[北行庵] HOME旅行記
京都と下関 33回忌と観光の旅 (2011年6月6-9日)
はじめに
旅行の準備期間
1日目(6/6) 自宅出発まで往路(→関空→バス→京都)ホテル・グランヴィア京都
西本願寺JR伊勢丹ホテル
2日目(6/7) ホテル出発まで大谷本廟(西大谷)新幹線駅レンタカー(新山口)
お寺東行庵春帆楼本店ホテル・ドーミーイン下関
3日目(6/8) ホテル出発まで赤間神宮唐戸市場エリア駅レンタカーと新下関駅
新幹線ホテル・グランヴィア大阪大丸レストラン街ホテル
4日目(6/9) ホテル出発まで新デパート三越伊勢丹レイトチェックアウト
JR快速「関西空港行」帰路(関空ラウンジ→地元空港→夕食→帰宅)
おわりに ★  旅行写真ページ目次
当サイトの
中国地方と九州
旅行記
* 33回忌の旅 京都市と山口県(2011年6月)
* 北九州と西中国地方のバス旅行 (2009年4月)
* 九州旅行6日間 (2006年11月)
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はじめに Page Head ▲
旅行の予定はなくノンビリ過ごすはずだった。すっかり忘れていたが、4月も下旬となり京都のお寺から亡父33回忌の永代教法要の案内があった。本願寺大谷本廟(西大谷)には宗祖親鸞聖人の御遺骨の周りに散骨する祖壇納骨というものもあり、亡父の場合は京都まで出かけて納骨(分骨)してあった。早いものでもう33回忌、生きていたら100才の年です。次は50回忌(2028年)で随分と先になる。真宗でも認めているのか、宗派によるのか、単に俗世界での言い草なのか定かではないが、世間では33回忌を弔い上げ( とむらいあげ)といい、これを以って故人は無人格の”仏”となり、無罪となって極楽浄土に入るそうです。それ故に33回忌は特別に大きな年忌法要になる、と云われます。普段は仏事に熱心ではないが、今回は命日の朝に京都の大谷本廟(西大谷)の永代教法要に出席し、それから山口県に移動し、午後に亡父の故郷のお寺で33回忌の墓参りの予定にしました。
京都から新山口まで新幹線を利用すると、33回忌のお参りは1日で済ますことができる。ご高齢の親族や従兄、鳩子はいますが、連絡はしません。33回忌は、夫婦2人の墓参りのみで済ませます。でも、久々にお寺に伺えるのがとても楽しみです。
そして、せっかく遠方に行くので、少しだけ旅行気分も楽しんで帰ることにしました。
記録としての旅行記ですが、宗教行事色は薄めるように気を付けたつもりです。
どうぞ、ごゆっくりとお過ごし下さい。

旅行の準備期間 Page Head ▲
4月27日: 当地から関西空港までの航空券(6/6)2名分を旅割料金でオンライン予約し、直ぐクレジットカードの一括支払いで購入しました。
その後、帰路の航空券(6/9)の予約に進んだ。同じ空港間ながらスケジュールが変わり、増便されて午前と午後に各1便がある。大阪の散策を少し楽しみたいので午後の便を予約、引き続き購入手続きも済ませました。料金は往路と帰路で僅かに違い、往復の合計は1人33,000円だった。座席は往復とも窓際を選ばなかった。梅雨時ですし・・・。

予約や購入はしなかったが、関空から京都への移動方法、利用する新幹線の決定、山口県内はレンタカー、等々インターネット画面を見ながら予定を具体的につめました。レンタカー利用なら今回は「駅レンタカー」が便利、新幹線の新山口で借りて新下関で返却(乗捨て)ができる。丸1日は自由に使えます。しかも、JR系「駅レンタカー」なら新幹線の運賃が2割、特急料金が1割の割引が適用となり、2人旅行ならトータルで割安のはずです。
ホテルは京都、下関、大阪ですが、新幹線とレンタカー予約の後に質と値段と利便性を勘案して決めるつもりです。

5月9日: 今日は新幹線の切符購入と駅レンタカーの手配をした。散歩ついでにJTBに行く。先客が多くあり番号札をとった。少し待たされたが窓口から呼ばれた。京都から新山口、翌日の新下関から大阪、この新幹線の乗車券と特急券を購入をする。それから新山口駅の駅レンタカー(JR系)で1台借り、1日契約で翌日に新下関で乗捨てる手続きとなった。まず、車種Aなら1日のレンタル料が9000円、これは知っていた。しかし、乗捨て料が2万数千円とプリントされたのに驚いた。多少のやり取りのあと間違いと分かり、結局は乗捨て料4200円だった。満タンで借り受け、満タンにして返却なのでガソリン代は返却時に発生するが、車のレンタル料は\9,000+\4,200=\13,200だった。列車・バス・タクシー利用の県内移動より恐らく安く、時間的なロスは絶対的に少なく、途中の観光もできるかも知れない。

JR利用で駅レンタカーを利用すると特典があり、乗車券は20%、新幹線の特急料金は10%の割引となる。だだし、割引対象の新幹線の列車には指定があり、「のぞみ」は割引の適用外だった。そういえば、駅ネット・サイトでみた記憶がよみがえった。やむを得ず、往路の京都・新山口は乗車券が10%の割引適用だけとなった。JTBでは出発時刻が近い特急料金の割引適用の数列車を探してくれたが「こだま」系で乗換えが幾か所かあったり、停車駅が多くて時間がかかったりで、割引は諦めざるを得なかった。新幹線の乗車券と座席指定券の往復2名分、それに大阪駅から関空駅の普通乗車券2枚を加えて49,720円となった。
家で落ち着いて新幹線のオンライン時刻表をみると大阪乗継で適当な「さくら」があった。当初から注意深くプランを検討すべきだったが、今回は仕方ない。

実は、珍しいことに、窓口の端末が作業中にフリーズ(固まった)状態になった。同僚が手助けに来たり、幾つかのコンビューター部門らしき所に電話をかけて操作法を問い合わせたり、何とも凄く退屈な時間となった。だが、枕も出なかったし、肩揉みもない・・・(笑)。何はともあれ、結果として移動の基本は用意ができた。クレジットカードの一括払いで済ませ、切符とレンタカーの予約票やマップを受取って帰宅した。

同日の午後はPCに向かい、インターネットでホテル探しです。あちこちに接続してレベルと価格を比較し検討したが、結局は、京都(グランヴィア、\19,000、室)と下関(ドーミーインPREMIUM下関、\11,800、室)と大阪(グランヴィア、\17,700、室)を予約した。全てヴァイキング朝食付きです。予約に利用したホテル予約サイトはグランヴィア2ホテルが一休.comでドーミーインが楽天トラベルだった。今回の支払いは全て現地払いにする。京都と大阪はJR西日本系のホテル、駅構内にあり交通の利便性は抜群です。グランヴィア大阪はレイト・チェックアウト付きで午後2時まで部屋を使える。この点が決め手でした。料金に関しては、ホテルのサイトとホテル予約サイトの両方をチェックしたほうが良いかも知れません。

5月14日: お寺に墓参りの件を葉書で連絡、1週間もかからずに返信を頂きました。住職もご高齢になられましたが、墓前で御勤め下さるようで安堵しました。少なくとも元気に過ごしておいでのようでした。

今回の旅行の基本的な準備は交通機関とホテルの予約を含め、全て終わりました。後は食事の場所を決めたり、天候と気分次第の軽い観光先を決めたり、キャリーケースに詰めるものを揃えたり、旅の楽しみは始まっています。

今年は早や強い台風2号が発生し(5月28日には沖縄本島地方が暴風域)、九州・四国・東海・関東の海岸沿いに移動する見込みです。旅行には直接の影響はありません。
梅雨入りも早かったので天候が気になるが、大きい折畳み傘を持って行きます。

6月3日:
○ 残りわずか、衣類4日分を揃えてメッシュ袋に分類して入れました。
○ 実は7日の33回忌永代法要の服装が良く分かりません。大きな年忌とは云え、招待客はなく、遠方の墓参り2カ所です。無地でダークの夏用ブレザーにグレーのスラックス、それに白ワイシャツと黒ネクタイ、これで済ませることにした。靴は難しいが、旅行中は今風と違う無難なデザインのウォーキング(黒のイタリア製)1足で済ませます。
○ 御布施もインターネットで調べて見当をつけ、失礼にならない程度を用意しました。お寺に聞く人達もいるようですが・・・。
○ お墓参りで必要な線香・蝋燭・マッチは用意、生花は途中で購入の予定です。
○ 寺に行く7日以外はジーンズに半袖カラーシャツ、必要ならジャンバーです。
○ ワイフは空港のレンタカー会社に電話、旅行中の駐車を予約しました。往路便と出発時刻、帰路便と帰着時刻を知らせる必要があります。○時○分出発を間違えて□時□分出発とワイフに伝えてしまい、レンタカー会社から出発時刻の訂正を云われてしまいました。うっかりすると遅れる可能性もありました。
○ 旅行中の新聞配達は中止の連絡をしました。
○ 我が家の一員になったばかりの子猫の預け先はあり、慣らすため2度も数時間ていど過ごさせています。

6月5日:  午後、パッキングを片付ける。地味な紺のブレザーを久々に出したら、かなり古く見える。実際に5年は経つ代物だった。急いで近くの紳士服量販店に行った。夏物で地味でカジュアルで黒のタイに合い、そのまま自分の体型にフィットしなくてはならない。無理難題に近い条件で主任の店員さんに探してもらった。やっと5試着目に体に合ったジャケットが見つかった。「ネームを入れるとオーダーに近い感じになるジャケット、漢字にしますかローマ字ですか?」 ローマ字にする。その場で名入れは完了、クレジット・カードで支払いを済ませ、満足して帰った。

1日目(6/6)
ANA、関空、リムジンバス、西本願寺、京都泊
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自宅出発まで: 

とりたてて日常と違う事はない。簡単で少量の朝食をすませ、戸締りの確認やコンセント類で外せるものは外して、キャリーパックを車のトランクに積んで準備完了です。昼前の出発便なのでゆっくりでした。
大阪・京都・下関・大阪と行程順に天気予報をインターネットで調べた。旅行中は曇で時には晴れる予報となっている。長期予報の精度は?ながら、梅雨時ゆえに入れた大きい折り畳み傘を旅行用の小型に代えた。重さはかなり違う。

移動(自宅→地元空港⇒ANA⇒関空→京都):[ PHOTO ]

少し早目だが、出発しました。
空港近くのレンタカー会社に到着、私が事務所に入り4日分の駐車料金(\2000)を支払った。ポイント・カードも1日分が使えるが、これは貯めこんだ。キャリーケースは会社の送迎ミニバスに積み込まれている。乗車して出発でした。
空港まで数分です。出発口でキャリーケースを降ろすと「いってらっしゃーい。」
日本レンタのミニバスは戻って行った。

今回の搭乗手続きはANA-Mileage Club Card(以後、ANAカード)で行うことになる。預入手荷物のX線検査はANAカードを見せて受けた。搭乗手続きでもキャリーケースを2個計量機に置き、2枚のANAカードを係に渡す。預かり番号の紙を2枚受取って搭乗手続きは完了でした。
時間があったので久々に空港の喫茶店でコーヒー(@\450)を飲んだ。出発30分前まで休みました。
搭乗エリア入口のセキュリティー検査ではJAL用とANA用のカード読取機2台が置いてある。ANAカードをかざすとレシート状の「搭乗口案内」が出てくる。搭乗に必要な情報の全てはプリントされている。
しばし、搭乗口の椅子でまった。関空に飛ぶ旅客機はどちらかと云えば小型です。「身の丈に合った生活」という言葉があるが、需要に適したサイズなのでしょう。
搭乗開始となり、ANAカードを読取機にかざしてピンクの搭乗券を受取った。

ANA 搭乗機 搭乗の機材は B737-500(客席130人前後らしい)、座席配列は 3-3、我々は 6B と 6C でした。オンライン予約時には 6A は塞がっていた。しかし今日は空席でした。ところが、この旅客機の6番座席は左も右にも窓がない。それで 6A に移動しても下界の風景は前席の窓から僅かに見えるだけ、写真など巧く撮れるはずもない・・・。持ってきた新書本を読んで過ごしました。
飲物は無料のアップル・ジュース、今回はスタバのコーヒーはオーダーしなかった。
かなり時間がたってから機内アナウンスで「左下に天橋立がご覧になれます。」 前席の窓の後ろに顔を近づけたら、湾を塞ぐ細い陸地が見える。急いでショルダーバックからデジカメを出して、ズームを効かせて2枚撮りました。何とか全景が分かる程度に撮れました。
帰宅後に撮影した写真を良く見たら、大きな湾を塞ぐ幅のある砂州に松と家屋があり、天橋立とは違う場所らしい。残念・・・。
後日、その写真の場所をオンライン調査で探したところ、どうやら京丹後市久美浜町の「小天橋」という砂嘴(さし)で海水浴場として知られるようです。「小さな天の橋立」の意味で「小天橋」と名付けられた、ともいいます。天橋立は丹後半島の東の付根、小天橋は西の付根にあり、飛行コースからして、天橋立を過ぎてから撮影となり小天橋が写ったのです。

予定時刻に関空に到着、ところが一番端のスポットG16でした。中央部のバゲージ・リクレームまで随分と長く移動でした。
キャリーケースを受取り、荷札などを取り捨てて到着ホールに出る。関空からリムジンバスで京都に向かう。その前に、空港でランチを済ませる必要があった。丁度、到着ホール右手が食堂街、その入口にスターバックスがあった。空席を確保して、私はミックス・サンド1個とフリッター1個、ワイフはサラダラップ1個、それにシェアーのコーヒー(小)1カップでした(\1400)。いつもながら、食事はワイフ持ちでした。

到着ホールをかなり直進するとバス乗場の標識があり、エスカレーターで地上階に降りる。すぐ先の右手にチケット売り場があった。クレジット・カードを使うので自販機の隣の窓口に行く。「京都・八条口(@\2500)、2枚、一括払い。」 これで用は伝わり、暗証番号を打ち込んで京都までのチケットとカード売上票を受取った。
運の良いことに、京都行きリムジンバスが停車中だった。キャリーケース2個を預けて乗車、比較的前の席にした。高速道路を走るのでシートベルト着用が義務付けられているが、どうしてもベルトの固定ができず諦めた・・・。これはワイフも同じだった。
14:00 出発。今日は天気もよく、関空連絡橋からの眺めも楽しめました。後は人口密集地の高速道路、格別な印象は残りません・・・。
京都八条口行きリムジンバスは1回だけ途中停車する。高速道路(第二京阪道路)の京田辺PAのバスストップです。数人が降車したが、様子がよく分からないと利用は難しい気がしました。京田辺にはとんちの一休和尚が晩年を過したという酬恩庵(一休寺)がある。
15:20 この頃に京都駅八条口に到着でした。バス停は駅舎の反対側なので横断歩道を渡り、新幹線駅舎に沿って南北自由通路に行き、その道で北口に向かった。ホテルグランヴィア京都はデパートと並ぶ北口の高層建築に入居です。

歩く方向の右側(デパートの反対側)にホテルの入口らしき案内とエスカレーターがあった。当然というか自然に、そのエスカレーターで上がる。ホテル内ではあるが・・・、吉兆などの高級レストラン街だった。何処かにフロントの案内がある筈と思っても何も見つからない。出会った警備の人に訊ねたら、丁重にエレベーター乗場に案内され、エレベーターを開けて我々を乗せ、「フロントは2階なので下がるよう」に云ってボタンを押した。親切な感じの警備員でした。

ホテル・グランヴィア京都:[ PHOTO ]

ホテル・グランヴィア京都、京都駅北口 15:32 2階でエレベーターから出るとフロントはすぐ分かった。知らずして南北横断通路で妙な迷い込みをしたが、駅構内のホテルで便利な場所です。ロビーは特に広大ではないが十分な広さ、良いホテルの雰囲気でした。
フロント近くに行く。ベルパーソン(女性)が「チェックインですか?」 そして、キャリーケースなどを台車に積んでくれた。私はフロントに行く。名前を伝えると直ぐ宿帳(住所・氏名・電話の伝票)を出した。部屋番号をプリントした小紙と部屋番・無表示のカードキーを受取った。カードキーに部屋番があると、万一失くした時に大変です。
女性のベルパーソンがキャリーケースを台車に乗せて部屋まで案内してくれました。12階の部屋でした。このエレベーターは確か13階が最上階だったはずですが、ホテル・サイトによると1〜6階はフロントや宴会場など、7〜15階が客室のようです。

チェックアウトは12時まで、「明朝は用件を足してから新幹線に乗るので、チェックアウトは遅い予定」と話すと、「フロントで荷物を預けると部屋に戻る手間が省けます。」 とアドバイスが返ってきた。確かに面倒は少なくなる。
15:42 ベルパーソンが退出してから、明日の準備としてブレザーやスラックスや白のワイシャツを出し、ハンガーに吊るした。これでアイロンは不要と思う。
部屋はツインとして十分な広さと設備です。窓からの風景も、近くは日本的な都会ですが、遠方は東山になるのか寺院の大きな屋根が幾つも見える。古都らしき風景とも云えましょう。一言に云えば、満足できる部屋でした。

16:13 一休みの後、デジカメのみ携帯して部屋を出ました。2階でエレベーターを降りると、ロビーと玄関口の間だった。玄関ドアーを出ると小さなスペースがある。
そこから人の往来が多い地上階の屋内プラザと巨大なキャノピーに覆われた広い空間が西方向に見える。そこではエスカレーターが延々と上方に続いていた。京都に来てもゆっくり見たことがないが、そこはモダンな伊勢丹デパートの一部だった。後で知ったが、最上部の11階や10階には竹などが植えられた人工的な庭すらある・・・。

西本願寺の参拝、徒歩で往復:[ PHOTO ]

ホテルの玄関(2階)を出ると駅北口の地上階に下るエスカレーターがあった。それを使い、バス停の広場を郵便局側から、塩小路通りの交差点に出る。日陰を歩くため交差点を渡った。それから堀川通りまで西に向かう。数十年前にも歩き、確か10分程度で西本願寺に着くと思った。今日は陽が照り、すごく暑くて湿度も高かった。私にとって不快指数200%と云える。ゆっくり歩いたが、実に辛かった。真夏の京都は私には絶対に無理・・・。
16:35 同じ真宗系ながら目立たない興正寺まできた。寺院前の堀川に水はなく石畳の川底が見えている。このまま先に進むと西本願寺の御影堂門に至る。興正寺と西本願寺の間は西に延びる小路があり、堀川と小路の角に有名な国宝「飛雲閣」、小路を少し入ると国宝の唐門がある。外塀に囲まれた飛雲閣は豊臣秀吉公が建立した聚楽第(1587年竣工)の1部が移設されたものとされ、金閣・銀閣・飛雲閣が京都三名閣とされます。こちらは残念ながら観れません。なお、聚楽第は1595年に徹底的に取り崩され、その一部が伏見城などにも残っているとされるようです。元々の聚楽第跡からは金箔張りの瓦も発掘されているという。今年のNHK大河ドラマ「江」にも聚楽第は時々出てきます。

16:38 西本願寺(1994年12月、ユネスコ世界文化遺産に登録)の御影堂門についた。堀川通りの西側が本願寺、車道を挟んだ東側に立派な総門があり、そこから「正面通り」が東に真直ぐ伸びている。この一帯は旅館や仏具店がひしめく門前町です。ただ、本願寺には多くの国宝や文化財はあるが観光用の寺院ではなく、門徒の方々が参拝に来られる寺院として知られています。それで門前町も落ち着いた雰囲気と見受けました。

西本願寺、御影堂 16:39 御影堂門から境内に入りました。真ん中に東日本大震災「災害義援金」の募金箱がドンと置いてある。その奥に境内の案内図があり僧侶1人が案内係として立っていた。
「御影堂と阿弥陀堂のどちらから参拝するのが順序でしょう?」
「本願寺では何れも同じく大切な御堂です。それで御参拝の順序はございません。御自由にどうぞ。」
御影堂には何か分からなかったが白い大天幕がかかり入りづらかった。それで大銀杏の横から阿弥陀堂の方向に歩いた。龍の手水があったが水は流れていない。阿弥陀堂に入る前に銀杏の木や白壁の珍しい建物(経蔵)や阿弥陀堂門などの写真を撮った。プロのカメラマンらしき2名があれこれの撮影もしている。

本堂の阿弥陀堂(重要文化財)に入ることにした。この建物は1760年に再建されたもの、東西に42mで南北に45mもあり、高さは25m、巨大な屋根は1層です。 本陣の中央に阿弥陀如来の木像、左右に念仏の祖師七師と聖徳太子の影像が安置されているそうです。
阿弥陀堂の前の階段下で靴を脱ぎ、白いビニール袋に入れて本堂に入りました。しかし、内陣の全ての扉は閉められ、残念ながら、御本尊の拝観は出来ません。止むなく、外陣の中央前部、御本尊の近くで参拝しました。普段は宗教色が極度に薄い生活ですが、このような場所では自然に改まります。

隣の御影堂には渡り廊下で行ける。御影堂(重要文化財)は1636年建立、東西48m、南北62m、高さ29mの大建造物です。こちらの屋根も1層です。中央に宗祖「親鸞聖人」像が、そして歴代の御門主が祭られています。
外で見えた御影堂の大きな白天幕は工事用ではなく、御影堂の外陣を団体の参拝者用として臨時に拡張するものでした。今年は親鸞聖人の750回忌に当たり、親鸞聖人750回大遠忌法要が全国から門徒を集めて行われます。開催は分散され、4/9-16、5/9-16、6/9-16、9/9-16、10/9-16、11/9-16、参拝には事前の申込みが必要です。親鸞聖人750回大遠忌法要の参拝者のため外陣のスペースを広げ、折畳式の椅子が数え切れないほど多く並べてあった。高齢者の団参が多いので畳なら何かと大変です。日本の仏教宗派としては大教団なので場所の準備もそれなりに大掛かりでした。
椅子の間を歩き、御影堂の中央の通路に行き、内陣に近付きました。内陣の中央の扉は開いていたが、その中の親鸞聖人像の扉は閉まっており、御姿の拝見はできません。残念・・・。我々の後に来た欧米系の御夫婦も中の扉が閉まっているので失望したような顔で戻っていきました。大行事の年なのは分かりますが、まだ午後6時前なのに、阿弥陀堂と御影堂の双方で御本尊を拝見できず、少々心残りです。でも、親鸞聖人像に近い外陣前部で参拝は出来るので、扉は閉まっていても拝み、目的を達したことにしました。
御影堂の仮廊下を下がって外に向かう。高校生らしきグールプとすれ違ったが「コンニチハー」と云われる。参拝者に挨拶するように教育された本願寺系の生徒たちなのでしょう。

境内を少し歩いた。僅かでも御賽銭を入れて帰る気持になった。何時もの旅行なら、最初に10〜100円を投げ入れるだけです。しかし、京都の寺社は300〜500円の拝観料が普通と思いますが、西本願寺にはありません。それで、震災義援金の箱はさけ、御寺の賽銭箱を選んで1000円を入れておきました。気持だけです。(義援金は振込み済み、念のため。)
阿弥陀堂門から堀川通りにでて、再び御影堂門の信号まで戻った。

17:05 信号を渡り、大きな総門を潜って「正面通り」の仏具店街に入った。地方の団体が参拝に来られ、その後に記念に求めるような仏具が多くならんでいる。同じ京都でも、清水寺の門前町は華やかで商品も千差万別、観光客がお目当てだからでしょう。 話は飛びますが、ヨーロッパの大聖堂や有名な教会の近くにはやはりキリスト教の宗教用具を売る店やレストランや小さなホテルが固まった門前町ができていることもある。例えば、イタリアのアッシジ、フランスのモンサンミッシェル、イギリスのカンタベリー(ここは商店街)など。しかし、欧州の大教会の前や周囲は広場で市がたつものも多い。日本流の門前町は形成し難いのです。でも、ドイツのハイデルベルクでは広場の中心にある聖霊教会の建物自体の周囲に宗教用具と土産の店がぐるりとある。内容と形は大きく異なるとしても、人間の宗教行動には共通点もまた多いもの、と思います。

1丁先の右に、珍しくもドームを持つ見事な赤レンガの西洋建築があり、「浄土真宗本願寺派伝道院」となっている。写真撮影には電線が実に目ざわり・・・。そこを通り過ぎたら、袈差を着た若い僧2人が歩道と建物の間の小さな雑草を取り除いていた。それで立派な建物がより良く見える。「御勤めの一部」なのでしょう。
商店は少なくなり、南北に走る新街通りまでブラブラと散歩した。両側の家々にほぼ間隔はなく、一軒の家幅も狭く、多くは2階建で窮屈そうに生活に必要な諸々を設置しています。カーポートがあると、「オッ、ゆとりがある!」と思ったりする。丁字路まで行き新街通りを南下したが、商店やスーパーや医院があり賑やかになった。が、やはり大都会の裏街の雰囲気は色濃かった。ワイフは珍しくも、「こんな街ではなく、緑に囲まれた今の家で幸せ・・・」と何度も云っていた。「住めば都」と云いますが、古き歴史の都では生活上は大変な面がありありですね・・・。といって、引越もまた楽ではない。

七条新街の交差点を直進し、駅前に戻る塩小路通りまで行く。それから伊勢丹デパートまで歩いた。いやー、暑さと湿度で苦しい散歩でした。大判のタオルハンカチがビショビショに濡れました。デパートに入っても、ギンギンに冷えた感じは全くしない。3.11大震災による節電のためでしょう。汗が続き、風の無い屋内ではかなり苦しかった・・・。盆地の京都は冷房普及率が日本一とか、でも如何にも出来ない。
30才代には何が何でも東京に出たい思いが強かった。何とか堪え工夫して北海道住まいを続けました。涼しい夏が取り得、とか言って・・・。3.11大震災の発生の後は、長く不満を抱えた生活(注:一面的な表現)にも我慢のし甲斐があったもの、と本気で思っています。節電下にある関東や関西の夏は暑さに弱い自分にとって生き地獄か生死の境でしょう。

駅のデパート「伊勢丹」:

ワイフは、1階のブランド・ショップに入って幾つか物色はしてみたものの、結局は買わずじまいだった。上りエスカレーターで最上部まで行ってみる。このエスカレーターは稀にみる設置方法、10階まで一直線です。もちろん各階で売場の出入りに支障が無いスペースはある。さらに面白いのは、屋外と云うべきか屋内というべきか、両側のビルに鉄とガラスの巨大な半筒状のキャノピーが取り付けられ、中央に結合部分がある。その両端に壁が有るのか無いのか・・・。

17:41 10階でエスカレーターは終わったが、11階への広い階段があった。ワイフを待たせて上がって見た。キューブという中央部分の巨大空間まで見下ろせる。その向こう側が宿泊のホテル・グランヴィア京都になる。反対側は一面のガラスの壁、そのガラス扉は閉まっていた。中からも東寺の五重塔の上部が見える。また、別方向の通路で竹が植えられた屋上に行けるようになっている。親子連れなどがポツポツ階段から屋上に向かっていた。不思議に屋上から階段に来る人の姿はない・・・。

17:50 階段をおり、10階のレストラン街に入る。夕食の場所を探さねばならない。知った名前の和食レストランもあったが、どうも気乗りしない。地下までエレベーターで降りた。
18:00 折詰弁当を探した。下鴨茶寮の六角弁当(@\1470)が丁度2個残っていた。それを購入する。出発前にネットで調べたら、下鴨茶寮の本店で夕食なら凄い値段、しかも遠い。時々居住地のデパートに来るので六角弁当は親しみがあった。ホテルの部屋ほうが落ち着く気分、エスカレーターで地上階に向かった。

ホテル・グランヴィア京都:

デパートの1階を出て少し行くとホテル・グランヴィアのエスカレーターがある。2階の玄関から入り、その場のエレベーターで12階に上がった。知ると部屋はそれ程に遠くはない。
18:10 入室。大汗だったので体調が心配です。手洗い後にウガイを十分にしておいた。

18:25 下鴨茶寮の六角弁当で夕食となった。京風というか薄味なので我々には食べ易い弁当です。弁当の後は、持ってきたリンゴと和菓子、十分な夕食でした。

ここのシャワーは珍しい位置に付いている。カランの左側でバスタブの上淵です。固定具が壁面の上下2カ所なのは通常で、シャワーを何れかに引き上げる方式でした。御湯の出方は快適なものでした。近年は多いが、シャンプー・リンス・ボディーソープの3点セットがカランの横に置いてある。一日の汗を洗い落とし、気分爽快でした。
ワイフに云わせると、ドライアーの使い心地も良かったとか・・・。
使い易いバスルームでした。もちろん、ベッドなど調度類も良かったのです。

今日は順調に予定をこなすことができて、満足です。でも、夕刻の京都は蒸し暑かった。それ故にかなり疲れを感じました。 適当にテレビを観たりして、眠りました。

2日目(6/7)
京都、新幹線、宇部、下関泊
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ホテル出発まで:

06:30 起床。
07:30 朝食のため部屋を出る。
2階のカフェレストラン「ル・タン」に入り、朝食券を渡し、席まで案内してもらった。
和洋のヴァイキング料理、ワイフは和食系の野菜類が主でチーズ小片などの簡単なもの、私はホテルの朝食として何時も通りにトレーにとる。オレンジジュース、グリーンサラダ、パン2種類、メーン(ソーセージ1本、ハム2切れ、スクランブル・エッグ、ポテト、ワッフル)、フルーツ・ミックスにヨーグルト、最後にコーヒーです。ハムが薄切りではなく、一口サイズのミニ・ハムステーキみたいだった。

08:05 レストランを出て、部屋に戻った。
黒ネクタイにダークのブレザーを着用、ポケットの数珠や御布施を確認した。
西大谷の33回忌法要の案内状も御布施と同じポケットに入れておく。
08:40 忘れ物の確認をして、予定より早めにキャリーケースをもって部屋を出る。

エレベーターを2階で降り、フロントに直行、宿泊代金プラス小額のミニバー使用料を合算してクレジットカードの一括で支払った。
それからキャリーケース2個を預けた。ベルパーソンがプラスチックの預かり番号札を1個だけくれた。
正面玄関からエスカレーターで地上階におり、京都駅の外に出る。

大谷本廟(西大谷):[ PHOTO ][ 構内MAP ]

大谷本廟の参道 駅前のタクシー乗り場で客待ちの1台に乗り込み、「西大谷」とだけいう。
09:00 大谷本廟(西大谷)正門前に到着、時間は10分余、料金は880円でした。
正門から入ると直ぐ池に架かる石橋を渡る。手入れと清掃の行き届いた石畳の参道を総門に向かって歩いた。少し上りの道、途中に珍しくも編み笠を被っていない親鸞聖人の銅像が立っています。数十年もの昔、祖壇納骨に訪れた時はリュウゼツランが花を咲かせ、大きな白い花茎の立ち上りが見事でしたが・・・。

右側の本廟会館に入り、左にある受付けに行く。「年忌・祥月のご案内」の封筒から受付に提出すべき33回忌法要の案内状を渡した。窓口で確認後、「北海道からですか?」 頷いて終り。法要の御布施は「お気持ち」と云われたので、用意してあった御布施の袋をさしだした。確認後、領収書と簡単な記念品が渡された。
エスカレーターで2階の待合室に入る。時間が早いのでしばらく待った。別の10人位の団体も入ってきたが、目的が異なる団体で先に移動した。
09:20 この頃だったと思うが、若い僧がきて名前を呼び、法要の行われる仏殿(本殿)まで案内してくれた。屋根のある渡り廊下の入口で靴を脱ぎ、手提げビニール袋に入れます。出口は違うので持ち歩きとなる。祖壇納骨の時は確か仏殿ではなく敷地奥の明著堂(祖壇納骨所)だった記憶がある・・・。
仏殿に入ると別の僧侶が控えていた。焼香の卓2セットが御本尊の前の外陣に並べられている。今日の9時半からの年忌法要は私達2名だけでした。
その前に座ると、僧侶が焼香のマナーを説明した。「浄土真宗本願寺派では一礼のあと、香を指で取り、”香を拝まずに”すぐ香炉に入れます。決して香を拝んではなりません。その後に御祈り致します。」 これは長年のあいだ自宅や葬式で実行していました・・・。

その後、少し待ったら内陣の左側に僧1名、外陣の御本尊前に僧3名、計4名の僧侶が来られた。南無阿弥陀仏と念仏を唱えながら一礼して御経の斉唱が始まった。確か焼香の合図はあったと思うが、先刻の焼香の作法に従って経卓の上の香と香炉で御焼香しました。実は御経の意味は分からないのですが、耳を傾けていました。御経の後は御文章からの一節と思いますが、短い法話を頂きました。その後、4名の僧侶は退出され、焼香マナーをお話した僧侶が仏殿の正面入口まで案内して下さったので、「礼」を述べました。「お気を付けてお帰り下さい」と見送りの言葉を頂き、お別れでした。
9時30分から40分過ぎまで、約10分余の法要でした。長さに関係なく、本願寺の正式な33回忌法要をして頂き、気持に区切りが付きました。有りがたいことです。靴を履き、記念写真を撮ってから、ゆっくりと大谷本廟の正門に歩いていきました。
09:50 正門の外で数台のタクシーが客待ちをしている。乗り込んで、「京都駅、北口」と伝える。10分程度で到着(\960)、釣りは受取らなかった。ホテル・グランヴィアに向かった。
10:05 ベルパーソンに手荷物の預り番号札を渡してソファーに座った。キャリーケースは直ぐに持ってきてくれました。実は法要は30〜40分と思っていたから、早く終り時間がある。新幹線のホームで待つよりロビーが快適です。このまま時間まで休むことにした。することもなく、ピープル・ウォッチングです。
10:55 ホテルのロビーから出て、新幹線ホームに向かう。

新幹線「のぞみ21号」:

新幹線・のぞみ21号 11:01 新幹線の改札口に到着、ずらりと自動改札機が並んでいる。手持ちの切符はJTB発行(JR発行と同じ)の乗車券と特急券です。知らなかった(忘れた?)ので戸惑ったが、2枚を重ねて同時に入れても、バラバラに入れても、通過できる。
11:14 「のぞみ21号」の13番ホームにつく。11時29分発なので少々時間はある。その間も新幹線の列車は気ぜわしく動いている。つくづく日本は人口過剰国とおもう。新幹線が通勤列車並みに運行しているのだから。
のぞみ21が到着、7号車の指定席に座った。半分程度の乗客は居たように思えた。多くはビジネスマンというか会社員らしき姿です。皆さん、白ワイシャツにジャケット姿でもノータイ、自分のスタイルも同じなので気分的な違和感は全くなかった。
12:43 車内販売でスタージャというバニラ・アイスクリームを2個購入(@\270)、冷え過ぎてすごく固いアイスクリームだった。結果的にこれがランチでした。
13:37 予定通り、新山口駅に到着。改札を出る時、乗車券と特急券を入れると乗車券のみ返却となった。

駅レンタカー(新山口から新下関まで):

改札を出て、1階に降りる。駅レンタカーは駅舎内にあり、その場所を確かめた。近くの店で花屋があるか聞いてみたが、駅内や駅前にはないという。
駅レンタカーに入る。この時は男性2名女性1名でした。名前を云うと直ぐに分かり、免許証を提出して、住所氏名などを書類に記入して、カーレンタルの手続きは終りました。車を乗捨てる新下関の駅周辺の地図にガソリンを満タンにできるGSにマークを付けて渡してくれた。
「国道2号線で下関方面に走るが、近くの市内に花屋は?」と訊ねたら、新山口駅近くのショッピング・センターの中にある「」と云って道順を地図に赤く記入して渡してくれた。分かりやすくて助かりました。
レンタカー 担当者が新幹線の高架橋下の駐車場に案内し、Aクラス(車種不詳/白/小型車)の車の鍵を渡してくれる。満タンなので使用した分を購入の上で返車するように云われた。実は最新のカーナビは操作に不慣れなので、電話番号の入力方法だけは教えて貰いました。「お気を付けて」といって事務所に戻っていった。

当初は車に慣れるまでゆっくりです。アクセスの反応もよく、ブレーキも楽にかかる。だだ、自分の車はBMWなのでウィンカーとワイパーのレバーが左右逆です。当初は何度か間違えました・・・。運転そのものは日本のことで問題はありません。
新山口駅横の道を曲がりながら、地図にあるショッピング・センターに辿り着きました。右折し、左折して駐車場入りです。

スーパーに入って訊ねると、左側の端に生花店があった。ワイフは希望するタイプは対では置いていないので作って貰っていました。小菊の色違いを束ねただけなので一束358円でした。お寺でも飾って下さっていることでしょう。しかし、自分たちでも用意しなくてはならないものです。
駐車場に戻り、忘れない様に車の写真を撮っておき、国道2号線に向かいました。
国道2号線を下関に向かう。途中で少し道を間違えたりしたが、大した問題もなく、父親の故郷のお寺の近くまできました。少し手前でネクタイを〆たりジャケットを着たり、準備してからお寺の境内に乗り入れました。

お寺:

まず御墓の様子を見ましたら、きれいに掃除や除草をされ、一対の白い小菊を飾って下さいました。有りがたい事です。
玄関で奥さまに御挨拶のあと、御高齢となった御住職が正規の服装でお出まし下さり、御墓の前で33回忌のご読経を頂きました。
納骨の時には大叔父・叔父・叔母・従兄・遠縁など親族の多くの方々が御集り下さりました。時は過ぎ、私達2人だけの33回忌となりました。しかし、淋しい等といった気持にはなりません。その後、世間一般の生活とは基盤が全く異なる日常でしたが、人の目と口はいざ知らず、与えられた諸条件の下で自分なりに真っ当に過ごしてきたからでしょう。墓前での全てが終ったら、気持がとても安堵しました。
また、お寺に戻り、住職ご夫妻、御嬢様ご夫妻(将来の住職と房守)、私達2人で色々と簡単ながら充実した会話を楽しみました。
皆々様のお元気な様子を拝見し、嬉しい気分で御見送りを受けて辞しました。遠方からでも墓参に伺って、本当に良かったと思います。 南無阿弥陀仏。
この村の祖父の家で3才まで過ごし、何も覚えていないのに懐かしさを感ずる低い山並みと田園風景でありました。祖父はこの地にあった長州藩ご家老の屋敷だった家屋を譲り受け、結核患者のお世話をしていました。もう取り壊されてから久しい・・・。
そこを後にして、再び国道2号線に戻り、下関方向に走った。雨が降り出した。これから途中の東行庵に寄るつもりだが、生憎の天候になった。
2号線から260号線に入り、北上すると吉田になるはずだった。コピーしたマップはその道、しかしカーナビは違う道、さてはて、やはり迷って道路管理事務所で聞くはめになる。その後は無事に目的地に着きました。

東行庵と高杉晋作の墓:[ PHOTO ][ 構内MAP ]

東行庵 17:15 国道を挟んだ向かい側の東行庵駐車場に到着でした。濃い雲に覆われていたが、幸い雨はやんでいた。数軒の土産屋の前をあるき、横断歩道で東行庵の入口に渡る。石碑に大きく「東行庵」と彫られ、その後ろには石造りの藤棚があった。
右の小径を横切ると、東行庵(左)と高杉晋作の墓(右の坂道)の道標がある。まずは、東行庵に行って佇まいを眺めました。昔ながらの黒瓦の日本建築でした。この時節では周囲の木々が生い茂り、全景の写真撮影は良い場所が見つけづらい。少々敷地内に入ったところでも撮影でした。
裏の先に行ったら、コンクリート建屋の東行記念館があった。当行庵の直ぐ近くながら、建物の間に風変わりな石門があり、木立の奥にも古く小さな日本家屋がみえる。案内図の「無隣庵」らしい。これが山縣狂介(有朋)公が欧州旅行前におうの(後の梅處尼)さんに贈った建物かも知れない。しかし、浅学の徒には東行庵との関係がはっきりとしません・・・。東行記念館の先にある花菖蒲の池には行かなかった。

僅かに歩いて入口まで戻り、今度は緩いコンクリートの坂道を歩いて史跡高杉晋作の墓に向かった。道幅は広く、時々右側の谷間の展望が開け、時には樹齢300年と書かれた東行楓(かえで)があったり、静かながら良い雰囲気でした。
高杉東行先生のお墓は敷地が広くてシンプルな作りです。大きさも普通の墓石と同じか一回り大きい程度に思えました。両脇の前には一対の灯籠がある。そこから距離を置き木製の賽銭箱、その手前に通行止めの太い竹棒がある。墓地の周囲は石柱の柵に囲まれている。質素ながら均整がとれて良いお墓に思えました。高杉晋作公は楓を好んだのでしょうか、ここは清水山というはずですが、紅葉が沢山あるようです。
他に梅處尼のお墓や司馬遼太郎の文学碑などいろいろなものがあります。

明治44年に建立された高杉晋作顕彰碑(高3.2m、幅1.5m)があった。人物を簡潔に評した「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し」という名文で始まる。理や弁というより行動の人物だったのでしょう。文選は伊藤博文公によるとされる。

この碑の前をとおって山道を少し進む。突き当りには丸っこいお地蔵さん(?)がある。そこから石段を上ると高杉晋作像の前にでた。この銅像基部には「高杉東行先生像」と彫られてある。大刀を左手にした立像ですが、その太刀の鞘は中程で終って刀の先は剥き出しになっている。りりしい姿ではありますが、意味は分からない。ここにも小型の葉を沢山つけた楓がありました。

銅像の近くにある高杉東行先生ご自身の碑文「題焦心録」です。これは一部らしい。
内憂外患迫吾州内憂外患吾が州に迫る
正是邦家存亡秋正に是れ邦家存亡の秋
将立回天回運策将に回天回運の策を立てんとす
捨親捨子亦何悲親を捨て子を捨つる亦何ぞ悲しまん

時代が時代、約150年昔は江戸幕府の封建社会から明治時代の近代社会への過渡期、今とは比較にならないほど大変でした。諸藩の若き志士達の命を賭けた活躍が無かったら、日本の姿は違っていたことでしょう。志士の心意気の一例が良く表れている・・・。

17:36 東行庵から駐車場に向かいました。小雨になりました。
国道33号線に行き、丁字路を右折して国道491号線を西に向かって国道2号線に合流、下関に向かった。まだ雨が降り続いていた。
東行庵の高杉晋作像が新たに建立され、2014年3月30日に記念式典が挙行されました。当ページ掲載の銅像と趣きが違うようです。次のリンク先でご覧ください。
東行庵 > お知らせ|高杉晋作墓所 東行庵
( 2014.03.31 追記 )

春帆楼本店(しゅんぱんろう):[ PHOTO ]

春帆楼本店、右手前は日清講和記念館 法要の後は精進落しの会食が普通、今回は33回忌で世間では「弔い上げ」となる。それで夕食は何かしら精進落しみたいに思え、下関料理のフクを楽しむことになっている。支払いは私持ち。
赤間神宮・安徳天皇御陵の隣に春帆楼本店がある。伊藤博文公がフク料理を公認した第1号フク料理店(明治21年)とされ、店名も伊藤博文公の命名という。1895年(明治28年)4月17日の日清講和条約(下関条約)の締結会場となった由緒ある割烹旅館でもあった。昭和33年と38年に昭和天皇が宿泊されたそうで、格が高いのです。インターネットで調べると、要予約となっている。しかし、天候と予定消化に自信がなく、予約はしていない。飛込みで頼むことにしていました。東日本大震災により旅行や消費は低調といわれ、満員御礼で断られることもなかろう、という読みもありました。

18:37 赤間神宮の直後に右折して下の駐車場に停めました。雨でしたが、傘をさして駐車場から片側が駐車場の坂道に入る。上には「日清講和記念館」があった。その左側の坂道をさらに上がると春帆楼本店の正面入口になる。私は玄関で待ち、ワイフが中に入ってスタッフと夕食の交渉です。懐石料理のセット(@\5000、サービス料・税込5,775円/1人)ならできるという。ただ、料理と部屋の準備で20分ほど待ってほしい、とのことでした。中に入り、ロビーの椅子で休みました。すぐ番茶とメニューを持ってきました。
どうやら先方のいう懐石料理に”ふく雑炊”は付かないようだ。 低価格(\5000)の懐石料理2種を除く高価な懐石料理には”ふく雑炊”がつく。もちろん他の料理も値段で少しづつ変わるでしょう。担当者は「材料があれば希望に応ずる」というので、”ふく飯”を”ふく雑炊”に代えるように頼みました。調理部に確認を取ってからOKとなった。値段的に1人500円アップです。もちろん、当方は了承です。(実は、ふく雑炊付き懐石料理(@\8,000)の予定だった。が、今回のもので十分と思えました。)

19:15 エレベーターにのり、3階の一番奥の部屋に案内された。トイレや洗面所のある宿泊用の和室でした。雨でなければ窓から壇ノ浦の風景が楽しめたことでしょう。広い部屋の中心に座卓と座布団、座卓には突き出しなど最初の皿や雑炊セットが既に出ています。
日本人ながら洋風の椅子生活になれ、畳に胡坐をかいて食事するのは苦手となりました。でも、何とか・・・。
料理は次々に運ばれてきます。フク料理の評価ができるはずもないが、感想としてフクサシ(ふく薄造り)はやはりアッサリしたコリコリ感がタレに合い楽しめました。小型の皿に菊花のように並べて出ますが、切身1枚では物足りなく、3枚程度を1回で味わいました。他のフク料理も珍しく、楽しみながら賞味しました。ただ、個人的には減塩を守る生活なので、フク唐揚げのふっくらした食感はよかったが、塩辛く感じてしまった。普通の人には良い塩加減なのでしょうが・・・、仕方ありません。牛ヒレステーキは美味かった。最後のふく雑炊は瓦斯コンロで煮て作るので、でき上がりまで時間がかかる。暑いのが苦手で大汗をかいたが、味は口にとても合った。珍しくも雑炊はがまんできず、茶碗に3杯も食べました。
最後は新鮮なカットフルーツ3種のデザートでした。
下関のふく懐石料理は十分に堪能し満足しました。また食べたい。料金的にも高いとも思えなかった・・・。従業員の方々の応対も適切というか、十分に満足できるものでした。
皇室御用達(?)の割烹旅館のことはある・・・。

ふく会席 (4月から9月まで限定) 5,000円税別 (5,775円サービス料・税込)
 先付 馬関和え
 前菜 季節の五種盛り
 御椀 ふく真丈 清まし仕立て
 向付 ふく薄造り(六寸皿)
 焼物 牛ヒレステーキ
 揚物 ふく唐揚げ
 鍋物 ふくちり鍋
 蒸物 雲丹茶碗蒸し
 御飯 ふく飯 ふく雑炊
 香物 三種盛り
 水物 季節の盛合わせ

20:32 会計は部屋ではなくフロントです。クレジット・カードの一括で済ませる。料理代+サービス料(10%)+消費税(5%)で \12,705 でした。領収証やカード売上票は春帆楼の白封筒に入れてくれました。予約なしで飛び込んだので、「突然にお願いして。ふく料理は楽しめました」 と礼を一言残して玄関に向かう。担当の中居さんが玄関まで見送ってくれました。

ホテルまでの道中:  雨は止んでいた。春帆楼の坂道を下り、駐車場の車に乗り込んだ。満足感がありました。右折で2号線に出て、JR下関駅の地域、海峡ゆめタワーの近くに目指すホテルがある。下関駅の手前で海側の街に入った。ビルとホテルが多く、目指すホテルが分からない。なぜカーナビを使わない? カーナビのDVDにホテルが未登録で、電話番号でもホテル名でも地図に表示されなかったのです。
ワイフが歩道に降りて、丁度バイク2台に分乗していた若者にホテルの場所を聞いてみる。1台が直ぐ場所の確認に走ってくれて、数分後に戻ってきた。もう1本海側の道を1ブロック戻ったところにあるという。間違わないよう先導するようかのように時々後ろを見ながら2台のバイクは走った。ホテルの交差点で別れたが、ヘッドライトを2回アップ・ダウンさせて Thank you を伝えた。一般的には「バイク遊びの若者」なんて蔑視の対称になり易いと思うが、この若者たちはとても親切で助かりました。

ホテル・ドーミーイン下関:[ PHOTO ]

ホテル・ドーミーイン下関 21:15 車をホテル前に止めて、ワイフが駐車場の場所の確認にゆく。ホテルの駐車場は既に満杯、1ブロック離れた海峡メッセ前駐車場を利用するように云われたらしい。態度が気に入らず、ワイフはプリプリでした。とにかく指示された青空駐車場に行き、入口で駐車チケットを受取り、キャリーケースを引きずってホテルまで歩いた。高々1ブロックの距離で近いものです。

21:19 インターネットで知らせたチェックイン・タイムからかなり遅れていた。でも、フロントの男性は「1ランク上のお部屋を用意しました」を何度か繰り返した。アメリカ製シモンズのベッドを採用していることが売り物らしいが、周囲に幾つかビジネス・ホテルがあり、競争は厳しいようです。見せた大浴場の入場券やレストランの割引券などは朝食券を除きカードキーの紙封筒に入っていなかった。が、我々には不用です。とにかく、チェックイン時にクレジット・カードで支払いは済ませました。

エレベーターを利用して9階の部屋に行く。寝室とバスルーム・クローゼットなどは扉で仕切られた作りだった。全体的に狭く感ずるが22平米の部屋ならこの程度でしょう。調度品などは全て部屋サイズに合わせたものでしょう。ただしベッドはセミダブル2つが並び、周囲3方に空間的な余裕がない。それでも、少し狭いだけ、ベッドの寝心地は良かった(実は家でもシモンズのベッドで・・・)。シャワーの出は良いし、清潔感はあるし、総じて快適だったと云えます。何せ、料金が2名朝食付きで \11.800、印象は好意的になり易い・・・。

明日の予定は天候次第です。晴れて見通しが良ければ火の山公園に行きたいが、雲の厚い曇や雨なら街で適当に時間潰しをするしかありません。天候次第で、午後の早めに新下関駅にゆくつもりです。
明朝はゆっくりでも良いが、多分、日常の起床時刻でしょう。

3日目(6/8)
下関観光、新幹線、大阪泊
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ホテル出発まで:

07:00 記録はないが、この頃に起床だったはずです。
窓の外は曇で対岸の小倉の山は雲があり半分しか見えません。今日の予定「火の山公園」は諦めました。
08:10 1階のレストランに行く。
ヴァイキングですが、ビジネス・ホテルの1種としては普通以上かも知れません。オレンジジュース、メーンデッシュ(ハム、ローストビーフ、ソーセージ、スクランブルエッグ、フライド・オニオンリング、グリーン・サラダとプチ・トマト)、パン2種・バター・ジャム、プレーン・ヨーグルトでした。ここは箸のみです。
08:32 レストランを出て部屋に向かった。
パッキングを済ませた。忘れ物の確認は厳重に行う。
09:30 鍵を返却してホテルを出る。
駐車場までは歩きです。幸い雨ではなかった。
09:35 車にキャリーケースを積んで出発です。駐車料金は 約12時間半で \900、ホテルの駐車場より安かった。
特に目的はなかったが、下関駅近くの大丸デパートまで走って見る。連続した歩道橋が珍しく感じた。それから国道9号線で赤間神宮まで行く。

赤間神宮:[ PHOTO ][ 構内MAP ]

赤間神宮 10:07 赤間神宮の前、国道9号線と海岸の間に無料の駐車場がある。そこに車を入れた。横断歩道を渡って鳥居を通り抜け、階段を上がった。白壁と朱色の木部の水天宮(門)から外拝殿に行き、賽銭を投げ込んで御本殿に参拝する。その後、外拝殿の右側にある西日本鎮守八幡宮を見たり、外拝殿の左側に立つ3本の供養塔(水難事故で亡くなった国民の供養塔)を簡単に拝見した。奥にある安徳天皇陵や平家の墓地、耳なし芳一堂までは行かず、境内を後にしました。
以下に簡単な説明と有名な短編小説を付記しておきます。

下関は明治維新まで馬関、その前は赤間関といった。 赤間神宮は下関市阿弥陀寺町の関門海峡を見降ろす斜面にあり、1185年(文治1)源平壇ノ浦合戦において8才で入水した安徳天皇を祭っています。時の朝廷が長門国の赤間関に御影堂を建立して”阿弥陀寺”として奉祀させたのが始まりとされ(町名として今に残る)、明治維新のとき安徳天皇社と改称され、1875年に勅旨により赤間宮(官幣中社)、1940年官幣大社となり、赤間神宮と改められた。1945年に戦禍で破壊されたが、1965年に復興した。宝物に「平家物語(長門本)」などがあります。

『 平家の怨霊に憑かれた盲人の琵琶師の芳一が夜になり阿弥陀寺から抜けだして安徳天皇の墓前でビワを奏しながら平家物語「壇ノ浦の戦」を語る・・・。気付いた住職は下男に命じて後をつけさせ、阿弥陀寺に連れ帰らせる。事情を知った住職は芳一の体中に経文を書き、迎えの怨霊が来ても無言を続けるように命じた。夜になり、怨霊が迎えに来ると芳一の姿は見えず、琵琶と耳2つだけがあった。それで怨霊は耳を持ちかえった。その時に芳一は耳を失った。耳だけ経文を書くのを忘れたためだった。』
小泉八雲(Lafcadio Hearn)の有名な短編小説「耳無芳一の話」です。数十分で通読できるし、青空文庫 から無料ダウンロードできます。

駐車場に戻ったのですが、一旦は海の近くまで行ってみた。海面に降りる幅広い石段があり、その直ぐ手前に大きな鉄の碇が置いてあった。単なる飾りなのか、碇知盛(平清盛の子で壇ノ浦合戦の平家総大将だった平知盛)の連想か、分からなかった。
10:35 駐車場を出て、直ぐ近くのカモン・ワーフに向かう。

唐戸市場エリア(カモンワーフ):[ PHOTO(+下関の写真) ]

遊歩道と関門橋 10:38 唐戸市場の駐車場に車を入れる。
ブラブラ歩きで観光モールらしいカモン・ワーフに行く。海峡側には長い木板張りの遊歩道が設けられている。天候さえ良ければ、関門海峡を眺めながらの散歩もまた楽しからずや・・・。今日はそんな空模様ではなかった。適当にブラブラしてソフトクリーム1個(@\300)を買って食べる。する事もない・・・。
11:20 駐車場を出る。2時間以内は無料だった。

新山口駅に移動: 
新山口駅の駅レンタカー電話番号をカーナビに入力して運転です。途中に中国自動車道の新下関ICがあるが、唐戸市場と新下関駅の中間点でどう考えても新下関ICに誘導するはずがない。高速道路使用と指定しても距離計算で拒否するはず。次のICはかなり先の小月になる。ところが、搭載のカーナビは、不可解なことに、このインターチェンジ入口に誘導してくれた。ダメネー!
何とか戻って、やっとこさ、真っ当に新山口駅の近くまで誘導してくれました。駅近くになり、沿道のガソリンスタンドでレギュラーを満タンにする。リットル145円で、8.14リットル入った。ガソリン代は1,180円で済みました。

駅レンタカー返却と新下関駅:

駅前にはレンタカー会社が幾つもあった。駅レンタカーにガソリンのレシートを見せて鍵を返却、これでOKでした。今回の場合は、移動に公共交通機関とタクシーを利用するより、レンタカーが安くて便利でした。

12:35 次に、駅の切符売り場に行く。予定は16時31分発「さくら570号」でしたが、14時04分発「ひかり564号」に変更して貰いました。1回のみ新幹線の列車変更が可能でした。ここで時間潰しするより、大阪梅田に早く行きたくなったのです。

12:48 駅のカフェレストラン風の店に入り、サンドイッチ2種とマフィン1個とコーヒー2つ(計\1,214)の昼食にする。空いていたので奥のテーブルにしたが、客がポツポツと入り、そのうち満席みたいになった。

13:45 この頃にカフェレストランを出て、新幹線の改札口に向かった。様子がわかったので乗車券と特急券は同時に改札機を通した。
13:50 「ひかり564号」は3番ホームだった。5号車の乗車口に行く。
このホームから見ると、新幹線の列車が来る方向にトンネルがある。トンネルを出ると新下関駅となるのだ。都会としては珍しいと思った。(実は何度か利用したが、昔のことで忘れている。)

新幹線「ひかり564号」:

トンネルの見える新下関駅 14:02 この頃に「ひかり564号」が到着でした。
14:04 出発。
指定席は5号車16Aと16Bでした。
新幹線はスピードのため風景は楽しめないことが多い。
車内販売のバニラ・アイスクリーム(@\270)を食べて気分転換です。
16:21 予定通り新大阪駅に到着でした。
標識に従って環状線のホームに移動、電車で大阪駅に向かった。

ホテル・グランヴィア大阪:[ PHOTO ]

実は最近になり大阪駅のリニューアルが完了し、 大阪ステーションシティ が2011年5月4日に開業したばかりです。北口には新たに三越・伊勢丹・デパートが開業し、大阪駅のプラットホームの上に広い横断歩道と巨大な斜めのキャノピーが作られ、北口と南口を含む大規模な新駅の複合施設が完成したのです。随分と感じが変わりました。
左にホテル・グランヴィア大阪、中央は大阪駅の南口、右が大丸 16:47 大阪駅の北口と南口の連絡橋(中央コンコース)を使って南口に行く。
予約したホテル・グランヴィア大阪は南口ビルの1Fと19-26Fです。
フロントで名前を云うとすぐに分かり、宿泊カードに氏名・住所・電話番号の記入する。明日のチェック・アウトは14:00のレイト・チェックアウト時刻近くになると伝えた。絶対に遅れないように云われた。京都のグランヴィア・ホテルと同じく、クレジット・カードの提出は求められなかった。部屋番などが書かれた紙製のミニ・フォルダにルームキーと朝食券を入れて渡される。キャリーケースを引いて、26階の部屋に向かった。

17:00 部屋に入る。この部屋の鍵は変わっていて、カードキーではなくフロアーと室番が書かれた鍵です。古風な作りでもオートロック式で古いものではありません。
梅田のビル街に面したとても良いツインでした。明るい色の絨毯で丁寧に掃除された感じです。セミダブル・サイズのベッドもよさそうでした。インターネットの接続設備は当然としても、ベッドのライトやデスクのライトは流行り(?)のLED、枕元のスイッチ類も操作がし易い印象でした。
バスルームは少々高級感があります。トイレはホテルとしては珍しい家庭用の貯水タンク付きでした。アト・ホームに感じさせる為か?と思ったものです。バスタブにカーテンはなく、バスタブから少々離れて3枚のガラス引戸がある。スペース的なゆとりがあった。

大凡の点検が済み、キャリーケースを落ち着かせてから、窓の外のビル街を眺めました。梅田の幾つかのホテルやデパートが目前に見えます。遠くには大阪城の天守閣まで見えました。一言で素晴らしい大阪の眺望と云えましょう。幸い天気もよく、写真撮影も楽しめました。

17:45 小型のコンデジのみ持って部屋を出ました。

南口のデパートと夕食:

大阪駅の周辺に4デパートがあり、デパートの激戦区と云われている。京都で発足した老舗デパート大丸の梅田店が大阪駅サウスゲートビルディングにある。宿泊のホテルと同じビルになるが、地下2階から12階を大丸が使用しているのです。変わった試みとして、東急ハンズやユニクロまでデパートの一部として出店している。しばらくは店内をブラブラ歩きで楽しみました。買物は無かったが、「所変われば品変わる」でデパートも街で雰囲気が違う。良い目の保養でした。

夕食/大丸のレストラン街(11階):  そろそろ夕食時となったが、特に食事先は決めていない。デパート11階のレストラン街を見歩く。名前を知った店も幾つか出店しているし、別の街で食事した店もあった。
18:35 結局は東京・築地の寿司清に入り、テーブルに案内してもらった。大阪梅田で何故築地の寿司屋?これは分かりませんです・・・。
飲物はお茶、 注文は特上セット(@\2,940)2つとサラダ1(シェアー/@\840)でした。
サラダは寿司屋らしい海鮮サラダ、基本的なグリーン・サラダに新鮮な魚介類の刺身を混ぜ、ワカメをタップリとトッピングしたものでした。酸っぱいドレッシングだったが、なかなか美味しく感じました。後日談ながら、我が家でも時々作るようになった。

特上セットは江戸前10個とカルフォルニア・ロール2個だった。それに味噌汁と茶碗蒸し。我々には十分。味は場所が場所なので、当然のものと云えるでしょう。

19:10 ワイフの支払い(\6,720)ですが、店のレジでは私がキャッシュで払った。レシートは大丸デパートのもの。後でホテルの部屋で精算です。大丸の地下にエレベーターで降り、部屋で飲むスポーツ・ドリンクを探した。大瓶しかない。横断歩道を渡り、阪神デパートの地下で小型500mlのスポーツ・ドリンクがあった。これとミネラル・ウォーターを購入し、ホテルに戻った。

ホテル・グランヴィア大阪(2):

何とか今日の予定は無事に終えました。
後はシャワーでサッパリして、菓子類を食べて、ゆっくりしました。
この部屋のシャワーは当初に指摘したように、仕切りがガラスの引戸3枚になっている。バスタブの空間が広く、シャワーも使い心地がよく快適そのものでした。今日のような行程ですと、疲れは左程に感じません。
しかし、横になったら直ぐに眠りました。

4日目(6/9)
大阪(新デパート)、JR快速関空行き、ANA、帰宅
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ホテル出発まで:

07:00 旅行中としては遅い時刻の起床でした。
07:50 パッキングもほぼ片付いた。
08:03 部屋からレストランに行く。
19階のレストランフルーヴで和洋食ヴァイキングです。食券を渡して中に入った。ワイフは何時も通り和食、量的に僅かなものです。私も何時も通り洋食、オレンジジュース、グリーンサラダにポテトサラダ、メーンデッシュ(ハム・ソーセージ・ミートボール・スクランブル・エッグ、玉子とハム料理)、パン2種とバチー・ジャム、最後にコーヒーでした。このレベルのホテルとしてフツーと思います。
08:35 レストランから部屋に向かった。
午前は適当な時刻に北口の新デパート「三越伊勢丹」に行きます。
今年5月に開業したばかりです。大阪駅の地区は他に昨日に見た大丸、向かいの阪神、東に阪急、全部で4つの大デパートがあり、日本一の激戦区とも云われている。
三越伊勢丹を見た後は、一旦ホテルに戻り、午後の早めにチェックアウト、JRで関西空港に行きます。

大阪北口の新デパート「三越伊勢丹」:

大阪駅のホーム上の中央コンコース
このデパートは、『 2014年夏、10階レストラン街と地下2階食品売り場を除いて閉店 』 しました。
10:35 大阪駅の南中央口から入り、中央コンコースに行く。巨大な斜めのキャノピーの下には列車用ホームが沢山並んでいる。列車が出入りする外側は未だ大きな工事が進行中だった。 どう歩いたか細かくは記憶に無いが、JR ISETAN Mitsukoshi の入口の手前に天空に上がるかのようなエスカレーターがあった。多くの人達はそれで更に上がっていくが、我々はデパートに入った。

JR ISETAN Mitsukoshi の入口 最新のデパートのことで全てピカビカ、陳列なども良かったと思います。沢山買えると良いですが、紳士服売り場で夏用のメッシュ製ハンチングを1つだけ購入です。以前は三越の帳合カードを持っていたが合併以後に廃止となった。新 MI Card に継続せず、デパートの顧客カードは所持していない。ところが居住地の地元デパートが 三越伊勢丹 Group になったので、ワイフのデパート顧客カードが MI Card になった。これを使えば、確か8%の割引になる。古いカードと違い、現金での割引はない。クレジットの一括払いの時に割引が適用されるらしい。

その後、適当に興味のある部門をブラブラ歩きで目の保養です。結局は帽子1つの買物で終わりましたが、都会の雰囲気は十分に楽しめました。

11:30 昼食のため10階のレストラン街「イートパラダイス」に行く。オープン間もないためか、凄い人の集まり、フロアー全体がお祭気分みたいです。どの店も長い待ち行列で我々のランチどころではない。ビックリして諦めました。昨年秋、羽田空港・新国際ターミナルのオープン後に江戸時代を模したモールに行った。その時も人出が多すぎ昼食を諦めたが、正直、今回は都心部のためかそれ以上の混雑に思えました。
エレベーターに乗り、レストラン街を後にした。
結局、三越伊勢丹の地下に行き、仙台の銘菓「萩の月」と缶コーヒーを買った。弁当を食べる程の食欲はなかった。

注: 2014年1月23日付け日経オンラインによると、「大阪と東京の商感覚の違いにより業績が不振続きとなり、この三越伊勢丹は事実上の撤退を決めた(文章は変更)」そうです。

ホテル・グランヴィア大阪、簡単な昼食、レイトチェックアウト:

ホテルの部屋でお八つみたいなランチです。大の甘党なので時には「萩の月」2個の食事もよいものです。本格的な食事でなくとも、体重のため別につらいことは有りません。
それからはゆっくり休みました。窓からの大阪の風景が見事でした。
12:47 忘れ物のチェックをして、部屋を後にした。
フロントで鍵1本を返却し、クレジット・カードの一括払いで精算でした。快適な部屋にゆっくりできて1泊ながら良い滞在でした。

JR快速・関西空港行き:

12:50 大阪駅から関西空港駅までの切符は予め購入済みでした。改札を通り、1番ホームに行く。関空行き快速電車は「関空快速/紀州路快速」として8両編成の1本の列車として運行されているが、関空の手前でそれぞれ4両編成の「関空快速」と「紀州路快速」という2本の列車に分離される。関空行き「関空快速」は2本連結の時は前4両でした。
13:06 関空快速が大阪駅を出発。
日根野駅(大阪府泉佐野市)で紀州路快速4両と分離された。
14:18 関西空港駅に到着。
エスカレーターで上階の連絡通路に出て、ANAの搭乗口に向かった。

関空(ラウンジ)、ANAで地元空港、到着、夕食、帰宅:

出発ロビーの全日空搭乗手続きで自動発券機にANA-MC を差し込むだけの搭乗手続きを済ませた。座席は既に希望を登録ずみ、8Bと8Cになる。
次に搭乗手続き窓口でANAカードを渡し、キャリーケース2個を預け入れた。電子化は未だで、番号札が渡される。それからセキュリティ検査後のゴールドカード・ラウンジを聞いたら、モールのユニクロの横のドアーから入るとラウンジ「ヒエイ」があるという。4月と同じ、セキュリティ通過後のラウンジはないのです。
ラウンジに行く前に土産ショップを覗き、テンテンのミニ餃子を一箱だけ買った。自宅用。

ラウンジ:  モールのユニクロはすぐ分かり、横の鉄のドアーから廊下に入る。左に進み右にラウンジがあった。
入口カウンターで夫々のゴールドカードを渡し、搭乗券は無いのでANA-MC2枚も渡した。スキャンして終り、しばし静かな時間となります。
飲物はコーヒー、スナックは袋入りの柿の種と紙コップに揚げかき餅3種をいれてテーブルに持ち帰った。時代の反映でしょうか、スナック類は品数も量も数年の間に減ったように思えました。でも、今のものでも気分的にリラックスできます。
1時間以上もゆっくりして、ラウンジを後にしました。その間にいろいろな利用客が出入りしています。

帰路ANA搭乗口:  セキュリティ検査を受けて搭乗口に行く。近いゲートだった。
搭乗口でワイフの友人にあう。同じANA便で北海道に飛び、所有のマンションで10日間程度過ごすらしい。この人には、4月の関西旅行では世話になった。そのお礼も兼ねて、今日の夕食は簡単なものながら3人でします。勘定は私持ちです。

帰路のANA機(正面) ANAカードを機械に通してピンク色の搭乗券を受取り、ボーデング・ブリッジで搭乗した。機材は往路と同じ B737-500、座席配列は 3-3、指定席は 8B と 8C、前なので歩かずにすみます。
予定通りに出発。
予定通りに到着。
バゲージ・リクレームでキャリーケースを受取り、団体出口でレンタカー会社の人と会い、送迎ミニバスに乗る。
レンタカー会社で3人分の荷物をワイフの車に積み替え、海岸沿いの道路を走った。

回転寿司の夕食:  3人で地元名物の回転寿司に入る。3.11大地震の後は国内旅行も関東・東北・北海道が特に振るわないと報道されているが、多分その通りなのでしょう。何時も待たされるこの回転寿司でも直ぐ空席に案内されました。次から次に握り2個が乗った皿が回ってくる。しかし、私が幾つか回転台から取った程度で、原則的に前にいる職人さんにオーダーで握ってもらいました。最後にオーダーした生ウニの軍艦巻きは当たりが良かったらしく、美味でした。ここは評判だけあり、値段から云って遠慮なく楽しめる寿司屋です。連れは女2人、共に小食です。会計は \5,415、正直なところ安く上がりました。

帰宅:  寿司屋を出てから10分くらい走り、ワイフの友人をマンションまで送りました。それから自宅に向かった。
たった4日の旅行でしたが、自宅に戻るとホッとします。
何の異常もなく、無事に今回の旅行も完了となりました。

おわりに Page Head ▲
今回は観光旅行ではなく、亡父の33回忌に当たり京都の大谷本廟(西大谷)と亡父の故郷のお寺にお参りしました。目的が目的なので、黒ネクタイに白ワイシャツ、ダークのジャケット、グレーのスラックス、黒いウォーキング・シューズ、このスタイルが丸1日ありました。京都から新山口の移動は新幹線だったが、ノータイで乗車です。多くの乗客はビジネスマンというか仕事関係の人達、ジャケットにワイシャツ姿は違和感がなく、かえって落ち着いたようにも思います。観光地では出張ついでの物見の感じですが・・・。33回忌の当日以外は、カラーシャツにジーンズの旅行スタイルでした。
靴だけは同じだった。黒でも、無難なデザインのウォーキング・シューズで問題はなかった(と勝手に思っている)。15年も前に香港ペニンシュラ・ホテルのアーケードで購入したイタリア製です。雨で濡れると水が浸み込みやすいが、逆に暑い日でも蒸れずに済みます。良い靴は時間を経ても違和感なく使えるもの、久々に履いて感心しました。

平年は命日すら個人的に仏壇を飾って拝むのみ、仏事はあまり執り行わない無宗教に近い生活です。それでも、浄土真宗本願寺派は祖先代々の宗派であり、今回は気持ちに区切りを付けることができた良い墓参でした。その一言に尽きます。
いわゆる家業があり親族・縁者が集まり易い環境にある人々ならともかく、現代社会の核家族化や経済的な限界などの理由で独立的な経済生活を営む小家族の場合には、33回忌にあたり故人と縁あった人々と集うことは本当に困難です。
お墓参りだけで済ませても、十分に通用することかもしれません。
金沢出身の室生犀星は、ご自身の体験に基づくらしいが、詩の冒頭で
「故郷は遠くにありて思うもの/・・・/帰るところにあるまじや/・・・」
といっています。亡父は仕事一筋と云いますか、これを実践したような面がありました。
訪問回数の比較では、数えたことはないが、旅行を厭わない私の方が多いはずです。

今回は全日空とリムジンバスとホテル1カ所を除き、ホテル2カ所、新幹線、レンタカーがJR西日本系でした。偶然ですが、そのような個人旅行もいいもの。日本の交通や街の変化にはスピードがあり、旅行慣れはあっても、いろいろな局面でモタツクこともありました。が、多くの場合は誰かが親切に教えてくれます。十分に目的を果たし、また楽しめた小旅行でした。

相変わらず行程に沿って書き留めただけの旅行記ですが、御訪問に感謝致します。お楽しみ頂けたりお役立ち情報を見付けられたら幸甚に存じます。これに懲りずに当サイトの他の旅行記もお暇な折にお訪ね頂けると幸いです。
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(2016.10.10 モバイル対策)(2011.07.11 公開)

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