは街を眺めるだけだった。家々はアメリカの住宅としては小さく思え、外観や色使いも日本とは全くちがっています。
この時は原油価格の高騰がマスコミを賑わせ、日常生活でも大きな影響が出ていました。アメリカのガソリン価格に興味があり、セルフ・サービスのガソリン・ステーションの価格表を撮影しておきました。合衆国のガソリン価格は地方差と企業差、さらに店毎に価格差があり、単なる一例にしか過ぎません。

2008/6/25 Gas Prices in San Fransisco
サンフランシスコ市内のガソリン価格
原油価格が高騰中のおり、当時の為替を 1.00ドル = 108円 、1ガロン = 3.785リットル として計算すると、現金払いの場合、レギュラー(\128/L)でプレミアム(\134/L)となります。サンフランシスコでは現金払いのほうがクレジットカード払いより14セント(約15円)安く表示されている。
最近の日本のレギュラーガソリンは \170超/L、カルフォルニア州はガゾリンが高いとされるが日本との比較では未だ安いようです。
しかし、国の広さが違い、車での移動距離もずっと長く、大型エンジン搭載車が多いのがアメリカです。ガソリン購入を控える人達も現れ始め、通勤時のカーシェアリングも増加中と聞いています。 前に簡単に指摘しましたが、英語版 Google で調べた結果、カルフォルニア州は全米でもガソリン価格が最も高い州になる(2008.7.17現在)。中部の諸州が比較的安く、1ガロンが$3.80以下(1リットル108円以下)の地域も未だ散在しているようです。
経済専門家の意見も「BRICsの経済拡大で原油の需要が増大したため」、「OPECが増産しないから」、「米国金利の低下でファンド資金が原油先物市場に流れ込んだため」、「株を売って資源先物を買っている」、「ドル安が原油高の原因」、「原油高は原油消費の減少となり、地球温暖化にとってプラス」、等々、例によって百家争鳴の様相です。何れにせよ、数年後にこのガソリン価格を見て、安かったと思うでしょうか、それともあの頃は高かったと思うでしょうか?
序でながら日本の航空会社を利用すると、日米間の航空運賃(またはツアー代金)に加算される燃油サーチャージは2008年6月30日まで往復40,000円でした。しかし7月1日より大幅アップで往復56,000円に決まっている。夫婦で112,000円の燃油サーチャージは無視できない金額といえましょう。価格比較サイトによると、各国の航空会社の燃油サーチャージでは日本の航空会社が最高値グループになる・・・。
この時代の特色としてもう1つ記録しておくと、燃油高騰で漁船は出漁しても大幅赤字となり、欧州や日本では集団休漁が頻発しています。これは前代未聞の事とか・・・。最終的には魚の価格高騰の一因となり、庶民の食卓を直撃することでしょう。

追加情報: ここまでは 2008年7月下旬の記述ですが、同年12月の状況は一変しました。次のカラムをご覧下さい。

2008/12/20 WTI原油価格チャート、北行庵の制作。 2008年12月20日時点で、NYマーカンタイル取引所のWTI価格の足取りは左のチャートです。サンフランシスコを訪ねた6月25日は原油相場が頂点に達する2週間前だったのです。半年未満で原油価格は1/4以下になりました。つれて他の鉱物資源、穀物、交通・運搬、廃品リサイクル等々の価格に多大な影響を及ぼし、世界経済全体が変調をきたしている。サブプライム問題に端を発する世界的な金融大混乱に重なり、資源バブル崩壊の壮大なドラマが進行中です。


SF2:展望台ツインピークス(Twin Peaks)
San Fransisco from Twin Peaks 標高276mと278mのツインピークスからサンフランシスコ市街を展望、霧ではっきりせず残念でした。
バスは住宅街から高い場所に山道を登り始めた。生憎と僅かに霧がかかり見晴らしが素晴らしいとは云えなかった。
11:20 この頃に標高276mと278mの双子の山「ツインピークス」で下車、展望台からサンフランシスコの市街を眺めました。ニューヨークに次ぐ西海岸一の金融街と云われるビジネス街が霞んで見える。全体的にボーとした感じです。ゴールデン・ゲート橋も辛うじて見えたかどうか、ベイブリッジは霧のなかに吊橋の塔が数本見える程度でした。特に午前中は霧の発生が多いとされるが、その通りになりました。(後述しますが、実は霧ではなく山火事の煙という説明もあった。)
11:30 この頃、ツインピークスを出発。

ゴールデンゲート橋(金門橋/Golden Gate Bridge):
Golden Gate Bridge 全長2737m、主塔間隔1280m、主塔高227m、橋は海面上67m、幅27m(6車線+歩道)、1937年完成。
現在では日本にも巨大な吊橋(Suspension Bridge)があちこちに作られ、珍しさはなくなった。しかし、構造物としての規模は競えるとしても、歴史的な意味や観光的な認知度においてアメリカの吊橋は大先輩としての風格がある。ニューヨークのジョージ・ワシントン橋、ブルックリン橋、ヴェラザノ・ナロー橋、ワシントン州のタコマ・ナロー橋(強風にあおられ落橋したことで有名)、サンフランシスコのゴールデン・ゲート橋、良く知られた吊橋が多いのです。吊橋はアメリカで発達したとされます。
ゴールデンゲート橋は Joseph B. Strauss (1870-1938) が設計者であり、1920年から完成の1937年まで建設技師長でした。その銅像が公園にあります。ゴールデンゲート海峡は130m以上の深さがあり、潮の流れが速く、霧の発生と強風が頻繁で、建設工事は難しいものだったようです。1940年11月7日に強風で壊れたタコマ・ナロー橋と似て、完成時には強風による揺れが大きかったらしい。補強工事が施されて、その後は風による揺れは治まったとされます。1964年にニューヨーク港入口のヴェラザノ・ナロー橋(主塔間隔1298m、現在アメリカ最長)が完成するまで世界一長い吊橋でした。
サンフランシスコは1989年に大地震に襲われ、高架の高速道路やオークランドのベイブリッジが崩壊したり、ビルの損壊がありました。しかし、ゴールデンゲート橋の損傷に関する情報は見たことがありません。1906年のサンフランシスコ地震(M7.8)もあり、地震を考慮した強度ある設計だったのでしょう。

ゴールデンゲートは歩行者も利用できます。ただし東側の歩道のみで、夏時間の期間(March/8-November/1, 2008)は5〜21時、標準時の期間(November 2, 2008 〜 March 7, 2009)は5〜18時にゲートが開いている。時間になると自動的にゲートが閉まるらしい。通常のツアーなら散歩で渡ることは出来ないが、個人旅行なら楽しめるかも知れません。でも歩いて渡る日本人は極々稀なように思います・・・。

歴史ですが、1849年のゴールドラッシュ以降にサンフランシスコは西海岸一の都会として発展した。南北戦争(1861‐65年)の頃に、ここゴールデンゲート橋の取付け部(フォート・ポイント)に北軍の要塞が構築されました。それ故に今でも要塞と呼ばれている。外国からの侵略も念頭にあったのでしょうが、当時は主に南軍からの攻撃に備えたようです。その簡単な碑もありました。

11:52 ゴールデンゲートの駐車場に到着。この公園全体は皇居の6倍程度の広さがあるようですが、我々はフォート・ポイントという橋の取付け部からゴールデンゲート橋の見える風景を楽しみました。団体行動はなく、各自で散策です。写真撮影や珍しい植物の花を眺めたりで過ごしました。
12:20 ゴールデンゲートを出発。

ピア39(Pier 39)/昼食
12:40 フィッシャマンズ・ワーフ、ピア39に到着。
12:50 この観光桟橋の左側の最初の建物にあるレストラン(Fog Harbor Fish House)に直行でした。階段を上った2階です。名前の通りシーフードが主な料理らしいが、パスタ類やステーキも良く、サワードゥ・ブレッド(Sourdough Bread)は自家製となっている。他に、サンフランシスコ港と街の展望が良いレストランでした。
奥まった場所にツアーの席が予約されていた。飲み物は北米産クランベリー(Cranberry)のジュースを注文した。クランベリーは北部ヨーロッパでもジャムやソースやジュースを家庭で作るようです。ジュースは赤い色がすばらしく綺麗でした。メインデッシュはサンフランシスコ名物の丸いサワードゥ・ブレッドを器にしてクラムチャウダーを入れたもの(Clam Chowder in a Sourdough Bowl)。レストランなのでサラダ付きの皿に乗っていました。パンの部分を手で千切ってクラムチャウダーを付けて食べましたね。デザートはコーヒーとアイスクリームだった。

クランベリージュース
クランベリージュース
クラムチャウダー入りサワードゥ・ボウル
クラムチャウダーのサワーブレッド
デザートはバニラ・アイスクリーム
バニラ・アイスクリーム

前回の訪問でも同じくクラムチャウダー入りサワードゥ・ブレッドの昼食でしたが、ピア39の路面レストランでテイク・アウト購入し中央通路の椅子で食べた記憶がある。単品なら約6ドル程度で、ラーメン感覚でしょう。その時はクラムチャウダーにコッテリ感があり実際にクラム(アサリ?)が幾つか入っていたと思うのですが・・・、昔のことで記憶違いかも知れません。ついでですが、ビア39の路面レストラン「Crab Stand」の メニューと値段(2008.6.25撮影) もご覧ください。庶民的なレストランで値段も決して高くはなく、有名な観光地としてはリーズナブルに思えます・・・。

大きな地図で見る オフラインなら Google Map は表示されません。


ピア39(Pier 39)/自由行動
13:32 レストランを出る。集合場所はバスを降りた場所、集合時刻は14:10、それまでピア39で自由行動です。

ピア39先端近く、回転木馬、ショーと観客

ピア39先端2階の展望台からアルカトラス島

ピア39のアシカ保護区(自然のアシカ)
13:42 ゆっくりと観光用ショッピングモールを見物しながらピア39の先端に向かった。奥の広場には回転木馬(Carousel/Merry-go-round/Roundabout)があり楽しい雰囲気を演出している。その裏側の舞台では芸人が何かしていたし、大勢が見物していました。我々はその写真を撮っただけでビア39の先端に行きました。

ここの2階部分も展望台で2.5Km先の海上に浮かぶアルカトラス島(Alcatraz Island)がよく見えます。この島は1934年から29年間は連邦刑務所でした。現在はサンフランシスコの観光名所の1つで見学者が多いと云われます。規模は違いますが、北海道の網走刑務所がやはり観光名所になっているのと同じ状況でしょうか。

2階の遊歩道を少し戻った別の展望台からは浮き桟橋状のものが幾つもあり、その上でアシカ(Sea Lion)がのんびりとしています。飼育ではなく、自然のアシカが集まっているらしい。今日はその数が少なかった。以前に訪れた時(1997年3月)、浮き桟橋にびっしりといましたが・・・。季節も違うし、気ままな自然の動物のことで状況が違っても不思議はないのでしょう。
写真の注意書きには、「アシカへの嫌がらせは海獣保護法に違反します。(アシカ専用の浮き桟橋に)船を着ける事、近づくこと、餌を与えること、物を投げつける事は禁止」と書いてあります。

ブラブラと何軒かの店を覗いてからチョコレート専門店(Chocolate Heaven)に入った。チョコレートの種類が実に多い。その中でオレンジ皮の砂糖煮をチョコレートで包んだ Orange Peer を2袋だけ購入した。量り売りですが1ポンド19ドルで特に高価ではありません。帰国後の賞味では、ブランド物より大きくて味に繊細さがなく素朴な駄菓子に近いと思えましたが、それでも十分に楽しめるものでした。
有名な観光桟橋だけあって通路もショップも人、人、人、・・・。

14:05 集合場所に戻り、バスに乗車。
14:13 出発。
広い中華街を通り抜け、トンネルを潜るとユニオン・スクエアーは直ぐ近くだった。

日本人向けの土産店
14:30 ユニオン・スクエアを過ぎ、ヒルトンホテル近くで下車、OFerrelle St. でホテル・ニッコウ向かいの土産店に入った。
ここでチョットした土産にプラスチック製のまな板を購入したが、これは大失敗だった。その時は気付かなかったが、日本で包みを開けると強烈な化学物質の変な匂いがする。とても日本では喜んで貰えない臭気でした。確認せずに店頭に並べたのでしょうか・・・。

ユニオン・スクエアー(Union Square)

ユニオン・スクエアーとパウエル通りのケーブルカー
今日のユニオン・スクエアーは初代サンフランシスコ市長が1849年に公共広場として設けたもの、その後サンフランシスコは南北戦争(Civil War, 1861-65)で北軍(The Union)に加担し、これが広場名となったとされます。
20世紀初頭の大地震後にユニオン・スクエアーはショッピング・エリアとして知られるようになった。広場自体はビルに囲まれた単なる空間で、その中心にマニラ海戦(1898年)でスペインに勝利したジョージ・デェウィのモニュメントがある程度に思えます。地下は全て駐車場になっているらしい。しかし、広場周辺にニーマン・マーカス、メイシーズ、サックス・フィフス・アベニューなど名門デパートがあり、レストラン、カフェ、ブティック、アート・ギャラリー、劇場なども多く、サンフランシスコの中心的なショッピング・ゾーンです。

土産屋の後は自由行動だった。サンフランシスコ名物のケーブルカーが走るパウエル通り(Powell St.)まで行き、左折して1ブロック行くとユニオン・スクエアーになる。大した時間もないので記念写真を撮った程度で終わりました。
以前3泊した時に、ユニオン・スクエアー周辺はゆっくり散策したり、食事したり、ショッピングも楽しんだ。ケーブルカーも何度か利用したのです。実はユニオン・スクエアーから2ブロック先にケーブルカーの終点がある。ケーブルカーを乗せたターンテーブルを運転手が人力で半回転させて向きを変えるのですが、今でもそこは観光名所でしょうか? 今日のところ、我々はこのスクエアに特別な新鮮味を感じた訳でもなく、買物の予定もなかった。短時間の自由時間は却って良かったのですね。

15:05 パウエル通りを1ブロック戻り、交差点を右折して集合場所のヒルトン・ホテル近くに戻った。
15:10 出発。宿泊のホテルに向かった。

ホテル ウィットコム サンフランシスコ (1泊目)
(Hotel Whitcomb San Francisco)
Hotel Whitcomb 写真ページ
Hotel Whitcomb の建物
ホテル ウィットコム
15:25 この頃にマーケット通りに面したウィットコム・ホテル(客室数472)に到着です。
このホテルは官庁街のシビック・センターに隣接し、地下鉄駅やバスやトロリー等へのアクセスが便利な立地です。到着したら伝統的なスタイルのホテルマンが出迎えてくれ、明るいとは云えない古色蒼然としたロビーに入りました。ホテル・サイト(英語)ではロビーにはオーラ(独特の雰囲気)があるとしています。確かに、壁材は本物のイタリア大理石、シャンデリアもオーストリア・クリスタル・グラスを使った伝統的なデザイン、立派で広い会議室も隣接し、ビクトリア調スタイルのロビーとされます。かつては優雅な高級ホテルの1つだったのでしょう。
National Trust の標識
ナショナル・トラストの歴史建造物
1906年のサンフランシスコ大地震の後、1912-1915年の間は市庁舎として使用されたこともある建物という。
ホテルの設備などを見ながら、部屋割りが決まるまでロビーで待ちました。このホテルで2連泊です。

15:50 部屋674に入る。古い建物ながら2001年に改装されたとされ、部屋は問題ないようです。
例の如く、部屋の写真を何枚か撮りました。ベットメーキングは良い感じです。チェアーのデザインなどは古典的(古風)なものでした。驚いたのはトイレです。レストルームでは一段と高く作られ、台座の前部は大理石、なにか玉座風でもあります。「お客は王様・女王様」といったところでしょうか。
16:00 ワイフは添乗員さんにスペアー毛布を頼んだようで、メイドが毛布1枚を届けてくれました。チップ$1.00を渡しました。

SF6:シビック・センターの個人散策
16:18 夕食まで時間があり、近くのシビック・センター(官庁街)まで散歩に出かけました。
City Hall
シビックセンターのサンフランシスコ市庁舎
シティーホール(City Hall/市庁舎)は写真から想像できるようにワシントンD.C.の国会議事堂に輪郭が似ています。アメリカでは時々ありますが、国会議事堂を参考に設計された建物のようです。サンフランシスコ大地震(1989)により建物の内外が破損しましたが、1998年に修復されて現在は地震の傷跡は無いそうです。

市庁舎前はシンフォニーホール、オペラ・ハウス、ヴェテランズ・ハウスなどが立ち並んでいる。他にも幾つもの公共施設があり、綺麗に整備された公園のようなエリアです。

オペラ・ハウス(1932年建立)を本拠地とするサンフランシスコ・オペラ・カンパニーは約80年の歴史を誇り、ニューヨークのメトロポリタン・オペラやシカゴのリリック・オペラと並んでアメリカ3大オペラの一つになるらしい。他にもう一つ、オペラハウスを利用するサンフランシスコ・バレエはアメリカで最も古いバレエ団とされるようです。
日本にとってもサンフランシスコのオペラハウスは歴史的な場所になる。太平洋戦争は1945年8月15日に終わり、日本はアメリカを主とする連合国の占領下に置かれました。占領統治による数多くの改革が実行され、ついに国家として独立した主権の回復が行われることになりました。1951年(昭和26)9月8日、52カ国が参加したサンフランシスコ講和条約(Treaty of Peace with Japan)会議において、参加国が国名のABC順に、最後に日本全権の吉田茂首相が条約に署名したとされます。この講和条約は1952年4月28日に発効となりました。その会議場がこのオペラハウスだったのです。

サンフランシスコの風景写真(1024x768) ⇒  サンフランシスコの壁紙写真

マーケット通りのスーパーにより、飲物類を購入しておく。
17:10 ホテルに戻る。
時間があるので、早めのシャワーを済ませた。日本の自宅を出てから着の身着のままでした。実にサッパリです。

夕食(ホテルのレストラン)
18:50 この頃にレストランに入る。ホテル同様にクラッシックながら落ち着いたレストランでした。テーブルは4人用で年配の御夫婦と同席でした。
我々は飲物の注文はしなかった。まずドレッシングのかかったグリーン・サラダの皿が出る。メーンデッシュは鳥足グリル、マッシュドポテト、ボイル・アスパラガスだった。デザートはアイスクリームにコーヒーです。記録に無いのですが、当然ブレッドもあったはずです。

グリーン・サラダ
グリーン・サラダ
鳥脚ソテー
メーンデッシュの鳥足ソテー
デザートはバニラ・アイスクリーム
デザートのアイスクリーム

19:50 レストランを出る。

明朝の予定など:
添乗員さんから渡された明朝の予定は次でした:
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06:00 ウェイクアップ・コール。
06:30 朝食(ピンク色の食券・各自)、同じレストランでビュッフェ・スタイル。
07:30 出発。
*アメリカのホテルでは電話の外線を使用する際はデポジット(クレジットカード番号の事前提出)が必要。
*連泊なので貴重品の管理に気を付けること。
*バスのエアコンは調節が難しいことがあるので、明日は上着を持つこと。
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我々は 05:30 起床の予定です。
自宅で起床してから約29時間が経ちました。その間は飛行機で3時間15分の仮眠をしただけです。24時間45分も活動した計算になり、実際、かなりの疲労でした。
早々に就寝です。

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